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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(43)
 首都星オーディンの帝都西方へランドカーで数時間、周囲半径3キロ以内に警備棟以外の他の建物が存在しない隔絶した豊かな自然に囲まれた山岳地帯に、新銀河帝国皇帝の姉君であるグリューネワルト大公妃アンネローゼの住まうフロイデンの山荘はあった。
 彼女の望む質素で静かな生活を脅かさないよう、警備の人員は極力少なくし、大公妃自身にも近侍の者達にもできる限り警護の兵士達の姿が見えないよう配慮がなされていたが、それでも山荘に続く唯一の径入口での出入りの人物に対するチェックは厳重なはずだった。 
 その女性が現れたのは、残暑の厳しい8月25日の午後のことだったという。
 日用品や食材を定期的に運び込んでいる業者以外での訪問者は、極めて珍しい。
 年若いとは言い難いが、かと言って中年と言うには些か憚られる年齢の美しい女性は、担当の警備員に対して、自らを「アンネリーゼ・フォン・ミューゼル」と名乗ったという。
 身分証を提示しないその女性を、身体検査はおろか所持品の検査もせずに通した理由を、彼女が名乗ったその名が誰もが知る皇帝姉弟の旧姓であったことと、碧玉色の瞳に黄金色の髪、何よりも山荘の女主人とよく似た面差しをしてたことにあると、後にその担当者は証言している。
 それでも警備の責任者は、念のため直通回線で山荘に連絡を入れると、大公妃自らが即座に、
「失礼のないようお通しして下さい」
 と言ったという。
「お待ち申し上げておりました。そろそろいらっしゃる頃と思っておりましたわ」
 自ら玄関まで出向いてそう言った大公妃が、静かな憂いを湛えた瞳に、うっすらと涙を浮かべていたのを近侍の一人の女が見ていた。
 無言で抱擁した二人は、端から見ると、まるで親子か姉妹のようによく似ていたという。
「お久しぶりでございます」
 アンネローゼは、とうとう堪えきれずに、はらはらと涙を流しはじめた。
「相変わらずなのね。泣き虫ローゼ」
 そう言うと、アンネリーゼと名乗った夫人は、大公妃の顔を両手で包み込むと、頬の涙を指で丁寧に拭ってやっていた。
「ええ…ええ…私は今でも泣き虫で、弱虫で、誰よりも脆くて…」
 そんな台詞を口にする大公妃殿下の言葉に、いつも間近で仕えている者達は、少なからぬ驚きを感じていた。
 彼らの知る限り、皇帝陛下の姉君であるこの方は、一見嫋やかだが、芯の強い女性で、悲しいことや辛いことにも決して感情を露にすることはなく、ただじっと耐え忍んでいるイメージがあった。
「やっとここに来ることができました…」
「ええ…私も、やっと、お会いする覚悟ができました…」
 二人は、応接室に向かい合うと、懐かしい昔話を静かに語り合い、再会を喜び合っていた。
 誰が聞かずとも、もうこの夫人が、大公妃の、しいては皇帝陛下の親族であることは疑いない。
 この時は、誰もがそう考えたのは、責められなかった。
 彼女の正体をこの時点で見破ることは、警護の兵士達と近侍の者達の誰一人として不可能だっただろう。
「ここにいらした目的は、解っているつもりです」
 ティーセットを運んで部屋を退出しようとするコンラート・フォン・モーデル少年の耳に、アンネローゼの覚悟を秘めたような声が聴こえた。
 瞬間的に強い不安感を覚えたコンラートは、思わず二人の貴婦人を振り返ってしまった。
 だが、アンネローゼも来客の夫人も、静かに向かい合ったままだった。
「この時をずっと待っていました」
 敬愛する大公妃殿下が、自分によく似た夫人に向かって、静かに言葉を継いだ。
「だた、一つだけお願いがあるのです」
「何でしょう?」
「半年、いえ、ほんの2、3ヶ月で結構ですから、私とここで暮らして頂けませんか? そうしたら、心残りなくお供をさせて頂きます」
 コンラート少年には、この言葉の真意を察することはできなかったが、とりあえず、大公妃が、この肉親と思われる夫人に暫くの滞在を請うていることだけは理解できた。
「ええ、わかりましたわ。急ぐことでもなし、2、3ヶ月の間でしたら、久しぶりに昔に戻って、一緒にお菓子を作ったり、刺繍をしたりしてみるのもいいかもしれないわね」
 夫人が柔らかく微笑して、アンネローゼの希望を受け入れる意思を示すと、大公妃はいつになく嬉しそうに忠実な近侍の少年に笑顔を向けた。
「コンラート、お部屋の準備をするように言って下さい。叔母様のお部屋は、私の隣でいいわ」
「かしこまりました」
 コンラートは、急いで部屋を出ると、女性の召使いや他の下働きを動員して、急いで空き部屋になっている部屋を掃除し、家具やリネン類を運び入れて、滞在できるよう整えた。
 それでも殺風景な部屋に、他の客間にあった絵画を飾り、最後にチェストの上に、アンネローゼ自らが庭で摘んだ花を花瓶に飾ると、居心地の良さそうな女性らしい部屋が出来上がった。
 その日以降、アンネローゼとアンネリーゼは、約束通り、2人で近くに山菜採りに行っては自ら夕食の食材を手に入れてきたり、毎日のようにお菓子作りに励んで使用人達や時には警備兵にまで振る舞った。
 2人で深夜まで相談して図案を考えた刺繍をした布でクッションカバーやテーブルクロスを作っては、出来上がる度に歓声を上げて喜んだ。
 アンネローゼは、時にまるで少女というよりも幼女のように叔母だという女性に母親に甘えるように甘えていた。
 その姿は、今まで見てきた皇帝の姉としての達観した態度とは別人のようだったと、後に近侍の者たちは事情聴取で異口同音に答えている。
 もしかしたらそれは、早くに母と死別し、15歳で後宮に納まるという少女時代が極端に短かったアンネローゼの、ずっと胸に秘めていた願望だったのかもしれない。
 こうして、自然とフロイデンの山荘の住人に溶け込んだアンネリーゼと共に、その後、皇帝が大本営をフェザーンに移転すべくオーディンを離れた後も、暫くの間、2人の平穏な生活は続いていた。

 全宇宙に衝撃を与え、後世に『20万隻の大撤退』と呼ばれる事件の予兆は、こうして静かに幕を開けていた。


 10月30日、ヒルダ達が、爆破事件解決の為の最後の仕上げに奔走しているこの日、エルフリーデは、予定していた翌31日の検診を病院側の都合で急遽1日前倒しで受けることとなった。
 フェザーンの医療技術により、染色体検査で胎児の性別が判明する時期になっているからである。
「おめでとうございます。男のお子様です」
 立ち会った病院長自らがそう告げると、主治医や副主治医、看護師等スタッフ全員が祝った。
「お子様は、発育も順調でお健やかです。元帥閣下もさぞお喜びのことでしょう」
 主治医も満面の笑みで型にはまった祝福の言葉を言う。
「旦那様には、すぐにお知らせいたしますか?」
 付き添っていたシュヴァイツァー夫人が、耳元で微笑する。
「いえ、わざわざ連絡するほどのことでもないでしょう。帰ったら私から言います」
 当人のエルフリーデが一番平静だった。
 男児と聞いて、喜んでいいのか、残念なのか、自分でもよく判らないというのが本当のところだった。
 帝国の旧社会の慣習に従えば、夫に家の跡継ぎとなるべき男子を授けたのだから、妻としての役割を果たしたことになるし、子供が無事生まれて育てば、正妻としての地位の安定にも繋がる。しかし、旧体制の価値観を否定する現体制下では、どうなのか?
 ゴールデンバウム王朝は、圧倒的な男性優位社会だったが、なぜか建国当初から女性の爵位継承が認められており、女帝の即位さえも禁じてはいなかった。これは、始祖ルドルフ大帝に嫡出の男児がいなかったことが遠因だと思われる。
 それでも、下は平民から上は皇室まで、家を継ぐのは前当主の長男であるというのが全国民的な常識であり、女当主は男子のいない場合の特例という考えが帝国民のほぼ全てに染み着いた固定観念だった。
 故に、結婚して早々に男児に恵まれるのは、それだけ目出度いことだとされていた。
 ローエングラム王朝に代わり、皇帝以外で父親の地位や権力を世襲することを、急速に法規制する方向に向かっているが、相続税を支払った後の財産と、生き残った貴族の爵位の相続は認められる。
 女性の高等教育の推進や社会進出を後押しする為の立法案も次々と可決され、近い将来には、帝国女性もフェザーンや同盟のように、男性と同等の権利を有することになるだろう。
 そのような社会変動の中でも、やはり帝国の支配層にとって、男子の誕生は目出度いということになるのだろうか。
 エルフリーデのお腹の子は、母親の伯爵号と父親の莫大な財産を受け継ぐことが約束されている。
 乳児死亡率が高かったこれまでの帝国と違い、フェザーンの先進医療を受けて出産するこの子は、まず順調に育つと見て間違いないだろう。
 しかし、男の子だから目出度いと言わんばかりの周囲の大人達に対して、エルフリーデは口に出せない反発を覚えていた。
 では、女の子だったら目出度くないのか? と思わず反論したくなってしまう。
 実際、処刑や暗殺で命を落とした男達に代わって、コールラウシュ伯爵号を継ぎ、代々帝国の官界の一大派閥を担ってきたリヒテンラーデ一族の命脈を新王朝の中で辛うじて保っているのは、他ならぬ自分だという自負がある。
 そう言えば、以前にも同じようなことがあった。
 一言で言えば、それは大人の世界の「本音と建て前」と「ずるさ」を実感する出来事だった。
 旧王朝の末期、政務に意欲のない皇帝に代わり、国務尚書として実質帝国を治めていた大叔父リヒテンラーデ候は、ルードヴィヒ皇太子が存命の頃は、常々一族の娘達の前でこう言っていた。
「よいか、銀河帝国第38代皇帝は、お前達の中の誰かが産むのだ。これ以上無能な女婿達に国政を壟断させてはならぬ。まして、卑しき血筋の者に皇位を継がせては決してならぬのだ。我がリヒテンラーデ一族の高貴にして優良な血統こそが、全人類の支配者たるゴールデンバウム王朝の皇統と交わるに最も相応しいのだ。お前達も常にそのことを心得よ」
 まだ幼かったエルフリーデには、それが自分に対しても向けられている言葉であるという意識はなかった。
 エーリッヒを慕っていた彼女にとって、ずっと年上の大人である皇太子は、遠い存在だったが、権門の貴族令嬢らしく、未来の皇后様には、一族の女性の誰かがなれば誇らしいという漠然とした思いはあった。
 後になって知ったことだが、皇太子には、ずっと身分の低いご執心の女性がいて、その所為で周囲の権門が揃って結婚を勧めても、なかなか首を縦に振らなかったらしい。
 父親のフリードリッヒ4世は、元々息子の嫁選びなどに無関心で、母の皇后が亡くなってからは、強く言える人間もいなくなった為、皇太子妃の座はずっと空席のまま、当時の有力門閥貴族達の駆け引き材料になっていた。
 本来なら自分の実の娘を皇太子妃とするのが、外戚として権力を掌握する最も有効な手段だが、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム候も、今上皇帝の女婿故に、その娘は皇太子にとって姪に当たり、未来の皇帝の外祖父たる資格がなかった。
 直系子孫に適当な娘がいないのは、リヒテンラーデも同じで、孫のマリア・アンナは、彼から見て皇太子の気を引けるような容姿ではなく、年齢も離れ過ぎていた。
 だが、できるだけ血縁の近い一門の娘から皇太子妃を出したいという思いは、大貴族達の共通した悲願であり、下級貴族出身の皇太子付女官が、エルウィン・ヨーゼフを出産した後も変ることはなかった。
 旧体制下では、身分ある男が結婚前に庶子をもうけていることはよくある話で、エルウィン・ヨーゼフも本来なら皇帝の庶長子として、将来は何某かの爵位を授与されて臣籍に下るはずの子供であった。
 皇太子自身は、エルウィン・ヨーゼフの生母を本家筋の男爵家を仮親に立てて、正式な妃とする意向を示していたが、これには当時の閣僚がこぞって反対した為叶わなかった。
「あのような下賤な母から生まれた者が、皇位を継ぐことはない」
 大叔父も、父も母も、周囲の大人達は皆そう言っていたのをエルフリーデは今でも鮮明に覚えている。
 この意向は、ブラウンシュバイク公やリッテンハイム候の一門の中でも同じだったらしいが、特にフリードリヒ4世と直接の縁戚関係のないリヒテンラーデ侯の主張は強弁だったという。
 ところが、肝心の皇太子ルードヴィヒが早世し、エルウィン・ヨーゼフの生母も後を追うように亡くなると、リヒテンラーデは態度を豹変させる。
 皇太子妃冊立反対の急先鋒であったはずの彼は、亡くなったエルウィン・ヨーゼフの生母に皇太子妃号を追贈して、その遺児であるエルウィン・ヨーゼフに皇位継承の可能性を残す布石を打ったのだ。
 そして、フリードリッヒ4世が亡くなると、ブラウンシュバイク公やリッテンハイム候のような神輿を持たないリヒテンラーデは、あれほど母親の出自を理由に皇位の継承を否定し続けていたエルウィン・ヨーゼフを皇帝に祭り上げ、当時のローエングラム候ラインハルトと手を結び、やがてリップシュタット戦役へと向かったのである。
 当然、フリードリッヒ4世の嫡出の皇女達とその夫は黙ってはいられない。
 これが、皇位継承争いとしてのリップシュタット戦役の側面だった。
 帝国臣民、特に門閥貴族の子女は、ルドルフ大帝以来の血統こそが、人間の価値基準を決めると教えられて育つ。
 伯爵家に生まれたエルフリーデも、そうして育てられた貴族の姫君の一人だった。
 ところが、一族の長であり尊敬していた大叔父が、主張を一転させ、卑しい血筋と蔑んだ少年を皇帝陛下と崇めたのだ。
 この豹変ぶりは、エルフリーデの中に、大人達への少なからぬ不信感を生んだ。
 しかし、だからと言って、これまでずっと刷り込まれてきた価値観を、全否定して真実を見極められるほど、この当時の彼女は大人ではなかった。
 だが、あれから目まぐるしく世の中が変わり、旧社会の価値観の殆どが否定された今となっては彼女にも解る。
 大叔父は、別に本心から血統の優位など信じていたわけではなかったのだ。ただ、自分たちが政治の実権を握る方便として、血筋や家柄に根拠を求めたに過ぎない。考えてみれば、大叔父だけでなく、その側近の一族も、本当に血筋による人間の優劣など信じていなかったのではないか。逆に最後まで純粋に信じていたのが、ブラウンシュバイク公やリッテンハイム候と彼等に従った現王朝では愚か者の代名詞のように言われている一部の貴族達だけだったのではないかと、エルフリーデは、最近になってそう考えられるようになってきた。
 エルフリーデがそんな物思いに耽っていると、主治医からフェザーン人で最近広く普及している自宅用の簡易健康チェック機器を渡され、シュヴァイツァー夫人と一緒に操作説明を聞いて受け取った。
 操作と言っても、ごく簡単なものである。少し太めのペン型の機器のセンサー部分を被験者の肌の一部に10秒ほど充てると、血圧、脈拍、体温、血中酸素濃度、血糖値、血中タンパクなどのデータが検出され、携帯端末に接続すると、画面にデータが映し出されて保存することができる。また、こめかみ部分や額に当て、脳内測定モードに切り替えると、脳波や、脳内で分泌される脳内物質や血流の測定も可能とのことだ。
 それを今後出産まで毎日朝晩2回行い、データにとって検診時に提示することになる。


 邸に戻ると、シュヴァイツァー夫人が先に執事に連絡していたらしく、使用人達は全員喜色満面で女主人を出迎えた。
「ああ、皆さん、くれぐれも旦那様にはご連絡無用ですよ。お帰りになられたら、奥様のお口から直接お伝えするのですからね」
 シュヴァイツァー夫人が、少し得意げに他の使用人達に注意を促すと、皆それぞれ心得た態度で頷いた。
 エルフリーデにしてみれば、多少心外だった。彼女は格別、「嬉しいニュースを直接伝えたい」などという乙女心からロイエンタールへの連絡を制止したわけではない。
 自分以上に子供の性別などに関心のなさそうな男に、仕事中にくだらん連絡をするなと言われて不愉快な思いをするのが嫌だったからだ。
 互いに愛し合っているのを自覚しても尚この有様な自分達に、エルフリーデ自身、自分の頑固さと意地っ張りが時に厭になることがある。
 部屋で着替えを済ませ、悪阻を抑える香りを吸いこんで、いつものように受験勉強に没頭し始めると、瞬く間に時間は過ぎていき、気づけばすっかり窓の外は星空だった。
 この部屋の最新の照明装置は、部屋の明暗を感知して、それに合わせて明るさを自動調整していくので、陽が落ちるのに合わせて徐々に明るさを増していった部屋に、エルフリーデも時間が経つのを忘れていた。
 ロイエンタールは、午後8時少し前に帰宅した。彼にしては随分と早い帰りである。
 エルフリーデは、公用車の車列が車寄せに付けられるのを窓から見ると、逸る心を抑えながら、足早に階下に降りていった。
「おかえりなさ…」
 と言いかけた幼妻に浴びせられたのは、しかし、夫の叱責とも聴こえる言葉だった。
「走るな!」
 エルフリーデは、少しムッとして歩みを止め、今度はわざとゆっくりと足を進め、しずしずと夫の前に立った。
「お帰りなさいませ。旦那様」
 貞淑な言葉に似あわないキツイ眼差しの青の瞳が、ロイエンタールを見上げる。
 彼は、いつものように少し唇の端を上げた笑みを漏らしながら目を伏せ、幼妻を軽く抱き寄せた。
「転んだりしたらどうする? 普通の身体ではないのだぞ」
「…ごめんなさい…」
 エルフリーデは、自分でも驚くほど素直に詫びると、2人はそのまま自分達の部屋へと入っていった。
「お前の息子よ」
 エルフリーデは、部屋に入るなり端末にダウンロードしていた胎児の最新映像を投影させながら言った。
「うむ」
 ロイエンタールは、まだ数センチの胎児の部分に目を遣りながら、どう反応していいものか一瞬途方に暮れた。
 本来なら、ここで喜びを露わにし、家の跡継ぎたる男児を産んでくれる妻を労い褒めてやるのが帝国人の夫たる者がとるべき態度だということくらいは、彼も知っている。
 だが、彼にとって父と息子の関係とは、自分と自分を忌み罵り続けたあの父親との関係に他ならない。かと言って、もし女児だと言われたら、それはそれで余計に返答に困るだろう。
「どんな子なのかしら?」
 エルフリーデが、話題転換のつもりで、まだ辛うじて人間の形をしているだけの物体を見て言った。
「ん? それは俺達の子なんだから、俺とお前を足して2で割ったような子だろう」
 何の感情もない言い方に、エルフリーデは失望した。
 やはりこの男には、私の産む子などに興味はないのだろう。
「身も蓋もない言い方ね。もういいわ」
 そういって、ぷいと身を翻し、端末を閉じようとしたエルフリーデだったが、ふと先日、最近毎日閲覧するようになった妊婦専用のコミュニティサイトからダウンロードしたシュミレーションソフトを思い出して起動してみた。
 父親と母親の映像と身体データを入力し、まだ生まれない胎児の出産後の姿を何通りかシュミレーションするというものだ。
 今まで性別が判らなかったので、あまり気にしなかったが、今日、男児と判って、急に興味が湧いてきた。
 エルフリーデは、すっかり操作の慣れた手つきで入力を完了すると、生後6ヶ月の我が子の予想映像を3通り映し出した。
「わぁ、かわいいっ!」
 その声に思わず反応したロイエンタールも、端末画面に写し出された3通りの乳児の合成写真に視線を向けた。
 画面には、右側に「父親似タイプの子」、左側には「母親似タイプの子」、そして真ん中には、2人の特徴をほぼ当分に配置された子の画像が映っていた。
 ヘテロクロミア(虹彩異色症)が遺伝しないという医学的常識に基づいて作成されているのか、どの子も多少の色の違いはあるものの、全員両目とも青い。
 髪の色は、父親似タイプの子は、ロイエンタールより僅かに明るいダークブラウン系で、母親似タイプは金髪、真ん中の子は、先ほどのロイエンタールの言葉通り、足して2で割ったような褐色である。
 当然ながら、3人とも非常に貴族的で整った顔立ちが共通している。皮肉なことに、ロイエンタールが最も嫌悪した門閥貴族の子供の典型のような顔をしているのだ。
 それでもエルフリーデは、間もなく対面する我が子かもしれない映像に、端末を抱きしめんばかりに感激している。
 ロイエンタールは、流石に30男の冷静さで、エルフリーデの端末をそっと手に取ると、画面の端に申し訳程度に但し書きされている「この映像は、あくまでもデータから数値的に算出したシュミレーションであり、実際に生まれるお子様の容姿を保証するものではありません。生命誕生の神秘は、時に予想外の結果を生み出すことがあります。実際に生まれたお子様がシュミレーションと違っていても当社としては一切の責任を負いません。あくまでも、話のタネ程度にお遊び感覚でお楽しみ下さい」という文言を見逃さなかった。
「まあ、単なる遊び程度に考えろということだ」
 熱の無い返事に再び気分が沈んだエルフリーデは、それでも夫に第一子である男児の名をつけるという慣習に従った責務を課した。
「お前の最初の息子なのよ。父親として、それくらいの責任は果たしなさい。今から候補を考えておきなさい」
 今度は、ロイエンタールの方が言葉に詰まる番だった。
 通常、名家の長男の名には、代々その家で受け継がれる名があったり、父親の名にミドルネームをつけたり、祖父や曾祖父、祖先に世に名を遺した人間がいる場合などは、その名を受け継ぐのが習わしだった。
 だが、父とのいい思い出のないロイエンタールにとって、父親の名を付けるなど論外だったし、自分自身の評価すら高くない彼にとって、自分と同じ名を付けるのも抵抗があった。
「生憎といい案が浮かばない。お前の親族の名前でもかまわんぞ」
 それを更なる投げやりな態度ととったエルフリーデは、ついに不満を爆発させた。
「お前は、やっぱり私が自分の息子を産むのが嬉しくないのね。…私達、確かに政略結婚だったけど…それでも、愛し合って、お互いを好きになったから子供を授かったって思ってたのに…でも、やっぱりお前にとって、私が産む子供なんて、どうでもいいのね…」
 成層圏の青の瞳に薄らと涙を浮かべて夫を睨む幼妻に、さすがのロイエンタールも自分の態度がまずかったことに気付いた。
「興奮するな。胎教に悪いぞ。別にどうでもいいわけではない。俺は父親とも母親とも関係が最悪だったからな。子供の名前と言われても咄嗟にいい案が思いつかんだけだ。俺の名は、母の実家が没落する前に権勢を誇った何代か前のマールバッハ伯爵の名前だそうだ。お前が名前にこだわるなら、俺にも考えがある。ミッターマイヤー夫妻を名付け親に立てよう。俺は今でも人の親になる資格がある男か疑問だが、名付け親がまともなら、子供もまともに育つだろう」
 エルフリーデの気持ちが少し落ち着いた。
 通常、帝国の権門の家の子は、両親以外では、一族の長か皇族が名付け親となる場合が多い。他の慣習として、父親同士が固い友情で結ばれている男同士が、互いの第一子の名付け親となって、生涯家族ぐるみで付き合いを続けるという場合も、特に軍人家庭の場合に多く見られていた。
 帝国軍の双璧の片割れを実父に、もう一人を名付け親にもつ子供とは、どれほど幸福な子であろうか。
 エルフリーデのご機嫌が直ったのがわかると、ロイエンタールは、早速自分もミッターマイヤーに話をしてみるので、お前も夫人にFTLで相談すればいいと言って、一緒に階下の食堂へ降りていった。
 普段静かな夕食の席でも、話題は性別が判明したばかりの子供のことでもちきりだった。
 ゴットルプ子爵夫妻も、素直に喜んでくれて、息子のマルティンは、男の子と聞いて更にうれしそうで「大きくなったら一緒に遊ぶんだ」と言ってはしゃいでいる。逆に下の女の子の方は、早くも「次は女の子を産んで下さいね」と伯爵夫人におねだりして、周囲を和ませた。
 エルフリーデは、子供に恵まれないフレデリーケに気遣い、あまり喜びを露わにしなかたが、フレデリーケ自身が涙ぐみながら、しっかりと手を握り締めてくれた。
「これで…これでエルフィーは、ロイエンタール元帥の本当の家族になるのね。ヴァルハラにいらっしゃるお父様もお母様も、さぞお喜びでしょう」
 そう言って、心から祝福してくれた。
『もうすぐです。もうすぐあなたも幸せになれます』
 エルフリーデは、密かに計画している件を今は彼女に告げられないのがもどかしかった。
 本棟の夕食時に合わせて、東西のゲストハウスに一時避難している軍人達にも、執事から主人に男児が授かった祝の酒として、ヴィンテージものの白ワインが貯蔵庫から放出された。
「未来の名将に乾杯!」
「元帥ご夫妻のご多幸を祝してプロージット!」
 仮住まい中の独身男達は、次々と威勢のいい声で祝杯を挙げた。
 特に、統帥本部に属し、ロイエンタールの直属であるベルゲングリューンやレッケンドルフは、常の彼等からは考えられないほどテンションが高かったらしい。
 夕食後、再び部屋に戻り、就寝の準備を終えたエルフリーデは、昼間、病院で渡された健康チェック機器を早速試してみることにした。
 まず、自分の名前や年齢、体重、身長などを入力して、右手でペン型の機器を持ちながら、センサー部分を左腕に当てようとした時、ロイエンタールが一足遅れてバスルームから出て来た。
「何をしている」
 エルフリーデは、バスローブを羽織ながらカウチの隣に腰かける夫に、小さな機器の説明を行った。
「フェザーン人の平均寿命は、戦死者を除いた帝国人より20年近く長いそうよ。それも、こういったものが民間にまで広く普及しているせいだと先生方が仰ってたわ」
「ふむ。俺も最近聞いた。遠からず軍にも導入され、各軍人に一つづつ支給される予算を組んでいるそうだ。兵士達の定期健康診断の費用が大幅に削減されることになる」
 と言って小さな機械を眺めながら、自然な仕草で幼妻の身体を軽く引き寄せると、風呂上りで薄いピンク色に染まった頬に軽く口付ける。
 エルフリーデは、心臓の高鳴りを抑えながら、平静を装いセンサーを左手首に当てた。
 10秒後、肌から離した機器を端末に接続すると、表示された数値を見たエルフリーデは、途端に表情を曇らせた。
「変だわ。他は全部正常値なのに、脈拍数だけが異常に高いわ。運動した後でもないのに、100を超えてるなんて…」
 心配そうな幼妻の隣で、ロイエンタールは鼻白んで聞いていた。
「変ねぇ…事前にテスト済なはずだから、壊れている機械を渡すはずないのだけれど…」
 エルフリーデは、そう言うと何か思いついたように機械を操作し、今度はセンサーをロイエンタールの額に当てた。
「何をする?」
「じっとしていなさい。すぐに済むわ」
 きっかり10秒後、検査機器が測定終了を告げるグリーンのランプを点灯させると、エルフリーデはすぐに機器を端末に接続して結果を表示させてみた。
 ロイエンタールの脳波も血流も正常で、腫瘍や脳動脈瘤の可能性を示す数値もない。しかし、分泌脳内物質の項目で、ドーパミンという成分が平均値を遥かに超えた高い数値を示していた。
「お前、すぐに病院へ行きましょう。お前ならこの時間でも診察も検査もしてくれるはずだわ」
 すっかりロイエンタールが何か重病を抱えていると勘違いしたエルフリーデは、すぐに執事や侍女に連絡しようと電子呼び鈴に手を伸ばそうとする。
 数値が示した意味を理解できているロイエンタールは、慌てて幼妻の腕を引き寄せて、それを制止した。
「俺はどこも悪くない。この数値は、俺にとっては正常値だ」
「何を言ってるの? 普通の2倍以上にもなっているのよ」
「2倍どころではない。これから明日の朝にかけて、5倍にも10倍にもなるが、俺は死んだりしないから安心しろ。今からそれを証明してやる」
 発情した獣のような双色の瞳で射抜かれると、エルフリーデはその場で身動きが出来なくなる。
 結局、そのまま寝台に抱き上げられて、いつものように過ごしたが、確かにロイエンタールは病気ではなさそうだった。
 エルフリーデが『ドーパミン』について知ったのは、出仕する夫を見送ってから、端末を外部ネットワークに接続して検索した後のことだった。


 新帝国歴1年11月1日、レンネンカンプの死が公表され、ごく一部の軍部の人間のみで密葬が執り行われた。
 皇帝の代理人たる高等弁務官に死に対して、帝国は同盟政府に対して何らかの軍事行動に出るものと思われていた。
 翌2日、帝国政府は、去る22日の爆弾テロ事件の全容と犯行グループを発表した。
 主犯格としては、地球教徒の残党と、逃亡した前自治領主アドリアン・ルビンスキーの一派とされたが、その手先となり、事前に爆薬を設置し、起爆スイッチを入れたのが、帝国人の高級官僚だったことも隠されることなく発表された。
 エルフリーデは、たった一度だけとはいえ、リンザー邸で顔を合わせていた人物の逮捕に、ショックを隠せなかった。
 これは、フェザーン人の間でも評価が分かれた。
 結局のところ、平和なフェザーンに帝国の宮廷闘争が持ち込まれたと解釈する者と、一方で自分達に不利な事実を包み隠さず公表した帝国政府の誠意を称えるべきと考える者もいる。
 どちらが正しいのか、エルフリーデにはまだわからない。
 大学で学び、もっと大人になればわかるようになるのか、今のところ答えは出ない。
 だが、時代は確実に動いている。それだけは、肌で実感できた。
 戦いの時代は、まだ完全に終焉を迎えてはいなかった。
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