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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(24)
「伯爵夫人、模試はいかがでしたか?」
 客で賑わうへ庭園へ戻ると、ヒルダが、穏やかな微笑で問いながら、フルーツジュースのカクテルが注がれたグラスを手渡した。
「はい。自分ではまあまあだったと思います。今夜、端末に結果が送られてくるので、それで色々と判ると思うんですが・・・」
 エルフリーデは、軽く礼をしながらそれを受取ると、率直に答えた。
「まあ、そんなに早く・・・。やはり私たちの時代よりも、便利になっているのね」
 ヒルダは、ローエングラム政権になってからの情報公開政策に於ける通信インフラの整備が思った以上のスピードで進んでいることに感心した。
 これも、工部尚書にシルヴァーベルヒを抜擢したラインハルトの人材登用の妙だろう。
「ええ、私も、てっきり数日経って文書で郵送されてくるものとばかり思っていましたので、驚きました。これからフェザーンへ発つまでに時間もないので、とても助かりますわ」
「もう、だいたいの進路は決めてらっしゃるの?」
「いいえ。私、正直あまり苦手な科目もない代わりに、これと言って得意とか、大好きなものっていうのもなくて・・・なんだか、最近自分がすごく中途半端な人間みたいな気がしてくるんです」
 エルフリーデは、少し肩を落としながら先輩の顔を見上げた。
「まあ、素晴らしいではありませんか。それだけ、オールラウンダーだということですわ。伯爵夫人、苦手がないということは、選択の幅が広いということです。妥協せず、ご自分が一番興味が持てて、情熱を注げる分野に進まれればよろしいと思います。フェザーンには、帝国にはない学部もたくさんあるそうですから、きっと伯爵夫人のような方に向いている分野があるはずですわ」
「ありがとうございます」
「確か、模試の結果には、受験者の成績から、コンピューターが自動的に適正のある学部をいくつか推薦してくれる項目がありましたわ。それも参考になると思います」
「本当ですか? なにか楽しみになってきましたわ」
 エルフリーデの顔が少し明るさを取り戻した。
 それを潮に、ヒルダが親族らしき男性に声をかけられると、二人は軽く目礼して一旦離れた。
 この日のヒルダの周囲には、ひっきりなしに人が寄って来た。
 次々と現れては去って行く貴族やら官僚やらがやけに多く、それを嫌な顔一つせず、一人一人丁寧に応対している様子に、皇帝でさえ彼女に話しかけるのを躊躇ってしまう程だった。
「随分と忙しいようだな。フロイライン・マリーンドルフは」
 ラインハルトは、努めて自分が不機嫌になっているように聴こえないよう、誰にともなく呟いたつもりだった。
 しかし、常に傍近くに仕え、彼の性格をよく知る者にとっては、そんな取り繕いは全く効果はなかった。
「はあ・・・フロイラインもお年頃故、致し方ないかと」
 少し弱ったようにそう言うシュトライトの言葉の意味が、ラインハルトにはすぐに理解できなかった。
 ヒルダが、若く美しい女性であることは、さすがに彼にも解っているが、次々と彼女と会話を交わしている人間は、若い男が多いとはいえ、既婚者で年配の男もいれば女性もいる。
「旧来、門閥貴族のこうした集まりには、年頃の娘や息子の為に、同じ身分の者同士が自然に知り合う機会を与える意味合いも大きいのです。勿論、個人的に縁談が持ち込まれるケースもありますが、こうした場で自然に出会ったり、紹介されたりして知り合うのを好む方が圧倒的に多いのではと推察されます。フロイラインもマリーンドルフ伯爵家の家門を継続させる以上、然るべき婿を迎え、女伯爵として爵位を継がれる身です。フロイラインよりお若いコールラウシュ伯爵夫人でさえご結婚されたことですし、そろそろ真剣にご結婚を考えるべきと、周囲も思っていることでしょう」
 ブラウンシュバイク公爵家に長く仕え、門閥貴族社会の慣習にも通じているシュトライトは、下級貴族出身で、軍隊の中しか世間を知らない皇帝に、滔々と話して聞かせた。
「では、あの者達は、フロイラインに結婚を勧めているというのか!?」
 ラインハルトは、思わず詰問する口調で険しい視線をシュトライトに向けると、すぐに自分の失言に気付いて、顔を逸らしてしまった。
 後で判明したことだが、美貌の伯爵令嬢には、この日、自薦他薦合わせて数十名の求婚者があったという。
 ヒルダに結婚話があるという事実に、ラインハルトは自分でも驚くほど狼狽していた。
『フロイライン・マリーンドルフが結婚? 結婚すれば、当然今までのように予に仕えることはできなくなるだろう・・・いや、それよりも、あのフロイラインが、誰かの妻になってしまうのか・・・』
 その時、ラインハルトの脳裏を一瞬過ぎったのは、後宮に召されて家を出て行った時の姉の後姿だった。
 他の男のものになるために、自分から去って行く。
 それは、二度と経験したくない喪失感だった。
『そうだ・・・フロイラインとて、いつかは結婚する。そんなのは当たり前じゃないか。ましてあの人は、代々続いた家を守らねばならぬ身なのだ』
 そう理屈で理解しようとしたが、胸の奥から湧き上がる名伏し難い不快感を抑えようもない。
 彼は、いつの間にか、ヒルダとの今の皇帝と秘書官としての良好な関係が、何時までも続くような錯覚を覚えていた自分に気付く。
 少し考えれば、そんなことは有り得ないのは、自明の理であるはずなのに。
 自分も彼女も1年1年確実に年齢を重ね、嫌でも結婚し、子孫を残す義務を果たさなければならない時が迫っているのだ。
 ラインハルトは、見知らぬ男に身を委ねるヒルダの姿を懸命に頭から追い払おうとした。
 最早、動揺の表情を隠そうともせず、押し黙ってしまった主君の横で、シュトライトは、やれやれと溜息を吐いた。
 そこまでご執心なら、何を躊躇っているのやら。
 早いところ皇妃を決めて、皇統の安泰を図ってくれた方が、臣下も国民もどれ程安堵するか知れないものを。
 しかし、それでもシュトライトは、この日、喉まで出かかった言葉を遂に口にすることが出来なかった。
「失礼致します。陛下。ツェルプスト子爵夫妻が、先日の件でお礼を申し上げたいと参っております」
 皇帝と高級副官の気まずい沈黙を破ってくれたのは、宮内尚書のベルンハイム男爵だった。
 もっとも、ラインハルトには、彼の言う「先日の件」というのが即座には思い至らず、少し疑問の目を男爵に向けたのだった。
「はい。去る8月20日に、ツェルプスト家に継嗣の男児が誕生した折、恐れ多くも陛下から祝いのお品を賜りました件でございます」
 素早く主君の意を察した宮内尚書が説明すると、ラインハルトも漸く思い出した。
 但し、彼は、マリーンドルフ伯爵家の縁戚であるこの貴族の家に子供が生まれたという話を侍従長を通して小耳に挟んだ際、自分の名で適当に祝いの品を贈るよう宮内省の事務官に命じただけである。
 一光年未満のことには関心がないと言われるラインハルトは、自分の名で何が贈られたのかさえ知らなかった。
 宮内省次官という名誉職に近い役職で高給を食んでいるツェルプスト子爵は、昨年隠居して家督を譲られた父親が、マリーンドルフ伯フランツと従兄弟同士に当るという縁戚関係にある。
 リップシュタット戦役前夜、リヒテンラーデ派を除いては、ヒルダの説得に応じていち早くローエングラム陣営に与した数少ない門閥貴族の一つであった。
 元は非主流派の、言ってみれば貴族としては二流の家柄だったこの家は、ラインハルト等の勝利と共に、その忠節が存分に報われ、今やローエングラム政権下で我が世の春を謳歌している。
 現在の子爵は、30代前半の端正な青年貴族だった。
 妻は、7年前に娶ったブラウンシュバイク公の一門であるヒルデスハイム伯爵家の娘だが、リップシュタット戦役勃発後も離別することなく現在に至っている。
 但し、今回男児を出産したのは、この子爵夫人ではなく、昨年から傍に置くようになった若い側室だった。
 貴族社会では別段珍しくもないことだし、結婚後5年以上を経過しても正妻に子がないとあっては、致し方ないと考えられていた。
 旧体制下では、復古主義の影響で、生殖医療が著しく退化しており、不妊や死産の原因を医学的に究明するという考え方すらなかった。その為、夫婦が子供に恵まれないと、その責任を一方的に妻側に負わせるという1700年以上前の非科学的な風潮がまかり通っていたのだ。
 ヴェスターラントの一件以来、すっかり「極悪非道な卑劣漢」のイメージが一般国民から貴族階級にまで定着してしまったブラウンシュヴァイク公は、亡き当人ばかりでなく、生き残ったその一族までもが、現体制下では肩身の狭い思いをしている。
 そんな中で、そのブラウンシュバイク公の一門の、しかも有力貴族出身の妻を離縁せず、あまつさえ子も産まないにも関わらずこれまで通り正妻として置いていることで、ツェルプスト子爵を賞賛する声が大きかった。
 しかし、一方で、戦役以前は、格上の家から迎えた妻に頭が上がらず、妻の実家に対して下手に出ていた子爵をよく知る者にしてみれば、文字通り「掌を返した態度」と見えなくもなかった。
 子爵夫人のフレデリーケ本人は、元々実家の権勢を鼻にかけるような女性ではなく、常に夫を立て、献身的に尽くしていたが、政情の著しい変化により、まだ二十代の若さでありながら、側室の産んだ継嗣を立場上祝福しなければならない屈辱に甘んじなければならなかった。
 明るめの金髪に、蒼灰色の瞳を持つ清楚な美女で、子爵の子を産んだ若さだけが取得の側室より数段美しかった。
 もっとも、この子爵夫人は、リップシュタット戦役終結後に、公の場に出てくることはなく、園遊会を主催したヒルダとマリーンドルフ伯も、彼女の姿を見るのは実に3年ぶりのことだった。新王朝の高官夫人でありながら、皇帝の即位式にさえ出ていない。
 公式の場に顔を出さない理由を、表向きは、ブラウンシュバイク公一門出身という自らの出自を憚ってという事になっていたが、本当は、公式行事となればほぼ必ず顔を合わせることになる国家の元勲の一人、ミッターマイヤー元帥との対面を避けていたからである。
 彼女の父、ヒルデスハイム伯は、リップシュタット戦役に於ける最初の大貴族の戦死者だった。
 アルテナ星域会戦時、シュターデン麾下の提督として、感情の赴くままに突進し、ミッターマイヤー艦隊にあっけなく敗れた。
 ローエングラム体制化では、その無謀さ故、無能で自制心に欠ける典型的な門閥貴族の当主として侮蔑的に記録されてきたが、フレデリーケにとっては、娘には優しいたった一人の父だった。父と共に出撃した兄も一緒に戦死している。
 ミッターマイヤー元帥という人物に対しては、周囲で誰一人悪く言う者はいない。
 国家の重鎮で最高の名将でありながら、信義に篤い飾らない人柄だという。偶に目にするニュース映像で見ても、好感の持てるタイプに見える。
 しかし、頭では理解できても、父親を直接殺した人間に笑顔で応じられる自信が、フレデリーケにはまだなかった。
 この園遊会に、夫と共に出てきたのは、そのミッターマイヤーがフェザーンへ先発して不在であることと、密かにもう一つの理由があった。
 気持ちが離れて久しい夫と並んで皇帝の前に進み出、男児の誕生祝いを下賜された礼を述べた時、フレデリーケは、この世の虚しさと、己の存在の無意味を痛感していた。
「お久しぶりです。ツェルプスト子爵夫人」
 友人達と談笑している夫の傍で、憂いを帯びた瞳を伏せるフレデリーケに近づく人物がいた。
「まあ、エルフィー、大きくなって・・・こちらこそ、私の方からご挨拶に伺わなければならないと思ってましたのに・・・」
 そう言って、懐かしむように、フレデリーケは、この日初めてほんの少しだけ笑顔を見せた。
 エルフリーデに会うことが、すっかり出不精になった彼女が園遊会に出たもう一つの理由でもあった。
 二人は、年齢は離れていたが、同じスケートクラブに所属していた縁で、フレデリーケの結婚式の際、エルフリーデは、花嫁のベールを持つ介添え役の少女の一人を務めた。
 本来なら、個人的な付き合いの上でも、宮内省次官の夫人という立場上からも、フレデリーケには、ロイエンタール元帥夫妻の結婚式に出席する義務があったが、やはりミッターマイヤーの存在が壁となって決心できなかった。
 フレデリーケは、結婚式に欠席した不義理を詫びると、「お幸せそうで何よりです」と心からエルフリーデを祝福した。
 深い悲しみを湛えたようなブルーグレーの瞳で見詰められた時、エルフリーデは胸を突かれるような思いがした。
 エルフリーデの記憶にあるフレデリーケ・フォン・ヒルデスハイムは、溌剌とした快活な美少女だった。
 小さな後輩達の面倒見もよく、エルフリーデは、10歳以上年上のインストラクター資格も持つ彼女から、コンパルソリーやスピンの指導を受けたこともあった。
 環境や立場が、これ程に人を変えてしまうのだろうか。
 彼女の父親は、確かに、軍人としての実戦経験もないのに、ミッターマイヤー艦隊に挑むという愚を犯し命を落とした。艦隊司令官としては無能であったのは間違いないのだろうし、領民を治める領主としても名君だったという話もきいたことがない。
 しかし、だからといって娘のフレデリーケまでが、自身の存在を否定されるような扱いを受けていいはずがない。
 7年前、まだ9歳だったエルフリーデにとって、フレデリーケは、この世の幸せを一身に受けた花嫁に見えた。新郎の令息も、心から彼女のことを愛しているようだった。
 エルフリーデは、同じ年頃で、同じように子供のいないミッターマイヤー夫妻を思い出す。
 世の中には、きっと二通りの男がいるのだろう、とエルフリーデは思う。
 時と共に気持ちが変わる男と、ずっと一人の女性を愛し続ける男と。
 そして、自分の夫となった男は、典型的な前者だろうと思えた。しかも、その変わるサイクルが他者に比べて著しく短い。
 エルフリーデが、そんな思いに耽っていると、同級生達が近づいてきた。先日の夜会の折、ヒルダに頼んで特別に招待してもらった友人達だ。
「ごきげんよう、エルフィー。今日は本当にありがとう」
「あなたのお陰で、フロイライン・マリーンドルフともお話する機会を得られたわ」
 彼女達の殆どは、ロイエンタール邸での夜会の際、ファーレンハイトやビッテンフェルトを目当てにしてきたものの、あえなく撤退することになり、代わりにフェルナーやベルゲングリューン等に目を付けている者や、果敢にもミュラーに挑んでいる者達だった。
「どういたしまして。私ももうすぐフェザーンへ行くことになるから、もう一度みんなに会えて嬉しいわ」
 エルフリーデがにこやかに応えると、友人の一人が自分の携帯端末を取り出して、いきなり保存していた立体映像を投影させて見せた。
「やっぱりぃ〜、新婚ですものねぇ・・・当然フェザーンへ一緒に行くと思っていたわ」
「そうよねぇ、片時も離れていたくないのねぇ」
「いいなぁ・・・早く私も結婚して、こんな風に愛されたいわ」
 現れた立体映像は、一昨日のオペラ座でのもので、演目の終了後に、何度も口付けを交わす帝国元帥夫妻の美しい姿だった。
「な、何なの? これは?」
 エルフリーデは、瞬時に耳まで赤くなって、思わず甲高い声を上げた。
「何って、あなたと旦那様のラブラブ映像じゃないの」
「このドレスも首飾りもステキねぇ」
 口々に感心してみせる友人達に、エルフリーデは、こんな恥ずかしいものを誰が撮っていたのかと憤慨し、とにかく早々に削除して欲しいと頼んだ。
「何を言っているの? これ、もう、昨日中に全宇宙に向けて配信されているのよ」
 事も無げに言う友人に、エルフリーデは絶望的になった。
 あの時は、オペラに感動して気持ちが高揚していたので気に留めなかったが、帝国中の人間が、自分とあの男とのこんな姿を見ていたと知って、暫く他人と顔を合わせるのが嫌になってしまった。明日から行くことになってしまった公務を兼ねた新婚旅行も気が重い。
「ロイエンタール元帥って、こういう動作も様になってるのねぇ」
「ほんと、映画のワンシーンみたいだわ」
「あら、そこらの俳優なんか目じゃないくらいカッコイイわよ」
 エルフリーデの気持ちを他所に、友人達は尚この話題で盛り上がっている。
 暫くして、エルフリーデは、井戸端会議から漸く開放されると、真っ先に夫の姿を探した。
 あの男に注意しなければならない。
 あんな恥ずかしい映像を撮られるのは、金輪際ごめんだ。
 エルフリーデは、ロイエンタールを見つけると、テラス脇の人気のない場所に引っ張るようにして誘い、先ほど見せられた映像の件を知らせた。
「何か問題でもあるのか?」
 意気込んで忠告する幼妻に、漁色家の夫は平然と言って白ワインのグラスを呷った。
「大ありだわ。あんなものが出回って、お前は恥ずかしくないの?」
「何が恥ずかしい? 夫婦なんだ。他人に非難されることではあるまい」
「そういう問題じゃないわ。とにかく、もう二度と人前であんなことをしないで。いいわね?」 
 エルフリーデは、それだけ言うと、憤懣やるかたない様子で、背中を向けて去っていった。
 ロイエンタールは、深く嘆息して、その後姿を見送る。
 自分の思いが悉く空回りしている感が否めない。女性を相手に、まして年齢が半分の幼妻相手に、この戦況の悪さは、彼のこれまでの人生で未曾有の経験だった。
「相変わらず、お仲がよろしいようですね」
 そう声をかけてきたのは、崇拝者の娘達の包囲網からやっとのこと抜け出してきたナイトハルト・ミュラー上級大将だった。
「皮肉か? 見ての通り、伯爵夫人には、小官如き卑賤の者のすることがお気に召さないらしい」
 そう言って、脇の小テーブルにあった白ワインを僚友のグラスに注いでやりながら、ロイエンタールは自嘲ぎみに薄く笑う。
「いいえ、本心からです。何と言うか、そのう・・・元帥と伯爵夫人のように、短い時間で互いの壁を越えられるような相手と結婚できる幸運に恵まれる人間は、数少ないのではないでしょうか・・・」
 どこか寂しげな表情で、生真面目にそう応えるミュラーに、ロイエンタールは思わず苦笑してしまった。
「幸運か・・・。俺はともかく、あの女にはどうだかな。あの女が俺と結婚することになったのは、元はと言えば不運が重なった結果だ。もし、ほんの少し何かのタイミングがずれていたら、あの女は下級貴族の俺なんぞ眼中になかったはずだ」
 これは、彼の本心だった。
 もし、別の時間軸の平行世界が存在するならば、自分とエルフリーデの人生が交わることはなかったはずである。彼女が本当に結婚したかった相手は別にいたのだから。
 自分達は、所詮その程度の薄い縁の夫婦だ。
 ロイエンタールの方には、自分は確かにエルフリーデを欲して、彼女を手に入れたという思いがあったが、エルフリーデの方は決して彼個人を望んではいなかったという絶望的なまでの自覚がある。
「元帥・・・!」
 そう答えたミュラーの声に、どこか非難が含まれている気がして、ロイエンタールは思わずグラスを口に運ぶ手を止めた。
「何か気に障ったか?」
「いえ、そうではありません。ただ、私は、元帥が羨ましいです。どんな偶然の結果にしろ、縁があればこそ、夫婦になれたのではないかと私は思います。どうか、その縁を大切になさって頂きたい」
 ミュラーは、静かだが強い口調でそう言うと、つと視線を中庭の招待客達の集団へ向けた。彼の視線の先には、夫と並んで他の客達から次々と継嗣誕生の祝いの言葉を受ける、フレデリーケの楚々とした姿があった。無論、ロイエンタールにはそれは判らなかったが、目の前の僚友が、何か複雑な思いを抱えていることは察しがついた。
 そう言えば、この誠実で有能な男には、全く浮いた話が聞こえてこない。いかに軍務で多忙とはいえ、若く独身で見栄えもいい男が、考えて見れば不思議な話である。
 同僚達の間で、ミュラーについて唯一耳にしたことのある艶めいた噂と言えば、「中尉時代に手痛い失恋をしたらしい」といった程度だ。
 二十代で軍最高幹部に登り詰めるスピード出世を遂げた彼の中尉時代と言えば、任官間もない6、7年前の話のはずだった。
「元帥。世の中には、その偶然の幸運にさえ恵まれない人間もいます。私などがこんなことを言える立場ではありませんが、どうか、この縁を大切になさって下さい。どんな形であれ、あなたがあの伯爵夫人とご結婚されたことには、きっと何か意味があるはずです。私には、そう思えます」
「卿の忠告は、有り難く受けておこう」
 ロイエンタールは、そう言って右手を差し出すと、二人は軽く握手を交わしてその場を離れた。


 ロイエンタール元帥が羨ましい。
 これは、ミュラーの心の底から搾り出された本心だった。

 もし、あの時の自分に、今の地位があったら・・・

 彼は、フレデリーケの姿を遠目に眺めながら、7年前のあの頃へと思いを馳せる。
 それは、彼にとって唯一とも言うべき、切なくも甘い思い出だった。

 帝国歴483年夏、当時、駐在武官としてフェザーンに赴任していた22歳のミュラー中尉は、独身時代最後のバカンスをかの地で過す為にやってきた2歳年下のフレデリーケ・フォン・ヒルデスハイムと出会った。
 彼女の母方の親族に当る高等弁務官レムシャイド伯から、滞在中の令嬢の警護を担当する部隊の指揮を任されたことが切っ掛けだった。
 当初、貴族の我が侭娘のお守など気が重い仕事だと思っていたが、初対面の挨拶を交わしたフレデリーケは、平民のミュラーに丁寧な態度で接し、他の警護の下士官達にも腰が低くかった。
 一目見た瞬間に惹かれ合う、ということが本当に存在するのだと、若いミュラーはこの時初めて感じた。
 二人は出会った瞬間に互いを意識していた。
 彼は、約1ヶ月間、影のようにフレデリーケについて、フェザーンの各名所を巡り、その間、彼女の人柄に触れるにつけ、益々惹かれていったのだった。
 フレデリーケと過した時間は、これまで軍の中の世界しか知らず、これと言った趣味もないミュラーにとって新鮮な発見の連続だった。芸術やスポーツに造詣の深い彼女と一緒に様々な施設を廻ることで、ミュラーは思いがけず若い感受性を刺激された。
 多分、彼女も自分に好意を持ってくれているはずだと、ミュラーは確信できた。
 だが、どれほど惹かれ合っていようと、当時の帝国社会の中で、いかに将来を嘱望されている士官とはいえ、平民の身分のミュラーと、伯爵令嬢のフレデリーケが結ばれることは、決して有り得ないことだった。
「今日でお別れですね。1ヶ月間ありがとうございました。とてもいい思い出になりましたわ」
 オーディンへの帰途に着く日、軌道エレベーター乗り場で見送るミュラーに、フレデリーケはそう言って、右手を差し出した。
 この時交わした握手が、彼が彼女に唯一触れた時間だった。
 抱きしめることも、口付けを交わすこともなく、こうしてミュラーの恋は終わりを告げたのだった。
 二人共、自らの立場を充分に弁えており、決してそれを越えようとは考えなかった。
 後になって思えば、それが自分の器の限界だったのだろう。ミュラーはそう思い込むことで自分を納得させようとしていた。
 フレデリーケに婚約者がいることは、事前に知らさせており、彼女の口からも、決して不本意な結婚ではないことを聞いていた所為もあったのかもしれない。
 貴族令嬢の全てが、親に決められた相手と政略結婚をしたり、当人の意思を無視して後宮に納められるわけではなく、殆どの場合、おおよそ身分や家柄のつり合う相手と平凡な見合い結婚をする。
 フレデリーケの結婚も、狭い選択範囲の中で当人同士が気に入り、納得した上での縁組だったはずだ。
 彼女の実家が、リップシュタット戦役で門閥貴族派に属して滅びたことも、嫁ぎ先がマリーンドルフ家の縁戚で、枢軸派に属して本人が無事であることもミュラーは知って密かに安堵していたものだった。だから、今のフレデリーケが幸せなら、ミュラーは今日、彼女に一言声をかけるつもりだった。青春の一時期の、美しい思い出を共に懐かしむことができれば、自分もずっと心にかかっていた彼女への思いから開放されるかもしれないと思ったのだ。
 しかし、7年ぶりに見るフレデリーケの姿に、ミュラーは一瞬言葉を失った。
 太陽のように明るく、活動的だった娘の面影は全く失われ、少し面窶れした儚げな貴婦人が、感情を押し殺した表情で立っていた。
 側室が出産することなど、貴族社会では、よくある話で、彼らの価値観では別段不幸ではないのかもしれない。しかし、他の女が、自分の夫の子供を産むという事実に、全く心が痛まない女性がいるだろうかと、平民出のミュラーはつい考えてしまう。

 もし、あの時の自分に、今の地位があったら・・・

 下級貴族出身のロイエンタール元帥が、伯爵令嬢と結婚すると知らされた時、彼はそう、真っ先に思った。
 やめよう。未練たらしい。と、ミュラーは自身を叱咤した。
 彼女と自分とは、所詮、それまでの関係だったのだ。
 それが、自分の運命なのだ。
 結局この日、ミュラーは遂にフレデリーケと一度もまともに顔を合わせることが出来なかった。


 ロイエンタールとエルフリーデは、皇帝とマリーンドルフ父娘に挨拶を済ませると、園遊会を早めに切り上げて帰途に着いた。明日から出かける公務兼の新婚旅行の準備の為だった。
 地上車の後部座席に並んで腰掛け、車が動き出すやいなや、エルフリーデはいきなり隣の夫に腕を捉れ、身体を強く抱き寄せられた。驚いている間もなく、唇を重ねられ、舌を絡め取られる。
「何するの!?」
 やっとの思いで少しだけ男の体を押し退けると、エルフリーデはきつい眼差しで抗議の声を上げた。
「人前でするなと言ったのはお前だろ?」
 ロイエンタールは、幼妻を抱く腕を緩めることなく低い声で囁いた。
 エルフリーデは、またも憤慨したが、相手には全く伝わっていない。
 確かに人前でするなとは言ったが、かと言って人前でなければいいという意味ではない。
 ミュラーの言葉に背を押されたわけではないが、ロイエンタールは、幼妻の華奢な身体の感触と、甘い香を楽しみながら、この何日か抑えていた欲求を少しばかり発散させることにした。
 クリーム色の髪を撫で、柔らかな唇の感触を味わいながら、ゆっくりと舌を愛撫する。
 今まで、強引で貪るように感じていた口付けが、今日は優しく、甘い。
 エルフリーデは、次第に身体の力が抜けていき、いつの間にか自然に夫に身を委ねていた。
 ロイエンタール邸と、マリーンドルフ伯爵邸とは、ランドカーで20分前後の距離だったが、ロイエンタールは、車が自邸の前に到着し、ドアが開く寸前までエルフリーデを抱きしめる腕を緩めなかった。
 エルフリーデは、少し呆けたようになって、夫に抱えられるようにして、開かれた玄関ドアを潜った。
「伯爵夫人は、少し酔われたらしい」
 ロイエンタールは、そう言って妻を侍女達へ引き渡すと、さっさと自室に入って残務処理を始めた。
 エルフリーデは、またもやこの男の真意が計りかねて首を傾げる。
 自室に戻ったエルフリーデは、早速、明日着て行くスーツや帽子、靴のチェックを侍女達と始めた。
 向こうで臨むパーティーで着用するドレスも、念のため、予備を含めて3着用意した。公務の他は、プライベートな時間なので、あちらの気候に合わせたゆったりとした楽なワンピースやサマードレスをトランクに詰める。
 エルフリーデにしてみれば、あの男と二人きりで4日も過すなんて、ちょっと想像できないが、どうせ二人でいても退屈するだけだろうと、受験勉強をするつもりで、携帯端末に参考書や辞書のソフトをインストールした。
 夕食を済ませると、端末から耳障りのいい電子音が聴こえ、昨日受けた模試の結果が伝送されてきた。
 結果はだいたい予測通りで、エルフリーデは、文系、理系共に成績に偏りがなく、選択した科目で受験できる大学ならば、ほぼどこでも合格圏内だった。
 適正診断でも、文系では法学、経済学、文学から情報処理系まで、理系でも大学によっては、医学部でも十分合格圏内のところもあったし、工学科系や、自然科学系にも適正があった。
 具体的な大学名や学部名の記載欄には、フェザーンの最高学府であるフェザーン帝国大学にも合格圏内の学部がいくつかあり、学科試験のみの判定では、オーディンの士官学校は、彼女にとって滑り止めレベルであるらしい。
 まさに、リヒテンラーデ一族の本領が発揮された結果と言えたが、逆にこれは、志望を絞るのに本人を悩ませることとなった。
 ヒルダは、自分の好きな分野に進むのが一番だと言っていたが、エルフリーデには、最初から文学や芸術関係などに進む考えはなく、卒業後に収入に繋がり易い実学系の学部を選ぶつもりだった。
 ただ、法律学にしろ経済学にしろ工学にしろ、あまりにも漠然としていて、今ひとつピンとこない。
 そんな中で、ふと適正率90%以上として推薦されている中に、フェザーン帝国大学の「総合研究学部地球学科」という文字が目に入った。
 一昨年新設された学科らしいが、総合研究学部自体が文系でも理系でもないことから、どちらの素養も必要とされる難関らしい。
 通常、新設学科は、既存学科に比べて入試レベルが低くなりがちだが、この学科は例外的で、卒業後の需要が高いところから人気らしい。その代わり、入試科目が多く、オールラウンダーであることが求められる。
 エルフリーデは、耳慣れないこの分野に興味を持った。
 端末を外部情報取得接続に切り替えると、早速情報を得ることができた。
「地球学」とは、近年、正確にはローエングラム政権になってから付けられた名称で、別名ルネッサンス(再生)学とも言われている。
 一言で言えば、13日間戦争以前の地球の先進文明地域のテクノロジーを発掘翻訳し、各専門分野に割り振って再現させることを目的とするものである。
 その対象は多岐に渡り、医学、理学分野は言うに及ばず、立法、経済の社会科学分野から、文学、スポーツ、芸術にまでと幅広い。
 エルフリーデが先日観劇したオペラも、再生学の成果の一つと言える。
 ローエングラム王朝の各省には、この地球学の専門家を配置する部署があり、退化してしまった人類の叡智を復活させるプロジェクトが着々と進んでいるという。
 フェザーン帝国大学の卒業者は、各省庁共に、キャリア採用され将来国政に携わる可能性のある幹部候補だが、多くの民間企業にも高給で採用される。
 エルフリーデは、この学科に大いに興味を持ち、志望する方向へ急速に気持ちが傾いていった。
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