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食うために軍人になった女達 −ハーレクインもどきスピンオフ小説(6)−
 ミッターマイヤーの先発隊がフェザーンへ発ったこの日、ヘレーネは、一旦宿舎に戻ると、着替えと僅かな身の回りのものをボストンバックに詰めて、サビーネが収容されている特別病棟内の一室に再びやって来た。
 セミダブルベッドが二つに、バスルームがあるホテルのツインルーム仕様のこの部屋でカルツ夫人と共に寝起きし、24時間体制でサビーネの世話を交代で行なって、最期を看取る覚悟だった。
 余命10日前後と宣告されている以上、彼女がヴァルハラへ旅立つ日まで、ここから出るつもりはなかった。必要なものがあれば、携帯端末から病院宛てに何でも取り寄せられるし、それをスタッフがいつでも部屋まで運んでくれる。就業後にできるだけ顔を出すと約束してくれた、ベアトリス達に頼んだっていい。洗濯もクリーニングも出来る設備が整っているので、着替えも最低限でいい。
 表向きは、軍属として要人を私服で警護するという形になっていたが、ここに部外者が侵入することは実際不可能な状況だった。第一、余命いくばくもないサビーネを今更利用したり暗殺したりしたい人間なり組織なりが存在するわけがない。
 また、9月17日に軍務省の准尉として帯同する予定だったヘレーネのフェザーン行きも、サビーネが奇跡的に持ち直す可能性を考慮して、この時点で白紙に戻された。
 電話で話したリンザーによると、場合によっては、所属を後方総司令官を任されるメックリンガー提督の下へ一時的に移動させてもいいという話まで出ているらしい。
 誰の配慮かは知らないが、ヘレーネは、軍上層部の明らかな善意に感謝しつつ、もう一つの仕事であるカルツ夫人への事情聴取を文書データ化するという仕事に取り掛かった。
 話す夫人にとっても、聞いて記録するヘレーネにとっても、これは非常に辛い作業だったが、残忍な犯罪者達を糾弾し、法の裁きを受けさせる為には、必要不可欠な仕事だった。
 そして、証言者は多いほど情報は正確で詳細になる。
 カルツ夫人は、あの状況で、サビーネ一人を助け出すのが精一杯だったが、瀕死の状態で生き残った使用人も僅かながらいるらしい。また、当初、略奪・暴行の犯人に仕立てあげられた、蜂起し城館を取り囲んだ元領民達も、名乗り出てくれれば貴重な証人となるはずだった。
 今頃は、警察と憲兵隊の調査員達が、現地でそれらの人々や、惨劇直後のサビーネを診察・治療した医師と看護師からも事情聴取を行なう為に、宇宙港を発っているはずだ。
 サビーネは、収容当日の夕刻には熱も下がり、翌日からは、少しづつ食事もできるようになった。
 入院翌日には、ベアトリス達3人とリンザーが、大きな花束を抱えて退庁後に見舞いに訪れた。
「何か足りないと思っていたのよ。ここ」
 ヘレーネが、やっと表情を和ませて言った。
 要人専用の病室だけあって、絵画や調度品などは一流ホテル並みに揃っていたが、どこか寂しいと思っていたところだった。
 ヘレーネは、サビーネの病室には、滅菌処理を施された本物そっくりの造花を飾り、自分達の寝室と応接室には、それぞれアレンジされた生花を花瓶に活けた。
 4人は、軍服姿であるのを気にして、サビーネ本人には会わず、応接室でヘレーネにだけ会って帰るつもりでいた。
 蛮行を働いた私兵も、正規軍と似たデザインの制服を着ていたので、サビーネは軍服を着た人間を怖がる。
 だが、彼らが来たのは、花を持参してヘレーネを励ますだけが目的ではない。
 リンザーが、早速今日から稼動し始めた対策室で決定したことを伝えた。
「明日から、TIEG−36型の検査キットが無料配布されることになる。対象は、全帝国軍人と、オーディン在住者及び、菌の原生惑星のある星系在住者の内、性別年齢に関係なく、この1年半以内に性交渉をもったことのある人間全員だ」
 リンザーが、女性4人を前にして、最期の方の言葉をやや濁して言う。
 検査キット自体は、汎用的な性感染症検査用のセットで、血液を採取して入れるケースと、性器に直接擦りつけるセロファン状のシートから成っているとのことだった。特にTIEG−36型の為に特別に開発されたものではないので、いくらでも増生産が可能で、希望すれば前述の条件外の人間でも貰えることにする。
 配布場所は、各自治体の庁舎や、軍施設、民間の薬局や食料品店など、あらゆる場所で入手可能にする方針を打ち立てた。
 条件に当て嵌まる人間は、採取したものを入れたケースに、自分のID番号を書いたシールを貼り、同梱されている袋に入れて、各通りの交差点毎に設置された特殊処理を施された回収ボックスに投函する。回収は、毎日定時に、保険局の係員が行い、政府が指定した検査機関に送られる。
 TIEG−36型の検出のみの判定なら即時に可能なので、早ければ投函後2日目には、指定のメールアドレスか、文書による郵送で結果を知ることができる。その際、陽性の人間には、保険局の係官が直接出向き、即時再検査の為、指定病院への入院を義務付ける。
 治療自体が無料であるし、自分自身や周囲の人間への感染を考えれば、まず拒否する者はいないと思われるが、微妙な問題も絡んでくることが予想される。
 例えば、それにより、相手の不貞を知ることになる夫婦もいるだろうし、既に過去のものとなった関係を、現在の相手にも知られることになる恋人達もいるだろう。
 そういった人間関係上のトラブルが、大きな社会問題に発展しないかということまで、対策室では検討されているらしい。
 ヘレーネは、政府の対応の早さに、感心していた。
 旧体制下だったら、有力貴族達の中に、続々と発症者が出たりでもしない限り放置されていたかもしれない。
 やはりローエングラム体制は正しい。ヘレーネはあらためてそう思った。
 もっとも、そもそもこのようなことが起こったのは、その旧体制を滅ぼした内戦の所為であることを考えれば、ジレンマではあるが。
 一通りの報告が終わると、気を利かせた女3人は、早々に退散していった。
 カルツ夫人は、病室でサビーネに食事をさせる為に席を外していたので、ヘレーネは、応接室でリンザーと二人きりになった。
 リンザーは、折れそうになる心を懸命に支えているヘレーネを、ただ黙って抱きしめてくれた。


 サビーネは、収容された翌日には酸素マスクも外されて自力呼吸が可能になり、全身の皮膚の腫れや化膿もだんだん引いて、数日後には、意識もかなり回復してきた。
 言葉も徐々に明瞭になり、簡単な単語なら、ヘレーネにも聞き取れるくらい喋れるようになっていた。
 ヘレーネとカルツ夫人は、その様子に、或いはと希望を持ったが、医師団の見解は変わらなかった。
「熱も下がり、痛みも取れて、本人的には楽になっているはずです。しかし、この菌で、一度破壊された臓器や脳細胞を再生させることは、今の医学では不可能なのです。残念ながら、進行を緩めることが、現時点では精一杯です。また、今使っている薬は、謂わば諸刃の剣です。痛みがなくなり、皮膚表面もきれいになる代わりに、極端に免疫力が低下します。今後、ご令嬢にとって、ちょっとしたことが命取りになります。病室を無菌状態にし、接触する人は常に全身消毒を心がけて下さい」
 感染科部長である医師の説明は、簡潔で素人にも解り易かった。彼も主治医のファーレンハイト軍医も、悪戯に希望を持たせるような事は言わず、事実をありのままに話してくれた。
 落胆はしたものの、ヘレーネにはそれがかえって有り難かった。
 肉親を次々と亡くし、サビーネが亡くなれば、文字通り天涯孤独の身となる彼女にしてみれば、下手に希望を持って後で裏切られるよりも、心の準備がし易すいというものだ。 そして、頻繁に顔を合わせるうちに、ヘレーネは、この軍医中佐に深い信頼を寄せるようになり、階級を越えて次第に親しくなっていった。
 ベルタ・クリスティーネ・フォン・ファーレンハイト中佐は、ビッテンフェルト提督の姉でもあり、ファーレンハイト提督夫人でもあるという、軍首脳の親族でありながら、平民の出のせいか、飾らない人柄で、無口だが気さくな女性だった。
『ああ、この人はきっと、一人でも人の命を救いたいと思って医者になったんだわ』
 彼女の志を直に訊いたわけではないが、ベルタの仕事ぶりを間近で見たヘレーネは、確信的にそう思った。
 十代にして人生の辛酸を舐めたヘレーネには、自分の前に新たな人間が現れると、つい心の中で、この人は、自分の敵か味方かと識別しようとする癖が身についている。そして、信頼に足る人間か、そうでない人間かを見極めるまで、決して心を開かない。
 そんな中で、ヘレーネは、ベアトリスを親友とし、アレクサンドラとアンナという新たな友に出会った。そして、コンラート・リンザーという男と、できれば生涯を共にしたいと考えていた。
 更に、サビーネに最期まで忠義を尽くすカルツ夫人とも、寝食を共にする内に身内意識のようなものも芽生えた。サビーネ亡き後、もし、行き場がないなら、妹を面倒見てくれたお礼に、今度は自分が養ってもいいくらいに思っていた。
 ヘレーネにとって、今後自分と関わるであろう人間で、今、最も警戒心を持っているのは、今回の事件で、臨時の対策室長になっているヒルダだった。
『時代を逆行させてはならない。この国を、再び門閥貴族の支配する社会にしてはならない』
 ヘレーネの中の平民の血が、そう叫んでいた。
 そして、
『フロイライン・マリーンドルフという人は、皇妃の座を虎視眈々と狙っているのだ。そうに違いない』
 これがまだ一度も会ったことのない女性に対するヘレーネの出した偏見に満ちた結論だった。
 正攻法で挑んでも、国民の支持の高いローエングラム王朝を倒すのは不可能だ。ならば、自分が皇妃となり、内部から王朝を乗っ取ればいい。そうすれば、また、自分は何も失うことがなく、安全に旧体制の復権を実現させられる。
 なんて、姑息で周到なのだろう。あの美しい姿の中に、強烈な野心と、醜い権力欲を隠し持っている。そして、彼女の美しさに目が眩んだ皇帝は、そのことに気づいていないのだ。
 ヘレーネがそこまで想像を逞しくさせるには、彼女なりの正当な理由があった。
 ヘレーネは、自分の人生経験上、主義と行動の一致しない人間を信じない。それは、2番目の男から苦い経験として学んだ。
 大学時代の短い一時期、恋人だった男は、下級貴族出身で、生来貴族特権とは遠いところにいた。
 彼は、当時宰相だったローエングラム公の新体制を絶賛し、貴族特権の廃止、更にはゴールデンバウム王朝打倒というリップシュタット戦役以前なら、確実に思想犯として逮捕されるだろう過激な改革思想の持ち主だった。
 もっとも、これは、その当時のインテリ層の流行のようなもので、彼のような大学生は、特に珍しくもなかった。
 彼が他の過激派と少し違っていたのは、政治思想だけでなく、女性の開放や社会進出といった身近な分野も先進的思想に染まっていた点だった。
「これからは、この大学にも女性の入学者がもっと増えると思うよ。軍でさえ、大卒女性キャリアの採用枠を設けるというし。そうすれば、将来、女の提督や尚書だって生まれる可能性があるんだ。同盟やフェザーンみたいに、帝国の女性も男と対等な権利を持ち、社会に出るべきなんだよ」
 数少ない女子学生の一人であるヘレーネに向って熱っぽくそう語る彼を、ヘレーネは素直に尊敬し、信じた。
 しかし、男は、一度関係を持った途端、態度を豹変させたのだ。
 自分がヘレーネにとって最初の男でなかったことに対し、怒りに震えた彼は、紛れも無く女性のみに純潔を強要する古い貞操観念の帝国男そのものだった。
『結局、彼にとって先進的思想など、ファッションみたいなものだったのね。本気で国や国民の為の世の中を考えてのことなんかじゃなかったんだわ』
 別れて暫く経ち、心の傷も癒えた頃、ヘレーネはそう分析できるようになっていた。
 そして、智謀に優れていると評判のマリーンドルフ伯爵令嬢も、彼と同類に違いないと考えたのだ。
 ヒルダが、腐敗の局地に達していた旧体制に改革の必要性を感じ、進んでローエングラム陣営に味方したこと自体は、女でありながら、男装し、大学で学んだ伯爵令嬢という彼女の経歴からして、むしろ必然であったと思っている。
 ヘレーネ自身も、末端の平民として暮らしていた時よりも、貴族になり、少し目線が上に上がってからの方が、社会の矛盾や不公正というものをより強く実感するようになったからだ。
 そして、平民に戻って大学で学んでいると、更にその思いを強くし、場合によっては革命を起こしてでも改革を断行すべしという思想にも共鳴するようになっていた。
 ただし、ヘレーネの立場上、自分の生活で精一杯だという現実的な理由から、進んで革命運動に身を投じる気は最初からなかった。
 キャリア採用の中で軍を選んだのも、他の省庁よりも激務な分給料が良く、昇進の機会にも恵まれるとの、あまり志の高いとは言えない理由からだった。
 だから、その点、生活の心配のないインテリのマリーンドルフ伯爵令嬢が、温室の中で育まれながら、率先して革命思想に染まったのは、何の不思議もない。
 問題なのは、その後の身の振り方だった。
 改革の必要性を唱えるならば、当然、何をどう改革すべきなのか、その具体的な将来の構想が多かれ少なかれあるはずだった。それが全くなければ、ただの不平屋になってしまう。
 大学で政治学や経済学を学んだらしい伯爵令嬢が、真っ先に改革を考えるとしたら、それは当然、司法や経済分野であるはずだ。
 だから、彼女が司法省や財務省の高官に抜擢されているというなら、ヘレーネもその初志貫徹を賞賛したことだろう。
 ところが、彼女はなぜかそうせず、『秘書官』という名目で、畑違いな軍に身を置き、ひたすら皇帝の傍に侍っている。
 では、彼女は、何の志もなく、ただ自家の安泰の為だけにローエングラム陣営に与し、それが叶った後も、ただ惰性で皇帝の傍にいるのだろうか?
 ヘレーネは、それは違うと直感的に思った。
 一個艦隊に匹敵するほどの智謀の持ち主が、壊すだけ壊しておいて、その後の再建に何の構想も持っていなかったなどというのは有り得ない。
 ならば、彼女の行動は、何を意味するかと推理を拡げると、どうしても『皇妃になる機会を狙っている』という結論になってしまうのだ。
『いやだ。また、あんな奴等に支配される世の中に逆戻りするのは』
 ヘレーネにとって、『門閥貴族』のイメージは、自分を捨てた実父のリッテンハイム候と、最初の男に集約されている。勿論、上流貴族の中にも色々な人間がいるということを頭では理解した上でのことだ。
 ヒルダの抱える苦悩など知る由もないヘレーネにとって、マリーンドルフ伯爵令嬢は、この時点では間違いなく自分にとって『敵』であった。
 ヘレーネが、ヒルダに対しての偏見から完全に開放されるのは、今少し後の話になる。

「おはようございます、姫。お加減はいかがですか?」
 ヘレーネは、朝、自身の消毒処置を済ませ、サビーネの部屋へ行くと、必ずそう言って挨拶をした。
 サビーネにとって、リップシュタット戦役で領地惑星に疎開してからオーディンへ戻るまでの記憶は、いっそすっぱり削除してしまいたい忌まわしいものであるはずだ。
 だから、ヘレーネとカルツ夫人は、あの1年半の時間を『なかったこと』として振舞うことに決めたのだ。
 3年前、初めてサビーネと対面したヘレーネは、彼女に臣下の礼をとった。
 ヘレーネは、あの当時と同じ態度で接することで、少しづつ意識を取り戻しつつあるサビーネの心の平静を保とうと考えたのだ。
 医療チームの心療内科医も、「准尉ご自身がそれでよろしいなら」と、賛成してくれた。
 今のヘレーネには、サビーネに感謝してもらいたい気持ちは微塵もなかった。
 元々彼女は、身分が下の人間が、自分の為に仕えるのが当たり前の環境で育った少女である。そんな人間に見返りなど、平民生まれのヘレーネは期待すべきでないことを知っていた。
 今は、ただ、少しでもサビーネが楽になるよう、安らかな死を迎えられるようにとしか考えられなかった。
 入院して4日後の9月3日になると、皮膚の腫れはすっかり引き、化膿した部分も瘡蓋になって剥がれはじめた。
 ヘレーネ達は、二人の看護師に手伝ってもらい、久しぶりにサビーネを薬湯で入浴させることにした。
 医療用の着衣を脱がせると、腫れの引いた身体はすっかり窶れ、見ているのが痛々しかった。
 肌に沁みない低刺激性の石鹸を泡立て、カルツ夫人と二人で少しづつそっと身体を洗ってやると、サビーネも気持ちがいいのか、表情が落ち着き、濁った目に少しだけ精気が戻ってきたように見えた。
 ヘレーネは、元気な時の彼女とは、一度対面しただけだが、上流貴族独特の驕慢さは別として、利発で快活な少女という印象を持っていた。
 実際、貴族社会での評価もそのお通りで、少し甘ったれな性格で、才知も凡庸と評されていた第一皇女の娘で年上でもある従姉エリザベートよりも、彼女の方が女帝には相応しいと考える勢力は強かった。
 ヘレーネも、男爵家で過した一時期に、そうした貴族社会の動静を感じ取っていた。
 だからこそ、今の変わり果てたサビーネが一層哀れでならない。
 身体を洗い終え、ヘレーネが、今度は低刺激性の特殊シャンプーを手にとって、髪を洗ってやると、サビーネは、心地良さそうに目を閉じた。
 丁寧に泡を洗い流し、乾燥風を宛てた後、バスタオルに身体を包んでで、リネン類が総取替えされた清潔なベッドへ運ぶと、皮膚を保護するための軟膏を前身に塗る。
 ヘレーネは、カルツ夫人と看護師が、特殊ゴム製のヘラで軟膏を塗っている間、サビーネの髪を梳かして、整えてやっていた。
 本来なら、結い上げる為に長く伸ばし、豊かであるはずの髪が、衛生の為に短く切られ、薬の副作用でかなり抜け落ちて薄くなってしまっている。
 ヘレーネは、できるだけそれらをカバーするようにして、髪を整えてやった。
 ふと、サビーネが、何か言葉を発しようとして、同時に少し左手を動かした。
「いかがなさいましたか?」
 ヘレーネは、耳を近づけて尋ねながら、根気良く音声が明確化するのを待った。
 しかし、サビーネの声は、上手く聴こえてこなかった。だが、その口の形が、どうやら「ありがとう」と言っていると判り、ヘレーネに手を差し出そうと動かしているらしい。
「恐れ多いお言葉でございます」
 ヘレーネは、そう言って、臣下として丁寧に両手でその手を押戴いた。
 サビーネは、なおも何か言いたげだったが、丁度、軟膏を塗り終えた看護師に呼ばれて、中断された。


 9月8日、サビーネが小康状態を保つ中、オーディン標準時間午後5時のニュースで、リッテンハイム候の令嬢が発見され、現在世間を騒がせているTIEG−36型に感染して治療中であることが報じられた。
 ヘレーネは、アナウンサーが淡々と読み上げるニュースを応接室のソリヴィジョン映像で見ていた。サビーネの病室には、テレビの類は置かれていないし、本人も今の状況では、見ても内容を認識できないので、彼女の心が傷付くことはないが、屈辱的なプラバシーを公表されてしまった異母妹をヘレーネは慮った。
 だが、これを期に、感染拡大への感心は一気に高まることとなる。
 報道から1時間もしないうちに、保険局や病院への問い合わせが殺到したのだ。
 連絡してくるのは大半が男性で、検査キットでは陰性だったが、発生源となった、現在は閉鎖されている娼館を利用したことがあるので、今後陽性になる心配はないかといった類のものが多かった。
 中には、性交渉はないが、発生源の星系出身者とずっと一緒に働いていたが、本当に性行為以外で感染する恐れはないのかといった断言し難い質問もあった。
 大した滅菌処理もしないままずっとサビーネの看護を一人でしていたカルツ夫人が、感染も発症もしていないし、他にも性行為以外での感染が報告されていないところを見ると、まず空気感染はしないと見て良さそうだった。
 しかし、長年に渡る復古主義の影響で、性道徳が保守的な帝国では、性感染症に対しての偏見は依然として根強かった。
 また、現時点でまだ症例の少ないTIEG−36型について医学会も慎重で、完全に空気感染はしないと断言するには時期尚早との見解だった。
 そんな中で、午後6時半に、受付にサビーネの報道を見た同級生の少女達が3名ばかり、保護者に付き添われて面会を求めているとの連絡が入った。
 ヘレーネは、少し迷ったが、医療チームのスタッフが、彼女達にサビーネの現状を説明し、それでもと言うなら、友人と最期の別れをする機会があってもいいと思った。
 サビーネの同級生達は、説明を聞くと全員納得し、保護者達と共に、入り口で全員がざっと全身消毒を施され、特別病室の応接室に入った。
 大人達はそこで待機し、病室に入る予定の少女達のみが、部屋に荷物を置き、靴を履き替えた上、病院指定の服に着替え、髪をカバーで包み、マスクをした姿で滅菌室へ案内された。
 体制の整った少女達は、サビーネとカルツ夫人のいる病室へ案内されて入っていった。
 ヘレーネは、同席しなかったが、サビーネと同じ年頃の健康そうな娘達を見ていて、胸に込み上げるものがあった。
 そして、完全防備とはいえ、まだ未知の部分の多い細菌感染に、不安もあっただろうに、それでも異母妹に会いに来てくれた同級生達に、深く感謝していた。
 20分程で、少女達は、全員目を真っ赤にして病室から出てきた。
「ありがとうございました。また、来ます」
 涙を拭きながら、一人の少女が代表して言った。
 ヘレーネの素性を、カルツ夫人から聞いたのだろう。私服の彼女を明らかに、医療スタッフではなく、サビーネの身内として見ていることが判った。
 本来なら、見向きもされないはずだった庶姉に、令嬢達は丁寧に挨拶をすると、応接室で待つ保護者達と共に帰っていった。
 だが、この日の来訪者は、これで終わりではなかった。
 3人の同級生達が帰った1時間後、今度は、コールラウシュ伯爵夫人が、新婚旅行の帰途、直接病院へ行きたいと伝えてきた。
 ヘレーネは、サビーネと最も対照的な人生を歩んでいる同級生の突然の来訪に、一瞬動揺した。
「コールラウシュ伯爵夫人は、ご家族をテロで亡くされ、親しいご親族の多くが処刑されたり、流刑に処された中、ご一族の為に、ロイエンタール元帥とのご結婚を決意なされた方です。リッテンハイム家とも親しかった子爵夫人とご子息も、伯爵夫人のおかげで流刑地から戻られたそうです。華やかに見えても、きっと私どもには計り知れない思いがおありでしょう」
 カルツ夫人の言葉に促されるように、ヘレーネは、伯爵夫人の来訪を受け入れる意思を伝えた。
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