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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(36)
 新帝国歴1年10月10日、高等弁務官としてハイネセンに遣わされていたレンネンカンプの訃報が大本営に届いた翌日、政府は、ロイエンタール元帥の妻であるコールラウシュ伯爵夫人の懐妊を発表した。
 同時に、各マスコミに対し、現在妊娠7週目に入る伯爵夫人の精神面への配慮から、過度の取材の自粛を要請する通達を出した。
 元帥夫妻は、文書にて連名で懐妊の喜びと取材への配慮を重ねて要請した。
 しかし、国営放送はともかくとして、帝国内とは比べものにならない程、元々報道の自由が認められていたフェザーンの民間マスメディアに対し、完全な沈黙を要求するのは困難であった。
 第一、ローエングラム王朝は、被支配民に対して、融合路線の寛大な統治を行う方針であり、不敬罪を除く報道の自由を原則的に認めてしまっている。
 その為、皇族でもない伯爵夫人に対し、あまり高圧的に取材を抑制させるわけにもいかなかった。
 それでも、宮内尚書であるベルンハイム男爵は、皇帝や皇族に代わって公務を行う軍首脳と各尚書と、その令夫人達に対し「準皇族」としての待遇を主張し、皇帝の裁可を仰いだ。
「恐れながら申し上げます。彼等は、陛下に代わって、しばしば旧王朝の皇族に割り振られていた如き公務を私事より優先して行い、小さいながらも新王朝の底辺を支えることに貢献しております。待遇がその功に見合わないのは、身分の上下に関わらず、いかがなものかと思い、奏上致しました次第でございます」
 政治的野心のない宮内尚書は、緊張の汗を額に滲ませながら、初めて皇帝の前で自らの発案を上程し、平服する。
「わかった。卿の言うことは尤もである。次官級の者達や、司法省、当事者達とも諮って、法制化を進めるかよい」
 ラインハルトは鷹揚に宮内尚書の案を許可した。
 緊張の解けたベルンハイム男爵は、皇帝の寛大にして迅速な決定に感謝し、足取りも軽く大本営の皇帝執務室を退出していった。
 旧体制下での「準皇族」とは、降嫁した皇女や、臣籍に下った皇太子以外の皇子と、皇帝の兄弟の一代限りについてと定義されていた。
 彼等は時に、皇帝の親族として公務を行い、その代償として臣下でありながら、近衛兵や宮廷警察の警護を受ける。更に、典礼省の予算の中から給与が支払われる女官を侍女として雇うことが許されており、宮廷費から生涯に渡り毎月莫大な慰労金が支払われていた。
 また、不敬罪こそ適用されないものの、実際には皇族時とほぼ同じ報道規制が敷かれ、プライバシーが維持されていたのだ。
 従って、皇位を争っていたフリードリッヒ4世の孫達のそれぞれの個性についても、情報は一部の門閥貴族内に留まり、一般市民が彼等について知ることはなかった。
 帝国の平民は、誕生間もなく孤児となったエルウィン・ヨーゼフが、全く躾がなされていない少年であることも、エリザベートが、おっとりとして凡庸であまり賢くないことも、サビーネが快活で利発であることも、もちろん知らなかった。
 ローエングラム王朝では、準皇族の扱いについて、経済的特権部分を大幅にカットすると共に、彼らの日々の平穏な生活を守る為に必要な措置を法制化していった。
 エルフリーデについては、懐妊中の彼女の精神衛生上の配慮という名目で、宿舎となっている邸から、斜向かいの病院までふくめて、半径200m以内へのマスコミの接近を禁じた。
 万が一、別件の取材で彼女の映像が入ってしまっても、検閲時にカットされることになる。
 これに対し、フェザーンの一部マスコミは反発したが、結局、メディア王と呼ばれ、フェザーンのマスコミを牛耳るアーノルド・オヒギンズが鶴の一声で黙らせた。
 一代で巨億の富を築いたこの男は、表向きは、ローエングラム軍のフェザーン占拠時からの従順な手先だったが、実はそれ以前から、オーベルシュタインと裏で繋がり、ボルテックを密かに抱き込んで、彼にルビンスキーを裏切るよう志操していたラインハルトの協力者だった。
 ローエングラム王朝発足後には、論功行賞として、帝国内の情報産業の約2割を手中に収めるに至っている。
 真偽は定かではないが、遠い祖先は、フェザーンの伝説的な商人カウフの忠実な友人で、フェザーン最大の商科大学を設立する為に莫大な寄付をした人物だという。
 その為か、本業のメディア事業だけでなく、大学や各種専門学校の運営など教育事業にも積極的な男だった。
 彼自身は、フェザーンの地方都市で産まれ、若い頃から商船の中で過ごすことが多かった所為か、過去3度の結婚でいずれも子供には恵まれなかった。
 その財力を以ってすれば、フェザーンの高度で高額な不妊治療を受けるのは容易だったが、彼はそれよりも仕事を優先し、結果的にその事が、いずれも結婚生活の破綻に繋がった。
 ところが、昨年、50を目前にして、帝国からの亡命貴族令嬢を4度目の妻に迎えた途端、26歳年下の新妻が自然妊娠したのだ。
 新王朝の建国に協力しながら、オヒギンズは、ゴールデンバウム皇室とも縁の深い妻の血筋を尊重して二重姓を許し、名ばかりの爵位を彼女と彼女の直系子孫のみが保有することにも同意した。
 妻の名は、ルトヴィカ・フォン・リンダーホーフ・オヒギンズ。
 ヒルダの同窓にして、エルフリーデと同じ病院で同じ時期に出産を予定している、リンダーホーフ侯爵夫人その人である。



 翌10月11日朝、エルフリーデは、オーディンで模擬試験を受けた時と同じ変装をすると、無人タクシーでこっこりと裏門から邸を出た。
 行先は、入学を希望するフェザーン帝国大学の第4キャンパスである。
 何度も伴を申し出るシュヴァイツァー夫人や侍女のミミを振り切って、エルフリーデは一人で行く意思を通した。
 帝国貴族の誇りを失ったわけではないが、新しい環境に早く慣れ、甘えを捨ててもっと自立しなければならないと思うようになっていた。
 既に具体的な目標を定め、それに向かって毎日懸命に働く同級生達や、未だ行方知れずの級友達が、今どうしているかと考える度に、サビーネの無残な死が頭を過るのだ。
 あのような悲劇が、二度と起こってはならない。その為に、自分も地球学を学び、何かが出来る人間にならなければ。その為に大学に行くのだ。
 大学には、様々な地域出身の人間が階級を越えて集まると、フロイライン・マリーンドルフが言っていた。特に、フェザーンは昔から身分の壁がなく、時として辺境星系からずば抜けて優秀な奨学生が入学してくる場合があるという。
 また、ヴァーラトの和約以降、同盟領出身者の受験も許可された半面、大学自体はそれ程定員を増やしていない。来年度から更に競争が激化することは明らかだった。
 そのような中で、一人だけ特権的扱いを受けるのは、かえってエルフリーデの矜持がゆるさなかった。
 何としても、実力で試験に合格して、フロイライン・マリーンドルフのように世間から認められる人間になるのだ。
 それが、血統による自らの優位性を否定されたエルフリーデの新たな指針であり、意地でもあった。
 フェザーン帝国大学は、都内とその周辺都市に計4つのキャンパスを持つ総合大学で、エルフリーデの目指す地球学部は、郊外の最も広大な敷地を有する場所にあった。
 都心の自邸からは、ランドカーで30分程の距離だが、在籍する学生数が7万人という数に比しては、小規模に感じられた。
 フェザーンの大学は、殆どの講義が、専用回線を使ったオンライン授業で、学生は各学部学科毎に割り振られた指定登校日と期末試験日のみに来るだけだった。従って、全学生が一度にキャンパスに入ることは通常ではない。その為、どの大学も、学生数に対して教室の数が少なく、敷地も狭かった。中には、都内の中規模ビル一つに全てが収まっているという新設の私立大学すらある。合理的とも言えるが、いい意味での人間同士の直の付き合いが生まれにくい環境とも言えた。
 大学についての大まかな情報は、既に端末を外部接続して取得済みだったが、まだ地球学部のどの科を受験するか決めていないエルフリーデは、キャンパスをじかに見て、大学の雰囲気に触れてみたかった。
 無人タクシーを降りると、事務棟まで続く道をひたすら歩いた。
 髪と目の色を変え、度無しメガネをかけた地味な服装のエルフリーデに気付く者は誰もいない。
 事務棟の入り口で、特別に作製してもらった偽名のIDカードを提示し、見学の手続きを行った。
 入試課の前に着くと、地球学部の各学科のペーパー版のパンフレットが置かれていたので、エルフリーデは、最初、それを一つ一つ手にとって、持ってきた大き目のバックに入れていったが、時期に諦めた。
 フェザーン帝国大学の地球学部は、実学的なものだけでも、科学、医学、工学分野から、司法、立法、行政といった社会学の分野まで幅広く、更にその中で、細かな専門分野に分かれていて、最終的に全56学科が存在した。
 それらを全てペーパー版で持ち帰ると、段ボール箱がいくつも必要になってくるので、エルフリーデは、とりあえず、興味のある10程の学科の詳細情報のチップを貰い、端末にダウンロードして、帰宅してからゆっくり見ることにした。
 学部に関係のない、全学部共通の学内行事について記されたパンフレットもあり、年に一度ある学際の様子が紹介されていた。
 開催される3日間に限っては、学部の壁を越えて、学生は所属するサークルやグループでの活動を内外に披露するのだそうだ。一般市民にも開放され、誰でも出入りが自由となる。勿論、学生の家族もこの行事の時だけは、招かれて共に楽しむのが、恒例となっている。
 エルフリーデは、このパンフのみペーパー版のものを持ち帰ることにして、バックに仕舞った。
 残念ながら、この日は興味のある地球学部の講義の日ではなかったので、後は登校時に利用するカフェテリアや、教室の様子を見学するだけだ。
 カフェテリアは、システムそのものは、オーディンで模試を受けた大学を変わらなかったが、メニューの豊富さと多彩さは、流石にフェザーンというべきで、カタリナの長楽宮のランチメニューに似たような料理がいくつか並んでいて興味深かった。
 エルフリーデは、何気なく周囲を見渡して、自分も試しに利用してみようか迷っていた。
 その時、突然視界に、見覚えのある少女の姿が入り、思わず彼女の姿にじっと見入りながら、数瞬、言葉を失ってしまった。
「マリア・アンナ…」
 エルフリーデは、確認するように、小声で声を発した。
 食べ終えたトレーを返却棚に置いて、出入口へ向かって歩いて来たのは、間違いなく親族のマリア・アンナ・フォン・リヒテンラーデだった。
 宇宙港で会った時よりも顔色もよく、少しふっくらした印象だ。身形も特別高価そうな服ではなかったが、落ち着いた品の良いワンピースを着ていて、エルフリーデは安心した。
 見知らぬ赤毛の少女の呼び掛けに、マリア・アンナは怪訝な顔で振り向いた。
「私よ」
 エルフリーデは、度無しメガネを外すと、涙ぐみながら幼馴染に駆け寄った。
 オーディンの宇宙港で、あんな形で別れたとはいえ、彼女とは切っても切れない血の縁で結ばれているのだ。少なくともエルフリーデはそう思っていた。
 マリア・アンナは、瞬間、切れ長の瞳を見開いた。驚きと懐かしさの混じったような表情だった。
 だが、それはほんの一瞬だけで、後は先日と同じ、冷たく突き放すような表情に戻っていた。
「こちらに来ていたの?」
「ええ」
 頬を紅潮させて尋ねるエルフリーデに対して、マリア・アンナは横を向いたまま抑揚のない声でそれだけ言った。
「叔母様や、ファルツ家の方々もご一緒なの?」
「あなたには関係ないわ」
 捨て台詞のように言って立ち去ろうとするマリア・アンナに、エルフリーデは少し腹を立てながらも、肝心な要件を切りだした。
「待って。私をどう思っていようが構わないわ。でも、私、エーリッヒ様の遺品を預かっているので。同じ艦隊に勤務していた方が持って来て下さったのよ。それをどうしても、アウグスチーネ様とツィタ夫人にお渡ししたくて…」
 エーリッヒの名前に、さすがのマリア・アンナも足を止め、初めてまともに向き合った。
「そう…エーリッヒ様の…」
「ええ。今、どこに住んでいるの? 教えて頂戴。叔母様やアウグスチーネ様達にももう一度お会いしたいわ」
「ツィタ夫人だけはオーディンに残られたけど、私たちにも居所はわからないの。でも、心配ご無用よ。母もアウグスチーネもヨーゼファも叔母様も元気で一緒に暮らしているわ。でも、今は事情があって場所を教えるわけにはいかないの。遺品は、あなたのご都合のいい場所と時間を指定して頂ければ、私が取りに伺うわ」
 しかし、エルフリーデは、これだけは譲れなかった。
「いいえ。遺品は私が直接ご遺族に手渡す約束です。ツィタ夫人が無理なら、お姉様であるアウグスチーネ様に会わせて下さい」
 一歩も引かなさそうなエルフリーデの様子に、マリア・アンナもさすがに折れた。
「いいわ。では、アドレスを教えて頂戴。待ち合わせの場所と時間を指定させて頂くわ。元帥夫人をお呼び立てするようで、申し訳ないのだけれど…」
 最後の皮肉をエルフリーデは聞き流した。
 メールの交換を終えると、これで少し彼女とまた繋がった気がした。細い細い糸ではあるが。
「マリア・アンナも、ここを受けるの?」
 努めて明るく尋ねるエルフリーデに、マリア・アンナは尚無表情だった。
「ええ。そのつもりよ。ここの地球学部で遺伝子工学を専攻するつもりなの。私はあなたと違って、それしか取り得がありませんから」
「そんな言い方…」
「それより、ここにいるということは、あなたも受験するつもりなの?」
「ええ。私も地球学部を受けるつもりよ」
 エルフリーデは、まだ学科を絞っていないことは口にできなかった。ここでもまた、既に進むべき道を定めた彼女に後れをとってしまっているという焦りが芽生えた。
「そう。でもここは入試の点数で全てが決まる官立大学よ。血筋も身分も知名度も一切考慮されないし、夫が元帥だろうが皇帝だろうが、点数がとれなければ容赦なく不合格になるところよ。私がここを選んだ理由は、オーディン帝国大学にもひけをとらない最高レベルの大学だということと、何より経済的に楽な点だわ。その点、あなたならお金の心配はしなくて済むし、喜んで入学させてくれる私立大学がいくらでもあるのではなくて?」
「そんなところへ行っても意味がないから、ここを受けるのよ」
 エルフリーデは、ムッとして反論する。
 実際、彼女がフェザーンで大学への進学を希望しているのを知っているマネージメント会社を通して、いくつかの私立大学から特別枠での入学を打診されていた。中には、かなり難易度の高い「私学の雄」とも言うべき大学もあったが、エルフリーデは、それらを全て断った。ならば一般入試でもいいから、ぜひ受験をと請われたが、合格しても周囲から底上げされたと見られるのが嫌でそちらも断った。
 血統第一主義の帝国内に在って、なぜか昔から聖域とされ、皇族でも合格点に達しなければ不合格になるのが当たり前の官立大学に合格することこそが、自らを証明する唯一の手段と決めてかかっていた。
 視野が狭く、思い込みの激しい少女故の結論と言えるかもしれないが、エルフリーデの決心は固かった。
「そう。そう言えば、あなたは、女学院の成績もよかったわね。同じ学部志望なら、あなたと私はライバルということね」
 マリア・アンナは、この時初めてエルフリーデのカラーコンタクトをはめたグリーンの瞳を正面から見て言った。
「マリア・アンナ、2人で合格したら、また、以前のように構内で会えるかしら?」
 少しばかりの希望を見出したエルフリーデに、しかし、マリア・アンナは再び厳しい視線を向ける。
「それは無理ね。たとえ構内で私を見かけても、他人のふりをして頂きたいわ。…忘れないで頂戴。あなたの夫は、私の父と弟を処刑したのよ」
 足元が崩れるような感覚に、エルフリーデは硬直して立ち竦む。
「これでもリヒテンラーデの娘よ。私も、父のことは仕方がなかったと理解しています。でも、何の罪もない11歳の弟を処刑した今の皇帝も、それに唯々諾々と従ったその手下共も、私は生涯許せません。そんな皇帝に膝を折り、その部下と仲良く笑っているあなたの姿をソリヴィジョンで見る度に、あなたのことが許せなくなるの。あなたが、一族の為を思って結婚したことは、頭ではわかっているわ。でも…でも…私には、どうしても割り切れないのよ…!」
 マリア・アンナの声は、最後には悲痛な叫びとなってエルフリーデの心を抉った。
 この時のマリア・アンナが発した言葉は、半分は彼女の本音であり、もう半分には、エルフリーデには知り様もない事情が含まれていたのだが、この時点ではそれを明かすことができなかった。
 結局2人は、無人タクシー乗り場と無人路線バス乗り場にそのまま分かれた。
 数年前までは、お出ましの際は、常に大勢のお付きの者達と高級ランドカーに乗り込んでいたマリア・アンナが、当たり前のように一般市民達と一緒にバスに乗る現実に、容赦のない時の流れを感じた。
 エルフリーデは、帰りの無人タクシーの中で、思い切り泣いた。
 一人きりの密閉空間は、こういう時何より有難い。
 心配する執事やシュヴァイツァー夫人を振り切って、誰も伴を連れて来なかったのが、つくづつ正解だったと思った。
『あなたの夫は、私の父と弟を処刑したのよ』
 マリア・アンナの言葉が、胸に痛い。
 彼女がそう思っているということは、エーリッヒの姉であるアウグスチーネも当然、自分のことを「弟を処刑した男と結婚した女」と考えていることだろう。
 それは承知しているはずだった。
 そうわかって、何もかも呑みこんで、あの男と生きていく決意をした。その気持ちは、今でも変わっていない。
 それでも、誰よりも近しい存在と信じていた身内から、面と向かって裏切り者のように言われるのは辛かった。
 帰宅した時は、流石に涙を拭っていたものの、赤く目を腫らした女主人の顔に、使用人達は一様に驚いた。
「ちょっとコンタクトの調子が悪かったみたい。すぐに外すわ」
 心配そうに顔を覗き込む侍女に向かってエルフリーデはそう言うと、さっさと自室に籠ってしまった。
 コンタクトを外し、顔を洗って化粧を直してみても、まだ明らかに涙目だった。
 幸いなことに、使用人達は次々と届けられる懐妊祝いの品の対応に追われているのか、様子を窺いに来る者はいない。
 エルフリーデは、気分を変えようと端末を開くと、ヒルダに大学見学の報告メールを打ち始めた。
 送信が完了した時、ふと新規の着信メールが入っていたことに気付いて開くと、意外にもマリア・アンナからだった。
 彼女の態度から、向こうから連絡が来ることは半ば諦めていただけに、反射的に嬉しくなった。
 内容は事務的なもので、アウグスチーネが遺品の受け取りに同意したので、待ち合わせ場所として、明日の午後2時、都内の小さなホテルの喫茶ルームを指定するものだった。
 都合が悪ければ、日を改めると添えられた言葉に、エルフリーデは即座に了承の返信をした。
 帰りが遅くなるというロイエンタールを待たずに、一人で夕食を済ませると、エルフリーデは、早めに就寝した。
 日付の変わる時間に帰宅した夫は、シュヴァイツアー夫人にでも泣き顔で帰宅したことを伝えられたのだろう、珍しくベッドから上体を起こした幼妻の頭を撫でて、軽く口づけした。
 らしくない夫の行動に、怪訝な顔を向けながらも、エルフリーデは少し気持ちが癒されるのだった。
「そうだわ」
 エルフリーデは、突然思い立ったようにベッドを下り、ドレッサーの前に行くと、端末を開いて、昨日検診の際にダウンロードした、自分の子宮内の立体映像をを浮かび上がらせた。
「ほら、これが赤ちゃんよ」
 その部分をズームアップすると、魚とも人間ともつかない奇妙な形をした2頭身の物体が見えた。
「これからどんどん成長して、だんだん人間らしい形になってくるんですって」
 医師に言われた通りのことを反芻してみたものの、エルフリーデにもまだ実感が薄かった。もうそろそろつわりが始まる時期だそうだが、それも全く兆候がない。
 ロイエンタールは、予想通りというべきか、「ふーん」と感動のない声を発すると、さっさとバスルームに消えていった。
 エルフリーデは、仕方なく不満そうに端末を閉じた。
 自分も大して妊娠を喜んでいないくせに、更に輪をかけて無関心そうな夫の態度には、少し腹が立った。
「あまり期待し過ぎると、後で裏切られた時のショックが大きいぞ」
 バスローブを羽織って浴室から出てきたロイエンタールが、薄く笑って言う。
「期待とか、そんなんじゃないわ。今は、健康で無事に産まれてくれることだけしか考えていないわよ。でも、産まれたら、いい子に育って欲しいわ。皆に愛される優しい子に」
「わからんぞ。俺の子だからな。赤と黄の瞳をしてるかもしれんぞ」
 唇の端を上げて皮肉を言う夫に向かって、幼妻は、成層圏の青の瞳で睨み付けた。
「虹彩異色症は遺伝しません。そんなバカなことを言う前に、お前もフェザーンの最先端医学をもっと勉強なさい」
 ロイエンタールは、心の中に一筋の涼風が吹き込んだ気がした。
 彼の抱える闇を、ここまで一刀両断にした人間はかつて一人もいない。
 ミッターマイヤーでさえ、あえて触れるのを避けていた部分でもある。
 母親にナイフで片目を抉られかけたという具体的な話をしたのは、エルフリーデが初めてだったが、この目の所為で両親に疎まれたという話は、寝物語に何人かの女達にしたことがあった。
 どの女も一様に彼に同情した。中には、かわいそうにと言って、涙を流す女もいたし、彼の両親を非難する女もいた。
 どの女達も、自分こそが彼の支えになり、彼を呪縛から解き放ってあげたいと真剣に思っていたらしいが、女達が強くそれを望めば望む程、逆に彼の気持ちは冷めて白けていった。
「エルフリーデ…」
 ロイエンタールは、妖精を捕まえるように腕を伸ばすと、幼妻を後から抱きすくめて、耳元で囁いた。
 深く口づけし、そのまま寝台に傾れ込もうとする夫に、エルフリーデは軽い抵抗を試みた。
 間もなく月齢にして3ヶ月目に入るという大切な時期である。
「わかっている」
 ロイエンタールはそう言うと、その夜はそれ以上何もせず、幼妻の身体を腕に抱いたまま穏やかな寝息を立てていた。



 翌日、エルフリーデは、もう一つ見学したい大学があると使用人達に嘘をついて、昨日と同じ格好でマリア・アンナが指定したホテルの喫茶室にやってきた。
 エルフリーデは、約束の時間の5分前に着いたが、奥の席で、マリア・アンナとアウグスチーネの2人は、既に先に来て待っていた。
「お待たせして申し訳ございません」
 エルフリーデが、そう言って詫びると、アウグスチーネが、自分達も今来たばかりだからと言って向かいの席を勧めた。
 エルフリーデは、簡素な椅子に静かに腰掛けると、あらためて「お久しぶりでございます」と、アウグスチーネに向かって頭を垂れた。
 エーリッヒの姉、もしかしたら、自分の義姉となっていたかもしれない女性だった。
 内戦以前は、親族として随分と可愛がってもらったし、彼女の結婚式にも出席している。
 旧王朝時代は、帝国内でも指折りの高貴な血筋だったアウグスチーネは、秋らしい色のフェザーンの最新ファッションに身を包み、以前と変わらず美しかった。隣に座るマリア・アンナも、昨日よりも明るめの服装だった。どうやら、経済的には困ってなさそうだ。
 2人が落ちぶれた姿でないことに、エルフリーデは一先ずほっとしたが、同時に疑問も湧いた。リヒテンラーデ家も、ファルツ家も、新政府に全財産を没収されていたはずだった。
 向かい合ったアウグスチーネは、マリア・アンナ同様かそれ以上に無表情だった。
「弟の遺品をお持ちとか?」
 今まで聴いたことのないアウグスチーネの冷たい声が聴こえると、エルフリーデは、バックからエーリッヒの遺品の入ったケースを無言で取りだしてテーブルに置いた。
 無表情だったアウグスチーネの瞳が微かに揺れ、震える手がそっとケースに伸びた。
 アウグスチーネは、一瞬それを胸に抱きしめるようにすると、すぐに自分のバックに仕舞った。
「お礼を申します。エルフリーデ。では、私達はこれで」
 再び押し殺した声で言うと、アウグスチーネは、隣のマリア・アンナを促して席を立とうとした。
「あの…今、どちらにお住まいでいらっしゃいますの? 叔母様達やヨーゼファは? ご不自由はありませんか? オーディンの宇宙港では、援助して下さる方がいるとのことでしたが、今もその方のお世話に? いったいどういう方ですの?」
 湧き上がった疑問を抑えきれなくなったエルフリーデは、席を立とうとする2人に向かって矢継ぎ早に質問を浴びせた。
 地位も財産も失った若い女性の世話をすると聞けば、嫌でもある種の想像が浮かんでしまう。
 現に、つい一昨日も、フェザーン商人に買われるように結婚したリンダーホーフ侯爵夫人の話を聞いたばかりだった。
「ご心配なく。私はあなたと違って、美しくありませんから、私の身と引き換えに金銭の援助をしようとする金持ちなどおりません。今、没落した若く美しい帝国貴族の娘など余っているご時世ですから、あなたくらいの付加価値がないと、商談成立とはいかないのよ」
 マリア・アンナが、またもや自分を卑下した言い方で否定した。
「私も、一度嫁いだ身で、いわば中古品の女ですから、あまり高くは売れないわ。今援助して下さっている方とは、そのような関係ではありません」
 それを聞いたエルフリーデは、安堵すると共に、疑問は更に大きくなった。
 まさか、彼女等の身の上に純粋に同情してのボランティアではないだろう。仮にそうならば、そう言えばいいだけの話だ。
 男女関係の取引を否定しつつ、殊更に相手の素性を隠そうとするところに、何か胡散臭いものを、エルフリーデは、直感的に感じた。
 今住んでいる場所だけでも教えて欲しいと食い下がるエルフリーデに、ふと気付いたようにアウグスチーネが問う。
「伯爵夫人には、身籠ってらっしゃるとか?」
 ふいに、別の話題を振られて、エルフリーデは、動揺した。
「ええ…」
 そう言うしかないエルフリーデに、アウグスチーネの言葉は辛辣を極めた。
「これだけは言っておきます。私の大切な弟を殺した男に足を開いた女の顔など、二度と見たくありません」
 一度結婚した経験があるだけに、アウグスチーネの言葉は、マリア・アンナよりも直截的だった
 エルフリーデは、思わず顔を赤らめて俯いた。
「どうかもう、私達のことは他人と思し召して、あなたはあなたで、ご自分の幸せのみお考え下さい。今日で本当にお会いするのは最後です。あなたの為にも、それが一番いいことだと思いますわ」
 最後の一言の中に、かつてのアウグスチーネが目下の者に見せた優しさが僅かに残されていた。
 ふと、エルフリーデは、彼女達が、何か事情があって故意に自分を遠ざけようとしているのではないかと感じた。
 考えてみれば思い当たるふしがある。
 マリア・アンナもアウグスチーネも聡明で、元々保守的だったエルフリーデよりも開明的な考えの持ち主のはずだった。
 それが、他の親族達が自分の家族を処刑されたにも関わらず、殆ど皆エルフリーデの恩赦運動に感謝し、結婚したことも、自分達の為を思えばこそと理解してくれている。
 そんな中で、最も理解者となっていいはずの2人が、他に選択肢のない状態で結婚したエルフリーデを非難するのは、どう考えてもおかしい。
 いくら尋ねても口を開きそうにない2人に諦めて、エルフリーデは喫茶室を出ると、別れを告げた。
 だが、本当に諦めたわけではなかった。
 せめて、2人が住んでいる場所を確認しないことには落ち着かなかったし、わざわざ会いに出向いた意味もない。
 エルフリーデは、2人と別れるふりをして、先にホテルを出ると、前に止まっていた無人タクシーに乗り込んで、停止させたまま2人が出て来るのを待った。
 10分としない内に、2人は正面玄関を出て、エルフリーデが乗り込んだ無人タクシーより数メートル先に停車しているランドカーに乗り込んだ。
 驚いたことに、2人が乗ったのは、無人タクシーではなく、最高級車とは言えないまでも、かなりグレードの高い自家用地上車だった。
 エルフリーデは、慣れないパネル操作で、その車を追跡するように指示をインプットすると、ひたすら前の車を目で追った。
 エルフリーデを乗せた無人タクシーは、常に一定の距離を保ちながら、2人を乗せたランドカーを確実に追尾していた。
「これでいいのですね? アウグスチーネ様」
 自動運転の車に乗り込んだマリア・アンナが、隣に座るアウグスチーネ向かって声を落として言った。
「ええ。私達と完全に縁を切るのが、一番エルフィーの為になることよ。せめて、あの子だけには、幸せになって欲しい…エーリッヒも、それを誰より望んでいると思うの」
「わかっていますわ。アウグスチーネ姉さま。でも…彼女、さぞ私達を恩知らずに思っていることでしょうね…」
「私はそれも覚悟の上でのことだけど…それより、あなたこそ、本当にこれでいいの? マリア・アンナ。考えてみれば、これは我が家の問題だわ。それに、あなたやあなたのお母様までを巻き込むことに、正直、私にも躊躇いがあるのよ。何よりも、あなたは今、大学に入る為の勉強をしているのでしょう? それも無駄になってしまうかもしれないのよ」
「私達は、ここまで来たら、ファルツ家の皆さまと最後までご一緒するつもりです。それに、大学は何もフェザーンだけじゃないわ。地球学を学ぶには、ハイネセンにもいい大学があると聞いています」
 マリア・アンナは、笑顔でアウグスチーネを振り向いた。
 その迷いのない切れ長の瞳に、アウグスチーネは頼もしい同士を見出して、微笑を返した。
 2人を乗せたランドカーは、思いがけない場所で停止した。 
 車が入っていった邸は、堅固な創りの要塞のような豪邸だった。
 門扉には明らかに監視カメラが設置されており、部外者の侵入を拒絶している。
 先程の様子からも、今正面から訪ねても追い返されるのは明白だと思ったエルフリーデは、端末に邸の所在地と車のナンバープレートを記録して、自邸に帰るよう再び無人タクシーに指示を出した。
 驚いたことに、タクシーは、僅か7分ほど走ったのみでロイエンタールの官舎となってる邸に帰り着いた。
 どうやら、3区画ほど離れただけの同じ地域の邸宅街だったらしいが、まだフェザーンの地理に不案内のエルフリーデは、それに気付かなかったようだ。
 エルフリーデは、予想外に早い女主人の帰宅に驚く使用人達を気に留めず、自室に籠って昨日の大学の資料に目を通してから、侍女を呼んだ。
 明日は、フェザーンでの最初の公務の予定が入っていた。
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