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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(25)
 新帝国歴1年9月4日早朝。ロイエンタール邸前の車寄せには、5台のランドカーが横付けされていた。
 玄関扉の前に合わせて停止している前から2台目の軍高官専用の高級車には、今まさに元帥夫妻が乗り込むところであり、前後の2台は憲兵隊の護衛車だった。最後尾のワゴン車2台には、今日、先発してフェザーンへ出発する邸の使用人達の一部が分乗して乗り込んでいた。
 5台の車列は、粛々として宇宙港と隣接する空港へと向って進む。
 後の2台が宇宙港へと続く道を右折してサイドミラーの視界から去った時、エルフリーデは、毎日親身になって世話を焼いてくれるシュバイツァー夫人と、侍女のミミ、執事達との数週間の別れを密かに惜しんだ。
 大本営移転に伴い、ロイエンタール邸の使用人達は、その約3分の1が主夫妻に同行してフェザーンへ向う。
 その中で、使用人達を束ねる立場にある執事やシュヴァイツァー夫人が、少数の下働きの者達を伴って、先にフェザーンへ赴き、新しく暮す邸の準備や、現地で雇い入れる使用人の人選の為、今日、民間船で一足先に宇宙港を発つのだった。
 エルフリーデは、空港の貴賓室で、予め取材を許可されているマスコミから2、3の質問に答えることになっていた。
 この日の彼女は、公務を意識した、淡いグリーンのスーツに揃いの帽子、白の革製の高級ブランドのハンドバックとパンプスという少し大人びた出で立ちだった。
 記者の質問は、まずロイエンタールに対して、視察の概要を訊ね、彼がメディア向けの型通りの抱負を述べると、質問は若き伯爵夫人へと移った。
「伯爵夫人、ご結婚後2カ月経ってからの新婚旅行、しかも公務を兼ねてのご出発ですが、いかがお考えですか?」
「気にしておりません。むしろ、このような時期に、こういった時間を作って下さった皇帝陛下に感謝しております」
 エルフリーデは、昨夜何度も暗唱して覚えた台詞をにこやかに答える。
「ご結婚生活はいかがですか?」
 これも予定されていた質問だ。
「毎日が、新しいことの発見で、とても楽しく過しております」
「公職に就いていらっしゃるファーレンハイト夫人を除いては、軍首脳のご家族の中で唯一フェザーンへ同行されるとのことですが、やはり元帥とできるだけ離れていたくないという解釈でよろしいのでしょうか?」
 一同から軽い笑いが漏れる質問に、エルフリーデだけが僅かに顔を歪めた。
「それもありますが、何より、フェザーンというところを見てみたいのです。ヴァルハラ星系から一度も出たことがありませんので」
「フェザーンに行ったら、何をしたいですか?」
「そうですね、まず、フェザーン語を完璧に覚えて、大学に行きたいと思っています」
 これは、エルフリーデ自身で考えた回答だったが、少し意外な発言に記者達の間から小さなざわめきが起こった。
 この件について、当然のように質問を続けようとする記者に、タイミングよく空港職員が、フライトの準備が整ったことを知らせに来て、記者会見はお開きとなった。
 エルフリーデは、マスコミの前でロイエンタールと手を繋いで部屋を出ると、そのままVIP専用の搭乗口へと向った。
 人前でみっとない姿を見せるわけにはいかない。
 少なくとも今だけは、自分とこの男は、仲の良い新婚夫婦でなければならないのだ。
 そう見せることが自分の矜持を保つことなのだ。
 エルフリーデは、懸命に自分自身にそう言い訳していた。
 視察地域へ向うジェット機は、元は旧王朝時代の首都星内移動用の皇帝専用機で、12年前に就航してから、たった3度しか運用されていなかった。
 ローエングラム王朝になり、これを無駄と判断したラインハルトは、外壁の塗装のみを塗り直させて新王朝の政府専用機とし、皇帝だけでなく、閣僚クラスと上級大将以上の軍の高官の公務用にもフル活用することに決めたのだった。
 内部は、紋章以外手を加えられてないだけあって、旧王朝風の豪華絢爛たる内装が施されていた。
 ロイエンタールは、かつての皇帝の席へ、エルフリーデは皇后の席へと腰掛けて離陸を待った。他の警護の者達も、それぞれ御付の人間の専用席に座っている。
 エルフリーデは、妙な気分だった。
 門閥貴族に生まれた女性なら誰しも夢見た席に、今、自分が座っている。
 横の皇帝の席に座る男は、簒奪者の一味でありながら、自分の夫でもあるのだ。
 エルフリーデは、ずっと自分を簒奪された側の人間だと認識していたが、いつの間にか簒奪した側の人間になっていることに気づいて、名伏し難い思いを抱かざるを得ない。
 機内で早めの軽い昼食を摂り、約5時間のフライトの後、首都星の赤道近くに位置する半島上空に辿り着いた。
 どこまでも青い海と緑の大地を窓から見下ろしながら、エルフリーデは眼下に広がるパノラマに思わず感嘆の声を上げる。
 専用機が静かに着陸してタラップを降りると、赤絨毯の両側に兵士達が並んで敬礼し、その先には、この区域を管轄する軍と行政のトップが、夫人を伴って出迎えに来ていた。楽隊が、国歌を演奏して歓迎する。
 エルフリーデは、夫と腕を組んでタラップを降りた場所から続く赤絨毯の上を進むと、10歳くらいと思われる少女から小さな花束を受取った。
 ロイエンタールの方は、少将の軍服を着た治安維持軍の指揮官と敬礼を交わし、行政官と握手を交わしている。
 出迎えのセレモニーが一通り済むと、リムジン仕様のランドカーに乗り換えた。車は、そのまま市内の目抜き通りを走ると、沿道の人々が黄金獅子旗の小旗を振りながら歓声を上げている。
 車は、市街地を抜けると、郊外の新たに整備された一画へと入って行った。
 予め聞いている情報によると、政府と軍とフェザーン資本の民間企業との合弁で設立された地球時代のテクノロジーの研究機関らしい。
 地球学が、近年活発になっていることは、エルフリーデも大学を選択する過程でつい昨日知ったばかりだったが、ここはその中で、主に医療分野に於ける研究を行っているらしい。
 元帥夫妻を乗せた車は、30余りある専門分野毎の棟の中から、この日、「再生医療研究センター」という看板の掛かる建物の正面に横付けされた。
 所長を始め、主だった職員に出迎えられると、副所長の肩書きの主任研究員が、説明役を務めた。
 この研究所の主な目的は、旧暦の20世紀末から21世紀初頭に本格的に研究が開始され、一部実験に成功しながらも、13日間戦争でその実績の殆どが闇に葬られてしまった人工多能性幹細胞(ヒトiPS細胞)の研究を復元、継続し、将来の実用化を目指すことにあるという。
「簡単に言えば、先天的後天的を問わず、何らかの理由で欠損してしまった人間の身体の一部を再生させるということです」
 研究員の説明に、エルフリーデだけでなく、ロイエンタール以外の同行者全員が息を呑んだ。
 そんな夢物語のようなことを本気で実現しようとしているのか? という疑問の目を一斉に研究員に向ける。
「俺も最初に機密事項として聞いた時は驚いたものだが、まあ、考えてみれば、この1700年というもの人間の寿命は殆ど延びていない。ということは、医学の進歩も殆どなかったということだ。陛下は、旧王朝下の宰相時代に、密かにこの分野の研究をしていた者達の嘆願をお聞き入れになり、即位されると同時に国家事業として正式にスタートさせたというわけだ」
 ロイエンタールが、君主を誇るかのように説明を加えると、一同も半信半疑ながら納得した表情になる。
「これが実用化されれば、人類にとって画期的なことであります。具体的に言えば、まず内臓疾患の場合、臓器ごと取り替えることができますので、他者からの臓器提供による拒絶反応や不安定な人工臓器による合併症の心配もなくなり、どんな疾患も完治できます。また、戦傷で四肢を失ったような人も、今までのような義肢ではなく、本物の自分の手や足を取り戻すことができるのです。将来的には、人間のあらゆる部位の再生が、可能になるはずです。まあ、今のところ理論上のことですが」
 今度は、ほうっという賞賛の溜息が漏れた。
 銀河連邦の混沌とした時代を経て成立したゴールデンバウム王朝では、不合理な復古主義と、厳格な階級制度によって、この分野の研究はほぼ完全に消滅し、事故や戦傷で四肢を失えば、単純に義肢を着けるという発想しかなかった。
 門閥貴族や皇族などの支配階級は、戦傷を負うことがまずないので、彼等にとって必要のないものが研究対象とはならなかったのは致し方ないことだった。稀に事故や先天性の理由で、内臓に疾患が生じても、多くの場合、莫大な金額を支払って、適合者から臓器の提供を受けるという道を選択した。
 そして、何と言っても劣悪遺伝子排除法によって、生まれついて身体に何らかの欠損のあるものは、それを救うよりも切り捨てるという考え方が定着していた。
 マクシミリアン・ヨーゼフ2世の有名無実化政策により、障害者の社会参画が認められて以降も、彼等を根本的に救う措置を国を挙げて行うまでには至らなかった。
「ワーレン提督のような義手の方も、機械の義手ではなく、本物の自分の手を持てるということですか?」
 エルフリーデが、夜会で一度会った夫の同僚を例に挙げて質問する。
「はい。左様でございます。同盟との戦いのこの150年で、義肢の製作技術は飛躍的な進歩を遂げ、見た目には判らない程のものが造れるようになりました。しかし、やはり血の通った本物の人間の手足には及びません」
 案内役の研究員がにこりとして答える。
 強化ガラスの向こうでは、白衣を着た研究者達が、門外漢にはわからない器具や機械を操作したり、端末画面を睨んで何かのデータを解析していた。
「では、オーベルシュタイン元帥のような方も、義眼ではなく、本物の自分の眼になれるのですか?」
 エルフリーデは、友人が「本当はとても優しい方」と評する軍務尚書のことをふと思い出して訊いてみた。
 ロイエンタールも他の同行者も、この質問には意表を突かれた。
 義眼でないオーベルシュタインなど、ちょっと想像できない。
 だが、研究員は、我が意を得たりとばかりに、再びにこりと微笑んだ。
「その通りでございます。実用化できれば、体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導することが可能ですので、眼球を作り出すことも勿論できます」
 人々からざわめきが起こる中、ロイエンタールのみが、唇の端を少し上げた皮肉な笑みを漏らした。
「ただし、軍務尚書がご存命中に、実現できればの話だろう?」
 言われた副所長は、途端に声のトーンを落とした。
「はい。仰る通りです。何しろ、研究方法自体がまだ手探りの状態でして、AD時代のレベルにまで到達しておりません。実用化までには、まだ相当な年月がかかるかと・・・。現時点では、一応、30年以内を目処としております」
 30年との言葉に、今度は途端に白けた空気になった。
 だが、副所長は気を取り直し、あらためて顔を起こすと、熱意を込めた口調で語った。
「1700年間眠っていた叡智が、たった1年前に、再び時計の針を動かしたのです。結論を急ぐのは性急というものです。私どもは、必ずやこの研究が、人類の未来に役立つと信じております。その為の『地球学』なのです」
「地球学」という言葉が、エルフリーデの琴線に触れた。
「現在、各省庁から出向している地球学の医学分野の専門家が、各地に散乱した当時の資料を発掘、翻訳し、関係機関に割り振る作業を行っておりますが、肝心の地球学自体が、発足して間もない学問故、圧倒的に人手不足です。非常に高度で幅広い知識と深い洞察力を要求される学問なので、人材の確保も困難です。帝国内でもフェザーンでも、一定レベル以上の大学では、新設学科を設けて人材育成に邁進しているところです。目に見える成果が現れるのは、確かに何年か先になりますが、私どもは、悲観してはおりません。それどころか、これ程やり甲斐のある仕事を与えて下さった新政府と皇帝陛下に心より感謝しております」
 一同が深く頷く。
 この時、エルフリーデの中で、大学受験のターゲットが、確定した。


 元帥夫妻一行は、再生医療研究センターを後にすると、再び車列を街の中心部近くへと向け、今度は「地球文化村」という場所に向った。
 車を降りると、先ほどの合理的だが殺風景な建物群とは対照的な、小さな宮殿風のマナーハウスや、神殿風のゲストハウスが十数棟点在し、車道も歩道もカラフルな花で飾られている。
「ようこそ、ヴァルブルクリゾートへ」
 こう言って揉み手で出迎えたのは、元々この地を荘園に持つヴァルブルク子爵だった。子爵の娘で、エルフリーデの同級生のクラリスとその母親の子爵夫人もいる。
 ここは、地球時代の文化的復興を目指し、且つそれを観光資源として活かすべく、フェザーン資本のコンサルティング会社の提案の下、現地行政区と連携して試験的に営業されているのだという。これも、地球学の成果の一種である。
「エルフィー、来てくれて嬉しいわ」
 クラリスが近づくと、二人はハグし合いながら再会を喜び合った。
 一行は、村の建物群の中で、正面が細い塔のようになっていて、三角屋根の上に十字の飾りのある建物に案内されていった。
 地球時代の宗教儀式を行う建物を再現したらしい。
「教会って言うのよ。ここで結婚式を挙げるサービスをするの。それで、新郎新婦も参列者も、村内のホテルに泊まったり、向こう側がビーチになっているので、そこのコテージに宿泊したりするの」
 クラリスが、ビジネスの仕組みを説明すると、エルフリーデもなるほどと頷いた。
 宇宙歴に入ってから、地球時代の宗教の風習は徐々に廃れ、ゴールデンバウム王朝に於いては、開祖ルドルフを神格化する目的から、大神オーディンやヴァルハラという概念的な神以外で、宗教的なものを日常に取り入れることを徹底して排除していた。
 その為、銀河帝国の国民の結婚式は、皇族から農奴に至るまで、シンプルそのもので、ただ二人が並び、その地区の担当官が、男女が夫婦になったことを宣言文で読み上げるだけである。実に味気ないものだが、所謂人前式の形式である。
 ヴァルブルクリゾートは、フェザーン人のアイディアを取り入れ、これを少しロマンチックなものに手直しして客を集めることに成功した。
 教会の中に入ると、丁度、この日結婚式を挙げるカップルが、中央の珍しい形の黒い服を着た男の前に立っていた。
「せっかくですから、私たちも立ち合わせて頂きましょう。これも何かの縁だ」
 如才ないヴァルブルク子爵がそう言うと、一行は黙って従った。
 新郎新婦は、共に二十代半ばと思われる若いカップルだった。
 突然現れたリゾートのオーナー一家と何やら偉そうな役人や軍人達の登場に、参列者は皆驚きの表情を隠せなかったが、ソリヴィジョンニュースでよく見るロイエンタール元帥夫妻の姿を目にした時、平凡な一市民達は、全員が腰を抜かしそうになった。
 それでも、この式典を仕切っているらしい中央の黒服の男が、厳かに式を始めることを宣言すると、全員祭壇の前の新郎新婦の方へ目を向けた。
 男に促され、まず新郎が誓いの言葉を述べる。

 私・・・・は、・・・・を生涯の妻と定め、
 健やかな時も病める時も彼女を愛し、彼女を助け、
 その命の尽きる時まで、生涯変わず彼女を愛し続ける事を皆様方の前に誓います。

 私・・・・は、・・・・を生涯の夫と定め、
 健やかな時も病める時も彼を愛し、彼を助け、
 その命の尽きる時まで、生涯変わらず彼を愛し続ける事を皆様方の前に誓います。

 新帝国歴1年9月4日
 
 夫 ・・・・
 妻 ・・・・

 新郎新婦は、誓いの口付けを交わすと、向きを変え、腕を組んでゆっくりと出口へと歩みを進める。
 参列者達は、それを拍手で見送り、二人が教会の出口に到達すると、係員が花びらを集めた籠を参列者に手渡し、夫婦となった二人に祝福の言葉と共に振りかける。
 エルフリーデとクラリスも、皆に倣って花びらのシャワーをかけた。

 健やかな時も病める時も・・・
 生涯変わず・・・
 
 エルフリーデの胸に、誓いの言葉が深く沁み込んだ。
 そう誓って結ばれた平民のカップルが、今は心底羨ましかった。
 新郎が、緊張した面持ちでロイエンタールの前に進み出ると、稀代の名将に握手を求める。
 帝国元帥は、それに気軽に応じてやると、「誓いの言葉を守って、よい家庭を築いてくれ」と、社交辞令的な祝いの言葉を送ったが、新郎は、一層頬を高潮させて、「はい。もちろんです」と力強く答えた。
 クラリスに言わせると、厳密には、地球時代の儀式とは細部で異なるのだそうだが、雰囲気だけでも、こういうのっていいでしょ? 私も結婚する時は、ここで式を挙げるつもりよ、とのことだった。
 同意を求められたエルフリーデは、「そうね」と笑って答えると、自分にはもう一生縁のない儀式に、一抹の寂しさ感じていた。
 一行は、「地球文化村」を後にすると、この日の宿泊先である迎賓館となっている高層ビルに入った。
 元帥夫妻は、最上階の、やはり元は皇族専用だった部屋に泊まることとなる。
 50階建ての高層ビルから眺める景色は、新無憂宮より高い建物を建てられないことになっていたオーディンの街では見ることができない圧巻の景色だった。
 現在の時刻は午後6時半。日没時間が午後7時過ぎというだけあって、まだ充分明るかったが、徐々に点灯し始めた海岸に面した街の灯が、宝石を散りばめたように美しかった。
 公務はまだ続き、この後、同じビル内の広間で、この区域の高官や名士を招いての晩餐会が開かれる。主賓は勿論、ロイエンタール元帥夫妻である。
 旧王朝時代、皇帝一家とそれに準ずる人間のみが使用を許された最上階の海側に面した特別室は、二つの寝室とリビング、書斎、化粧部屋から成る800平米ほどの広さで、このビルのワンフロアの約半分を占めていた。残り半分は、お付の者達や世話係の部屋、専用の厨房と警護の兵士の控え室となっている。
 二人は部屋に入ると、早速、この部屋専属の女性のコンシェルジュと、世話係4名を紹介された。部屋付きの世話係は、主にご婦人の世話をする美容師やスタイリストで、食事や、その他滞在者の突発的なあらゆる要望に応えることになっている。普通の感覚で考えれば、たった一晩の滞在に贅沢過ぎる配置だが、これでも質素な新皇帝の削減政策で、人員を3分の1に減らしたというから、旧王朝の皇族の贅沢ぶりが伺える。
 もっとも、彼等は、この日の皇帝の代理人が、富貴が自然に身についたロイエンタールと、この状況を特に贅沢だと感じない生粋の門閥貴族令嬢のエルフリーデで幸いだった。
 もしこれが、皇帝自身や、他の軍首脳なら、オーディンに戻った時点で即座に再リストラ策の稟議書が提出されたことだろう。
 行く行くは、この迎賓館も民営化してホテルとしてリニューアルする案が検討されている。
 ただ、雇用問題を考えると、いきなり全てを変えるのは時期尚早であり、今後段階的に人員整理と民間への移行が計画されていた。
 エルフリーデには伝えられていなかったが、帝国内には、まだまだこのような不均衡が多数存在し、その実態を見聞するのも今回の視察の目的でもあった。
 エルフリーデは、化粧部屋のバスルームで簡単にシャワーを浴びると、世話係の美容師に髪をセットし直させ、ドレス用のビスチェとペチコートを身に着けてから、持参した3着のドレスから今夜の衣装を選ぼうとした。
 ハンガーに掛けられた3着を見て、エルフリーデは迷った。
 持ってきたのは、いずれも晩餐会用のロングドレスで、オフホワイトのエンパイヤスタイルのものと、マーメイドラインのアクアブルーのもの、オレンジがかったピンク色のプリンセスラインのオーソドックスなものだった。
 皆気に入っているし、これからだって着る機会はあるものの、決め手がない。
「失礼致します。今、来場しているご婦人方を見て参りましたが、全体的に暖色系のドレスが多い感じでございます」
 スタイリストの女性が、入室してきて、報告する。このような場合、なるべく主賓が目立つよう配慮を怠らないのも彼らの仕事だった。さすがに、皇族に仕えていただけのことはある、なかなか気の利いた者だとエルフリーデは感心した。
「では、奥様。やはりこのブルーの方がよろしいかと」
 美容師の女性がそう言った時、ふいにノックがあり、既に支度を済ませた軍服礼装のロイエンタールが現れた。
 まだ下着姿のエルフリーデは、夫の無粋を非難する目を向けたが、他の人間の手前、黙っていた。
 女性の係員達は、皆瞬間的にぼうっとなって美丈夫の帝国元帥に魅入られた。
「そっちの白い方にしろ。俺は書斎に居る」
 ロイエンタールはそれだけ言うと、踵を返して部屋を出ていった。
 エルフリーデは、呆気にとられてその後姿を見送った。
 今までこの男が、自分の着る物に関心を示したことなどなかったのに。いったいどういう風の吹き回しかしら?
 だが、いつまでも疑問に拘っている時間もなかった。
「では、やはり旦那様のご希望通り、こちらにいたしましょう」
 スタイリストがそう言うと、エルフリーデも、逆らうのも時間の無駄だと思って、黙って従った。
 急いで化粧を直し、ドレスを着て、ティアラと首飾りを着けると、感嘆と賞賛の目を向けるコンシェルジュに手をとられて、ロイエンタールの待つ書斎へ向った。
 革椅子に足を組んで座っていたロイエンタールは、支度の整った幼妻の姿を目にした瞬間、僅かに金銀妖瞳を見開くと、立ち上がって満足そうに頷いた。
 彼は、コンシェルジュの女性に、彼女の月給分程のチップを与えて、係の者達と分けるように言って退がらせると、エルフリーデの目の前に立った。
 美術館の彫像の美を超える尊容が迫る。
 エルフリーデの心臓が、また大きく跳ね上がった。
 何か、言いたいことがあるようで、言葉が見つからない。
 ロイエンタールは、そんな彼女の動揺を無視して、執務机の端に置いてあった小さなケースを手に取った。
「最近、倒産寸前の宝石商が、叔父のところへ地球産のダイヤのルースをいくつか持ち込んでな。俺も人助けに一役買ってみた」
 ロイエンタールは、軽くそれだけ言うと、幼妻の白い手にそっと口付ける。
 指輪のケースであることは、見れば判ったが、目の前で開かれると、圧倒的な大きさと輝きを放つ見事なブルーダイヤのリングが現れた。
 3カラット以上はあろうかと思われる大きさだったが、ダイヤにしては珍しい濃い目の青い色で、ラウンドブリリアントカットから放たれる光は、まるでこの男の左目のような峻烈さだ。権門の令嬢として育ったエルフリーデでさえ、滅多に見たこともないほど見事な宝石だった。
 ロイエンタールは、静かに彼女の左手から唇を離すと、結婚指輪の光る薬指に、そのブルーダイヤのリングを連ねてはめた。
「お前に似合と思って選んだ」
 このダイヤ一粒の値段で、平民の家が10軒程買えてしまう金額であることを、彼は全く意に介していない。
 ロイエンタールは、指輪をはめてやった妻の手を離すと、腕の中にすっぽり納めるように、そっと抱きしめた。
 視線を合わせると、エルフリーデの心臓が、悲鳴を上げるように飛び跳ねた。
 感情を読み取れない色の異なる両目から、なぜか優しい眼差しを感じる。
 ごく自然に唇が重なると、次第に深く熱い口付けになっていった。
 エルフリーデは、ゆっくりと舌を愛撫され、何度も角度を変えられる度に彼の動きについて行く。
 ロイエンタールは、初めて自分の行為に応えている幼妻の反応に力を得ると、口付けは、更に深く甘く続いた。
「閣下、そろそろお時間です。お出まし下さい」
 扉の向こうの警備隊長の声に、ロイエンタールは唇だけそっと離し、幼妻を抱きしめたまま「今行く」と全く平時と変わらない声で答えた。
「続きは、今夜だ」
 同じ人物が発したとは思えぬほど艶めいた声が、エルフリーデの耳元に、熱い息と共に囁かれた。


 元帥夫妻が、腕を組んで入場すると、今宵の招待客達から一斉に拍手が起こった。
「まあ、まるでもう一度結婚式をされているようだわ」
 白いドレスのエルフリーデを見た誰かがそういうと、周囲の人間も一斉に同意する。
 16歳の伯爵夫人は、少し頬を上気させて俯き加減に夫に寄り添っている。
 その可憐な美しさに、会場の誰もが息を呑んだ。
 レセプションで、列席者と歓談しながらも、エルフリーデは気もそぞろだった。
 一家で招待されたヴァルブルク子爵家の人達と会った時には、さすがに昼間の地球文化村の件で話が弾んだが、その他の会話はまるで上の空だった。
 晩餐会は、当地の海の幸をふんだんに使った料理が供され、どれも美味しかったが、エルフリーデには、先ほどのロイエンタールの言葉が耳から離れず、味がわからなかった。 結婚以来、自邸に戻る日は、ほぼ毎晩のように求められたのに、先月、勢いで邸を出奔した夜を最後に、もう10日以上も夫婦の営みがない。そのくせ、毎日のように二人で出かけるようになり、まるで恋人同士のようなことをしている。いったい、あの男は何を考えているのか? エルフリーデには、ロイエンタールの真意がわからなかった。
 それが、先ほどの言葉で、料理の味や周囲との会話すらうつろな自分に気づいて、再度戸惑った。
「続きは、」と、あの男は言った。当然、彼は夫婦として行為をするつもりなのだろう。第一、仮にも新婚旅行中なのである。何もしないのは、返って失礼ではないか。そう思いながらも、自分はそれを期待しているのか、恐れているのか、わからなくなっているエルフリーデだった。
 午後10時過ぎに無事この日の公務を終えた元帥夫妻は、宿泊している部屋へと戻った。
 エルフリーデは、部屋で待機していた世話係の者達の介添えで、化粧部屋でドレスを脱ぎ、髪を解いて化粧を落とすと、後は一人で大丈夫だからと言って、全員に退出を命じた。
 レモングラスのオイルを垂らしたバスタブに浸かり、身体を伸ばして一日の疲れを癒した。
 早朝から今まで、ずっと移動と公務が続き、少し浮腫んだ足を自分でマッサージした。暫くそうした後、シャワーブースで髪と身体を洗うと、もう一度バスタブに浸かってからバスルームを出た。
 とりあえず、掛けてあったバスローブをはおり、寝室に戻ると、サイドテーブルに冷たいミネラルウォーターとグラスが置いてあったので、半分ほど飲み干すと、ふと窓の外に目を遣った。
 眼下には、すっかり夜の景色となった街の灯りが、宝石のように輝き、漆黒の夜空には、満天の星が広がる。
「きれい・・・」
 エルフリーデは、思わずそう漏らし、強化ガラスの窓際に立った。手を伸ばせば星を掴めそうだ。
 エルフリーデが、無意識に右手を伸ばした時、後でドアの開く音がし、サブ寝室のバスルームでシャワーを浴びてきたロイエンタールが腰にタオルを巻いた姿で現れた。
 寝室は、ほぼ正方形に近いキングサイズのベッドのある主寝室と、セミダブルベッドが2つのサブ寝室とがあるが、ごく自然に2人で主寝室の方を使うことになっていた。
 エルフリーデは、彼と目を合わせることができず、再び顔を窓の外に向ける。
「あの星が欲しいか?」
 いつの間にか、後に立ったロイエンタールの声がする。その距離が、熱を感じるほどであることがわかると、エルフリーデは少し身体を強張らせた。
「ええ。欲しいわ。何もかも・・・」
 多くのものを失った自分には、それを埋めるだけの何かが必要だ。
 だから、これ以上失う前に、得なければならないものがたくさんある。
 大学へ行くのもその為だ。
「わかった。お前の望みを叶えてやろう」
 何を冗談をと思った瞬間、後から抱きすくめられた。
 熱い身体を背中に感じて、エルフリーデは身動きができない。
 男の手が、バスローブの襟から差し入れられると、タオル地の布は、ぱさりと床に落ちた。
「見てみろ。お前の中に、星々の大海がある」
 あっ、と息を呑む。
 エルフリーデの白い身体に、強化ガラスに反射した街の灯りと入り混じった星々の煌きが浮かび上がった。
 まるで自分の胎内に宇宙を育んでいるようだ。
 ロイエンタールの腕が乳房と下腹部を覆い、光の海と2人の身体とが一体になっている。
 エルフリーデは、そのまま音もなく抱き上げられると、白いシーツの海に横たわっていた。
 部屋の照明が落とされ、男の身体が近づく。
 また、いつもと同じ行為が始まる・・・・そう思って目を閉じたが、意外にも男はエルフリーデの左腕を丁重に奉ずると、美しい造詣をゆっくりと唇で擦りはじめた。
「お前の願いを叶えてやった」
 男の低い声が響く。
 その示すところは、先ほどの言葉遊びなどではなく、一族を赦免し、関係者を職務復帰させた実利的なことだと、男の行為に黙って身を任せながらエルフリーデは思った。
「今度は、お前に俺の望みを叶えてもらいたい」
 意外な言葉に、エルフリーデは思わず目を開いて男の顔を見た。
 薄明かりの中で、男の表情はよく見ない。たが、青い左目が、なぜか不安そう揺れて見えたのは気のせいか?
「私が? お前のどんな望みを叶えられるというの?」
 エルフリーデは、心底不思議そうに訊ねた。
 今の自分がこの男に与えられるものなど何もない。
 自分が今持っているのは、この男にとって何の価値もない爵位と、流刑地から戻った一族を養うための僅かな資産のみだ。
 逆にこの男は、自身の富と権力と才覚で、得られないものなどないはずである。
 ただ一つ、至尊の地位を除けば。ただ、それは無論、自分などに所望すべきものではない。
 男の身体がゆっくりと重なり、鼻先が触れそうなくらい顔が近づけられると、エルフリーデは、金銀妖瞳に今まで見たことのない焔を感じ取った。
「お前が・・・・欲しい」
 そう言うと、返事を塞ぐように、ロイエンタールは、深く口付ける。
 何を言っているのか、とエルフリーデは、靄のかかる頭で瞬間反発を覚えた。
 この男は、もうとっくに自分を手に入れているではないか。
 自分の身体は、あの初夜の晩から、この男に有無を言わさず奪われ、支配され、侵食されている。
 これ以上、いったい自分から何を欲するというのか?
 エルフリーデの思考を他所に、ロイエンタールは、この2ヵ月間少し緩やかになった彼女の身体の線をゆっくりと追うと、膨らみを増した乳房を愛撫する。
 それは、今までのような征服するような強引さではなく、まるで、今、初めて彼女に触れているように優しいものだった。
「あっ・・・・!」
 エルフリーデは、自分でも聴いたことのない自分の声を聴いた。
 少女特有の甘い嬌声は、一度その唇から漏れると、もう留めようもなく、広い寝台の上で艶かしく響いた。
 ロイエンタールは、その声に更に官能を刺激されるように、彼だけが知る彼女の感じ易い場所をより丁寧に攻め立てた。
 この男は、私の心まで欲しているのか・・・
 ぼやけた頭で、エルフリーデは確信する。
 身体は奪われても、心は屈しない。ずっとそう決心していた。それが揺らぎ始めている。
 自分は、いったい何時からこの男に惹かれていたのだろうか・・・
 エルフリーデ自身にもわからない。
 最初に姿を見た時からだったような気もするし、たった今のような気もする。
 だが、それをどうしても認めたくなかった。
 自分が、この男を愛し、棄てられた女達と同類に堕ちようなどとは、彼女の誇りが許さなかった。
 何よりも、この男に無残に処刑されたエーリッヒを始めとする一族の者達に、ヴァルハラで顔向けできないではないか。
 だが、エルフリーデの身体は、徐々にその頑なな心を裏切りはじめていた。
 何度も繰り返される愛撫に、エルフリーデの心は限界に達した。

 たとえ明日の朝、別れを告げられても、今、私はこの男が欲しい・・・!
 
 そう思った瞬間、エルフリーデは初めて自分から男の背中に手を廻してしがみ付いた。 ロイエンタールは、それを自分の願いに対する彼女の返答と理解し、迷わず自身をエルフリーデの中に沈めていった。
 身体に鈍い電流が走った感覚に、エルフリーデは身を震わせ、更に強く男を抱きしめた。
 無意識に、長い脚を男の腰に絡めると、ロイエンタールの動きが激しさを増した。
 エルフリーデは、背筋を登ってくる未知の恍惚感の中にいた。
 2人は、ひたすらに、互いを貪欲に求め合った。
 やがて、エルフリーデの身体が一瞬強く震え、ぐったりと手足の力が抜けていく時、ロイエンタールは、渾身の力で彼女の身体を抱きしめた。
 男の身体が戦慄し、低い呻きと共に、自分の内部に放たれた熱を感じると、エルフリーデは再び強く男の身体にしがみ付いた。


「どうして、ずっと何もしなかったの?」
 嵐の過ぎ去った寝台の上で、エルフリーデは、ロイエンタールに背を向けた姿勢のままぽつりと訊ねた。
「ん?」
 上体を起こした男は、少し困惑気味な声を出した。
 エルフリーデは、自分が空っぽになってしまったような気がしていた。
 身体だけでなく、心までもこの男に与えてしまった。
 後悔はしていない。
 だが、もう自分には何も残っていないような虚無感が拭えない。
「やり直してやろうと思った。それだけだ」
「え?」
 男の声の意外な真摯さに、エルフリーデは思わず身体を反転させた。
 身を起こそうとしたが、下半身に上手く力が入らない。
 だが、目の前には、いつもより柔らかな輝きを放つ、自分の夫の金銀妖瞳がある。
「自分たちには、結婚に至る過程がないと言ったのはお前だろ? だからやり直してやっただけだ。不服か?」
 いつもの冷笑も皮肉もなく、どこか少年のようなぶっきらぼうな言い草に、エルフリーデは、可笑しくなった。
「もしかして・・、あれがそうだったの?」
 仕事帰りに夕食に行ったり、一緒にオペラ鑑賞をしたり。
 あれがデートのつもり?
 もしかしたら、今日、白いドレスを選んだのも、指輪を贈ったのも、結婚式のやり直し?
 そして、今夜のこれが・・・
「そうだ。気に入らないか?」
 ロイエンタールは、ふいと顔を背けて肯定する。
 この女を性急に手に入れたことには、微塵の後悔もないが、確かに最初の時、自分はあまり優しくなかった。
 エルフリーデは、堪らずに、くすくすと声を立てて笑い出した。
 可笑しくて堪らなかった。
 いったい何をやり直すのやら。
 自分はもうとっくに、この男のものだというのに。
 どうやり直しても、元の少女の自分には戻らないというのに。
 それでも笑いは収まらず、いつの間にか薄っすらと涙を浮かべていることに気づく。
「おい。そこまで笑うことか?」
 そう言って抗議し、脇腹を擽る男の目は笑っていた。
 いつもの冷笑ではなく、ただ純粋に笑った。
 その夜、2人はいつまでもじゃれ合うように、やり直しの初夜を過したのだった。
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