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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(40)
 10月26日早朝、エルフリーデは、いつものように夫の腕の中で目覚めた。
 今日は、この邸にとって特別な日である。
 この邸の主にして、帝国元帥である夫は、今日、32歳の誕生日を迎える。
 常ならば、帝国の慣習として、国家の元勲には皇帝から祝いの品を賜り、当人からは、統帥本部の幕僚達から下士官に至るまで、シャンパンか白ワインの振る舞い酒を配ることになっていたが、先日の爆破テロが未だ解決していないとあっては、祝い事は自粛せざるを得ない。
 それは公人としては仕方がないことだが、私人としては、家族やごく親しい者達だけで帰宅した主人を祝うくらいは、しなければならないとエルフリーデは、考えていた。
 しかし、昨日、それを訊ねた執事は困惑気味だった。
 確かに帝国の名家の場合、親族や親しい友人を招いての晩さん会を行うのが慣習だが、ロイエンタール家では、彼が子供の頃から昨年まで、そのような祝い事を邸内で行ったことは、一度もないというのである。
 士官学校に進んでからは、寮に入ったきり4年間で数える程度しか邸には戻らず、任官してからも、自ら望んだ艦隊勤務が多かった為、誕生日に邸に帰っていたことは、記憶しているだけでも2、3回だという。
 昨年の誕生日は、前月の9月に、エルウィン・ヨーゼフ2世が誘拐され、乳児であるカザリン・ケートヘン1世の即位という大事が起こった。
 翌11月には3万人規模の大演習を行うという緊迫した状況の中、ロイエンタールは、殆ど毎日当時の元帥府に近いホテルで寝起きし、邸には滅多に帰ってこなかったという。
「祝福されて生まれてきたわけでもない人間の誕生日を祝うなど偽善だろう」
 以前、人並みに祝いの席を設けようと相談した執事に、ロイエンタールはそう言って、例の冷笑を投げかけた。
 そして、いつもの典雅な足取りで出仕して行くと、その晩は、明け方まで帰らなかったという。
 執事は、主人が遅くなることが多いとはいえ、退庁後に、毎日まともに帰宅するようになったのは結婚してからだと言い、奥様の存在が、旦那様にとってそれだけ大きいのだと強調した。
 親に疎まれた記憶が、自身の誕生祝いなど忌避する気持ちになっているとしたら、無理にお勧めするのはかえってお辛いだろうと思い、使用人達もこの件に関しては、触れないようにしてやり過ごしていた。
 だが、新たな女主人は、彼が心を許している親しい人だけでも招いて、ささやかな晩さん会を開き、誕生日を行うことに決めていた。
 無論、時期が時期だけに、邸内の食堂で、他に派手な演出はない。
 エルフリーデにとって、誕生日は家族の団欒の象徴であり、欠かせない行事だった。
 少しでも昔の生活を取り戻したいというのは口実で、この男にも人並みの誕生日を味あわせてやりたいと思ったのかもしれない。
 寝台の上では、まだ夫は穏やかな寝息を立てている。
 病院へ返品する予定だった特殊マットレスは、結局妻の権限で許さず、翌日から寝台の上に敷かれることになった。
 それでも、ロイエンタールは、完全に背中を下にすることは少なく、幼妻を右半身を下にして胸に納めると、抱き枕のようにして眠りについた。
 背中の傷の負担は少なくて済むだろうが、一晩中抱かれたままのエルフリーデは、寝返りをうつのも不自由だった。
 長く強靭な腕の中でもぞもぞと動くと、眠っているはずのロイエンタールも無意識に身体を動かして、自然と彼女を楽な体勢にしてやる。たまに仰向けになり、今度は反対側を下にして眠るが、腕の中の幼妻は、決して彼の懐中から離れることはない。
 不思議なことに、この男の香りに包まれていると、日中あれほどひどい悪阻が、すっと掻き消されるようになくなる。
『お前のお父様は、お前よりも甘えんぼうかもしれなくてよ』
 平らな下腹部に手を当てながら、エルフリーデは、まだ性別もわからない我が子に向かって、心の中でそう言ってやった。
 当のロイエンタールは、満ち足りた顔で、安眠を貪っている。
 この分だと、傷の治りは予想以上に早そうだ。
 フェザーン式包帯の取り替えは、素人には難しいので、エルフリーデの栄養点滴の為に病院からやってくる看護師達が、毎夜ついでに交換していく。
 当初は、直視することが困難なほど無残だった傷跡も、1日毎に目に見えて鎮静化していき、3日も経つとかなり落ち着いてきたのがわかった。
 同時に、培養した皮膚が必要な大きさになったので、この日は、統帥本部に出仕する前に一旦病院へ行き、皮膚移植をする予定だった。
 健康な皮膚が定着すれば、後は古い皮膚と新しい皮膚の境目部分を不自然にならないよう上手く形成するだけだ。
 この分だと、医師の言う通り、10日もすれば包帯も取れ、あとは、傷跡に皮膚再生レーザーを定期的に照射しながら、ケロイドを消す軟膏を塗り続ければ、2ヶ月程で完治するという言葉も信じてよさそうだった。
 オーディンでは考えられない程の医療技術に、話には聞いていたものの、エルフリーデも邸の使用人達も驚いていた。
 やはりこの星は、帝国の首都に相応しい。
「起きていたのか?」
 時計が午前6時を回った頃、漸く夫が目を覚ました。
 彼は、そのままバスルームに消えると、さっとシャワーを浴び、出仕する為の身支度を始めた。
 エルフリーデも、その後からシャワーブースに入り、着替えを始める。
 オーディンでは、侍女達を呼んでさせていたことも、数日で自分ですることに慣れた。
 フェザーンのものは、帝国に比べて何もかも機能的にできていて、全てが他人の手を極力必要としないように作られている。
 それでも、シュヴァイツァー夫人は、公務の多い女主人の世話が、まだ現地に慣れない自分達だけでは行き届かないことを考慮し、現地で通いの侍女を2名増員して、オーディンにいた時と同じ4名体制で年若い伯爵夫人を支えることにした。
 新しい2人の侍女は、いずれも帝国人だったが、二十代後半の1人は、子供の頃からフェザーンで暮らしていた半フェザーン人で、美容師の資格を持ち、毎朝短時間で器用に女主人の髪をセンス良く結い上げる。
 明るい赤毛が印象的ななかなか肉感的な美女で、上流貴族の傍近く仕える使用人として恥ずかしくない立ち居振る舞いができ、美しい帝国標準語と流暢なフェザーン語を話すので、エルフリーデはすぐに彼女を気に入った。
 もう一人の若い方は、つい先日16の誕生日を迎えたばかりのエルフリーデと同い年だったが、元はリップシュタット戦役後に、こちらへ亡命してきたどこかの貴族の下女で、辺境惑星出身の愚鈍で冴えない少女だった。
 帝国では、児童福祉の概念が希薄で、就労年齢を定めた法律もなかった為、彼女も初等教育も満足に受けずに、10歳頃から領地惑星の貴族の館で、母親や他の姉妹達と下働きをしていたという。父親と兄は徴兵されていずれも戦死している。
 ところが、仕えていた貴族が、リップシュタット戦役後に慌てて亡命する時、同行させる使用人を適当に選んだ中に彼女が入った。
 生まれてから一度も領地惑星から出たことのない13歳の少女は、言葉もしゃべれないフェザーンで、また元の主人に仕えていたが、主一家が、持ち出した資産が底を尽きると、裸同然で放り出された。
 幸い、福祉の充実しているフェザーンで、民生委員に保護され、故郷の惑星に戻る手配をすると言われたが、何箇所もの通信基地を経由してやっと連絡がとれた家族は、彼女を養育する余裕がないといって、引き取りを拒んだ。
 仕方なく、児童福祉施設に収容され、そこで、フェザーン語の読み書きなど生きて行くのに最低限の教育を施されると、フェザーン自治法で就労可能年齢に達する16歳になるのを待ち、人材センターに登録した。
 現在、無人路線バスで30分ほどの距離を通ってきている施設は、18歳まで住むことができるらしく、その間に働いたお金で住む場所を確保して自立しなければならない。
 とはいえ、もうこちらで暮らして2年にもなろうというのに、フェザーン語もたどたどしく、帝国語に至っては、出身星系の訛りがひどく、同じ帝国人のエルフリーデ達でさえ、時々彼女の言葉をよく聞き取れない程だった。
 オーディンの貴族社会で、洗練された帝国標準語の中で育ったエルフリーデには、彼女の話す言葉が、鈍重に聴こえ、時に神経を逆なでる。
 それでも、多少気に入らないところがあっても、これといった落ち度のない使用人を無暗に解雇していはいけないくらいのことは、良識派貴族の両親に躾けられたエルフリーデは心得ていた。
 この日は、午後からスポンサー企業と約束していた雑誌の写真撮影の予定が入っていたが、時間があるのでとりあえずは、普段着のワンピースを着ようとした。ファスナーを背中の途中まで上げたところで、電子呼び鈴を鳴らして侍女を呼ぼうとすると、ロイエンタールが後から絶妙のタイミングで、ファスナーを引き上げてくれた。
「ありがとう…」
 エルフリーデは、夫に対して、自然に口から礼の言葉が出たことに気付き、少し頬を赤らめた。
「どういたしまして。いつも下げるばかりなんで、偶にはな」
 相変わらずのこの男らしい応酬にも、既に慣れた。
 エルフリーデは、あらためて侍女を呼ぶ為に電子呼び鈴を鳴らす。
 最近では、この時間に呼ばれて現れるのは、髪のセットとメイクが専門の、新しい侍女だというのが定着している。
 エルフリーデがそのつもりで待ち構えていると、意外にも「失礼致します」という聴き慣れたシュヴァイツァー夫人の声と共に部屋に入ってきたのは、当の夫人とオーディンから従ってきたミミの2人だった。
 エルフリーデは、怪訝な顔で、いつもの者はどうしたのか?と訊ねると、シュバイツァー夫人は、一瞬、逡巡する気配を見せたが、
「恐れながら、あの者は、事情により、昨日暇を出しました。午後からのお支度には、とりあえず、近くの美容サロンからスタイリストを誰か派遣させますので、本日のところは、何卒ご辛抱下さい」
 と、はっきりとした口調で平伏した。
「どういうこと? 自分から辞めたの? それとも、辞めさせたの? 待遇は充分だったのでしょう?」
 エルフリーデが、珍しくシュバイツァー夫人を詰問するような口調で質した。
 昨日の朝の様子からも、自分から辞めるような気配は微塵も感じられなかったから、解雇したのだろう。しかし、確かに夫人には侍女頭として、この度の新規採用の人選を一任したが、一旦主人の傍近く仕えることになった者を、他の使用人が女主人に無断で解雇するなど、貴族社会の慣習からは、明らかに非常識だった。長年シャフハウゼン子爵家に仕え、上流階級のマナーに精通しているはずの夫人が、そんなことが解らないはずはない。
 シュヴァイツァー夫人が、ロイエンタールの方へ僅かに目配せしながら、尚も何かを躊躇っていると、当のロイエンタール自身が、脇から事も無げに言い放った。
「あの女は、俺が夫人に命じて解雇させた。代わりはいくらでもいる。この件は忘れろ」
 それを聞いたエルフリーデは、解雇された侍女のことを気の利く者として気に入っていただけに、怒りを覚え、夫をきつい眼差しで睨みつけた。
 女の使用人の差配という自分の領分を侵害されたようで、不愉快だった。
 エルフリーデは、2人の侍女を一旦退がらせると、あらためてロイエンタールに抗議した。
「いったい、お前は何の理由で、私が気に入っている者を勝手に解雇したりしたの? あの者に何の落ち度があったというの?」
 それを聞いたロイエンタールは、小さく嘆息し、またれいの他人を小馬鹿にしたような冷笑を浮かべた。
「お前も年齢に似ず苦労してる割には、脇が甘いな」
「何ですって!?」
 エルフリーデは、怒りに震えて叫んだが、ロイエンタールは平然としている。
「オーディンで仕えていた4人の女達は、確かに目利きのシャフハウゼン子爵夫人が選んだだけに、全員忠義者だった。だが、ここはフェザーンだ。簡単に他人を信用するな。ちょっと煽てられると、すぐにその気になって、バカみたいに無条件に信用すると、その内足を掬われるぞ。一週間もしないうちに、仕える主人の夫に色目を使うような女を傍に置いておくなど、獅子身中の虫を飼うも同然だ。お前は、大学を出たら、何か外でやりたいみたいだが、軍でも民間組織でも、常に周囲の人間が真に信頼に足る者かどうか見極める眼力がなければ、結局は身の破滅だぞ」
 ロイエンタールの言葉は、エルフリーデにとって、10秒ほど沈黙する衝撃だった。
 ロイエンタールにとって、女に言い寄られるなどは、日常のことであるが、相手が妻の側近となれば、話は別だった。
 16歳のエルフリーデには、夫が常に世の女性達の関心の対象であることは、漠然と理解はしていたものの、自分の身近に、しかも忠実だと思っていた者が、そのような裏切り行為をするなど、考えもしていなかった。
「とにかく、フェザーン人の女は、特に海千山千だ。お前のような世間知らずに取り入るなど造作もないことだ。今後は、そのことを肝に銘じて、使用人でも友人でも、簡単に気を許したりしないことだな」
 軍服に着替え終えたロイエンタールは、そのまま部屋を出て行くと、入れ代わるように、一旦退出したシュヴァイツァー夫人とミミが、部屋に入ってきた。
「申し訳ございません。全ては私の眼鏡違いでございました。この歳まで生きていて、多少人を見る目には自信があるつもりでおりましたが、気質も習慣も違うフェザーン人相手には、通用しないことがよく解りました。今後二度とこのようなことのないよう気を配ります故、どうぞお赦し下さい」
 平服する夫人をミミが庇うように前に出た。
「いいえ、シュヴァイツァー夫人のせいではございません。人材センターのリストから、ヘアメイクの専門技能を持つ者に目をつけ、あの者を夫人に推薦したのは私でございます。非は全て私にあります」
 夫人の横で、制止を振り切って更に深く平服する侍女に、エルフリーデは、「お前のせいではないわ」と言って鷹揚に言って許した。
 シュヴァイツアー夫人に対しても、全く気付かなかったのは自分も同じなので、気にしないでこれまで通り仕えて欲しいと言って労わった。
「私も、脇が甘いと、あの男にも言われました。ここはフェザーンなのだから、バカみたいに簡単に他人を信用するなと」
 エルフリーデは、先程のロイエンタールの言葉を思い出し、軽く歯ぎしりをした。
 実際に当たっているだけに、反論できなかったのが悔しかった。
 だが、それを聞いた2人の侍女達は、不審そうに顔を見合わせた。
「旦那様が、そう仰られたのですか?」
 シュヴァイツアー夫人が訊く。
「ええ、でも、悔しいですが、占領しているとはいえ、ここが私達にとって異国であることに変わりはありません。たとえ正式に遷都がなったとしても、フェザーン人と私達とでは、言葉も習慣も違うでしょう。これからは、お互いそのことに充分気をつけましょう」 
 女主人の年齢に不似合いな達観ぶりに、2人の年長者は顔を見合せながら、同時に同じことを思っていた。
 エルフリーデのような生まれ育ちで、しかも16歳になったばかりの少女が、自分に優しく接する人間を無条件に信用するのは、至極当然のことである。逆に、この年齢の深窓の令嬢が、過剰に猜疑心が強かったりすれば、余程その生育歴に問題があるとしか思えない。
 それを、「バカみたいに」とか「甘い」という言葉を使って指摘するのは、どう考えても夫として優しい言動ではない。
 しかし、この数ヶ月間で、既に2人は、ロイエンタールのこうした子供じみた性癖を何度か見聞きして、彼の言葉が、幼妻に対してのこれも一種の愛情表現であることが解ってきていた。
「旦那様は、奥様の為にわざとそのような言い方をなさったのでしょう」
「そうですとも。それに、フェザーン人に対して気を付けなければいけないのは、奥様ではなく、私どもの仕事です。奥様は、どうぞ、今まで通り誰に対してもお優しくおあり下さい」
 シュヴァイツァー夫人が、この機会とばかりに歳の功で諭すと、エルフリーデも無言で頷くしかなかった。
 エルフリーデは、他の同じ年頃の貴族令嬢と比較しても、意地悪ではないが、決して人当たりのいいタイプではない。ただの一貴族女性としてなら個性で済まされるが、公人となったからには、誤解を招きやすい材料となってしまう。老練な夫人は、そのことを常に心配していたのだ。
 エルフリーデ自身も、頭では、彼女が慕うヒルダやフレデリーケのように、目下の者にも分け隔てなく優しく接しなければ、特にこれからのご時世では、やっていけないことも充分に理解している。だが、生来の激しい気性は、そう簡単に改められるはずもなく、新しい若い侍女に対しても、つい自分の感情が表層に出てしまいがちだった。
 エルフリーデが、自分と同い年の田舎者の侍女に対して、時に苛立たしい気持ちを抑えられないことを、シュヴァイツアー夫人は見抜いていたのだった。


 エルフリーデは、簡単に髪をまとめて、普段着のワンピース姿で階下の食堂に降りていくと、テーブルには既に軍服姿の夫と、爆破事件で一時避難しているゴットルプ子爵一家とフレデリーケの姿があった。
 給仕係の使用人が、それぞれの朝食を運ぶテーブルで、ゴットルプ子爵家の子供達の賑やかな声と、それを窘める母親、対照的に物静かなフレデリーケの姿が印象的だった。
 今やマリーンドルフ伯爵家の一門として、ちゃっかり「皇帝陛下の側近」の地位を固めているゴットルプ子爵には、爆破事件のあった街区に、リンザー邸とほぼ同じ規模の邸宅が官舎てして充がわれた。
 幸いにも、爆心地となったビルからは若干離れていた為、邸の防火装置が自動的に作動し、家族は逸早く避難して全員無事だった。頑丈な造りの建物自体も外観はそのまま残ったし、一見すると被害はそれ程ひどくないように見える。しかし、スプリンクラーがフル稼働した邸内は、水浸しで、全面的な清掃と内装工事を施さなければ住めない状態だった。
 このような時、頼る親族のいる者は、積極的にそこに世話になるのが、他の被災者の為にもなる。実際、元からいたフェザーン人も、移転してきたばかりの帝国人も、あの事件で住む場所を失った者達で、周辺の宿泊施設は満杯状態である。
 現在、軍病院で危篤状態にあるフェルナーもシュトライトも、仮に治癒して退院したとしても、彼等の住まいは今のところない。
 そのようなわけで、事件の日の夜、爆破が起こった場所から数キロ離れた一般向けのホテルの一室で過ごしたゴットルプ子爵一家は、次の日から邸の修復が終わるまで、姪の嫁ぎ先であるロイエンタール元帥の宿舎に同居することになったのである。
 恐縮する子爵夫人に対し、夫人や従弟妹の子供達と元々仲の良いエルフリーデは、一時的にでも家が賑やかになることをむしろ喜んだ。父の庶弟で、昔からあまり好きではない叔父は、公職に就いている為、どうせ昼間はいない。
 元々30室以上もある広い邸を、2室ばかり妻の親族に充てても、家事の自動化が進んだファザーンで、使用人達の仕事も大して増えなかった。
 エルフリーデは、事件の翌日になって、改めて被害状況をニュースで確認すると、最後に爆破されたデパートの近くの邸宅街に、ツェルプスト子爵の宿舎があることを知って、フレデリーケのことが心配になり消息を調べた。
 驚いたことに、ツェルプスト子爵の官舎は、エルフリーデ達がガーデンパーティをしていたリンザー邸と目と鼻の先だった。
 リンザー邸同様、邸は半壊したが、フレデリーケを含めた家族は全員無事で、使用人達と共に大本営近くの二流レベルのホテルに一時避難しているという。
 どうせなら、子爵が運悪く犠牲になれば、フレデリーケが晴れて自由の身になれるのにと、エルフリーデは一瞬不謹慎な考えが頭を過り、流石に自分自身を戒めた。
 エルフリーデは、早速そのホテルを訪ね、フレデリーケに面会すると、改めて激昂しそうになるのを辛うじて抑えた。
 案の定、ホテルは突然住まいを失って避難して来た人々でいっぱいになり、どの部屋も満室だった。
 そんな中で、フレデリーケは、一番ランク下の狭いシングルルームに一人でいた。
 子爵と妾とその子供は、唯一空いていたスイート仕様の部屋に入り、同じ階のツインルームに、妾の両親が入っているという。子供の乳母や使用人は部屋がなく、徒歩で数分のところにある更に格下の安ホテルにそれぞれ部屋をとったらしい。
 エルフリーデは、沸騰しそうになる頭を懸命に冷まそうと努めながら、自ら紅茶を淹れてもてなそうとするフレデリーケの腕を強引に引っ張るようにして、邸に連れてきたのである。
 それ以来、フレデリーケもゴットルプ子爵家同様、ロイエンタール邸に居候している。
「申し訳ありません。私の勝手で、お連れしてしまって…」
 漸く頭を冷やして、冷静さを取り戻したエルフリーデが詫びると、フレデリーケは、穏やかに微笑んで首を振る。
「いいえ。私の方こそ、正直、ほっとしています。そろそろ精神的に限界でしたから。それに、私があの部屋を出れば、代わりに乳母が入ることができるわ。いくら近いと言っても、乳児の世話をするにはやはり同じ建物の中にいる方が都合がいいでしょう」
 この人は、こんな時でも、それでも他人のことを思い遣るのか。
 エルフリーデは、自分には到底真似のできない崇高さに、心から平服したい気持だった。そして、この女性が受けている理不尽な仕打ちに対して、ぶつけようのない怒りを感じていた。
「邸の修復が終わるまで、お世話になります」
 そう言って、丁寧にお辞儀をする大先輩に向かって、エルフリーデは、いっそのことずっとここにいて下さって構いませんわと、思わず言ってしまった。
 ツェルプスト子爵は、これほど彼女をないがしろにしておきながら、彼女と別れるつもりは全くないらしい。
 ローエングラム王朝は、実質は簒奪王朝だが、あくまでも禅譲を受けてのゴールデンバウム王朝の後継王朝であるということになっている。
 その為、旧王朝下での爵位や貴族称号など、有名無実化しているとはいえ、形式だけは残しておいた。
 これには、政治的に2つの思惑と配慮があると言われている。
 あえて「貴族」というものを残すことによって、本当に価値のないものであるという意識を急速に国民の間に浸透させるという意識改革だった。下手に爵位や貴族号を全面廃止すれば、「新王朝がそこまで躍起になって廃止したもの」として逆に価値あるものと認識され、「元貴族」と称する者達の跳梁を促しかねない。
 また、500年近くの間存続してきた貴族制度の中で、それなりに上手くやってきていた家もあり、それらに対して一律に即時撤廃を突き付けるのは、逆に新王朝に対する国民の信頼が揺らぐことにもなる。
 ラインハルト自身は、帝国の後宮制度にも貴族社会の側室制度にも強い嫌悪感を持っており、個人的には全面撤廃に賛成の立場であるが、後宮制度はともかくとして、側室制度に関しては、段階的に法を整備しながら、最終的に自然消滅する形で民政省は立法案を進めているらしい。
 同時に、地球学に基づいた、フェザーンの先進医療を帝国内に遍く浸透させ、いかなる辺境惑星に置いても、身分に関係なくオーディンやフェザーンと同レベルの医療を受けることができるように、10年計画で制度を整える。その中で、特に、不妊治療に置いては、全て国費負担とし、その原因究明から、最適な治療法を経て出産に至るまでを全てカバーするという画期的な方針を打ち出した。
 長きに渡る戦争下で、上は皇族から下は庶民まで、国を挙げて「産めよ増やせよ」と出産を奨励してきたが、肝心の「安全な出産」と「不妊原因の追及」は、数百年に渡っておざなりにされてきた。
 ローエングラム王朝は、まず、人間の誕生の根本を司るこの部分に大胆なメスを入れた。同時にこれは、金や地位のある男が、単なる好色で複数の妻を持つ口実を失わさせた。
 元々後宮制度も側室制度も、根は同じところにあり、要するに男系で繋いできた家系が途絶えないようにする為を口実にした、男側の合法的な不貞に他ならない。
 それでも、正妻と妾とが共に仲良く主人を支えて、家の中が上手くまわっている場合もあるし、実際、女性の社会進出が極端に少ない帝国社会では、一夫一婦制を立法化されると、行き場を失ったり、産みの我が子と別れなければならない女性も多い。
 ラインハルトは、フェザーンに対しても、高等弁務官を置いた同盟に対しても、その星系ごとに存在する自治法をほぼ以前通り認め、不敬罪を除く全ての法律に、帝国風の非合理な封建主義的司法制度を強制することはなかった。
 この寛大な統治を、同盟やフェザーンの一般庶民は歓迎したが、一部の帝国人官吏の中には、「なぜ征服者である我々が、被征服者の法に従わねばならないのだ。これでは、どちらがどちらを支配しているのかわからないではないか」と言った意見とも不満ともつかない声が聴こえることも事実だった。
 司法省はまず、帝国の婚姻制度を完全に一夫一婦制化し、重婚を認めないとする法案を纏めて皇帝の裁可を得、来年1月1日を以って施行することに決定した。
 また、青少年福祉の観点から、男女共に特例を除き18歳以下での婚姻を禁じた。
 なお、それ以前の側室や、正妻の死去などで、実質的に妻の役割を果たしている法的な婚姻関係にない者に対しては、当人達の希望に従い、場合によっては、政府からの助成金で自立支援を受けることができるという細かな補足案まで提出された。
 もっとも、これによって影響を受ける人々は、帝国内に1%もいない。
 妻以外に、側室だの愛妾だのを持てるような貴族や大商人は、リップシュタットであらかた滅びてしまっており、残っている貴族も、現皇帝の為人に配慮して、そちらの方面では身を慎む者が多い。
 当初は、「皇帝は、名君の器量を示す為に、自分の潔癖性を部下に押し付けたりはしないさ」と言っていた発展家の部類に入る軍人や官吏達の楽観論も、ロイエンタール元帥の突然の結婚というニュースに、冷や水を浴びせられる形となった。
 ロイエンタール自身は、彼等の道徳心の啓発の為に結婚したわけではないが、結果的に「あのロイエンタール元帥でさえ、家庭を持って陛下にお仕えする気になった」というインパクトは絶大だった。
 しかも、結婚直後は、別れる時期が地下組織の同元主催で、賭けの対象となり、一番多いのが、彼の平均交際期間である2週間であり、殆どが半年以内に賭けるという有様だった。
 ところが、最初こそよそよそしかったものの、2人は公式の席に出る度に新密度を増し、遂に懐妊発表までされるに至っては、ギャンブラー達の士気は一気に下がった。
 現在の彼等の最高の関心事は、生まれる子の性別で、これは男児の予想が僅かに上回っている。
 しかも噂によると、平時は皇帝に代わって帝国軍全軍を統括する元帥は、家庭では年齢半分の幼妻に、お前呼ばわりされ、伯爵夫人の妻と、帝国騎士の夫の夫婦として過ごしているという。それでも元帥が、一切不満を表さないのは、ぞっこん惚れ切っているからだろうとの軍内ではもっぱらの噂だった。
 しかし、法律が改正されるのは、新しい時代を生きる女性にとっては朗報と言えるかもしれないが、あくまでも対象となるのは、施行後のことであり、旧体制下で当事者全員が納得した上で側室を迎えたツェルプスト子爵家には、残念ながら適用されない。
 それを過去に遡って認めてしまうと、帝国内の離婚者が膨大な数になり、社会不安や治安の悪化すら招きかねない。
 ならば、フレデリーケの場合、個人的に調停や裁判を起こすという方法があるが、世間体を気にする子爵が承知するとも思えないし、現状ではフレデリーケの方に有利な材料はない。
 側室の話が来た時、夫は彼女に真っ先に相談し、彼女が了承したからこそ、子爵は女を囲う気になったのだ。
 3年以上経っても正妻に子供ができない場合、これは当時の貴族社会の慣習ではごく普通のことで、子爵も子爵夫人も側室の娘も、誰一人として社会規範から外れてはいなかった。
「私は、もういいのよ。生まれた時期に、少し運がなかったんだわ。それよりも、これからは、私のような思いをする女がいなくなるのね」
 フレデリーケは、全てを諦めたように静かに言う。
 朝食の後、出仕していくロイエンタールとゴットルプ子爵を見送った後、テラスでハーブティーを飲みながら、エルフリーデは、フレデリーケと2人で話していた。
 ゴットルプ子爵夫人は、こちらの学校へ編入する息子に付き添って外出しており、幼い下の女の子は、広い庭が気に入ったのか、駆け回って、乳母を困らせている。その様子に目を細めながら、フレデリーケは、ふと心配そうにエルフリーデに向き直った。
「それよりエルフィー、朝食はいつもあんなものしか召し上がっていないの? 悪阻が辛いのでしょうけど、あれでは身体が持たないのでは?」
 エルフリーデの朝食の食卓に、小さなコップ一杯のフルーツジュースと、ほんの少しの量のオートミールしかないことを気にしていたようだ。
「ええ、私もよくないのはわかっているんですが、どうしても食べ物の匂いがダメで…それで、午後と夕方に、病院から看護師が来て、栄養点滴をしているんです。ほら、私って元々体脂肪率が低い体質でしょう? 13%以下になったらまずいんで、今はとにかく栄養をとらなければいけないんですが…」
 エルフリーデは、爆破事件の際に嗅いだ人肉が焦げる匂いを思い出す度に、何も食べられなくなってしまったことを正直に話した。
 室内にいたフレデリーケは、水浸しの邸内で、爆破が収まるまでじっと待ち、救助の車に乗って脱出した為、ビルからの落下物を直接浴びることはなかった。
「そう…」
 労わるように後輩を見詰める蒼い瞳は、昔と変わらず澄んでいた。
 どうして、この人の幸せが壊れてしまったんだろうか?
 この人が幸せになれないなんて、おかしい。
 エルフリーデは、フェザーンに向かう客船の中で再会した時から、ずっとそう思っていた。
 フレデリーケは、午後になると、ゴットルプ子爵家の下の娘を連れて、邸から徒歩で5分ほどの場所にあるスケートリンクに出かけていった。
 新王朝になり、フェザーンを併合し、同盟との停戦がなってから、スポーツ界にも変革の兆しが起こった。
 まず、帝国、フェザーン、同盟で微妙に異なっていたルールを統一し、4年後の宇宙選手権大会(五輪)を目指し、実行委員会が立ちあげられた。
 それにより、帝国内では、身分によって規制されていたスポーツが、全面的に解禁され、平民でも実力があれば、選手になることが可能になった。
 これまで貴族と高額納税者の一部平民しか選手登録できなかったフェンシング、フィギュアスケート、馬術などの競技人口が、徐々に増えることが予測された。
 とはいえ、各競技とも全く貴族の選手しかいなかったのかと言うと、必ずしもそうではない。選手登録は出来なくとも、レッスン料を払えばある程度の余裕のある平民なら子供に習わせることは可能で、その中で突出した才能のある子は、選手登録のみをどこかの貴族を仮親にして行うことで競技会に出ることも稀に見られた。
 だが、採点競技では、判定が微妙な場合、やはり生まれのいい生粋の貴族の子が有利であることは否めず、誰の目にも圧倒的でない限り、常に双方にしこりを残すことが多かった。
 エルフリーデも、明らかに負けたと思った下級貴族の娘より、何故か順位が上になったこともあれば、絶対に自分の方が勝っていたと思っていた皇族に、点数調整で順位が下に置かれた経験を何度かしたことがある。
 この競技のインストラクター資格者であるフレデリーケによると、来年度から、同盟やフェザーンの選手も含めた競技会になる為、ルールの大幅改定が行われ、それによって、従来のような選手の出自による点数調整などができなくなるのだそうだ。
「一度、フェザーンのリンクの練習を見たことがあるけど、すごいのよ、こちらは。多分、同じルールで争ったら、帝国の選手の大部分は不利になるでしょうね。でも、これでやっと本物のフィギュアスケートが再現できるわ。あの13日間戦争以前の、この競技が最も高い水準に達していた旧暦の21世紀初頭のレベルを、やっと取り戻せるかもしれないのよ」
 そう話す時のフレデリーケの瞳は、昔と同じ輝きを一瞬取り戻していて、エルフリーデを安心させる。
 ゲルマン復古主義のゴールデンバウム王朝銀河帝国では、地球時代のゲルマン民族国家で盛んだったスポーツが奨励されてきた。
 身分制限のないスポーツでは、サッカーがその代表格で、各星系ごとにプロリーグが存在し、星系選抜チーム同士が4年に一度首都星オーディンで戦う「銀河カップ」が行われる国民的スポーツだった。
 アルペンスキーやホッケーなど、地球時代のゲルマン系選手が多く活躍したウィンタースポーツも盛んだった。
 どの競技も、一流選手は兵役を免除されたり、安全な後方勤務の配属だった為、彼等は命がけで取り組み、多くの競技で地球時代末期の最盛期のレベルに到達していた。
 フレデリーケによると、フェザーンへの正式遷都が成り、同盟領を事実上併合したら、個人競技の場合、練習拠点をフェザーンへ移す選手が増えて、また活気づくのではないかという。
「確か、フィギュアの一流コーチって、すごい大金持ちなんでしょう?」
 エルフリーデは、ふと今まで考えてもみなかったことを口にしてみた。
 政変前、両親が健在で、様々な習い事をしていた時の自分は、そのレッスン料のことなど考えたこともなかった。しかし、こうして今、もし離婚した場合の、フレデリーケの経済的基盤を想定すると、彼女が収入を得られる道を色々と模索せずにはいられない。
「大金を稼ぐコーチは、有名選手を何人も育てた実績のある人よ。駆け出しの若い指導者のところへやってくる有望選手は、なかなかいないわ。才能のありそうな子を連れてきて育てるというのもあるけど、その子が必ずしも成功するとは限らないし、一種のギャンブルね。…いいのよ、エルフィー、私は、僅かな報酬で、半分ボランティアでやっているの。子供達とリンクにいる時は、嫌なことも全部忘れられるわ」
 そう言って笑って出かけて行ったフレデリーケに、エルフリーデもそれ以上何も言えなかった。
 午後の栄養点滴を受けると、エルフリーデは、受験勉強の続きを始めた。
 暫くすると、ゴットルプ子爵夫人と息子のマルティンが帰ってきて、10歳の従弟は、書斎で勉強中のエルフリーデに纏わりついて、フェザーンの学校の最新設備について興奮気味に話し出した。
「これ、伯爵夫人のお邪魔をしてはいけません」
 子爵夫人が、申し訳なさそうに息子を叱ると、エルフリーデは笑顔で、丁度きりがいいからと言って、電子テキストをオフにした。
「今夜は、旦那様のお誕生日だから、みんなでお祝いをするのよ。あなた達のお料理やケーキもちゃんと用意させますからね」
 エルフリーデがそう言うと、少年は「わーい!」と子供らしい歓声を上げ、叔母の子爵夫人は、夫に対して、平凡だが妻らしいことをしようとする義理の姪に、安堵と喜びの表情を見せた。
「本当に…ようございました。こんなに仲良くおなりで…」
 当初、あまりにも若い義理の姪の政略結婚を心配していた子爵夫人は、少し目を潤ませながら、エルフリーデの細く白い手を握り締めた。
 エルフリーデには、正直なところ、あの男が本当に、人並みに自分の誕生日を祝う晩餐会などを喜ぶかどうか自信がなかった。
 だが、決めたからにはやるしかない。これは、今後の自分達の家庭にとっても、重要なことでもあるのだ。
 エルフリーデは、自分が両親にそうされてきたように、今お腹の中にいる子が産まれたら、毎年その子の誕生日を家族で祝える家庭にしたいと思っている。それにはまず、父親であるあの男に、周囲の人間が、自分の出生を祝うことを素直に受け入れる人間になってもらわなければならない。
 あの男は、乳児の頃、母親に瞳を抉られかけ、物心ついて以来父親にはずっと罵られて育ったという。
 この負の連鎖は、ここで断ち切らなければならない。
 エルフリーデは、そう決心していた。
 最初は、平凡に、何か誕生日プレゼントを贈ることを考えたが、どうしても思いつかなかった。あの男は、お金で買えるもので手に入らないものなど殆どないはずだし、かと言って、ミッターマイヤー夫人のように手作りできるような技能もない。
 そこで、結局、親しい者達を集めての夕餉ということに落ち着いたのだった。
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