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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(26)
 翌9月5日も快晴だった。
 元帥夫妻は、この日は午前中のみ視察の公務をこなし、その後は、8日の昼過ぎまでヴァルブルクリゾートのコテージでプライベートな時間を過し、本当の新婚旅行に入る予定だった。
 朝8時に迎賓館を出発したランドカーは、戦傷者を優先的に雇用している半官半民の食品加工工場と、辺境惑星からの移民者や平民の戦争未亡人を対象とした職業訓練施設を視察した。
 エルフリーデは、この日も公務に相応しい淡い水色のスーツに白い帽子という格好だった。
 美しい帝国元帥夫妻は、どこでも大歓迎を受け、大勢の人々から握手攻めに遇った。
 ロイエンタール一人で見ると、彼は明らかに一般の人間が気軽に近寄るには躊躇うタイプの男だったが、若く可愛らしい妻が、それを補った。
「エルフィー、エルフィー」と子供や若い女性から人気で、当初戸惑っていた当人も、はにかみながら手を振り、微笑を返す様がまた群集に好評を博した。
 エルフリーデは、職業訓練施設の併設学校で、年少者や自分と歳の変わらない少年少女達と気軽に会話し、一緒に写真を撮ったりしている。
 ロイエンタールは、それを見て少し意外な気がした。
 気位が高く、平民と話をすることに強い抵抗を覚えるタイプと考えていたが、これも、この数ヶ月の世情の変化を感じ取って、彼女なりに考えを改めた結果なのだろうか。それとも、常に皇族の妃になる可能性を秘めている大貴族の娘にとって、これは所謂子供の頃から身についている『お妃教育』というやつの賜物か。
 いずれにしろ、彼女の存在が、この視察の成功に多大な貢献をしたことは確かなようだった。
 一行は、施設を後にすると、街の市場を見学することになった。
 この海域は、地球時代に食卓に登った魚介類の実に6割の養殖に成功し、首都星内各地へと出荷されている帝国内屈指の漁港だった。
 今朝、水揚げされた新鮮な魚や貝、蛸、イカ、海老等が所狭しと並び、業者と思われる者達が、大量に買い付けている。
 一般客の姿もチラホラ見られ、併設された簡易レストランで、今買ったばかりの貝や魚をその場で焼いてもらって食している。
 エルフリーデは、図鑑でしか見たことのない、マグロや蛸の原型の姿に目を白黒させて見入っている。料理をしたこともなければ、厨房にさえ入ったことのない彼女は、食卓に供される前の魚を物珍しそうにしげしげと眺めた。その子供らしい様が、何とも可愛らしくて、当人は無自覚だったが、周囲を和ませた。
「俺たちも何か買っていくか?」
 ロイエンタールがそう言うと、エルフリーデだけでなく、周囲の誰もが彼らしからぬ提案に驚いた。
 エルフリーデは、振り返った拍子に、ハイヒールの踵を取られ、危うく転倒しそうになったところを、ロイエンタールに片腕で抱きかかえられた。
 エルフリーデは、公務中の失態と、人前でのこのような姿に恥じ入って、少し頬を赤らめたが、ロイエンタールは、わざとなかなか妻を抱く腕を放さず、若い香と瑞々しい肢体を布地越しに楽しんだ。
 エルフリーデは、恥じらいながらゆっくりと夫から身を離したが、その仕草には、昨日までのどこかピリピリとしたものがなく、夫婦らしい自然な親しさが伝わってきた。
 これには、同行していたお付の女達よりも、普段堅物な男の役人や軍人達の方が羨ましい顔をした。
 ロイエンタールは、誇らしげに少し喉を鳴らすと、近くにあった海老やホタテを適当に見繕って、後でコテージに運んで、夕食用に調理するように言いつけた。
 迎賓館に戻り、軍と行政の幹部達との昼食会が、最後の公務となった。
 午後、荷物をまとめて部屋を出る時、エルフリーデは、明るい花柄のサマードレス、ロイエンタールも、ブルーのシャツに生成りのスラックスというラフな私服姿だった。
 正装の礼服などをまとめた荷物は、先に邸に送り返すよう手配し、プライベート用の小さなトランクのみをポーターが、迎えのヴァルブルクリゾートの車に積んだ。
 コテージに出発する専用船着場では、ヴァルブルク子爵一家が出迎えていた。
 このビーチリゾートは、AD地球時代の南アジア地域のリゾート地を模したものらしく、専用船アンダマン号も、見た目は木造の御座船のような形をしているが、中身は最新鋭の高速小型クルーザーである。
 従業員達が着ているユニフォームも、古代地球時代に栄えた王国の宮廷に仕えた従者や女官のものを模して雰囲気を出すという凝った演出もしていた。
 新婚夫婦のトランクを船に積み込み、エステの施術を行う男女2名づつ4名のセラピストと、ルームメイドの2人の中年女性が、先に船の後方と前方の座席に乗り込んでいた。
「いってらっしゃい。エルフィー、きっと忘れられない素敵な新婚旅行になってよ」
 そう言ってクラリスが、何か意味ありげな笑みで手を振る。
 最後に耳元で一言、
「ミュラー提督によろしく」
 と言う彼女に、エルフリーデは曖昧に頷いた。
 隣では子爵が、更に意味深な笑みを浮かべてロイエンタールに何事か耳打ちしていた。
「元帥。首尾を期待しておりますぞ。あれは、元帥ならば必ずやご満足頂けるものと確信しております」
 ロイエンタールは、「子爵のお心遣いに感謝する」とだけ言って、やはり意味深な冷笑で頷いた。
 元帥夫妻は、船の中央部分に設えられた天蓋付きの豪華な二人掛け用の椅子に並んで腰掛けると、アンダマン号は静かに海上を滑り始めた。
 どこまでも青い、透明度の高い海を沖合いへゆっくり進むこと5km、地平線を360度見渡せる位置に、コテージというより小さな島のようなその建物は、ぽつりと浮いていた。
 ロイエンタール元帥夫妻は、このヴァルブルクリゾートご自慢のコテージ、インペリアルスイートタイプが最初に迎える宿泊客である。
 外観も内装も、見た目はチーク材を使った木造建築に見えるが、最新の設備を備えた次世代型テクノロジーの結晶なのだという。
 肉眼では見えないが、このコテージを中心に、周囲50mを半球形の特殊な空気幕が覆い、紫外線を99・999%までカットしている。
 フェザーンで開発されたリゾート地用の新技術で、この内にいる限り、どれほど強い陽射しの中でも、特にUVカットクリームなど塗らなくても、皮膚に有害な紫外線から身を守ることができる。
 沁み一つない白い肌を持つエルフリーデには、クラリスが自慢するこの設備が有り難かった。
 また、この幕は、内側からは、全く透明で、外の景色を見るのに完全に肉眼と同じだが、外からコテージ内を見ると、半透明のドーム状に映り、万が一付近を他の客が通ったり、双眼鏡で覗いても、中が見えない仕組みでプライバシーを完全に保護できるよにうなっている。
 更に、コテージを基点とした半径1km以内の海域では、やはり特殊幕を張って、海上及び海域の一般船の航行やダイバーの潜入も禁じられている。
 つまり、使用人達が引き上げれば、この海の上に、完全に2人きりになるというわけだ。
 接岸部に近づくと、水面付近からアンチークな建物に不似合いな金属製のアームが数本伸びてきて、横付けした船の側面に設置された突起を掴んで船を固定させた。
 更に、コテージの玄関部分から、薄い床面が船に向って伸びてくると、階段状の形状を作って賓客を出迎えた。
 船頭役の男性従業員が、身のこなしも軽ろやかに先に下りると、2人のルームメイドも素早く後に続き、夫妻を迎える位置に着いた。
 エルフリーデは、差し出されたロイエンタールの手をごく自然な仕草で取ると、二人はコテージに入った。
 後からセラピストの4人が続いて下りると、船頭はもう一度深く夫妻に一礼して船に戻り、今度は高速小型船の本領を発揮して、来た時と同じ船とは思えないスピードであっという間に視界から消えていった。
 クラリスの話では、途中で何事もなければ、8日の午前11時にまた同じ船で迎えにくるらしい。
 コテージは、二つの寝室とバスルームにエステルーム、トレーニングジムにビリヤードや立体映画が楽しめるプレイルーム、広いリビングにキッチン、オープンビューテラスにジャグジー、小プール付きといった設備の人工島だった。ここからは見えないが、これに地下には海底に向って伸びる重力制御室があるらしい。
 ロイエンタールとエルフリーデは、心地よい波の音が聴こえるリビングの椅子に腰掛けて一息着くと、ルームメイドの一人が、早速キッチンで冷たいハーブティーを淹れて運んできた。
「相当疲れたようだな」
 ロイエンタールが、いつになく労わりを含んだ声で幼妻を気遣った。
 公務とは、傍目で見るほど楽ではない。
 庶民の目線で見れば、行く先々で常に最高ランクのもてなしを受け、周囲から腫れ物を扱うように接してもらって、何の不満があるのかと思いがちだが、当のエルフリーデにしてみれば、自分の周り360度常に誰かの目がある中で、一挙手一投足が注目されているのだ。しかも人間の目ばかりではなく、データが半永久保存され、瞬時の内に全宇宙に配信されてしまう報道カメラという目まで彼女を追っていることは、先日のオペラ鑑賞で体験済みだった。
 既に、万人単位の兵を率いて久しいロイエンタールと違い、貴族令嬢とはいえ、つい最近まで世間的には無名だったエルフリーデにとっては、尋常ならざるストレスの連続だった。
「疲れてなんていないわ。よれより、クラリスから誰も体験できないようなことが体験できると聞いていたので、楽しみだわ」
 エルフリーデは、それでも、メイドが持ってきたサンダルの部屋履きに履き替えると、少し靴づれを起こしている踵を気にしている。
「そうか」
 と、ロイエンタールはまた意味深な笑みを返すと、それ以上何も言わなかった。
 2人で暫し寛いでいると、男性セラピストの一人が、お支度が整いましたと言って現れた。滞在中のプランに関しては、食事も含めて全てクラリスに任せていた為、何が出てくるのかも興味深々だった。
 2人は、エステルームへ続く控室に案内されると、ガラス扉の外の沖側のテラスに設置されたジャグジーに20分ほど入るよう促された。
 エルフリーデが逡巡する中、ロイエンタールは全く躊躇うことなく衣服を脱ぎ始める。それを見たエルフリーデも、覚悟を決めたように同じ動作で従った。
 どうせこの男と自分との間には、既に隠すものなど何もない。昨夜も結局、朝まで2人で一糸纏わぬ姿でベッドの上にいた。今更何を恥かしがるのか。
 2人は、ほぼ同時に全裸になると、それぞれバスタオルを一枚纏って、オープンビューになっているジャグジーへ向った。
 バスタオルを脇の木製の椅子に無造作に置くと、広いジャグジーに一緒に入る。
「お湯加減はいかがですか?」
 スピーカーから女性セラピストの声がする。
「丁度いいわ。ありがとう」
 エルフリーデが応えると、再びスピーカーから「何かございましたら何でも仰って下さい」という声が聴こえた。
 説明によると、ミント系の香と、少しグリーンがかった湯の色は、身体の余分な角質を剥がれ易くする成分が入っているのだそうだ。
 20分のバスタイムの後、2人はジャグジーを出ると、控え室で薄いローブを羽織って小休止した。
 ジャグジーで抜けた水分を補給するように、すかさずミネラルウーターのコップが目の前の小テーブルに置かれる。
 2人はそれを飲み干すと、今度は、ミストサウナへ10分入るよう案内された。
 肌が密着するほど狭い部屋で、立ち昇る湯気の熱さと、相手の肌の熱さに、エルフリーデは危うくのぼせそうになった。
 限界だと思ったところを見計らったようにドアが開かれ、次はシャワーで軽く汗を流すよう促される。
 シャワールームから出ると、今度は、水分補給のハーブティーが、先ほどのミネラルウォーターより多めに置かれていた。
 喉を潤した2人は、エステ用の伸縮素材の下着を着け、施術用ベッドが二つ並んだエステルームへと入った。
 エルフリーデが奥のスペースに入ると、女性セラピスト2名が現れ、真ん中を仕切るようになっていたカーテンを閉じた。
 カーテンの手前側では、ロイエンタールが男性セラピストの施術を受けるらしい。
 若いエルフリーデが、セラピストとはいえ、見知らぬ男性に肌を見せないで済むようにとの配慮である。
 施術そのものは、オーソドックスなエステで、まずピーリングによる全身の角質取りから始まり、肌の洗浄、オイルマッサージの後、洗髪、フェイシャルと全身パックというものだった。
「元帥、さすがです。私はプロのスポーツ選手以外で、ここまで完璧な肉体というのを、初めて見ましたよ」
 トレーナーの資格を有しているらしい、男性セラピストの声がする。
 ロイエンタールは、それにはまともに応えず、薄く笑った気配が僅かにしただけだった。
 エルフリーデは、ふと、あの男が、どんな顔をしてエステの施術なんか受けているのか、興味が沸いた。直ぐ傍のカーテンを開ければ全て判ることなのに、さすがにそれをする勇気がないまま、3時間半のスペシャルコースは終了した。
 全身パックを覆っていたパラフィンを外されたエルフリーデは、そのまま何度も丁度良い温度の湯を掛けられてパック成分を洗い流されると、セラピスト達は全身を丁寧にバスタオルで拭き、新しいローブを着せ掛けた。
「これで、コースは終了でございますが、ジャグジーの方に、湯を張りなおしてございます。リラックス効果のあるローズ系のオイルを入れておりますので、よろしければ、最後にお入りになられて下さい」
 女性セラピストがそう言いい、ロイエンタールの施術台とを仕切っていたカーテンが開くと、既に彼の姿も男性セラピスト達の姿もなかった。
 エルフリーデは、先ほどのジャグジーへ向うと、既に広い円形の浴槽に浸かっているロイエンタールの隣に、無意識に両手で胸と下腹部を隠しながら静かに浴槽へ入っていった。
 真っ赤に燃えた日没の太陽が、黄金色の空を染めて行く。
 その神秘的な光景に、エルフリーデは思わず身を乗り出して見入った。
 色とりどりの薔薇の花びらの浮く中で、エルフリーデは、夫に引き寄せられ、肩を抱かれる格好になる。
 ロイエンタールはクリーム色の髪を上げたエルフリーデの襟足を指の背でそっと撫で上げた。
 以前なら、抗議の視線で輝いた成層圏の瞳が、ただ青く美しい夕空を映していた。
 いつの間にか、2人は、身を寄せ合いながら、落日の夕陽をいつまでも眺めていた。


 ジャグジーから出た2人は、一旦寝室に入って着替えを済ませた。
 彼らがエステの施術を受けている間、ルームメイドの2人が、荷物を解き、着替えを所定のクローゼットや引き出しへ仕舞って、ベッドメイキングを済ませていた。
 更に、何やら美味しそうな匂いが漂ってくると思ったら、メイドの一人が、夕食の支度が出来たことを知らせに来た。
 気が付けば、時刻は夜8時近くにもなっていて、すっかり陽の落ちた夜空に、満天の星が輝いている。漆黒の海との境目が曖昧な程、このコテージが、宇宙空間に浮かぶ恒星のようだ。
 キッチンには、今朝、市場で買った魚介類を下ごしらえしたものが、クーラーボックスに入れて運び込まれていたらしく、メイド達は、エステが終わる時刻を見計らって調理を始めたらしい。
 食堂へ入ると、新鮮な魚介を中心とした、少し変わった盛り付けの料理が2人分並べられていた。『エスニック風』というのだそうだが、どことなく先日行ったリューデリッツ伯爵邸のレストランの料理と似た感じだ。
 ロイエンタールは、厨房とエステルームの後片付けを終えて整列している従業員達にチップをはずんでやると、今日はこれで帰っていいと言って退去を命じた。
 従業員達は、全員深々と礼をすると、「良い日々をお過ごし下さい」と言って、いつの間にか迎えにきていた業務用の小型ボートで陸地へと帰っていった。
 これで、特にこちらで呼び出さない限り、8日のチェックアウトまで、このコテージには誰も来ない。三度の食事は、物品運搬用の無人小型ボートで時間になると運ばれて来ることになっており、希望に応じてオードブルやここに所蔵していない酒、菓子類、その他所望するものは何でも同じ方法で、即座に対応可能となっている。
 陸上のヴァルブルクリゾートホテルのコンシェルジュルームとは、直通回線が引かれており、24時間どんな要望にも応えることになっていた。
 丸3日間、全く2人だけの世界になる。
 波の音のみをバックミュージックに、エルフリーデは、はじめて執事も給仕係もいないところで夫と2人だけで夕食を摂った。
 個室での食事は初めてではないが、呼んでも誰も来ない状況というのは、常に人に仕えられて生きてきたエルフリーデにとっては、何となく不安だった。
「フェザーンは、全てに於いて自動化が進んでいる。帝国と違って、人を雇って仕えさせるという習慣が少ない。早く慣れるんだな」
 ロイエンタールは、そう言って、少し甘辛い味付けのサラダを妻に取り分けてやったり、アルコール度の低い甘口のカクテルを注いでやったりと、彼をよく知る者が見たら考えられないくらい甲斐甲斐しく幼妻の面倒を見ている。
 新鮮な魚介を使った料理は絶品で、エルフリーデの方は、淡々と食事を進める。
 もし、この姿を第三者が目撃したら、さぞ目を丸くしたことだろう。
 食事が済むと、いつもの癖でそのまま立ち上がったエルフリーデの前で、ロイエンタールは空になった皿を重ね始めた。仕方なくエルフリーデも真似ると、2人はそれをキッチンへ運び、ロイエンタールが自動食洗器に入れて、スイッチを入れた。
 エルフリーデは、好奇心を抑え切れずに、見慣れぬ機械に見入った。
 食洗器は、ものの十数秒で中の食器を洗って濯ぐと、数秒で表面の水分を蒸発させ、今度は皿の形をセンサーで見極めた細いアームが、皿を食器棚の所定の位置へ仕舞う。
「フェザーンの最新型のキッチンだそうだ。効率アップの為に、今度、一部旗艦クラスの軍艦の厨房にも取り入れる話が出ている」
 ロイエンタールの言葉に、エルフリーデは、あらためてフェザーンの先進技術に感心した。
 更に、ロイエンタールは、別のパネルを操作すると、2人分の紅茶が、一分もしないうちにポットを満たした。短時間にも関わらず、ダージリンのよい香が漂う。
 ロイエンタールは、手馴れた手つきで紅茶をカップに注ぐと、砂糖とミルクの壷と共にトレーに乗せ、2人で厨房を出て、リビングのテーブルの上に並べた。
「お前がこんなに台所仕事が上手いなんて知らなかったわ」
 砂糖1杯にミルクをたっぷり注いだダージリンティを飲みながら、エルフリーデはほんの少し悪戯心を覗かせて言ってやった。
「俺がお前の年頃は、士官学校の下級生で、よく上級生の世話を色々やらされたさ。野営訓練もしたから、ちょっとした料理だってできるぞ。お前等、何もしたことがない貴族令嬢よりも、はるかに生活力は上だ」
「お前にも16の頃があったなんて想像つかないわ」
 エルフリーデは、わざと少し意地の悪い目を向けたが、言われた当人の金銀妖瞳は、珍しく穏やかだった。
「俺だっていきなり30過ぎたわけじゃない」
「年齢だけでなく、お前が少尉とか中佐とかで、上官に命令されてる姿も想像できないわ」
「まさか最初から元帥だったわけじゃないさ。まあ、頭を下げたくない人間に命令されたくない性分なんでな。そうしなくてもいいように、人より急いで出世したが・・・」
 そう言った男は、何時に間にか、紅茶ではなく、ウイスキーのグラスを呷っている。
「俺のことよりも、お前はどうなんだ? フェザーンで行く大学は決まったのか?」
 エルフリーデは、意外そうな目を向ける。この男が、自分の進学問題などに関心があったのか? それとも単なる話題転換か?
「地球学に、随分とご執心のようじゃないか。昨日の視察では、お前が一番熱心だったぞ」
 自分に向けられた金銀妖瞳を、エルフリーデは不思議そうに見詰め返した。
 この男が、自分の言動にそれ程注意を払っていたのか?
「ええ、地球学は、これから需要の高い学問よ。卒業後も官民共に求人がたくさんあると聞いたわ」
「ほお? 伯爵夫人には、下賎の者達と共に、労働などという卑しい行為をされるおつもりか?」
 ロイエンタールの痛烈な皮肉に、エルフリーデは、カチンときて、つい今まで培っていた多少の好意的感情が一気に萎む。
「お前なんかに、そんなことを言われる筋合いはないわ。貴族特権を廃止して、私達が働かなくては生活できないようにしたのは、お前達でしょう?」
 エルフリーデは、辛うじて残されたコールラウシュ家の別邸で、肩を寄せ合うようにして生活している一族達の顔を思い浮かべて言った。
「確かにな。だが、お前が、将来俺と別れることを想定して、好きでもない道に進むというなら、考え違いだ。俺にはそのつもりはない」
 え?っと、問い返そうとするエルフリーデを振り切るように、ロイエンタールは立ち上がると、何か思い立って部屋を出て行ってしまった。
 エルフリーデが、フェザーンで大学へ行くことを希望しているらしいと使用人達から聞いた時、ロイエンタールは、貴族令嬢らしく趣味の延長のような、文学とか芸術分野を志望しているとばかり思っていた。
 それが、一日掛りで全教科模試を受け、どうやら実学の方向で考えているらしいと知り、彼女の意外な側面を見た気がした。同時に、その理由が、自分との結婚生活が長く続かないと思っているからだと判ると、何ともやりきれない思いがした。
 確かに、自分はこれまで女と付き合って長続きしたためしがない。
 ついこの前も、昔捨てた女が邸に乗り込んできて、危うく修羅場になりかけたばかりだ。
 そんな自分が、今更、お前だけは違うと言ったところで、説得力はないだろう。
 これも、今までのツケというやつなのか。
 ロイエンタールは、自嘲の笑みを浮かべながら、予てから奨められていた重力制御室のチェックに向った。
 エルフリーデは、一人取り残された部屋でロイエンタールの言葉の意味を暫し心の中で反芻していたが、やがて考えるのをやめて、持ってきた携帯端末を開いた。
 メールは殆どが同級生からのもので、冗談まじりに新婚旅行の土産を催促するメールや、早速報道された昨日の視察や晩餐会の様子についてのもので、急ぎの返信を要するものがなかった為、そのまま端末を閉じた。
 ふと、周囲を見渡すと、広い部屋は、さざ波の音ばかりがするだけで、静まり返っている。当たり前のことだが、人の気配が全くない。呼んでも誰一人として使用人は参上しないのは、先刻承知の上だ。
 エルフリーデは、急に不安になってきた。
 ここは、いわば絶海の孤島も同然である。
 エルフリーデは、視覚と聴覚を総動員して、ロイエンタールの姿を探した。
「ねぇ・・・お前・・・どこ? どこにいるの・・・?」
 しんとして返事はない。
『トイレにでも行ってるんでしょ』
 エルフリーデは、そう思うことにして、気を取り直し、再びソファに腰掛けた。
 だが、10分、20分と経っても、ロイエンタールは現れない。
 30分経った時、エルフリーデは再び立ち上がった。
「・・・出て来なさい!」
 そう叫んだが、聴こえるのはやはり波の音だけだった。
 エルフリーデは、瞬間、頭がパニック状態になった。
 まさか、いくらあの男が意地悪でも、自分一人をこんなところに残して、密かに緊急用のボートを乗り出して帰ってしまうようなことはしないだろう。そう思う一方で、もしやという思いが拭えない。
 次に思い浮かんだのは、誤ってデッキから海に落ちたのではないかという想像だった。 この近海は、危険な捕食海洋生物はいないはずだが、などと埒もないことを考える。
 いや、その前に、あの男は、士官学校出のはずだから、たとえ海に落ちても泳ぎは達者なはずだ。それ以前の問題として、あの男に限って、誤って落ちるなどという失態があるだろうか?
 いえ、でも・・・
 悪い想像とそれを打ち消す理由とが、交互に頭を去来し、エルフリーデは、堪らずにもう一度夫を呼ぶ叫びを上げようとした。
 その時、はたと気づいた。いったい何と呼びかけていいものか?
「ロイエンタール元帥!」と、言うのは違う気がする。
 本人が目の前にいないのに、「お前」は、もっと変だろう。
 だいたい、彼女は出会って以来、一度も夫をまともに呼んだことがない。
「あなた(マイン・リーヴェ)」などとは、恥かし過ぎる。
「オ・・オスカー・・・! オスカー、どこにいるの!?」
 エルフリーデは、ついに記念すべき第一声を発した。
「呼んだか?」
 背中から、笑いを含んだ男の声がした。
 実は先ほどから、エルフリーデの青くなって自分を探し回る姿を見て、少し楽しんでいたロイエンタールだった。
「お前! いったいどこにいたの?」
 怒気を含んだ声のわりに、振り返ったエルフリーデの瞳は、安堵の色が滲み出ていた。
「盗聴されていないか確認してた。あと、ついでに重力制御室を見て来たところだ」
 ロイエンタールが、掌に収まるくらいの小さな機械のスイッチを切りながら応える。憲兵隊に依頼して用意させた最新型の盗聴器探知機である。
 その言葉に、エルフリーデは、猛然と抗議した。
「クラリスもヴァルブルク子爵も、そんなことをする人達じゃないわ」
 だが、ロイエンタールは冷徹に金銀妖瞳を光らせる。
「お前の友達を疑ってのことではない。このリゾート施設は大所帯だ。あの子爵にその気にはなくても、どんな連中が潜り込んでいるとも限らん。旧門閥貴族の残党、旧同盟やフェザーンの残存勢力、地球教徒の生き残りども、敵はまだ壊滅したとは言い難いんでな」
 現に、つい先日も同盟の軍人らしき連中がオーディンに潜入していたのを見たばかりだと、ロイエンタールは言いたかったが、エルフリーデの気持ちを考えて、それは思い留まった。
 友人やその家族そのものを疑ったわけではないと知り、エルフリーデは一先ず矛を収めた。同時に、こんな時でさえ決して気を抜かないこの男の手抜かりの無さに、密かに感服していた。
 要人の滞在先である。事前に念入りな下調べが行われたであろうことは、エルフリーデのような世間知らずでさえ容易に想像がつく。それでも最終チェックを自分自身で怠らないからこそ、この男はこれまで数々の死線を生き延びてこられたのだろう。
「それより、こっちへ来てみろ」
 ロイエンタールはそう言うと、エルフリーデの手を引き、主寝室へと続く扉を開けた。
「わぁ・・・!」
 エルフリーデは、素直に感嘆の声を上げた。
 主寝室のベッドは、クラリスが言っていた通り、キングサイズを更に一回り大きくした特注品だったが、何より驚かされたのは、開放された天井と、デッキに続くドアから降り掛かるような星々の大海だった。デッキはプールへと続いており、バスルームの向こう側からもデッキに出られるように設計されている。
 漆黒の闇と、凝った造形の木製のベッド枠に、白い絹のシーツの海とのコントラストが、異国風の照明の中で、神秘的な空間を創り出している。
「もう一つの薄いレース地の天蓋が付いた寝室もステキだったわ。二つとも気に入っているけど、今日は星がきれいだから、こっちがいいわ」
 エルフリーデが、そう言うと、ロイエンタールは、
「では、伯爵夫人のご希望により、今宵はこちらを寝室としよう」
 と言って、幼妻を抱き上げた。
「気に入ったか?」
 ロイエンタールが、金銀妖瞳に艶やかな光が宿る。
「ええ。とっても」
 エルフリーデは、夫の首に腕を廻して楽しそうに頷いた。
 昨夜、もうどうせ自分はこの男に身も心も捧げてしまったのだという開き直りの気持ちがあったのかもしれない。
「それはよかった。だが、寝室は2つではない。3つある。そちらが一番伯爵夫人のお気に召して下さるといいのだがな」
 ロイエンタールは、そう言って薄く笑うと、白い夜着に着替えた妻を寝台に座らせた。「3つ?」
 エルフリーデは、不思議そうに首を傾げた。
 クラリスの案内にも、パンフレットにも、寝室は二つとなっているし、間取り図もそうなっている。
 エルフリーデが、深く考える間もなく、ロイエンタールが意外な行動に出た。
 まるで、はじめて求愛するように、彼女の前に跪いて手をとって接吻したのである。
 彼にしてみれば、親友のミッターマイヤーの結婚式依頼のポーズだった。
 立ち上がったロイエンタールは、妻の隣に腰掛けると、
「一応、求愛の真似事をしたつもりが、伯爵夫人には、小官の気持ちを昨夜受け入れて頂いた。ならば、我々は、もう一つやるべきことを忘れていただろう」
 いったい何を?とエルフリーデは思ったが、男の様子から、不快なことではないと感じて、そのまま黙って男がやることに従った。
 ロイエンタールは、エルフリーデを抱きかかえながら寝台の中央に移動すると、身を起こしたままもう一度、美しい手を取った。
 そして、ロイエンタールの口から発せられたのは、信じられないことに、昨日地球式の結婚式を挙げたカップルが誓った言葉と同じものだった。

 オスカー・フォン・ロイエンタールは、
 エルフリーデ・フォン・コールラウシュを生涯の妻と定め、
 健やかな時も病める時も彼女を愛し、彼女を助け、
 その命の尽きる時まで、・・・

 と、そこで何事か思案するように、言葉を止めた。

 その命は尽きようとも、ヴァルハラにて再び廻り逢えんことを願い
 来世に於いても彼女を愛し続ける事を・・・ここに、
 エルフリーデ本人の前に誓う。

 エルフリーデは、数瞬、戸惑った。
 ついこの前まで、一個中隊分の女を棄てきた男の言う言葉である。
 だが、もう自分は後に引けないところまできてしまった。
 そして、今の自分には、もうこの男を信じて付いていくしか道はないのだと覚悟を決めたのだ。

 エルフリーデ・フォン・コールラウシュは、
 オスカー・フォンロイエンタールを生涯の夫と定め、
 健やかな時も病める時も彼を愛し、彼を助け、
 その命は尽きようとも、ヴァルハラにて再び廻り逢えんことを願い
 来世に於いても彼を愛し続ける事を、ここに、
 オスカー本人の前に誓います。

 誰も立会人はいないから、互いに誓いを立てるしかない。
 しかし、2人のこの誓いは、皇帝の前でよりも、大神オーディンに誓うものよりも重い意味を持っていた.
 この時を境に、エルフリーデは、エーリッヒの思い出を封印し、ロイエンタールの妻として生きる決意をしたと言っていい。
 また、ロイエンタール自身も、幼少期から続く長年の呪縛を断ち切り、漁色を返上して、たった一人の女に全てを委ねる生き方を受け入れた瞬間でもあった。

 2人だけの神聖な儀式を終えた時、彼等は真から夫婦になった。
 ロイエンタールは、妻の身体をそっと横たえると、誓いの口付けというには、あまりに激しい接吻を贈った。
 エルフリーデは、こうしてだんだんとこの男のものになっていく自分を、透明な心で感じ取っていた。
「私は・・・似ているの? お前の母親に・・・」
 エルフリーデは、自分の身体を愛撫する夫に、ぽつりと呟くように訊いた。
 使用人達は、誰もが自分のことを、先代のレオノラ夫人に似ているという。
 だからこそ、漁色家の元帥の心を掴み、たった一人妻という立場になることができたのだと、そう思われているのだろう。
 だが、エルフリーデは、邸の食堂に飾られている肖像画のレオノラと、自分が似ているとは思えない。どちらかと言えば、年齢より幼く見られるエルフリーデに対して、この男の母親は、それが血でもあるのか、妖艶な魔性の魅力を持った女性に見えた。
「いや・・・」
 予期していなかった問いに、ロイエンタールは一瞬手を止めたが、やがて、もう一度妻抱き直すと、金銀妖瞳に、これまでにないエロスの光を湛えて、妻の耳元で囁いた。
「お前の方が美しい」
 その声は、エルフリーデにとって媚薬だった。
 磨きぬかれた白磁の肌が、桃色に染まり、夫の腕の中で、何度も登りつめると、エルフリーデは、次第に自分が別の女になっていくような気がしてくる。
「お前を創り替えてやる」
「・・・?」
「この3日間で、たっぷりと時間をかけてな」
 ロイエンタールの金銀妖瞳が、今までにない妖しい光を放ち、エルフリーデは、一瞬恐怖した。
 いったい、私の何を創り替えるというのか?
「なにを・・・するの・・・?」
 エルフリーデは、間もなく真っ白になっていくであろう頭で、辛うじて声を出した。
 ロイエンタールが、更に奥深く侵入する。
「俺なしで生きられない女に変えてやる」
 エルフリーデが、その言葉に最後の抵抗を試みる間もなく、2人は、夜の波間に沈んでいった。
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