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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(23)
 エルフリーデは、8時45分に、1時限目の現代帝国語の試験を終えると、誰にも話しかけられないうちに席を立ち、2時限目のフェザーン語の試験会場である別棟の教室へと移った。
 各時限の間に、移動と休憩に充てられた時間は、昼休みの75分休憩を除いては、15分しかないので、2時限目の教室に入った時には、試験開始まで7分を切っていた。
 エルフリーデは、持ってきたフェザーン語の参考書に没頭しているふりをして、周囲の男子学生達に話しかける隙を与えなかった。
 2時限目のフェザーン語の筆記試験を受けた後は、視聴覚室へ移動し、3時限目のフェザーン語のリスニングテストを受けた。続く4時限目は再び移動し、今度はスピーキングテストである。ここまでで、午前中の部は終了し、フェザーン語の語学力に重点を置いた進路先の学生は、ここで模試を終了する。
 時刻は午前11時45分。
 これから75分間の昼休憩を挟んで、13時00分から午後の部が始まる。
 休憩時間は、学内数箇所に設けられたカフェテリアで昼食を摂るのが普通だが、ヒルダの話を聞いていたエルフリーデは、あえてそれをせず、昨夜から執事に簡単なランチボックスと飲み物を用意するように頼んでおいて、今朝それを持参した。
 次の試験の部屋に一番近いカフェテリアで、優雅にランチボックスを広げた女子学生に、昼食を奢って、親しくなるという型に嵌った出会いを期待していた多くの男子学生が、密かに失望の声を上げていた。
「あの・・こちら、よろしいでしょうか?」
 それでも性懲りも無く寄ってきて、何とか彼女の近くの席に陣取ろうという男は後を絶たず、エルフリーデは、あっという間に、10人程の男子学生に囲まれて食事をすることになってしまった。
「ねえ、君、今日は、何時限目まで受けるの?」
「最終の10時限目までですわ」
 隠すことでもないので、つい答えてしまうと、周囲の男達に、自分も10時限目までだから車で送っていくと言い出す者が続出した。
「嘘をつけ! お前は7時限目で終わりのはずだろ」
「お前こそ、自分の車なんか持ってるのかよ」
 醜い争いを始める男達を尻目に、エルフリーデは、黙々とアイスカフェオレを飲みながら、ロイエンタール家のコックが作ってくれたサンドイッチとソーセージを口に運んでいた。
 その間にも、様々な質問が飛び交った。
「ご趣味は?」
「お好きな音楽は?」
「もう、社交界にはデビューされたのですか?」
「我が家は、マリーンドルフ伯爵家の縁戚なんです。明日、皇帝陛下も招いた園遊会があるのですが、よろしければ、ご一緒しませんか? 陛下の行幸とあって、警備が厳しくて、なかなか普通では入れないのですが、僕と一緒ならフリーパスですよ」
 先ほどの、一番遊びなれた風な学生が、自信満々で誘ってきた。
 今のご時世、貴族社会では、マリーンドルフ家のブランドは絶大だったし、園遊会は招待されるだけでステイタスだ。ここで大抵の娘は落ちる。
 青年の周囲の男達は、「ちぇっ」と舌打ちして顔を背ける。
 今や国務尚書と皇帝首席秘書官を輩出しる帝国きっての権門の名を出されては、並の貴族に勝ち目は無い。これが彼等の新たな常識だった。
 だが、目の前でつんと座している赤毛の少女には、それは通用しなかったらしい。
「結構ですわ。私も丁度、招待を受けておりますので」
 エルフリーデがそう言うと、男子学生達が一斉に驚きの目を向けた。
「それは、ご両親とご一緒にですか?」
 別の学生が問う。
「いいえ、夫とですわ」
 エルフリーデは、周囲の空気が凍りつく音を確かに聞いた気がした。
 とにかく目立たないようにと、結婚指輪も外してきたのだが、この一言は五月蝿い男達を追い払うのに、絶大な効果を発揮した。
「・・・ご結婚・・・されていらっしゃるんですか? そのお若さで」
 諦めの悪い輩が、尚も確認する。
「ええ。ついこの前ですが」
 エルフリーデがとりすましたまま答えると、群がっていた男達は、とっくに食べ終えているトレーを持ち上げて、ゆっくりと席を立ち始めた。
「ちぇっ、中古かよ」
 誰かがぼそりと呟きながら離れて行く。
 エルフリーデは、ズキリと来るものを感じたが、辛うじて怒りを顔に出さずに、味のしなくなった最後の一切れのサンドイッチをカフェオレと共に胃に押し込んだ。
 処女性を重んじる帝国では、どんなに若く美しくとも、一度他の男の手垢の着いた女は、著しく価値が下がるという風潮が定着していた。
 新王朝に代わり、社会全体に新しい気風が蔓延していると言っても、こうした昔ながらの男性優位の価値観がいきなり変わるわけではなかった。
 エルフリーデは、昼食を終えると、化粧室に入り、少しメイクを直すと、気を取り直して5時限目の教室に入った。
 相変わらず女子学生の姿は少なく、全体の一割もいない。
 フェザーンに行けばもっと多いのだろうが、先ほどの腹の立つ男子学生達を思い出すにつけ、この状況は、嘆かわしいと思った。
 あんな女の尻を追いかけるしか脳のない男達なら、貴族女学院には、もっと優秀な大学で学ぶに相応しい女生徒が大勢いたはずだ。なのに、彼女達のほぼ全員が、上級科を卒業するのみで、嫁いでしまう。
 これは、人的資源の無駄ではないか?
 一方、フェザーンや同盟では、女性が大学で学んだり仕事に就くのは、珍しいことではなく、同盟に於いては、士官学校でさえ2割以上の女性士官候補生がいるという。
 今まで帝国の制度や社会風土に疑問など持ったことのないエルフリーデが、初めて抱いた帝国社会に対する反発だった。
『フロイライン・マリーンドルフは、こんな中で大学生をやってたのね・・・』
 改めて、いかにヒルダが先駆者であったかを実感した。
 自分の席に着いたエルフリーデは、また参考書を開いて没頭しているふりを決め込んだが、それでもまた新たな男子学生が話しかけてくる。
 エルフリーデは、余程、先ほどのように、自分が既婚者であることを言ってやろう思ったが、なぜかそうしなかった。
「中古」という心無い言葉にこれ以上傷つきたくなかったのかもしれない。
 5時限目の数学は、受験科目にない大学を志望する者は受けず休憩するが、エルフリーデは、最終の10時限目まで休みはない。
 6時限目と7時限目は、社会科に充てられており、エルフリーデは、地球史と近代経済を選択した。
 この頃になると流石に疲れが出てきて、思考力も鈍ってくるものだが、最初から覚悟をしていただけに、気力で乗り切った。
 8時限目と9時限目は理科で、こちらもそれぞれ生物と化学を選択した。
 最後の10時限目は、午後6時に始まり、一番選択肢の広い教養科目だった。設問の殆どが論述形式という最も記述力や思考力が試されるものだが、エルフリーデは、これに音楽史を選んだ。
 最後の終了の鐘を聴くと、受験生達は、溜息と共に一斉に机にへたり込んだ。
 エルフリーデも、全てを終えた充実感と疲労感とで、暫く呆然と動けなかった。
 1万人以上の今日の受験者の中でも、1時限目から10時限目まで全て通しで受けるのは、彼女を含めてさすがに少なかった。現に受験者の3割は午前中で引き上げ、残りの半数も6時限目で終えている。午前中の語学は受験せず、午後から受ける者も3千名ほどいると聞いていた。学力だけでなく、体力勝負でもある一日だった。
 力は、出し切れたと思う。
 思ったより手ごたえは良かった。
 後は、明日の夜、携帯端末に送られてくる結果を見て今後の進路を判断しようと思う。文書での郵送よりも1日結果が早く判るのも助かる。エルフリーデは、あらためて携帯をプレゼントしてくれた友人達に感謝した。多分、自分のことだから、ああでもされなければ、まだ当分、自分用の携帯など持たなかっただろうと思われた。
 試験を終えた学生達が、バラバラと教室を後にする足音で我に返ったエルフリーデは、慌てて自分も後に続くと、すっかり陽の暮れたキャンパスに出た。
 門の前では、大勢の受験生が、無人タクシーを待つ列を作っている。
 貴族らしき学生が、少し離れたところで迎えの車を待つのも目に入った。
 エルフリーデは、迷わず無人タクシーの最後尾に並んだ。
 今日一日、自分は別人なのだ。
「フロイライン、どうぞ、ご自宅までお送りしましょう」
 突然、目の前に派手なスポーツカーが停まり、7時限目の試験で隣にいた男子学生が運転席から声をかけてきた。
 駐車スペースの都合上、受験生は自家用車での来場を禁止されているので、わざわざ一旦帰宅してからまた来て待ち伏せしていたのだろう。
「すみませんが、結構ですわ。お気持ちだけ有り難く頂きます」
 エルフリーデは、精一杯丁重に断ったつもりだったが、門閥貴族の子弟らしい相手には、通用しなかった。
「でも、このままだと小1時間は並びますよ。僕は、あやしい者ではありません。祖父は典礼尚書を務めたこともありますし、母は、マリーンドルフ家の遠縁に当ります」
 そう言って、更に自分の身分証を得意げに見せようとする青年に、エルフリーデは、またかと嘆息した。
 叔父のゴットルプ子爵もそうだが、門閥貴族など家系をたどればどこかで繋がっており、その気になればいくらでもマリーンドルフ家の親族など名乗れる。この青年も、案外、3、4年前は、ブラウンシュバイク公の縁者だとでも言っていたかもしれない。
「本当に、結構ですわ。私は無人タクシーを待ちます」
 再度の拒絶に、スポーツカーの青年は、プライドが傷ついたのか、少しムッとした顔で車を降りると、助手席の扉を開き、エルフリーデの手をとった。
「さあ、遠慮なさらずに」
 強引に車に押し込もうとする男に、エルフリーデは、激しい拒否反応を覚えて、強く手を振り払った。
「結構ですと申し上げているでしょう? お帰り下さい」
 思わず声を荒げて拒絶する様に、今度は、無人タクシーを待つ列に並んでいた他の男子学生数名がナイト役を買って出た。
「おい、嫌がっている女の子に、みっともないぞ」
「そうだ、そうだ。家柄ひけらかしたって、もう通用するご時世じゃないぞ」
「そうとも、何なら憲兵隊にでも通報してやろうか? マリーンドルフ家の名前を笠に着た貴族の息子が、嫌がる女の子を無理矢理車に連れ込んだってな」
 平民か下級貴族と思われる男子学生達が、数の優位で、ここぞとばかりに責め立てた。
「くっ・・・」
 今度はスポーツカーの青年の方が分が悪い。
『まずいわ・・・』
 エルフリーデは、何時の間にか自分の周囲に人垣が出来て騒然となってしまったことに狼狽した。できるだけ目立たぬよう、名前を借りた友人にも迷惑がかからぬよう注意してきたつもりが、どうしてこうなってしまうのか?
 ここで血の気の多い若い男達が喧嘩でも始め、警察が駆けつけたりすれば、何もかも水の泡だ。
 その時、一台の大型地上車が、人垣をかすめ、停車中のスポーツカーを迂回して、その直ぐ前でゆっくりと停車した。
 軍の紋章が、高官の専用車であることを示している。
 一触即発で沸騰していた若者達の頭が、一気に冷却した。
 運転席の隣のドアが開き、見覚えのある佐官の制服の青年が降りてきて敬礼すると、二列シートになっている後部座席の前部のドアが開いた。後部の奥に座している人物の姿は、特殊ガラスの窓からは、若者達に見えなかった。
「お迎えに上がりました。伯爵夫人」
 レッケンドルフ少佐の言葉に、迎えなど頼んだ覚えの無いエルフリーデは、多少不本意な気がしたが、それでも、この場は一刻も早く立ち去るのが最良であると判断した。
「ご苦労様です」
 美しい赤毛の少女は、それだけ言うと、呆気にとられている同世代の若者達の前を、優雅な足取りで横切ると、軽やかに高級車の中へと吸い込まれていった。


「ふん、やはり青二才どもにからまれていたか」
 ゆっくりと走り出した車内で、ロイエンタールは、ぽかんとした顔で見送る若者の集団を、窓越しに見ながら、薄く笑った。
 お前達ごときが、この女に触れようなど百万年早い。
「お前に迎えなど頼んだ覚えはないわ」
 エルフリーデは、眼鏡を外すと、対面式の座席で、斜め向かいに座る夫にきつい目線を送った。
 前部の運転席部分とは、完全に仕切られており、会話はいっさい漏れない。
「そう言うな。あそこで騒ぎにでもなれば、せっかくのお前の変装も無駄になるだろ」
 そう言われてしまっては、反論の余地が無い。
 エルフリーデが、無念そうに口を噤むと、漸くロイエンタールの脇に似つかわしくないものが置かれていることに気付いた。
 彼の隣には、淡いピンク色の薔薇の大きな花束と、有名な高級菓子店のケーキの箱が置かれていた。
 ロイエンタールは、花束とケーキを黙って向いの席に座る妻へ手渡した。
「何のつもり?」
「たまたま通りかかったら、統帥本部の近くに花屋があった。ケーキの方は、一日頭を使って、脳みそが糖分を欲しがってると思ってな。別に深い意味はない」
 険しい顔で問う妻に、ロイエンタールは淡々と応えた。
 エルフリーデは、不信げな表情を見せながらも、黙って両方を受取った。
 薔薇は、彼女が好きな色だったし、丁度あの店のレモンパイか、チョコレートムースを食べたいと思っていたところだったからだ。
『もしかして・・・ミッターマイヤー元帥の真似してるの?』
 エルフリーデは、ふと思いついて、車窓に視線を遣る夫の横顔をまじまじと眺めてしまった。
 先日、ミッターマイヤー家で会食した時の会話を思い出したのだ。
 ミッターマイヤー元帥は、夫人に求婚した時、本来は相応しくない黄色い薔薇の花束とケーキを買って贈り、見事にプロポーズを成功させたという。
 かなり後になってから、黄色の薔薇の花言葉を知り、あの件は笑い話になったという話題になったところ、エルフリーデは、エヴァンゼリンに、「伯爵夫人は、何色の薔薇がお好きかしら?」と訊かれた。
 エルフリーデは、深く考えずに、品種は知らないが、少しオレンジがかったピンク色の薔薇が一番好きだと答えた。
 エヴェンゼリンは、私は以前は薔薇は、白か赤が好きだったが、あの日以来黄色の薔薇が一番好きになり、ケーキは素直に嬉しかったと言って笑った。
 エルフリーデは、まさかこの男が、あんな他愛のない会話をいちいち覚えていたとは思えなかったが、芳しい薔薇の香りを抱きながら、一日の疲れが癒される気がしていた。
 車は、気付くと軍の高級士官用官舎の前で停まっていた。
 ロイエンタールは、インターホンごしに、レッケンドルフを労うと、官舎の門の前で敬礼を返すレッケンドルフに見送られながら、再び車は動き出した。
 午後8時少し前に邸に帰り着くと、エルフリーデは、出迎えたシュヴァイツァー夫人と侍女に、花束とケーキの箱を手渡した。
 エルフリーデは、一旦自室に入ると、乾燥ぎみで少し痛くなったカラーコンタクトを外し、簡素なワンピースに着替えただけで、赤毛の髪のまま食堂に現れた。
 大きなテーブルの中央には、先ほどの薔薇の花束が、豪華な花瓶に麗々しく飾られている。
「なかなかいい色だな」
 先に来て、既に白ワインを2杯ほど空けていたロイエンタールが、席に着こうとするエルフリーデの後に編みこんだ髪の先端を掴んで言った。
「ええ、私も予想以上に似合っていると思っているの。これからは、フェザーンでも、一人で外出する時はこの姿で行くつもりよ」
 エルフリーデは、立ち止まり、振り返ることもなく、つんとして言った。
 ロイエンタールは、幼妻の艶やかな赤毛の一房を、弄んでいる。
「まあ、今日のようなことにならないよう、ぜいぜい気をつけることだな」
 そう皮肉に聞こえる声で言って手を離す瞬間、ロイエンタールが、そっと髪に口付けたことを、エルフリーデは見ることが出来なかった。


 9月3日昼、国務尚書マリーンドルフ伯爵邸では、3年ぶりに園遊会が開かれた。
 皇帝を始め、文武の高官と帝都の主だった貴族が一同に揃うマリーンドルフ家のこれまでの歴史の中でも、最大規模のものであったが、近い将来のフェザーンへの遷都が確定していることを鑑みると、おそらくこれが、オーディンの邸で催される最後の園遊会になると思われた。
 後日、マリーンドルフ伯爵フランツは、将来を見据えて、雇用の継続を条件に、全ての領地惑星と荘園を皇帝に返上することを申し出て許可されている。
 所有する多くの不動産や企業の株券も寄贈し、残したのは、僅かな現金資産と思い出深いこの上屋敷と、少数の使用人達だけであった。
 フェザーンに居住を移して後は、その上屋敷でさえ民間の福祉団体に運営を委ねることになり、自らの国務尚書としての収入のみで、生計を立てることとなる。
 これを見た他の家門を安堵された門閥貴族にも倣う者が相次ぎ、結果、ローエングラム王朝が最終的に目指す、貴族の領地解体と、私有民の全面禁止を実現し、完全なる中央集権体制への移行を大幅に加速させることとなった。
 無論、自ら特権を放棄した貴族達の全てが、崇高な志の下にマリーンドルフ家に倣ったわけではなく、多くは、絶対権力を持つ皇帝に対する怖れからの保身の為であった。
 彼らが一番恐れたのは、如何様にも理由をこじつけられて粛清され、全てを失うことだった。そんなことになるくらいなら、最低限残したいものを自ら選べるうちの残して、身代を小さくしても生き残るのが賢い選択だし、皇帝陛下の覚えも目出度いだろうと踏んだのである。
 ラインハルトには、これ以上国内で苛烈な粛清を行う意思はなく、新政府としては、公正な司法制度の下で、領地制度も荘園制度も、時間の経過と共に自然消滅していくだろうと考えていたのだが、彼らの予想以上に元々猜疑心の強い貴族達は皇帝を怖れていた。
 これは、皮肉なことに、エルフリーデにとって悲劇であった2年前のリヒテンラーデ一族に対する処断が、効果的に働いたと言えよう。
 ロイエンタールとエルフリーデは、皇帝が到着する予定の少し前、正午を15分ほど回った時刻に、マリーンドルフ邸に到着した。
 エルフリーデは、この日、初秋を思わせる淡いオレンジ色のドレスを着ていた。亡きレオノラが遂に袖を通すことなく仕舞われていたものを、少しデザインを手直ししたものだったが、最初から彼女の為に誂えたかのように似合っていた。
 カットしたばかりのクリーム色の髪は、軽くした毛先を少し内巻きにセットして、若々しい色香を醸し出していた。
「ようこそお越しくださいました」
 父親の隣で今日のホステス役を務めるヒルダは、いつもの短髪にパンツスーツ姿で、伯爵令嬢としてよりも、皇帝首席秘書官としての公人の顔で来賓に接している。
 なぜ、ここまで徹底して男装するのか、エルフリーデは少し前まで疑問だったが、今ならばその理由がよく解る。
 この国の男性の多くは、女と同じ場所で学んだり仕事をしたりすることに、慣れていないのだ。
 昨日の模試会場で、エルフリーデはそれを痛感した。
 もし、ヒルダが、普通の貴族令嬢の格好で大本営に勤務していたら、周囲の彼女に対する評価も違っていたであろう。理不尽だが、この帝国はまだそういう社会である。
 間もなくして、皇帝一行が到着すると、一同は整列して出迎え、皇帝がシャンパンで乾杯の音頭をとる。
 快晴の庭で、エルフリーデは、知人達と歓談しながら、さり気なく皇帝と首席秘書官の様子を観察していた。
 二人の間には、確固たる信頼関係が築かれている様子は感じ取れるが、男女の関係を匂わせるようなものはまるでない。
 二人は、互いにどう思っているのだろうか?
 人生経験の浅いエルフリーデには解らない。
 ただ一つ譲れないのは、仮にフロイライン・マリーンドルフが皇妃にならなかったとしても、自分はもうこれ以上、自分が認めた人物以外に膝を折るのは真っ平だということだった。ただでさえ下級貴族出身で、一族の多くを粛清した皇帝に屈するのは屈辱なのに、その皇帝が選んだ平民や下級貴族の女を皇后陛下と崇めるくらいなら、いっそ叛徒共の国へ亡命して皇帝と戦う側に立った方がマシと言うものだ。
「残念だが、こればかりは、お前の望んでいるようにはいかんようだな。諦めるんだな」
 エルフリーデが、そんなことを考えながら二人を見詰めていると、彼女の思惑を見透かしたように、背中でロイエンタールの声が聴こえた。
「まだわからないわ。フロイライン・マリーンドルフは、誰よりも皇帝陛下の身近に居られる女性なのよ。これからご結婚に発展する可能性だって、充分あるはずだわ」
 エルフリーデがキッと目を剥いて振り返ると、夫は平然として黒ビールのグラスを呷っていた。
「だからこそ結婚など有りえんと言っているのだ。考えても見ろ、常に傍にいて、しかも何ら障害がないにも関わらず、2年も経っているのに男と女の関係がないということは、互いにそういう対象として見ていないということだろう。少なくとも皇帝の方にはその気はないということだ」
「どうしてそう決め付けるの? 時間をかけて信頼や友情が生まれて、そこから愛情に発展することだってあるはずだわ」
 反論したものの、実のところエルフリーデにも自信がなかった。そもそも普通の男女関係がどのように発展して、恋人同士になり、結婚に至るのか、16の彼女には、まだよくわからない。現に、先日会った時、ヒルダ自身も、同じような理由で皇帝との仲を否定している。
「ふん、だからお前は子供なのだ」
 人を小ばかにしたような夫の冷笑に、幼妻が猛然と反論しようとした時、脇から「元帥」という夫にかけられた声に因って、その機を逃してしまった。
 ロイエンタールを呼び止めたのは、最近親密に付き合うようになった彼の父の弟に当る叔父だった。その妻と、息子で従兄に当る男性も同行している。
 帝国元帥の親族であることと、彼らが経営を任されているロイエンタール家が所有する企業の一つが、マリーンドルフ伯爵家とも取引があることが理由で、今回親子で招待を受けていた。
 叔父夫妻も従兄も、ロイエンタールが栄達する前から、伯爵令嬢を母に持つ彼のことを決して「オスカー」とは呼ばず、常に敬語で話す古風で律儀な人物だった。
 ロイエンタールは、父の死によって、自動的に父が所有する企業のオーナーとなったが、士官学校へ進み、軍人の道を選んだ彼には、父の財産にも会社の経営にも全く興味はなかった。
 当初は、成人するまでの中継ぎのつもりで、叔父が最高経営責任者に就任したが、ロイエンタールが任官し、軍に身を置く意思を曲げなかったことから、引き続き経営を任され、今はオーディン商科大学を優秀な成績で卒業した従兄も父親の仕事を手伝っている。
 ロイエンタールは、当初、亡き父の遺産など全部彼等にくれてやってもいいとさえ思っていた。どうせ、自分が干渉しないのをいいことに、会社を私物化しているに違いない。身内同士で下らない金の争いなどするくらいなら、今まで会社を運営してきた叔父一家のものにしてやって構わない。新王朝の元帥にまで登りつめた彼にとって、いかに莫大であろうと、今更個人資産などどうでもいいことだった。
 ところが、成り行きとはいえ、結婚が決まり、それを機会に今一度全財産の見直しを執事が行ったところ、父が創業した会社は、どれも規模を倍増し、資産も目減りするどころか、継いだ当時の10倍にもなっていたのだった。
「私は、あなたに代わって兄が築いたものを守ってきただけです。兄のものは、全てあなたのものです。もちろん、私達は、実質的な経営者としてそれ相応の報酬は受けております。元帥、兄のものを受け継ぐのは、あなたです。それが兄の希望したことです」
 十数年ぶりに会った叔父は、穏やかにそう言って、会社の譲渡を断った。
 あの父が、本当にそんなことを望んだかは疑わしいが、ロイエンタールは、この時、流石に叔父に対して、今までの不義理を申し訳なく感じた。
 彼にとって、酒に溺れながら息子を罵り続けた父は、嫌悪の対象以外の何者でもなく、そんな父親の親族など顔も見たくない存在だった。
 だから、叔父から今まで何度となく近況を案じる連絡が来ても、昂然と無視を決め込み、付き合う意思のないことを暗に伝えてきたのだった。以来、叔父一家とは、15年近く音信不通の状態が続いていた。
 ところが、それでも叔父も従兄も、ずっと誠実に彼の代理人として、会社経営とロイエンタール家の資産運用を遂行していたのだ。
 ロイエンタールは、彼にしては珍しく、これまでの自分の態度を素直に詫びると、これからは、身内として何かあれば力になると、半分社交辞令を言った。
 すると、それなら一つだけ相談したいことがあると、叔父の目が輝いた。
 ロイエンタールが叔父から頼まれたのは、ごくプライベートな些細なことだった。
 叔父の長男であり、ロイエンタールにとっても従兄になるアルブレヒトに、そろそろいい嫁を貰いたいのだが、仕事人間の当人がなかなかその気にならずに困っている。ついては、我が息子にも、元帥のような良縁に恵まれる機会はないものか? というのである。
「勿論、うちは、私も妻も下級貴族の出ですし、息子自身も35になるので、歳若い伯爵夫人などとは思っておりません。あれも、どちらかと言えば年齢の近い女性の方が話がし易いタイプだと思います。気立てが良くて、当人同士が気に入ったなら、身分は問わないつもりです」
 漁色家で名高い自分に、こんな頼みとはと、ロイエンタールは、苦笑しながらも、考えておくと返事をした。
 結婚後、彼はこの件を思い出し、執事に命じて妻の侍女頭であるシュヴァイツァー夫人を通して、顔の広いシャフハウゼン子爵夫人に話を持ち込ませた。
 数日もすると、今をときめくロイエンタール元帥の従兄との縁談とあって、結婚を望む妙齢の令嬢達のデータが数十名分も揃った。
 平民出身の子爵夫人の口利きだけあって、身分も新興富裕層の平民階級から、没落したブラウンシュバイク公やリッテンハイム公の縁者の貴族令嬢まで幅広い。
 年齢も、下は18歳から、上は政変で婚期を逃した30歳過ぎまでと、これまた幅広かった。容姿は全員、平均以上であることは言うまでもない。
 アルブレヒト・フォン・ロイエンタールは、この年35歳。
 多くの財界人を輩出する帝国でも最難関の一つであるオーディン商科大学を卒業し、父の下で伯父が一代で築いた投資会社の経営に辣腕を振るっていた。
 長身で精悍な、なかなかの美男子で、従弟のオスカーから、少し貴族的要素をマイナスしたような雰囲気の青年だった。
 漁色家で鳴らした従弟と決定的に違うのは、「仕事が恋人」と周囲から揶揄される程の堅物な点だった。
 多くの候補者の中から、彼は無難な選択をし、27歳のさる男爵令嬢と会うことになった。
 リッテンハイム候の一門で、父親と弟は、ガルミッシュ要塞で戦死している。
 残された母親と二人、没収を免れた別宅で、僅かに残った資産で食い繋いでいるという、典型的な没落貴族だったが、アルブレヒトが彼女を選んだ理由は、爵位や家柄ではなく、趣味が古典小説という点と、年齢が分別のある大人の女性だという点にあった。この時代の貴族女性では珍しく大学を出ており、一時は女帝候補でもあったリッテンハイム候の娘ザビーネの家庭教師もしていたことがある。パーソナルデータを見た限りでは、彼女が候補者の中で、最も自立した女性に思えた。
 もし二人が結婚すれば、相手の女性側は、母親共々困窮した生活から抜け出すことが出来、アルブレヒトの方は、頭が良く、どこに連れ歩くにも恥ずかしくない妻を得ることができる。
 二人は、8月の初頭に、シャフハウゼン子爵夫妻の仲立ちで見合いし、交際をスタートさせていた。
 先日のロイエンタール邸での夜会にも、揃って招待している。
 ただ、今日のマリーンドルフ邸の園遊会には、残念ながら令嬢が、急に体調を崩して出席が叶わなかった。
「それで、どうなのだ? その男爵令嬢とやらと、卿は結婚するのか?」
 ロイエンタールは、黒ビールを酌み交わしながら、従兄に向って単刀直入に訊ねた。
「いやぁ、それはまだ、何とも。お互い一生の問題ですし。知り合ってまだ一ヶ月も経ってませんしね。私の仕事が忙しいせいで、一昨日のデートで会ったのが3度目なんです。今日で4回目になる予定だったんですが・・・今は、昔のように、親が勝手に結婚相手を決めてしまう時代ではないですし、せっかくいい時代になったのですから、私も彼女も、よく相手のことを知ってから決めたいと考えております」
 アルブレヒトは、苦笑しながら、ごく常識的なことを律儀に答えた。
 一生を共にする相手を、たった数回会ったのみでは決められないという。
 エルフリーデも夫の隣で、尤もだと頷いていた。
『この男の血縁にしては、まともだわ。この人』
 エルフリーデがそう思った時、従兄のグラスにビールを注ぎ終えたロイエンタールから出た言葉は、瞬間、その場に居た全員を硬直させた。
「やめておくんだな。その女とそれ以上付き合っても時間の無駄だ」
「え?」
 耳を疑って訊き返す従兄に、ロイエンタールは平然と言葉を続けた。
「3回も会っていて、押し倒す気にもなれん女なら、今後何回会ったところで同じというものだ。自分の女にするかどうかを判断するのに、何ヶ月もかからん。1分・・いや、5秒もあれば充分だ」
 エルフリーデは、カッと顔が赤くなるのを自分でも自覚した。
 いったい何を言い出すのか、この男は。人間は、犬や猫と同じではない。
 怒りに震えるエルフリーデの前で、しかし、ロイエンタールの叔父と従兄は、さすがに大人で、「ははは・・・」と、乾いた笑いを零した後、「さすがに元帥ともなると、決断の早さが我々凡人とは違うようですな」などと言って、その場を収めてくれた。
 エルフリーデは、堪らなくなって、叔父一家に一礼すると、夫の袖を引いて、人目のつかない場所へ連れて行った。
「ちょっとお前、いい加減にしなさい。せっかく纏まりかけている良縁をぶち壊すようなことを何故言うの?」
 エルフリーデは、怒りをぶつけた。
 先ほどの、フロイライン・マリーンドルフの件といい、この男の偏った男女観に心底腹が立った。
 お相手の男爵令嬢とは、夜会で会った以前は面識がなかったが、友人だったザビーネの家庭教師だったということもあり、気に掛かる存在だった。
 それでなくとも、ローエングラム政権になった当時から、門閥貴族の娘が娼館に身を落としたといった類の話が頻繁に聴こえてきて、その度に胸が痛んだ。だからこそ、没落した貴族の娘が、一人でも救われることを願っていたのだ。それなのに、この男は、せっかく堅実な交際を始めたばかりの従兄に、わざわざ水を差すようなことを言う。エルフリーデには、それが赦せなかった。
「事実を言ったまでだ。3回も会って、決心できないのなら、所詮それまでの縁ということだ」
「お前の変な価値観を他人に押し付けないで!」
「俺の経験を述べたまでだ。欲しい女かどうかなど、判断するのに5秒もいらん」
 そう、彼は確かに自分の経験を述べたのだ。
 彼が恋に落ちたのは、今にして思えば、5秒どころか、本当に一瞬の出来事だった。
 クリーム色の髪と成層圏の青く輝く瞳を持つ美しい娘を、彼は一目見た瞬間に欲しくて堪らなくなったのだ。その気持ちは、今でも収まるどころか、日増しに高まり、最近では自分自身で少々持て余し気味なくらいだった。
 だが、残念ながら彼の思い人は、そんな彼の気持ちを汲み取れるほど心に余裕がなかった。
「お前みたいな事を言っていたら、誰も一生結婚なんかできないわ。時間をかけて、ゆっくり信頼関係を築く人達だっているはずよ。人それぞれだわ」
 二人は、第三者が聞いたら、どちらが年上かわからない台詞を吐いて、互いに一歩も譲らなかった。
「まあ、経過を見守るとしよう。いずれお前と俺とどちらが正しかったか、事実が証明してくれるさ」
 そう言って、会場へ戻ろうと促すロイエンタールに、エルフリーデも
「ええ、わかったわ。お前が間違っていたことが、いずれわかる日が来るでしょう」
 と言って従った。
 この勝負は、後にヒルダの件についてはエルフリーデに、アルブレヒトについてはロイエンタールに軍配が上がることになるが、この時の二人には、無論未来を予測することは不可能だった。
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