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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(31)
 美容師が4人掛りで化粧をし、髪を結い上げ、ネイルを施し、約2時間半かけてエルフリーデの支度はほぼ出来上がった。
 最後に、肩帯を付け、元帥夫人としての最近の公務の褒賞として、皇帝より賜った勲章を飾ると、帝国最高の貴婦人が完成した。
 ピンク色の可愛らしいデザインのドレスに、地位と身分を誇示する麗々しいティアラや勲章は、少しアンバランスにも見えたが、彼女の生まれついての高貴な雰囲気と優雅な身のこなしが補った。
 支度を行なった美容師達も、契約ブランドのデザイナーも、異口同音に讃辞を贈るが、当のエルフリーデは冷静だった。
 ローエングラム王朝では、情報規制の緩和で、原則として不敬罪以外の言論の自由が認められた。
 その所為か、特に政治に無関係のファッション関係の事柄になると、娯楽の少ないこの国では、一斉にメディアが目の色を変えて報道する。
 エルフリーデも、友人からのプレゼントで、自分用の端末を持つようになって以来、加熱するその手の報道を嫌でも目にするようになった。
 そして、その度に、昔から名前を知っている有名女優やタレント以上に、今の自分に対する帝国内の関心の高さを実感するのである。
 彼女のファッションは、年齢相応の彼女の雰囲気にも合っているものを着れば、賞賛の声と共に、必ずと言っていいほど「国家の重鎮の夫人に相応しくない」「自分の立場に対する自覚が足りない」という声が囁かれ、地位や身分に合った大人っぽい服を着れば、「背伸びのし過ぎ。身の丈に合ってない」と酷評するものがいる。
「大衆の身勝手さを受け入れ、それにじっと耐えるのも上に立つものの勤めだよ」
 過日、身内だけの夕食会の席で、そのことを言うと、叔父のゴットルプ子爵がきいた風な口を叩いた。
「まあ、これは、私の言葉ではなくて、兄さん・・・お前の父が言ったことだけどね。聞いたのは随分昔の話だが、さすがに生まれながらの伯爵様は、私なんかとは心構えが違うなと思ったものさ」
 亡き父の言葉と知って、その時エルフリーデは気を取り直したのだった。
 そして、サビーネの死の直後でありながら、悲しみを表すことが許されない今の自分も、父と同じように黙って耐えなければならない時を迎えたのだと感じていた。
 支度が整ったタイミングを見計らったように、礼装のロイエンタールが部屋に現れた。 人払いの合図に、美容師達は一旦部屋から出ると、二人だけになった。
「知らせは、軍務省から届いている。・・・・残念だったな」
 サビーネの件を言っているのだろう。
「ええ」
 エルフリーデは、それだけ言うのが精一杯だった。
 顔を揚げ、あらためて目の前の男を見る。
 力強さとしなやかさの完璧な均衡。
 典雅さと、剛々しさの優れた調和。
 金銀妖瞳が創り出す神秘的なまでの美貌。
 エルフリーデは、ふと、この男が、この世に存在してくれていてよかったと思った。
 そして、彼の持つ権力が目的で結婚したはずなのに、いつの間にか、この男が夫でよかったと思っている自分に気づくのだった。
「なんだ? 惚れ直したか?」
 いつになくじっと自分を見詰める幼妻に、青年元帥は照れ隠しに言った。
「自惚れないで! お前こそ、少しは自分の妻を見直した?」
 きつい口調で即座に言い返したものの、本心を突かれたようで、エルフリーデは少し狼狽していた。
 だが、いつも皮肉屋の夫が、この時は予想に反して素直だった。
「ああ、そうだな」
 そう言って、そっと手をとり、口付ける。
 本当は、思う存分掻き抱いて貪るように口付けたい。
 いや、もっと本心を言えば、この場に押し倒して明日の朝まであの瑞々しい肢体を味わい尽くしたい。
 無論、それは不可能であるから、彼は、他者が想像もし得ないくらいの理性と自制心を総動員して、その衝動を思い留まったのだった。
 普段より高いヒールを履いているエルフリーデの手を注意深くとりながら階下へ降りていくと、サロンでドレス姿のエルフリーデの写真撮影と、簡単なインタービュー収録が行なわれた。最後に契約ブランドの広報責任者に懇願される形で、夫妻で並んでカメラに収まると、漸く今夜のセレモニーの第一段階は終了した。


「お前は、来世があると信じる?」
 新無憂宮へと向う地上車の中、つかの間の二人だけの空間で、エルフリーデは、俯いたまま夫に問いかけた。
 あの夜、来世でも結ばれようと誓ったのは、単なる勢いや言葉遊びだったのか?
 自分はもう、この一生で全てが終わっても構わないが、サビーネの運命を思うと、せめて来世でもなければ救われない。
「さあな。俺にはわからん」
 年の離れた夫の声は、冷淡だった。
「だが、信じたいと思うなら、友達の為にそう祈ってやれ」
 エルフリーデは、思わず顔を起こし、隣に視線を向けると、ロイエンタールの端正な横顔が目に入る。
 だが、その顔は、無表情でいながら、どこか彼女には優しげに映った。
「来世はもっと、早く生まれてこい」
 窓の外に目をやりながら、ロイエンタールは言う。
 エルフリーデは、一瞬意味がよくわからなかった。
「同じ歳とは言わんが、せめて数年以内にしろ。でないと、俺は来世でも漁色家の悪評が立つ」
 勝手な理屈をと、エルフリーデは少しムッとして言い返した。
「いいわ。どうせなら、お前よりも年上に生まれて、躾直してあげるわ」
「では、間をとって、同い年にするか?」
 彼にしては気の利いたジョークを発したつもりだったが、エルフリーデを笑わせることはできなかった。


 皇宮の正面へランドカーが静かに滑り込み、元帥夫妻が赤絨毯の上に降り立った瞬間、放列が敷かれたカメラから一斉にフラッシュが焚かれた。
 一瞬、眩暈がして思わず右手で顔を遮ったエルフリーデは、慣れない高さのヒールにバランスを崩しかけた。
 ロイエンタールが、それを絶妙のタイミングで抱き留めて事無きを得る。
 その時、ロイエンタールは、ふと今自分が守ったものが、エルフリーデ一人ではなく、彼女の胎内に宿っているかもしれないもう一つの命をも同時に掬い揚げたという感覚に捉われた。
『度し難い・・・』
 と、胸の裡で自嘲する。
 つい先ほど、妊娠などしていないことを願ったばかりなのに、無意識に、まだいるかいないかもわからない子供の心配をしている自分が滑稽だった。
 エルフリーデは、自分を遠巻きに囲む大勢の報道陣の数に、少し気後れしたのか、いつもの気丈さが鳴りを潜め、少し不安そうに夫の腕に縋ってしずしずと赤絨毯の敷かれた階段を昇っていく。
 この日、元帥夫妻に宛がわれた部屋は、報道陣の数に合わせ、会見を行なう閣僚と軍首脳の中で最も広い「野いばらの間」だった。
 旧王朝初期、凄惨な政争の舞台となった歴史を持つこの部屋も、幾たびかの改装を経て、当時の面影を偲べるものは少ない。
 新無憂宮での最後の公式行事とあって、閣僚では非公式に新帝都建設長官に任命されて多忙を極めているシルヴァーベルヒと、軍首脳では、軍務尚書のオーベルシュタイン、首都星内の軍事施設を視察中で、今夜帰着予定であるファーレンハイト、療養中のワーレンの3名を除き、オーディン在中の重鎮の全てが顔を揃える予定である。
 会見は、予め通知されていた代表質問に答える形で、約20分で恙無く終了した。
 サビーネの死を公表できない状況の中、エルフリーデは必死に笑顔を作り、新婚旅行の感想や、フェザーンでの新生活の抱負を話したのだ。
 会見の後、移動すると、謁見の間を兼ねる黒真珠の間には、既に帝国中の要人やその同伴者が着飾って集まり、談笑しながら皇帝のお出ましを待っていた。
「ごきげんよう、伯爵夫人。今宵のドレス、お似合いですわ。まるで少女のようで・・・」
 扇で口元を隠しながら、明らかに皮肉を言っている20代後半と見られる貴婦人に、エルフリーデは覚えがなかった。
 ロイエンタールが隣で僅かに眉を顰める。
 ここにいるということ自体、それなりの身分の女性なのであろうし、身なりからしても爵位を持つ身であることは確実である。
 だが、こういう状態を上手くアドリブで切り抜けられるほど、エルフリーデは、まだ処世術に長けていなかった。
「あの・・・どちら様でいらっしゃいますか?」
 明らかに自分より年長者である相手に対し、エルフリーデは、最大限低姿勢で尋ねたつもりだった。
「まあ!」
 相手の女性は、大げさな声を上げた。
「やはり、元帥夫人ともなると、母校の理事ふぜいのことなどお見知りおき頂けなかったようですわね」
 いくら卒業生でも、直接指導された教師ならともかく、普段姿を見せない理事の顔など知っている生徒なんていないわよと思いながらも、エルフリーデは、この場は大人しく腰を折った。
「それは、大変失礼いたしました。ご無礼をおゆるし下さい」
 だが、その女性は、エルフリーデの侘びの言葉を完全に無視して、傍らの夫の方に向って媚態を込めた視線を投げかけた。
「お久しぶりね。オスカー。かわいらしい奥様ですこと」
 その一言で、エルフリーデはやっとこの女性から自分に対して発せられる悪意の理由を理解した。同時に、女学院中等科の卒業を目前にして、突然登校を差し止められた理由も合点した。
 不愉快だが、今は耐えるしかない。
 結婚前のことは不問に付すと約束していたし、このような場で醜態を晒すのは誇り高い彼女にはもっと耐え難い。
「失礼、どちらの奥方かな?」
 ロイエンタールは、4年前に数週間ほどで捨てた女に対して、平然と言ってのけた。
 途端、目の前の女性の顔色が変わった。
 目が引き攣り、美貌を台無しにするほど恐ろしい形相に変わっている。
「どなたか知らぬが、妻をお褒め頂いて光栄だ」
 ロイエンタールは、そんな女を更に打ちのめすかのように、腕を組む幼妻の頬を引き寄せ、見せ付けるように口付けた。
 エルフリーデは、無言でそれを受け入れながら、目の前の女性に対して、先日邸を訪れた女性に対してのような同情は覚えなかった。
 険呑な空気を救うようにファンファーレが鳴り、皇帝のおなりを告げた。
 エルフリーデは、夫について、玉座近くの最前列に並ぶ。
 旧王朝の時代なら、大公妃か降嫁した皇女クラスの立ち位置だ。そして、もしかしたらサビーネが立ったかもしれない位置だった。
 そのことに、万感の思いを抱きながら、エルフリーデは、静かに典礼に則った所作で、皇帝を迎えた。
 玉座に現れた黄金の覇者には、いつものように、美しい男装の首席秘書官と忠実な高級副官、豪胆で沈着な親衛隊長が従っていた。
 しかし、常と同じ光景の中で、皇帝の覇気に明らかな陰りがあることに、ロイエンタールは気づいていた。
 それでもラインハルトは、宮内省が作成した式次第に従って、淡々と為政者としての職務を遂行していく。
 新無憂宮が、皇帝の本体がフェザーンへ向けて出発する9月17日付を以って、その管理の全てを学芸省に移譲され、皇室の私的所有から、国家の共有財産となることが宣言された。
 皇帝自らが宣言文を読み上げ、学芸尚書が進み出て、古式ゆかしい巻紙を押戴く。
「ジーク・カイザー」
「ジーク・ノイエ・ライヒ」
 皇帝賛美の嵐の中、一同は順に場を移して、晩餐会へと移行した。
 今夜の式典には、新政府が推進する新事業に参画するフェザーン系企業の代表者や、新たに新無憂宮の運営に携わる事業者などが、身分を問わず招かれており、その数は同伴者を含めると5000人もの人数となり、更に入宮を許可されたマスコミ関係者を合わせると、晩餐会としては、空前の規模のものとなった。
 500年近くに渡り、銀河の中心だったこの皇宮の最後を飾るに相応しい華麗なる宴である。
 料理にも配慮され、フェザーンとの融合を象徴する新しい試みが為されている。
 レストラン長楽宮を経営するエルフリーデの友人の父、リューデリッツ伯爵が、この晩餐会のメニューの総合プロデュースを担当していた関係で、伯爵一家も招かれていた。
 離れた席のカタリナも、サビーネの死の悲しみを堪えながら出席していた。
 店の風評被害を払拭し、従業員の生活を守る為にも、元気な姿を公の席で見せる必要があった。自分と同じ苦しみに、友人も耐えているのだと思うと、エルフリーデも少し力付けられた。
 ひな壇席の皇帝は、一見するといつもと変わらない華麗さと威厳を誇っていたが、時折蒼氷色の瞳が僅かに不安げに揺らめき、影を射す。
 その理由の全てを知る者は、隣で彼を支えるヒルダのみであった。
「・・・・絶対権力を行使するというのは、罪深いものだな・・・」
 オードブルに手を付けながら、皇帝はヒルダにのみ聴こえるように言った。
「はい。左様でございます、陛下」
 ヒルダは、静かに手を止めると、隣の主君に視線を向けて答えた。
 ロイエンタール夫妻が、公務を兼ねた新婚旅行へ出発した翌日、ヒルダは、必死にスケジュール調整を行い、以前から計画していた心的外傷者の長期療養施設への皇帝のお忍びでの視察を実現させた。
 自分の親族であり、医師でもあった青年の生の声をラインハルトに聴かせる為である。 ヒルダの親族に当たる青年医師は、エルフリーデが一緒に訪問した日以来、急激に発作が少なくなり、間隔も長くなっているという。この分だと、遠からず社会復帰が見込めるとのことで、ヒルダを安堵させた。
「卿に罪はない。全ての罪は、予が負うべきものである」
 彼がここで療養する事情を全て聞かされたラインハルトは、青年に向ってそう言うと、蒼氷色の瞳に、ヒルダが今まで見たことのない悲壮な色を浮かばせた。
 施設を後にしたラインハルトは、彼が医師として復帰した後は、自分の侍医団に加わえよう手配することを命じた。このことを忘れない為の、彼なりの精一杯の戒めの気持ちからだった。
 ヒルダは、「かしこまりました」とだけ言うと、深く一礼した。
 その後、皇帝は急にその日の予定を全て取り消させると、車列を墓地に向わせた。
 自ら葬った幼い歴史の生贄達に献花した後、史上最大の征服者は、陽が落ちるまで長い間その場に立ち尽くしたいた。
 翌日、ラインハルトの心に更に追い討ちをかける出来事に遭遇する。
 この日、ラインハルトは、またも少数の共でキルヒアイスの墓に詣でた。
 次にオーディンに帰る日はいつになるかわからない。親友の墓に、生まれ育った地への決別を告げるつもりで、出立前の貴重な時間を割いたのだった。
 この非公式の行幸に、統帥本部の留守を預かるベルゲングリューンが、強く共に加わることを望んだ。彼がかつてキルヒアイスの下にあったことを知るラインハルトは、快くこれを許可したのだった。
『Mein Freund』とだけ記された墓碑の前で、ラインハルトは、ベルゲングリューンから、初めて同じキルヒアイス艦隊で戦い、リヒテンラーデ一族として処刑されたエーリッヒ・フォン・ファルツのことと、彼の遺言を知らせれた。
 ラインハルトの衝撃と落胆は、昨日の比ではなかった。
「キルヒアイスは、予を許しはしないだろうな・・・」
 帰途の車の中で、ラインハルトは、うな垂れた様子で、誰ともなしに呟いた。
 ヒルダは、かける言葉が見つからなかった。
「陛下は、確かに過ちも犯したかもしれませんが、帝国の民250億に対して、計り知れない恩恵を与えました。人は皆、罪も功もあって生きるものでございます。陛下がこれからの長い人生の中で、帝国の民に、罪の万倍に値する福寵を齎せば、ヴァルハラで、大神オーディンも、キルヒアイス元帥も、それをお解り下さるでしょう」
 年長者の功で、沈んでいる皇帝をそう励ましたのは、同乗していたシュトライト中将だった。
「我々はもう、動き出してしまいました。過去の罪を悔いたからと言って、前へ進むのを止めるわけには参りません。不肖、私めも、陛下に忠誠を尽くすことで、自らの贖罪を行なっております」
 シュトライトの言葉に、ラインハルトは、漸く顔を上げた。
「卿の贖罪?」
「はい。ブラウンシュバイク公にお仕えしていた時、私は、役目柄とはいえ、非道なことを幾度となく行い、数え切れないほど罪無き者達の命を奪って参りました。立場上、それが私の仕事だったとはいえ、それで私の罪が消えるわけではありません」
 シュトライトの意外な告白に、ラインハルトもヒルダも、親衛隊長のキスリングも暫し聴き入った。
 シュトライトとしては、一生胸に秘め、墓場まで持っていくつもりだった秘密を、今ここで明かすことで、激しく落ち込む主君を何とか立ち直らせたい一心からだった。
 他の同乗者が、口が固いことに定評のある親衛隊長と、自らも密かに皇妃に望んでいる首席秘書官だったこともあったかもしれない。
 ブラウンシュバイク公の腹心であったシュトライトに課せられた最も重要な役割は、公の悲願達成の為の障害を排除することであった。
 ブラウンシュバイク公の悲願とは、即ち彼の娘エリザベートを女帝に即位させることであり、障害とは、ライバルとなる他の皇位継承者達だった。
 シュトライトは、後宮に潜入させた間者からの情報で、フリードリッヒ4世の子供達を次々と事故や病気に見せかけて暗殺していたという衝撃的な告白をした。
 寵姫が身ごもると、息のかかった女官や侍医を使って、密かに堕胎薬を飲ませて流産させたり、無事生まれた子が男の子なら、医師団を買収して死産したことにしたという。
 その生々しさに、その場の唯一の女性であるヒルダは、思わず顔を背けた。
 良識家で知られたシュトライトのこと故、無論、自ら望んで行なったことではないだろうし、ブラウンシュバイク公を諌めたことも一度や二度ではなかったはずだ。しかし、代々仕える立場の彼としては、結局は公の意に添うしかなかったのであろう。
「今にして思えば、グリューネワルト大公妃殿下に危害を加えるような次第にならなかったことが、本当に幸いでした」
 鎮痛に目を閉じる高級副官の言葉に、ラインハルトも頷いた。
「うむ。卿の辛い立場は、予も察する」
 最愛の姉が、あの皇帝の子を生まないことが唯一の救いだったラインハルトにとっても、その思いはシュトライトと同じだった。もし、彼がたとえ本意でなくとも、姉を害するようなことをしていたら、現在の2人の関係はなかったはずだった。
「私が一命をとして陛下にお仕えすることで、どれほどの償いになるのか、正直わかりません。しかし、それでも私は生きて償っていかねばならないのです」
 シュトライトの固い決意を耳にし、ラインハルトは暫く無言になって考え込んだ。
 そう言えば、思い当たることがあった。
 即位した直後、独身の皇帝に対し、結婚を勧める側近は多かった。真っ先に話を切り出したのは、国務尚書のマリーンドルフ伯で、ついでオーベルシュタインまでもが同じことを言ってきて辟易したものだった。その後暫くして、シュトライトも、皇統の安泰云々と言って結婚を勧めた時、ラインハルトは、一度彼をからかったことがあった。
「予のような若造よりも、卿の方が身を固めるのが先ではないか? 聞くところによると、随分といい話もあるそうではないか?」
 珍しく俗っぽいことを言う皇帝に、シュトライトは表情を変えずきっぱりと言い放った。
「私は、家庭を持つ意思はございません」
「しかし、それではせっかく残った卿の家が絶えてしまうではないか?」
「そのつもりであります」
「なぜそう言いきる?」
「私には、その資格がございません」
 皇帝とはいえ、それ以上の疑問を差し挟む余地のない程の断定口調で、シュトライトはそう告げると、その話題はそれきりとなってしまった。
 実際、既に40近い年齢で、安定した地位も身分もあり、温厚で誠実な人柄のシュトライトには、少し以前から自薦他薦含めて、縁談が引きもきらないらしい。ラインハルトも、その時は丁度、マリーンドルフ一族に連なる貴族から、娘をぜひにと、シュトライトに熱心に働きかけがあるという話を小耳に挟んだところだった。
 彼には、漁色家のロイエンタールや、障害者のオーベルシュタインのような結婚の障壁はないはずだった。
 あれは、血で汚れた手を持つ自分には、人としての幸福を得る資格はないという意味だったのか? 
 シュトライトの強い覚悟を知った時、ラインハルトもまた、自らに皇帝としての責務を課したのだった。
 後にシュトライトは、この時の言葉通り生涯独身を通し、その後46年の長きに渡りローエングラム王朝の安泰に献身した。
 その死に際し、肉親のいない彼の為に、時の皇帝が自ら葬儀を執り仕切り、その遺体は皇室墓地に埋葬されるという臣下としては異例ずくめの待遇を以って、その忠節が報いられることとなる。
『俺も、立ち止まることはできない。ヴァルハラで、堂々とキルヒアイスに会えるように・・・』
 夕闇の迫る車内で、尚落胆を隠せない皇帝に、側近たちは黙って若い主君が立ち直るのを待つしかなかった。
『この方には、帝王学がない』
 不敬を承知で、ヒルダがラインハルトに対して、以前から率直に感じていたのが、この点だった。
 無理もないのかもしれない。と、ヒルダは思う。
 幼い頃に母を亡くし、父に再婚の意思がなかった時点で、兄弟を望めないヒルダの将来は、女伯爵となることが決定していた。
 その為、他家へ嫁ぐことが前提の多くの貴族令嬢と違い、領民を治める女領主としての教育が早くから施された。迎えた婿が、万一、統治者としての資質に欠ける男だった場合、領民のことを考えての伯爵の教育方針だった。その過程で最も厳しく躾けられたのは、自己の感情の抑制である。普段は優しく、彼女が望めば何でも自由にさせてくれる父も、この点にだけは昔から厳しかった。
 そして、ヒルダの天性の性質もあって、彼女は若いながらも自分の感情をきちんとコントロールできる君主として理想的な大人へと成長したのだ。
 翻って、ラインハルトはと言えば、強烈なカリスマ性と、天才的な軍事センスの持ち主ではあるものの、元々人の上に立つ身分の生まれでなかったせいか、その点の教育には恵まれなかった。
 それでも、彼の天武の才と、寵姫の弟という立場が、史上類を見ないスピードで彼の地位を押し上げ、21歳で絶対権力を手に入れ、23歳の若さで至尊の地位に登りつめるに至ると、彼の激しやすい性質と才能とのアンバランスが、しばしば悲劇を産む場面に遭遇する。
 一時的な感情に任せたリヒテンラーデ一族に対する処断や、ヒルダは当初から疑問視していた第8次イゼルローン攻防戦などの無意味な出兵も、それらが悪い形で出た結果だと思われた。
 しかし、軍神としての彼に心酔する幕僚や側近達の中に、こうしたラインハルトの決断に真っ向から異議を唱えるものは少ない。
 彼の激昂すら純粋さや正義感故と好ましく解釈する者が多い中で、ヒルダはその点にも密かな危惧を抱いていた。
 大学で、政治学を修めたヒルダが、新王朝開闢後も秘書官の地位に留まり、専門の司法制度の整備ではなく、軍内で待遇階級を与えられることを甘んじて受け入れたのには、誰かが神ではない身のラインハルトを諌める役を担わなければならないという使命感からであった。


 新無憂宮の晩餐会は、粛々と進んで行く。
 著名な演奏家や歌手が、入れ替わり立ち替わり才能を披露し、その度に感嘆の声が上がるが、主催者である皇帝の耳には届いていないようだった。
 宮内尚書ベルンハイム男爵と、ビッテンフェルト上級大将に挟まれた席で、エルフリーデは元帥夫人としての役割を懸命に演じようとしていた。
 マスコミのカメラと大勢の人の目がある中で、彼等とにこやかに談笑しながら食事をするのが今夜の彼女の仕事でもあった。
 しかし、サビーネの死亡を知らされている数少ない要人でもある彼等は、逆にさり気なくエルフリーデを気遣ってくれた。
「このような時に、さぞご心痛でしょう。お立場とはいえ、お察し申し上げます」
 と、男爵が囁くと、
「美味い酒を酌み交わすのは、伯爵夫人が成人されてからにとっておくとしましょう。今夜は小官も、珍しく静かに食事をしたい心境でしてな」
 と、ビッテンフェルトが、意外に細やかな気配りを見せた。
 シャフハウゼン子爵とも親しく、以前から見知っていたベルンハイム男爵はともかく、一撃強襲の猛将と聞いていたビッテンフェルトは、夜会で一度会っただけだった。けれど、流石に実力主義のローエングラム体制で、若くして軍最高首脳にまで昇った男である。単純な猪武者に留まらず、人の心の機微がわかる人間らしい。
「ありがとうございます」
 と、青い目を潤ませながら言うと、ビッテンフェルトの薄茶色の瞳が、少し照れたように細められた。逞しい体躯に似合わない細面の顔が、その時とても優しい表情にエルフリーデは感じられた。
 そう言えば、今夜は欠席している、ファーレンハイト軍医中佐は、彼の姉のはずだった。常の凛としている顔に、薄茶色の瞳を細める優しい眼差しが、この姉弟に共通していると思った。
 午後10時。晩餐会が終了すると、人々は再び黒真珠の間へと移動し、最後の大舞踏会が催された。人数の都合上、普段のままでは人が入りきれないので、仕切りを取り除き、続き部屋を全て開放した。この形での舞踏会は、実に200年ぶりだと言う。
 皇帝は、玉座で高官達の挨拶を受ける為に座していたが、この日は遂に最後まで立ち上がって貴婦人達とダンスに興じることはなかった。
 ロイエンタールとエルフリーデは、国務尚書と学芸尚書の謁見が終わると、揃って御前に進み出た。
 ロイエンタールが、公務に便乗した新婚旅行の礼を述べると、比類なき美貌の皇帝の口から発せられたのは、意外な言葉だった。
「伯爵夫人。流刑地から戻られたご親族達は、不自由はしていないか?」
 エルフリーデは、思わず「え?」と叫びそうになりながら顔を上げた。
「は、はい。お陰をもちまして、恙無く暮らしております」
 慌てて平伏しながらそう述べると、再び皇帝の気遣わしげな声が聴こえた。
「そうか。何かあれば、国務尚書が立ち上げた団体が助けてくれるであろう。フロイライン・マリーンドルフを通じてでも構わないので、希望があれば、何なりと申すがいい」
「恐れ入ります」
 エルフリーデは、最初は皇帝の唐突な言葉を不思議に思ったが、隣のヒルダが、僅かに目を細めて無言の合図を送ったことで、予想がついた。
 多分、彼女が自分を連れていったあの施設を皇帝にも見せたのだ。そして、オーディンを去る前に、ベルゲングリューン大将も、エーリッヒのことを伝えたのだ。
 その後、この神聖不可侵な若者の中で、何が起こったのかは、わからない。
 しかし、皇帝が、自分の一族に対して、少なかなぬ憐憫の情を抱いていることは、エルフリーデにも伝わってきた。
 ゴールデンバウム王朝の歴史は、飽くなき政治闘争の歴史でもあることは、開放政策で客観的な歴史学を学べるようになったエルフリーデにも理解できるようになっていた。その血で血を洗う政争の影には、いくつもの罪無き犠牲者がいたはずなのだ。
 ローエングラム王朝は、法令で連座制を禁止し、リヒテンラーデ一族の処断を最後の権力闘争の犠牲者と位置付けたという。
 まだ完全に割り切れたわけではない。不満が完全にないわけではない。
 しかし、エルフリーデは、それを乗り越えたいと思った。いや、乗り越えなければならないと思った。生き残った一族達の為に、自分自身の為に、そして、共に生きることを誓った男の為に。
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