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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(28)
 夜7時にオーディンの空港に到着すると、エルフリーデは、すぐさま自分だけサビーネの収容されている病院へ行くと言い出した。
 それを聞いたロイエンタールは、応える代わりに、車列を病院に向けるよう指示した。
「お前まで来る必要はないわ」
「そうはいかん。お前の友達が罹っている病気は、致死率の極めて高い感染症ということで、少し前に保険局が各医療機関に特別感染防止対策法の適用を指示したところだ。未成年者の面会には、保護者の同意がいる。お前だって、病院まで行って門前払いを食いたくはあるまい?」
 強がって見せる幼妻に、年長の夫は大人の余裕を見せて諭した。
 無理矢理こじつけられた理由に、エルフリーデはそれ以上何も言わず、黙って左右に並んで敬礼する警備兵の中を通って、自分から公用車に乗り込んだ。
 結婚し、国家の重鎮の夫人として、実質いないに等しい皇族に代わって公務を立派にこなしているにも関わらず、相変わらず肝心なところでは子供扱いされる現状に、この時は腹を立てる気力もなかった。
 郊外の空港から都心部の病院までは、30分余り。出発時と変わらない時間が、エルフリーデには無限に長く感じられた。
 サビーネの消息が判明したと聞き、咄嗟にすぐにでも会いたいと思ったが、その後、彼女の身に起きたことや、現在の病状を知るに連れ、会うのが怖い気もしていた。
 車窓の夜景を青い瞳に映しながら、いつの間にか膝の上で拳を握り締めて、エルフリーデは震えていた。
「心配するな。ファーレンハイト軍医中佐は食えん女だが、腕は確かだ。それに、帝立病院には、最先端の医療設備が整っている」
 ロイエンタールは、彼にしては珍しく希望を持たせるようなことを言う。
 エルフリーデは、それでも胸の奥から湧き上がる不安を押し留めることができなかった。
 一般の面会時間を大幅に過ぎた7時55分にジークリンデ皇后恩賜病院のVIP入り口に到着した元帥夫妻一行は、受付で10分程待たされると、夫妻と最小限の警護の者を除いて、全員そのまま待機させられた。
 ロイエンタールとエルフリーデは、4名の護衛の士官と共にエレベータに乗り、更に特別病室区画へ入ることは、夫妻のみ許可され、警護の4名は、扉の外で待機することとなった。
 2人は、扉を開けると、前室で全身に霧状の消毒薬を吹き付けられ、中扉へと入っていった。
 部屋の中には、見知らぬ若い女性が居るだけだったが、間を置かずにサビーネの乳母カルツ夫人の姿が現れた。
 エルフリーデは、「お久しぶりです」と言って膝を折ったカルツ夫人に駆け寄り、固く手を握り締めた。2年ぶりに会う忠実で誠実な友人の乳母は、少し窶れてはいたが、元気そうだった。
 若い女性の方は、ロイエンタールに向って敬礼し、私服で警護に当っているシェリング准尉だと名乗った。
「俺はここで待っている。時間も遅い。手短にしろ」
 ソファに足を組んだロイエンタールに促され、エルフリーデは、更衣室に入り、カルツ夫人に身支度を手伝ってもらいながら何気なく問うた。
「軍から派遣されているのは、あの若い女性だけ? 確か、今年から軍も女性の幹部候補を採用したって聞いたけど、あの人もそうなのかしら?」
「その通りでございます。でも、警護は表向きの理由です。あの方は、ヘレーネ様と仰って、サビーネ様のお姉様に当る方です」
 エルフリーデの髪を特殊紙製のキャップの中に収めながら、カルツ夫人が静かな声で答える。
「あの人が・・・? じゃあ、リッテンハイム候の・・・」
 カルツ夫人が小さく頷くと、エルフリーデも少しづつ事情を理解した。
 貴族社会では、庶子でも、エーリッヒや、先日のツェルプスト子爵家の子のように、正式に認知され、その家の子として地位を与えられる者もいれば、正妻を憚って存在を隠されている子も少なくなかった。
 皇女を妻に迎えたリッテンハイム候が、庶子の存在を公にできるはずもなく、サビーネに姉がいることは、誰にも知られていなかった。
 カルツ夫人は、声を低くして、ヘレーネの事情を掻い摘んで説明すると、領地惑星から密かにオーディンに戻って以来、ずっと自分とサビーネの面倒を見てくれているのだと話した。
 エルフリーデは、サビーネに頼れる肉親がいたことに、少し安堵した。
 カルツ夫人によると、サビーネのことが報道されると、すぐに親しかった女学院のクラスメイト達が見舞いに訪れ、他にも何人か、元の使用人や友人から病院に問い合わせが入ったらしいが、権勢を誇った頃のリッテンハイム家に殊更追従し、おべっかを使っていた貴族達は、皆、敗戦と同時に掌を返したように無関係を装って、今のところ誰一人として連絡してこないらしい。
 更衣室を出て応接室に戻ると、顔馴染みになったファーレンハイト夫人ことベルタの姿と、向いのソファで、なぜか不機嫌そうな様子の夫が待っていた。
「まあ、先生。お久しぶりです」
 エルフリーデは、ベルタと挨拶を交わし、帰りに夜間受付で、フェザーンへの渡航前検査の予約を入れるよう言われて了承すると、次いでヘレーネの前に進み出た。
「はじめまして。ヘレーネ様でいらっしゃいますね。サビーネの友人のエルフリーデ・フォン・コールラウシュ・ロイエンタールでございます」
 伯爵夫人からの礼を尽くした挨拶に、若い女性士官は、少し緊張ぎみに背筋を伸ばした。
 カルツ夫人によると、ずっと平民として育ち、内戦以前のサビーネとは一度しか面識がないにも関わらず、異母妹を献身的に世話してくれている女性とのことだ。
 エルフリーデは、マスクを装着し、カルツ夫人と共に緊張しながら応接室を出ると、サビーネの眠る病室へ続くドアを開けた。
 入った部屋は、3m四方くらいの小部屋で、後でドアが閉まると、ぱっと照明が点き、またもや全身を消毒された。
 感染菌の拡大を防ぐ為、必要最低限の広さで密封された病室の中央で、サビーネはベッドに横たわっていた。
「姫様。お起き遊ばして。今度は、姫様とお仲がよろしいコールラウシュ伯のお嬢様がいらして下さいましたよ」
 サビーネは、ゆっくりと濁った目を開けた。
 恐る恐る顔を覗き込んだエルフリーデは、最初、その変わり果てた姿を直視できなかった。
 長く豊かだった金褐色の髪は艶を失い、肉付きのよかった頬が削げている。白く美しかった肌は、青黒くくすみ、半開きの瞳には、全く精気が無かった。
 それでも、カルツ夫人がベッド脇のボタンを操作し、サビーネの上体を起こすと、すっかり細くなった手をしきりに伸ばそうとしていた。
「サビーネ!」
 エルフリーデは、カルツ夫人が小さく制止するのを振り切って、サビーネが伸ばした手を両手で握り締めた。
「サビーネ、私よ。エルフィーよ。わかる?」
 サビーネは、少し頷いたように見えたが、エルフリーデの手を握り返す力は弱かった。
 こんなことがあっていいのだろうか?
 サビーネは、明るくて、少しお転婆で、好奇心旺盛な快活な女の子だった。
 エルフリーデとは、貴族女学院に入学して以来4年間、共に学び共に遊んだ大切な仲間だった。
 皇帝の孫娘として、皇位継承候補者として、誰からも愛され、大切にされてきた姫君のはずだった。
 それを、このような姿にした非道な奴等がいる。
 エルフリーデは、それが赦せなかった。
「誰? 誰なの? 誰がいったいサビーネをこんな目に・・・」
 エルフリーデは、抑え切れない怒りを吐き出すように訊ねた。
「・・・・姫様・・・・おかわいそうに・・・・よりにもよって、お守りするはずの兵達が・・・」
 カルツ夫人の涙声を聴きながら、エルフリーデは部屋を退出するまでずっと友人の手を握り締めていた。


 ロイエンタールとエルフリーデは、午後9時に病院を後にすると、そのまま地上車で家路についた。
 帰りの車の中で、エルフリーデは、ずっと無言だった。
 邸に帰ってからも、新婚旅行から戻った主夫妻を総出で出迎えた使用人達の前で、一言労いの言葉を熱のない声で発した後、黙りこくって自室へ入ってしまった。
 2人の侍女達が、慌てて後を追うのを横目で見ながら、ロイエンタールは、ワゴン車一台分に積み込まれた土産を、適当に配るよう家令に命じた。
 エルフリーデは、5日ぶりの自室でも無言だった。
 侍女達も、夕刻のニュースを知っていたので、無駄口は叩かず、黙々と着替えを手伝い、バスタブに湯を張った。
 エルフリーデは、一人になりたくて、侍女達を退がらせると、バスルームに入った。
 シャワーブースで身体を洗い、黙々と日課をこなすように無心になろうとするが、どうしても頭の中で渦巻く重く澱んだ空気が、払っても払っても消えてくれない。
 バスタブに浸かって、湯の中で自分の身体を確かめる。
 白くすべらかな一点の曇りもない張りのある少女の肌。
 サビーネも、2年前までは、同じような肌だったはずだ。
 それが、僅かの間に、自分達の運命は激動の時代の波に呑み込まれるように、大きく変わってしまった。
 叛乱を起こした元私兵達は、最終的には殆どが極刑に処されることになるだろうが、サビーネに直接狼藉を働いた者達の特定は、実のところ難しいと言う。何と言っても、暴行略奪に加わった者達の半分が既に戦死しているとあって、責任を全て死者に負わせ、尋問しても正直に答えない可能性が高い。元凶となった保菌者の男も、戦死者の中にいるのか、存命なのかも不明のままである。
 今生きている者達を個別に尋問し、矛盾点を洗い出しながら、証言の辻褄を合わせていくという地道な捜査で真相を突き止めていくことになるだろうと、病室でサビーネの姉のシェリング准尉は、悔しそうに唇を噛んでいた。
 権力側の感情に任せての即処刑は、法治国家としての権威を損なう。この病気によるこれ以上の悲劇を生み出さない為にも、事実関係を明らかにした上で厳正な司法による裁きを下すというのが、新政府、とりわけ司法省の意向だそうだ。
 エルフリーデにもその正しさは理解できる。
 もしかしたら、これも、エーリッヒ達罪なき者を葬ったことへの反省が活きたということなのか?
 そう考えても、エルフリーデには、高ぶる感情を抑えることができなかった。
 湯の中に潜って、限界まで息を止めて顔を上げる。
 充血した目で荒い息を吐きながら、エルフリーデは行き場のない怒りを押し留めることが出来なかった。
 大声で叫び出して、胸の奥のつかえを吐き出したい。
 今、目の前にサビーネを襲った者達がいたら、後先を考えずにずたずたに引き裂いて殺してやりたい。
 ぶつける場所のない怒りは、エルフリーデの胸の中で、濁流となって出口を求めている。
 初めての本格的な公務で疲れているはずなのに、バスルームから出て夜着に着替えても、全く眠気は感じられなかった。
『サビーネ・・・』
 サビーネの身に起こったことを頭から追い払っても追い払っても消えてくれない。
 その度に、エルフリーデは身の毛も弥立つようなおぞましさに、吐き気さえ覚えるのだった。
 そして、自分の初夜の晩の記憶が嫌でも引き出される。
 自分は、不本意とはいえ、一応納得して正式に結婚した。それでも、男女のことなど学校で習った知識がせいぜいだった16になったばかりの娘にとって、たった一人の大人の男の力と体は圧倒的で、一方的に蹂躙された感が否めなかった。
 エルフリーデの場合は、後に新婚旅行で“やり直し”をしてもらい、忌まわしい思い出ではなくなっていたが、最初の時の恐怖は忘れていなかった。
 サビーネは、それを全く唐突に、しかも大勢の男達から受けたのだ。
 それは、想像を絶する恐怖と屈辱だったことだろう。
 自分にとっては、人生観を変える程の幸福に満たされた行為が、サビーネにとっては、命を奪うことになる。
 硬く拳を握り締め、痛いほどに唇を噛み締めても、怒りは収まらない。
 エルフリーデは、暫くそうしていると、ふと、何かに憑かれたように自室の扉を開け、一目散に廊下を走ると、同じ階の反対側の角部屋にある夫の部屋の前に立った。
 ノックをし、返事も待たずに部屋に入る。
 ガウン姿でデスクで端末を操作していたロイエンタールは、少し驚いた様子で顔を上げたが、何も言わずに近づくと、妻を部屋へ招じ入れた。
 エルフリーデは、結婚後2ヶ月経って、初めて夫の私室に足を踏み入れた。
 その部屋は、シックな色調で統一され、家具や調度も一流品を揃えていたが、伯爵家から迎えた女主人の部屋に比べ一回り狭く、豪華さでもひけをとっていた。
 だが、この時のエルフリーデには、それを見て自分がこの邸の人々にどれ程丁重に迎えられたかを実感する余裕はなかった。
 エルフリーデは、目の前に立つ夫の胸を両拳で力いっぱい叩いた。
「どうして? ねえ、どうしてよ? どうして、サビーネがこんな目に遭わなければならないの!?」
 ロイエンタールは、無言でされるがままになっていた。
 幼妻の拳は、彼女が渾身の力を込めているにも関わらず、屈強な歴戦の勇者にとっては、蚊に刺されたほどのダメージにもならない。痛みは、もっと別の場所で感じていた。
「お前達は正義なんでしょ? お前達の創る国は、皆が幸せになる国なんでしょ? 血筋で一生が決まることがない国なんでしょ? だったらどうして、サビーネが・・・サビーネが・・・」
 サビーネを嬲り者にしたのは、敵側であったローエングラム陣営の兵士ではなく、リッテンハイム家の私兵達である。それは最初から聞いて知っているエルフリーデだったが、だからこそ尚更この怒りをぶつける先がなかった。
 エルフリーデは、そのまま喉の奥で固まっていたものを吐き出すように号泣した。
 初めてこの男の前で全てを曝け出して慟哭していた。
 やがて、泣き疲れて、ふと見上げると、今まで見たこともないような悲しみを湛えた金銀妖瞳に、涙に濡れた自分の顔が映っていた。
 刹那、エルフリーデは、この男が、自分の苦しみを受け止めようとしていることを感じた。
 エルフリーデは、静かに夫に抱き寄せられると、そっと大切に身体ごと包み込まれた。
 少しの間そうしていると、音もなく抱き上げられ、初めて夫の寝台に横たえられた。
 一言も言葉は発せられなかった。
 ただ、エルフリーデはロイエンタールの胸に抱かれていた。
 抱きしめられ、流れ伝う涙をそっと唇で吸い取られ、それ以上はなにもない。
 それでも、この時、確かに自分達は繋がっていることを感じていた。
 悲しみや怒りはなくならないが、こうされていると、その重さが半分になっているような気がした。
 ロイエンタールとの結婚は、決して彼女が幼い頃から夢見てきた理想の結婚の形ではなかった。
 だが、自分達は、こうして、悲しみも悦びも、分かち合って生きていくのか・・・
 そんな思いが頭を過ぎった時、エルフリーデは漸く深い眠りに陥っていった。


 朝の陽射しで目覚めると、ロイエンタールが先に起きていて、寝室に2人分の朝食を運ばせていた。
 エルフリーデは、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
 ミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲みながら、2人で寝台の上で朝食を摂る。
 エルフリーデの育った家では、お行儀が悪いとされるだろうことが、今はお気に入りになっている。
「・・・・お前も辛いだろうが、悔いのないよう、できるだけ友達を見舞ってやることだな」
 ロイエンタールが、初めて言葉を発した。
 少しぶっきらぼうに聴こえる声が、エルフリーデには優しく響いた。
「お前の17日のフェザーン行きの便は、3ヶ月以内なら24時間前までいつでも出発日を変更できるようにしてある。最後まで友人を看取ってやりたいなら、遅れて着いてもかまわん」
 エルフリーデは、成層圏の青の瞳を少し見開くと、華奢な腕をふわりと夫の首に絡ませた。
「ありがとう・・・」
 そっと唇を頬と瞼に落す。
 ロイエンタールは、彼を知る誰も見たことのない安らいだ表情で小さく頷くと、幼妻の細い体をしっかりと抱きしめた。
『サビーネの為に、私ができることを何でもしよう。辛いけど、最期の時まで、毎日お見舞いに行こう』
 エルフリーデは、そう決心していた。
 変わり果てた姿のサビーネを見るのは、正直辛い。昨日会った時、これから更に弱っていく彼女をまた見る勇気が持てなかった。だが、自分などよりも当のサビーネは勿論、ずっと傍に居るカルツ夫人やヘレーネの方が何倍も辛いのだろうと思えば、そんなことは言っていられないと思った。
 エルフリーデは、今、ロイエンタールの従兄と交際している男爵令嬢にも、サビーネに最後に会ってくれるよう彼を通じて伝えるよう頼んだ。
 ロイエンタールは、二つ返事で了承すると、すぐに従兄のアルブレヒトの端末に送信することを約束した。
 エルフリーデは、一旦自室に戻って侍女達を呼び、着替えを済ませて髪を整えると、階下に降りて行った。
 そこで、結婚以来初めて玄関ホールで、妻として出仕する夫を見送った。
「いって・・・らっしゃい・・ませ・・」
 ぎこちなくそう言うと、ロイエンタールは妻を抱き寄せて軽く口付けし、彼独特の典雅な足取りで迎えの専用車に乗り込んでいった。
 初めて目にする二人の夫婦らしい様に、主人の生まれる前から仕える老家令は、密かに涙を滲ませた。
 エルフリーデの2人の侍女達も、嬉しそうに目線を交わしている。
 エルフリーデは、部屋に戻って自分の端末を開くと、案の定、サビーネの件で、級友達からのメールで溢れていた。
 中でも、先日夕食に訪れたリューデリッツ伯爵家のカタリナが、昨日、ニュースを聞いてすぐに2人の友人と共に、エルフリーデが見舞った少し前に面会したらしいのと、昨日新婚旅行先で別れたばかりのクラリスも、両親と一緒に今朝、オーディンへ向ったとの連絡に驚いた。
 エルフリーデが、友人達へ返信していると、侍女が、別邸で暮らす一族の子爵夫人からヴィジフォンが入っていると知らせに来た。急いで電話室に行くと、子爵夫人は、もし、今日もサビーネを見舞う予定なら、自分もぜひご一緒したいと言ってきた。
 リッテンハイム候の従弟を婿に迎え、家門を継いでいた彼女は、リヒテンラーデ一族という自分の血筋の所為で夫と長男が処刑されたことに、ずっと自分を責めながらこの2年を過してきたのだった。
 エルフリーデは、申し出を快諾すると、子爵夫人は、10時過ぎに無人タクシーに乗ってロイエンタール邸にやって来た。
 エルフリーデは、家令に車を手配させると、子爵夫人と一緒に乗り込み、途中、リューデリッツ邸でカタリナを拾ってジークリンデ皇后恩賜病院のVIP入り口へ向った。
 カタリナは、サビーネに食べさせるつもりの薬膳粥だと言って、密封された大き目のケースを抱えていた。
「それにしても、お二人共勇気がおありだわ」
 車中、子爵夫人がエルフリーデとカタリナに向ってしみじみ言った。
 エルフリーデは、昨日から今日にかけて、精神的にも時間的にも、ソリヴィジョン放送など見ている余裕はなかったが、子爵夫人によると、サビーネの件が公にされてからというもの、報道規制が緩和されたのをいいことに、興味本位のマスコミが、病院の前に張り付いて、特別病棟に入る見舞い客達に不躾な取材を行なっているとのことだった。サビーネの事は、最低限のプライバシーに配慮し、具体的な入院先までは公表していなかったが、それでも『帝都内の病院に厳重に隔離されている』という表現だけで絞り込むのは容易であったらしく、特にフェザーン資本のメディアの遠慮のなさは、目に余るのだという。今回、サビーネが罹ったTIGE−36型というのが、十数年前に大流行して、現在は撲滅されている性病に症状が似ていることから、マスコミが誤って、或いは故意に思考誘導して、一般市民が混同するよう仕向けているふしがあるという。その撲滅された性病が、稀に空気感染する例が認められていたことが、今回の過剰反応の原因の一つとなっていた。また、元々旧体制下で娯楽の少ないこの国では、自分に関係のない他人の不幸は、茶飲み話の格好の肴だった。
「うちの店も、今朝からキャンセルが相次いでるの。エルフィーも一度行ってわかったと思うけど、あれだけくどい程消毒して、ずっとサビーネについてるカルツ夫人やヘレーネお姉様でさえ何でもないのに、一度お見舞いに行っただけの私達のことをまるで病原菌扱いよ。最近新しく雇った従業員の中にも急に辞めたいなんて言い出す人もいるし・・・」
 カタリナは憤慨していたが、子爵夫人の方は冷静だった。
「この国には、まだまだ性病に対する偏見が根強いですから、ある程度は、仕方の無いことなのかもしれませんわ。それよりも私は、フロイラインや伯爵夫人のお家の使用人達が動揺していないか心配していたのですが・・・」
「私は、感染とか、そういうこと全然考えてなかったわ。サビーネが見つかったって聞いて、とにかく会いたくて、それしかなかったの。それに、うちの古い使用人達は大丈夫よ。もう家族同然、一蓮托生だもの。『ここを出てもどうせ行く所がありませんから、こうなったら死ぬも生きるも旦那さまやお嬢様とご一緒します』って言って笑ってるわ」
 そうは言ったものの、実際、客商売でしかも飲食店という業種でこの偏見は、正直痛いはずだった。それでも、カタリナの表情に陰りはない。
「それよりエルフィーの方はどうなの? あなたは知らないかもしれないけど、あなた方が病院に入るところをしっかり映像に撮られてて、昨日の夜からゴシップ番組はそればっかりなのよ」
「え? そうだったの?」
 エルフリーデは流石に驚いた。
 もう、今の自分がどこへ行っても昔の皇族並に注目されてしまうことはわかっていたが、まさかあのようなところでまで狙われていることに、寒気を覚える。
 だが、ふと思い出してみると、その割りに、ロイエンタール邸の使用人達には、全く動揺が見られない。家令の老人はともかく、下働きも若い侍女達も、何事もなかったかのように平然といつも通り仕事をこなしていた。世間のそのような状況を聞くと、それが不思議でもあった。
「きっと、使用人達は、元帥閣下を絶対的に信頼しているのでしょう。閣下が一言、大丈夫だと言えば、皆整然として動揺せず・・・私には、あのお宅が、そのように見えました。これが、大軍を指揮する将の統率力というのか、人間の器量というものなのでしょうね」 
 子爵夫人の大人の意見に、2人の少女達は大きく頷いた。
 エルフリーデも、確かにその通りだと思う。
 あの男は、少し屈折していて、時折変な偏った考え方をする時があるが、皇帝を別にすれば、当代随一の名将と呼ばれるに相応しい男であることは、確かなのだろう。
 あの男は、気が変わりやすくて(とエルフリーデは思っている)、ちょっと偏った結婚観や恋愛観の持ち主だが、それを受け入れ、これから私が少づつ時間をかけて直していこう。自分達は、生涯添い遂げると互いに誓ったのだから。あの男だって、私の階級意識に凝り固まった頑固さを否定しつつ受け止めてくれている。エルフリーデは、新婚旅行以来、そんな風に考えるようになっていた。
「私達よりも、子爵夫人の方こそ、ご心配ではありませんの? お子さんもいらっしゃることですし、別邸では、他の親族の方々ともご一緒に暮らしてらっしゃるのでしょう?」
 カタリナの問いに、エルフリーデも同感だった。
 元々この夫人は、用心深く、良くも悪くも型に外れることはしない典型的な帝国貴族であったはずだ。今の段階では、空気感染しないことが正式発表されていない以上、万が一の場合を考えて行動するタイプの女性に思えた。
「別邸の方々は、皆様理解して下さってますわ。それに・・・・私にはもう、下の息子の将来以外、気に掛かることはありませんから・・・・万が一、これで命を落とすようなことがあっても、それが私の運命なんですわ。幼い息子のことは気掛かりではありますが、伯爵夫人のお計らいで、きちんとした教育も受け、将来自分で身を立てていけるくらいの道は敷いてありますから、あまり心配はしておりませんの」
 そう言って、子爵夫人は、透明な表情で小さく笑った。
 憂いを帯びたその瞳は、目の前の現世よりも、ヴァルハラの夫や長男に向けられているようだった。
 エルフリーデにも、カタリナにもその悲しみが伝わってきて、3人はそれっきり黙ってしまった。
 そうしているうちに、車は病院近くに到着した。
 驚いたことに、VIP口の手前200m程のところから、軍と警察の車が建物を囲むように、約10m間隔で停車し、その間を更に1m間隔で警察官と兵士が交互に立っている。更に、赤外線センサーや特殊空気幕を張って、撮影を遮断しているのが見えた。明らかに、マスコミをシャットアウトするものだったが、昨日の今日で、この対応の素早さに、3人とも目を見張った。
「昨日もやっと入り口を通してもらったと思ったら、受付でしつこいほど身分証を確認されたわ」
「仕方ありませんわ。スクープを狙った変な記者とかが、身分を偽って入り込まないとも限りませんから」
 カタリナが、少し憤りを見せると、子爵夫人が宥めた。
 だが、表門の兵士は、後部座席の窓ガラスを下ろした中に、エルフリーデの顔を見ると、即座に敬礼を返し、いともあっさり通してくれた。
 受付でも、エルフリーデが、他2名の名前と身分だけを申告すると、待つことなく3人揃って特別病棟へ繋がるエレベータへ通された。
 ここに至って初めてエルフリーデは、なぜ子爵夫人がわざわざ自分と同行したのかを理解した。彼女一人だけなら、恐らく、通過確認に30分は要しただろう。
「ほんとに顔パスなのね。元帥夫人は」
 カタリナが半分呆れ、半分羨望を込めて言う。
 滅菌処理を済ませ、応接室に入ると、子爵夫人とカルツ夫人とが抱き合って再会を喜び合い、カタリナが薬膳粥のケースを渡した。
 昨日と同じ準備をして病室に入ると、サビーネは、目を覚ましていた。
 昨日も会っているエルフリーデとカタリナには、容態は変わらないように見えたが、2年ぶりの子爵夫人は、幼い頃から知る令嬢の変わり果てた姿に涙しながら、骨と皮だけになった手をいつまでも握り締めていた。


 病院を後にした3人は、昼食を摂る為に、カタリナ一家の経営する長楽宮へと向った。 中に入ると、まだ1時前のランチタイム中にも関わらず、客はまばらで、明らかに昨夜から今朝にかけての報道の影響だということが判った。
 これでは、経営に響かないか、エルフリーデは友人の一家が心配になった。
「なあに、どうせガイエスブルクで一度死んだ命ですよ。それに、我々がこうしてぴんぴんしている姿を見せれば、その内誤解も解けるでしょう。それより、今日は客が少ない分、サービスしますよ。好きなものがあれば、何でもお代わりして下さい。食材を腐らせるよりずっといい」
 そう言って、意気揚々と厨房に入っていくリューデリッツ伯爵の姿に、エルフリーデと子爵夫人は、顔を見合わせて微笑した。
 個室に案内されていく途中、エルフリーデは、意外な人物の姿を目にして、思わず足を止めた。
 奥の広い席で、ロイエンタールの従兄のアルブレヒトが、部下らしき数名のビジネスマン風の男達と、食後のコーヒーを飲んでいた。
 エルフリーデは、連れのいる彼に対して、軽く会釈するだけで通り過ぎたが、向こうは彼女に気づくと、立ち上がって右手を胸に当てた慇懃な挨拶を律儀に返した。
 エルフリーデは、知らないことだったが、マリーンドルフ家の園遊会で、ロイエンタールが何気なくこの店の話をし、機会があったら、接待にでも使ってやれと言ったのを、翌日から早速実行しているのだった。
 ただ、カタリナによると、最初に恋人らしき女性と2人でディナーに来て以来、会社の部下や商談相手と一緒にほぼ毎日訪れ、単に義理を果たしている域を超えているらしい。
「昨日なんて、一人でランチタイムに来たのよ。そんなにうちの料理が気に入ってくれてうれしいけど、毎日じゃ飽きないのかしら?」
 不思議そうに小首を傾げるカタリナに、子爵夫人だけが、何かを感じ取ってくすりと笑った。
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