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白ワインにはまだ早い
作: りっく様

 皇帝カイザー臨席のオスカー・フォン・ロイエンタール元帥の結婚式で、16歳の花嫁の脳裏を0.1秒よぎった感慨。

 ちょっと、私だけなんで白葡萄ジュースなの?
 私もう一人前フラウなのよ!
 伯爵夫人なのよ!!
 元帥夫人なのよ!!!
 410年ものの白ワイン、私にも持ってきなさいよー!!!!

 そんな心の叫びを無視して、無情にも黄金獅子の「乾杯プロージット!」の声が響いた。


 ……それからしばらくあとのこと。

 エルフリーデ・フォン・コールラウシュ・ロイエンタールは、自宅のサロンの入り口近くで、ひとりワインを傾ける夫を見ていた。
 長椅子にその長身を横たえ、ワインをグラスに注ぎ、口に運び、またしばらく目を閉じて腹の辺りで手を組み、じっとしている。
 グラスが空になるとまたワインをグラスに……と繰り返す。
 彼女がその風景に足を立ち止まらせたのは、懐旧の情からである。
 自分の父も、時々そうしていたことがあった。
 「お父様がぼんやりしている」というだけの印象だけで済ませられた小さな頃が、今となっては懐かしい。

 今なら分かるような気がする。
 父は脳裏に浮かべても意味のないこと、でもどうしても浮かんでしまう厄介な有象無象のことを追い払うために、酒の力を借りていたのかも知れない。
 両親をテロで失ってから、エルフリーデの身にも様々なことが起きた。
 世の中は決して正義と正論で動くものではないこと、時としてどうしようもないこともあること。
「きれいごとではすまない」という慣用句の指す、具体的な事態はどんなものか少しは分かってきた……つもりだ。

 今や彼女はわずか16歳で、テロと粛清で半身不随と化した一族を背負って立つ身である。
 夫や、叔父のゴットルプ子爵、両親を亡くしてから世話になり、今でも何かと親身になってくれるシャフハウゼン子爵夫妻その他の人々の助けがなければならない、実質的にはまだまだ半人前の伯爵夫人であったとしても。

 「そこでなにをしている」
 
 自分の部屋に戻ろうとした背に、低い声が投げかけられた。

 「言いたいことがあるなら、こっちに来て言え」

 言いたいことなど何もないし、何をしているかなど説明するわけにもいかない。
 しかしここを逃げ出すのも何か違うような気がした。
 なるべく動揺を悟られないように、夫の前のもう一つの長椅子に腰掛けた。

 「お前が暇そうにお酒を飲んでる様子を眺めてたのよ」

 「そんな光景を見ているとは、伯爵夫人はさらにお暇と見える」

 喉の奥でクツクツと声を立てて人の悪い笑みを夫は浮かべた。
 バツの悪さにエルフリーデが目をそらすと、ロイエンタールはワイングラスに口をつけ、言った。

 「これが欲しいのではないか?」
 手にしているのは、結婚式の時に出たのと同じ白ワイン。むろん、410年ものではないが、それなりの産地の、それなりのワイナリーの、それなりにお値段のはるものである。

 「……別に、いらないわよ」
 
 好奇心がわかないといえばウソになる。なにより、主役でありながら、子供扱いされた結婚式の時のいらだちが思い出された。

 「そうか? 式の時にはずいぶんと不服そうだったが」

 一瞬にして耳まで赤くなった自分にエルフリーデは腹が立った。
 あの時、顔には出さないようにしてたはずなのにっ!

 「言っておくが、あの時の白葡萄ジュースは、そこらにある安物ではないぞ」

 リップシュタットの前から、ワイン用葡萄からジュースを作るワイナリーは存在した。
 元来、葡萄を全てワインにしては値崩れを起こすので、廃棄するよりはまし、程度の理由から作られだしたものだった。
 しかし、健康志向のフェザーン商人や、裕福な中・下級貴族の中には、飲めてもあえて酒を口にしない者もいて、彼らのために高級化したものも出はじめ、それが内戦後の改革政策の中で、普及率を上げていた。
 エルフリーデが式で飲んだジュースは、その中でもトップクラスのワイナリーが、最上の白ワイン用葡萄を使って作ったものだ、とロイエンタールは説明した。

 「お前一人にだけジュースを用意するのに、余分に金がかかったのだから、ありがたく思って欲しいな」
 と、言いつつワインをグラスに注ぐ。

 「別に気を使ってくれなくても良かったのに」

 「お前だけのためではない。酔った花嫁というのは、時として凶暴化するからな」

 「なんですってえ!?」

 立ち上がった妻を、面白そうに上目遣いに眺めると、夫は言葉を続けた。

 「知り合いから聞いた話だがな。実際にあった話だ。
  過度の緊張がアルコールで解けすぎたのか、急に花嫁が暴れ出してな。テーブルはひっくり返すわ、ウェディングケーキはぶち壊すわの大活躍を見せたそうだ。
  見かけをいくらしとやかに装っても、女というものがいかに恐ろしいかの証拠だな」

 と言いつつ、ひとりでうんうん、と頷く夫に幼な妻は言葉の冷水をぶちまけた。

 「まあ、ご立派なご高説ですこと。海鷲ゼーアドラーの破壊王のお話だけに、説得力がありますわね」

 そう言って、鈴をふるような声でコロコロと笑う。

 「ここの家の帳簿を見せてもらったのよ。そしたらところどころに椅子やお皿の請求書が入っていたの。海鷲ゼーアドラーって家具屋ではなかったはずよね。いやでも気がつくわ」

 執事から帳簿を見せてよいものか訊かれて、見せるだけなら、と許可したうかつさをロイエンタールは悔いたようだった。しかし、ここで引かないのが名将たるゆえんである。

 「……とにかく、皇帝カイザーご臨席の結婚式で、お前が暴れては、俺の名は地に落ちたも同然となる。
 お前とて、そのようなことをすれば、恥のあまり自害するしかなくなるだろう」

 「な〜に〜よ〜! ワイン程度で酔っ払うとでも言うの!? この私が? もう16なのよ! 結婚式の乾杯くらいどうってことなかったわよ!」

 「じゃあ、飲んでみるか? 410年ものではないが、白ワインには変わりはなかろう」

 口をつけかけたワイングラスを妻に差し出し、金銀妖瞳がにやりとほほえむ。
 グラスに揺れるは憧れの白ワイン。まだエルフリーデが一度も飲んだことのない「お酒」。
 好奇心にかられた白い手が、グラスを受け取った時、夫が半ば勝利を確信したことなど、彼女は気付けようはずもない。

 「プロージット」

 ロイエンタールの言葉につられ、一気にワインを喉に流し込んだ。
 ……が、次の瞬間に来たのは失望と驚愕だった。
 すっぱい。甘くない。舌が灼ける。
 むせ返るのをかろうじて抑えて飲み下したアルコールは口と食道を灼きながら胃の腑へと落ち、次第に血中へと吸収され始めた。

 「ご感想は? 伯爵夫人」

 感想など口にするまでもない。たぶん自分は憮然とした顔をしているのだろうとエルフリーデは思った。
 ばく、ばく、ばく 
 心なしか、脈が上がってくる。なんだか目も回るような気がする。
 こんなものを飲んで、父は、本当に気が紛れたのだろうか?

 「ご所望ならもう一杯いかがかな?」
 「……けっこうよ……」

 それだけの返事をするのもつらい。脈はまだ上がっている。ばくばくばく。

 「大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ」

 言葉と裏腹の、余裕に満ちすぎた態度に腹が立つ。
 『……パーティーの時は酔い潰されないようお出かけ前にバタつきパンを……』
 昔聞いた話を思いだしてももう遅い。どうやら夕食のパンは胃に残ってないらしい……。
 脈がどんどん上がってく。ばくばくバクバク!

 「み、みず……」

 苦しい。くるしい。アルコールには加水分解を……
 ふらふらする手でメイドを呼ぶための電子呼び鈴に手を伸ばす。程なくしてメイドがミネラルウォーターの瓶とコップをを持ってきた。
 コップに二杯、水を飲むと異常な脈はおさまった。が、今度は猛烈な睡魔が襲ってきた。
 腰掛けていても、背を伸ばせないほど、体に力が入らない。
 ペタンと長椅子に横になる。

 「……やはりまだワインには早かったようですな。伯爵夫人?」

 勝ち誇ったように立ち上がる夫を見上げながら、自分は罠にかかった事を悟った。

 「……にょーぼーよわせてどうするつもり?」
 「愚問だな」

 ふわりと抱き上げられ、寝室へと運ばれていく。
 酔いと移動のふわふわした心地よさに、ゆっくりとエルフリーデは目を閉じた。


























 「女房殿?」
 「す〜…」
 「お、き、ろ」

 すやすやすや。

 寝室までの間にすっかり寝入ってしまったエルフリーデは、目を覚ます気配がない。
 単に酔いつぶれているだけのようだが、反応がなければ面白くない。
 こんなはずじゃなかったんだが……。
 とりあえずドレスは脱がせてメイドに渡したが、気分がなんとなく飛んでいってしまった。

 じょりじょり。
 少しピンクを増した柔らかな頬に、ほおずりしてみる。
 夕刻になって少し伸びた髭が、あたっているはずだ。

 「ふぁー…た…」

 寝言が漏れるが、やはり起きない。

 「………」

 寝顔を見下ろしながら、寝台で胡坐をかいた夫は金銀妖瞳でしばらく妻の寝顔を見つめていた。
 まあ、こんなこともたまにはあるさ。
 下着だけになった妻にしっかり毛布をかけてやり、自分も服を脱ぐと、その中に潜り込んだ。
 ずっとこいつはここにいるのだ。こんな夜もあっていいじゃないか。
 軽くエルフリーデの頭をなぜ、ロイエンタールはあくびを一つすると、悪夢のない眠りの世界へと、旅立っていった。

おしまい。
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