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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(27)
 波の音で目覚めた。
 旭が射し込んで来る。
 心地よい風が頬を撫でた。
 けれど・・・
 身体が重くて身動きができない。
 喉が嗄れて、声が出ない。
 下半身の感覚がない。
 エルフリーデは、ロイエンタールの腕の中で、薄っすらと目を開けた。
 少し顔を傾けると、穏やかに眠る夫の端正な顔がある。
 普段は感情を読み取るのが困難な双色の瞳は閉じられ、長い睫が美しい。
 昨夜、何度抱かれただろうか。
「お前を創り替える」と、この男は言った。
 自分は、本当に、創り替えられてしまったのだろうか。
 この男なしでは生きられない女に・・・
 そんなことが頭を過ぎった時、ロイエンタールの腕が少し動いて、再び強く胸に抱き寄せられた。
 彼はまだ規則正しい寝息を微かに立てている。
 エルフリーデは、押し付けられた胸の温かさに、再び深い眠りの淵に誘い込まれていった。
 次に目覚めた時、ベッドの中に夫はいなかった。
 既に陽は、真上にある。
 エルフリーデは、重い上体を起こした。
「起きたか?」
 聴き慣れた声にドアの方を振り返ると、備え付けのローブを羽織ったロイエンタールが、ワゴンに乗せて朝食兼昼食を運んで来た。
 朝方に、運搬用小型ボートで運ばれてきたらしい食材は、下ごしらえがしてあったとはいえ、サラダもスクランブルエッグも綺麗に盛り付けられている。
 ロイエンタールは、絞ったばかりの新鮮なオレンジジュースをエルフリーデに渡すと、食事の皿をベッドの上やサイドテーブルに並べ始めた。
 昨日、本人が言っていた通り、確かに手馴れたものだった。
 普通、こういうことは、妻の仕事のはずだ。そんなことくらいは、いくら門閥貴族のエルフリーデも、ソリビジョン映像で見て知っている。きっとミッターマイヤー夫妻なら、エヴァンゼリンがやるのだろう。だが、ロイエンタールは、別段不服そうな気配も見せず、目覚めたばかりでまだよく身体も頭も働いていないエルフリーデに、食事の支度をしてやっている。
 普段、白ワインとチーズだけで朝食を済ませることの多いロイエンタールも、この旅行中は流石に健康的な食生活をおくっている。
 2人は、ブランチを済ませると、昨夜のように食べ終えた皿をキッチンへ運び、一緒に片付けを始めた。
 最新式の機械が物珍しくて、今度はエルフリーデが操作ボタンを押し、食洗器を作動させた。昨日と同じように、見事な動きで食器を洗い、乾かし、仕舞っていく機械の動きを、面白そうに眺めて、終了後には小さく手を叩いて喜んでいた。
 ロイエンタールは、それを脇で眺めながら薄く笑い、幼妻の手を引いてバスルームに誘った。
 液体歯磨きで口を漱ぎ、一緒にシャワーブースで身体を洗って、乾燥風で髪と身体を乾かすと、エルフリーデの頭も漸く冴えてきた。
 今日は、何をして過そうかと、ふと考える。既に午後1時を過ぎていて、半日無駄にしてしまった。プールもプレイルームもあるので、退屈はしなくて済みそうだし、受験勉強の為の資料も端末にダウンロードしてきた。
 だが、シャワーブースを出て、エルフリーデが長い髪を編みこんで纏めると、ロイエンタールは、彼女が巻いていたバスタオルを引き剥がし、裸のまま隣のこの建物には不釣合いな黒い扉を引き、中へ手を引いていった。
「ちょっと・・・何・・・?」
 何も身に纏わないまま部屋を出ようとするロイエンタールに、互いに全裸のままで、目のやり場に困っているエルフリーデは抗議の声をあげた。
「お前、タオルかローブくらい着なさい」
「今更恥かしがることもあるまい。それに、そんなものを付けても無駄だ」
 ロイエンタールは、金銀妖瞳を僅かに光らせると、訳がわからないまま手で胸を隠すエルフリーデの腕を掴みながら、扉の脇のパネルを操作している。
 扉がゆっくりと閉まると同時に、パッと照明が点灯する。
 よく見ると部屋は直径が10m近くある円形で、コテージ全体で統一されているチーク材を使ったリゾート風の内装からここだけ別世界のように、白く無機質な壁面に、所々にある手摺のような突起と、操作パネルがあるだけだった。
 エルフリーデは、そこでやっと、これが、パンフレットで見た地下の重力制御室へ続く部屋だということを理解した。
 ジュウリョクヲ シテイシテクダサイ
 天上から、女性的な機械音声が聴こえる。
「0.15G」
 ロイエンタールがエルフリーデの腕を引き寄せ、胸に抱くようにして応答した。
 ジュウリョクセッテイ 0.15G デヨロシイデスカ?
「Ja.」
 カシコマリマシタ。ジュウリョクセッテイヲ0.15Gニヘンコウシマス
 途端、身体がふわりを浮き、足が床から離れた。編みこんだ髪の先が上を向く。
 エルフリーデは、生まれて初めて体験する低重力の感覚に、反射的にロイエンタールの腕にしがみ付いた。
 間もなく、足を離れた床が、中央から穴があくように広がって行く。
 よく見ると、円形の床は、幾つもの扇形のパーツから成り、それが円心から側面に向って開いて行く。
 全て開き切ると、ロイエンタールは、壁を少し蹴るようにして弾みを付け、エルフリーデを抱いたまま開いた床の下へとゆっくりと下りていった。
 床下には、パンフレットで見た360度展望の天然の水族館が広がっていた。
 2人の身体が完全に海中へ沈むと、今度は天井となった床面がゆっくりと閉じられた。
 低重力の中を浮沈しながら、エルフリーデは、魚雷でも割れないと言われている特殊強化硝子の円柱ドームの中で、視界全体に広がる海の世界に見惚れていた。
 水温の高いマリンブルーの海は、色取り取りの熱帯魚や、この海域にしか生息していない珍しい海洋生物の楽園だった。
「わぁ・・・!」
 思わず声を上げて、手を伸ばすと、途端に身体が不安定になり、一瞬の恐怖が襲う。
「おい、気をつけろ。しっかり掴まっていないと、見当違いなところに飛ぶぞ」
 ロイエンタールが、からかうように言って抱え直す。
 何の前置きもなしに、いきなりこんな所へ連れて来て何を言うのかと言いたげに、エルフリーデは、成層圏の青の瞳で睨み返す。
 士官学校時代から、フライングボールのみならず、訓練でも実践でも異なる重力下での白兵戦をさんざん経験してきたロイエンタールと違い、慣れない低重力の環境は、初めて体験する者にとって、ひどく不安を掻き立てる。
 ロイエンタールは、海の青さよりも鮮やかなエルフリーデの瞳に自身を写すと、少しづつ身体を回転させながら、底を目指した。
 円形ドームの底には、低反発の特殊マットレスが敷いてあり、万が一重力設定のミスで落下しても、安全なように配慮されている。同時に、ここもそのまま寝室代わりになるというわけだ。
 エルフリーデは、寝室が3つあるというロイエンタールの言葉の意味をやっと理解した。
 しかし、彼には、この海底のマットレスを第三の寝室として使う気など最初からなかった。
 ロイエンタールが底のマットレスを軽く蹴ると、再び2人はゆっくりとドーム内を上昇する。
 エルフリーデは、無意識の内にロイエンタールの首にしっかりと手を廻してしがみ付いていた。
 何も身に着けてない姿で、空気中をふわふわと漂うのは、何か縋るものがないと、酷く不安だった。
 ロイエンタールは、わざと彼女の手を振り解き、少し身体を離そうとした。
 エルフリーデは、必死に追い縋るように彼の腕を掴み、身を寄せてくる。
 ロイエンタールは、望外に愉快になった。
 結婚以来、常に求めるのは彼の方からであり、彼女が甘んじてそれを受け入れるという図式は、昨夜、漸く心を通わせた後も変わっていなかった。
 しかし、今、初めてエルフリーデの方から夢中で縋っている。
 その理由はどうあれ、常に女に求められてきた男が、生まれて初めて感じる悦びだった。
 ロイエンタールは、この状況を暫く楽しむことにした。
 全身が宙に浮いているという寝台の上では不可能な体勢で、幼妻の瑞々しい肢体を隅々まで愛撫し、存分に堪能する。試しに身体を横たえ、次に後ろ向きにひっくり返し、最後は脚を持って逆さにしてみた。
 この男はやっぱり意地悪だ。
 白磁の肌を朱に染めて、エルフリーデは、慣れない重力の中でもがきながらそう思った。思った途端に、再び身体を起こされ、やけに優しく腕の中に収められる。
 エルフリーデは、本能的に強くしがみ付くと、耳元で甘美な囁きが聴こえた。
「そんなに怖いなら、いっそ身体を繋げておくか?」
 その意味を一拍置いて理解したエルフリーデは、かっと頬を染めて絡めていた腕を振り解こうとした。だが、今度は、ロイエンタールの方がそれを許さず、1mmも離れないまま、胸に抱かれたままだった。
 金銀妖瞳と目が合うと、まるで催眠術にかかったように、エルフリーデは身体から力が抜けていく。
 自然に口付けを交わし、2人は太古の昔から、生物の雄雌が普遍的に行なってきた方法で互いの身体を繋げた。
 エルフリーデは、繋げた身体を安定させるために、無我夢中でロイエンタールの身体に自分の四肢を絡める。
 マリンブルーの海の中で漂っていると、まるで最初からこの姿をしている一体の海洋生物のようだと、エルフリーデは思う。
 いったい、どこからどこまでが、自分の身体で、どこからどこまでが相手なのかすら曖昧になり、こうして一つになっているのが本来の姿で、離れていることの方が不自然にさえ思えてくる。
「あぁっ・・・・」
 エルフリーデは、ドーム内に木霊する自分の擦れた声を聴いていた。
 ロイエンタールは、より深く繋がる為に、更に強く彼女の細い体を抱きしめ、自身を打ち付けていく。
 エルフリーデは、海面から射し込む午後の強い光の中、自分がこの男によって本当に創り替えられたのだと、はっきりと自覚した。


 時間の感覚がなくなっている。
 海中を明るく照らしていた陽光が消え、闇が深まるに連れて天井から落ちる人工の光が徐々に強くなっていくことから、夕刻を過ぎたのだということだけが辛うじて解る。
 ロイエンタールとエルフリーデは、重力を1Gに戻した円柱ドームの底にいた。
 特殊素材のマットレスの感触が心地いい。
 エルフリーデは、相変わらずロイエンタールの胸にしっかり抱かれながら、ここからどうやって元の場所に戻るのか、俄かに興味が湧いてきた。
 地上までは、ゆうに20mはあるように見える。
 もう部屋に入ってかなりの時間が経つ。
 そう言えば、少し空腹だった。
 そんな彼女の気配を察したのか、ロイエンタールは、ゆっくりと上体を起こすと、天井に向って、オープンと、無重力にする音声指示を出した。
 エルフリーデは、抱かれたままの姿勢で、生まれて初めて無重力を体験した。
 ロイエンタールは時折壁を軽く蹴って、弾みをつけ、慣れた感じで起用に上昇していく。
 やがて、開いた天井部分を越え、入り口の部屋に到達すると、今度は床面のクローズを指示した。
 手摺に掴まり、足が床面に付く状態で、再び重力を戻すと、エルフリーデにも漸くいつもの体重感覚が戻ってきた。
 ただし、長時間低重力下に居たため、今度は歩行がふらついた。
 ロイエンタールは、全く平気な様子で彼女を横抱きにすると、重力制御室の重い扉を開ける音声指示を出し、迷いのない足取りで、楕円形の大きなバスタブへ直行した。
 エルフリーデは、丁度いい湯加減に満足しながら、どうしてバスルームと重力制御室が続き部屋になっているのか、やっと理解したのだった。
 この男は、あの夜会の日にこのコテージへの招待状を受取った時から、このようなことをするつもりだったのかと思うと、ちょっと騙された気がして癪だった。
「なんだ? 伯爵夫人のお気に召さなかったか?」
 俯いて押し黙ってしまったエルフリーデの肩に、湯を掬ってかけながら、ロイエンタールが訊く。その顔は、どこか満足げだった。
「私・・・」
 と言って、エルフリーデは、再び黙ってしまった。
「ん?」
 先を促すロイエンタールに、エルフリーデは、今まで胸に溜めていた思いを吐き出した。
「私・・・お前のことなんて、大っ嫌いだったわ。お前は、意地悪で、冷たくて、無神経で、ちっとも優しくなくて・・・だから、私、お前のことなんて、絶対に好きにならないと思ってた・・・たとえ、何があっても、お前なんかに、心まであげないと思っていた・・・だけど・・・だけど・・・」
 エルフリーデは涙声だった。
 泣き顔を見られたくなくて、湯面に顔を浸けてみたが、無駄だった。
 つい数ヶ月前までのエルフリーデにとって、何より大切なのは貴族の誇りであり、生きている人間で最も大切な人は、親族の人々や同じ貴族の誇りに生きる友人達だった。
 だが、ロイエンタールの存在が、いつの間にか彼女の中で、それらを凌駕するほどに大きくなっていった。
 密かに将来の結婚を夢見、生涯慕い続けるだろうと思っていたエーリッヒのことでさえ、幼い日の美しい思い出へと昇華しつつある。
 そして、この気が付けば、この男の全てが欲しいと思っている自分に、女としての悦びと激しい自責の念を同時に感じているのだった。
「それは、お互い様だ。諦めて受け入れろ」
 俺だって、女に惚れるとは夢にも思わなかったさ、という言葉を呑み込んで、ロイエンタールは、アロマオイルの香る湯を静かに掻き混ぜながら言った。
 エルフリーデは、尚も無言だったが、彼の言葉に反論はしなかった。
 それからの丸一日半は、2人にとって生涯忘れられない時間となった。
 限られた短い時間を、2人は可能な限り互いに触れ合って過した。
 殆どの時間を、重力制御室と寝台の上で、時間を忘れて互いの身体を貪り合った。
 昼も夜も関係なく、空腹になると、ロイエンタールがキッチンでその時に届いていた食材を簡単に調理して食べた後は、2人一緒にバスタブに入るか、重力制御室に行くか、寝台に入るかという生活を送った。
 当初、低重力や無重力を怖がったエルフリーデも、次第に慣れ、人魚姫のように海の中を楽しそうに自由に泳ぎまわるようになった。
 昼間はマリンブルーの明るい海で、つがいの魚のように、夜になると漆黒の宇宙空間の中を一体となって漂う未知の生命体のような姿で交わる。
 ロイエンタールは、エルフリーデの白く柔らかな胸に顔を埋め、彼が焦がれて止まなかった美しい手に頭を抱きしめられた時、30年余りに渡って抱えてきた呪縛から漸く解き放たれた。
 コテージの遊戯施設は、結局、一度プールに入ったのみで使われることはなく、エルフリーデも意欲的に進める予定だった受験勉強に、全く手をつけられなかった。
 コテージに併設のプールとしては異例の25mの広さを誇るプールでも、泳ぐというよりは、水の中でじゃれあうような感じだった。
 プールサイドでは、クラリスお奨めの海藻パックを互いに全身に塗り合った後、防水シートマットレスの大きめのカウチの上で一緒に暫く寝そべったりした。
 至福の時は、あっと言う間に過ぎ、ロイエンタールとエルフリーデは、9月8日の早朝、主寝室の寝台の上で上体を起こし、しっかりと身を寄せ合いながら、最後の昇る朝日を見ていた。
「今日で、最後なのね・・・」
 ロイエンタールの腕に首を傾けた姿勢で、エルフリーデがぽつりと言った。
 明日から、いや、今日の午後からは、また日常が戻る。
 フェザーンへの移転の準備、大学受験の事、押し寄せる現実が待っている。
「お前は、お前の生きたいようにするがいい。その為に、俺の力が必要だと言うなら、くれてやるから、いくらでも利用するがいいさ」
 皮肉も冷笑もない、穏やかな夫の言葉に、エルフリーデは、夫と視線を合わせた。
「お前は・・・それで、いいの? 本当に・・・」
 決して、愛して結婚したわけではない女のはずである。
 現に、彼からは未だに一度も、そのような言葉は聴いていない。
 昔付き合った名前も忘れていた女性のことすら、一時は愛していたらしいのに。
「俺は、正直、今までどの女と付き合っても最初から長く続かせるつもりはなかった。だが、お前だけは、もし、お前が望むなら、このまま俺が破滅するか、寿命をまっとうして命が尽きるまで、傍にいてもいいと思っている。こういう気持ちを、世間では何と言うんだろうな?」
 エルフリーデは、呆気にとられて、常より穏やかな夫の金銀妖瞳を見詰めたが、急におかしさが込み上げてきて、堪らずにくすくす笑い声を上げた。
 そう言えば、迎賓館でのやり直しの初夜の時も、彼女はこうして笑いが止まらなかった。
「おい、こういう時は、気の利いた言葉の一つも言ったらどうだ」
 ロイエンタールの照れ隠しの抗議も耳に入らない様子で、エルフリーデは、夫に抱き寄せられ、唇を塞がれるまで、暫く寝台の上で笑い転げていた。


 午前11時きっかりに、迎えの送迎用の御座船風ボードが到着した。
 帰路は非公式とはいえ、公人としての最低限の身なりは整えなければならず、エルフリーデは、船に乗ってきた美容師に髪を結わせ、3日ぶりに薄く化粧すると、フォーマルな薄いピンク色のワンピースに着替えた。
 ロイエンタールの方は、通常の軍服姿である。
 この滞在は、宣伝用にヴァルブルク家が招待したものだったが、ロイエンタールは、メイドからセラピスト、船頭姿のボートの操縦士に至るまで、彼らの月給分に相当するチップを与えた。
 12時にコテージを送迎船で出発すると、豪華な造りの船着場には、またヴァルブルク子爵一家が出迎えていた。
 ロイエンタールが、子爵と固い握手を交わし、あらためて招待の礼を言っている。
「いや、なになに。元帥科閣下にお気に召して頂けたら、これからの弾みになります。実は既に、3ヶ月先の予約までいっぱいでしてな」
 ヴァルブルク子爵は、ほくほく顔で笑うと、つと、身を屈めて、漁色家の元帥に耳打ちした。
「して、いかがでしたかな? れいのものは?」
 当然、重力制御室のことだ。
 ロイエンタールは、それに対し、思ったままを正直に応えた。
「うむ。楽しませてもらった。妻も満足していて、また来たいと言っている」
 その言葉に、子爵は、顔をくしゃくしゃにして悦びを露わにした。
「左様ですか、左様ですか。いやはや、流石に元帥。あのシステムの真の成果をご理解頂けるとは、フェザーン人の売り込みに折れて、思い切って導入した甲斐があったというものですわ」
 子爵の豪快な笑い声が響く中、クラリスは、エルフリーデに、他のクラスメイトや親族、使用人達の分までも、この地特産のハーブ系石鹸やシャンプー、ボディーソープ、海藻パックなどのお土産を、山ほど荷造りして地上車の後に待機していた荷物運搬用のワゴン車に詰め込んでくれた。
「ありがとう。皆も喜ぶわ」
「とんでもない。これも宣伝のうちだから、しっかりみんなに配ってね。なんせ、我が家だけでなく、今や数千人の従業員の生活がかかってるんだから。特にクラスメイトの皆には、結婚式と新婚旅行の際は、ぜひここを利用して頂くようアピールしてね。成功すれば、来年にでも、同じ施設をフェザーンにもオープンするつもりなのよ」
 エルフリーデが、素直に礼を言うと、クラリスは、商売人の逞しさを覗かせた。
 旧体制が続いていたら、全くそんなことは考えず、女学院の高等科を卒業し、親が選んだ無難な相手に嫁ぐ人生だったはずの娘である。
 しかし、今から7年前のある事件が、彼女の運命を狂わせた。
 当時、幼年学校の校長を勤めていた、母方の祖父が、自分の孫である学年3位の彼女の兄エーリッヒを首席とする為に、あろうことか、2位の生徒を殺害し、それが露見して逮捕、爵位剥奪という不名誉を犯した。祖父は、裁判の前に自決したが、結局兄もそのまま幼年学校にいることが出来なくなり、家に帰って間もなく、自室で縊死しているのが発見された。
 兄の死により、ヴァルブルク子爵家の総領娘となったクラリスは、持ち前の何事にも前向きな明るさと行動力で、子爵家の新規事業を積極的に手伝い、将来の後継者として、経営の勉強をするために、上級科には進まず、オーディンの大学へ進学することを希望している。
 余談だが、この祖父の事件を、当時憲兵隊から派遣された士官として、調査し、見事真相を突き止めたのが、大佐時代のラインハルトと、中尉だったキルヒアイスであることは、今では世間によく知れた伝説となっている。(外伝「朝の夢、夜の歌」)
 クラリス達に見送られ、空港に着き、専用機の中で離陸を待つ間、ふいにロイエンタールが自分の端末を開いた。
 送られてきたデータを何やら確認して暫くして閉ると、隣に座る妻に向って、ここ数日見せていない険しい表情で告げた。
「お前の友人のリテンハイム候の令嬢が、先月末に保護されて、今、ジークリンデ皇后恩賜病院で治療を受けている。ただし、余命はあと数日だろうとのことだ。収容されて以来、政府の第一級機密事項として、一部の人間にしか知らされていなかったが、今日の夕刻のニュースで解禁になる予定とのことだ。お前が希望すれば、オーディンの空港に着いたら、その足で病院へ駆けつけてもいい」
 エルフリーデは、青い瞳を見開いたまま、声が出なかった。
 サビーネが見つかった?
 なのに、余命があと数日って、いったいどういうこと?
 それより、今まで、私にも連絡がなくて、いったいどこで何をしていたの?
 エルフリーデは、次ぎ次と頭に浮かぶ疑問を消化しきれず、言葉を失ってしまっていた。
 追い風のせいで、往路よりも早いはずのフライトが、やけに長く感じる。
「俺も詳しい経緯までは、知らされていないが、何でも身を隠していた領地惑星で、酷い狼藉を受けたらしい。辺境惑星原産のウィルスに感染する性病に罹って、手の施しようのない程悪化しているとの話だ」
 エルフリーデは、目の前が真っ暗になる気がした。
 狼藉・・・性病・・・それらの言葉から否応無く陰惨な想像が頭に浮かぶ。
 あのサビーネが、誰よりも高貴な血筋を持ち、大切に扱われていたサビーネがまさか・・・
 エルフリーデは、顔面が蒼白になり、機内で出された食事にも一切手を付けなかった。
「事が事だし、患者の素性が素性だけに、医療関係者も機密保持を最優先して、少数精鋭でチームを組んでいる。男の医者を怖がるとのことで、現在は、軍病院からファーレンハイト軍医中佐が派遣され、医療チームの責任者を務めているらしい」
 ロイエンタールは、少し苦虫を噛み潰した表情を作ったが、エルフリーデには、全く見えていなかった。
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