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イノセント・プリンセス(7)
 父の死で、アデナウアー家は経済的に益々苦しくなった。
 戦死者の遺族には、階級に応じた一時金と、年金が支給されたが、時を同じくして、財務省の経済再建計画に於ける貴族特権の撤廃推進は、段階的に推し進められ、都心の利便性のいい場所に一般から見れば広大な敷地を有するアデナウアー家の邸に対する固定資産税は、前年度の5倍にも跳ね上がった。
 こうして、貴族達が次々と慣れ親しんだ邸を手放し、それが公共施設や一般市民向けの集合住宅へと変貌を遂げていくことで、徐々に国民の経済的不均衡を是正していくのが経済再建計画の骨子である。
 この方針自体は、正しいとベアトリスも思う。
 アデナウアー家も、6人の叔母達がいなければ、邸を売却し、残った使用人に余生を送れるに充分な退職金を支払って、家族だけで郊外のもっと小規模な家にでも移ったことだろう。
 だが、それができない以上、何とかこの邸を維持していくしかない。
 大学卒業を間近に控えたベアトリスは、母やダニエラと相談した結果、邸の敷地の3分の2に当たる裏庭を、中流層向けの低層階集合住宅を建設したがっていたフェザーン系のディベロッパーに売却することにした。
 売却金額は相当な額だったが、新政権は、こうした一定以上の不動産取引にも課税したので、最終的に手にした金額は、売買価格の4割程だった。
 子供の頃によく遊んだ四季折々の花が植えられた花壇や、芝生の庭が消え、日当たりが悪くなったのは残念だったが、このお金で、最後まで残っていた年老いた使用人と介護士に、今までの労を労い、故郷で小さな家でも買って余生を過ごせるだけのお金を渡して解雇した。今後の見通しが立たない中、現金資産のあるうちに他人を巻き込まないようにしたいとの母の意向だった。
 同時に、戦死した父の一時金と、土地を売却した残金で、邸の大改築を行った。
 水回りや介護用ベッドをフェザーン製の最新式のものに代え、部屋や廊下に手摺を付け、車椅子が乗れる家庭用エレベーターも取り付けた。
 人を雇えなくなった分、実際に介護を行う家族の手間を出来るだけ軽減しようとしたのである。
 少し前から民政省が始めた公共福祉もフル活用し、叔母達一人につき、障害の程度に応じて週1〜3日、1日5時間程度、格安の料金で介護ヘルパーが来てくれることにもなった。
 だが、それでも父の遺族年金だけでは家族が生活し、6人分の介護費用をまかなうのは厳しく、2年間で必要な単位を取得し、大学を卒業できることになったベアトリスは、当初希望していた司法省ではなく、軍のキャリア採用試験を受けて軍人になることに決めた。
 当時、サビーネを抱えていたヘレーネ同様、激務な分、他の省庁より給料が良く、働き次第で若くしての昇進も可能だというのが理由だった。
 バーラトの和約が成立し、新皇帝が即位してローエングラム王朝の時代になると、旧王朝の貴族達に対する締め付けは益々厳しくなっていった。
 採用試験に合格し、准尉として任官していたベアトリスは、ヘレーネ等同僚と共に軍の官舎で暮らすようになり、公休日以外邸に帰ることができなくなった。
 しかし、軍人として毎月給料が出るようになったことで、必要最低限の金額を残して家に送金し、その分経済面で家族を支えた。
 更に、気が付けば13歳になっていた双子の妹達や15歳の弟も、母や叔母の手伝いを積極的に行い、ベアトリスのいない穴を埋めた。
 邸を改装し、自動化された介護機器とヘルパー達のお陰で生まれた時間的余裕を、母とダニエラは曜日をずらして交代でマナースクールの講師として働きに出ることで、暫しの息抜きの時間と収入を得、ギリギリの状態ながらも何とか生活を維持していた。
 だが、少し余裕ができると、ベアトリスと母は、再び今年29歳になろうとしているダニエラの事が気になり始める。
 仲介業者に寵姫候補として売り込まれただけに、ダニエラは類稀な美貌の持ち主だった。実際、街に出れば10人中10人の男が振り返る。
 着飾れば誰よりも美しいであろうに、女としての盛りを、毎日身形に構う暇もなく、義理の姉達の介護や家事に明け暮れる日々を送る彼女が哀れだった。
 しかし、少なくとも表面上は、ダニエラ本人に悲壮感はまるでなく、相変わらず彼女は化粧気もなく、手入れがし易いとの理由で、肩まで伸びた髪を引っ詰めにして、外出する時以外は介護がし易いよう殆どスエットスーツにエプロンという恰好で、楽しそうにきびきびと働き回っていた。
「私は、男の人とデートするより、こうして、お姉様方のお世話をして喜んで頂ける事の方が嬉しいんです。自分で好きでやってることですから、どうか、ご心配なさらないで下さい。これからもずっとこの家で暮らしていきたいんです。それに、こうして毎日朝から晩まで働いていると、1日がとても短くて、あっという間に終わってしまいます。他のことを考えている余裕なんてありませんわ」
 新帝国歴1年の9月に入って間もない頃、、母方の親族から久々に持ちこまれた縁談を伝えた時も、ダニエラは笑顔でそう言って断った。
 それでも、今回ばかりは粘り強く見合いを勧めるベアトリスの母に、ダニエラは少しだけ強い口調で再度拒絶した。
「私、この家に戻ってから、自分のことを不幸だとか、かわいそうだとか思ったことは一度もありません。だってそうでしょう? 二階のお姉様達と違って、私はこんなに元気に動けるんですよ。それに、亡くなったお義兄様にもこんなによくして頂いて、お義姉様やお子様達も私のことを本当の家族のように思って下さって。これ以上望むものなんてありません。将来どうなるかはわかりませんが、お姉様方を全員きちんと看取って差し上げて、最後までこのアデナウアー家の一員でいたいんです。それが私の生きる道なんです」
 真剣な眼差しで訴えるダニエラの姿に、母の隣で聞いていたベアトリスは、ふと、皇帝の姉君グリューネワルト大公妃のことを思い出した。
『そういえば、大公妃殿下は、フロイデンの山荘で、毎日何をして過ごしていらっしゃるのかしら?』
 皇帝陛下と同じく、華美を好まず、旧王朝の皇族からは考えられない程質素なお暮しぶりだと聞く。
 しかし、自分達と違い、経済的な困窮とは無縁だし、ダニエラのように働く必要もない。あっという間に1日が終わってしまうというダニエラと違い、さぞ長い1日を過ごしておいでだろうと、ベアトリスは少々皮肉を込めて思った。
 ダニエラは、父のアデナウアー男爵が偶々あのような人物だったから、寵姫を退いた後もこうして家族として暮らしているが、もし、普通の門閥貴族なら、さっさと籍を抜いて僅かな手切れ金で追い出した可能性が高い。そうなれば、元々肉親のいない彼女の人生は、どうなっていたかわからない。
 ベアトリスは、娼館から隔離された元寵姫を事情聴取した時のことを思い出していた。
 ダニエラと同年代で、同じ時期に後宮入りしたグリューネワルト大公妃は、宇宙一頼りになる肉親が存在し、現在は自分の望んだ通りの静かな生活を送っている。
 伝え聞く彼女の為人からしても、決して宮廷での栄華にも、大公妃という称号にも執着するような女性ではないと思う。
 だが、その一方で、「大公妃殿下」と呼ばれながらも、彼女は弟である皇帝の即位式典にも出席しなかったばかりか、公の場に一切顔を出さない。あの、まだ幼さの残るコールラウシュ伯爵夫人でさえ、公務をこなしているというのにである。
 父も爵位などに価値を見出すタイプの人間ではなかったが、それでも男爵となったからには、男爵としての責任を果たさねばならないと明言し、その結果、なりたくもない軍人にさせられた挙句の戦死だった。
 たとえ自ら望んだものでなくても、人間はその立場に立ったら、それに見合った義務と責任を果たさなければならない。
 これが、ベアトリスが一番最初の記憶に残る父の教えだった。
 自分は、母やダニエラ達家族の力を借りても、たった6人の女性を助けるのが精一杯である。だが、大公妃であるアンネローゼ様なら、新体制の恩恵から漏れ落ちてしまった、その何万倍もの人々を救うことができるのではないか? なのに、彼女は田舎の山荘に引き籠り、何もしようとしない。
 以前偶々目にした電子雑誌の記事でも、グリューネワルト大公妃という人は、万事に於いて控えめな、料理や手芸が得意な女性であり、政治的な活動をするようなタイプではないらしい。それならそれで構わないので、隠棲して暮らす山荘で、せめて戦災孤児を2、3人育てていたら、或いは、身寄りのない患った人を何人かでも保護していたら、そういった本来の彼女に相応しい小さなことをしてくれていたら、彼女に対して親近感や尊敬の念を持てたかもしれない。
 弟と共に家族同然だったキルヒアイス元帥の死が、若い彼女に厭世感を持たせ、気力を奪ってしまったのではないかと、アンナやサーシャは、世間話をしている際に言っていたが、同じ元寵姫達を誰よりも間近で見ているベアトリスにとっては、どうにも納得ができない。
 近しい人、愛する人の戦死など、この時代では彼女だけの身に起こったことではない。
 戦時下だったこの国では、平民や下級貴族は、常にその恐怖と背中合わせで生きてきたのだ。
 自分も父を失くしているし、ダニエラも親友のヘレーネも、親族が戦死している。
 それでも、生きている人間は、どれほど悲しくても、辛くても、食べて生活していかなければならない。だから、自分もダニエラもヘレーネも、時間を忘れるほど働いているのだ。
 それなのに、経済的に何の不安もなくて済む人が、何もしないで引き籠ってしまうのは、ある意味罪悪ではないか?。
 贅沢をしなければ、責務を放棄してもよいというのだろうか?
 それでは、特権だけを享受し、国家や臣民の為など考えもしなかったゴールデンバウム王朝の門閥貴族達と同じではないか?
 そこまで考えて、ベアトリスは、はっ我に返る。
『いけない。そんなことを考えるのは、不敬だわ』
 と、自分で自分を窘めた。
 自分は、かりにもローエングラム王朝に仕え、皇帝に忠誠を誓ったはずの帝国軍人である。
 その皇帝の姉君に対し、そんなことを思ってはいけないと思いつつ、一方で、どうかこの王朝交代が、単に支配する側の人間が変わっただけに終わらないことを祈らずにいられなかった。
 改革が、王朝創世記の一時的な人気取りではなく、後世まで人類の為のものであって欲しい。でなければ、死んだ父も、他の多くの犠牲者も浮かばれない。
「あなたのその気持ちは、本当に有難く思いますよ。でもね、今はそれでいいかもしれませんが、人間は誰でも必ず歳を取るものです。私達は、あなたの10年後、20年後のことを心配しているのよ。10年後のあなたに、夫と子供のいる家庭を持っていて欲しいと、私はあなたの家族だからこそそう思っているのよ」
 暫し黙り込んで考えを巡らせていたベアトリスの脇で、母が尚もダニエラを説得していた。
 しかし、やはりこの日も結局母の方が根負けする形で、ダニエラは見合い話を受けようとしなかった。
 その数日後、ベアトリスは、ヘレーネや仲間と共に、サビーネを帝立病院へ搬送する任務を受け、あの事件の渦中に身を置くことになる。
 そして、ヒルダの指揮の元、友人達と一緒に感染拡大防止対策室のメンバーとなり、サビーネの死を経て、慌ただしく大本営移転の為、フェザーンへ向かうことになった。
 オーディンを発つ前日の9月16日、ベアトリスは官舎を引き上げ、生まれ育った邸を見納めるために戻ってきていた。
 その夜、突然フェザーンのギゼラからFTLが入った。
 すっかり元気を取り戻した彼女は、娘共々元気で暮らしていると言って、ベアトリス達を安心させた。
 50歳をとっくに過ぎているはずなのに、30代後半くらいにしか見えない若々しさだ。
 そして、すぐにとは言わないが、オーディンを引き払って、全員でこちらへこないかと言ってきた。
 勿論、療養中の6人の叔母達も含んでのことだった。
 ギゼラは、亡命した時に持ち出した資産をオンライントレードで運用し、この2年の間に、フェザーンで一財産築いてしまったらしい。
 首都の高級住宅街に、部屋数が18ほどある邸も構えたので、アデナウアー家全員でここに住めばいいし、遠からずここが新帝都となるからには、子供達もこちらの学校で学んだ方がいいし、大学もフェザーンの大学に進学した方がいいと言う。
 叔母達には、地球学に基づいた先進医療を受けられる病院を既に探してあるので、こちらにくればいつでも入院加療が可能だとのことだ。
 家賃をとろうなんて言わないから、オーディンの邸は、そのままにしてもいいし、売却して現金化してもどちらでも好きにすればいいので、ぜひ来て欲しいと言って笑った。
 また、戸籍上の妹であるダニエラには、こちらでぜひ紹介したい人がいるので、彼女だけでも、なるべく早くこちらへ来ることを奨めた。
「これは私の勘だけど、ダニエラの相手には、帝国の男よりもフェザーン人の方が向いているんじゃないかと思うのよ。どっちにしたって、今のあの子のライフスタイルでは、出会いの機会がないでしょ?」
 その言葉に、画面越しに話していた母が、我が意を得たりとばかりに頷いた。
 夕食の席で、マナースクールから帰宅したダニエラにそのことを告げると、案の定、6人の姉達にフェザーンの医療を受けさせるのは大賛成だが、自分の件は、やはり断って欲しいと言った。
 男爵夫人である母は、軍に奉職したベアトリスは仕方がないとして、自分と下の子供達は、代々住み慣れたオーディンを引き払うことにはまだ迷いがあり、暫く考えたいが、フェザーン医療を必要とする6人と、フェザーン語も堪能なダニエラは、今年中にでもフェザーンに行くべきだと説いた。
「あちらは、帝国とは違って、身分の感覚も緩くて暮らしやすいそうよ。それに、ギゼラが奨めるほどの方なら、あなたもきっと心を動かされるものがあるんじゃないかしら」
 夕食後、弟妹達が部屋へ引き揚げた後、コーヒーを淹れて場所をサロンに移した後も、母とベアトリスとダニエラとの3人での話は続いていた。
「お義姉様達について、フェザーンに行くこと自体は構いません。でも、私は誰とも結婚はしません」
「どうして? なぜそこまで嫌なの? 私達はいつだって、あなたの為に言っているのよ!」
 ベアトリスが、母の制止する隣で、強い口調で立ち上がりかけた。
 その剣幕に、ダニエラが一瞬ビクッと怯えたように引いたのを見て、ベアトリスは、強い後悔を感じた。常に冷静で、年齢より老成されているはずの彼女がこのように声を上げるのは、家族でも見るのは珍しい。
 しかし、逆に言えばダニエラの頑なさは、それ程に強固だった。
「お嬢さま…」
 ダニエラは、久しぶりに、この家に来たばかりの頃の呼び方でベアトリスを呼ぶと、肩を落としてゆっくりと呟くように話し出した。
「私は…所詮田舎者の平民です。こちらのお家の養女にしてもらい、ことばを直して、きれいなドレスを着ても、やっぱり私は貧しい平民の娘なんです…貴族様のお姫様とは違います」
 いつもは歯切れのよい美しい帝国標準語を話すダニエラだったが、時々気落ちすると、出身惑星の独特のイントネーションが出る。
「そんなことはないわ。あなたの思い過ごしよ。第一、もう貴族も平民もない世の中になるのよ。あなたは子供が好きでしょ? ならば自分の子供を持ちたいでしょ?」
 母が励ますように言っても、ダニエラは静かに首を振るばかりだった。
 そして、再びゆっくりとお国言葉で、結婚することや、子供を持つこと自体は嫌ではないとぽつりと言った。
 その言葉に、やっと彼女の本音が聞けた母娘は、視線を交わしながら互いに笑顔を作った。
「…嫌なのは…結婚すれば、夫婦のことをしなければならないことです」
 一瞬、空気が止まった。
 ベアトリスと男爵夫人は、その言葉の意味を租借するのに、それぞれ数秒の時間を要した。
「私には、グリューネワルト大公妃様や、コールラウシュ伯爵夫人のようなことはできません。15、6歳の女の子が、家の為に、突然知らない大人の男の人と、あんなことをするなんて…貴族様の娘は、やはり私達とは違うなって…私は、皇帝陛下とのご寝所が、怖くて…怖くて…」
 ダニエラは、いつもの明るい彼女とは別人のように大粒の涙をはらはらと流し始めた。
「今でも、思い出す度に、鳥肌が立ちます。でも、周りの大人達はみんな、私の陛下に対する心が足りないって…ご寵愛が薄かったのは、私のせいだって。だから、私怖いんです。結婚したら、また同じことをするのが。私だって、わかっています。お義姉様もベアトリスもギゼラ姉様も、皆、私の為を思って言ってくれてるって。もう30にも近い女が、あんなことが怖いなんて変だって、自分でも解ってるんです。でも…でも…」
 ダニエラは、肩を震わせて、嗚咽を漏らす。
 この10年間、誰にも打ち明けられなかった心の裡を、漸く吐き出した瞬間だった。
 ベアトリスと男爵夫人は、ダニエラを抱き締めながら一緒に泣いた。
「変なんかじゃありませんよ、ダニエラ。女は、誰でも同じです…」
 男爵夫人が、涙を溢れさせながら、ダニエラの背中を撫でた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ダニエラ。私、あなたの気持を考えなくて…あなたはちっとも悪くないわ。ごめんなさい、私達の都合を勝手に押しつけて…」
 ベアトリスも、泣きながら若い義理の叔母を抱き締めた。
 結局、深夜になって漸く落ち着いたダニエラが自室に戻ると、ベアトリスと男爵夫人は、ダニエラの結婚は、彼女がいつか自然と身を任せてもいいと思える男性に巡り会える時まで待ちましょうということになった。
 ただ、そうは言っても、この邸と女性ばかりが相手のマナースクールとの往復の生活では、出会う機会にさえ恵まれないだろうから、来月にでも6人の姉に付き添わせる名目で、彼女をフェザーンのギゼラの元へ送り出すことで決まった。
 翌日、オーディンを発ったベアトリスは、半月の航程を終え、フェザーンに着くと、軌道エレベーターまで迎えに出ていたギゼラ母娘と再会し、旧交を温めた。
 ギゼラは、部屋はいっぱい空いているのでと言い、自分の邸に住むことを奨めてくれたが、ベアトリスは、当座の勤務先である大本営までの交通の便を理由に丁重に辞退した。本当は、後発部隊でやってくるヘレーネを含めた仲間達と、同じホテルで一緒に暮らす生活を楽しみにしていたのが大きかったのだが、それは言えなかった。



 ベアトリスの長い話に、一同は暫く黙ったまま、それぞれの思考に沈んでいた。
 そして、ゴールデンバウム王朝の後宮という場所の闇を改めて思い知らされた。
 ヒルダは、ここではあえて言わなかったが、本家筋に当たるカストロプ公爵家が討伐された時、館の一角に劣悪な環境で収容されていたアデナウアー家と同じ元寵姫達を数名発見している。
 一門として責任を感じた父のマリーンドルフ伯は、現在、彼女達をオーディンに移して治療に当たらせているが、回復の兆しを見せたものはいないという。
 ただ、リップシュタット戦役勃発前から、私兵を率いて、多くの親類縁者も説得して最初からローエングラム候に味方したマリーンドルフ伯爵家は、他の貴族よりも多くの財産を失わずに済んでいた為、幸いにも彼女達の治療費は負担になっていない。
 しかし、アデナウアー家のようなケースは、元々後宮という牢獄から姉君を救い出すことを目的に志を立てたはずの皇帝にとっても、重大な関心事項のはずだ。
 ただ、ベアトリスが、「これはここだけのオフレコにして下さい」と言って話したアンネローゼの件は、納得できることや思い当たることがあった。
 皇帝は、13日の式典で、当初、ヒルダとエルフリーデに授与した「勲一等金剛宝章」をオーディンにいる姉グリューネワルト大公妃にも授与するつもりで、宮内省も準備を進めていた。
 ラインハルトとて、姉の性格は熟知しており、こんなものをもらって喜ぶような女性でもないことは百も承知の上だった。
 彼にしてみれば、キルヒアイスの死以来、すっかり疎遠になり、なかなか話をする機会も見つからない姉とFTLごしに会話する何らかの口実が欲しかったのだろう。
 ところが、式典の当日になって、いきなりこの叙勲は取り止められ、代わりのように、オーベルシュタイン元帥の同行を認めないと言い出した。
 人払いした執務室で、皇帝と軍務尚書の間でどのような言葉が交わされたのかは誰も知らない。
 しかし、ヒルダは、先程のベアトリスの話を聞いて確信に近いものを感じた。
 多分、オーベルシュタインのことだから、現皇帝の姉でありながら、山荘に閉じ籠り、実質公務を放棄しているグリューネワルト大公妃に勲章を与えることに反対し、若い主君の逆鱗に触れたのだろう。彼のことだから、ベアトリスが思ったように、本当に「皇帝の姉として大公妃を名乗るのは致し方ないにしても、功無くしての叙勲は、ゴールデンバウム王朝下の爵位や地位の世襲と何ら変わるところがない」くらいのことは言ったかもしれない。
 結局皇帝は、理性の部分でオーベルシュタインの正しさを認め、今回の叙勲を思い留まりつつ、感情の部分で、彼の同行を拒絶したのだろう。
「私も、これはオフレコにしてもらいたいのだけど、ベアトリスが感じたことは、きっと正しいのだと思うわ。そして、多分、その件に関しては、オーベルシュタイン元帥もあなたと考えを同じくする方でしょう」
 一同は互いに顔を見合わせた。
 あの、感情のないような軍務尚書なら、或いはそういう発想をするかもしれない。
 そして、ヒルダは改めて、今まで自分がアンネローゼを実際以上に不幸視していたことに気付かされた。
『あの黄金の覇者に最も惹かれ、目が眩んでしまったのは、共に星々の大海を征服した提督達ではなく、私なのかもしれない…』
 ヒルダは、自嘲を込めてそう思った。
「あ、重要なものを忘れてたわ。はい、これ」
 と言って、アンナ・ケンペル准尉がベアトリスに手渡したのは、新しい携帯端末だった。
 元々持っていたものは、リンザー邸で後から回収されたものの、本体がデータ復旧不可能なほど破損していたので、新たな機種に、サービス会社のサーバーに保存してあったデータを移したのだった。
「プライベートの情報もあると思うから、私は一度もスイッチを入れていないわ。あなた自身でオンにして、復旧してるか確かめてみて」
 ベアトリスは、言われた通りに端末のスイッチを入れ、光彩認証で持ち主であることを端末が認識すると、画面が点き、事件の日の午後から30分と間隔を空けずに、一人の人物からメールが入っているのがわかった。
 発信者は、ギゼラの娘のオティーリエだった。
 最初の2回が音声通話だったが、こちらが出ないのを諦めてメールを送り続けたのだろう。
 ギゼラの邸は、事件のあった地区とは離れていたので、心配はしていなかったが、こちらの安否を心配しているのだろうか?
 ベアトリスは、とにかく自分の無事を知らせようと、音声通話に切り替えて、オティーリエの携帯にかけた。
「ベアトリス姉様…! 本当にベアトリス姉様なの?」
 小さな画面に現れた、ブルネットの髪の小柄な少女は、目を真っ赤に腫らしていた。
 衝撃と困惑が入り混じったような、何とも言えない緊張感が漂うのが画面越しに伝わってくる。
「ベアトリス姉様…お母様が…お母様が…」
「ギゼラ叔母様がどうしたというの? しっかりして、オティーリエ! 泣いていては判らないわ」
 ベアトリスは、泣き崩れる従妹を叱咤して、懸命に何が起こっているのか、状況を把握しようとする。
「さっき、警察から連絡があって、お母様の遺体の一部が見つかったって」
「どうして? 家とは反対方向でしょ? 叔母様はどこにいたの?」
 その問いに、オティーリエは不信感を露わにした。
「どこって、爆破されたデパートの中のカフェよ。12時半にあなたと待ち合わせしたって、嬉しそうに出ていったのに…だから、私、てっきりあなたも一緒に巻き込まれたとばかり…」
「そんな…私は呼び出したりしていないわ。あの日は丁度、ヘレーネの歓迎会でリンザー准将の宿舎でガーデンパーティーをしていたんですもの」
 一同に重い沈黙が流れる。
『また、ブラウンシュバイク家に近い人が死んだのね』
 ヒルダは、胸の裡でそう呟きながら、まだ見えぬ不気味な相手に戦慄を覚えていた。
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