egotop
Egoist
Mail
HomeAboutMainLinkLog&PresentBlog
食うために軍人になった女達 −ハーレクインもどきスピンオフ小説(3)−
 新帝国歴1年8月28日1420時、本隊の帰還に遅れること二週間、ワーレン艦隊の残務処理を地球に残って遂行していたコンラート・リンザー中佐率いる艦艇が、無事オーディンに帰投した。
 宇宙港には、上級大将の位にあるワーレン提督が自ら出迎えて労い、同時にリンザー中佐の大佐への昇進と司令部への栄転を伝えた。
 これは、内戦時は、敵側であった彼が、今後、ワーレン艦隊の中核に身を置き出世コースに乗ったことを意味する。
 ファーレンハイトが赦されて、現在も軍首脳として国家の重鎮の地位にあるように、ラインハルトは、有能で誠実な人材に対しては、かつての敵であっても寛大であった。
 しかし、やはり当初から彼に味方していた者達への配慮もあり、リップシュタット以降から陣営に加わった所謂「寝返り組」の一般兵士達は、押しなべて出世のスピードが緩やかだった。
 しかし、神々の黄昏作戦、バーミリオン会戦を経て、新王朝開闢に至ったこの1年余りの間に、徐々にその慣例も緩められ、特にリンザーのような平民出の若い士官には、少しづつ活躍のチャンスが廻ってくるようになっていた。そのお陰で、リップシュタット戦役時点で大尉だったリンザーは、この2年で中佐にまで昇進している。
 彼の存在が、地球でワーレンの脳裏を霞めたのは、義手というハンデによる殆ど偶然によるものと言ってよかった。しかし、リンザーはその幸運を逃がさず、最大限に活かして成果を上げたのである。それは、紛れも無く彼の実力であった。
 リンザーは、この後、正式に辞令を受ける為、大本営に出頭し、同時に、ワーレンと共に地球で押収した資料の提出と地球教討伐作戦終了の最終報告を皇帝の御前にて行ったのである。
「卿は、確かリップシュタット戦役の際、キルヒアイスに降伏した者であったな」
「はっ!」
 皇帝からの思わぬご下問に、直答を許されたリンザーは、全身を硬直させながら答えた。
「うむ。この度の働きは、見事であったとワーレンから聞いている。今後もワーレン艦隊の司令部にて提督を助けるように」
 リンザーは、再度背筋を伸ばすと、義手の右手で再敬礼して、上官と共に謁見の間を辞去した。
 その後、艦隊本部ビルに引き上げ、あらためて司令部の一員として紹介されると、狭いとは言え、一室を専用オフィスとして与えられた上、副官兼秘書として、自分より2、3歳年長に見える少尉階級の男を宛がわれた。
 また、内々にではあるが、今回の大佐昇進は、一時的なステップに過ぎず、フェザーン移転後は、准将として、正式にワーレン艦隊の幕僚の一人に名を連ねることも伝えられていた。艦隊司令官以外で、彼の年齢としては、異例の抜擢と言えた。
 それを聞いたリンザーは、その場で小躍りしたい衝動を懸命に堪えながらも、必死に平静を装って敬礼を返す。
 大佐と准将。身分的にはわずか一階級の違いに過ぎないが、その差には高い壁が存在し、それは大尉と少佐の差の比ではなかった。
 大佐までの佐官は、士官とはいえ所詮一兵士に過ぎず、部下の数も権限も限られている。しかし、たった一階級上の准将になると、将官として、「閣下」と呼ばれるようになり、元帥や皇帝に対しても、希望すれば単独で面会できる権利を有する。これは即ち、軍の重大決定事項に、自らの意見を反映させることができることを意味していた。おまけのような特権ではあるが、将官以上専用の高級士官クラブ、海鷲<ゼーアドラー>にも晴れて出入り可能となる。
 リンザーは、直属の上司となるライブル中将の計らいで、この日は、そのまま退庁時間を待たずに帰宅を許された。
 しかし、彼が艦隊本部ビルを出るや否や真っ先に行ったことは、通信可能となった自分の携帯端末から、軍務省のヘレーネ・シェリング准尉に連絡をとったことだった。
 リンザーは、一旦、官舎に戻ると私服に着替え、午後7時にヘレーネと待ち合わせたレストランに着いた。
 ヘレーネは先に来ていて、やはり一度官舎に戻ったのか、淡いピンク色のワンピース姿で、いつもは束ねてアップにしている髪を下ろしている。
「ご昇進、おめでとうございます。大佐」
 少々奮発した赤ワインで乾杯しながら、ヘレーネは、2ヶ月近く離れていた恋人に、開口一番に言った。
「おい、今は仕事抜きだ。うっかり敬礼しそうだから、階級で呼ぶのはやめてくれ」
 リンザーは目で笑いながら、少し照れて応える。
「はい。では、あらためて、おめでとう。コンラート」
 ヘレーネは、初めて年頃の娘らしい笑顔を見せた。
 ベアトリス達には、まだ2回しかデートしていないと言って誤魔化していたが、本当は、2度目の時、既に2人は男女の関係になっていて、その後も頻繁に会っていた。
 初めてコンラート・リンザーと結ばれた時、ヘレーネは、彼に運命的なものを感じ取っていた。
 母親譲りの器量良しのせいか、大学でも少し派手に見られがちだったが、彼女の異性関係は意外に少なく、知っている男はコンラートで3人目だった。
 もっとも、古い貞操観念の根強い帝国の未婚女性としては、これでも充分発展家の方と言えるかもしれない。
 最初の男は、養女となった男爵家で暮らしていた時に、17になったばかりの頃、養父母から紹介されたとある伯爵家の次男だった。恐らく、父親のリッテンハイム候の差し金だったのだろう。後にして思えば、ヘレーネを引き取ったのも、親心からなどではなく、閨閥を形成する手駒として使える娘だと踏んだからに違いない。
 男女のことなど殆ど知らない17の娘は、内々で婚約すると、ただ相手に求められるままに身を委ねた。行為は、ヘレーネに苦痛と痛み以外何の感慨も齎さず、その後も何度か抱かれたが、今では顔も覚えていない。この男も、門閥貴族派がオーディンを脱出する際、リッテンハイム候同様、ヘレーネのところには現れなかった。元々心を通わせていたわけではなかったが、父親だけでなく、婚約者にとっても自分はその程度の存在だったのかと思うと、やるせなかった。しかし、その男も、結局はリップシュタット戦役で無謀な戦いの末に戦死したらしい。
 2人目の男は、大学の同級生の下級貴族だった。同じゼミに所属し、当初は、身寄りの無い孤独なヘレーネを慰めてくれた良き友人だった。ヘレーネは、さすがにリッテンハイムの名までは出せなかったが、自分が門閥貴族の落し胤であることを打ち明け、彼はベアトリス以外の人間で、初めてヘレーネの秘密を知る存在となった。しかし、それだけ気を許した相手であったにも関わらず、結局彼との交際も身体の関係をもった途端に終わりを告げた。
 相手の男は、学問や思想では開明派を気取っていたが、男女関係には保守的で潔癖だったらしく、ヘレーネが処女ではなかったことに怒り、散々に詰ると、何を言っても聞く耳を持たなかった。
 ヘレーネは、数日間は、ショックで部屋に籠もっていたが、やがて、あの男とは所詮それまでの縁だったのだろうと、自分の中でけりをつけた。親友のベアトリスの励ましが、立ち直りを早めてくれたことは、今でも感謝している。
 軍に採用され、研修期間中に知り合ったリンザーに交際を申し込まれた時、ヘレーネ自身も彼に好意を持っていただけに、一旦は躊躇した。
 また同じ思いで傷つきたくなかったし、彼の片腕が義手である理由を知って、自分の出自やサビーネのことを打ち明ける勇気もなかった。
 しかし、結局は、ヘレーネは女としての本能に抗えず、リンザーを受け入れた。
「あの・・・最初に言っておきます。私、初めてじゃありません」
 食事をした後、なし崩し的に彼の部屋に行き、雰囲気が盛り上がった時、ヘレーネはつと身を離してそう言った。
「あん?」
 その言葉を聴いたリンザー中佐は、瞬間、あんぐりとした表情をしたが、やがて、くっくっと、笑い出した。
「なんだ。大学出の開明派女史だと思っていたが、案外古臭いんだな」
 そう言って、ヘレーネをもう一度抱きしめてくれた。
 その胸の温かさに、暫し忘れていた人の温もりを感じたヘレーネは、不思議な安心感に包まれ、いつの間にか涙を流していた。
「何も言うな。俺だって、これでも色々とあったさ」
 リンザーは、何か言いたげなヘレーネの唇を少し荒々しく塞ぐと、2人はそのままベットに雪崩込んだ。
 ヘレーネは、コンラート・リンザーによって、初めて本当に男女が結ばれるということの意味を知った。
 リンザーは、帝国の男にしては珍しく合理的な精神の持ち主で、女性を型にはめて考えない人間だった。万事に於いておおらかで、細かいことには拘らない。それでいて、人の気持ちを敏感に察する繊細さを持ち合わせていた。
 また、仕え甲斐のないリッテンハイムに、早々に見切りをつけ、生き残った部下や従軍していた少年兵等を率いて即座にキルヒアイスに投降を申し入れたことからも、視野が広く、無用な執着心を持たない、いい意味で切り替えの早い人物でもあった。その辺の気質を、ヘレーネは自身と共通するものを感じていた。
 尤も、彼が門閥貴族派に属していたのは、元々彼の意思ではなく、偶々所属する部隊の司令官がリッテンハイムについたから、自動的に門閥貴族陣営にいたに過ぎない。当時大尉の階級の彼には、まだ自らの将来を託す陣営を自ら選ぶだけの権限はなかった。
 寝返ることに抵抗がなかったのには、そういった事情も影響していた。
 但し、反面情に篤く、平民故に常に上官の機嫌よりも部下や目下の者のことを考えて行動することが多く、その分人望もあった。彼がいち早くキルヒアイスへの投降を決断したおかげで、どれ程の兵士達が無駄死にせずに済んだことか。
 ヘレーネは、そんな彼と接する度に、自分でも抑えきれないほど、どんどん惹かれていくのだった。
 コンラート・リンザーは、平民の出だが、実家は、首都星オーディンを中心に、ヴァルハラ星系内の主な惑星都市に計数千店舗を展開する一般市民向けのビアホールチェーン『リンザー』を経営するオーナーだった。元々平民をターゲットにした商売故、門閥貴族とそれに連なる事業者が次々と没落していく中で、以前にも増して隆盛を誇っているらしい。その所為か、同じ平民でも、貧しい雑貨屋の娘として育ったヘレーネとは、経済観念が根本的に違い、しばしば戸惑うこともある。
 今は勤務地に近いこともあって、佐官用の官舎に住んでいるが、郊外の高級住宅街には、父親が建ててくれた立派な邸があるらしい。はっきり言って、これといった収入源のない男爵家のアデナウアー家などより余程裕福だ。
 しかし、彼自身は、実家の財力を当てにするつもりはないらしく、あくまでも自分の才覚で軍人としての栄達を望んでいた。
 四男坊の彼は、家業を継ぐつもりはなく、家族の反対を押し切って士官学校に入学したという。
 軍人を志した切っ掛けは、彼を可愛がってくれていた歳の離れた長兄の予期せぬ戦死だったことも話してくれた。
 富豪であるリンザー家は、帝国内の殆どの金持ちがやるように、徴兵される息子の為に、関係者に多額の賄賂を贈り、戦死する確率が極めて低い安全な後方勤務に配属されるよう依頼した。ところが、運悪く配属された補給基地が叛徒の奇襲に遭い、兄は帰らなかった。
 数年後、その戦闘の数少ない生き残りである兄の戦友だったという男性が訪ねてきて、兄の遺品を届け、家族の前で最期の様子を辛そうに語ってくれた。
 彼によると、部隊が壊滅したのは、元々ろくに戦力もない補給基地であるにも関わらず、貴族出身の基地司令官が、自分の面子に拘り、最後まで無謀な抵抗を命じた為であるという。さっさと基地を放棄して逃げていれば、兄は死なずに済んだことを知ったリンザーは、貴族階級への怒りと、自分は、高級軍人となって、無能な貴族の上官に命令されなくて済む立場になろうと決意し、ギムナジウムを出ると、大学へは進学せず、士官学校へと進んだ。
 苦学してキャリア採用されたヘレーネも、そんな彼の生き方に共感を覚えていた。
 金持ちとはいえ、彼もこの国で、平民としての悲哀を少なからず経験していることに、安心感に似た感情も持った。
 元々ヘレーネの母も、祖父の戦死が切っ掛けでリッテンハイム家に仕えることになり、自分は生まれた。そして、従兄弟達の相次ぐ戦死に、伯父夫婦、母と、次々と周囲から家族が消えていった。
 彼女のような境遇は、平民では決して珍しいものではなく、この国の平民の誰もが少なからず抱えているリスクだった。
 国の命令で、肉親が否応無く死地へ赴かされる。
 生きて帰れないかもしれない。たとえ帰ったとしても、五体満足でないかもしれない。それは、権門の貴族の家族なら、決して経験しない闇だった。
 ヘレーネは、短い交際の中で、リンザーと共に人生を歩んで行きたいという思いと、リッテンハイム候の娘である自分は、彼の将来の為にならないとの判断との間で激しく葛藤していた。
「なあ、俺たちもいっそのこと、ロイエンタール元帥に倣って、電撃結婚ってのはどうだ?」
 ワーレン艦隊が地球へ向けて発進する前日、ベッドの中で、ふいにそう言われたヘレーネは、嬉しさと戸惑いとで、言葉が見つからなかった。
 彼が自分と同じ気持ちでいてくれたことが、何より嬉しいが、結婚となれば、全てを明かさなければならない。
「すまん、悪かった。いくら何でも急過ぎるよな。お前には、伯爵夫人みたいに結婚を急ぐ理由もないんだし。まあ、俺がそのつもりだということだけ頭に留めておいてくれ。これから地球へ行って、帰ってくるまでに時間はあるから、それまでにゆっくり考えておいてくれればいい」
 ヘレーネの戸惑いを、逡巡と見て取ったリンザーは、すぐさま自分の性急さを詫びると、翌朝、宇宙へと旅立って行った。


「ところで、どうだ? あの話、考えてくれたか?」
 レストランで食事をした後、そのまま近くのホテルにチェックインし、久しぶりの逢瀬の後で、リンザーは尋ねた。
「あの話」とは、勿論、2人の結婚のことである。
 情事の後のけだるさの中で、ヘレーネは、いよいよその時が来たと思った。
「私、あなたのことを愛しているわ。結婚するなら、あなた以外の人は考えられない」
 ヘレーネは、抑揚のない声で、シーツに身を包みながら、わざとリンザーに背を向けて答える。
 リンザーは、その言葉を「Ja.」と受け取り、喜色を浮かべてヘレーネの背中を強く抱きしめた。
 不思議なことに、体温のないはずの義手からも、温かさが伝わってくる。
「でも・・・ごめんなさい。私、あなたに隠していたことがあるの」
 ヘレーネは、これが最後かもしれない背中の温もりを確かめながら呟いた。
「なんだ? お前が、どっかの門閥貴族のご落胤だという話か?」
「えっ・・・?」
 リンザーの思いもよらない言葉に、ヘレーネは、今度こそ身体を向き直した。
 なぜ?と問う目を向けるヘレーネに、リンザーは事も無げに言った。
「お前、最初に2人で会った時、卒業したギムナジウムの話をしたろ? 確か、同じ軍務省に配属されたアデナウアー准尉と同窓だったと。実は、俺もそこの出身なんだ。俺はこれでもお前の6年先輩に当たるというわけさ。で、あそこは、家柄か財力優先で生徒を入学させるから、奨学金制度もないし、下級貴族や金持ちの平民の子しかいない。お前が、貧しい雑貨屋の娘で苦労したと聞いて、すぐに見当がついた。それに、お前、生粋の平民にしては綺麗過ぎるし、何ていうか、物腰に品がある」
 それは、一時的にではあるが、男爵家の娘として色々と仕込まれた成果だったのだが、ヘレーネは、それすら答えることができないでいた。
 コンラートが、いったいどこまで知っているのか、固唾を呑んで彼の次の言葉を待った。
「あのギムナジウムでは、そういう訳ありの半貴族みたいな生徒を時々見かける。これは内輪の話だが、うちの2人の兄達も、そうした訳あり貴族の家から嫁を貰っているのさ。うちは平民で商売を手広くやってる都合上、旧王朝時代は、会社を守る為に、門閥貴族とのコネが必要だったからな。お袋は帝国騎士の娘だが、上の兄の妻は、どっかの伯爵の私生児だと聞いている。下の兄の妻も子爵令嬢で、こっちはれっきとした嫡出子だが、家自体が没落してて、負債を我が家で肩代わりする条件で、ご降嫁願ったというわけだ。お前は、なんとなく、そういう連中に共通する雰囲気がある・・・あ、他意はない。これは、全くの俺の想像だから、違っていたらすまない。気を悪くしたら誤る」
 そう言って頭を下げるリンザーに、ヘレーネは小さく首を振った。
 やはりこの男は、只者ではなかった。その鋭い観察眼に、敬服すると同時に、一種の恐怖すら覚える。彼には隠し事などできない。
 そして、やはり血というものは、切りたくても切れない呪縛なのだとの思いを強くしたのだった。
 へレーネは、自分は母親似だとずっと思ってきたのだが、リッテンハイム候と対面した時、親子の情は湧かなかったものの、確かに彼が自分の父親であるという確信は持てた。 ぱっと見た目には、それほどではないが、身体つきや、頬から顎にかけての輪郭や、薄めの唇が、自分が紛れもなくこの男の血を引いていることを実感できた。
 異母妹のサビーネとも、最初は全く共通点はないと思っていた。
 お互い母親似で、顔立ちや雰囲気がまるで違うので、全く他人と同じ感覚だった。
 ところが、彼女を引き取り、世話をするようになると、指や爪の形とか、少し甲高ぎみで幅の狭い足の形とか、髪の生え際の形とか、変なところが良く似ているのに気づかされた。
 そんな発見をする度に、自分は紛れも無く、あの忌まわしい男の血を引く人間なのだと再認識する。
「コンラート。あなたの言う通りよ。でも、隠していたのは、それだけじゃないの」
 ヘレーネは、素早く立ち上がると、急いで身支度をし、ベッド脇の小さなソファに腰掛けた。
 今夜は泊まっていくものとばかり思っていたリンザーは、呆気に取られながら、このままでは話ができないと思って、慌てて自分もバスローブを羽織り、ヘレーネの向いの椅子に腰掛けた。
「おい、勘違いするな。俺は、お前の生まれなんかには興味はない。今のお前がいれば充分だ」
 少し寝癖のついた淡い栗色の髪をかき上げて、リンザーはヘレーネと向かい合った。
 ヘレーネは、それから、今まで言えなかったことを、静かに、順を追って語り始めた。
 自分が、貧しい平民の母子家庭の子として育ち、家族を次々と亡くしたこと。苦学して大学を出てキャリア採用試験に受かり、病気の妹を養っていることまでは本当であること。
 話していなかったのは、15歳で孤児となった時、初めて自分の父親がリッテンハイム候であると知ったこと。その後、一時的に一門の男爵家の養女となり、養父母亡き後に爵位を継いだが、1年もしないうちにリップシュタット戦役が勃発し、元の平民として生きていること。そして、1年前、サビーネを保護した経緯と、現在の状況を淡々と語った。
 聞いていたリンザーは、数瞬押し黙ったが、やがてしっかりとヘレーネと目を合わせながら静かに口を開いた。
「・・・俺の、気持ちは変わらない。お前は、ヘレーネ・シェリングだ。遺伝上の父親が誰であろうと、俺はお前を愛している」
 ヘレーネは、小さく頷きながら、俯いた。
 この男なら、きっとそう言ってくれると思っていた。
 この数年の人生経験で、そのくらいの男を見る目は養ったつもりだ。
 だからこそ、自分の為に、今まさに出世の階段を登ろうとしているこの男の将来を奪うことはできない。
「あなたの右腕を奪った男の娘なのよ。私は」
「関係ないね。俺たちを砲撃したのは確かにリッテンハイム候だ。お前ではない。それに、よく考えて見ろ。お前達母子も、言ってみれば、身勝手な門閥貴族の被害者じゃないか」
 確かにその通りだった。貴族のバカ息子が、欲望のままに使用人に手を出し、妊娠させるなど当時は珍しくもない話だった。無論、メイドの身分の母に拒絶などできようはずもない。しかも、ヘレーネの母は、正式な側室はおろか、妾にもしてもらえず、裸同然で追い出され、生まれた娘は、何の経済的援助もされないまま15年も放置されてきたのだ。理屈で言えば、今更リッテンハイムの娘であることに、何の負い目を感じる必要があるのか。しかし、血の繋がりというものは、そんなに簡単に理屈で片付けられるものではないとの思いが、ヘレーネは、どうしても拭い去れない。
「私の身の上が公になれば、あなたにも影響が出るかもしれないのよ。せっかく司令部に栄転になったのに・・・」
「それも関係ない。俺は将官の地位よりお前を失うことの方が、数万倍怖い」
 ヘレーネの膝に、ぽたりと涙の雫が落ちる。
 リンザーは、いつの間にか立ち上がると、ヘレーネの隣に座って肩を抱いていた。
「お前や俺が居ずらくなるような軍なら、こっちから願い下げさ。なあに、退役しても食うには困らない。親父に頭下げて、家業を手伝うさ。お前こそ、せっかくのキャリアを棒に振って、しかも将軍夫人じゃなくて、ビアホール屋の女房かもしれないんだぞ。それでもいいか?」
 顔を覗き込むリンザーに、ヘレーネは、涙声で数回頷いた。
「よし、じゃ、決まりだ。まず、お前の妹に会おう。そして、すぐにでも最新の医療を受けられる手配をしよう。お前の妹なら、俺の妹だ」
 リンザーは、幼い子供のように泣きじゃくるヘレーネの頭を両手で抱えながら、力強く宣言した。
BACK TOP NEXT
footer
Copyright(C)2010 Jeri All rights Reserved.