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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(29)
長楽宮のランチで満腹になったエルフリーデ達は、子爵夫人1人が無人タクシーで帰宅すると、カタリナと2人で、ヴァルブルク子爵家の下屋敷を訪れ、一家でサビーネを見舞ってきたクラリスに再会した。
 昨日別れた時は、次に会えるのは何年後だろうと思っていた友人に、まさかこんな形でわずか1日後に再会することになろうとは、エルフリーデにも思いもよらなかった。
 クラリスも、母親の子爵夫人も、まだ目を真っ赤に腫らしている。
「何とか、ならないのかしら? サビーネ・・・」
 テラスで、目の前の紅茶にも手を付けず、クラリスがぽつりと言う。
 血縁が薄いとはいえ、同じ一門の娘として、彼女は他の同級生よりもサビーネに対する思い入れが強いのだろう。
 クラリスだけではない。エルフリーデもカタリナも、門閥貴族は皆どこかで血で繋がっているのだ。 
「今、政府が製薬会社に補助金を出して、地球学を採り入れたワクチンの開発を急がせているそうだけど、とても間に合いそうにないそうよ」
 エルフリーデが、聞いている情報を伝えると、2人共肩を落とした。
「私、毎日サビーネに薬膳粥を届けるつもりよ」
 それでも、1日でもサビーネの命が長らえるように、自分にできることをするつもりだとカタリナは2人の友人に言った。
 クラリスは、家業の関係で、今日中にオーディンを発たねばならないが、何かあったらすぐに連絡を頂戴と言う。あえて明言は避けたが、「何か」とは無論、余命数日と宣告されたサビーネの死に他ならない。
 エルフリーデもカタリナも、それを理解し、必ず知らせることを約束した。
 この2人の友人は、普段まるでリップシュタット戦役などなかったかのように明るく前向きだ。実際2人共、旧王朝時代よりも今の方が自由で、毎日が楽しいと言っている。
 しかし、長年の友人であるエルフリーデには、それが半分本音、半分虚勢でもあることが判っていた。
 そうでも思わないと、この激動の時代を生きていけないのだろう。
 家族を失い、貴族特権と財産を次々と手放さねばならなかったエルフリーデには、それがよくわかっていた。
「私、他の行方不明のクラスメイトや、知っている先輩や後輩達のことも気になっているの。ブラウンシュバイク家のエリザベード様だって、未だに消息がわからないのでしょう? サビーネのことを知ってから、みんなどうしてるのかなって、ずっと考えてたの。もし、探し出せるなら、何とか探し出したいわ。困っているなら、助けたいって・・・」
 カタリナがずっと心に溜めていたことを2人の友人に吐き出した。
 今こうしている間にも、連絡がとれなくなっている友人の誰かが、サビーネと同じ目に遭っているかも知れないと考えるだけで、いても立っても居られない。
 だが、助けると言っても、彼女自身慣れないレストラン経営で自分達の生活を維持するのに手一杯のはずで、しかも現在風評被害に遭っている真っ最中である。
 それでも、エルフリーデもクラリスも、そんなカタリナが好きだった。
「そのことなんだけど、国務尚書のマリーンドルフ伯が発起人になって、そういう貴族達を救済する為の非営利団体を創ることになったんですって。今朝、フロイライン・マリーンドルフとヴィジフォンで話したの」
 エルフリーデの齎した最新情報に、2人の令嬢は同時に視線を向けた。
「以前から治安や風紀が悪くなるのを防ぐ為という理由で提案されていたらしいんだけど、民政省がなかなか首を縦に振らなかったんですって。軍部だけじゃなくて、今や官界の中枢も平民や下級貴族出身の有能な官吏達が多いでしょう? 門閥貴族がどうなろうと、自業自得だっていう考え方が主流で、実現は難しそうだったらしいの。でも、今度のサビーネのことで、世論も賛成多数に傾いたところで、フロイラインが一気に押し切って民政尚書を説得したんですって。それで、彼らの気が変わらないうちに、その日のうちに皇帝陛下の裁可を得て、既定化してしまったんですって」
「すごいわ。流石ヒルダお姉様だわ」
 クラリスが感嘆の声を上げた。
 実際、無一文で放り出された旧体制の貴族達が起こす軽犯罪は、無視できない程頻発しており、このままでは首都星の治安上好ましくないとの意見書が憲兵総監の名前でも皇帝に提出されたことも、認可の後押しをした。
 極めつけだったのは、サビーネが発見された丁度一週間前に、警察と憲兵隊との連携で、予てから目をつけていた違法な大規模人身売買組織を摘発したことだった。
 ローエングラム王朝に代わってから、庶民の間で新王朝を賞賛するいくつかの流行語的な単語が使われるようになり、民間のメディアもそれに乗っかった。
 その中の一つに、『再分配(Redeal)』という言葉がある。即ち、これまで皇帝と大貴族で独占してきたあらゆるものを広く臣民に分配するという新王朝の方針を現した単語だった。
 無論、これらは当初、旧王朝の皇帝や門閥貴族達が貯め込んだ富を広く国民に還元するという新政府への賛辞の意味で使われていた。
 しかし、件の組織は、それを、こともあろうに『後宮の再分配』と謳っていたのだ。これまで、皇帝と大貴族が独占してきた若く美しい貴族令嬢達を、一般の男にも広く安く提供するという痛烈な皮肉と揶揄を含んだ宣伝文句だった。
 これを耳にしたラインハルトは、烈火の如く怒り、逮捕した主犯格の者達全員を即座に起訴するよう司法省に命じた。
 彼等は、姉を後宮に奪われたことが動機で、旧体制打倒の志を立てた皇帝の、踏んではならない地雷を踏んでしまったのだ。
「我々の商売を悪と言うなら、今すぐ我々が必要とされない世の中を創ってみろ! ラインハルト・フォン・ローエングラムよ!」
 起訴から2日後、異例の速さで結審した裁判で、死刑を言い渡された首魁の男が、退廷間際に、開き直った態度でそう叫んだ。
 彼には更に不敬罪が加算されたが、極刑が決まった男に対して無意味であることは言うまでもない。
 報告を受けたラインハルトは、虚を突かれたように暫し沈黙し、やがて丁度裁可を仰いでいたマリーンドルフ父娘の嘆願を受け入れたのである。
「でも、前途多難だそうよ。認可されたと言っても、政府からの補助金は僅かで、運営費は事実上民間からの善意の寄付金で賄われるだろうって仰ってたわ。民政省も、世論に配慮して、門閥貴族の為に国の予算を割くのを渋っているらしいの。だから、結局、寄付を期待するのって、私達みたいに生き残った同じ貴族からということになるわ。マリーンドルフ家も、かなりの額を寄付して、結局設立資金の殆どを出すことになったんですって」
 エルフリーデもサビーネの件以前に、街で遭遇した落ちぶれた貴族の男にバックを引ったくられた体験から、こうした団体の必要性を感じていた。
 食べるのに困った貴族が、積極的に妻や娘を娼館に売る事例が相変わらず後を絶たないらしい。そういった貴族達に必要なのは、単に金を与えるのではなく、経済的に自立する為の術を身に付けさせることだとヒルダは語った。その為の教育施設や、研修場所を確保し、次世代が育つ約15年後を目処に、団体を円満に解散させ、その任務を終えるまでの構想も話してくれた。
「やっぱりヒルダお姉様は、考えることが私達なんかとは違うわ」
 カタリナも、今や貴族女学院で伝説化している先輩に賞賛を惜しまない。
「私、ヴァルブルク・リゾートをもっと繁盛させて、その団体に寄付できるようにするわ」
 クラリスが、笑顔を取り戻して宣言する。
「私も。うちの料理をもっともっと広めて、支店をいっぱい出せるようにしたいわ。そうして、お金をたくさん稼いで、寄付するの」
 カタリナも目を輝かせる。
 エルフリーデは、目標を得て将来に希望を見出した友人達を眩しそうに見詰めた。
 そして、未だ大学で地球学を学びたいという以外、具体的な方向が定まらない自分に、若干の焦りを感じていた。
 エルフリーデは、このまま帝国元帥夫人として、与えられた公務をこなして政府から報酬を受取るだけでは満足しなかった。
 期しくもそれは、彼女が幼い頃から夢見た皇族妃の生活そのものだったが、この2年で様々なことを知ってしまったエルフリーデには、最早それだけでは物足りなくなっていた。自分の足で立ち、自分の才覚と努力とで世の中を渡っていくことに対して価値を見出してしまったエルフリーデは、自分でも気づかぬうちに、旧王朝下で生まれた時から刷り込まれた思想から、確実に脱却しつつあった。


 邸に戻ったエルフリーデは、フェザーン移転の準備に追われて慌しく立ち働く使用人達の姿が目に入った。
 オーディンに残留し、この邸の維持を任された家令の指揮の元、フェザーンへ運ぶ調度品の梱包や、私物の荷造りに余念がない。
 来月から一部の部屋を残して高官用宿舎としてリニューアルすることになる為、来週から改装工事業者が入る予定だった。
 エルフリーデが自室に戻ると、侍女達が衣装の整理をしていた。
 ここに置いていても意味がないので、殆どフェザーンへ持っていくことになるだろうが、向こうの気候風土や慣習に合わないものもあり、こちらで始末するものとの選別をしなければならない。
 特に、まだ成長期であるエルフリーデは、1年以上前にゲルラッハ家やシャフハウゼン家に世話になっている時に誂た服は、殆どサイズが合わなくなっていた。
 どれも高級ブティックで仕立てたオーダー品や、一流ブランドの品だったが、エルフリーデは、それらを別邸に住む一族の年少の少女達に着てもらうよう指示し、貰い手のない服は、孤児院か貧民救済施設にでも寄付するよう命じた。
「それでしたら、現物ではなく、競売にかけて現金化して、お金で寄付した方が喜ばれると思いますわ。こう申しては何ですが、たとえサイズが合ったとしても、平民の孤児院の娘が、奥様のような方のご衣裳を着る機会などございますまい」
 侍女の1人が珍しく自分の意見を述べた。
 貴婦人が、慈善活動の一環として、着なくなった自分の衣装を恵まれない者達に施すという習慣は、旧王朝時代から脈々と続いているものだった。母や祖母もそうしてきたので、エルフリーデは特に深く考えずにそうするように言ったのだが、言われてみれば侍女の言う通りかもしれないと思った。
「どうせなら、単なる買取業者ではなく、今流行の競売代行業者の方がよろしいですわ。新王朝になってから、フェザーン商人や平民の富裕層が競って入札するそうです」
 エルフリーデには、知りようもないことだったが、昔から、そうして貴婦人方が寄付した衣裳は、実際には殆ど寄付先で着られることはなく、多くの場合、臨時収入として施設管理者の懐に入っていた。
 ローエングラム体制に入ってから、各施設に監査が入り、献金報告が厳しく義付けられるようになったので、そうした不正はし難くなったが、現物での寄付、ましてやどれほど高級品であろうと古着の類まではチェックしきれず、横領の格好の資源となっていた。
 また、買い取った業者は業者で、それをブランド志向の成金やフェザーン人に、買値の3〜10倍の値で高く売り付けて稼ぐのだ。それならば、中間マージンを取られても、直接購入者に買われた方がいい。
 そのことを、もう1人の侍女が、世間知らずな女主人に遠慮がちに言うと、エルフリーデも納得し、早速、業者の手配をするよう命じた。
 2人の侍女は、「かしこまりました」と言って一礼すると、別邸に持って行く服を選り分けることを始めた。
「奥様、こちらはいかがいたしましょうか?」
 侍女がそう言って持って来たのは、結婚式で着たウェディングドレスだった。
「もう着る機会はないものですが、これだけは、格別でございましょう」
 もう1人の侍女も、フェザーン行きの方に選別しようとした。
「待って。それはそのままでいいわ」
 エルフリーデは、少し考えた後、侍女を制止した。
「お持ちしなくてよろしいのですか?」
 侍女が怪訝そうに念を押すと、エルフリーデは、「ええ」ときっぱり頷いた。
 確かに一度着た婚礼衣装は、たとえ離別することになったとしても二度と着る機会はないが、帝国の上流社会では古くから、母親のウェディングドレスをローブデコルテに仕立て直して、将来娘がそれを着て社交界デビューするという伝統が存在した。エルフリーデとて、遠い未来になって、このドレスが活きる時が来るかもしれないし、何より結婚式の思い出の衣装のはずだ。
 しかし、聡い2人の侍女は、女主人の揺るがない意思を感じ取ると、それ以上異論を唱えることはしなかった。
 エルフリーデは、それからほぼ毎日、フェザーンへの引越し準備と受験勉強の合間を縫ってサビーネを見舞った。
 サビーネは、友人達のことは辛うじて識別できるらしく、訪れると僅かに頬を緩ませた。
 この2年間をなかったこととして振舞っているというカルツ夫人と異母姉のヘレーネに倣って、エルフリーデ達も、女学院時代と同じ態度で接した。
 恐らく、2年の間に同級生の中で最も変わってしまったのは、サビーネを抜かせば私だろうと、エルフリーデは2年前の自分を演じながら思った。
 唐突に少女から女になった自分を、今のエルフリーデは不幸とは感じていない。
 しかし、旧体制側の人間であったはずが、結婚によりいつの間にか簒奪側になっていた。
 そして、その簒奪者の男と、身も心も分かち合い生涯を共にすることを誓った。
 果たして、こんな自分にサビーネの友人である資格があるのだろうか。エルフリーデは、そう自問しながらも、日課のように見舞いを続けていたのだった。
 カタリナとは、お互いそれぞれの都合の良い時間に別々に見舞ったので、ニアミス続きだったが、2日目にエルフリーデと共に訪れたせいか、彼女も今では顔パスになり、入り口での面倒な手続きをしなくて済んでいるとメールしてきた。
 他の同級生達も、家族の理解を得られて親と一緒に見舞った者もいれば、空気感染の安全宣言が出されるまで待つよう引き止められている者もいたが、いずれもサビーネの身を案じてエルフリーデに情報を求めるメールを寄越していた。
 同い年で、同じ門閥貴族の娘である彼女達にしてみれば、サビーネの身に降りかかった不幸は、一歩間違えれば自分の身に起こったかもしれないとの思いが強いのだろう。
 それは、エルフリーデとて同じだった。特に彼女の場合、既婚者で、同級生達の中で唯一男性経験のある身であり、その実態の生々しさを誰より知っている。
 エルフリーデは、サビーネの災禍を考える度に、名伏し難い嫌悪感に苛まれ、鳥肌の立つ思いがするのだった。そして、心の底から狼藉を働いた者達を憎み、極刑に処されることを願っていた。
 気を鎮めようと、ふと思い立って部屋を出たエルフリーデは、久しぶりにサロンのグランドピアノを開けた。
 子供の頃から慣れ親しんだピアノは、自邸が爆破された時に無くなってしまったので、ゲルラッハ家に世話になっていた時に新たに購入し、シャフハウゼン家にも持ち込んで、嫁いでくる時に、ここに移動したのだった。
 最近滅多に弾かなくなったが、使用人達が手入れを欠かさず、定期的に調律師も入っていたので、音は完璧だった。
 少し指慣らしをしてから、エルフリーデは、ゆっくりと静かな練習曲を奏で始めた。
 AD地球時代から伝わる古い曲で、別名『別れの曲』と言われている美しく、どこか悲しげな曲だった。
 間もなく別れの時を迎える友の為に、生まれ育ったオーディンの街の為に、エルフリーデは無心で鍵盤に細い指を走らせた。
 使用人達は、一時仕事の手を休め、サロンから流れる美しい旋律に酔いしれる。
 美しい調べが何度か繰り返され、夕闇の迫る邸内に心地よいバックミュージックとなって流れていると、邸の主が常よりも早い時間に帰宅した。
 ロイエンタールは、音に吸い寄せられるようにサロンに足を踏み入れると、ソファーに長い脚を組んで、暫くの間妻の弾くピアノの音色に耳を傾けていた。
「帰っていたの?」
 程なくして、気づいたエルフリーデが、演奏を中断した。
 ほんの少しのつもりが、いつの間にか随分と時間が経ってしまっていたようだが、ロイエンタールが帰宅するには早過ぎる時間だった。
「ああ。今夜、叔父と従兄が、会社のことで来ることになったんでな。定時で切り上げてきた。名ばかりとは言え、一応オーナーとしては、色々と面倒な手続きがいる」
 ロイエンタール家が経営する投資会社は、来るべきフェザーン遷都を見越し、従兄のアルブレヒトが、来月フェザーンに支社を設立し、行く行くはオーディンとの2本社体制を敷くつもりだという。その件での最終決定を仰ぎ、必要書類を揃える為にやって来るのだ。
 エルフリーデは、ピアノを離れると、ゆっくりとソファーに座る夫に近づいた。
 今朝も玄関で出仕する彼を見送った。本当は、帰りもミッターマイヤー夫妻のように、帰宅した夫を迎えたかったのだが、帰りの遅いロイエンタールにタイミングを逸していた。それが、今夜は逆に早い帰宅で、またもやチャンスを逃してしまったのだ。
「お・・・帰り・・なさい・・・」
 それでも、エルフリーデは、夫の前に立つと、ぎこちない様ながら出迎えの言葉を贈った。
 ロイエンタールは満足そうに頷くと、そっと妻の腕を取り、膝に抱き込んだ。
 エルフリーデは、素直に身を委ねると、夫の首に腕を廻し、頭をロイエンタールの胸に押し付けながら、軍服越しに感じる彼の体温と鼓動の心地よさに目を閉じた。
 ロイエンタールは、幼妻の華奢な肢体と甘やかな香を堪能しながら、今、自分が確実に幸福であることを実感していた。
 不意に、携帯端末の着信音が鳴り、エルフリーデは、反射的に、大げさなくらいびくりと身を起こした。
 微かに身体を震わせ、恐る恐る端末を手に取ると、発信者を確認した途端、ほっと緊張が解けて安堵の表情に変わった。
 怪訝な顔で見ていたロイエンタールも、その様子に漸く合点がいった。
 サビーネに何かあれば、彼女にだけは、軍務省から特別に連絡が入るようになっている。
 エルフリーデは、実のところ、最初に見舞って以来、着信音が鳴る度に生きた心地がしない思いをしていたのだ。
 シャフハウゼン子爵夫人の用件は、今度、ジークリンデ皇后恩賜病院に行く機会があれば、ついでで構わないので、丁度肝臓を患って入院中の義母を見舞ってやってくれないかというものだった。
「私はぜひそうしたいと思っていますが、おばあさまは、よろしいのですか?」
 シャフハウゼン子爵の母で、現子爵夫人の姑にあたる老婦人は、子爵家で世話になっていた時、エルフリーデを実の孫同様に可愛がってくれた。昨年から体調を崩し、先月中旬から入院中で、エルフリーデも新婚旅行前には何度か見舞いに行ったが、サビーネの件での配慮から見舞いを控えていた。
「ええ。義母も気にしておりません。伯爵夫人さえよろしければ、どうか訪ねてやって下さい」
 いつも腰の低い平民出の子爵夫人の頼みに、エルフリーデも快く了承すると、端末を閉じた。
 晩餐の支度が整うまでの時間を、エルフリーデは自室に戻って身支度を整えるのに、ロイエンタールは、やって来た叔父と従兄と談話室で会社の件での事務的な話に、それぞれ充てていた。
「ところで、卿の結婚話は、あれから進んでいるのか?」
 仕事の話を早々に終わらせると、3人は、サロンに場所を移して黒ビールを飲みながら寛いでいたが、不意にロイエンタールが彼とは真逆な性分の従兄に問いかけた。彼なりに、先日の園遊会での大人気ない言葉を悔いてのことだった。
「いやぁ、残念ながら、振られてしまいました」
 実直な従兄は、心なしさばさばした笑顔で答えた。
 振られたというのは、当然、相手の女性の立場を思い遣っての表現だろう。身内贔屓を差し引いても、客観的に見てアルブレヒト自身、人柄も容姿も申し分のない男である。まして彼は今や有名な天才的投資家であり、帝国元帥の従兄なのだ。現在困窮している没落貴族の娘が、この良縁を自分から断るはずがない。
「そうか。ところで、例の件は、令嬢に伝えてもらえたか?」
 ロイエンタールは、縁談の件は深く追求せず、先日エルフリーデに頼まれたことを何気なく確認した。
 途端、叔父と従兄の表情に影が射した。
「伝えるには伝えたのですが・・・」
 アルブレヒトは、少し困ったように視線を泳がせた。実際には、彼は単に伝えるだけに留まらず、かなり強く令嬢に見舞いに行くよう勧めていた。病室までは入るつもりはないが、何なら自分も病院まで付き添うとまで申し出た。しかし、世間の偏見などには惑わされないと思われていたインテリのはずの令嬢は、思いの外頑迷で、かつての生徒との再会よりも、外聞を優先した。
 アルブレヒトは、この時はじめて、この女性と生涯を共にする決断を躊躇していたものが何であったのかを理解した。互いにほぼ完璧な条件を揃えていながら、どこか割り切れない思いがして、彼の決断を鈍らせていたのは、きっと彼女の情の薄さだったのだろう。
 それが判ると、アルブレヒトもそれ以上は勧めなかった。余命幾ばくもないリッテンハイム候の令嬢とて、本人の心からの見舞い以外、嬉しくないだろうと思ったからだ。
「彼女は、賢い人です」
 アルブレヒトは、それでも、そんな言葉でフォローする。
「私はこう見えて、かなり抜けているところがありますし、結構考えなしに行動に移すこともあるので、彼女のような聡明な女性のお眼鏡には適わなかったようです」
 そう言って、少しはにかんだ従兄の笑顔に、ロイエンタールは蜂蜜色の髪の親友と同じ真っ直ぐな心を見出していた。
 3人がサロンでそんな話をしていると、家令が叔母の来訪を告げに来た。叔父の妻でありアルブレヒトの母親でもあるこの女性は、最近戦災孤児救済のボランティア活動にのめり込んでいて、この日もボランティア団体の会合の後、美容院に寄ってから合流した。
 60歳を過ぎた屈託の無い叔母は、義理の甥である金銀妖瞳の名将に手を取られると、少女のように頬を赤らめた。
 程なくして、ドレスに着替えたエルフリーデがやって来ると、すぐに家令が夕食の支度が整ったことを知らせに来て、5人は食堂に場を移した。
 ロイエンタールは、固辞する叔父を半ば強引に上座へ座らせると、一家は、シェフが腕を奮った料理を囲んで和やかな一時を過した。
 この夜のエルフリーデは、またレオノラのドレスを着ていた。
 義母の残した衣装は、胸に少し厚めのパットを入れて着ると、どれも彼女の為に誂えたようにぴったりと馴染む。
「本当に・・・、こうして、伯爵夫人に着て頂けて・・・レオノラ様もさぞ喜んでいらっしゃるでしょう」
 義兄夫婦の実態を知らない叔母が、しんみりとして言う。
 彼女も叔父も、義姉を呼ぶ時、必ず“様”をつける。
 レオノラの自殺は、伯爵家の体面や世間体を考え、ロイエンタールの父が警察に手回しして表向きは病死ということで処理されていた。当時の使用人達にも厳重に緘口令が敷かれたので、今や真相を知る者は、息子であるロイエンタール自身を除けば、古株の使用人とここに居る叔父くらいのものである。
 気位の高いレオノラに滅多に会う事がなかった叔母も従兄のアルブレヒトも、勿論知らない。
 兄よりも早く結婚していた叔父夫婦は、伯爵家から嫁いできた年若い義姉に対して、常に低姿勢だったという。もっともこれは、彼らに限ったことではなく、当時の帝国社会のごく一般的な風潮だった。
 旧体制下では、結婚は基本的に同じ身分の者同士で行なうものであり、ロイエンタールの両親や、シャフハウゼン子爵夫妻のような結婚は、ごく稀な例外的なものと認識されていた。その為、下級貴族や平民の家に門閥貴族の令嬢が嫁ぐと、夫の家族から下にも置かない扱いを受け、本人もそれを当然として受け止めるという少々歪んだ家族関係になる事が多い。
「ええ。お義母様には、いいものをたくさん残して下さって感謝しています」
 エルフリーデも、叔母に話を合わせたが、これは本心でもあった。自邸が爆破された彼女には、貴族女性が代々受け継ぐはずの宝飾品の類が殆どなく、結婚が急に決まったこともあって、充分な支度もできなかった。そんな中で、レオノラの残した衣装や宝石は、彼女のセンスにも合致していて、エルフリーデは気に入り、大いに活用している。
 母親への愛憎を抱えるロイエンタールも、この時は場の空気を読んで、何も言わずに白ワインのグラスを空けた。
「それはそうと、私、やっぱり叔父様とアルブレヒト様に、あの件をお願いしようと思っています。よろしければ、すぐにでも契約の手続きをしたいのですが・・・」
 食後のコーヒーを飲みながら、エルフリーデは、夫の叔父と従兄に向って話を切り出した。
「あの件」とは、予てから熱烈なオファーを受けていたフェザーン系の高級ブランドのイメージキャラクター契約の件である。
 結婚と同時に、エルフリーデの元には、アパレルメーカーを中心に、数十社からスポンサー契約の申し出が相次いだ。
 日常着から、公務で着用するスーツやドレス、バック、靴、アクセサリーに至るまで無償で提供する代わりに、自社製品を身につけ広告塔になる条件だった。
 当初、エルフリーデは、提示された破格の契約金に、喜びよりも不信感を覚えた。自由主義経済の概念に乏しい帝国人にとって、この話は理解の範疇を超えていた。まして、誇り高い帝国貴族のエルフリーデとしては、見ず知らずの人間から施しを受けるような感じがして、プライドを傷つけられる思いだった。
 しかし、フェザーンの大学に入る為の受験勉強で、社会学や経済学を学ぶうちに、少しづつこれらの仕組みを理解できるようになっていた。まして、今の彼女にとっては、別邸でつつましく暮らす親族達の将来の為に、この契約金は魅力的だった。自分の商品価値の大部分が、ロイエンタールの妻であることに起因しているのは判っていながらも、もし、契約すれば、誰に気兼ねもない、自分で得た収入だ。
 ロイエンタールは、「お前の好きにすればいい」とだけ言って、特に何も言わなかったが、老練な家令が、的確なアドバイスをくれた。この手の話は、素人の当人が直接契約を結ぶのは、後々色々と面倒が起こり易いので、間に然るべき代理人を立てるべきだと耳打ちし、主人の了解を得て、アルブレヒトに相談してくれたのだ。
 オーディンの若手経済人で作る団体のリーダー格であるアルブレヒトは、すぐに同じ団体に所属する大手マネジメント会社の経営者に話をしてくれた。
 専門家であるその男は、まずは条件のいい一社に絞って契約し、様子を見てはどうかとの見解を示した。
 エルフリーデは、その中で、自分も亡き母親も愛用していた老舗高級ブランドに目を留め、あらためて条件を確認したが、即答を避けた。
 無償提供とは聞こえはいいが、自分の好みよりも、会社から強制されたものを着なくてはならないことが引っかかっていた。また、体型の維持や髪形など、個人的な面までも規制を受けることになる。
 結局、エルフリーデは、少し考えたいと言って、返事を保留にしたまま新婚旅行に出発することになった。帰ってから、サビーネのことで、この件をすっかり忘れていたが、先日のクラリスとカタリナの話を聞いて改めて考え直し、契約を決断した。
 慣れない家業を懸命に手伝っている友人達の苦労を思えば、自分が拘っていたことなど、些細なことだと判ったからだった。
 契約金が入ったら、半分を親族の生活費や子供達の学費に、もう半分をマリーンドルフ父子が立ち上げた貴族救済の為の非営利団体へ寄付するつもりだった。
 アルブレヒトは、快く了承すると、早速明日の夜、ロイエンタールにも立ち会ってもらい、まずは代理人となるマネジメント会社と契約を交わすことになった。
 叔父一家は、久しぶりに長居することとなり、日付が変わる直前に迎えのランドカーで帰っていった。
 エルフリーデはその夜も、ロイエンタールの寝室で彼の胸で眠った。
 不思議なことに、新婚旅行から帰って以来、1人で眠る寝台がやけに広く感じられ、2人で寝ることの方が自然に思えた。
 エルフリーデは、ロイエンタールが求めてくれば拒むつもりはなかったが、連日の激務の所為か、彼女を抱き枕代わりに腕に収めると、すぐに規則正しい寝息を立てはじめた。その気配に、エルフリーデも次第に瞼が重くなり、安らかな眠りの中へと埋没していった。


 9月13日。エルフリーデは、フェザーンへの渡航前検査を受ける為、午前9時にジークリンデ皇后恩賜病院に来ていた。
 彼女の立場に考慮し、病院側も他の患者の目に触れないよう配慮した上で検査を終えると、最後の問診で、担当の女性の医師から思いもよらない診断を伝えられた。
「伯爵夫人。現段階では、はっきりとは申し上げられませんが、着床の可能性があります」
 その言葉の意味を瞬時には理解できず、きょとんとした顔で見詰める少女に、間もなく中年にさしかかる年齢の女医は、もう一度噛み砕いて説明を行なった。
「妊娠の初期段階に入っているかもしれないということです。2週目から3週目にかけての微妙な時期です。不安定なので、場合によっては、このまま気づかないうちに流れてしまうこともあります。時期的に胎児に跳躍の影響はありませんが、念のため、航行中は決して船室からお出になりませんよう。あと、フェザーンに着いたら、すぐに婦人科であらためて検査をお受け下さい。その時期になれば、はっきりします」
 エルフリーデは、ただ呆然として女医の言葉を聴いていた。
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