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イノセント・プリンセス(9)
 早朝に、事件が思わぬ方向に流れた報告を受けたヒルダだが、その日も通常通り本来の彼女の任務である皇帝主席秘書官と、対策室長の双方の業務をこなすべく、まずは午前8時に皇帝執務室に出仕した。
 地球教の残党の暗躍に、ラインハルトも流石に驚いた様子だったが、対策室の新メンバーの中に、事件に関係している者がいるらしいと知ると、蒼氷色の瞳を光らせた。
「では、フロイラインは、殺されたバッケスホーフ事務官とやらを含めた対策室のメンバーの中にも地球教徒がいるというのか?」
「いえ、私の勘にすぎませんが、その可能性は低いと思っております。それより、何者かが、ブラウンシュバイク公の関係者を消したがっているように見えます。恐らくは、その殺意を反政府勢力が何らかの形で知り、利用したものと思われます。今回の件で、地球教徒が帝国のあらゆる場所に侵食していることがわかりました。もしかしたら、軍内にも予想以上に彼らが入り込んでいるのかもしれません」
 ヒルダは、唇を引き締めてそう具申した。
 これは、キュンメル事件の折のヒルダの実体験でもあった。
 あの事件の際、ヒルダも父のマリーンドルフ伯も、最初に疑問を抱いたのは、そもそも屋敷の敷地内から何年も出ていないハインリッヒが、あのような潜在的願望を抱いていることを、なぜ地球教徒が知り得たのか、という点だった。
 ハインリッヒは、最後まで地球教の信者ではなかった。ならば、最も近しい身内である自分たちでさえ知らなかった彼の内面にまで踏み込むようなことを、いかに優れた情報網を持っていたとしても、地球教のオーディン支部が知り得た理由がわからなかった。
 その答えらしきものを見出したのは、当主を亡くして資産の全てを国家に返納する際、残った使用人達の身の振り方を父や家令と相談している時だった。
 親族の責任として、当人達の希望を聞いた上で、再雇用先を斡旋するなりしようと、リストアップをはじめたところ、事件の前日からハインリッヒの身の回りの世話をしていたメイドの一人が行方を晦まして連絡が取れないことがわかったのだ。
 30代半ばの戦争未亡人とのことだったが、高齢で引退したばあやに代わって雇用されたのが2年前。以来、キュンメル家の使用人として無難に仕事をこなし、事件当時には、古株でも新入りでもない位置で、自然と屋敷に溶け込んでいたそうだ。
 彼女の雇用時期は、丁度、ローエングラム公が宰相と軍三長官を兼ね、帝国の全権を掌握した直後だった。即ち、ヒルダが主席秘書官としてラインハルトの傍近く仕えるようになった時期と符合する。
 彼女が地球教徒であった証拠は結局見つからなかったが、その事に、ヒルダは身震いする思いだった。
 彼らは、何くわぬ顔で周囲に溶け込み、自分たちのごく身近で、ずっと息を潜めて狙いを定めているのだ。しかも、目的を遂行する為には、死をも厭わない鉄の忠誠心がある。それだけでも、十分に脅威を感じた。
 今回自害した男性看護師も、少し偏屈で人付き合いが悪い以外は、帝国人の医療従事者としてごく平凡な経歴を積んでいたらしい。身寄りがなく、彼が地球教に入信していたことも、周囲の誰も知らなかったようだ。
 これからは、新たに自分の前に現れる人間をいちいち疑ってから付き合わなければならないのかと思うと気が滅入ってくる。
 ヒルダの意見を聞いた若い支配者は、「うむ」と慎重に返答をしながら、目を通していた書類からゆっくりと顔を上げると、何か思い詰めたような視線を向けた。
 ヒルダは、上司の意外な表情に、一瞬目を見開く。
「あなたは、これ以上この件に関わるな。爆破事件の捜査は、あなたの仕事ではない。いいな?」
「お言葉ですが、私が拝命しております対策室のメンバーの中に、事件のキーパーソンがいるとすれば、関わらないわけには参りません。大丈夫です。私とて、命は惜しゅうございますから」
 ヒルダは、静かに微笑しながら、やんわりと躱したつもりだったが、黄金の覇者は、その答えに不満の意を示すように、険しい顔つきで立ち上がりかけた。
「敵はどこに潜んでいるかわからない連中だぞ。あなたの身を案じて言っているのだ。あなたは予の大切な…」
 と言ってから、はっと我に還った皇帝は、
「大切な主席秘書官だからな…」
 と言葉を継ぎ、静かに腰を下ろした。
 ヒルダは、一瞬、狼狽したが、すぐにいつもの表情に戻り、一礼して皇帝執務室を後にした。
『…私は、何を期待していたの…?』



 対策室に入ったヒルダは、ベアトリスを除く全員の出勤を確認すると、バッケスホーフの件で少なからぬ動揺をしている男性メンバー達に対して、司法省との打ち合わせで、今日は帰りが夕刻になると告げた。
「バッケスホーフ事務官の件は残念ですが、我々の仕事は、あくまでもフェザーン内に於いてのTIEG−36型の感染拡大防止対策にあります。彼の為にも、本業を全うし、犯人探しは警察と憲兵隊に任せることにしましょう」
 ヒルダは、毅然とそう言い放つと、彼らの前では、バッケスホーフやブラウンシュバイク公の関係者の死と、今回の爆破事件の関連性には、まだ気づいていない風を装った。
 事情を知っているヘレーネ達3人も話を合せ、バッケスホーフの抜けた穴を埋める業務分担の打ち合わせをしておくと言ってヒルダを送り出した。
 仮大本営のホテルを出たヒルダは、公用車の運転手に、司法省ではなく軍病院へ向かうよう指示した。
 ラインハルトの命で、人数が増えた護衛の下士官達も、黙って従い、同じ車に乗り込んだ。
 軍病院の要人専用口で身分証を提示して中に入ったヒルダは、案内役の女性事務員を除いては、そのまま誰とも顔を合わせることなくベアトリスの病室に入ることができた。
 ヒルダは、まだ情報規制を敷いているバッケスホーフの死と、その死因を彼女に伝えると、冷静沈着なベアトリス・フォン・アデナウアー准尉の顔が、さすがに青ざめた。
 しかし、ヒルダの目的は、単にこの件を伝えることだけではなかった。
 ヒルダは、ベアトリスが少し落ち着きを取り戻すと、亡くなったボーデン夫人の遺族を紹介して欲しいと頼んだ。
 ベアトリスは、すぐに携帯端末を取り出すと、従妹のオティーリエに連絡をとり、今邸にいるので、いつでもお迎えすると言っていると伝えた。
 ヒルダは、病室を出ると、部屋のドアの左右に休めの姿勢で待機していた護衛の兵士2名を従え、元来た順路に沿って、軍病院を後にした。
 その足ですぐに、ベアトリスから教えられたボーデン邸の住所に車を向かわせると、15分程で都心の一等地に立つ瀟洒な邸の前に着いた。
 驚いたことに、敷地の半分近くが、丁度ロイエンタール元帥の宿舎となっている邸と背中合せで接している場所だった。
 出迎えたオティーリエ嬢は、小柄で可憐な感じの少女で、19歳と聞いていた年齢よりも若く見えた。
 母親の突然の死の悲しみがまだ癒えず、目の周りが赤く腫れている。
 女優を目指しているとのことから、本来は、清楚な美貌の持ち主なのだろうことを伺わせるように、よく見ると品のいい整った顔立ちをしている。
 それでも、貴族令嬢らしい気品のある仕草で、新政府の高官でもあるヒルダに対して丁寧に礼をし、広い応接室に招じ入れた。
 ヒルダは彼女とは初対面だったが、オティーリエの方は、貴族女学院の3学年先輩に当たる伝説的な才媛を以前からよく知っていたと言う。
「この度は、お母様のご不幸、心よりお悼み申し上げます」
 ヒルダが、神妙な声で述べると、オティーリエは、ハンカチでそっと涙を抑えながら、「ありがとうございます」と応えた。
 ボーデン夫人の遺体は、まだ一部しか確定されておらず、警察の科学捜査研究所が、回収した有機物のDNA鑑定を全て終了するまで、葬儀ができないのだという。
 オティーリエ自身も、できるならなるべく多くの部位を揃えた上で火葬して埋葬したいので、鑑定が終了するまで待つことは厭わないと言う。
 遺体のない状態で死を知らされた父や兄達のことを思えば、せめて母だけでもという思いが強いのだろう。
 ヒルダは、そんな少女を痛ましく思いながらも、自らの職務を遂行すべく、要件を切り出した。
「フロイライン、こんな時に申し訳ございませんが、今日、お伺いしたのは、お母様のことで、お訊きしたいことがあるからなのです」
 言いながら、自分の携帯端末に保存しておいた画像データを投影させて見せた。
 オティーリエは、母を殺した犯人を見つけ出すのに、役に立つなら何でもしますと言って、快く協力を承諾してくれた。
 ヒルダが見せたのは、死んだバッケスホーフを含む、対策室の5人の男達の映像だった。
「この中で、誰か知っている人はいないかしら?」
 ヒルダが尋ねるより早く、オティーリエは、「あ、この人」と言って、迷わずバッケスホーフの映像を指差した。
「バッケスホーフ事務官を知っていらっしゃるの?」
「ええ、母が、オーディンの叔母に紹介したいって言っていた人です。何度かこの家にも見えました」
 オティーリエの言葉に、ヒルダは昨日ベアトリスから聞いたダニエラのことを思い出した。
「お母様とは、どういうお知り合いだったのかしら?」
「さあ…? 多分、どこかのサロンで知り合ったのだと思います。こちらでは、帝国人のコミュニティが沢山ありますから。この方も、うちに来られる時は、一人ではなくて、いつも亡命貴族らしい人達と一緒でしたし…」
「そう。お母様は随分と、この人を気に入ってらっしゃったみたいね」
「ええ。この人、代理総督府の事務官をしていて、レムシャイド伯の甥だそうですが、子供の頃からずっとフェザーンで暮らしてて、中身はフェザーン人なんですって。だから、2年前、フェザーン籍の申請をするって言ってたらしいんです。でも、帝国に併合されたんで、結局その必要はなくなって…」
 ヒルダは、その言葉に、バッケスホーフの帝国人にしては柔軟で開明的な人柄を思い出していた。
 貴族という身分にありながら、政争に敗れたわけでも徴兵を逃れる為でもなく、フェザーンへの亡命を望む者は昔から多い。
 一度かの地の自由を知ってしまうと、どれほど帝国内で特権階級にあろうと、裕福な閉塞感よりも清貧な開放感の方を選びたくなるのだろう。
 まして、子供の頃からフェザーンで暮らしていたバッケスホーフにとっては、オーディンをはじめとする帝国領の方が、窮屈で住みづらい外国に感じたのかもしれない。
「ありがとう。とても参考になったわ」
「いえ。でも、なぜフロイライン・マリーンドルフがこの方のことを?」
 オティーリエの当然の疑問に、ヒルダは威儀を正すと、バッケスホーフの死と、まだ一般への公表を控えている死因とを打ち明けた。
 オティーリエは、絶句して暫く固まってしまったが、やがて、すっかり涙が乾いた怜悧な瞳を向けた。
「では、母が死んだことと、バッケスホーフ事務官が殺されたことが、何か関係があるとフロイラインはお考えなのですか?」
「少なくとも、私はそう考えています。…ところで、もう一つ伺いたいのですが、ブラウンシュバイク家のエリザベート嬢が、このフェザーンに来ていたことはご存知でしたか?」
 ヒルダの問いに、オティーリエは、大きな黒曜石の瞳を見開いて、ゆっくりと首を振り、初めて知った事実であることを現した。
「…では、エリザベート様も、犠牲者の中に?」
 震えながら漸く声を搾り出したオティーリエに、ヒルダは、エリザベートの遺体が見つかった経緯を、できるだけ刺激的にならないよう、言葉を選んで伝えた。
 エリザベートは、遺体の一部が発見された場所から推測して、ボーデン夫人が死亡したのと同じ建物内にいたと思われたが、当初は、デパートの買い物客だったのか、上階のサービスアパートメントの住人だったのか、判っていなかった。建物自体が消滅してしまった為、内部の監視カメラも住人のデータも根刮ぎ消失してしまった為だった。
 しかし、遺体発見の翌日には、別の街区に存在したサービスアパートメントを所有する会社の顧客データから、彼女がここの3ベッドルームの部屋に、9月19日から半年契約で、老婦人と2人で偽名で住んでいたことが警察の捜査で判明していた。
 半年分の賃料を前払いしたことで、本来なら入居に際して提示を求められる身分証や、様々な審査も省略されたらしい。
 但し、契約も支払いも全てオンラインでのやり取りで、この会社の人間もエリザベート本人とは接触していなかった。ヒルダは、この当たりにも、犯人の周到さを感じ取っていた。
 憲兵隊は、彼女がフェザーンへやって来た経緯をを調べるべく、入居前の足取りを追ったが、これがなかなか捗らなかった。
 接触した人間があまりいないらしいことから、恐らく、入居の直前か或いは当日に宇宙港に到着したものと見当をつけ、入港者データを調べたが、成果はなかった。
 以前なら、帝国人のフェザーンへの入国には、パスポートを必要としたが、併合されたことで不要となり、偽名での渡航が可能となったのが裏目に出た形になった。
 更に、ミッターマイヤー率いる先発隊の到着が、9月15日であったこともあり、その前後数日間は、移転に伴って移住してくる軍人や文官の家族等で、宇宙港は平常の4〜5倍の利用者で溢れていた。
 それでも、入港者の映像を女性に絞って一人一人顔認証システムにかけていったが、肝心のエリザベート本人のデータが数年前のものしか存在せず、照合が困難だった。
 今年、18歳になっているはずのエリザベートは、皇帝の孫娘という身分の深窓の令嬢らしく、その姿が外部に晒されることが滅多になかった。
 最も新しい映像が、3年前に貴族女学院の中等科を卒業した際の集合写真で、それもあまり解像度が高くなかった。
 高等科の途中で、リップシュタット戦役が勃発した彼女は、人間の体格や顔立ちが著しく変化する時期を身を潜めて暮らしていたのだ。
「でも…エリザベート様が、こちらへいらしているなら、なぜ私達に真っ先に連絡してこなかったのかしら? あの方にとって、こちらには他に頼れそうな人間はいなかったはずですが…」
 オティーリエの疑問に対し、ヒルダは深く頷いた。
「多分、彼女をフェザーンへ呼び寄せた者が、何か口実を設けて外部との接触を絶たせていたのでしょう。ご本人は意識せずに、一種の軟禁状態にあったのかもしれません」
 ヒルダの言葉に、オティーリエも、あのエリザベートならば有り得ると納得した。
 幼少時から、年齢の近い親族として、皇孫のお遊び相手の一人であったオティーリエは、エリザベートが良くも悪くも人を疑うことを知らない、あまり賢くない少女だったのを知る数少ない人間の一人だった。
 ヒルダは念の為、バッケスホーフ以外の4人についても、見覚えがないかと尋ねた。
 それに対して、オティーリエは、もう一度映像に目を凝らすと、申し訳なさそうに、「存じ上げません」と呟いた。
「私、社交界デビューする前に戦争になってしまって、こちらへ来てしまったものですから、親族以外のオーディンの貴族の方をよく知らないんです。お役に立てず申し訳ありません」
 彼女に限らず、門閥系の貴族令嬢は、年頃になって社交界にデビューし、正式なお披露目をするまで、使用人と近しい身内以外の男性と接することが極度に少ない。実態はどうあれ、建前上は、やんごとなき未婚女性が、無闇に男性と交流する事をはしたないとする古い道徳観念に支配されていた世の中だった。貴族女学院の教諭も、男性教諭は高齢者しかいない。ヒルダも、大学に入って初めて同年代の青年とまともに接し、2、30代の若手研究者や教授を初めて見たくらいだった。
「フロイラインが謝られることではありませんわ。お立場やご年齢から当然のことです」
 ヒルダが慈愛のこもった瞳で労わるように言うと、オティーリエも感謝を込めて見詰め返した。
 ヒルダは、もう一つの確認事項として、シュトライトとフェルナーについて尋ねた。
 亡きボーデン夫人ことギゼラが、アンスバッハ、シュトライトと並び『ブラウンシュバイク家の三傑』として貴族社会に知られていたという事実を、殆ど社交界に顔を出したことのないヒルダは、ベアトリスに聞いて初めて知ったのだった。
 ファッションや恋愛といった、およそ若い娘が好む話題に全く興味のなかったヒルダも、この時ばかりは、伯爵令嬢として貴族社会での付き合いをおざなりにしていたことを悔やんだ。
 大本営で、門閥貴族出身の官吏達にそれとなく聞いてみると、皆、異口同音に、ブラウンシュバイク公爵家が、いかに皇帝の娘婿とはいえ、暗愚な当主にして権勢を誇っていられた最大の理由は、あの有能で忠義心篤い3人の忠臣に拠るところであったという。
「シュトライト中将とアンスバッハ准将は、両親共に親しかったので、子供の頃からよくうちにも来ていました。私は、ご挨拶をする程度しかお話したことがないのですが、父も母もお2人を信頼していたようでした」
 そう言ってから、オティーリエは、急に心配そうに顔を曇らせた。
「あ、今言ったことはお忘れ下さい。私も亡き母も、アンスバッハ准将の行動を支持していたわけでは…」
 必死に弁明するように訴えるオティーリエに、ヒルダは笑って、新皇帝は、キルヒアイス元帥の死亡とは別に、アンスバッハ准将の行為に美を感じており、彼を憎んではいないので安心していいと説明した。むしろ、その篤過ぎる忠誠心を捧げた相手が、それに相応しい器量の人物でなかったことを哀れんでさえいた。
 そう言えば、シュトライト中将もその人柄と能力を惜しんだラインハルトが、自身の幕下に招こうとした時、一度は断っている。彼が正式にローエングラム陣営に加わったのは、恩義のある貴族の救済を頼みに来た際で、リップシュタット戦役が完全に集結して年も改まった機会に交換条件的に、当時のラインハルトの副官となったのだった。
 その点、平民出のボーデン夫人やフェルナーは、門閥貴族社会の柵が薄いだけに、見切りを付けるのが早かったのだろう。
「フェルナー大佐、いえ、今は准将でいらっしゃるんでしたわね。あの方には、一度もお会いしたことはありませんが、両親やシュトライト中将が話しているのを聞いたことがあります。若いのに機転が効いて、有能な方だと褒めていました。ただ、貴族ではないし、最後までブラウンシュバイク家に忠誠を尽くすタイプではないと父は言っていました。それはその通りになりましたし、フェルナー准将にとっては、結局その方がよかったことになったみたいですが…」
「シュトライト中将とは、こちらへ来てから再会されたの? お母様もやはりエリザベート様のことはご存知なかったご様子ですか?」
 ヒルダが再度確認する。何らかの理由で、夫人が微妙な立場のエリザベート嬢の存在を故意に隠していたという可能性もあると思っていた。そうであるならば、2人が同時刻に同じ建物内にいたことも納得できる。
 しかし、オティーリエは、その件に関しては自信を持って否定した。
「母は、ずっとアマーリエ様とエリザベート様の行方を案じていました。あれがお芝居だったとしたら、母の方が女優になれます。ブラウンシュバイク公ご自身は、自ら招いた結果でしょうが、妻のアマーリエ様と娘のエリザベート様までが殺されたり自害したりしなければならないなんて、理不尽だと。新王朝は連座制を廃止したというし、もし、お二人が見つかったら、母はシュトライト中将を通して、恩赦を願い出るつもりでいました。シュトライト中将も、その件に関しては、ブラウンシュバイク家の旧臣として、労を惜しまないと言って下さってました」
「そう…」
 ヒルダは再び思索に沈んだ。
 オティーリエの言うことは事実だろう。だとしたら、犯人はむしろ、エリザベート嬢をシュトライト中将やボーデン夫人と接触させたくなかったのではないか? そんな疑念が湧き上がってくる。
「それより、エリザベート様がフェザーンにいたということは、アマーリエ様も一緒にいらしていたのでしょうか?」
 オティーリエが、また当然の疑問を口にする。
 普通なら、母子で潜伏していたと見るのが妥当だが、一緒に暮らしていた老婦人は、入居時に立ち会った業者によると、明らかに使用人で、第一アマーリエとは年齢が合わない。
 公爵夫人のみが、内戦の混乱の中で命を落としたのか、別の場所に匿われているのか、憲兵隊の必死の搜索にも関わらず、行方は杳として知れない。
 ヒルダは、近々にエリザベートの死亡を公表し、アマーリエの搜索を引き続き行うことを約束すると、最後に、実はシュトライトとフェルナーが重傷を負い、危険な状態であることを内密に伝えた。
 オティーリエは、先に聞いていた話の方が衝撃的だったのか、もうあまり動揺を見せず、冷静に受け止めた。
「今、訳あって2人の居場所は言えませんが、安全な所で治療を受けています。どちらかが話ができる状態になれば、何か聞き出せるかもしれないのですが…」
 ヒルダは、今一つ自信が持てずにそう言った。
 シュトライトなりフェルナーなりが意識を取り戻したとして、果たして自分達ブラウンシュバイク公に繋がる人間が命を狙われる理由に思い至るのだろうか。
 亡くなったボーデン夫人も、前後の状況から、自分が殺されることなど全く想像していなかったと思われる。
 果たして、既に権威も権力も失ったブラウンシュバイク一派を殺して、得をする人間などいるのだろうか。
 それとも、やはり多くの重傷者や死者の中にたまたまブラウンシュバイク公に縁のある人物達が含まれていたに過ぎないのだろうか。
 常識的に考えれば、そちらの方が妥当であるのだが、ヒルダは、あえてその可能性を捨てた。
 シュトライト等やボーデン夫人だけなら、ヒルダもそう考えたかもしれないが、最初に被害者の中にエリザベートの存在を知った時から、この事件には何か裏があるという確信は揺るがない。
 彼女が、リップシュタット戦役当時、疎開先の領地惑星を追われてからフェザーンに来るまでの間、2年間の足取りが全く掴めないのも不気味だった。
「フロイライン・マリーンドルフにお願いがあるのですが…」
 考え込んでいるヒルダにオティーリエが遠慮がちに話しかけたので、ヒルダは思考を中断させて向き直った。
「あ、ごめんなさい。急に黙り込んで。何かしら? 私にできることでしたら、何でも仰って下さい」
 優しげな主席秘書官の言葉に、オティーリエは、安堵したように頷くと、もしよかったら、入院中のベアトリスと、ヒルダも含めた友人5人とその家族に、ホテルを引き払って暫くの間この屋敷で暮らしてくれないかと言う。
 ボーデン夫人は、持ち出した資産の一部で株の投資を行い、最近では亡命帝国人の成功者の一人と言われていた。
 一昨年新築したこの屋敷も、18の寝室に、屋内プール、広いサロンを持つ豪邸である。だが、その母が亡くなった今となっては、オティーリエにとっては、この広さがかえって心細い。フェザーンの最新テクノロジーを備えた屋敷は、自動化が進んだ分、住み込みの使用人等は必要とせず、平日昼間の短い時間、掃除ロボットや清掃システムで行き届かない部分の掃除等を行ったり食事の支度をする業者が派遣した人間が、事務的に仕事をこなしにやって来るのみだという。大学には9月に入学したばかりで、まだ同居を頼めるような親しい友人もいないのだという。
「わかりましたわ。そんなことでよろしいのでしたら、他の皆にも声をかけてみます」
 ヒルダが即答で承諾すると、オティーリエは、初めて笑顔を見せた。
 考えてみれば、彼女は僅かの間に、家族全員を失くしてしまったのだ。
 そう思うと、恵まれた自分が、この少女の為に何かしてあげたい。こうして知り合ったのも縁あってのことだし、彼女は女学院の後輩でもある。
「ありがとうございます。フロイライン・マリーンドルフが一緒なら、母もヴァルハラで安心してくれるでしょう」
「いいえ、こちらも助かります。職場とプライベートが同じ場所というのも便利な反面、何かと気詰まりで…。それに、私達が部屋を出れば、その分、今回の事件の避難者が、それだけ助かります」
 再び涙ぐんで礼を言うオティーリエに、ヒルダは柔らかく微笑して応えた。
 被災した街区は、官公庁や歓楽街が多く、個人宅で被害に遭ったのは、富裕層の豪邸が多かったが、延焼した隣の街区には、中流層向けの高層マンションも多く、建物の倒壊こそ免れたが、下層階部分が焼け、当分の間自宅に入れない市民が数万人いるという。
 周辺の宿泊施設は、折からの大本営移転で突然やってきた帝国人とその家族で殆ど満室状態であり、彼らは公共施設に集団で避難するか、職場や学校に遠い郊外に移るなどしている者が大半だった。そのような事情もあって、この事件以来、フェザーン内の帝国に対する市民感情は、益々悪い方向に向かっていた。れいの自作自演の噂も、発端は何者かが意図的に流したものだとしても、短期間に広まった背景には、こうしたフェザーン市民達の鬱積した不満が存在していた。



 翌日、定時で仕事を切り上げたヒルダ達は、退院したベアトリスと共に、ボーデン邸に引っ越しを終えた。
 ヒルダは、遠からず布告されるはずの遷都に際して、国務尚書である父のマリーンドルフ伯や家令夫妻等がやって来るまで、ヘレーネとリンザー准将のカップルと、カルツ夫人の3人は、官舎の修理が終わるまで、アンナとサーシャの2人は、オーディンにいるベアトリスの家族が来るまでの間、この邸に住むことになった。
「なんだか、我々まで便乗するようで申し訳ない」
 黒一点のリンザーが、短い間のこととは言え、大勢の女性に囲まれて暮らすことに、少し照れ臭そうに頭を掻くを仕草をする。
 しかも、この邸は彼の広い官舎を更に凌ぐ広さと豪華さだ。
「いいえ、こちらこそ。一応、警備会社とは契約しているんですが、女所帯では何かと不安で…。リンザー准将が来て下さって、心強いですわ」
 オティーリエが、本心からそういうと、将官であるリンザーは、積極的に力仕事を買って出て、女性たちの荷物を運び入れ、元々荷物の少ない引っ越しは短時間で終わった。
 その日は、夕食を近くのホテルのデリバリーでとり、暫しの同居人達は、和やかに歓談しながら打ち解けていった。
 母を亡くしたばかりのオティーリエも、次第に彼女本来の明るさと積極性を取り戻していった。
「母も、2年前までは、エリザベート様のお婿様選びの時は、今度こそ人選を間違えないって張り切っていたわ。自分では人を見る目があるつもりで、周囲からも才気闊達に見られていたけど、案外肝心なところが抜けてて、おっちょこちょいなところのある人だったわ」
 ヒルダが、オティーリエが何気なく口にした言葉に、ふと耳を引かれたのは、話題がリンザーカップルの結婚について盛り上がった時だった。
「ボーデン夫人は、エリザベート様の花婿候補まで考えていたの?」
「ええ。こればかりは、どんなに疎まれても、公爵夫妻にだけ任せておけないって。エリザベート様と結婚される方は、女帝陛下のご夫君になられるかもしれなかったんですもの。帝国250億国民の生活がかかっているのだから、賢くて、人柄も優れた人でなければならないって、シュトライト中将とも話していました」
 ヒルダは、何か重要な糸口が見えたような気がして、コーヒーカップを置いた。
「それで、お母様達は、どなたか具体的な候補を見つけられたの?」
 ヒルダの声のトーンを落とした冷静な口調に、オティーリエは少し困惑した。
「さあ…そこまでは。100人くらいまで絞ったと、父がぽろっと口にしたのを3年くらい前に聞いただけで。エリザベート様もその時はまだ15歳くらいでしたから、結婚はまだ先の話だったはずです」
「そう」
 ヒルダは、納得したように答えたものの、何故かこの件が確信的に、今回の事件の発端だったのではないかと思えた。
「あ、そうだわ。明日の夕食は、コールラウシュ伯爵夫人もお招きしてフェザーン料理を振る舞う予定なの。元帥のお帰りが遅くなるんですって。皆様ともお友達と聞いていますので、丁度よかったわ」
 オティーリエが、明るい声で言うと、途端、ヒルダ達の表情が翳った。
 実は、明日の午後、サビーネ事件の最初の裁判が漸く行われることになり、ヘレーネは被害者遺族として、伯爵夫人は被害者の友人として、ヒルダ達対策室のメンバーも調査関係者としてそれぞれの立場で裁判を傍聴する予定だった。
 今回は、検察側の起訴事実の確認と、被告の罪状認否だけだが、第2回の公判には、ヘレーネとカルツ夫人も被害者遺族として、発言する機会を得られる。
 本当は、とっくに始まっているはずの裁判だったが、事件の複雑な事情から、陪審員が次々と降りてしまい、その度に延期されてやっと開廷されることになったのだ。
 多分、長い時間がかかると思われるので、ヒルダ達は元々伯爵夫人とも一緒に帰るつもりだった。
「そうですか…サビーネ様の…」
 オティーリエは、彼女たちのライバルだったサビーネの事件にも深い関心を寄せており、同じ立場のエリザベートを思うと、犯人達への怒りはヒルダ達と共有していた。
「有名な事件ですから、多分一般の傍聴券はもうないと思いますが、私も犯人達の極刑を願ってます。傍聴できない分、夕食は趣向を凝らしておきますから、裁判所を出る時、携帯に連絡下さい」
 オティーリエの言葉に、ヒルダ達は力付けられるように頷いた。
 何かが少し動きだしている。
 今までぼやけていた輪郭が、少しはっきりし始めた。
 ヒルダは、なぜかそう思えてくるのだった。
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