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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(41)
 ロイエンタールには、朝、出仕する時、今夜は定時に帰宅するようにとだけ告げただけで、エルフリーデは、使用人達に指示して、サプライズ晩餐会の準備を進めた。
 無二の親友であるミッターマイヤー元帥には、一昨日、当人には当日まで内緒だと書き添えて、文書で招待状を送っていた。
 他に、統帥本部の実質的なナンバー2であり、エーリッヒの遺品を届けてくれた恩のあるベルゲングリューン大将と、常に影のように付き従い、ロイエンタールの仕事上での女房役ともいうべきレッケンドルフ少佐にも同様の文面を送った。
 夜、7時を回って帰宅したロイエンタールは、まず、自室でエルフリーデの栄養点滴の為に病院からやってきていた看護師に、包帯を取り替えてもらうと、食堂の飾りを見て僅かに双色の瞳を見開いた。
 照明を最小限に落とし、大きな楕円形のテーブルの中央には、庭で摘んだ花で飾られた合計32本のキャンドルが一列に飾られていた。
「奥様のご指示で、本日は特別に晩餐の席を設けました」
 執事がかしこまって礼をすると、ゴットルプ子爵一家とフレデリーケが順に誕生祝いを述べる。
 エルフリーデは、レオノラの残したペールブルー色のドレスで正装し、夫の前に進み出た。義母の形見のドレスを、はじめて直しもせず、胸にパットも入れずに着てみたが、この男がどんな反応を示すか、内心では心臓が破裂しそうだった。
 まさか、突然「何の真似だ!」と言って怒り出すようなことはするまいと思ったが、余計なことをと思われる可能性は覚悟していた。
「お誕生日おめでとう。32年前の今日、あなたがこの世に生まれたことを祝福します。あなたが存在しなければ、私もこうしてこの子を授かることもできませんでした。あなたと、あなたをこの世に生み出して下さった方々に、心よりの感謝と、大神オーディンの御加護のあらんことをお祈りします」
 エルフリーデは、真っ直ぐに夫に目を合わせると、本心からそう言った。
 ロイエンタールは、そっと妻のか細い手を取ると、口元に持っていき、穏やかな表情で指の一本一本に丁寧にも接吻を繰り返した。
 それは、彼が生まれて初めて自分の存在を肯定した瞬間でもあった。
 間もなくして、ミッターマイヤーが、ヴィンテージもののワインを誕生日プレゼント代わりに持ってやって来た。
 意外なことに、ミュラーが一緒だった。
 エルフリーデは、予め1名増えても大丈夫かと打診されていたので、彼の席も用意されていた。
 砂色の髪と瞳を持つ平民だが穏やかで紳士的な青年に、エルフリーデも同級生達同様、好感を持っていた。
 ミュラーが宿舎にしていたホテルも、爆破事件のあった街区にあり、倒壊は免れたが、爆発の衝撃で地盤が沈下し、建物が傾いて外壁の一部が剥がれて居住不能となった。
 惑星改造技術により、甚大な自然災害が起こらないことになっているフェザーンでは、概して建物の強度が低い。その為、こうした不測の事態になると、その脆さを露呈することになるのだった。
 ミュラーは、現在、艦隊本部ビルに近いビジネスホテルの一室に警護の兵共々一時避難し、そこで寝起きしている。
 当人は、特に不自由はしていないと言うものの、一万隻以上の大軍を指揮する彼の階級には明らかに相応しくない場所だった。
 ミュラー個人は、年齢的にも元々この程度の部屋が分相応だと言えないこともないが、上級大将という立場上、警備の兵士や、多くの幕僚達の出入りもあり、不便なことは事実だった。
 周囲に気遣う性質の彼は、フェザーン人の避難民のことを考え、食事も殆ど彼等や一般兵士と同じ非常食を食べている。星旅にある時ならともかく、やっと地上に降りた艦隊勤務者に、この食生活はきついだろう。
 爆破された街区が復旧し、元の生活に戻るまで、フェザーンの建築技術を以ってしても、まだ当分時間のかかることは間違いない。
 ミッターマイヤーは、そんなミュラーを気に留め、「久しぶりに上手い帝国料理を食べよう」と言って誘ったのだった。
 程無くして、レッケンドルフとベルゲングリューンの2人が、ロイエンタールが好んで飲むウィスキーのボトルを持参して畏まった表情で現れると、エルフリーデは、順に同席者を紹介していった。
 子供達を除いては、皆どこかのパーティーや式典で顔くらいは見ているはずの人々だったが、こうして同じテーブルを囲み、話をするのは初めてだろうと思っていた。
 しかし、意外なことに、ミュラー提督に、フレデリーケを紹介しようとすると、エルフリーデが何も言わない内に、2人は互いに「お久しぶりです」と言って、会釈を交わしたのだった。
「ご立派になられて…」
 フレデリーケが、万感の思いを込めた口調で目の前の将官を見詰める。
「フロイライン…いえ、子爵夫人もお変わりなく…」
 それに応える誠実な青年の方は、その何倍もの熱い視線で、フレデリーケの蒼い瞳を見つめ返す。
 既に少女ではないエルフリーデは、この2人の間にある微妙な空気を敏感に感じ取っていた。
 テーブルに着くと、フレデリーケは、7年前、結婚直前にフェザーンを旅行した際に、警護の責任者だったのがミュラーだったことを話した。
 2人の間には、明らかに警護した者とされた者以上の感情が存在していることはエルフリーデにも理解できたが、かと言って、恋人や愛人関係を匂わせるような後ろめたさのようなものは全く感じられない。
 恐らく、この人達は、互いに好意を持ちながらも、何もないままお別れしたんだわ。
 エルフリーデはそう確信した。
 7年前と言えば、まだラインハルトの台頭前であり、旧体制下の身分制度が絶対的な社会規範だった時代だ。
 平民の中尉と、伯爵令嬢がどれほど互いに惹かれ合っても、結婚など思いもよらないことだったはずだ。
 そう思うと、「生まれた時期に少し運がなかった」と言った昨日のフレデリーケの言葉が、俄かに現実味を帯びてきた。
『そうだ。彼女は、せめてあと7年、いえ、5年遅く生まれていたら、きっとミュラー提督と結婚していたんだわ』
 エルフリーデは、丁度テーブルを挟んで向かい合って座る2人を交互に見ながらそう思った。
 そして、決心した。
 フレデリーケ様を、あの不実なツェルプスト子爵と1日も早く離婚させて、ミュラー提督と結婚させよう。
 日に日に会員数を増やしているという「ミュラーファンクラブ」の女学院の同級生達には申し訳ないが、フレデリーケを幸せにする為に、何とか方法を考えよう。
 若さ故に、一度思い込むと、エルフリーデの思考は、すっかりそちらへと移っていた。
 その所為か、ひどかったはずの悪阻もあまり感じることなく、彼女の為に料理人が工夫して腕を奮った料理も美味しく平らげることができた。
『なるほど。あれが噂で聴くミュラーの“中尉時代の手痛い失恋”の相手か』
 同じテーブルで食事をしながら、ロイエンタールとミッターマイヤーは、同じことを考えていた。
 ミュラーが、フレデリーケとの出会いを殊更周囲に吹聴して回ったことはない。
 しかし、精鋭揃いの軍首脳の中で最も若く、平民出でありながら異例の出世を遂げたミュラーは、注目度も高かった。彼に対して、かつての同僚達が悪気なく、今では雲の上の存在となった昔の仲間の何気ない一言を思い出し、語り合ったことが一人歩きして、堅物で有名なミュラー提督の数少ない色事のエピソードとして噂が広まった。
 フェザーン駐在武官として、実績を上げたミュラーは、23歳の時に大尉に昇進すると同時に、オーディンの統帥本部へ栄転となり、約2年ぶりに首都星に戻って来た。
 独身の新任者に、同僚達はお決まりのように馴染みの娼館や高級クラブへと誘ったが、案の定彼は、どの誘いもやんわりと断った。
「勘弁して下さい。こっちは、ついこの前、手痛い失恋をしたばかりで、とてもまだそんな気になれないんです」
 それでもしつこく誘おうとする上官や同僚達に向かって、ミュラーはそう口実を設けて再度固辞した。本当に断る口実半分、本音半分といったところだったが、この一言を聞いたその当時の同僚か上官の誰かが、この時の彼の言葉を覚えていたらしい。


 ロイエンタールの誕生日を祝う晩餐会は、和やかな雰囲気の内に終わり、ゴットルプ家の2人の子供達と子爵夫人が先に寝室へと引き上げると、ベルゲングリューンとレッケンドルフの2人も後に続くように帰っていった。
 叔父のゴットルプ子爵とフレデリーケも、それを合図に自室に戻って行くと、3人の軍首脳達は、場所をサロンに移し、ベルゲングリューンの手土産のウィスキーを一杯だけ空けると、2人の客は長居することなく、執事が呼んだ無人タクシーに乗って帰路についた。
 エルフリーデは、ロイエンタールと一緒に、玄関ホールでミッターマイヤーとミュラーを見送った後も、ずっとフレデリーケとミュラーとのことが頭を離れなかった。
「ねえ、もし、私達が7年くらい前に知り合っていたら、お前は私と結婚したいと思った?」
 自室に戻り、同じバスタブに浸かりながら、エルフリーデは、夫に向かって真面目に訊ねた。
「ん? いくら俺でも10歳以下の子供は対象外だぞ」
 アルコールに濡れた声が、冗談めかして答える。
「真面目に訊いているのよ。そういう意味じゃなくて、7年前に私達がもっと年齢が近かったらっていう意味よ。お前は、22歳か23歳くらいの中尉とか大尉で、わたしは…そうねぇ…19歳か20歳くらいかしら。そういう普通に恋人同士になれる年齢だったらって意味よ」
 成層圏の青の瞳に、峻烈な輝きを放つ幼妻の言葉を、ロイエンタールはバス用枕に頭を置き、ジャグジーの中に身体を投げ出したまま薄く笑って訊いていた。
「ミュラーとツェルプスト子爵夫人のことを言っているのか?」
 エルフリーデは、あまりの図星に、一瞬言葉を失う。
 この手のことに関するこの男の勘は、やはり経験がものを言うのだろう。
「以前にも言ったが、お前は考えていることが全部顔に出る。あのアイゼナッハ夫人でなくともお見通しさ」
 エルフリーデは、反論したい気持ちをぐっと堪えた。
 今日はせっかくこの男の誕生日を祝って、無事に一日を終えようとしているのに、こんなことでまたぶち壊しになりたくない。
 それに、自分が気性が激しく、貴族令嬢としては、少々淑やかさに欠けることは、亡き両親にも度々注意を受けていたので、自分の欠点として自覚している。
「まあ、何を考えてるかわからん女よりはいいさ」
 それでも、ロイエンタールは、彼なりにフォローしたつもりだった。実際、彼はエルフリーデの真っ直ぐな気性を気に入っているし、欠点だとは思っていない。
「だが、俺と違ってミュラーは常識人だからな。間違っても、人妻を略奪するようなことはしない男だ。子爵夫人の方も、あの節操のない夫と妾にいくら愛想を尽かしても、自分から浮気をするような女ではなかろう?」
 ロイエンタールが、珍しくエルフリーデの2倍近い時間を生きている男の人生経験として、正論を吐いた。
 確かに2人とも、今ならばともかく、7年前のご時世に、周囲の反対を押し切って、平民と伯爵令嬢のカップルとして愛を貫くといったことをするタイプではない。
 女など信用に値しないという偏見の持ち主のロイエンタールも、理性の部分では全ての女が自分の母のような女ではないことは解っていた。
 現に彼は、口にこそ出さないが、妻を絶対的に信頼しているし、愛妻家で有名な彼の親友の妻も、この点に関しては同じ部類に入る女性だと認識している。
 最近妻が突然連れて来て同居することになったツェルプスト子爵夫人という女も、どれほど夫に裏切られようが、自分も男を作って報復するという発想は浮かばないタイプだろう。
 2人のどちらかに、もう一歩踏み出す勇気があれば、彼等の未来だけでなく、銀河の歴史そのものが変わっていたかもしれない。
 7年前、ミュラーが近い将来上級大将になることが判っていたら、ヒルデスハイム家も、2人の結婚を認めたかもしれない。だが、あの時点でまさかこのような未来を予測できる者などいるはずもない。ただ一人いるとすれば、それは、自らの力で王朝交代の偉業を成し得たラインハルト帝くらいなものだろう。
「本当に、7年前は、別れるしかなかったのかしら? お前ならどうしたかしら? 何かいい知恵はなかったのかしら?」
 エルフリーデは、湯気に当たって少し乱れたロイエンタールの前髪を白い指でかき上げながら、自分の青い瞳に、夫の色の異なる瞳を映しながら問う。
「ないな。いや、あってもミュラーはそれができる男ではない。だからこそ、こうなったのさ」
 ロイエンタールの冷めた言い方に、どこか毒が含まれていた。
 それを敏感に感じ取ったエルフリーデは、青い瞳を更に輝かせて訊ねた。
「ならば、お前ならできたというの? 下級貴族の中尉が、リヒテンラーデ一族の伯爵令嬢の私と結婚することが」
 言ってからエルフリーデは、はっと気付いた。この男は、平民のミュラーとは違う。父親は下級貴族だが、母親はルドルフ大帝以来の名門伯爵家、マールバッハ家の令嬢である。
「マールバッハ伯爵の孫息子として、然るべき人物を間に立てるという方法があるわね。それでも私のことをあわよくば皇族妃にとも考えていた大叔父様を説得できるかどうかわからないけど、平民のミュラー中尉よりは、ずっと有効な方法だわ」
「それもできたかもしれんが、性に合わんな。第一面倒だ」
「じゃあ、どうするの?」
「ん?」
 と、軽く喉を鳴らした男は、湯の中で幼妻の瑞々しい身体をぐっと引き寄せた。
「俺は面倒は嫌いだ。22歳の若造の俺が、20歳の伯爵令嬢のお前が欲しくなったら、その場で掻っ攫うまでだ」
 金銀妖瞳に、妖しい光が宿り、腕の中のエルフリーデは慄然とした。この男なら本当にやりかねない。
 彼は幼妻の身体の隅々まで愛撫の手を伸ばし、耳元で囁く。
「部屋に連れ込んで、ものにした後、俺から離れられない女にする。場所がフェザーンなら丁度いい。後は、同盟の高等弁務官事務所に2人で駆け込むだけさ」
「亡命するというの? 共和主義者達の国へ?」
「ああ、そうだ」
 こともなげに言う男に、エルフリーデは心底驚いていた。
 だが、同時に確信に近いものも感じていた。
 私はきっと、着の身着のままで、この男とどこへでも一緒に行くだろうと。
 自分が、自分で思っている以上にこの男に惹かれていて、離れられない女になっていることを、一日一日思い知らされていく。
 そして、私はきっと、狂ってしまったのだろうと思う。
 いつか、その生を終えた後、この男のいない楽園<ヴァルハラ>よりも、この男と共に地獄へ堕ちることを迷わず選ぶ女になってしまったことを、はっきりと自覚しているのだから。
「俺は、大貴族どもの支配するゴールデンバウム王朝の帝国には、全く執着はなかった。何なら後でミッターマイヤーも誘って、奥方を連れて亡命させるのもいいな。まあ、向こうでは貴族暮らしはさせてやれないかもしれんが、軍功を上げればそれなりの待遇を約束されるのは、同じだろう。しかも、かのヤン・ウェンリーに、名将ビュコック老人、後からメルカッツも亡命してくるとなれば、これは面白い布陣になると思わんか? 対するローエングラム候の陣営には、亡きキルヒアイスに、ミュラー、ルッツ、ワーレン、ビッテンフェルト、ファーレンハイト等の歴戦のつわものどもがいる。そうなれば、どちらに転ぶかわからんぞ。案外、今の帝国と同盟の立場が逆転している可能性だって有り得た。その意味では、お前はやはり、俺より16年遅く生まれてきて、亡命なんぞせずに帝国元帥となった俺と結婚して歴史は正常に動いたというわけさ」
「今の歴史が正常だと誰が決めるの? もしかしたら、私とお前だって、全く違う出会い方をしていたかもしれないわ」
 言いながら、エルフリーデは、それでも、揺るぎない思いがある。
 たとえ他の時間軸でこの男と出会っても、きっと何か別の経緯で、私はやはりこの男と関わり、この男に奪われ、愛してしまう運命を生きるだろうと。
 オーディンのオペラ座で、「トリスタンとイゾルデ」の話を思い出した時から、ずっとそんな予感がしていた。
 そして、別の時空を生きるもう一人の自分も、きっとこの男の子供を産むことになるのだと。
 それが“彼女”にとって幸せなことなのかどうかはわからない。もしかしたら、もう一人の自分は、この男を愛してはいないかもしれない。
 それでも、この男と自分は、どのような時空の中でも、確実に出会い、互いに惹かれ合い、そして、戦うのだ、と。
 それよりも、エルフリーデが、ロイエンタールの言葉から、皇帝に固い忠誠を誓い、君臣の枠を越えた友誼さえ存在すると言われているこの男が、その皇帝と戦うことを欲しているのではないかと感じられることに驚いた。
 せっかく同盟との和平が成り、150年に及ぶ戦争が終結し、志を同じくする者同士が戦う理由などないはずである。
 にも関わらず、この男は、どこかで戦いを欲している。
 彼のこの夜の不穏な言葉は、無論、外部に漏れることはなかったが、全てに満ち足りて尚この男が渇望して止まないものは何なのか? もしかしたら、共に星々の大海を渡ることのできない女の自分には、決して踏み込めない領分なのだろうか? 
 バスタブから出て、乾燥風に身を任せながら、エルフリーデはそんな考えに沈んでいた。
「結局、お前自身はどうなの? ミュラー提督がフレデリーケ様と結婚するのに、僚友として賛成してくれるの?」
 夜着を纏い、寝台に入りながら、エルフリーデはもう一度夫に向かって身を乗り出した。
「別に俺は他人の色恋に干渉するつもりはない。当人同士がよければ、子爵夫人はさっさと離婚でも何でもして、ミュラーと一緒になればいいだけの話さ」
 予想した通りの答えに、エルフリーデは一応満足した。
 先程から、エルフリーデの中で、リヒテンラーデ一族の策謀家の血と、双方に折り合いをつけさせ、最後に上手く纏める調整型官僚の血とが、同時にふつふつと沸き起こっていた。
 彼女は、この件をなるべく穏便に、解決したいと考えていた。
 無論、ツェルプスト子爵や妾のためではなく、フレデリーケとミュラーを世間の好奇の目や悪意のある報道から守る為である。
 自分に対するフェザーンのマスコミの遠慮のない報道姿勢からも、彼等がもし結婚することになれば、故意にしろ悪気のない間違いにしろ、ハイエナのように群がる連中の餌食になることは必至である。
 しかし、フレデリーケもミュラーも、奥手の常識人で自分から行動を起こすような人達ではない。
 そこで、一番いいのは、ツェルプスト子爵の方から、フレデリーケに離婚を申し出てくれることである。
 子供のいないフレデリーケは、当然承諾して身を引くだろう。
 晴れて独身になった彼女に、ミュラー提督も遠慮はいらないはずだ。
 問題は、正妻としてのフレデリーケの出自や貴婦人としての素養を欲しているツェルプスト子爵に、どうやって彼女と別れたいと思わせるかだ。
 それについて、昔、大叔父と父が密談しているのを偶々ドアの外で聴いてしまったことがヒントになり、一つ妙案を思い付いたのだが、協力者が何人も必要である。
 特に、この男の協力は欠かせない。
「お前も私もお互いに友人の幸せを願うなら、一つ私に協力しなさい」
 伯爵夫人は、帝国騎士の夫に向かって、こんな時でも命令口調だった。
「協力はしないでもないが、少し不公平だな。今日はお前からはまだ誕生日のプレゼントをもらっていない」
 金銀妖瞳に再び妖しい光が宿ったが、エルフリーデには、その意味するところが解らなかった。
「お前が、何か欲しいものがあるというの?」
 首を傾げて、怪訝な顔で訊ねる。
「言ってくれればちゃんと今日までに用意したのに…いいわ、明日にでも買いに行かせるから」
 エルフリーデが呟くと、ロイエンタールは、更に意味ありげな冷笑を漏らす。
「金で買えるものではない」
「何? 今までお前の欲しがるものは、全部あげてしまったわ」
 そう、あの新婚旅行の時に求められ、心も身体も全て与えてしまって、既に何もない。更に先日の爆破事件で、互いに愛し合っていることを知ってからは、いったい他に何を求めるというのか?
「欲しいものというと語弊があるか。正確には、お前にして欲しいことと言うべきかな」
 ルームライトを絞った寝台の上で、青い瞳と黒い瞳が今まで見たことのない妖しい輝きを放つ。
 エルフリーデは、反射的に身構えた。
 いったい、この男は、私に何をさせようというのか?
 確かなことは、それが、彼女が考えもつかないような、知らない何かであることだった。
「それは、難しいことなの? 私にもできることなの?」
「ああ、別に難しいことではない。夫婦ならばごく普通にすることだ」
「ならばいいわ。やってあげるわ」
「本当にいいのか? 後で後悔しても知らんぞ」
「いいと言っているでしょう。一度やると言ったからには約束は守ります。その代わり、お前も私に協力することを忘れないで」
「了解した。伯爵夫人」
 最後の言葉が終らぬ内に、ロイエンタールは、エルフリーデの白い手を取ると、強く引き寄せ、自分自身へと導いた。
 彼女の妻としてのレッスンは、まだ始まったばかりだった。


 翌朝、シーツに蹲ってなかなか寝台から出ようとしない幼妻の脇で、ロイエンタールは、今までにない満足げな表情でシャワーを浴びた後、軍服に着替えていた。
「きらい…きらいよ…お前なんか…」
 シーツの中から聴こえてくるか細い声にも、ロイエンタールは上機嫌だった。
「そんなに気に入って頂けて光栄だ。伯爵夫人」
「何ですって!」
 思わず上体を起こして睨みつけた妻は、シーツから出たら、まだ全裸の状態だった。
 そのことにはっと気づいて、慌ててシーツで自分の身体を覆ったが、彼女の身体の全てを知りつくした夫には効果はなかった。
「昨日はまだ第一段階に過ぎない。今夜はもっと俺を嫌いになるから、覚悟しとけ」
 余裕でマントを翻し、部屋を出て行こうとする夫の背に向かって、エルフリーデは、それでも言うべきことを忘れなかった。
「私もお前の望むことをしたのだから、今度はお前が約束を守る番よ」
 それに対して、帝国元帥の夫は、背を向けたまま軽く右手を上げ、了承の意思を伝えた。
 一人ベッドに取り残されたエルフリーデは、暫く誰にも会いたくない心境だった。
 昨夜、あの男にしてやったことが、本当に夫婦としては当たり前のことなのかどうか、深窓の令嬢であるエルフリーデには、知りようはずもない。
 あんなことは、学校の教科書にも、どの情報サイトにも載っていなかった。
 かと言って、他人に訊くのはもっと恥ずかしい。
 エルフリーデは、悶々として何度も寝返りを打ちながらベッドの中で考えた。
 こうして、この日の朝は、エルフリーデは珍しく午前中部屋から出てこず、昼近くになって漸く電子呼び鈴で侍女を呼んだ。


 10月27日の午後、大本営の皇帝謁見室を出た廊下で、内国安全保障局長ハイドリッヒ・ラングは、顔を見たくない人物とすれ違うことになった。
 彼の中では、前方からやってくる洗練された若い貴族官僚の男は、“敵側”に分類される人間だった。
 だが、彼の思いとは裏腹に、相手は彼の姿を見つけると、親しげに歩みを速め、にこやかに近づいてきた。
「これはこれは、ラング局長ではありませんか」
 こう出られては、流石に無視して通り過ぎるわけにはいかない。何と言っても相手は皇帝の側近の一人なのである。ラングは、瞬時に愛想のいい叩き上げ官吏の仮面を被ると、相手に倍する満面の笑みで握手を求めた。
「これは、ゴットルプ子爵。私ごときを覚えて頂けているとは、光栄の至りです」
「とんでもございません。私の方こそ、何の実績も上げていなかった者が、マリーンドルフ家のお陰で、こうして陛下のお傍近くにお仕えしているのは、心苦しい限りです。それに引き換え、局長殿は、前王朝時代からのご実績がおありになり、今では軍務尚書閣下の懐刀と呼ばれておられる。まさに、実力主義のローエングラム王朝の象徴的存在と、密かにご尊敬申し上げていたのですよ」
 ゴットルプ子爵エドアルドは、如才なくこの平民出の叩き上げ官僚を持ち上げた。
 若い子爵の大げさな追従に、幾許かの警戒心を抱かないではなかったが、虚栄心の強いこの男は、愉悦がそれに勝った。
「いやいや、私などあなたのご親族のマリーンドルフ伯や、ロイエンタール元帥閣下に比べれば、凡人もいいところですよ」
 笑って謙遜して見せたものの、ロイエンタールの名を口にした途端、ラングの内心は穏やかではなくなった。
 そして、目の前の男の姪が、そのロイエンタールの妻であることをまた思い出す。
「確か、この度の事件では、子爵も災難でしたようで」
「ええ、せっかく引っ越しの片づけが終わったばかりの官舎に当分の間住めなくなりました。お陰で今では一家揃って、姪の嫁ぎ先のロイエンタール元帥の邸に居候の身ですよ」
 エドアルドは、わざと疲れを見せるように、自嘲気味に嘆いてみせた。
「それは、頼りになるお身内がいらっしゃってお羨ましい」
 ラングは心にもない世辞を言った。彼にとって、ロイエンタールは、いつか必ず破滅させてやりたいと心に誓っている不倶戴天の敵である。
「黙れ下種!」と、罵倒されて、会議室を退出させられた時の屈辱は、忘れようにも忘れられない。必ずあの男に、自分が受けた何万倍もの屈辱を与えてやらなければ、治まらない。
「身内だなどとんでもない。あれは事件で自宅に住めなくなった人間を、工部省が勝手に振り分けたんですよ。別に私達は、ロイエンタール家と仲が良くて一緒に住んでいるわけではないですからね。私は、庶子で、こう見えて半分は平民です。14歳まで下町で平民として育ったんで、未だに貴族の世界には馴染めないものがあるんですよ。姪の伯爵夫人は母の出自の卑しい私を嫌っていますからね。邸では、気位の高い伯爵夫人と、気難しい元帥に気疲れして、今じゃ、職場でも家庭でも気の休まる時がないですよ」
 情けない顔で自分の身の上を嘆く子爵に、策略家でありがら意外に単純な面も併せ持つラングは、素直に同情の表情を見せた。特に、エドアルドの平民の母親を持つ庶子という部分が効いたのかもしれない。彼は基本的に他人は信用しないが、特に生粋の門閥貴族は絶対に気を許さないのが信条だった。だが、誰よりも貴族らしい風貌を持つこの子爵が、半分平民の血が流れていると知ると、少しばかり警戒心が和らいだ。
 旧体制の貴族達に飼われてきた彼は、貴族や皇族の血縁関係など当てにならないことを良く知っていた。いや、血縁関係にあればこそ、尚更彼等は爵位や皇位を争って殺し合うのだ。そんな彼等の中を暗躍し、甘い汁にありついて来たのが他ならぬラング自身である。
 そして、上手く時流に乗ったマリーンドルフ一門にして、完全なロイエンタール派であるとばかり思っていたこの子爵の、意外な一面を知り、密かに舌舐めずりをするのだった。
「まあまあ、そうお嘆きなされるな」
 そう言って、子爵の肩を抱いたラングは、顔に似合わないドスの利いた太い声を落として、語りかけた。
「戦争屋の時代など、もう終わります。ロイエンタールなどがいい気になっていられるのも、今のうちですよ」
「あなたもそうお思いですか?」
「ええ、しかも、あなたのご協力があれば、事はもっと早く運ぶかもしれませんよ」
「それは、楽しみな…」
 エドアルドは、相手に迎合する笑みを作って、ラングと目を合わせた。
「私は、何をすれば、あなたのお役に立てますか?」
 ラングの眼光が歓喜の色に輝く。
「部屋に盗聴器は仕掛けられませんかな?」
「それはちょっと無理ですね。常にチェックされていますし、仮にできたとしても、万一発見された場合のこちらのリスクの方が大きい」
「そうですか…」
 ラングは軽く舌打ちしながら唇を噛んだ。
「こうしてはどうでしょう?」
 今度はエドアルドの方から持ちかけた。
「何と言っても私達は、現在同じ屋根の下で生活しています。仲がよくないとは言っても、元帥とも伯爵夫人とも一緒に食事をすることもあれば、酒を飲むこともあります。邸には時々腹心の幕僚達やミッターマイヤー元帥も私的に訪れます。人間は、そうした他愛ない話をしている時、ついふと、本音が出てしまうものです。そうして聴いたことを、私が日記にでも書き留めておきましょう。それが、いつかあなたのお役に立つ時が来るかもしれない」
 子爵の提案に、ラングは満面の笑みで頷き、固く両手を握り締めた。
「ご協力、感謝いたしますぞ、子爵。いや、これは決して私怨からのことではありません。全ては、帝国の安寧の為、皇帝陛下の御為です」
 そう力説するラングは、敵陣の懐に、間諜を送り込んだ満足感で高揚していた。
 彼とて、ゴットルプ子爵を完全に信用したわけではなかったが、とりあえずロイエンタールの私的部分の情報源を得たことは、彼の弱みを握る大きなチャンスだと思った。


『ふん、下種野郎が! やはりお前の狙いはロイエンタール元帥か』
 エドアルドは、ラングの姿が完全に視界から消えると同時に、彼に掴まれた肩を払い、近くの洗面室に入って握られた手を洗った。
『この俺が、リップシュタット戦役後の政変を生き延びたのが、お前の運の尽きだ』
 洗面室を出て、自分の執務室へと向かうエドアルドの表情には、いつものお調子者で飄々とした風情はなかった。
『お前を、これ以上ないほど惨めに葬ってやる。それまで、せいぜいわが世の春を謳歌しておくんだな』
 キラリと鋭い眼光を放ちながら廊下を歩くエドアルドは、常の彼とは別人だった。
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