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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(37)
 新帝国歴1年10月13日、この日、15時を回った時刻になると、ロイエンタール元帥の官舎の広間では、マネージメント会社が厳選した少数のマスコミが、正装した元帥夫妻を取り囲んでいた。
 この日の夜、1年前に着工した『新帝国ドームシティ』が完成し、皇帝の臨幸と文武の高官を招いた盛大な落成式が挙行される予定だった。
 首都中心部に聳え立つ巨大な白いドームは、総床面積約100万uを有し、約50万人の収容力と最新鋭の映像、音響設備を備え、スポーツから立体映画、屋内遊園地までを網羅した総合娯楽施設である。
 同時に、フェザーン最大規模の集会施設でもあり、正式な遷都がなり、皇宮が定まるまでの間、国家の式典場としても使用されることとなった。
 旧王朝時代と大きく異なる点は、平時は一般に開放され、市民達が身分の隔てなく楽しめる点だった。
 フェザーンの富と工業技術を結集して建設されたこの巨大建造物は、後に獅子の泉宮殿が完成するまで、軌道エレベーターと共に新帝都フェザーンのランドマークとなる。
 2年前の占領時から、ローエングラム政権に協力的なフェザーン企業のジョイント・ベンチャーによって建設され、その経営者である主要財界人達の要請に新皇帝が応える形で実現した。
 巨大な領土と人口を誇る帝国よりも、数少なきとはいえ、自分達の方が先進文明国であるというフェザーン人の自負が、皇帝を始めとする帝国の未開人達に、そのテクノロジーを見せつけるという意図が窺えた。
 有意なものは、貪欲に吸収する主義のラインハルトは、彼等の真意を知りつつ、この式典への行幸を決め、軍の最高首脳達にも出席を命じたのだ。
 ローブデコルテに肩帯を纏ったエルフリーデは、元帥の礼服姿の夫と並んで、カメラマン達の要請に応えてポーズをとっていた。
 結婚以来、もう何度かこういうことがあり、最近では慣れてきた。
 開明政策を謳うローエングラム王朝は、旧体制下に比べて情報規制を大幅に緩和し、不敬罪を除く言論の自由を認めた。
 更に、一般への情報端末の普及により、図らずもエルフリーデは、自身に対する帝国市民達の無遠慮な批評を知ることになる。
 彼女の一挙手一投足が、帝国民の関心事であり、好意的なものもあれば批判的なものもあった。
 伯爵夫人の身分に相応しいように誇り高く振舞えば、電子週刊誌には、愛想がなくて高慢そうと書かれ、にこやかに笑えば、家族や親戚が無残に死んでいるのに、よく平気でと書かれる。
 こうした大衆の身勝手な自分への評も、最近では極力見ないことで自身が傷つくことを避けた。
「伯爵夫人。もう一度お願い致します。少し笑っていただけますか?」
 国営放送のカメラマンに、丁寧な口調で請われると、エルフリーデは、いつものように、少しだけ口元を上げて、優雅に微笑んで見せるつもりだった。

『仲良く笑っているあなたの姿をソリヴィジョンで見る度に、あなたのことが許せなくなるの!』

 突然、頭の中で、先日のマリア・アンナの声が木霊した。
 アウグスチーネとマリア・アンナが、殊更に自分を遠ざけるのには、何か深い事情があるのだろうと思われたが、同時にあのマリア・アンナの言葉も、紛れもなく彼女の本心だと確信できた。
 途端、エルフリーデの成層圏の青の瞳が潤み、彼女の意思とは無関係に涙が溢れ出した。
「伯爵夫人?」
 目の前の記者やカメラマン達が、困惑の色を見せた。
 エルフリーデは、自分では笑顔を作っているつもりでカメラに視線を向けていたが、涙は後から後から溢れて頬を伝って、自分が泣いていることに、暫くの間気付かなかった。
 エルフリーデは、自分自身に驚いていた。
 私は決して涙腺が緩いタイプではない。むしろ、学校の同級生や習い事の仲間達の中でも、めそめそ泣く子は嫌いで、仲良く付き合えるのは、だいたい気が強くて我慢強い女の子達だった。
 私は、こんなところで、こんな形で突然泣き出すような女じゃない。
 唐突な涙は、エルフリーデの誇りを傷つけた。
「悪いが、少し時間をもらいたい。伯爵夫人のご機嫌を直してくる」
 ロイエンタールがマスコミに向かってそう言うと、幼妻の肩を抱いて、奥の小応接室へと引っ込んだ。
 目配せした執事は、心得た様子で、すぐさま厨房に向かうと、他の使用人を総動員して集まったマスコミに赤ワインのグラスを配って回った。
「申し訳ございません。奥様は、初めてのご懐妊で、少し感情が昂ぶっておられるのです。ご予定を遅らせることになり、誠に相すみませんが、どうぞご理解下さい」
 老練な執事が、深々と頭を下げると、滅多に飲めない高級ワインを振舞われた記者やカメラマン達からは、誰一人不平を言う者はいなかった。
「何があった?」
 部屋に入るや、ロイエンタールが低い声で問い掛けた。
「何でもないわ。ちょっと嫌なことを思い出しただけよ。すぐに戻れるわ」
 エルフリーデは、気丈に言うと、ハンドバックからハンカチを取り出して目の下に押し充てた。
 だが、彼女の意思に反して、涙は止まることなくハンカチを濡らし続けた。
 ロイエンタールの微かな溜息が聴こえた。
「俺には言えんということか?」
「そうじゃな…」
 瞬間、顎をとられ、グロスで濡れた珊瑚色の唇がふさがれる。
 目を見開いて驚いた途端、涙はぴたりと止まった。
 この男は、いつもこんな見事な早業で、たくさんの女達を泣かせたり泣き止ませたりしてきたのか…
 エルフリーデは、それを少し悔しく思いながら、ゆっくりと労わるように口内を愛撫する口づけに、暫くの間身を任せていた。
「大学の見学に行った時、8月にオーディンで別れたまま行方がわからなかった親族に会ったの。驚いたわ。まさか、フェザーンに来ていたなんて」
 身体を離した後、エルフリーデは静かにそれだけ言った。
 ロイエンタールは、それで大凡のことを察したのか、「そうか」とだけ言って、再び幼妻を抱き寄せると、軽く口づけた。
 多分、この痛みを、自分は一生抱えて生きるのだろう。そして、この男は、不器用ながらもそれを半分引き受けてくれようとしている。
 落ち着きを取り戻したエルフリーデは、僅かに崩れた髪とメイクを直す為に、部屋に美容師を呼ぶと、ロイエンタールは先に部屋を出て、妻の支度が整うまで、広間で集まったマスコミの相手をしてやっていた。


 
 完成した『新帝国ドームシティ』の正面入り口は、規模と豪華さに於いては新無憂宮の正門に劣るものの、次世代を感じさせるモダンなデザインと最先端の建築技術では、それを凌駕していた。
 17時過ぎ、公用車から降りて、赤絨毯を踏んだエルフリーデは、この日も自分が無責任なマスコミと大衆の恰好の餌食になることを、半ば覚悟していた。
 懐妊の公表で、普段の生活には立ち入らないよう主要メディアとは報道協定が敷かれたものの、スクープを狙うフリーの記者やカメラマンにはそれは通用しなかったし、公式の場は、除外されていた。
 しかし、彼女の覚悟に反して、この日の主役の地位は、完全に別の女性に奪われることになったのである。
 ファンファーレが鳴り、皇帝の来場が告げられると、中央ホールに集まった高官とその同伴者達は、左右に分かれて、軍神の如き黄金の覇者を出迎えようとしていた。
「伯爵夫人は、今宵は気楽になさって大丈夫ですよ。これから帝国中に衝撃が走りますから」
 先に来ていたミッターマイヤーと挨拶を交わすと、彼は開口一番に楽しげな口調でそう言った。
 エルフリーデは、意味が解らず、ロイエンタールに疑問の目を向けたが、彼も事情を知らないようだった。
 撮影を許されたマスコミのカメラが、定位置でランドカーを降りる皇帝を捉えたまさにその時、ミッターマイヤーの予言通り、フェザーンのみならず帝国中が震撼することとなった。
 カイザー・ラインハルトは、彼と対を成す芸術品のように美しい一人の女性を伴っていたのである。
 無論、皇帝の姉で唯一の皇族であるグリューネワルト大公妃ではない。
 年齢は、二十代前半だろうか、皇帝と似合いの年頃のろう長けた美女だった。
 結いあげた髪に飾られたティアラの形と、ローブデコルテの上に纏った肩帯の色、貴族社会で代々母方から受け継がれる勲章とで、旧社会の慣例に則れば、彼女が子爵以上の爵位を持つ家の娘であることを示している。
 すわ! 皇帝陛下が、いよいよご成婚か!?
 集まったマスコミ達は、一斉に色めきたった。
 最早、乳臭い伯爵夫人になど関心を示す者はいなかった。
 だが、皇帝に対しての取材は、予め宮内省を通して許可を受けることが義務付けられており、誰一人としてこのような事態を予想していなかった取材陣は、結局割り当てられた位置から動くことが叶わなかった。
 この日の皇帝は、殊の外上機嫌に見え、表情も何時に無く柔和だった。
 それでも報道は、カメラが捕えた映像を即座にフェザーン全土に流し、各民放のレポーターが、建物を背景に、皇帝がエスコートしてきた貴族令嬢の話題を一斉に報じ始めた。
 もう、エルフリーデの衣装や髪形や態度を論うメディアは皆無だった。
 ここに至って、ロイエンタールもエルフリーデも、漸く先程のミッターマイヤーの言葉の意味を理解した。
 これは、明らかに懐妊中のエルフリーデのストレスを慮っての演出だろう。
 広間で皇帝一行を出迎えたエルフリーデは、その女性が、皇帝主席秘書官のヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢であることに気付くのに、数分の時間を要した。
 この日、ヒルダは、彼女のトレードマークである少年のような短髪を、ウィックとエクステンションで長く伸ばし、オーソドックスな帝国貴婦人風に、くすんだ金髪を結い上げていた。フェザーンは、こういった美容面での技術も帝国より進んでいるらしい。
 けれども、完璧なまでに美しい顔の造作と、聡明そうに輝く大きな蒼碧色の瞳は、普段の清純な彼女の美しさのままで、薄く化粧が施された真珠色の肌と、ドレスのラインが魅せる均整のとれたすらりとした肢体は、今が盛りとばかりに咲き誇る大輪の薔薇のようだった。
 まだ成長期の蕾の状態であり、時折、胸にパットを入れていることが判ると、貧乳だのお子様体系だのと心ない言葉で週刊誌に揶揄されていたエルフリーデは、成熟したばかりの大人の女性の色香を放つ先輩を、心底羨ましいと思って眺めていた。
 いつもは、その硬質の美貌を知恵<ミネルバ>神に例えられるヒルダだが、この日の彼女は、慈愛に満ちた美神そのものだった。
 美の女神の祝福を受けたような2人の男女を、そのまま時を止めて、永遠にここに飾っておきたいと思ったのは、その場に居合わせた多くの人々の共通の思いだったかもしれない。
 群がったマスコミの中からも、次第に皇帝の同伴者が、首席秘書官のマリーンドルフ伯爵令嬢であるという情報が伝わりはじめている。
「ごきげんよう。伯爵夫人」
 エルフリーデは、優しげに微笑むヒルダの蒼碧色の瞳と目が合った時、驚きと喜びで再び青い瞳を潤ませた。
 彼女が、自身のポリシーを曲げてまで、突然このような恰好をして現れた理由が、自分の為だということを、エルフリーデはすぐに察していた。
「フロイライン・マリーンドルフ…」
 エルフリーデは、言葉が見つからなかった。
 皇帝の傍らにいる目の前の女性は、既に充分に皇妃の気品と威厳を備えていた。
「ミッターマイヤー元帥に振られてしまいましたので、こういうことになりました」
 少し茶目っ気を見せて微笑む横で、皇帝と両元帥が、和やかに握手と敬礼を交わしていた。
 ヒルダが突然、13日の式典に、ドレスを着て出たいので、自分のエスコートをお願いしたいと言って、宇宙艦隊司令部の仮庁舎に、ミッターマイヤーを訪ねたのは、一昨日のことだった。
「ご無理を申しあげてすみません。でも、父はおりませんし、他にお願いできる方がいないものですから…」
「私は光栄ですが…私などでよろしいのですか?」
「ええ、奥様のいらっしゃるミッターマイヤー元帥なら、無責任な噂も立たないでしょうし、どなたにも迷惑がかからないと思いまして…何より、帝国軍の双璧のお一人でいらっしゃるミッターマイヤー元帥に同伴して頂ければ、マスコミは一時的にでも私に注目するでしょう。その分、ご懐妊中の伯爵夫人のご負担が、少しでも軽くなればと考えたのですが…」
「なるほど、フロイラインにしては珍しいと思えば、そういうことでしたか」
「ええ、元帥を利用するようで、恐縮なのですが…」
 ヒルダの意図を解したミッターマイヤーは、彼女の細やかな優しさに感動して、喜んでエスコート役を引き受けた。
 確かにこの役割に、ミッターマイヤーは打って付けに思われた。ヒルダが気遣ったように、愛妻家で有名な彼なら、変な勘ぐりをされることもないし、日頃露出度の低い無名の文官の誰かでは、逆に注目を集めることが出来ず、エルフリーデを世間の好奇の目から守るという目的を達成できない。
 ところが、ミッターマイヤーの了承を受けて、翌日に早速大本営で、当日は、皇帝一行に加わらず、現地で合流する旨を伝えると、途端にラインハルトは険しい表情を見せた。
「なぜミッターマイヤーなのだ? 彼は、オーディンに夫人がいるではないか」
 ヒルダは、思いがけない上司の反応に戸惑いつつ、目的が、懐妊中の伯爵夫人の為にマスコミの関心を逸らすことにあり、妻帯者のミッターマイヤーなればこそ、2人の仲を取り沙汰される心配がないと思って彼に頼んだと説明した。
 ラインハルトは、その理由に納得せざるを得なかったが、更に不機嫌そうにふいと横を向いてしまった。
 その態度に、どう応じていいのか、智謀に優れた首席秘書官は、益々困惑の度合いを深めるのだった。
 隣で一部始終を見ていたシュトライトが、やれやれという顔で助け舟を出した。
「しかし、フロイライン・マリーンドルフは、陛下の主席秘書官でいらっしゃいます。職務上、お傍を離れるのは些か問題ではありますまいか」
 本心では、その程度のことは全く問題ないと思っているシュトライトは、表面上わざと厳しい表情を作って見せた。
 てっきり彼なら自分の味方をしてくれると思っていたヒルダは、戸惑った。
 逆に、皇帝の方は、嬉々としてそれに乗ってきた。
「うむ。その通りだ。フロイラインには常に予の傍らに居てもらわねば困る」
 深く頷く若い主君の隣で、シュトライトは更に一計を案じた。
「しかし、軍人の我々以外、文官と一般列席者には、服装は基本的にフォーマルでという以外規制しておりません。従って、フロイラインがどのようなお姿で来られるのかは、フロイラインのご自由です。我々にそれにとやかく言う権利はございません。ドレスをお召しになったフロイラインは、さぞお美しいことでしょう」
 最後の一言に、ラインハルトの目が少年のように輝いた。
 シュトライトは、内心で、してやったりとばかりに言葉を続けた。
「いかがでしょう。主席秘書官の職にあるとはいえ、陛下と同行される女性が、典礼に則った女性の正装をしているとなれば、ここは、陛下ご自身がエスコートされるのがよろしいかと」
 瞬間、若く美しい2人の男女は、同時に頬を赤らめた。
『これが、宇宙の覇者と、帝国一の才媛とは…』
 シュトライトは、誰にも気付かれぬよう、瞬間的に呆れた顔をすると、更に一押しした。
「独身者でも、相手が皇帝陛下では、不敬罪や報道規制のこともあり、マスコミも憶測だけで滅多なことは言えません。陛下を使うような形になるのは、誠に恐れ多いことではありますが、今回の目的には、まさにうってつけのお相手と言えましょう」
「そんな…陛下を私の個人的な思いつきに、巻き込むわけには…そんな恐れ多い」
 固辞しようとするヒルダに、ラインハルトの方がじれた。
「フロイラインには、予がエスコート役では不足か?」
 言ってしまってから、はっとなって後悔する。権力にものを言わせて、女性を従わせるのは、彼が最も忌み嫌うことである。
「いえ、そうではございません。陛下のお許しを頂ければ、大変光栄なことと存じます。どうぞ、当日はよろしくお願い致します」
 執務机の向こうで深く頭を下げるヒルダに、ラインハルトは満足げに頷いた。
 シュトライトは、我ながらよい機転を利かせたと、内心で自画自賛していた。
 彼は更に、ヒルダが断るより前にミッターマイヤーに密かに連絡して事情を話し、彼の方からエスコートを辞退するよう働きかけた。
 以前から、皇帝の后に彼女を押していたミッターマイヤーは、一も二もなく了解すると、シュトライトの機転を称賛して労った。
 これで、皇帝が本当にフロイラインと結婚する気になってくれれば、ローエングラム王朝は安泰である。2人の忠臣は、心からそう願ったのである。
 古式ゆかしい正装をし、ラインハルトの同伴者として式典に臨んだヒルダの思惑は、予想以上の効果を上げた。
 ほぼ全メディアが彼女に注目し出し、誰もが彼等の婚約発表を期待した。
 しかし、その件については、宮内省の広報からも何の通達もなく、フェザーンに移転した政府と軍の高官達、新政権寄りの財界人達を前に、広間に設えられた玉座に腰掛けた皇帝は、軽やかに立ちあがると、次々と文書を読み上げ、今日予定されていた準皇族として公務を遂行する高官の家族への叙勲式を執り行った。
 最初に、エルフリーデに、先日来の公務に対する功績と、今後への期待の意味で、勲一等金剛宝章が授けられた。
 ローエングラム王朝は、実際には簒奪により旧王朝から帝権を奪ったが、表向きは、あくまでもラインハルトが最後の女帝からの禅譲という形で即位し、穏便な政権移行であったことになっていた。
 その為、後継王朝として、実務上支障がない儀礼的なものに関しては、旧王朝の慣例をそのまま受け継いで残していた。
 エルフリーデが、今回授与された皇后以外の女性に与えられる最高位の勲章は、フリードリッヒ4世の2人の皇女が降嫁する際に父親の皇帝から授けられ、成人に達した祝いに、エリザベートやサビーネにも授与される予定のものだった。
 儀礼に則って、皇帝の前で平伏し、宮内省の役人達に下賜された勲章を肩帯に飾ってもらいながら、エルフリーデは、運命の皮肉を強く実感していた。
 これは、本当なら、サビーネのものだったという思いから、どうしても抜け切れない。
 同じ勲章は、夫人のいない閣僚の筆頭である国務尚書の令嬢であり、首席秘書官として常に皇帝と公務を共にするヒルダに対しても授与された。
 皇帝の傍らに戻り、勲章をつけたローブデコルテ姿のヒルダは、本当に皇妃のようで、この日の注目を一身に集めていた。
 一段格下の勲二等蒼玉宝章は、オーディンに残ったもう一人の元帥夫人と、その他の各尚書の婦人達、及び上級大将の婦人達へ授与された。フェザーンに同道しているファーレンハイト夫人を除いては、文書で読み上げただけだったので、堅苦しい式典は、1時間程で終了した。
 叙勲式の後間もなく、フェザーン財界人達の陣取る場所が、大きくざわめいた。
 新帝国ドームシティ建設の立役者にして、今やローエングラム政権に欠かすことのできないフェザーンのメディア王、アーノルド・オヒギンズが、妻であるリンダーホーフ侯爵夫人を伴ってきていたのである。
 周囲から感嘆と、そして幾許かの非難の声を集めたのは、この夜の侯爵夫人の斬新過ぎるファッションだった。
 リンダーホーフ侯爵夫人ルトヴィカは、まるで宇宙服を思わせるようなデザインのドレスを見事に着こなし、長身でメリハリのあるプロポーションを際立たせていた。
 結婚後、オヒギンズに資金を出させて、自前のブランドを立ち上げ、自ら広告塔となっているそうだ。
 元々は明る目の金髪だったらしい髪をライトブルーと銀メッシュに染め上げ、ソフトクリームのように高々と結い上げた近未来的なヘアスタイルに、帝国貴族の整った高貴な顔立ちのアンバランスが不思議とよくマッチしていた。
 腕を組むオヒギンズ氏も、50歳近いと言う割には、精悍で若々しく、彼女のドレスに合わせた最新のスーツを映画俳優のように着こなしていた。
 3度の結婚をし、最近まで大勢の女性達と散々浮名を流したというだけに、侯爵夫人をエスコートする様も堂に入っている。
「親子程年齢の違う成金男に金で買われた哀れな姫君」というのが、大方の帝国人達の見方だっただけに、エルフリーデもヒルダもこの様子に驚いていた。
 特にヒルダの場合、友人と呼べる付き合いはできなかったが、女学院時代の同級生でもある。
「ルトヴィカ。お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
 皇帝の御前で夫妻が儀礼的な挨拶を終えた後、ヒルダは万感の思いでリンダーホーフ侯爵夫人に声をかけた。
 リップシュタット以来、ずっと消息を気にしていた同級生の一人だった。
 特に、サビーネの事件に接して以来、行方の判らない権門の令嬢の消息が気がかりだった。フェザーンに到着してすぐに、彼女が今やこちらでは時の人であると知り、安堵すると同時に複雑な思いも抱いた。
 ルトヴィカが、リップシュタット戦役で2人の兄達を失くし、一緒に亡命してきた父親も事業に失敗して、莫大な負債との交換のような形で20歳以上も年上の男と結婚したと知り、嫌でも帝国貴族の没落を連想した。
 ところが、当のルトヴィカ自身は、周囲の憐れみの声を他所に、水を得た魚のように人生を謳歌しているように見える。
「ごきげんよう。ヒルダ。本当にお久しぶりだわ。5年ぶりくらいかしらね。もうすぐ、あなたをカイザーリンとお呼びすることになるのかしら?」
 夫に寄り添い、艶然と微笑むルトヴィカは、皇妃と見紛うばかりのヒルダ以上に余裕のある佇まいだった。
「まさか、そんな恐れ多い。今夜は、私の気まぐれで、久しぶりにドレスを着てみたくなったのを、陛下が寛大にもお許し下さっただけですわ」
 優雅に笑みを返して牽制するヒルダに、ルトヴィカもそれ以上は何も言わなかった。
 この夜の主役は、完全にこの22歳の2人の帝国貴族令嬢だった。
 片や古典的な帝国式衣装を纏って、新皇帝に寄り添い、片や次世代風ファッションでフェザーンを代表する経済人の妻として式典に臨む。
 それがそのまま2人の女性の生き方を象徴しているようで、列席者達の興味を掻き立てていた。
「コールラウシュ伯爵夫人」
 エルフリーデは、話題の中心人物から、ふいに声を掛けられて、思わず身構えた。
「この度は、ご懐妊、おめでとうございます」
 フェザーン式のドレスを着ても、帝国貴族の作法を忘れてないルトヴィカは、自分より年下の元帥夫人の前で丁寧に膝を折った。
「ありがとうございます。私も、侯爵夫人のご懐妊を心よりお祝い申し上げます」
 爵位も年齢も上になる女性を前にして、エルフリーデは、更に低く腰を折った。
「この度は、大変失礼しましたわ。まさか、伯爵夫人と同時期の出産になってしまうとは思わなかったものですから。昨日、早速、部屋をキャンセルしましたので、伯爵夫人には、どうぞお気兼ねなく、特等A個室でご出産遊ばされて下さい」
 侯爵夫人の思いもよらない申し出に、エルフリーデは、かえって恐縮した。
「そんな…、私の方が後から来たのですから、当然ですわ。それに、私は伯爵号を持つ身で、あなたは侯爵…」
 と言ったところで、ルトヴィカは右手を振って言葉を制した。
「ここでは、ゴールデンバウム王朝の身分や序列などを持ち出すのは、ナンセンスよ。あなたは新王朝の建国の功臣の妻で、私は併合されたフェザーンの一商人の妻に過ぎません。お互い、早く新しい秩序に慣れましょう」
「では、侯爵夫人は、別の病院で?」
 ルトヴィカの言葉は無論、必要以上の謙遜である。しかし、理屈では彼女の言う通りなのはわかっていても、やはりすぐには頭を切り替えられないエルフリーデは、得心がいかない様子で訊ねた。
「いいえ、面倒なので、自宅の敷地内に私専用の産室を増築することにしましたの。どうせこれからも何人も産むつもりですし、その方が病院と自宅を行ったり来たりすることがなくていいでしょう。もちろん、最新の設備を導入して、いざとなれば帝王切開にも対応できる手術室も作るつもりよ。予定日が近くなったら、専門医も看護師も助産婦も専任で詰めてもらうことにしているの。どこの病院よりも安心だわ」
 まるで皇族のような出産環境を、誇らしげに話す侯爵夫人に、エルフリーデは絶句してしまった。
 いったい彼女の夫の財力とは、どれほどのものなのか。
 それよりもエルフリーデが驚いたのは、帝国貴族のルトヴィカの口から、いともあっさりと「帝王切開」という言葉が出たことだった。
 旧王朝の貴族社会や後宮での死産や流産、また、出産時に母親が死亡するケースが多かった一番の原因は、「高貴な女性は身体にメスを入れない」という迷信的な常識がまかり通っていた所為だった。こうした極端な復古主義による退化した周産期医療は、流産率や死産率、乳幼児の死亡率を、時代を千数百年逆行させるものとなってしまった。
 逆子や前置胎盤など、帝王切開を行えば、どうということはない出産でも、無理な自然分娩を行った結果、胎児や母親が亡くなるケースが後を絶たなかった。
 特に後宮や上流貴族の女性の間では、帝王切開で出産して腹に大きな傷が出来れば、二度と皇帝や夫の寵愛を得ることはできず、次の子を望めないと本気で信じられていた。
 実際には、フェザーンの医療水準を以ってすれば、余程の問題がない限り帝王切開は安全な手術だったし、術後の傷跡を殆ど跡形もなくきれいにする皮膚再生の技術も進んでいた。
 しかし、情報が極端に制限された旧社会では、フェザーン人にとっては迷信に過ぎないそれらが、500年近くに渡って信じられてきたのである。
 事実、皇位に野心のあるブラウンシュバイク公夫人やリッテンハイム候夫人も、第一子が女児であったにも関わらず、第二子の出産に踏み切らなかった。
 エルフリーデは、地球学をかじり、自分が懐妊したことを期に、フェザーンの産科医療について情報収集を行った結果、これらの事実について知っていたが、帝国女性の中では、そこまで割り切れる人は、まだ少数派だろうと思っていた。
 実際、自分自身の懐妊も、今のところ問題はないと言われていたが、もし、直前になって医師から帝王切開を勧められたら、果たして承知できるかわからないと思っていた。
 ところが、リンダーホーフ侯爵夫人という人は、その壁を既に越えてしまっているらしい。
「それから、伯爵夫人には、フェザーンで大学に、ご進学を希望してらっしゃるとか?」
「ええ、そのつもりでおりますが…」
 エルフリーデは、目の前の美しい先輩の真意が解らず、曖昧に頷いた。
「実は、私も、こちらに来てから、大学で経営学の勉強をしておりますの。夫とは、彼がそこの特別講師として招かれた時に知り合ったんですのよ」
「まあ、そうなんですか」
 エルフリーデは、単に享楽的に見えたこの女性の意外な一面を知った気がして、少し目を見開いた。
「伯爵夫人も、よろしかったら、私のサロンに遊びにいらっしゃいませんか? 私が在籍しているのは私立大学ですが、サロンの仲間にはフェザーン帝国大学の学生や、各星系の帝国大学からの交換留学生も大勢いますのよ。最近では、同盟の自治大学の学生なんかもいて、色々と面白いことになっていますわ」
 人見知りする性質のエルフリーデは、今日会ったばかりの人の招待で、知らない人間ばかりのサロンに一人で行くということには抵抗があったが、やはり志望するフェザーン帝国大学の学生という言葉に興味を引かれた。それに、初対面とはいえ、彼女は女学院の先輩であり、ヒルダの友人でもあるという安心感もあった。
「ぜひ、近いうちにお邪魔させて下さい。侯爵夫人」
 エルフリーデは、そう応えると、あらためて膝を折った。
「ええ、ぜひいらして下さい。伯爵夫人に来て頂ければ、皆も喜びますわ。ああ、それから、私のことは、ルトヴィカと呼んで下さい。サロンには、平民も貴族もいますが、今は身分は一切なしですから。私もあなたのことをエルフィーと呼ばせて頂きますわ」
 この人は、帝国貴族の誇りなど、きれいさっぱり捨ててしまったのか。それとも、心の中まで完全にフェザーン人になってしまったのだろうか。
 銀色に輝くドレスの裾を翻し、去ってい行く侯爵夫人の官能的な後ろ姿を見送りながら、エルフリーデは、そんな疑問を無言で投げかけた。
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