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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(38)
 広間での歓談が終わると、一同は部屋を移動して晩餐の席に臨んだ。
 幸いまだつわりのないエルフリーデだったが、誰が気を利かせたのか、彼女の食事だけ、周囲の人々と微妙に異なる軽くあっさりとしたものが供された。味付けも、通常より酸味が効いている。
 ふと見ると、斜め向かいの席の侯爵夫人も同じメニューであることが判った。
 目が合うと、向こうから親しみを込めて微笑を返してくる。
 エルフリーデは、この人のサロンへ行ってみようと、この時決めていた。
 晩餐後、人々は、この施設の目玉の一つである立体映画館へと再び移動した。
 古代地球の円形演技場を巨大化したような創りのこの設備は、収容人員5万人と、映画館の規模としては最大級のものだった。
 中央の楕円形の舞台は、立体映画のみならず、演劇やオペラ、サッカーの試合からアイスショーまで行えるように瞬時に改造が可能だそうだ。
 特に映画や演劇の場合、360度方向からの観覧が可能な為、同じ客が同じ映画を違う場所で何度も観たがる心理を利用して、興行収益を上げる算段だ。
 この日、ロイヤルボックスの皇帝の御前で披露される映画は、昨年度の映画祭で最優秀作品賞を受賞した歴史大作だった。
 しかし、当初、事前に宮内尚書から皇帝に提示された作品は、次点作品の一つである銀河連邦時代の海賊とそれを討伐する提督との友情を描いた娯楽作品だった。
 元から映画の内容などに興味はないラインハルトではあったが、皇帝の行幸を仰いでのせっかくの落成式に、なぜ最高評価を受けた作品ではなく、次点作品を選んだのか、素朴な疑問を口にした。
「実は、恐れながら…」
 と、額の汗を拭きながら奏上する宮内尚書の説明はこうだった。
 昨年暮れに発表されたフェザーン映画祭最優秀作品賞、通称金鷲賞の受賞作品は、『マック』というタイトルのゴールデンバウム王朝最高の名君、第23代皇帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世とその皇后ジークリンデの波乱に満ちた生涯を描いた歴史大河であった。ちなみにこの作品は、主演男優賞と、最優秀音楽賞も同時受賞していた。
 しかし、表向きはどうあれ、簒奪王朝の皇帝を前にして、旧王朝の皇帝を称賛する内容の映画を堂々と上演するのは、主催者側も気が引けたらしく、結果、現政権とも旧王朝とも直接関係のない時代を扱った娯楽作品にしたのだという。
 これに対して、ラインハルトは、珍しく声を立てて笑った。
「フェザーン人は、予を余程狭量と見做しているようだな。マクシミリアン・ヨーゼフ2世が、真に称賛に値する男ならば、予とて彼の評価を何ら惜しむものではない。式典の主催者どもに伝えよ。予は、ぜひともフェザーン人が選んだ最高の作品を観たいとな」
 こうして、この日の上演作品は、皇帝自らの意思で再び変更されたのである。
 広いロイヤルボックスの中央に、皇帝が姿を現すと、桟敷席や一般席から一斉に「ジーク・カイザー」のシュプレヒコールが響いた。
 ラインハルトが手を上げてそれに応えて着席すると、照明が落ち、場内は一瞬水を打ったように静まりかえった。
 やがて中央の舞台に、迫力の三次元映像が現れた。
 ヒルダの席は、彼女が皇妃でも婚約者でもない立場を配慮し、中央の皇帝の席から椅子一つ分後に引いた斜め左隣に設けられていた。
 そのすぐ左横の席には、エルフリーデが並んで座り、更にロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラーと続いていた。
 ヒルダの席と対象の右側には、宮内尚書とその夫人が並び、更にその隣に工部尚書といった最高位の文官が席を並べた。
 帝国軍三長官の一人である軍務尚書オーベルシュタイン元帥は、この日は、政府要人の中でただ一人出席していなかった。
 噂によると、今朝、何かカイザーに具申してご不興を買い、突然今宵同行に及ばずと言い渡されたらしい。2人の間で、どのような会話が交わされたのかは、人払いをしていた為、不明であるが、ヒルダは後でそれを聞いた時、直感的に、グリューネワルト大公妃殿下に関することに違いないと思った。自分以上に、彼女をフェザーンへ呼び寄せることでも強く主張して、姉の静かな暮らしを尊重したい皇帝の逆鱗に触れたのか? ヒルダにもそれ以上の想像はつかなかった。
 元々このような催しを楽しむ性質でないオーベルシュタイン自身、同行できないことを残念には思わないであろうし、他の軍首脳達に至っては、「今夜は嫌な野郎の顔を見ないせいか、食事が美味い」などと堂々と口に出して言っていた。
 ヒルダが、そんなことを考えていると、立体映画は、帝国人の彼らが今まで体験したことのない臨場感で始まった。

 皇帝の息子でありながら、母の出自が低い為に皇位とは遠く、それ故、平民や下級貴族を友人として母の手元で自由に育ったマクシミリアンこと通称「マック」。
 物語は、このような環境で育った彼が、混乱した政治事情により思いがけず皇帝として即位することになり、大胆な改革に臨む姿を縦軸に、下級貴族の娘で、幼馴染でもあるジークリンデことリンデと出会い、やがて彼の侍女となった彼女を周囲の反対を押し切って后に迎え、この2人の夫婦愛を横軸に進んでいく。
 特に、暗殺未遂により視力を失い、それでも絶望することなく「心の目」を開き、悲願であった劣悪遺伝子排除法の有名無実化を実現する場面の俳優の演技は圧巻だった。
 後世に「清眼帝」と呼ばれる由来となるエピソードを挟み、物語は終盤に入る。
 助演女優賞にもノミネートされたというジークリンデ皇后役の女優の演技も見事で、気が強く男勝りでありながらも、幼い頃から変わることなく一途にマックを愛し続ける可愛さを兼ね備えた皇后を好演していた。
 エルフリーデは、次第に映画の世界に入り込み、フィクションと知りつつもこの夫婦を羨ましいと思った。
 長い年月をかけて愛を育んだ末結ばれ、互いを誰よりも信頼し、必要とする。
 マクシミリアン・ヨーゼフ2世とジークリンデ皇后とは、ゴールデンバウム王朝歴代皇帝夫妻の中で、唯一の純粋な恋愛結婚だと言われている。
 覚悟の上とは言え、恋も知らないで政略結婚した自分には、一生縁のない話だけに、余計に羨ましかったのかもしれない。
 マックとリンデの2人の間には、正式に結婚する前にもうけた娘が一人いるのみで、男児がいない。
 作中ではその理由を、何度も毒物に犯された自分の身体を理解している皇帝が、不幸な子供を残さないつもりであることと、皇后もそれを承知し、原始的な産科医療の帝国の後宮で、自分が妊娠、出産する場合のリスクを考え、夫妻で避妊することで一致したことになっていた。
 その為、晩年には当然のことながら次の皇位を巡って宮廷内での権力闘争が起こり始める。その過程で、マックは、妻とも共通の幼馴染である無二の親友を亡くしている。
「九属皆殺しだ!」
 反皇帝派を一網打尽にした時、長年の忠臣達は、感情的な声を上げた。しかし、当の皇帝は、それを制し、司法尚書ミュンツァーの下で、当時の法に則った裁きによる処断を下す。それは、史実にも則している。。
「よいか、お前達。君主というものは、感情に任せて人の命を弄んではいけないのだ。それができない人間は、玉座に座る資格はない」
 若い皇族達に向かってそう言う皇帝は、既に中年になっていた。
 後に、マスコミから映画の感想を求められたラインハルトは、この場面を最も印象に残るシーンであったとし、
「予は彼よりも短い期間に、彼よりも多くの改革を成し遂げたが、君主として、一人の人間としてはまだ彼の後塵を拝しているように思う」
 と、珍しく殊勝に答えるのだった。
 やがて、皇帝の後継者争いは更に激化していく。各派閥が担ぎあげたのは、皇帝夫妻の娘の子である孫達と、皇帝の従弟やその子供達である。
 男系の直系男子がいないことで、宮廷内は分裂の兆しを見せたが、賢いジークリンデは、意を決すると、死期が迫る夫に、次期皇帝に、又従弟であるコルネリアスを養子として皇太子に立てるよう進言する。
 ゴールデンバウム王家の血族の中で、この時点では彼が最も聡明な青年だった。
「いいのか? お前の孫が至尊の冠を頂かなくとも」
 病床でそう尋ねる夫に、ジークリンデは静かに微笑んで首を振る。
「皇位など、元々私達には必要のないものではありませんか。大切なのは、私達の血が帝位を繋ぐことではなく、あなたが国民の為に成し遂げた数々の良き事を、少しでも多く後の世に残していくことです」
 皇帝夫妻は、幼い孫達や政治的野心のない娘夫婦が、自分達のような命を危険に晒す政争に巻き込まれない為に、あえて皇位継承者から外す決断をする。
 余談ながら、この夫婦の血を受け継いだ娘の子孫は、その後も非主流派の門閥貴族の中に細々と命脈を保ち、ヒルダも亡き母親を通してその血を引く者の一人だった。
 総上演時間4時間を越える大長編は、3時間半を過ぎた頃に佳境に入り、皇帝の臨終シーンが近づく。
 家族と政府の高官が居並ぶ寝室で、皇帝は、最後に皇后と2人になりたいと言って人払いをする。
 こうして、清眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世は、最愛の女性の腕の中で、ただの「マック」という一人の男に戻ってヴァルハラに旅立っていった。
 観客席の所々で、女性のすすり泣く声が聴こえる。
 ロイヤルボックスでは流石に泣いている者ないなかったが、全員が舞台に見入っていた。
 そして、エピローグ。
 世はコルネリアス1世の時代に移り、数年の時が流れる。
 政権から離れ、一人郊外の離宮で余生を送る皇太后ジークリンデの元に、クーデターを鎮圧した皇帝の使者として、彼女が亡き夫に進言して抜擢した廷臣が報告に現れる。
 後世の歴史家の間で、しばしば夫亡き後のジークリンデ皇太后と愛人関係にあったのではないかと指摘される人物である。
「ずっとお慕いしておりました。あなたを愛しています」
 未亡人となって久しいジークリンデの手を取る忠臣に、しかし彼女はきっぱりと撥ねつける。
「今の言葉、聞かなかったことにします」
「何故です? 皇太后様は、私を信頼していると仰って下さったではありませんか?」
「確かに、私は臣下として誰よりあなたを信頼しています。信頼が愛というなら、私はあなたを愛していることになるのでしょう」
 ジークリンデの凛とした長台詞は続く。
「でも、愛と信頼とは、似て非なるものです」
 絶妙な間をとって吐かれた台詞に、ヒルダがビクリと身を震わせたのを、隣の席のエルフリーデだけが気付いていた。
「私が愛しているのは、今も昔も、マクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウムただ一人です」
 遠くを見るような瞳で、言い放つジークリンデに、廷臣は静かに一礼して去っていく。
 窓から射し込む眩しい光に導かれるように歩きだすリンデ。
 それを迎えるマック。
『見えるわ。マック。私にも、あなたが光を失った眼で見ていた光が…』
 光の中に溶け込む2人。
 エンディングのテーマ曲と共に、キャストの字幕が流れる。
 観客席から割れんばかりの拍手が起こった。
 ロイヤルボックス席の人々も、惜しみない拍手を贈った。
 上映中に日付が変わり、午前1時を過ぎていた。
 皇帝一行を主催者の財界人達と、文武高官達が正面ホールで見送ると、長いイベントが漸く終了し、それぞれが帰途に着いた。
 エルフリーデは、皇帝について赤絨毯の上を進むヒルダを見送りながら、そっと声をかけた。
 今観たばかりの映画のジークリンデ皇后と、目の前の女性が重なる。
「フロイライン…」
 エルフリーデが、次の言葉を言おうとした瞬間、ヒルダが少し憂いを湛えた瞳で、それを遮った。
「愛と信頼とは、似て非なるものです」
「えっ?」と、小さく呟いて固まった後輩に、ヒルダは静かな微笑を返した。
「伯爵夫人。私は、陛下にとって、あなたや皆様が期待しているような存在ではありません」
 先程の映画のジークリンデの言葉を再現したヒルダは、それだけ言うと、再び皇帝のエスコートを受けて、出口へと向かって歩み出した。
 エルフリーデは、尚も未練の残る思いで、その後姿を見送った。
 私は、首席秘書官として、側近の一人として、この比類なき覇者の信頼を得ている。
 ヒルダも、その程度の自負は持っていた。
 だが、決して自分達は、映画の中のマックとリンデのような関係ではない。
 皇帝の信頼厚い側近の中で、偶々自分だけが女であったことで、時に他の臣下よりも彼の心に近づくことはあったかもしれない。
 しかし、それは、あくまでも秘書官としての彼女への信頼であり、無意識の依存であると考えている。
 信頼や依存は、男女の愛とは異なるものだ。
 なぜなら、自分は決して、彼にとっての聖域である姉と親友の中には入っていけないのだから。
 ヒルダは、今でもあの第8次イゼルローン要塞奪還作戦の無意味な出兵を止められなかったことが悔やまれる。
 彼女は、恐らく客観的には正しい理由で出兵に反対した。もし、キルヒアイス提督が生きていたなら、自分と同じことを言って、反対しただろう。いや、もし彼が存命なら、そもそも出兵自体がなかったかもしれない。あの戦闘によって、ケンプ提督と始めとする、帝国側兵士も、同盟側兵士も含めて何人の尊い命が宇宙の塵に帰したことだろう。
 そして、なぜか確信を持って思ったのだ。
 皇帝はきっと、あの美しい姉君がお止めすれば、無益な戦争をすることはなかっただろうと。
 そしてわかったのだ。自分ではあの方の気持ちを動かせないのだと。
 私は決して、あの方の心の一隅を占めることはできない。
 彼にとって自分は、有能な部下であり、役に立つ有意な存在であるからこそ、傍に置いておくのだ。そうでなければ、首席秘書官は自分でなくともいい。
 ヒルダは、ラインハルトにとっての自分をそう位置付けていた。
 ならば、私は、あの比類なき黄金の覇者に、これ以上望んではならない。
 それが、この時代に何も失わなかった幸せな自分に、唯一許されなかったものなのだろう。
 これまでのラインハルトとの関係を顧みながら、ヒルダはそう覚悟を決めていた。
 この時のヒルダには、ラインハルトの彼女に対する無意識な依存が、何を意味するのか推れるだけの人生経験が不足していた。
 また、一部の精神が極端に未発達なラインハルトの方も、自分のヒルダへの感情が、何と呼べるものなのかに気付いていなかった。



 10月16日午後6時、エルフリーデは、珍しく定時で退庁したヒルダを誘って、リンダーホーフ侯爵夫人のサロンを訪れるべく、郊外のオヒギンズ邸に向かっていた。
「お忙しいフロイラインに無理なお願いをしてしまって、申し訳ございません」
「いいんですのよ。私の方こそ、ルトヴィカの消息をずっと気にしていたものですから、丁度いい機会と思って便乗させて頂きますわ」
 ランドカーの中で、本当にすまなそうな顔で言うエルフリーデに、ヒルダは、いつもの柔らかな微笑で応えた。
 間もなく到着したオヒギンズ邸は、屋敷とか邸宅というよりも宮殿のようだった。事実、フェザーン人の間では、皮肉と畏敬の念を込めて、本当に『オヒギンズ宮殿』と呼ばれているらしい。
 郊外ということもあり、敷地は広大で、ゴールデンバウム王朝の大貴族の本宅以上の規模だった。
 豪華さでも、ゲルマン風の復古主義の帝国と違って、現代的な機能美を追求した美しさがあり、ひけをとっていない。
 ルトヴィカは、結婚と同時に、東側に増築された一棟を丸々彼女の部屋として夫から贈られ、一階部分をサロンとして週2、3回の割合で、学生や若手実業家達に開放しているらしい。
「ようこそ、ヒルダ、エルフィー」
 出迎えたルトヴィカは、一昨日の奇抜なスタイルとは別人のようなビジネススーツ姿だった。髪も地毛の明るい金髪に戻して後に束ねている。
 集まっていた若者達も、殆ど普段着に近い恰好で、邸の豪華さには少し不似合いな気さえした。
 帝国内のサロンが、他愛のない噂話や、逆に宮廷内の派閥闘争の駆け引きの一環などが多かったのに対し、ここに集まった若者達は、現在のフェザーン情勢や今後の同盟領の扱いについて真剣な議論をしている。
 ヒルダとエルフリーデが紹介されると、学生達から矢継ぎ早な質問が飛んだ。
「帝国は、ゆくゆくは同盟領を完全併合するつもりですか?」
「もしそうなったら、民主共和制の芽は、完全に消滅して、また全人類を専制政治が支配することになるのか?」
「いや、今の腐敗しまくった同盟の民主主義など、下手な独裁政治よりずっと始末に負えないではないか」
「だからといって、独裁政治が長期間続けば、その腐敗の度合は民主主義の比ではないぞ。それは歴史が証明している」
「俗に『国家百年の計』というではないか。若いカイザーには気の早い話かもしれないが、ローエングラム王朝が世襲である以上、彼の子や孫が彼と同じ資質を備えている保障がどこにある? ルドルフどころか、ゴールデンバウム王朝の暗君以下の世襲皇帝が現れる可能性だったあるんだぞ」
「それは、不敬罪に当たるぞ」
「ここでは、それはなしだ。実際、可能性の問題を言っている」
 彼らの応酬は果てしなく続いていく。
 大学で、治安維持局の目を掻い潜って、これに近い状態を経験しているヒルダは、さほど驚かなかったが、エルフリーデは、目を丸くしたまま固まってしまっている。
「さあさあ、みんな、このくらいにしておあげなさいな。お二方の立場はわかっているでしょ?」
 ルトヴィカが割って入り、メイドに冷たいソーダ水を配らせると、熱くなっていた若者達の頭が、徐々に冷めていった。
 いつの間にか、広いサロンは、数名づつのグループが点在して、それぞれの場所でまた議論を再開している。
 ルトヴィカは、ヒルダとエルフリーデにも手渡したオレンジ系のカクテルを飲みながら、それを楽しそうに見詰めていた。
「今日は来ていないけど、まだまだここには楽しい常連さんがいるのよ」
 ルトヴィカは、その中に、アウグスチーネ・フォン・ファルツと、マリア・アンナ・フォン・リヒテンラーデがいることを、本人達のたっての希望で2人に伝えなかった。
「それにしても、すっかりフェザーン・マダムが板について…あなたが幸せそうで、本当に安心したわ」
 ヒルダが心から祝福するように微笑すると、ルトヴィカは、カクテルの最期の一口を呷って、あの艶然とした笑みを向けた。
「ありがとう。だって、貴女方と違って、私の周りの帝国貴族の男達ときたら、揃いも揃って脳なしばかりなんだもの。今にして思えば、こうなったのは必然よ」
 ルトヴィカによると、ブラウンシュバイク公に味方し、私兵を率いてガイエスブルク要塞に籠った兄弟達の内、後継ぎの長兄を除いては、全員別途に男爵号を授与されて、それぞれ別の姓を名乗っていたらしい。
 彼等は、同じような立場のブラウンシュバイク公の甥であるフレーゲル男爵とつるんでいて、男爵の無謀な出撃に同調して、あっけなく命を落とした。
 その報を受けた長兄は、戦況に絶望して観念し、残った従者を伴って密かに巡洋艦一隻でガイエスブルクを脱出して、両親と妹のいる領地惑星へと向かおうとしたらしい。
 しかし、内部の状況を漏らしたくないブラウンシュバイク一派は、追撃してそれを撃破した。無論、この件は、当時は秘密裏に処理され、リンダーホーフ侯爵家の世継ぎの令息は、最初からガイエスブルクにはいないことにされたのだった。
 ヒルダは、ガイエスブルクを制圧した時、投降者の中にも戦死者名簿にもリンダーホーフの名前がなかった理由を、この時やっと理解した。
「兄弟達は、帝国貴族の誇りとやらだけを拠り所にして、血気に逸るだけで、状況判断がまるでできていなかったわ。政治的センスも軍事的センスも皆無で、わざわざ死にに行ったようなものよ。おまけに、内戦終結後は、ブラウンシュバイク家との絆をより強固にする為に、よりによって私を、あのフレーゲル男爵に嫁がせるつもりでいたのよ。あんな男、私昔から大嫌いだったわ。だから、正直言って、リップシュタット連合側が破れたことは、全然悲観していなかったの。父にしても、商才なんてまるでないのに、下手にビジネスなんてはじめて、家族を余計に困窮させて、最期には、自分の命を縮めてしまったわ」
 つい1、2年前のことを遠い昔話をするように言うルトヴィカに、エルフリーデもヒルダも何と言葉をかけていいかわからなかった。
「私は、とりあえず奨学金を貰って大学を出て、何か職に就かなきゃと考えたんだけど、それさえお姫様育ちの母は、いい顔をしなかったわ。…誰も私を助けてくれなかった。アーノルドだけだったわ。あの時の私達を救う力を持っていたのは…」
「それで…それだけが理由で、ご結婚されたんですか?」
 エルフリーデは、ずっと訊きたかったことを遂に口に出した。
 この人も、自分と同じなだろうか。
「もちろん、最初は彼の財力が目当てだったわ。彼とは歳も離れているし、最初は男女関係なんてまるで意識していなかったから、いきなりプロポーズされた時は驚いたわ。でも、あの時の私にとっては、他に選択肢がなかったの。でも結果的にはよかったと思っているわ。こうして、子供も生まれることになったし。今は彼のことを心から愛しているの」
「愛してるんですか? お金が目的で結婚したのに…!」
 思わず言ってしまってから、エルフリーデは失言に気付き、「申し訳ございません」と慌てて詫びた。
 ルトヴィカは、「いいのよ」と言って笑ってから、「結婚してから恋愛が始まることも、私はあっていいと思っているの。伯爵夫人もそうではなくて?」と、小首を傾げて見せた。
 エルフリーデは再び言葉に詰まった。
 恋愛というものを経験したことのない彼女の頭の中では、まず、どんな形であれ、男女が出会って互いに惹かれあい、恋人関係になったゴール地点が結婚であるという固定観念があった。
 それを言うと、ルトヴィカは、今度こそ声を立てて笑った。
「そんな順番に拘る必要なんて全くないわ。私にとって夫は、今まで出会ったどの帝国の貴公子よりも魅力的だったわ。彼の才能も力も姿も、今は全てを愛しているわ。伯爵夫人…いえ、エルフィーだってロイエンタール元帥を愛しているのでしょう?」
「…私は…親族達を流刑地から戻したくて、あの男と結婚したので…そんな、愛とか、そういうのはわかりません。でも、あの男の妻として生きていく覚悟はできました。あの男も、私を愛しているとかじゃないと思いますが、今は私だけのものですし、あの男もそれを受け入れてくれていますから…」
 ルトヴィカは、一瞬、ぽかんと口を開けて、侯爵夫人らしからぬ表情で目の前の少女を見詰めた。やがて、堪え切れないとばかりに、くっ、くっと笑いを漏らした。
 ヒルダもそれにつられて、一緒に笑い出す。
 2人の先輩の様子に、エルフリーデは、自分が何かおかしなことを言ったのだろうかと、困惑気味に視線を泳がせた。
「ごめんなさい…でも、あまりに…」
「私も…ごめんなさい」
 お腹を抱え出す2人に、エルフリーデは益々困惑した。
『帝国軍一の漁色家が、何のメリットもない相手と、わざわざ結婚した理由を、この子は本当に思いつかないのかしら?』
 ルトヴィカとヒルダは、同時にそう思った。
「ところで、ヒルダの方こそどうなの? てっきり皇帝陛下とのご婚約発表があるとばかり…お似合いだったし、歴史的な場面に立ち会えなくて残念だったわ」
 それを聞いたエルフリーデは、思い出したように、一昨日の礼を述べた。
 ヒルダが、自分の為に慣れない恰好をしてきたのだということは、彼女には解っていた。
 それに対して、本当に自分の気まぐれなので、お礼には及ばないと言うヒルダに、ルトヴィカが、皇帝がエスコートすることになった経緯を尋ねた。
 淡々とありのままを正直に話すヒルダに、今度はエルフリーデが笑いを漏らす。
 ルトヴィカも、再び笑い出しながら、心中で呟いた。
『それにしても、この人達、宇宙一の美形と宇宙一の色男をモノにしたって自覚、本当にないのかしら?』


 エルフリーデは、ルトヴィカのサロンで夕食を御馳走になり、午後9時過ぎに帰宅した。
 ロイエンタールは、今日も遅いというので、先に寝室に入り、入浴を済ませてから受験の問題集を開いた。
 暫くして睡魔が襲ってきたので、寝台に入ろうとしたところ、階下で主の帰宅の気配がした。
「まだ起きていたのか?」
 間もなくして、ルームライトを絞った部屋に入ってきた夫を、エルフリーデはガウンを着て寝台に腰掛けたまま迎えた。
 何か、この男に訊きたいことがあるような気がずっとしていたのだが、何と訊いていいかわからない。
「何か話でもあるのか?」
 気配を察した夫が訊ねたが、答えようがない。
「な…何でもないわ」
 エルフリーデは、ふいと身を翻すと、ガウンを脱ぎ、そのまま寝台に潜り込んでしまった。
 15分程して、ロイエンタールは浴室から出てくると、身を丸めて眠ろうとしている幼妻の背を抱きしめ、肩口に顎を乗せた。
「言いたいことがあるなら、言ってみろ」
 甘噛みするように、耳元に吹き付けられた息が熱い。
「そんなの、何もないわ」
 言った言葉に力が入らない。
「そうか」
 それだけ言うと、またいつもの行為を始めようとする夫に、エルフリーデは、膝を抱くようにして更に身を縮めて抵抗を試みた。
 だが、手慣れた漁色家は、幼妻の夜着の裾の僅かな隙間から手を侵入させると、器用な手つきで下着を剥ぎ取ってしまった。
「ちょ…お前、やめなさい。私は妊娠しているのよ」
 そう言って振り向こうとした一瞬の隙をつくように、夜着と下着が魔法のようにするすると脱がされてしまった。
 エルフリーデは、抵抗する気力を失い、波間に漂う小舟のように、黙って流れに身を任せる。
 身重の身体を気遣ってか、ロイエンタールの行為は以前の激しさはなかったが、どこか名残を惜しむような切迫感が感じられた。
 ふと、薄暗い中で、彼の双色の瞳と目が合った。
 彼も自分に何か訊きたいのではないか? と、エルフリーデは、何故かそう思った。

 ワタシハ オマエヲ アイシテイルノ?
 オマエハ ワタシヲ アイシテイルノ?

 問い掛ける言葉も、答える言葉も聴けないまま、エルフリーデは夫を迎え入れ、深い海の底に沈んでいった。



 10月20日の昼、エルフリーデは、思いがけないアドレスからメールを受信した。
「ヘレーネお姉さまからだわ」
 オーディンで別れたサビーネの姉のヘレーネ・シェリング准尉が、17日に後発部隊と共にフェザーンに到着したらしい。後ほど、ヴィジフォンでお話したいというのを、エルフリーデは快く了解し、自邸の番号と、いつでもどうぞと打って返信した。
 30分経たないうちに、休憩時間を利用した軍服姿のヘレーネからヴィジフォンが入った。
 2人はまず、フェザーンでの再会を喜び合うと、ヘレーネが明後日の22日に、婚約者のリンザー准将の官舎で親しい人やお世話になった人だけを集めた小さなパーティを開くので、よろしければご夫妻でぜひいらして下さいと言った。
 エルフリーデは、夫はわからないが、自分だけでも必ず行くと言ってヴィジフォンを切ると、早速シュヴァイツァー夫人に着て行く服を相談した。
 ロイエンタールが帰宅すると、エルフリーデは、あまり期待をせずに、この件を訊ねたが、意外にもロイエンタールは二つ返事で了承した。
「ミッターマイヤーも来るそうだ。俺も何年か前までは、リンザーの店には世話になったんでな」
 それを聞いたエルフリーデは、「なんだやっぱり出席の理由はそっちか」と思ったものの、それでも休日に一緒に外出できることが嬉しかった。
 ヘレーネとは、サビーネの収容されている病院で初めて会い、場所が場所だっただけにゆっくり話す暇もなかった。
 エルフリーデも毎日関心を持って推移を見守っている事件の裁判のことも話したいし、感染防止対策室長を兼ねるヒルダや、ヘレーネの仲間達も来ると聞けば、ますます楽しみだった。

 こうして、軍の公休日である10月22日午前10時半、ロイエンタール元帥夫妻は、410年ものの白ワインを手土産に、コンラート・リンザー准将の官舎を訪れたのである。
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