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食うために軍人になった女達 −ハーレクインもどきスピンオフ小説(7)−
 午後8時をほんの少し回った時、病院のVIP専用口に、伯爵夫人が到着したとの連絡が入った。何と、ロイエンタール元帥までが一緒であるとのことで、ヘレーネも少し驚いた。
 警護の者達は、全員エレベータを降りたところで待機させられ、元帥夫妻のみが、1時間前の見舞い客達と同様、前室で自動的に全身消毒を施して入室した。
 この2ヶ月間、毎日のようにソリヴィジョンに映る男女の姿に、ヘレーネは意に反して心拍数が上がっていた。
 本当にお人形のようだ。と、サビーネと同い年の元帥夫人を間近で見てあらためてヘレーネはそう思った。人妻であるせいか、本来年齢より幼い容姿のはずなのに、他の同級生に比べて独特の色香を放っていた。新婚旅行帰りだそうだが、きっと夫に存分に愛されてきたのだろう。
 コールラウシュ伯爵夫人は、バレリーナのように細く長い手足に、気の強そうな青く輝く瞳が印象的な美少女だった。
 少し年齢が離れていることを除けば、美丈夫の元帥と並ぶと、本当に高尚な絵画のような二人だった。
「お久しぶりでございます」
 カルツ夫人が出て来て、応接室で出迎えると、歳若い伯爵夫人は、2年ぶりに会う友人の乳母の手を駆け寄って握り締めた。
 ヘレーネは、私服のまま名前と階級を名乗り、元帥に向って敬礼した。
 漁色家で名高い元帥は、軽く頷いて敬礼を返すと、そのままソファに長い脚を組んで腰掛けた。
「俺はここで待っている。時間も遅い。手短にしろ」
 彼は、少し冷たく聴こえる声で妻に向ってそう言うと、腕組みしたままテーブルのデジタル時計を見た。
 カルツ夫人が、「お手伝いさせて頂きます」と言って、伯爵夫人と更衣室に入ったのと入れ替わるように、主治医であるファーレンハイト中佐ことベルタが現れた。
「元帥閣下もいらっしゃってるとは思いませんでしたわ」
 ベルタは、型通りの敬礼をして入室した後、佐官と元帥の階級差の割には少し砕けた口調で言った。
 電子週刊誌の記事によると、彼女はロイエンタール元帥にとって士官学校の先輩に当たるらしい。また、夫と弟が、元帥や皇帝にとって古参の幕僚であり、共に死線を越えてきた僚友であることも影響しているのか、女性なら誰でも魅入られてしまいそうな男に、遠慮なく少しからかい気味な目線を向けた。
「7時に空港に着いたばかりなんでな。わざわざ車を分けるのが面倒だっただけだ」
 落ち着いた声でそう言った元帥の言葉が、ヘレーネにはどこか言い訳めいて聴こえた。
「やっぱり心配なんでしょう? でも大丈夫よ。ここの滅菌処理は完璧だし、症例数もある程度揃ったから、間もなく粘膜以外では感染しないことを正式発表することになるわ」
「べつに心配してはいない。新政府の指定病院を信用しているのでな」
 元帥は、少しむっとして反論していた。
 ヘレーネは、何か不思議なものを見ている気がした。
「あ、それから、この機会にお伝えしておきますが、奥様の検査予約を入れますので、後ほどご都合をお聞かせ下さい。出立まで時間がありませんので、急がなければなりません。その際、ついでに、れいのTIEG−36型の検査も一緒に行なってしまいます。担当医にはこちらから伝えておきますので」
 途端、元帥の目が険しくなった。
 ヘレーネは、咄嗟に身が縮む思いがしたが、ファーレンハイト中佐は平然としている。やっぱりこの女性は只者ではない。
「あれに36型の検査は不要だ。俺が陰性だったのだからな。渡航前の身体検査なら、軍病院で卿がやればよかろう」
 先月30日に感染菌が特定された時点で、感染元とされた軍は、上級大将以上の首脳陣全員と皇帝が検査を行い、世に範を示した。勿論、結果は全員陰性である。
 帝国中に顔の知られた彼らは、娼館などに出入りするはずもなく、ロイエンタールを除いては極めて身持ちの硬い人間が揃っていた為、感染している可能性はゼロに等しかったが、「いかなる要人でも、条件を備えた人間は全員例外なく検査する」という方針を国民に忠実に守らせる為の保険局からの要請に応えたパフォーマンスだった。
 おかげで、出立直前のミッターマイヤー元帥までもが、宇宙港で保険局の係官から検査キットを手渡され、その場で回収される羽目になった。
 来週には、更に徹底させる為に、皇帝の名で布告を出す予定である。
「いかなる例外も認めないというのが政府の方針であり、皇帝陛下のご意思です。性感染症は、そうしないと撲滅できません。ま、元帥閣下の奥様へのお気持ちはわかりますが」
「そういうことを言っているのではない。無駄なことに時間を割く暇があったら、他に優先させることがあるはずだと言っている。それに、卿がいるのになぜ他の担当医に検査させる?」
 ロイエンタールの目は、更に険しくなり、ヘレーネはその場から逃げ出したい衝動に駆られた。
 だが、ファーレンハイト中佐の態度には、全く変化がなかった。ヘレーネは、その様子をはらはらしながら黙って見ているしかなかった。
「私はこちらに終日詰めていますし、軍病院は今、17日に発つ当の軍人達の検査で手一杯です。こちらの病院の奥様の検査担当医は、37歳女性。内科医。二児の母。ついでに看護師も全員女性」
 ファーレンハイト中佐が、「どう? これでも文句ある?」と言いたげにロイエンタール元帥を睨み返すと、どういう訳か元帥は、言い負かされたように、ぐっと拳を握り締めて黙ってしまった。
 どうやら、元帥閣下は、男の医者が奥様の身体に触れるのがお嫌らしいと、ヘレーネは数瞬置いてやっと理解した。
 週ごとに女を変えるとか、関係した女の数が一個中隊とか言われているわりには、なんと古風なと思ったが、そのギャップが妙に微笑ましく、ヘレーネは吹き出したいのを懸命に堪えていた。
「まあ、先生。お久しぶりです」
 暫くすると、着替えを済ませた伯爵夫人が更衣室から現れた。
 軍の重鎮の夫人同士が軽く挨拶を交わすと、カルツ夫人から話を聞いたのか、伯爵夫人は、ヘレーネの前にも進み出て丁寧に会釈した。
「はじめまして。ヘレーネ様でいらっしゃいますね。サビーネの友人のエルフリーデ・フォン・コールラウシュ・ロイエンタールでございます」
 ヘレーネは、慌てて敬礼し、名前と階級を名乗る。
 毎日のようにソリヴィジョンで見る有名人に、向こうから挨拶されるのは、何だか妙な気分だった。
 エルフリーデは、カルツ夫人に案内されてサビーネの病室に入ると、前の3人同様、20分程で出てきた。夜遅かったのと、サビーネの負担を考慮した時間だということが感じ取れ、ヘレーネは、異母妹が友人に恵まれていたのだということが判って、幾分救われた気がした。
 戻ってきたエルフリーデは、流石に前の3人よりも気丈な態度で、目を腫らしてはいなかったものの、成層圏の青の瞳が潤み、今にも溢れそうだった。
「先生・・・サビーネは・・・」
 ベルタは、伯爵夫人を元帥の隣に促すと向かい合い、入院当日に、ヘレーネ達にしたのと同じ説明を行った。
「当初より体力が回復してきていますので、思ったよりも保つ可能性がありますが、いずれにしろ、既にご逝去は免れません」
 ベルタは、いつものように言葉を飾らず簡潔に事実を述べた。
「あの・・・フェザーンでは、地球学を取り入れた医療も行なっていると聞いていますが・・・」
 ベルタは、少し意外そうに薄茶色の瞳を見開いた。
「現在行なっている治療法も、その地球学の考え方から開発された薬を投与するものです。ただし、地球学自体が、この1、2年で確立した学問ですから、完全にあの当時の遺伝子科学や製薬技術を再生させるには、まだ時間がかかります」
 意外に思ったのはヘレーネも同様だった。この何不自由ないお人形のような伯爵夫人の口から『地球学』という不似合いな言葉が出たことに、先ほど夫の元帥に対して感じた以上のギャップを感じた。
「そうですか・・・」
 伯爵夫人はそう言って肩を落としたが、ヘレーネは、その姿に好感を持った。前の3人の友人同様、彼女も本気でサビーネを思ってくれているのが判って有り難かった。
 カルツ夫人が、サビーネを看に部屋を出て行くと、エルフリーデは、着ていた特殊紙製の防護服とマスクと頭に被っていたキャップを焼却ボックスに入れ、隣の洗面室で、指示された手洗いとうがいを行った。
 驚いたことに、今度はロイエンタール元帥が一緒に洗面室に入り、嫌でも二人の会話が聞こえてきた。
「手洗いが先だぞ」
「お前に言われなくてもわかってるわ」
「念のため、もう一度洗え。友達の為にも、絶対にお前が感染したりしないことだ」
「それは、先生にも言われてわかってるわ」
「おい、うがいはもっと念入りにやれ。もう一度だ」
「いちいちうるさいわね。わかってるわよ」
 ヘレーネは、今度こそ呆気にとられた。あの全く隙のない元帥が、まるで過保護な父親のようだと思ったと同時に、週刊誌で騒がれていた『お前呼ばわり』が、虚偽でも誇張でもなく、事実であったことを知って、この悲劇的な状況にも関わらず、愉快で堪らなくなった。
 足を組んでソファに腰掛けていたベルタは、小さく嘆息して、呆れた顔をしている。
「あの・・・中佐・・・ロイエンタール元帥ご夫妻って・・・」
 ヘレーネは、好奇心を抑えきれずに、ベルタに向って小声で尋ねた。世間では、政略結婚と言われながらもラブラブ映像が流れたりと、よくわからない2人とされ、何年で離婚するかが賭けの対象になっていたりする夫婦だった。
「ああ、あれがあの人達のスタイルだから、気にしないで」
 無口なベルタの短く素っ気無い返答に、ヘレーネは物足りないものを感じて更に食い下がった。
「いえ、そういう意味ではなくて・・・なんか、世間で言われてるイメージと随分違うみたいで・・・」
「あれがホントの姿よ。幼妻にぞっこんの30男と、良くも悪くも古き良き帝国貴族の矜持を失わない16の少女。まあ、あれでもお互いに惚れ合ってるみたいだし、いいんじゃない?」
「はぁ・・・」
 ヘレーネは、納得したようなしないような、まだ消化不良ぎみのような感じがした。
「ヘレーネ様、先生、サビーネをよろしくお願いします」
 洗面室から出てきた伯爵夫人は、ヘレーネとベルタに向って、深々と頭を下げて帰っていった。
 元帥夫妻とファーレンハイト軍医が病室を去った後、ヘレーネは、先ほど見聞きした事実を誰かに話したくて仕方が無い衝動に駆られた。こんな時に、そんなことを考える自分の不謹慎を恥ながらも、その欲望に勝てず、すぐさま3人の友人に同じ内容のメールを同時配信した。
 
 お疲れ様。サビーネは今のところ、小康状態を保っています。
 ところで、明日、退庁後に来られない?
 ちょっと衝撃的な話があるのよ。
 内容は、お楽しみ。

 明日はリンザーが司令部の会議で来られない日で、女同士の話をするには丁度いい。
 ワーレン提督は、地球から帰還以来、負傷療養の為、必要な日以外出仕せず、大本営移転に当っては、メックリンガー艦隊と共に、本体はオーディン残留を命じられている。
 ただし、将来の遷都を含めた首都機能の完全移行を見据え、司令部のフェザーン移転準備のみは、他の艦隊と共に進めることになっていた。その為、少数の人員が、17日の皇帝本体の出発に同行し、向こうで仮司令部を開設して、本体をいつでも迎えられるよう準備をすることに決まった。
 そのフェザーン行きのメンバーの中に、近く准将に昇進が内定しているコンラート・リンザー大佐もいる。
 ヘレーネは、当初、サビーネと共にこの移動に同行する予定だったが、現在は白紙に戻されている。
 この先、リンザーとはオーディンとフェザーンに暫く別れることになるのか、それとも一緒に行くことになるのか、今の時点ではわからない。
 彼と離れるのは辛い。物理的距離が心理的距離にもなりかねないことを、ヘレーネは、これまでの見聞で知っている。
 だが、リンザーと共にフェザーンへ行くことは、同時に17日の出発を前に、サビーネが亡くなるというもっと辛いことを意味していた。
 ヘレーネが、そんな物思いに耽っていると、端末が一度音を立てて光り始めた。
 先ほどのメールに対し、アンナからの返信だった。

 了解。明日、1830時頃、3人でそちらへ伺います。
 こっちも私とサーシャが、とっておきのネタを持ってきてるの。
 お楽しみに。

『何だろう? とっておきのネタって。まあ、いいわ。明日になればわかることだし』
 ヘレーネは、そう思いながら端末を閉じた。


 翌日の11時過ぎ、昨日のコールラウシュ伯爵夫人が、その前に来た同級生の一人と、もう一人、30代半ばの貴婦人を伴って訪れた。
 ヘレーネとカルツ夫人は相談した結果、余命少ないサビーネの為に、来て下さる見舞い客は、興味本位のマスコミの取材等以外、基本的に断らず、出来る限り会って頂こうということになった。
 この日、伯爵夫人に同行した貴婦人は、元々カルツ夫人が頼ろうとしたリッテンハイム候の従弟に当る子爵の未亡人だった。伯爵夫人が元帥と結婚したことで恩赦が出て、先月幼い息子と共にオーディンに帰還したばかりだという。
 子爵夫人は、カルツ夫人と無言で抱き合い、再会を喜び合った。
 夫と長男を処刑され、財産を没収された後、コールラウシュ伯爵夫人の計らいで、他の生き残った一族達と、別邸で細々と暮らしているらしい。
 それでも、まだ若い子爵夫人は、息子の為にも、伯爵夫人の好意に頼るだけではなく、少しでも何かしなければと思い、最近、近所の比較的裕福な家の子供を相手にピアノ教師を始め、刺繍の内職もやっていると近況を語った。
「まあ、奥様がそんな・・・」
 カルツ夫人が同情を示すと、子爵夫人の方が、「実は何もしないでいるより楽しいのよ」と言って憂いを含んだ微笑を返した。
 もう一人の少女は、昨日最初に訪れた同級生の一人で、カタリナ・フォン・リューデリッツと名乗り、元はブラウンシュバイク公の一門だったが、今は一家でレストラン経営をしているという。
「これ、父が作った薬膳粥なんです。免疫力を高める食材を多く使ってます。サビーネの昼食にと思って。食器は全部滅菌処理しています」
 そう言って、保温式のケースを手渡した。
 カルツ夫人は、それを両手で丁寧に受取ると、早速サビーネに食べさせると約束した。 3人は、入室の準備を終えると、また30分弱で戻ってきた。
 予想通り、子爵夫人の目が赤い。
 手洗いとうがいを済ませた3人は、また、ヘレーネとカルツ夫人にサビーネのことをくれぐれもよろしくと頼んで帰っていった。
 ヘレーネは、貴族女性達の意外な情の篤さを垣間見た気がして、カルツ夫人に同意を求める意味でそう言うと、予想外に夫人はそのことに対して素直に賛同しなかった。
「情のある方もいれば、そうでない方もいるのは、貴族でも平民でも同じことです。いらして下さった方々は、あまり計算高くない方々でしたから・・・」
 そう言って言葉を濁す夫人は、今来る人達は、言い方を変えれば、あまり賢い人達ではないとも言えると続けた。
 いかに完全防備しているとは言え、何と言っても帝国内での性感染症に対する偏見は根強い。加えて、リッテンハイム候の所業に対する国民の見方は今も冷淡で、そんな中で、サビーネの見舞いに訪れることは、肉体的にも社会的にも多大なリスクを負うことになる。
 カルツ夫人によると、皇女を妻に迎えたリッテンハイム候には、ヘレーネ以外の庶子はいなかったが、先代には普通の大貴族同様、数名の側室や妾が居り、その間には何人かの庶子も生まれていた。
 つまり、リッテンハイム候の異母弟妹達、ヘレーネとサビーネにとっては叔父や叔母に当る人物達が、少なくとも十数名はいるはずとのことだった。その内の何人かは、リップシュタット戦役で候と命運を共にしたが、何人かはオーディンに留まって健在のはずだという。
 彼等は、先代から相応の資産を受け継ぎ、男子は、世継ぎのない格下の貴族の家に養子に入ったり、別途男爵号を授与されたりし、女子は相応の貴族に嫁いでいた。
 それぞれ事情もあるのだろうが、血縁的に最も近い彼等の中から、誰一人として今を以って何の連絡もないのは、明らかに関わりを避けているのだろう。
 午後には、また違う同級生が両親と一緒にやってきた。
 ヴァルブルク子爵一家は、リッテンハイム一門で、今話題のロイエンタール元帥夫妻の新婚旅行先のリゾートを経営する一家であるという。
 元々あまりぱっとしない貴族で、リップシュタット戦役では、ヘレーネ同様『置いてけぼり』を食ったクチで、いわば、リッテンハイム候に見捨てられた貴族だった。
 それが、かえって幸いして生き残ったのは結果論であって、それまでの旧体制の習慣に則って処断されれば、少なくとも父親の子爵は、とっくにヴァルハラに旅立っていたはずだ。
「今日は、リッテンハイム一門の貴族としてではなく、娘の同級生の親として、付き添いで来ました」
 ヴァルブルク子爵はそう言うと、一家3人は、カルツ夫人の案内で病室に入る準備を始めた。
 昨日、経営するリゾートで元帥夫妻を見送った後、ニュースでサビーネのことを知り、大急ぎで民間機のチケットを取ると、今朝一番で、オーディンに戻ってきたのだという。カルツ夫人によると、一門とは言っても、血縁は遠く、殆ど他人なのだそうだ。
 ヘレーネは、人と人の絆は、血で決まるものではないのだということをあらためて実感する一方で、異母妹だというだけで、何ら精神的な交流を持ったことのない自分が、こうして今、唯一の肉親としてサビーネの看護をしていることに、運命の皮肉を感じた。
 子爵一家は、約30分後に病室から出てきた。
 子爵自身は、沈痛な面持ちで肩を落し、子爵夫人と娘のクラリス嬢は、部屋から出て来た途端に、抱き合って嗚咽を漏らし始めた。
 子爵一家は、立ち上げたばかりの事業を他人任せには出来ず、明日の朝の便で戻る予定だと言う。その所為か、特に令嬢の方は、これが友人との今生の別れとなることを知り、いつまでも泣き続けていた。
 子爵一家は、ヘレーネとカルツ夫人に、「フロイラインのことをよろしくお願いします」と、午前中の見舞い客達と同じ台詞を言って、帰っていった。


午後7時近く、自分達の部屋で夕食を済ませたヘレーネは、待ち焦がれた友人達を応接室に出迎えた。
「ねえ、何なの? とっておきのネタって」
 ソファに座るより早く、ヘレーネがサーシャに尋ねる。
「そっちから呼び出したんだから、あなたが先に言いなさいよ。こっちのはその後話すわ」
 サーシャの言葉に、ヘレーネは、昨日のロイエンタール元帥夫妻の内情を暴露した。
「ええっ? あの『お前呼ばわり』って本当だったのーーー!?」
「信じられない・・・」
「いったい、どういう夫婦なのよ、それって。だって、相手は元帥でしょ。皇帝陛下でさえ、一定の敬意を払うという名将中の名将なのよ」
 ヘレーネは、友人達の反応に満足すると、更に、そう呼ばれていることに、元帥自身が何ら不快感を表さず、当然のように受け入れていることを付け加えると、今度は3人とも絶句してしまった。
 渡航前の身体検査の件で、担当医が女医であることに拘っている様子や、洗面室から聴こえてきた会話、そもそも心配で堪らず付き添ってきたらしい件など、幼妻にくびったけな衝撃の一面を語った。
「ダメ、私、もう、腹筋痛い・・・」
「私も・・・」
「今度、ロイエンタール元帥見たら、笑い出しちゃうかも」
 3人は、場所と状況を考え、大声で笑うことも叶わず、お腹を押さえながら、ぶるぶると震えている。
 ヘレーネもつられて声を殺して笑いながら、
「ねえ、そっちの話も聞かせてよ」
 と言って、サーシャことアレクサンドラを促した。
「あ、それ、私の大学の同級生の一人が、宮内省にいるのよ。私達と同じ、今年のキャリア採用で。それで、その彼女から聞いた話なんだけど・・・」
 勿体つけて声を潜めて語るサーシャの話に、ヘレーネも笑いを止めて耳を近づけた。
「あの、TIEG−36型の検査って、皇帝も軍首脳も全員行なって陰性ってことになってるでしょ? でも、実は皇帝陛下だけは、やっていないのよ」
「え?」
 ヘレーネは、一瞬、耳を疑った、もし本当なら、面白いネタどころの話ではなく、機密事項に属するものではないか?
「だって、それってまずいんじゃない? どんな例外も認めず行なうって公布した陛下自身が」
 ヘレーネが問い返すと、サーシャは、顔の前で小さく右手を左右に振った。
「違うのよ。皇帝陛下は、検査対象の条件を満たしていないから、必要がないらしいの。検査キットをお持ちした事務官が、『予は、対象条件外であるから必要ない』とはっきり言われたんですって」
 ヘレーネは、耳を疑った。
 検査対象の条件は、『全帝国軍人と、オーディン在住者及び、菌の原生惑星のある星系在住者の内、性別年齢に関係なく、この1年半以内に性交渉をもったことのある人間全員』のはずだ。
 確かに、皇帝は、対象期間内の多くの時間を遠征に出ており、戦艦の中で過す期間が長かったはずだが、1年半もの長い間、23歳の若く健康な男が、性生活が全くないなどとは考えられない。ましてや、絶対権力を持つ絶世の美青年である。
 第一、それなら常にお傍に置いているフロイライン・マリーンドルフとはどうなのか?今回の検査の場合、たとえ夫婦なり恋人なりの性的パートナーを裏切っていない自覚があっても、互いに受けて陰性を証明し合うことが、大人としてのマナーでもあるという先進的思想を初めて国として採用して実行している。それで、互いに陰性と判明することで、男女が相手に対する責任の一端を果たしたことにもなるという考え方だ。現にヘレーネとリンザーも早々に検査を受けて、互いの陰性を確認している。おしどり夫婦で有名なミッタマイヤー元帥夫妻でさえ、夫婦揃って受けたことで、例外のないことを国民に宣伝するのに一役買っていた。
「陛下は、本当に1年半も誰とも何もないのかしら?」
 ヘレーネが再度確認すると、アンナが、
「違うわよ。鈍いのねぇ」
 と言って、意味深な笑いを漏らした。
「1年半以内どころか、ご誕生以来、まだそういうことをなさっていないということらしいわ」
 サーシャの言葉に、ヘレーネは、思わず「え?」と少し響く声を上げてしまい、慌てて口を押さえた。
「じゃあ、もしかして、陛下って、ど・・・」
「しぃっ! それ以上は不敬罪よ」
「いったい、なんで? 23歳なんて、一番したい年齢じゃない?」
「さあ、何か理由があってそうなのか、たまたまそういう気になれる相手に出会わなかったのか・・・」
「そんなはずは、ないでしょ? 宮内省が気を利かせて、何度も選りすぐりの美女を寝所へ送り込んでも、皆追い返されて帰ってくるらしいから」
「今はともかく、まだ階級が低い時期だってあったでしょ? あんな美形、周囲の女がほっとくはずないわ」
「知らないの? 陛下は寵姫の弟だったから、十代の頃から結構宮廷でも顔が知られていたらしいわ。当然、いい寄る女も大勢いたでしょうし、縁談だって山ほどもちこまれたでしょうけど、不思議と誰か特定の女性と付き合ったって噂が聞こえてこなかったらしいわ」
「ほんとなの? じゃ、首席秘書官のマリーンドルフ伯爵令嬢は、愛人じゃなかったの?」
「その噂は、リップシュタット戦役の頃から訊かれる度に、フロイライン自身も陛下も否定しているわ。ついこの前まで、方便だろうと思っていたけど、意外に本当に何もなかったのね」
 4人は、テーブルの中心に頭を寄せ合いながらひそひそとそんな話を続けた。
 この部屋が盗聴されていないことは予め判っているものの、内容が内容だけに自然と声が低くなる。
 ヘレーネは、話を続けながら、全く別の意味で可笑しかった。
『なんだ、あの美しい伯爵令嬢は、2年もお傍に仕えていながら、まだお手つきではなかったのか』
 ヘレーネは、一人くっくっと低い笑いを漏らした。愉快で堪らなかった。
『お気の毒なフロイライン・マリーンドルフ。畑違いな場所で、2年も献身的にお仕えしながら、女として扱ってもらってなかったなんて』
 自分が、すごく意地悪な女になっていることを自覚しながら、ヘレーネは、そう思わずにいられなかった。
『でも、これであなたの門閥貴族の覇権奪還という野望も、前途多難なようね。2年も近くにいながら、男女関係にならないってことは、どうやらあなたは、陛下にとって、異性として対象外のようだわ』
 ラインハルトとヒルダの特殊な人間性を知らないヘレーネは、凡人故の悲しい性で、そう思い込んでいた。
「それで、もう一つのアンナの方のネタって何なの?」
 一頻り皇帝の話題で盛り上がったところで、ヘレーネは尋ねた。
「あ、こっちも同じなんだけど、フロイライン・マリーンドルフも、陛下と同じ理由で『検査対象外』なのよ。これは、私が直接検査キットを渡しに行ったから、間違いないわ」
「へぇ〜・・・そうなの」
 ヘレーネは、今度はあまり驚かなかった。
『そうか。あの智謀に優れた伯爵令嬢は、男と女のことを何も知らないおぼこ娘だったのか』
 ヘレーネは、初めてヒルダに対して自分の優位性を感じていた。
 そして、再び彼女に悪意のある感情が湧き上がるのを自覚する。
『可愛そうなフロイライン。いつか皇帝が、どこかで愛する女性を見つけて、皇妃に迎えても、あなたは相変わらずお傍でお仕えするのかしら? 権力者は若い女を好むわ。ゴールデンバウム王朝の皇帝達も、あのロイエンタール元帥だって。皇帝と一歳しか違わないあなたは、清いままで年老いていけばいいわ』
 ヘレーネは、自分の醜い心を抑えきれず、ヒルダに対して心の中で「ざまあ見ろ」と罵声を浴びせていた。
 女性達の会話は尚も続いた。
「伯爵令嬢って、やっぱり身持ちが堅いのかしら」
「単純に異性に興味が薄いタイプなんじゃない? 非恋愛体質の人って、男女問わず結構いるものよ」
「案外、純潔を守って、陛下のお手がつくのを待ってたりして」
 サーシャの発想に、ヘレーネは密かに同意したが、ベアトリスは否定的だった。
「そういう下心のある人には、見えないわ。第一、自分の美貌を活かそうとするなら、あんな格好しないでしょ」
 今度は誰も反論できなかった。
 今回の件で、思いがけず同じ対策室の人間として一緒に働くようになり、3人はヒルダの大佐待遇という地位に相応しい技量を日々まざまざと見せ付けられているのだという。最初は、自分達と同世代でありながら、いくつもの幸運が重なって、破格の地位を得た彼女に対し、それぞれに反感めいたものを抱えていた彼女達も、今では下に付くことに納得しているという。
 ヒルダの卓越した事務処理能力と迅速で的確な指示は、今までの短い間に接したどの上官も遠く及ばないと、3人が3人とも感じている。
 彼女が陣頭指揮をとっているお陰で、感染も最低限に抑えられるに違いないと口々に言う。
 また、他人への接し方も門閥貴族の令嬢とは思えないくらいソフトで、階級的にはずっと下であるはずの3人に対しても、低姿勢だということだった。
 ヘレーネは、少し複雑な気持ちで親友達の会話を聞いていた。
 聞けば聞くほど、フロイライン・マリーンドルフという人には現実味を感じない。
 果たして本当に門閥貴族の中に、そんなに“出来た”人間がいるものだろうか?
 それとも、これまでの波乱の人生の所為で、自分があまりに人間不信過ぎるのだろうか?
 ヘレーネは、自分のことを学はあるが、あまり育ちがいい方とはいえない女だと自覚している。
 ベアトリスは、裕福ではないとはいえ、一応男爵令嬢だし、他の二人にしても、内戦以前は富裕層に属する上流平民家庭で何不自由なく育った。
 皮肉にも、4人の中で、リッテンハイム候の娘であるヘレーネが、一番貧しい幼少期を過したのだ。
 常に生活に追われて生きてきた自分は、少し人を斜めから見てしまうのではないか、フロイライン・マリーンドルフに対する意地の悪い思いも、醜い嫉妬心からくるものではないかと、ヘレーネはふと冷静になって考える。
 自分より恵まれた幼少期を過した友人達や、富豪の息子であるリンザーと付き合っていると、彼らにある他人を無条件に受け入れる真っ直ぐな心が、自分にはないことを時々感じるのだ。
『コンラートは、こんな私と結婚して、本当に幸せになれるのかしら?』
 ヘレーネは、恋人の曇りのない瞳を思い出してそう思った。


 サビーネへの見舞い客は、その後も女学院の関係者や、オーディンの邸に住んでいた頃の使用人などが、ぽつりぽつりと現れたが、中でもコールラウシュ伯爵夫人と、リューデリッツ伯爵令嬢カタリナは、その後も何度か顔を出してくれた。
 9月13日の午後も、伯爵夫人は、渡航前検査の帰りに病室に現れた。
 既に何度か同じことをしているので、自分で準備をし、病室から出てくると慣れた感じで洗面室で手早く手洗いとうがいを済ませる。
 その伯爵夫人が、帰り際、カルツ夫人に、ある貴族女性の名前をいい、彼女が見舞いに来たか尋ねた。
 ヘレーネには記憶にない名前だった。
「あの方は、慎重な方です。それぞれにご事情もあると思いますので、私もヘレーネ様もご自分の意思で来て下さる方だけお迎えするつもりでおります。サビーネ様ご自身も、きっとそう思ってらっしゃるでしょう」
 カルツ夫人が達観したように静かに言う。どうやら、名前の主は、情より理性を優先して、きちんと計算する類の人間らしい。
「そんな・・・だって、彼女は何年もサビーネの家庭教師だったのよ」
 伯爵夫人は、納得できない様子で憤慨したようだ。
「いいのですよ。こういうことは、ご本人のお気持ちですから・・・」
 カルツ夫人が宥めるように言ったが、伯爵夫人は尚も釈然としないようだった。
 伯爵夫人によると、その女性は、遠縁の男爵家の令嬢で、大学で古典文学を学んだ貴族女性にしては珍しくインテリで、サビーネが4歳の時から10歳で初等教育を終えるまで、家庭教師を務めていたらしい。
 そして、偶然にも現在、彼女は、ロイエンタール元帥の父方の従兄に当る男性と見合いし、結婚を前提に交際中なのだという。
 伯爵夫人は、最近まで彼女とは直接面識がなかったので、新婚旅行から戻った翌日に、サビーネの件を元帥から交際相手の従兄を通して、一度見舞ってあげて欲しいと伝えてもらったそうだ。
 ロイエンタールも、従兄のアルブレヒトも、引き受けたことは確実に行なう人間なので、彼女にもサビーネの件はとっくに伝わっていることだろう。それでも現時点で現れないということは、これが彼女の意思と受け止めるしかない。
 コールラウシュ伯爵夫人は不満そうだったが、ヘレーネは、彼女の判断を冷たいとは思わなかった。
 いかに滅菌設備が優れていようと、まだ全容が解明されていない未知の細菌である。万に一つの危険性は捨てきれない。誰も、自分自身がかわいいのは当たり前だ。ヘレーネ自身も同じ立場だったら、どちらを選んだかわからないと思った。
 伯爵夫人は、「できれば明日も来ます」と言って帰っていくと、ヘレーネとカルツ夫人は、自然と目を合わせて微笑し合っていた。
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