egotop
Egoist
Mail
HomeAboutMainLinkLog&PresentBlog
エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(39)
 リンザーの宿舎でのガーデンパーティーは、思いがけず豪華な顔ぶれが揃い、楽しい時間が過ぎていった。
 元々ヘレーネがオーディンの頃から仲の良い同僚3名を呼ぶつもりだったことから、ヒルダを含めた対策室全体に拡がり、次いでサビーネの主治医を務めてくれたファーレンハイト軍医中佐も、夫妻で招待することになった。
 同じく業務上で繋がりがあり何かと世話になっている工部尚書の秘書官殿も、公認の交際相手であるビッテンフェルト提督と一緒に招待すると、リンザーも士官学校時代からの友人であり、やっと将官同士の付き合いができるようになったバイエルラインを呼んだ。
 その内、ひょんな理由から、ファーレンハイトの提案で、ヘレーネにとっては亡き妹の友人で、葬儀にも出てくれた伯爵夫人を夫の元帥共々夫妻で招待することになると、成り行きで、バイエルラインの直属の上官であり、ロイエンタールの親友でもあるミッターマイヤーまでもが招待客に加わることとなった。
「ヘレーネお姉様、本日は、夫共々お招きに与り、誠にありがとうございます。また、この度は、ご婚約おめでとうございます」
 旧王朝の皇帝の孫娘だった友人の姉に向かって、礼を尽くした挨拶をする伯爵夫人の言葉に、下層の平民として育ったヘレーネは、背中がこそばゆくなる思いがした。
「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、伯爵夫人のご懐妊をお祝い申し上げます。今日は、気取らない集まりですから、伯爵夫人も庶民の味をご体験下さい」
 ヘレーネは、それでも、ほんの一時期貴族令嬢として習った礼儀作法を何とか思い出しながら、帝国元帥夫妻と非礼のないよう無難に挨拶を交わした。
 エルフリーデは、少し声のトーンを落として「ありがとうございます」とだけ言うと、間もなくして、ヘレーネの友人達や、ヒルダが近づいてきた。
 公式発表以来、誰も彼もが、彼女を目の前にすると、決まり文句のように懐妊祝いの言葉を言う。
 エルフリーデは、それを手放しで喜べない自分に、少し自己嫌悪を覚えるのだった。
 本来なら、結婚し早々に子供を授かるのは、身分の上下を問わずおめでたいことのはずだった。ましてや、彼女の夫は国家の元勲で帝国元帥である。なのに、自分には喜びよりも、戸惑いや不安といった感情の方が先に立ってしまう。
 そんなことを思うのは、罰あたりだと、エルフリーデは頭では解っている。
 無残な死を迎えたサビーネや、嫁いで何年も子ができず、側室の子を世継ぎとしなければならないフレデリーケのことを考えれば、自分の懐妊が嬉しくないなどとは口が裂けても言えない。
 彼女達ばかりではない。長く続いた戦争と、退化した周産期医療のせいで、帝国内では子供が出来ずに悩む夫婦は多い。現にミッターマイヤー元帥夫妻も、その一組だという。 エヴァンゼリンが、フレデリーケと違っているのは、彼女の夫は、間違っても他の女に後継ぎを産ませるようなことをしない点だ。だが、逆にそれ故に、オーディンにいるエヴァンゼリンの自分の子を持つことへの願望は大きいだろう。
 そこまで理屈で理解していながら、やはりどこか心が晴れないのは仕方がない。
 その一番の原因は、隣にいる夫であることもわかっている。
 懐妊していることを伝える前から、この男は、妻の妊娠をあまり喜んではいない。
 彼なりに、義務的に気遣っているのはわかるが、世の多くの父親のように、初めて自分の子を持つ男の歓びのようなものが全く伝わってこない。
 もしかしたら、この男も、私のような政略結婚の妻ではなく、心から愛した女性との子なら、人並みに我が子の誕生を喜んだのかしら?
 エルフリーデは、ふとそんなことを思いながら、親しげに談笑するパーティー客達を眺めていた。
 当初、バーベキューというものがよくわかっていなかったエルフリーデだったが、士官学校出の提督達が次々に切り分けて行く肉や野菜を食べながら、この形式が次第に気に入っていった。
 最初は、当然のように、ロイエンタールが適当に食べ頃の肉や海老を見繕って皿にとったものを食べていたが、ヒルダやヘレーネ達が自分で焼いているのを見て、思い切って真似してみることにした。
 生まれて初めての体験は、思った以上に楽しく、一時、悩みを忘れさせてくれた。
 ケーキやアイスクリームを自分で好きなものを好きなだけとって食べられるのも嬉しかった。
 ふと周囲を見渡すと、ロイエンタールは、珍しくミッターマイヤーではなく、対策室の文官達と何やら話し込んでいて、一方のミッターマイヤーは、バイエルラインに、しきりに何かを急き立てている。
『…俺はやっぱりミッターマイヤー元帥の奥方のような女性がいいな』
 口には出せないことをバイエルラインは、心底でそう思った。
 今日、この場にいる女性達は、全員万が一結婚なんかしたら、確実に尻に敷かれそうだ、というのが彼の正直な感想だった。
 現に、コールラウシュ伯爵夫人などは、あのロイエンタール元帥をこともあろうに、お前呼ばわりである。元帥も元帥で、それを苦々しく感じているような節は全くなく、パーティーが始まった当初は、甲斐甲斐しく妻の為に、皿に肉や野菜を取り分けてやっていた。
『どうも俺は、いくら若くてきれいでも、ああゆう気位の高そうな女は苦手だ』
 平民出の彼だが、新王朝の出世株として、最近多く持ち込まれる生き残った門閥貴族の令嬢との縁談を思い出してそう思った。
 エルフリーデは、上流貴族の娘という点を差し引いても、お世辞にも「気立ての良い娘」とは言い難い。これでも、この2年間の環境の激変で、少しましになったが、気性が激しく、頑固で人見知りで、異常に気位の高い基本的な性格は変わっていなかった。
『フロイライン・マリーンドルフも、高嶺の花だしなぁ』
 これは、バイエルラインだけでなく、若手将官達全員に共通した思いだった。
 ヒルダは、年齢的なことと、大学生活を経験していることもあり、エルフリーデよりも人当たりがよく、自分の感情をコントロールできる良く出来た女性だった。気位ばかり高い貴族令嬢が多い中で、平民とも対等に接し、バランス感覚に優れた稀有な存在だったが、短髪にパンツスーツという普段の姿が、それだけで男を拒絶しているように感じられた。
 実際、そこらの男で彼女の智謀に比肩する者は皆無だし、バイエルライン自身、艦隊戦の指揮以外の仕事を一緒にやったら、絶対に彼女の指示を仰ぐ立場に甘んじるだろうと確信している。
 結局、美しい貴族令嬢は、パッと見た一瞬、心を動かされるものの、それはその時だけのもので、その後長く付き合いを続けるのは自分には無理そうだと結論付けた。
 ただし、これもバイエルラインに限ったことではない。
 彼は、知る由もないことだったが、ヒルダは、あれだけの美貌と才智を持ちながら、2年間の共学の大学生活の中で、遂に恋人どころか、ボーイフレンドと呼べるレベルの存在すら見いだせなかった。
 男子学生達の殆どは、美貌の伯爵令嬢を一目見るなり心臓を射抜かれるのだが、ヒルダが彼等に求めたのは、恋愛ではなく、司法制度や経済政策に関する論争相手だった。
 その事を察すると、頭では男尊女卑を否定し、開明派を気取っても、やはり本音では女性に一歩下がった立場を求める帝国の男達は一斉に引いていく。
 だから、ヒルダは、後々までずっと、自分は、男から女性として求められない存在なのだと思いこむことになるのだった。
『リンザーは、いい相手を見つけたようだけど、彼女もキャリアだしなぁ…』
 旧友であるリンザーの婚約者のヘレーネ・シェリング准尉は、同じ平民で、階級の差もあってか、婚約者を立てて、バイエルラインから見て理想的な関係を築いているように見える。彼女がリッテンハイム候の庶子である事実は、軍では一部の人間しか知らない機密事項だった。
 だが、大学を出たキャリア採用の彼女は、リンザーと結婚しても、退役はしないだろう。現に、ファーレンハイト軍医中佐も、上級大将の夫を持ちながら、退役する気配は全くない。
 工部尚書の筆頭秘書官で、参事官の肩書を持つビッテンフェルトの恋人も、結婚して退職するどころか、下手をすれば10年後には、帝国初の女尚書にでもなっていそうな、見かけからは想像のつかないほどのキレ者だ。
 ミッターマイヤーが押すヘレーネの友人達も同様で、皆美しく賢そうだが、同時に自立心も強そうで、付き合い出したら完全に主導権を握られそうに思えた。
 かといって、ノンキャリア女性職員は、元々軍への配属は少なく、それ故に異常に競争率が高い。将官クラスと直接接する機会も少なく、殆どが尉官や佐官クラスの上官に見染められて、二十代半ばまでに結婚退職してしまう。
 バイエルラインも、艦隊勤務になる前の中尉時代に、統帥本部のオペレーターの女の子と付き合いかけたことがある。「かけた」というのは、初デートの約束をした直後に、異動の辞令が下り、そのままになってしまったからだ。
 8ヶ月後、任務を完了してオーディン戻った時には、彼女は既に別の男と婚約しており、仕方なく娼館で欲求処理をしたという情けない過去がある。
 地位が上がるに従って、紹介される女のグレードも上がってきたが、どの女性も、所謂「帯に短し襷に長し」で、その後が続かない。
『やっぱり、理想はミッターマイヤー元帥の奥方だよなぁ…』
 バイエルラインは、オーディンにいる時、上官の自宅にお邪魔する度に、決して男同士の会話に入らず、甲斐甲斐しく手料理を運んでくれる燕のように軽やかな身のこなしの女性を思い浮かべた。
 首都機能がフェザーンに移転するに伴い、自分も今後の人生の大半をここで過ごすことになる可能性が高いとバイエルラインも考えていたが、それは即ち、古き良きタイプの帝国婦人が、益々周囲に少なくなることを意味していた。
『こんなことなら、オーディンにいる間に、思い切ってミッターマイヤー夫人の友達でも紹介してもらうんだった』
 バイエルラインは、そんなことを考えながら、敬愛する上官夫妻とは正反対に、夫をお前呼ばわりしながら、あれこれと指図している伯爵夫人を遠目に見物していた。



 最初の異変は、エルフリーデが、結婚式の時に続いて、またしても自分には乾杯のワインが供されなかったことに、ロイエンタールに抗議していた時に起きた。
「私はもう伯爵夫人だし、16になっているのよ」
 という言葉の語尾に重なって、轟音が響き、近くの中規模ビルが炎上したのだ。
 時刻は、12時半を少し回っていた。
 人々が驚きの声を発する間もなく後方のビルが、同じく爆発して火を噴き、濁流が流れ込むように炎の塊が周辺地域を襲っていった。
 リンザーは、目立たないよう邸の周囲に配置していた警備兵達を招集すると、ロイエンタールもエルフリーデの手を引いて、一旦邸内に避難しようとした。
 このクラスの官舎には、最新の防火設備があり、邸内にいればまず火に巻き込まれることはないことを誰もが判っていた。
 程なくして、庭と邸内に設置されたスプリンクラーが勢いよく回りはじめ、迫りくる炎を押し戻す。
 リンザーが、客達を邸内に誘導しようと声を張り上げた。
 だが、その時、3度目の爆発が起こり、通り一つ隔てた前方の高層ビルが火を噴いた。
 同時に、上空から様々なものがバラバラと降ってきた。
 瓦礫や硝子片に交じって、高温の鉄板や人肉らしきものまでが、後から後から降り注ぎ、楽しいバーベキューパーティの庭が、一瞬にして地獄と化した。
 焼け爛れた人間の臓器らしきものが、ぽたっと音を立ててすぐ脇に落ちた時、エルフリーデの脳裏にある記憶が呼び覚まされた。
 これは、お父様やお母様を殺したものと同じだ。
 エルフリーデは、2年半前の自邸爆破事件の時、消防隊員等に制止されながら、必死で家族や使用人達の名を呼びながら燃え盛る邸内に向かおうとした時のことを思い出していた。 
 結局、鎮火後もエルフリーデは、個人の判別もつかなくなった家族の遺体と対面することは叶わなかったが、人肉が焼ける独特の匂いは、それから暫くの間彼女の嗅覚に刻み込まれた。
 呆然と立ち尽くすエルフリーデは、ロイエンタールに腕を掴まれて邸内に向かおうとした瞬間、頭上から赤く燃える何かが自分に向かって降ってくるのが目に入った。
 恐怖を感じる間もなく、視界は遮られ、身体が何か強い力で包まれるのを感じた。
 腕ごとがっしりと抑え込まれている為、身動きが取れない。
 自分を包んでいるのは、忌まわしい記憶の匂いではなく、慣れた夫の香りと感触だった。
 エルフリーデは、数秒の後、ロイエンタールが自分に覆い被さる形で落下物から守ってくれたのだという状況をやっと理解した。
 しかし、彼の身体ごしにも落下物の衝撃は否応なしに伝わってくる。
 ザッと嫌な音と共に、一際大きな衝撃を感じると、エルフリーデは抱え込まれたままの体勢で地面にしゃがみ込む恰好になった。
 ロイエンタールの身体から彼の激しい鼓動と汗が伝わってくる。
 エルフリーデは、この時、未曾有の恐怖に襲われた。
 この男が死んでしまう!
 いや!
 誰か、助けて!
 エルフリーデは、必死に声を上げようとしたが、音声を発することができない。
 この男を失うかもしれない。
 そのことを、自分は何より恐れている。
 それは、考えてみれば不思議な感覚だった。
 つい数ヶ月前までは、この男ばかりか、その仲間達までをも憎んでいたというのに…
 高温の落下物は尚も頭上から襲いかかり、胸板越しに伝わる衝撃からも、彼の背中が火を噴いていであろうことがエルフリーデにも感じ取れたが、ロイエンタールは身動ぎもせずに、幼妻を懐に抱え込んだままだった。
 お願い。離して! あなたが死んでしまう…
 エルフリーデの青い瞳に涙が溢れた。

 この男は、私を愛している。
 私は、この男に愛されているんだ。

 それは、初めて持てた確信だった。
 これまで、どれほど身体を求められ、心まで欲せられても、どうしても一歩踏み込めずにいた領域に、今はじめて足を踏み入れた思いがした。

 そして、私も、この男を誰より愛している。
 私はばかだわ。身分だとか、出会い方なんかに拘って、自分達の間に愛など芽生えないと決めつけていた。
 誰かを愛することに、そんなものは関係ないって、なんでもっと早く気付かなかったんだろう。
「オスカー…!」
 エルフリーデが漸く声を上げることができたのは、ミッターマイヤーが親友の異変に気付き、その背に向けてバーベキュー用の消火器を噴射したことで、ロイエンタールの腕が少し緩んだ時だった。
 ファーレンハイト軍医中佐が駆け寄って脈をとり、ミッターマイヤーが、救急箱の中にあるはずの冷却スプレーを投げるよう叫んだ。
 落下物の襲来が収まったことを察したロイエンタールは、漸く幼妻を抱く腕を解くと、その場にうつ伏せた。
「オスカー! オスカー!」
 エルフリーデは、自分の足元で、血塗れで倒れた夫を、新婚旅行以来2度目の呼び方で呼んだ。
「騒ぐな。生憎と俺はまだ死なん」
 ロイエンタールは、この状況に不似合いな満足げな笑みを浮かべて、低く言った。 
 エルフリーデは、夫の無事を知ると、脱力してその場にへたり込んだ。
「…怪我は? お腹の、子供は…無事か…?」
「私は何ともないわ。赤ちゃんも無事よ」
 切れ切れの声を辛うじて聴きとることのできたエルフリーデが必死で答えると、ロイエンタールは「そうか…」とだけ言って、意識を失った。
 エルフリーデが悲鳴を上げた直後、ミッターマイヤーが火傷の応急処置用の冷却スプレーを吹き付けた。
 途端、ロイエンタールは意識を取り戻し、右手を微かに動かした。
「オスカー!」
 エルフリーデは、再び安堵し、夫の手をとると、しっかりと胸に抱きしめた。



 リンザー邸の客達は、現場に残ったリンザーと、一番重傷の対策室の官吏とそれに付き添ってヘリに乗ったファーレンハイト軍医中佐を除いて、全員、救急車と軍用車に分乗して、一旦軍病院へ入った。
 エルフリーデは、ミッターマイヤーと一緒に、ロイエンタールを搬送する救急車に乗り込んで、救急隊員達の応急処置を見守っていた。
 うつ伏せにストレッチャーに乗せられたロイエンタールに、救急隊員が、焼け爛れた背中に蒸留水を大量に流し、衣服の残骸が取り除かれると、排水式の床に血に染まった水が大量に流れ出た。
 普通の人間ならここで悲鳴を上げるところだが、歴戦の勇者は、僅かに眉を顰めた程度で、意識ははっきりとしているものの、じっと動かない。
 付き添っていたエルフリーデの方が、眩暈を起しそうになった。
 救急隊員達は、その後で手早く傷全面を覆うように、ジェル状の火傷治療用の薬品を張り付けると、その上から感染症を防止する為のシートを被せた。同時に、頭と肩に負った打撲と切り傷の応急処置も行っている。
 戦場の修羅場に慣れているミッターマイヤーの方は、完全に冷静さを取り戻しており、車の窓から街の凄惨な姿を目のあたりにしていた。
 ゼッフル粒子への引火の所為で、消火設備を持たない建物は、中にいた人間ごと丸焦げ状態だった。
『いったい誰の仕業だ…?』
 考え込んでいるうちに、救急車は軍病院の要人用入口に到着した。
 ロイエンタールの治療は、小一時間で終了したが、広範囲にV度熱傷を負っていると診断され、担当医は、2、3日の入院を勧めた。
 フェザーンでは、軽傷とは言わないが、中程度の負傷であることに間違いなく、これまでの帝国内の医療基準からすれば、確実に重傷者だった。
 それに対し、剛毅さでも知られる元帥は、軽く手を振って拒否した。
「俺もこれがオーディンならば、素直に従うところだが、卿等のフェザーン医療の吸収の早さには感服する」
 そんな台詞で医師達の顔を立てると、傍で見守る男性看護師に、自宅の使用人に着替えを持ってこさせるよう連絡を入れるよう頼んだ。個人用の携帯端末は、現場に落としてきてしまっている。
 ロイエンタールの背中の重度の火傷は、地球学を取り入れた先進医療で治療されることとなり、二の腕の内側の皮膚を僅かに切り取って培養し、患部に貼り付ける形で完治させることとなった。培養技術は、地球時代よりも進んでおり、数日で必要な大きさになるという。
 その間、患部は、救急車の中で貼り付けた特殊ジェルをシート化して効能を強化したものを更に上から貼り、その上に防水シートを被せる形を取る。
 フェザーン人は、この処置を「包帯をする」と言っているそうだが、包帯というより、これは巨大な絆創膏だった。
 この防水シートは、極薄で柔軟性がある上に専用カッターでないと切れないほどの強度を持つ優れ物で、貼った後に縁の部分に専用の液体をスプレーで吹き付けっると、ピタリと皮膚に張り付いて一体化し、外気から傷を完全に遮断する。
 剥がす時は、また剥離用の液体を縁にスプレーして端から少しづつ剥がす。
 温度や湿度も一定に保たれ、入浴しても傷を温めてしまうことがないように配慮されている。
 ジェル状の薬品も、皮膚再生と滅菌効果の他に、強い鎮痛効果を発揮するらしく、痛みは殆どなくなるという。
 それでも、医師は、ロイエンタールに1週間分の錠剤の抗生物質と鎮痛剤、よく眠れるようにと入眠剤を処方すると、「何かあったらすぐにご連絡下さい」と言い置いた。
「お薬は、今、下の薬局に看護師に取りに行かせておりますので、すぐにお渡しできます」
 実直な軍医の言葉に、痛みの治まったロイエンタールは、静かに頷いた。
「それから、念の為、奥様には、別室にて産科の経験のある女医が控えておりますので、診察をお受け下さい。時期的に、精神的な衝撃が大きい場合、流産の危険がございます」
 エルフリーデは、一瞬、緊張で身体を強張らせた。
 隣でロイエンタールも、他人には判らない程度だったが、僅かに金銀妖瞳に不安の色が浮かんだ。
 2人揃って、子供など望んでいなかったはずなのに、おかしな話である。
 ロイエンタールもエルフリーデも、それぞれの心中で同じことを思っていた。
 しかし、結局、診察を受けたエルフリーデは、胎児には何の異常もないことを告げられる。
「出血もございませんし、お子様は、しっかりと胎盤に着いており、お健やかにお育ちです。元帥閣下のお子だけあって、こういう時も全く動じなかったようですわね」
 女医が笑顔で冗談を言いながら、子宮内の立体映像を指して言った。
「あっ」
 と、胎児の部分を見てエルフリーデは思わず声を上げた。
 先日の検診では、妙な芋虫のようだった胎児が、今は頭と胴体に小さな手足も見え、人間に近い形をしていたのだ。目や鼻らしき形跡も見られる。
「この前見た時と、随分違うわ。それに大きくなっているし」
 興奮気味に言う若い母親に、50近いと思われる中年の女医は、余裕の笑みを浮かべた。
「それは当然でございますよ。伯爵夫人。この時期は、特に毎日成長が確認できますわ。こちらの医療技術では、間もなくお子様の性別も判りますよ」
 エルフリーデは、我が子の最新映像を自分の端末にダウンロードしてもらった。
 端末を入れていた布製のハンドバックは、爆風で吹き飛ばされたが、少々汚れたものの庭の隅で奇跡的に無事で、救急車に乗る直前に、ヘレーネの友人のアンナ・ケンペル准尉が拾って渡してくれた。
 端末に破損もなく、無事にダウンロードできると、あんな惨劇の後だというのに、何だか嬉しい気持ちになった。
 これが、エルフリーデにとって、初めて我が子に対して芽生えた愛情だった。
 ロイエンタールのいる処置室に戻って、検査の結果を伝えると、彼はほんの少しだけ安堵の息を吐いて目を伏せた。
 この男が、その立場上からも、元来の性格からも、他人前で滅多に喜怒哀楽を表さないことはわかっている。エルフリーデにも、最近になって、その微妙な表情の変化で、その時の気持ちを読み取れるようになっていた。
 ロイエンタールの治療が済むと、皇帝の次席副官であるリュッケ少佐が見舞いに訪れ、皇帝自身が今この病院に来ていることと、今夜招集される緊急御前会議への出席免除を伝えに来た。
 ロイエンタールは、皇帝の配慮の謝意を示しつつ、傷は大したことはないので、統帥本部総長として必ず会議には出ると伝えるように言ってリュッケを下がらせると、入れ替わりにミッターマイヤーが現れた。
 彼は、親友の負傷を労うと、周囲には聴こえない声で、爆破されたホテルを宿舎としていたシュトライトが行方不明であることと、フェルナーが、重傷でこの病院で手術を受けていることを教えた。
 ロイエンタールの顔が、冷徹な軍首脳の顔に変わる。
「それで? 陛下はどうしておられる? 憲兵隊の捜査は進んでいるのか?」
「俺も一応進言してはみたが、陛下は、あのご気性だ。テロに屈して避難するような方ではない。憲兵隊はまだ何も掴んでいないらしい。今の時点で犯人を絞るのはかえって危険だ」
 ミッターマイヤーが話を終えて部屋を出て行くと、ロイエンタール家の執事と侍女のミミが、夫妻に着替えを届けにきた。
 侍女のミミが、エルフリーデの無事な姿を見て、わっと泣き出した。
 出先の街区で大惨事があったと聞いてから、生きた心地がしない思いで関係各所に問い合わせていたらしいが、病院から知らせが来た時は、使用人全員が床にへたり込むほどだったという。
 特に皆、懐妊中のエルフリーデのことを心配しており、高齢のシュヴァイツァー夫人は無事の知らせと共に倒れてしまったそうだ。
 夫人の代わりにやってきたミミは、別室でエルフリーデの着替えを手伝いながら、「本当にご無事で、ようございました」と言って何度も涙を拭った。
 エルフリーデ自身は怪我はしていなかったが、ロイエンタールの近くにずっと付き添っていたことで、彼の血で秋物のシンプルなワンピースは、所々生々しい血で汚れていたし、爆発で上がった煙や土埃も吸い込んでいた。
 洗面所で顔を洗い、身支度を整えると、ロイエンタールも別のシャツとスラックスに着替えていた。
 午後5時過ぎに帰宅した主夫妻を、使用人達は全員喜色満面で迎えたが、主はすぐに自室に入ると、いつもの軍服に着替えて、専用車を呼び寄せると、大本営に出仕していった。
 エルフリーデは、ここは、女主人の威厳を見せる場面だと感じた。
 主だった使用人達を集めると、まだ犯人がわからない以上、今後は、大本営を挟んで対角に位置するこちらの街区でも同じことが起きないともかぎらない。そこで、邸の警備をより一層強化することと、万一の場合の防火体勢と非難ルートの確保を万全にするよう命じた。
「かしこまりました。全て奥様の仰せに従い、迅速に遂行いたします」
 老練な執事が、恭しく一礼すると、他の使用人もそれに倣った。
『やはり、伯爵家の方は違う。こんな時でも動じず、生まれながらに人を統べる力をお持ちだ』
 その場にいた誰もがそう思って、年若い女主人を崇めた。



 激動の1日の疲れが出たエルフリーデは、この日は流石に夕食を早めに済ませると、さっさと自室へ入り、バスルームで昼間浴びた埃や塵を身体から払った。
 ミスト状の洗浄液で全身を洗われている時も、広いバスタブに一人で入っている時も、今日、強く抱き締められ、守られた時の感触を覚えていた。
 あの男が帰ったら、何と言おう。
 それがまた一つ悩みの種だった。
 互いに愛し合っていることは、今日、はっきり感じ取ることができた。
 だが、だからと言って明日からどういう態度で彼と接すればいいのか、わからない。
 夜着に着替え、まんじりともせずに寝台に潜っていると、ロイエンタールは思いがけず早く帰宅した。
 やはり傷が痛むのだろうかと思ったが、そうではないらしく、御前会議は、思った以上に進展せず、皇帝から、フェザーンの市民感情に充分配慮して動くよう末端にまで徹底させるよう訓示がなされるに留まった。
 軍服を脱いだロイエンタールは、背中一面に貼られたフェザーン式包帯ならぬ巨大絆創膏で傷を保護されている為か、常と同じように、バスルームに入り、エルフリーデと同じように、昼間浴びた埃や塵を洗い流しているらしい。
 彼がバスローブを羽織って出てくると、エルフリーデは思い出したように、慌てて寝台を出て、病院からレンタルしてきた特殊マットレスを寝室に運ぶよう命じた。
 いくら鎮痛作用の強い薬を使っているからと言って、普通のベッドに仰向けに寝れば傷への圧迫が大きい。
 そこで、このような怪我人の為に開発された衝撃吸収材を使った医療用のマットレスを寝台の上に敷いて眠ることになる。
 フェザーンでは、この技術の粋を集めて作られたマットレスを患者に無償提供しているというから驚きだった。
 エルフリーデが、インターホンで命じると、脇からロイエンタールがそれを制止し、送話口に向かって、自分には必要ないので、明日病院へ返却するよう命じた。
 エルフリーデは、当然ながらそれに抗議の目を向ける。
「お前、先生の話を聞いていなかったの? あのマットレスは、仰向けに寝た時に90%以上の衝撃を吸収できるのよ。つまり、お前の火傷を圧迫しないのよ。どうしてそんなことをするの?」
 ロイエンタールは、もう一度インターホンに手を伸ばそうとする幼妻の手を引き寄せると、
「仰向けに寝なければいいだけの話だ」
 と意味ありげな言葉を耳元で囁いた。
 エルフリーデは、慄然とした。
 まさか…この男…こんな時に…?
「では、処方された薬だけでも飲みなさい。いくら最新の治療をしたと言っても、お前の背中は広い範囲で重度の火傷を負っているのよ」
 エルフリーデは、医者からもらった薬を一つ一つ確認して、封を開けていくと、水差しの水をコップに注いで薬と一緒に手渡した。
 これくらいのことは、妻としての義務だ。
 そう思って渡した薬を、ロイエンタールは抗生物質と鎮痛剤は素直に口に入れたものの、入眠剤だけは、飲まずにそのままサイドテーブルに置いた。
「どうして? 今日はゆっくりお休み下さいと、先生にも言われたでしょ」
「ああ、おかげで痛みは殆どない。感染も順調に抑えられていることだろう。ならば、日頃していることを止めなければならない理由はあるまい」
 エルフリーデは、絶句して青い目を見開いた。
 こんなことがあった直後でも、この男は私を欲するというのか?
 金銀妖瞳が淫靡な光を放つと、部屋のライトが絞られ、エルフリーデは、寝台に軽く放られるようにして横たえられていた。
「残念ながら、当分背中にしがみ付くのは無理だな。その代わり、こうしてやる」
 そう言うと、ロイエンタールは、エルフリーデの両腕を持ちあげると、頭の上で一番大きな枕を抱かせた。
 無防備な体勢になった彼女の夜着と下着を剥いでいくと、いつもの行為が始まった。
 エルフリーデは、諦めて快楽の波に身を任せた。
 今日ほどのものは、一生ないだろうと思っていても、次の日には更に強い快楽を味わう。もうこのことをずっと繰り返しているのだ。
 エルフリーデは、快楽の波が襲ってくる度に、頭上の枕を抱きしめる手に力を込める。
 自分達は、もう離れられない。
 私はこの男を愛しているし、この男も私を愛しているとわかってしまったから。
 しかし、それをどう伝えてよいか、わからない。
 自分はずっと、意地を張ってきたから、今更何と言っていいか本当に解らない。
 エルフリーデの上でロイエンタールの息が荒くなると、絶頂が近づいていくのがわかる。
 エルフリーデは、頭の中に霞がかかったように、今まで悩んでいたことが益々わからなくなってしまった。
 そして、彼の動きが早くなり、頂上が見えてきた瞬間、エルフリーデは、思わぬ言葉を発した。
「お前なんか、大っ嫌いなんだから」
「私、お前のことなんか、愛していないわ」
「愛してなんかいるものですか…」
 最後の掠れた言葉と同時に、エルフリーデの身体は弛緩し、ロイエンタールは強く彼女の身体を抱きしめると、腰を浮かせ、足を絡めて迎え入れた女の中で果てた。
 仰向けになれないロイエンタールは、そのままエルフリーデの上に崩れると、2人は抱き合ったままずっと身体を繋げたままでいた。
 エルフリーデは、またしても自分の失態を後悔していた。
 あんなことを言うつもりだったんじゃない。
 あんな言葉を伝えたかったわけじゃない。
 だが、身を起したロイエンタールの金銀妖瞳は、何時になく穏やかな光を湛えていた。
「お前の気持ちはよくわかった」
 いつもの冷笑を含んだ声が、クックッと声に出した笑いに変わっている。
 エルフリーデは、不安に襲われた。
 まさか、今言ったことばを真に受けたりはしないだろうと思ったが、寝台で抱き合いながら言う夫婦の言葉でもないことはわかっていた。
「そんなに惚れてもらって、光栄だ。伯爵夫人」
 予想外の言葉に、エルフリーデは、夫の顔をマジマジと見詰めた。
「お前…何を言ってるの?」
 力のない声で訊ねる妻に、上体を起こした夫は、頬や唇に甘い口づけを落としながら言う。
「お前が大好きだ。お前のことを愛している。お前なしでは生きられない。そう聴こえたが?」
「なっ…!」
 エルフリーデは、成層圏の青の瞳を見開いて、精一杯の抗議の目を向けたが、何故か反論のことばが見つからない。
「そういうお前はどうなの? 私なんかと結婚して、そんな怪我までして、私のことどう思っているのよ?」
 エルフリーデは、遂に長い間燻っていた疑問をぶつけた。
「今更、わざわざ口に出して言わなければならんのか?」
 帝国軍一の漁色家で鳴らしたはずの夫が、なぜか歯切れが悪い。
「ええ。でないと私ばかり不公平だわ」
 キッと見詰めて、大真面目にいう幼妻に、ロイエンタールは、密かに白旗を上げた。
「お前のことを愛している。お前なしでは生きられない。お前には傷一つつけたくなかった。だから、今日の負傷でたとえ命を落としたとしても、後悔は微塵もない。どうだ? 俺がそう言えば、お前は信じるのか?」
 最後の一言は、まるで彼の全人生をかけているほどの真剣さに満ちていた。
「…信じる…わ。私は、あなたの妻ですもの。あなたの家族ですもの。今は2人だけど、もうすぐ3人になるのよ。そうしたら、失ったものも、きっと取り戻せるわ」
 エルフリーデは、そう言うと、細い腕でふわりと彼の頭を抱き締めた。
 ロイエンタールは、今度こそ、物心ついた頃から常に彼を縛っていた忌まわしい記憶から解放された気がした。
 この女と女が産む子供と家族になる。
 自分のような男にその資格があるかまだ自信がないが、この女が望むなら、精一杯やってみようと思った。
「わかった。俺も、生まれて初めて女を信じることにする」
 ロイエンタールはそう言うと、今度は壊れモノを扱うように、幼妻の華奢な身体を抱き締めた。
 
 ごめんなさい。エーリッヒ様、大叔父様、マリア・アンナ、アウグスチーネ様…
 私、この男を愛しているの。
 あなた方を処刑し、あなた方の大切な人を殺した男を愛してしまったの…
 私はきっとヴァルハラには行けません。
 でも、行き着いた場所が、地獄でも混沌でも、決して後悔はしません。
 だから、皆さま、どうか今世だけ、私がこの男と生きることをお許し下さい。
 来世では、どんな罰も甘んじて受ける覚悟です。

 エルフリーデは、心の中で親族に詫びながら、再び男が与える底なしの快楽へと沈んでいくのだった。



 10月25日、大本営経由で、エルフリーデの元に、先日の事件関連の機密事項が齎された。
 バラバラになった被害者の識別調査に当たっていたフェザーン警察の科学捜査本部から、事件現場から採取した遺体及び肉体の一部のDNA鑑定を行い、データベースと照合作業を進めていた途中、その中の若い女性の腕の一部と思われるものが、リップシュタット戦役後行方不明となっていたエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクのものと一致したというのである。
『サビーネに続いてエリザベート様まで…』
 ヒルダから、極秘で知らせを受けたエルフリーデは、何か言い知れぬ不安に襲われた。
 帝国の優秀な憲兵隊の捜査力を以ってしても、犯人の目星は未だについていないそうだ。
 事件に関する不安は、そのままあの場での人肉が焼け焦げる独特の匂いの記憶に繋がる。
 その所為かわからないが、今まで全く兆候がなかったエルフリーデに、この日を境に強烈なつわりが襲うこととなる。
 殆ど食事が摂れなくなり、邸の料理人や執事、シュヴァイツァー夫人たちも、心配してあれこれと食べられそな食事のレシピを見つけてはコックに作らせているのだが、何を口に入れても吐きだしてしまう。
 このままでは、ただでさえ余分な肉がついていない体系の母体が、栄養不足になってしまうと懸念した主治医は、仕方なく、栄養点滴で乗り切る案を提示した。
 それしか方法がないとなれば仕方がないので、ロイエンタール邸には、看護師2名に交替で来てもらい、栄養点滴の処置をしてもらった。
 エルフリーデは、体調のいい日には、書斎やテラスで受験勉強を進めていたが、急に嘔吐が激しくなることが多く、思うように捗らない。
 そのことも、エルフリーデをイラつかせた。
 そんな時、少し具合が悪くなってカウチに横になってうとうとしていた時、ふいに、お腹のあたりが温かくなるのを感じた。
 まだ、胎動を感じる時期ではないはずである。
 お腹の中の子は、必死にエルフリーデに何か語りかけているようだった。
『ああ…この子、私を慰めてくれてるんだ』
 何の根拠もなく、エルフリーデはそう確信した。
『ふふっ…いい子、いい子ね。きっと、あなたは優しい子ね。お母様は、あなたをいっぱい、いっぱい愛してあげるわ…』
 そう心の中で胎児に語りかけ、まだ膨らみの無い腹をさすっている時のエルフリーデの顔は、少女から母親になっていた。
BACK TOP NEXT
footer
Copyright(C)2010 Jeri All rights Reserved.