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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(7)
 祝賀パーティーの会場から中庭に飛び出したエルフリーデは、夜気にあたって肩が冷えてくるにつれ、頭は冷静さを取り戻しつつあったが、尚収まらない怒りに震えていた。
「身売り」という言葉が、剣のように心を突き刺し、彼女の誇りを引き裂いた。
 同時に、自分の行為により、一族の赦免が叶う機会を一つ逸してしまったことにも気づいていた。
 だが、抑えようもない怒りと同時に、エルフリーデは、生まれて初めて感じる奇妙な感覚に捕われていた。
 金銀妖瞳の男を前にした時、彼女は伯爵令嬢として、精一杯の虚勢を張って見せた。だが、男の色の異なる両目で射竦められると、まるでそこだけ時が止まってしまったかのように身体が硬直し、数瞬、身動きがとれなくなった。
 男に握られた右手が、何故かまだ熱い。
 気が付けば、心臓が早鐘を打ち、頬が紅潮している。
 エルフリーデは、訳が解らず狼狽した。


「ああ、よかった。こんなところにいらしたの?」
 振り返ると、彼女を探していたシャフハウゼン子爵夫人のほっとした顔があった。 
 遥か後方の室内では、子爵がしきりにロイエンタール元帥に詫びている姿が見えた。
「ごめんなさい・・・・子爵夫人・・」
 エルフリーデは、叱られた子供のように俯いて呟いた。
 ロイエンタールに平手打ちしたことにも、罵声を浴びせたことにも後悔はないが、この人の良い子爵夫妻に迷惑をかけたことだけは悔やまれた。
「いいのですよ。大丈夫、元帥閣下はお怒りになってはいらっしゃらないようです」
 子爵夫人が安心させるようにそう言うと、エルフリーデは咄嗟に、「嘘だわ」と、思った。
 軍の高官が、あんな恥をかかされて、怒っていないはずはない。
 きっと後で何か仕返しをされるに決まっている。
 エルフリーデは、そう決め付けて考えたが、それを口には出さなかった。
 結局、その日は、夜も遅くなったこともあり、エルフリーデと子爵夫妻は、そのまま帰途についた。


 翌日、シャフハウゼン子爵は、ゴットルプ子爵と共に、あらためて、昨夜のエルフリーデの非礼を詫びる為、統帥本部を訪れていた。
『この話しは破談になった』と、この時、誰もがそう思っていた。
 ところが、当のロイエンタールの態度は、二人が全く予想していなかったものだった。
 驚いたことに、彼は、結婚を承諾したのである。
 ただし、「するなら明日だ」という無茶な条件を付けてである。
 これには流石に二人の子爵も異を唱えた。
「それはいくら何でも無理です。せめて1年の猶予を・・・・」
 シャフハウゼン子爵が困惑すると、ロイエンタールは意地の悪い冷笑を浴びせた。
「小官には、政略結婚に婚約期間などという茶番を演じる趣味はない。明日でなければ、この話しはなかったことにして頂こう」
 シャフハウゼンは、その言葉に、内心ほっとしていた。平民出の妻と身分を越えて結婚したという経歴を持つだけあって、彼はこの世界ではまともな神経を持った男だった。まだ義務教育も終えていない世間知らずの令嬢と、名うての漁色家との結婚など、いくら親族の為とはいえ、心から賛成する気になれなかった。エルフリーデが望んでいる以上、相手の方で断ってくれるのは、幸いだと思った。
「元帥閣下も存外性急ですな。姪はまだ15歳なのですから、新法上、明日結婚というのは無理ですね。でも、来月の7月9日には16歳になります。法的に結婚できるのは、それ以降ということになりますが?」
 エドアルドが、鼻で笑いながら、自分と同い年の統帥本部総長の出方を窺った。
「よかろう。では、その日でいい。ご令嬢にはそのようにお伝え頂きたい」
 シャフハウゼンは、ぎょっとしたが、隣のエドアルドは、平然と右腕を胸に当てて礼を返していた。
 ロイエンタールは、二人を見送ると、執務室の椅子に長い脚を組みながら頬杖を付いた。
 昨晩、興味本位で顔を見てやろうと紹介を受けた令嬢と目が合った瞬間、彼は貴族然とした娘に対し、冷ややかな視線を贈った。
 ロイエンタールには、相手が誰であろうと結婚する意志などなかった。にも関わらず、もし、自分が断れば、あの娘は誰か別の軍首脳なり閣僚なりのものになるのだろうと思うと、自分の内部に、名伏し難い疼きのようなものを感じていることに気づいた。
 あの娘は、自分から懐に飛び込んで来た『俺の獲物』だ。
 このまま黙って他人に譲ってやるなど勿体無い。
 ロイエンタールは、そんな風に思っていた。
 だから、自分の中の正体不明の疼きを鎮める為に、この話しに乗ってやろうと考えた。ただし、何ヶ月も待ってやる程、お人良しではないので、明日という条件を出した。
 同時に、あの令嬢の覚悟の程を見てやろうという意地の悪い気持ちもあった。
 性急すぎる話に、深層の令嬢が二の足を踏むようなら、所詮それまでのことだ。
 ただ、二人の子爵の前では平静を装ったが、娘の年齢には、些かに動揺していた。そんな子供をまともに相手にしてしまった自分に、自嘲を禁じえない。
 いくらなんでも、あんなことになった男との結婚を、しかも僅か二週間後になど、承知することはないだろうが、相手が断るなら、こちらも踏ん切りが付くというものだ。
 それが、この時のロイエンタールの心境だった。
 しかし、彼の予測は、その日の午後、再び面会に訪れたゴットルプ子爵によって、裏切られることとなる。
 子爵は、エルフリーデが、来月の16歳の誕生日の結婚を承知したことを伝えに来たのである。


「ロイエンタール元帥が、宮内尚書等から紹介されたリヒテンラーデ一族の伯爵令嬢との結婚に同意した」
 というニュースは、その日の内にオーディンの貴族社会や軍上層部に広まり、夜には早くも皇帝の知るところとなった。
 無論これらは、ゴットルプ子爵からの知らせを受けたワイツをはじめとする旧リヒテンラーデ派が、意識的に広めた結果である。話を早々に公にし、ロイエンタールの気が変わらないうちに婚約を既成事実化してしまう魂胆であった。
 しかもご丁寧なことに翌日には、「元帥は、年若い令嬢にいたくご執心で、一日も早い成婚をと望まれ、新婦の16歳の誕生日である来月9日に挙式する運びとなった」という最新情報まで付けてマスコミを動員し、帝国全土を席巻するニュースとして流したのだ。
 おまけに、マスコミに出回ったエルフリーデの映像が、どれも貴族女学院の制服姿であったことが、余計な詮索まで呼び起こし、ゴシップ誌に格好のネタを提供することになってしまった。
『帝国軍一の漁色家は、実は幼女趣味だったのか!?』
 平民から軍上層部、貴族社会に至るまで、無責任で興味本位の噂が飛び交った。
 ロイエンタールにとっては、濡れ衣もいいところで、結婚することになってしまったのは、いわば、勢いと成り行きであり、相手の年齢は関係ない。
 結局彼は、5年後に僚友ウルリッヒ・ケスラーが、22歳年下の妻を迎えるまで、軍部内外で、この不名誉な疑いから開放されることはなかった。
「郷は、この結婚を望むのか?」
 大本営で皇帝に謁見したロイエンタールは、真っ先にそう訊ねられた。
「はい」
 ロイエンタールは、数秒の沈黙の後、それだけ答えた。
 無論、強く望んでいたわけではないが、今更やめるとも言えない状況になってしまった。どんな形であれ、結婚を承諾してしまったのだから、一度は結婚しなければならないだろうという開き直りもあった。
「そうか。ならば、よい」
 カイザー・ラインハルトはそれだけ答えると、特例で法定年齢外の結婚を認める詔勅を出す旨を傍らの事務官に指示した。
 ラインハルトの本音を言えば、最古参の幕僚であり、戦友でもあるロイエンタールに、たった一度会っただけの政敵の一族の娘などと結婚して欲しくはなかった。
 しかし、臣下の私生活に干渉しないことが、名君の姿であると頑なに信じているラインハルトには、正面切って反対するだけの材料が見つからなかった。
 挙式は、希望通り来月の7月9日、新無憂宮にて、新帝国発足後初の慶事として、皇帝臨御のもと執り行なわれることと決まった。
 また、ラインハルトは、元帥夫人となるエルフリーデへの祝いとして、この結婚への列席を理由に、二つの恩赦を出した。
 一つは、先年自裁したゲルラッハの夫人と子息に爵位を返還し、蟄居謹慎を解くこと。但し、返還するのは伯爵号ではなく、元の子爵号をということだった。
 二つ目は、念願だった流刑地にあるリヒテンラーデ一族の内、エルフリーデと四親等内の血族にある者達のオーディンへの帰還を許すというものだった。
 これにより、残る一族の流刑囚は、マリア・アンナをはじめとする十数名だけになった。この中には、血縁が遠いファルツ侯爵家の人々、エーリッヒの母や姉妹達も入っていたので、エルフリーデを完全に満足させるものではなかったが、それも、「結婚後に折を見て順次叶うでしょう」というシャフハウゼン子爵の言葉に、一応納得した。
 ロイエンタールは、今月下旬から来月10日まで、国内に配置された八ヶ所の要塞を視察する予定だったが、それを式前日の8日に首都星に帰還するよう調整した。
 かくて、急速にエルフリーデの結婚の準備は進められた。
 何しろ二週間強と時間がない。国家の元勲たる重要人物の挙式としては、前代未聞のスピード婚なのである。
 まず、何よりも婚礼衣装を誂えなければならない。ロイエンタールは軍服の礼装で事足りるが、花嫁はそうもいかない。シャフハウゼン子爵夫人は、有名デザイナーや出入りの縫製業者に掛け合い、式までに完璧な衣装を整えるよう依頼した。
 7月1日になると、ロイエンタール家の家令と称する年配の紳士がやって来て、現当主の亡き母親のものであるという地球産ダイヤの指輪と、ネックレス、ティアラの三点をエルフリーデに進呈した。
 ティアラは、マールバッハ伯爵家の娘であったロイエンタールの母親が嫁いでくる際に、実家から持ってきた唯一と言っていい高価な品だったそうだ。そう言うだけに、上質のダイヤをふんだんに使っていて、オーソドックスで上品なデザインで、下級貴族の夫人のものとは思えない程の品である。エルフリーデが母親から譲られるはずだったティアラと比べても遜色ない。
 ネックレスと指輪は、婚約の際、ロイエンタールの父から母へ贈られた贅の限りを尽くした特注品らしい。
 また、訪れた家令をはじめとする執事や従僕に至るまで、皆その物腰は、大貴族の家臣に劣らない程洗練されていた。
 帝都オーディンの高級住宅地にあるロイエンタール家の本宅も壮麗で、子爵家であるシャフハウゼン邸よりも広く豪壮だった。
 家令は、間もなく自分達の女主人となる少女に、その他の先代夫人の宝飾品と、袖を通していない衣装は、全て差し上げるようにと、主人から言い付かっていると伝えてきた。サイズ直しやデザイン変更などの希望があれば、すぐに対処するので、何なりとお命じ下さいと、恭しく頭を下げた。エルフリーデが、爆破テロの事情から、身の周りのものが揃っていないだろうと見越しての配慮であった。
 ロイエンタールは、無論、このようなことに気の回る男ではないので、これは全て一任された家令が気を利かせて行ったものである。
 それでも、それが夫となる男性からの、愛情と解釈したシャフハウゼン子爵夫人は感激し、「フロイラインは、きっとお幸せになりますわ」と言って、エルフリーデを励ました。
 また、ローエンタール邸には、その規模に比してなぜか女の使用人がいないということだったので、シャフハウゼン子爵夫妻は、エルフリーデに何名かの侍女をつけて共に邸に入ることを元帥に申し入れた。元よりこういったことに無関心なロイエンタールは、特に何も条件を付けずにあっさりと許可した。
 婚礼衣装は、プリンセスラインのウェディングドレスに決まり、7mのヴェールを親族の少女達が持ち、フラワーガールとして付き従うことになった。
 ドレス本体は、光沢のあるシルクの生地に、高級レースをあしらったシンプルなデザインだが、デザイナーは、エルフリーデの若さと美貌を引き立てる為に、あえて余計な装飾を加えず、上品に仕上げた。
 7月5日には、最後の微調整を終え、ドレスは完成した。
 試着してみると、誰もがその可憐な美しさと、瑞々しさ息を呑んだ。
「まぁ・・・・」
 シャフハウゼン子爵夫人やメイド達が、感嘆の声を上げる。
「これなら、元帥閣下もきっとお喜びになりますわ」
 聞いているエルフリーデは、それに反論はしなかたっが、とてものこと、あの男がそんな風に感じるとは思えなかった。
 現に彼等はもうすぐ結婚する身でありながら、あの日以来一度も直接言葉を交わしていない。
 あの祝賀パーティーでの仕返しを何か企んでいるのだ。だから自分を結婚を口実に縛り、何かするつもりだ。こんなことで油断してはいけない。
 エルフリーデは、そう決め付けて、気を引き締めた。

 翌7月6日、帝都オーディンを震撼させる事件が勃発した。
 皇帝が、行幸先のキュンメル男爵邸で、当主であるキュンメル男爵本人に暗殺されかけたのだという。関係者以外の一般市民が、このニュースを知るところとなった時には、既に事件は解決しており、皇帝は無事で、実行者であるキュンメル男爵は持病が悪化し死亡、背後で男爵を操った主犯とされる地球教団のオーディン支部は、憲兵隊によって壊滅させられていた。
 エルフリーデは、その日の夜にこの事件を知ったが、事件そのものよりも、キュンメル男爵の親族であるマリーンドルフ伯爵親子のことが気にかかった。
 リヒテンラーデ一族は、ローエングラム元帥暗殺未遂犯の親族として連座し、何の罪もない少年や老人まで処刑され、マリア・アンナ等は流刑となっているのである。
 伯爵令嬢であるヒルデガルト・フォン・マリーンドルフとは面識はなかったが、エルフリーデが在籍する貴族女学院で、開校以来最高の成績で卒業したという伝説の先輩だった。
 上級貴族の子女のみが入学を許されるこの学院は、卒業生のほぼ全員が、15歳で義務教育過程を修了すると、そのまま持ち上がりで2年制の上級科へ進学し、18歳で学業を終える。卒業後は、親や親族から、家柄や身分のつり合った縁談を勧められて見合いし、早ければ20歳前後、遅くとも25、6歳までに結婚するというのが貴族令嬢に敷かれた一般的な人生のレールだった。
 そんな中で、ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフは、上級科へ進学しなかったばかりか、女学院卒業後にいきなり、帝国の最高学府である国立帝都大学政治学科へ入学したのである。
 貴族女学院400年の歴史の中で、後宮へ上がる以外の理由で上級科へ進学しなかったのも初のことながら、女性が大学の政治学科へ進学することも非常に珍しく、当時の貴族社会では、賞賛よりも変わり者として蔑む空気が強かった。
 しかし、エルフリーデはこの類稀な才媛に予てから興味を持っていた。特に、家族を失い、自身が名目上のコールラウシュ伯爵家の当主となってからは、自分も彼女のようになれたらとさえ思うようになっていた。
 皇帝の宰相時代から、首席秘書官として、ヒルダはたびたびメディアに登場し、世間の耳目を集めていた。
 短髪のくすんだ金髪に、ブルーグリーンの瞳の少年めいた美貌・・・ソリビジョンのニュース映像に映る男装の麗人は、どこの貴族令嬢よりも美しく理知的で、才気に溢れていた。
 自分などと違い、高等教育を受けた彼女のような女性なら、きっと、伯爵家を継いでも自領の統治を他人任せにしたりしなくて済むのだろう、とエルフリーデは思った。
 両親が生きていたら、勿論、そんな型破りな道は反対されるだろうし、第一、エーリッヒの訃報に接するまで、ずっと貴族女性の王道たる人生を歩むと信じてきたエルフリーデには、そんなことを考える必要もなかった。
 だが、今、自分の力では何もできないことが歯痒くてならない。
 文官でも武官でもいいから、私自身の意思で軍なり皇帝なりを動かせる力があれば・・・・ エルフリーデはそう考えると、ぜひとも彼女に会ってみたいと思い、ヒルダとは子供の頃から懇意だというヴェストパーレ男爵夫人に頼んでいたところだった。
 そのフロイライン・マリーンドルフの従弟のキュンメル男爵が、皇帝暗殺未遂事件を起こしたと聞き、エルフリーデは咄嗟に、2年前に、やはりローエングラム候暗殺未遂事件で連座させられた一族のことを思い出し、戦慄した。
 しかし、エルフリーデの心配は、結局杞憂に終わり、皇帝は、マリーンドルフ親子に対し一切の罪を問わないと宣言したという。
 エルフリーデは、憧れの先輩の無事に安堵する反面、理不尽に連座させられた親族を思うと、複雑なものを感じた。
『新皇帝は、フロイライン・マリーンドルフを余程ご寵愛なのだわ。叔父様は、皇帝が同性愛者かもしれないなんて言ってたけど、それは違っていたようね。きっとフロイライン・マリーンドルフがいつもお傍にいるから、他の女性を望まないのだわ』
 と、その時のエルフリーデは思った。
 勿論これは、この時点では誤解だったのだが、貴族社会で育ったエルフリーデには、若い皇帝と美しい首席秘書官の関係に対して、既存の価値観でしか考えることができなかった。


 新帝国歴1年7月9日、快晴の中、純白の衣装に身を包んだ16歳のエルフリーデは、帝国元帥オスカー・フォン・ロイエンタールの妻となった。
 新無憂宮の控の間で、新郎たる男を目の前にした時、エルフリーデは、ドクンと大きく一拍鼓動する自分の心臓の音を聞いたような気がした。それは、そのまま初めて出会った時同様の早鐘を打ち始めた。
 男の金銀妖瞳の瞳孔が、僅かに開いて、花嫁の姿を色の異なる両目に映したことに、エルフリーデは気づかない。
 新王朝になり、軍服のデザインが一新されたが、壮麗な元帥の正装は、まるでこの男の為に用意されたもののようだった。
 黒地に銀の刺繍を施された礼衣に、金モールの肩章と懸章、白手袋、深紺のマント、深紅に金糸の線の入った肩帯に、これまでの武勲を誇示するかのような煌びやかな勲章の数々。
 美術館の彫像の美を超えるとさえ評された、帝国軍一の美丈夫は、新品の大礼服を華麗に纏い、圧倒的な存在感を以って迫った。
 エルフリーデは、目の前の男に動揺を悟られまいと、真っ直ぐに男を見据えた。
『これで本当に、もう後戻りはできない』
 覚悟をして臨んだこととは言え、エルフリーデの気持ちは、まだ微かに揺れていたが、男の差し出した左腕に、自分の右手をそっと組むと、今度こそ本当に覚悟を決めた。
 白い衣装に薄く化粧を施されたクリーム色の髪の少女は、生まれたての天使のようだった。
 内側から輝いているような真珠色の肌に、男から贈られたダイヤの首飾りさえ霞んでしまうほどに見えた。
 その穢れなき肌も、今日限りのものかと思うと、ロイエンタールの中の疼きがまた騒ぎ出す。
 荘厳な音楽が鳴り、広間の扉が開くと、二人は赤絨毯の上をゆっくりと進んだ。
 正面の玉座には、皇帝が大元帥の礼服で座している。
 二人が玉座の前に進み出ると、傍らの宮内尚書が宣言文を読み上げ、指輪の交換がなされた。 
 この瞬間から、エルフリーデは、コールラウシュ女伯であると同時に、ロイエンタール元帥夫人となったのである。
 その後、皇帝から結婚を祝福するお言葉を賜り、次に順に参列者に挨拶を述べていく。 エルフリーデは、皇帝の前で終始腰を屈めた姿勢をとり、わざとラインハルトを正視しなかった。親族を、エーリッヒを処刑した男の顔と、まだ屈託無く向き合う自信がなかった。
 二人は、上座にいる参列者から順に挨拶を交わしていく。
 ロイエンタール側の参列者の殆どは、軍関係者で占められていた。
 真っ先にミッターマイヤー夫妻に歩み寄り、帝国軍の双璧が握手を交わすと、夫人となったエルフリーデも祝福の言葉を贈る平民出身の夫婦に対して、完璧に礼に則った返答を返した。
 ミッターマイヤーの本音も、ラインハルトと同様で、当初は旧勢力の娘との、しかも一度会ったきりの女との結婚等反対したい気持ちだったが、当人が望んだなら、自分がとやかく言う問題でもないと諦めた。
 それに、噂には聞いていたが、花嫁の美しさは想像以上で、巷で話題になっている幼女趣味についても、出回っていた映像よりは頬のラインがシャープで、大人っぽく感じた。ここまできたら、ミッターマイヤーとて、親友がこの年の離れた妻と生涯添い遂げて幸せになってくれることを祈るばかりだ。
 ミッターマイヤー夫妻の傍を離れると、オーベルシュタイン、ミュラー、ビッテンフェルト、ケスラーと、次々に軍最高首脳と挨拶を交わす。
 エルフリーデが観察した感じでは、ロイエンタールには、同じ元帥でありながら、ミッターマイヤー元帥とオーベルシュタイン元帥とでは、かなり露骨な態度の違いが感じられた。ミッターマイヤー元帥とは、10年来の親友と聞いていたので、親しいのも無理はないが、それ以上にオーベルシュタイン元帥に対する冷ややかで表面的な態度が、ロイエンタールの本心を物語っているように見えた。
 元々社交的な性格ではないロイエンタールだったが、ミュラー提督以下の同僚達は、それなりに敬愛しているのか、祝辞を素直に受け、型通りにエルフリーデを紹介した。
 ロイエンタール側の軍首脳部への挨拶を終えると、二人は次に反対側のエルフリーデ側の参列者に向った。
 シャフハウゼン子爵夫妻と一緒に、謹慎を解かれたばかりのゲルラッハ夫人と、子爵号を返還されたその息子夫婦の懐かしい顔があった。
 ゲルラッハの自裁後、旧リヒテンラーデ派の官僚は皆、命こそ奪われなかったものの、閑職に追いやられたり、職を解かれたりしていた。
 それをエルフリーデが結婚の条件の一つとして、彼等を能力に応じた相応しい仕事ができる地位につけるよう要求したのである。
 1年間蟄居謹慎をしていたゲルラッハの長男も、子爵として中央官界に返り咲き、統帥本部事務次官として出仕することになった。
「みんな・・・みんなフロイラインのおかげです。どんなに感謝していますことか・・・・」
 ゲルラッハ夫人は、溢れてくる涙をしきりにハンカチで押さえながら、いつまでもエルフリーデの手を取って感謝の意を伝えた。
『私は、間違っていなかったんだわ。私の結婚のおかげで、たくさんの人が救われたんだもの』
 エルフリーデは、自分の正しさが証明された確信を胸に幸せだった。
 他にも参列者には、叔父のゴットルプ子爵エドワルトや、この式に参列するという名目で流刑地から戻った親族がいたが、先にロイエンタール側の親族に挨拶することとなった。
 ロイエンタール側の親族は、極端に少なかった、
 父方の親族は、亡き父の弟一家だけであり、母方のマールバッハ伯爵家からも、母の両親は既に無く、ロイエンタールには伯父と伯母にあたる、母の兄と姉夫妻だけであった。日頃親戚付き合いなどしないロイエンタールにとって、この「俄か親戚」は他人に近い存在だった。
それでも、新郎新婦揃って、親族と型通りの挨拶を交わすと、式は修了し、場所を記念撮影の為の『白百合の間』に移した。
 元帥夫妻と皇帝を真ん中に、親族と軍高官がぐるりと囲む形で集合写真を撮った。最前列真ん中の新郎新婦達の前には、6名のフラワーガールの少女達が、小さな花束を持って床に座っている。
 記念撮影が終わると、主だった親族と軍高官、閣僚達60名程を招いた晩餐会が、ロイエンタール元帥主催の元、皇帝を主賓に迎えて開かれた。エルフリーデは、ウェディングドレスから、薄紫色のイブニングドレスに着替えて席に付いた。
 皇帝が、二人の末永い幸せを祈って、プロージットの掛け声をかけると、一斉に同じ言葉がこだました。
 乾杯の酒は、410年ものの白ワインが振舞われたが、未成年のエルフリーデには、アルコール度のない、白ぶどうジュースが注がれた。
 エルフリーデは、若干不服そうな顔をしたが、それでも何も言わずにジュースを飲み干した。
 晩餐会が終わり、二人が漸くロイエンタール邸へ帰宅した時、時計は午後10時を回っていた。
 既に彼女の部屋は、南側の一番広く豪華な部屋が充てがわれており、内装も荷物の搬入も終えていた。
 シャフハウゼン家から付き従う四人の侍女達も、既に居をこの邸に移し、主夫妻を待っていた。
 エルフリーデの本当の「結婚」は、これから始まるのだ。
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