egotop
Egoist
Mail
HomeAboutMainLinkLog&PresentBlog
Egoist 第一部 西苑の蝶
−序章−
 帝国歴 488年10月、ラインハルト・フォ ン・ローエングラム元帥は、最後の政敵であった帝国宰相リヒテンラーデ公爵とその一族を悉く粛清すると、自ら帝国宰相の位に就き、政治、軍事の大権を手中 に収めた。
 門閥貴族の圧政からの解放を掲げ、民衆の絶大な支持を得た彼は、旧体制下で永く停滞していた経済の再建と、民政改革に大胆なメスを入れた。その一貫とし て為されたものの一つが、不敬罪を除く言論・出版・通信の自由の保障である。それまで一部特権階級のものであった情報が、広く庶民に開放されることは、無 論、帝国臣民の歓迎するところであり、ローエングラム体制への支持を強化する一因に成り得た。
 しかし、それが後に諸刃の剣となって、宇宙の時間軸に小さな亀裂を生じさせることとなる。
 その亀裂がやがて銀河の歴史を大きく変動させたことは、この時、人類の誰も知り得なかった。


 新帝国歴1年9月25日、ラインハルト・フォン・ローエングラムが至尊の冠を戴いてから三ヵ月後のこの日、『西苑の蝶』と題する電子書籍が、フェザーン から、同盟、帝国それぞれの公用語で全宇宙に向けて同時配信されると、女性層を中心に、幅広い年代で瞬く間にベストセラーとなった。 
 著者は、「リースル」と名乗る帝国人女性で、著作の内容は彼女の回顧録だったが、注目を集めた理由は、彼女が旧王朝下で、約10年に渡って皇帝フリード リヒ4世の寵姫の一人であったことに尽きる。
 ローエングラム王朝の時代に入ると同時に、それまで秘密のベールに包まれていたゴールデンバウム王朝下の暗部を暴露する出版物が相次いだ。それらの多く は、公にされなかった政治闘争の内幕だったが、その中で、皇帝の私生活を赤裸々に綴った『西苑の蝶』は、身分制度の枠外に生きていた同盟市民やフェザーン 人のゴシップ誌的な興味をそそり、旧王朝下では、新無憂宮に近づくことすら叶わなかった帝国の平民達の関心をも誘った。

 ゴールデンバウム王朝の皇帝の居城であった新無憂宮は、大きく東西南北の4区画に分けられており、その内の西苑は、皇帝の寵姫達の館が点在する所謂「後 宮」のことである。ここに住まう寵姫達は、その美しさからしばしば、その庭を彩る花や蝶に例えられて賞賛されてきた。
『西苑の蝶』というタイトルも、それに由来するものと誰もが想像できたが、もう一つの真の意味は、この時点では著者のみの胸の裡にあった。
 当初は、如何に言論の自由が許されたとはいえ、明らかに現皇帝とその姉君と判る人物がイニシャルで登場する内容故、配信するに当たって、憲兵隊の査察官 に検閲を受けたが、全く指導(という名の訂正の強要)される箇所なく、無修正で通過したという経緯がある。これは、新王朝の寛容を示すと同時に、著作の内 容が、ゴールデンバウム王朝の後宮の内情を暴露するものであったので、旧王朝がいかに非人道的であったかを強調し、それを斃した新王朝の正当性を宣伝するために、むしろ有意義であると判断された為でもあった。
 何時の時代にも、後宮やハーレムといった舞台を題材にした物語は、庶民の好奇心を大いに刺激するものである。ましてや、この回顧録は、遠い昔話ではな く、著者を含めた文中に登場する人物の殆どが存命中であり、つい十数年前から始まる現在進行形の話なのである。その為、著者のリースルをはじめ、登場人物 の殆どが仮名かイニシャルで書かれていた。尤も、読む人が読めば、それが誰を指すのかは、自明ではあったが。


本書を、親愛なるG大公妃と、その偉大な弟君に捧ぐ


 冒頭をこの言葉で飾った回顧録は、著者の生い立ちから始まる。
 彼女は、後にローエングラム王朝の学芸尚書ゼーフェルト博士によって編纂された『ゴールデンバウム王朝全史』の中で、第36代皇帝フリードリヒ4世が 「16人の女性を28回にわたって妊娠させたが、6回は流産、9回は死産、誕生した13人のうち、成人前に9人が、成人後に2人が死亡した。」と記されて いる中の、16人の女性の一人である。皇帝との間に一度だけ、女児を懐妊したが、死産している。
 この回顧録は、一般向け配信に先立ち、皇帝姉弟に敬意を表する形で、アンネローゼの住むフロイデンの山荘と、フェザーン大本営の皇帝執務室の端末に送ら れてきた。
 アンネローゼは、その日一日かけて全文を読破し、物思いに耽っていたが、後日、「回廊の戦い」と呼ばれることになる皇帝親征を控え多忙を極めていたライ ンハルトが政務の合間に数日かけて読み終えるのに、更に一週間を要した。
 本来、ラインハルトにとって、姉以外の宮中の女性など、全く興味の対象外であったが、この著者に限って言えば、特別な感慨を持っていた。彼が本来、女性 が好んで読むような書籍を、多忙の合間を縫ってまで読了したのは、著者であるリースルことビュルガー男爵夫人と、間接的に知己を得ていたからである。


 あれは、幼年学校を卒業して任官し、何年目のことだったか。あの時、自分は、中佐だったか、大佐だったか・・・
 親友と共に、久しぶりに後宮の住人となった姉との面会を許された日の出来事を、ラインハルトは、記憶の抽斗から手繰り寄せた。
 新無憂宮の一隅にある菩提樹の茂る池のほとりにある館を訪ねると、アンネローゼが温室の蘭の花を数本携えて、けぶるような憂いを湛えた微笑で二人を出迎 えた。
「ラインハルト、ジーク。丁度よいところへ来たわ。ちょっと手伝って頂戴」
 アンネローゼはそう言うと、二人を西陽の射す庭園に誘った。三人が向かったのは、庭の片隅に建つ小さな墓石の前だった。『Felicia 473』とだ け彫られた小さな墓標の前で、アンネローゼが、墓の周辺の雑草を丁寧に摘み始めると、ラインハルトとキルヒアイスも黙ってそれに倣った。伯爵夫人である彼 女がこのような作業を手ずから行うには、相応の事情があることを、何も言わずとも彼等には容易に理解できるのだ。
 一通り摘み終わると、アンネローゼは、持ってきた湿らせた麻布で、墓石を丁寧に拭き清め、最後に先ほど摘んだばかりの蘭の花を墓前に供えた。
 館に引き上げ、バルコニーでお手製のケルシーのケーキを振舞いながら、アンネローゼは、墓の主は、この館の前主人であるかつての寵姫が死産した子のもの であると教えてくれた。
 典礼に従えば、死産とはいえ、皇帝の子である以上、皇族墓に葬られるのが決りだったが、当時この館に住んでいた寵姫が、特に皇帝に願い出て許され、ここ に墓を建てたという。
 その話の折に、ラインハルトは姉から、この館の前の主人について、大よその話をきいた。自分がここに来る3年ほど前に後宮を辞し、今は結婚して、二人の 子供にも恵まれて幸せであること、死産した最初の子のことを今でも忘れることなく、年に一度の命日には必ず訪れていることなどを聞かされた。
 また、前主人が、寵姫時代も自分が平民の出で、パン屋の娘であることを周囲に隠しておらず、この館に住まうようになってからも、自ら厨房に入って時々 パンを焼いていたらしいエピソードも加わった。そのせいで、アンネローゼは、この館に納まった時に、厨房の調理器具が充実していたのが、嬉しい驚きだった と述懐した。
 菓子作りが趣味のアンネローゼにとって、この環境は、逼塞した後宮の中でのささやかな悦びだった。前主人も、何年かぶりにかつての自分の館を訪れた際、 残していった愛用のボールやミキサーが、きれいに磨かれて新しい主人に大切に使われていることに感激していた。また、亡くした子の墓の手入れを欠かさない アンネローゼに感謝して帰途に着いたという。まだ幼い子のいる夫人とは、独身のヴェストパーレ男爵夫人や子供のないシャフハウゼン子爵夫人ほど会う機会は 少ないが、少ない交流の中で、確実に友情を育んでいたらしい。
 後宮を去った寵姫が、新たな幸せを掴んだという話は、ラインハルトとキルヒアイスにも希望を与えた。いつか、自分達の野望が達成され、アンネローゼをこ の牢獄から開放することができたら、その時こそ彼女の本当の人生が始まるのだと、二人は無言のうちに確認し合っていた。
 フリードリヒ4世が崩御した後、寵姫の座から開放された姉の前に跪き、「これからは、どうかお幸せになって下さい」と、彼にしては平凡な言葉を贈ったラ インハルトの脳裏には、一足早く第二の人生を生きていた元寵姫のことが、あったのだろう。
 この時代、兵役義務のある男性と違い、戦死と無縁である女性の平均寿命は100歳を超え、充実した医療を受けられる上流階級では、110歳以上生きる人も 珍しくない。人生は長いのだ。花の時期を権力者に奪われたことは、女性にとっては悲劇だが、失ったものは、別の形で取り戻すこともできるのだ。
『西苑の蝶』は、自ら後宮を辞した著者が、現在の夫に求婚され、迷いながらもそれを受け、二人の息子を得て夫の親族にも認められるところで終わっていた。
 その美貌故に数奇な人生を歩むこととなった主人公が、最後に幸福を掴むというストーリーは、誰が読んでも安心できる読後感の良いものだった。
 ラインハルトは、この著者を、彼女とは真逆に、後宮に固執し続けたが故に身を滅ぼしたベーネミュンデ侯爵夫人との対比で、密かに賞賛していた。
 ゴールデンバウム王朝の後宮という忌まわしき悪弊から自由の身となった元寵姫は、最後には幸せになった。この時のラインハルトも、読者の全てが、そう信 じて疑わなかった。今回配信出版された『西苑の蝶』が、実はほんの序章に過ぎないことなど思いもせずに・・・。
TOP NEXT
footer
Copyright(C)2010 Jeri All rights Reserved.