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イノセント・プリンセス(4)
「話が違うじゃないか!」
 地下室の薄暗い部屋で、青年は、スキンヘッドの中年男に食ってかかった。
「多少の犠牲はやむなしと、合意の上のはずでしたが?」
 狡猾な黒狐は、薄笑いを浮かべ、まるで動じない。
「確かに、それは承知した。だが、あんな大事になるとは予測していなかった。軍人や官吏だけでなく、一般市民にまで多くの犠牲者が出たんだぞ。警察も憲兵隊も、威信をかけて躍起になって犯人捜しを始めている。オーディンから、憲兵総監の率いる本体まで呼び寄せられるという噂もあるんだぞ。そうなれば、私だけでなく、今度こそあなたもお終いだからな!」
 青年の脅しをかけたつもりの言葉にも、目の前の中年男、アドリアン・ルビンスキーは、余裕の表情だった。
「私は、元よりお尋ね者です。今更罪状が一つや二つ加わったところで、どうということはありません。それより、あなたの方こそ、お困りなのではありませんか?」
「当たり前だ!」
 青年の叫びは悲鳴に近かった。
 しかし、ルビンスキーの表情に焦りは全くない。その事が、今の彼にとって唯一の救いでもあった。
「まあ、ご安心なさい。殺したい相手だけをピンポイントで殺したりすれば、すぐにあなたは容疑者の一人です。ゼッフル粒子で建物ごときれいに吹っ飛んだおかげで、証拠らしい証拠はいっさい残っていません。既に我々が次の手を打っています。間違ってもあなたが犯人の一味として逮捕されるようなことはありませんよ。対策は万全です」
「その万全の対策とやらが信用できないから言ってるんだ。現にフェルナーとシュトライトは、重体とはいえ生きているんだぞ」
「そちらも、ご心配なく。本来なら確実に仕留めていたところなんですがね。修羅場を潜り抜けてきた人間の独特の勘とでも言うのですかな。僅かな差で命拾いしたらしい。なあに、意識不明で瀕死状態であることに変わりない。間もなく我々の手の者が始末をつけるでしょう」
「本当だろうな?」
 青年は半信半疑で訊ねた。
 病院に収容された高官の病室の警護は万全のはずである。
「蛇の道は蛇ですよ。我々には、百年に渡りこのフェザーンで培った人脈というものがあります。ついこの前、突然舞い降りた支配者など到底及ばない程のね」
 そう言って、不気味に目を光らせるかつての自治領主の言葉に、青年はその日はこれ以上ここに留まるわけにもいかず、地上に繋がる暗い階段を登るしかなかった。



 10月25日には、爆破騒ぎの余波も漸く収まり、重体だったバッケスホーフも意識を取り戻して快方に向かっているとの情報が入ると、ヒルダ率いる対策室は、通常業務に戻った。
 但し、この日、一般のネットワーク回線を通じて、奇妙な噂が流布され始めた。
 その内容は、先日の爆破テロが、帝国政府による自作自演であるというのである。
 その証拠に、爆破された場所が、いかにも中途半端で、皇帝をはじめ、主な高官に死者は一人も出ていない。
 軍や警察の出動も、まるでこの災禍を予期していたかのように迅速で、爆破の規模に比して被害が少なく、帝国側よりもフェザーンの民間人の犠牲者が多かったというのがその理由である。
 フェザーン市民と帝国との間に、共通の敵が存在するかのように見せかけ、帝国軍が、旧習を捨てて迅速に救助活動を開始し、いかに多くのフェザーン市民の命を救う為に労を惜しまなかったかを宣伝して、フェザーンの民心を掌握する。これがこの自作自演爆破テロの真の目的だと、一定の説得力のある論調を複数の匿名の人物達が展開したのである。
 これには、流石に現場に居合わせたヒルダも他のメンバーも怒りを禁じえなかった。
 被害が最小限に抑えられたのは、たまたま現場近くで巻き込まれたリンザーの対応が的確だったことに負うところが大きく、彼の自邸の私的なパーティーに、たまたま元帥や上級大将が複数出席することになったので、予め警備の兵を配置していたことが幸いしたに過ぎない。
 もし、それがなければ、被害は数倍に達していたであろうし、自分自身も命を落としていた可能性が大いにあると、誰もが感じる状況だった。
 ローエングラム政権になってから、不敬罪を除く言論の自由が認められたことにより、国民は、個人間の通信の自由が保障されることとなった。
 フェザーンは、元々帝国内よりもインフラが発達しており、情報規制も緩かったことが、今回は仇となった。
 更に帝国政府を困惑させたのは、この風評では、不敬罪を適用できない点にあった。
 自作自演説を唱える者達の仮説は、細部では異なるものの共通しているのは、「皇帝の潔癖な性格からして、このような姑息な手段はとらないだろう」「これは、皇帝の預かり知らぬところで、一部の人間が陰謀を巡らせたのだ」というもので、皇帝自身に対しての誹謗ではない。
 ただし、もしこれが事実とすれば、自分の許可なく、新政府高官の誰かがこのような人民を犠牲にする過激な手段に出たということになり、ラインハルトの部下への統制力に対するプライドを著しく傷つけるものではあった。
 そして、彼らが暗に示唆した「陰謀の首謀者」は、名指しこそされなかったものの、軍務尚書オーベルシュタイン元帥を指していることも明白だった。
 加えて、軍首脳の中にも、この噂に対して、「案外、奴ならやりかねん。ヴェスターラントの件もあるしな」と毒づく者さえいた。
 現に、オーベルシュタインとラインハルトは、今月半ばに人払いをした執務室で何事か激しい意見の対立があったらしく、13日に行われたフェザーンでの初の国家式典への同行を禁じられた。それ以来、元々個人的に良好とは言えなかった2人の仲が険悪になったと見る者もいる。
 更に、オーベルシュタイン自身が、これらの噂や風評に対して、全く動揺した素振りを見せず、何らの釈明もせずに、以前と全く変わらぬ態度で淡々と平常業務をこなす姿が、かえって、不気味に映った。
 無論、これら一連の噂は、全て彼に対する偏見によるものであったが、オーベルシュタインは、その生涯を通じて、自身に対する弁明を一切行わず、一部情報の独占などから、周囲に疑心暗鬼を呼び、調和を乱す結果になったとの後世の評価も否定できない。
 内国安全保障局長ラングは、すぐさまこの情報の発信源を突き止め、風評を流した人間達の逮捕を主張したが、ラインハルトは、開明派君主の矜持にかけてそれを許可しなかった。
 一旦解禁した言論の自由を、都合が悪くなったからといって即座に撤回し、再び規制することは、開明政権を謳うローエングラム王朝にとって著しいマイナスイメージであり、ラインハルトの美学にも反した。そんなことをすれば、帝国は、密告制度の恐怖政治と化し、自分は第二のルドルフとなってしまう。
 しかし、いつまでも放置はできず、政府の公式発表として、先日の爆破事件には、帝国政府はいっさい関与しておらず、現在、軍と警察が連携して犯人及び犯行組織の特定に全力をあげているとの会見を、ソリヴィジョンニュースを通じて工部尚書が行った。
 また、ローエングラム王朝は、必要な情報は、全て国民に公開する主義であり、巷に流れる根拠のない噂をみだりに信用せず、政府の正式な発表があるまで、特定の個人や団体に対する憶測を慎むよう、皇帝自らの言葉として重ねて通告された。
「問題は、このデマが、市民の中から自然発生的に生まれたものであるのか、或いは、何者かが、せっかく帝国の支配を受け入れつつあるフェザーン市民の間に、社会不安を煽り、陛下の支配権を揺るがす目的で意図的に流したものなのかという点です」
 事件の4日後、大本営の皇帝執務室で意見を求められたヒルダは、皇帝を前にして率直に述べた。
「では、フロイラインは、発信源を突き止めよと申すのか?」
 黄金の覇者は、秀麗な眉根を少し上げて、首席秘書官に問う。
 彼にしてみれば、前王朝の圧政を幇助した情報統制のような真似は、できればしたくなかった。事実でない噂など、そのうち消える。
 だが、彼の美貌の主席秘書官は、主君の意図を理解しつつも怯まず言葉を続けた。
「はい。ただし、内国安全保障局ではなく、先ごろ設置された警察内のサイバーテロ対策室にお命じになり、発信者を特定し、逮捕はせず、暫くは監視するに留めるべきと考えます」
「なるほど。単に他人の意見に扇動された者達まで処罰には及ばないということか」
 ラインハルトの明晰な頭脳は、即座にヒルダの言わんとすることを理解した。
「左様でございます」
 ヒルダは、深く頷いて、主君の蒼氷色の瞳を見詰めて言葉を続けた。
「恐らく、噂を発信している者の大部分は、普通の市民と思われます。問題は、最初に彼等を煽ったのが誰かと言うことです。私の考えが正しければ、数名の特定不能の人物に行き着くはずです」
「なるほど。フロイラインは、ルビンスキーの残党か、同盟あたりの過激な反帝国勢力が黒幕だと言いたいのだな?」
「御意にございます」
 しかし、皇帝執務室を退室したヒルダは、逡巡した末、ラインハルトの前では述べなかった疑念に思いを巡らせていた。
 最後に爆発が起きた高級デパートの爆源は、建物から2km程離れた街頭カメラの映像から、上階のサービスアパートメント部分であることが判っていた。そして、その建物の犠牲者の中に、行方不明のブラウンシュバイク公の令嬢がいた。彼女が、どのようなルートでフェザーンにやってきたのかは、今のところ不明だが、ヒルダは、ある種の勘で、密かにオーディンにいるケスラーと連絡をとり、秘密裏に憲兵隊の特別調査室に調べるよう依頼していた。
 また、二番目に爆破された三ッ星ホテルは、シュトライトとその配下の単身者の多くの軍人達の宿舎として全室借り上げられており、ホテルの従業員を除けば、死傷者全員がシュトライトの直属の部下達だった。
 彼等の殆どは、元々はシュトライトと共に、ブラウンシュバイク公に仕えていた者達であり、シュトライトが、ラインハルトに登用された時に、軍籍を離れた者以外ほぼ全員がそのまま彼の下に配属された。
 シュトライトの配下だけではなく、中には、アンスバッハの元部下も多くいた。
 彼等は元々公爵家に代々仕えていた上官とは違い、信念があってブラウンシュバイク公側についていたわけではない。自分の意思とは関係なしにリッテンハイム陣営に居たリンザー同様、殆どが立場上従っていただけに過ぎない平民出身者だった。それ故、ラインハルトも彼等に対して寛大にローエングラム陣営に組み入れたのだ。
 そして、最初に爆破が起こった中級ホテルは、フェルナーを始めとする軍務省調査局所属の士官クラスの単身者の宿舎として約半数の部屋が借り上げられていた。当然、死傷者の中にはフェルナーの部下が多く、彼等の中にも、元はフェルナーと共に、ブラウンシュバイク公の下にいた者が多かった。
 対策室のクリューガー中佐もここに住んでおり、バーベキューパーティーに参加してた為に難を逃れている。
 また、重傷者リストの中には、かつてリップシュタット戦役時に、フェルナーの命令でガイエスブルク要塞に潜入し、門閥貴族連合軍に揺さぶりをかける使命を担ったヤーコプ・ハウプトマン大佐の名前もあった。
 こうして見ると、この事件の帝国側の犠牲者は、ブラウンシュバイク公に繋がる人々が、多数を占めていることがわかる。
 これは単なる偶然なのだろうか?
 今の時点で明言することは、捜査に支障をきたすと判断したヒルダは、頭の片隅に湧き起った疑念を、まだ誰にも話す気にはなれなかった。
 いずれにしろ、この事件の捜査は、自分の仕事ではない。
 今の彼女は、皇帝主席秘書官と対策室長との兼務で、身体がいくつあっても足りない程の忙しさだ。
 爆破事件の真相は、そのうち科学捜査の進んだフェザーンの警察や憲兵隊が解明してくれるだろう。
 ヒルダは、そう思うことにして、現在抱えているTIEG−36型感染拡大防止対策問題へと頭を切り替えた。



 対策室に戻ったヒルダは、怪我をしながら出勤しているベアトリス・フォン・アデナウアー准尉の顔色が、明らかに悪いのが目に入った。
 周囲の同僚達が心配そうに見守る中、当人は、青白い顔で額に薄っすらと汗を浮かべながら、それでも黙々と目の前の端末を叩いて、担当業務を処理している。
 ヒルダが声をかけようとすると、脇からアレクサンドラ・シェスタ―准尉が寄って来て、午前中、貧血で倒れたが、10分ほど横になると、すぐに業務に復帰したのだと耳打ちした。
 上司に当たるクリューガー中佐や、同僚達も、宿舎か病院に戻るよう勧めたが、本人が大丈夫だと聞き入れないのだそうだ。
「ベアトリス、無理をしないで。今のところ、この感染防止対策の進捗状況は順調ですし、あなたの担当分は、私達で手分けしてやるわ。傷が悪化して、長期の入院を余儀なくされでもしたら、元も子もないでしょう? 今日と明日は、大事をとって軍病院に戻って下さい」
 1歳違いの新人士官に対して、准将待遇のヒルダは、丁重に促したが、ベアトリスはそれでも頑なに固辞した。
「フロイライン…いえ、ヒルダの言う通りよ。あなたの担当地域は、数日くらいなら私達で手分けしてやればどうと言うことはないわ。ここであなたが倒れて何週間も休んだりしたら、それこそ総務部に何を言われるかわからないわよ」
 親友ヘレーネの言葉に、ベアトリスの目にも流石に逡巡の色が見えた。
 ベアトリス・フォン・アデナウアー准尉は、帝国軍の事務方の一部の間で『守銭奴の男爵令嬢』として有名だった。
 彼女は、任官当初から不自然なほど大勢の扶養家族がいることになっており、その扶養手当の申請と、事ある毎に高額医療費の領収書を提出し、所得税をはじめとする税金を殆ど支払っていない。
 当然、この件に関して、事務方は苦々しく感じていることを隠そうともしない。まして、彼女は軍務省の人事教育局に属する人間である。
 上は元帥から下は二等兵までの全帝国軍人の給与の算出と支払いを司る総務局の中には、このベアトリスの行為を合法ではあるが、巧妙な税金逃れと感じる人間も少なくない。そんな中で、今度は本人が負傷により有給のまま欠勤したりすれば、何を言われるかわからないだけでなく、昇進にも響くことになる。ベアトリスが無理を押して出勤した理由はそこにあった。
 公正な裁判と同時に、『公正な税制』を掲げたローエングラム政権は、生き残った貴族の私有財産に対しても、その規模や物件に応じて等しく固定資産税や不動産取得税をかけ、経営する事業や各種団体の名誉職等で得られる収入からも、所得税を徴収するようになった。その為、男爵家の邸を維持する為の莫大な資金に、元々それほど裕福な貴族ではないアデナウアー家は苦労していた。
 この税制改革そのものは正しいとベアトリスも思っている。だからこそ、父と同じく新帝国に仕える軍人となり、新たな社会システムに従っているのだ。
 だが、ごく少数派ではあるが、その改革が逆に仇となり、恩恵から零れ落ちてしまった人々も、確実に存在している。ベアトリスのアデナウアー家は、まさにその典型と言えた。
 ヒルダが、そっと近づき、ベアトリスの血の気の引いた冷たい手に自分の手を重ねて、静かに耳打ちした。
「あなたが、一部の人達が陰で噂しているような人でないことは、私もここにいる皆も解っています。私もこれでも、旧王朝の貴族の端くれですから、お家のご事情には察しがついてます。大丈夫、私が責任を持って、以後決して、総務部には何も言わせません。だから、今日はこのまま病院へ行って下さい。これは、上司としての命令です」
 ヒルダの毅然とした言葉を聴いたベアトリスは、少し安堵したような笑みを浮かべながら、その場で意識を失った。
 そんな中、対策室に思わぬ訃報が飛び込んで来た。
 意識を取り戻し、回復に向かっているはずのバッケスホーフ事務官が、容体が急変して亡くなったというのである。
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