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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(20)
「お招きありがとうございます。エヴァ。少し、早く来過ぎてしまったみたい・・・」
 エルフリーデは、エヴァンゼリン・ミッターマイヤーの温かな笑顔に迎えられると、少しはにかんで簡素な邸宅の玄関の中へ入った。
「いいえ、今、丁度お料理の下ごしらえが出来たところなの。どうぞ、お掛けになって」
「はい。あの、これを」
 エヴァンゼリンにリビングに招じ入れられると、エルフリーデは、執事が持たせてくれたヴィンテージもののワインのボトルを手渡した。
「まあ、お気遣いありがとうございます」
 エヴァンゼリンは、すみれ色の瞳を細めて受取ると、早速ワインクーラーを用意してボトルを冷やした。
「あの・・・エヴァは、フェザーンへ一緒に行かないのですか?」
 エルフリーデは、勧められたソファに腰掛けると、ずっと気になっていたことを思い切って訊いてみた。
 フェザーンへの正式な遷都令が発布されるのは、そう遠い未来のことではないにしろ、それでも1年、2年単位のスパンの話であることは確かだ。
 決して良好とは言えない関係の自分達でさえ同行するというのに、このおしどり夫婦が下手をすれば1年以上も別居生活をしなければならない道を選択したことが、どうにも不可解だった。
「とりあえず、半年以上は様子を見ようと思ってますの。その上で、私の方の準備が整えば、1年後くらいには、私もフェザーンへ行くつもりです。その前に遷都令が公布されれば、その時に考えようと思っています」
 エヴァンゼリンは、また、静かに微笑している。
 エルフリーデは、初めて会った時から直感的に、彼女の決して崩れない笑顔の下にある、何か底知れないものを感じていた。それは、決して不快な感覚ではなかったが、この一見平凡な女性に似つかわしくない程に、他者に対して一線を画すような強固な防御壁のようなものが感じ取れるのだった。
「それより、ご親族が全員流刑地からお戻りになられたとお聞きしました。おめでとうございます。今日は、そのこともお祝いするつもりで、お呼びたていたしましたの。素人の拙い料理で、伯爵夫人のお口に合うか判りませんが・・・」
 エヴァンゼリンは、そう謙遜すると、紅茶を勧め、向かいのソファに、燕のような身軽さと優雅さで腰を降ろした。
「いいえ、お料理上手と評判のミッターマイヤー夫人の手料理を楽しみにしておりました」
 エルフリーデは、如才なく応えながらも、先ほどの彼女の言葉に引っかかりを覚えていた。
 直ぐにフェザーンへ同行できない理由を、エヴァンゼリンは、「私の方の準備」と言ったが、如何に質素な暮らしぶりとはいえ、かりにも元帥夫人なのである。その気になれば、いくらでも金と人手をかけて、引越しを急がせることなど簡単に出来るはずである。
「私は、平民の生まれですから、今突然フェザーンに行っても、街を一人では歩けません。かえって夫の足手まといになるだけですわ」
 エルフリーデの内心を見透かしたように、エヴァンゼリンは、即座に疑問に答えた。
 エルフリーデは、そこで漸く「あっ」を小さく声を発して合点した。
 エルフリーデのような権門の出でなくとも、大よそ貴族階級の生まれの者は、一般教養的に、初等教育段階からフェザーン語の読み書きと会話を習う。その為、貴族の子なら、男も女も義務教育課程を終える年頃には、ほぼフェザーン人との日常会話に不自由せず、フェザーン語の電子雑誌が読める程度にはなると言われている。
 貴族の子弟が、学生時代にバカンスをフェザーンで過すことは、帝国では一種のステイタスと言ってよかった。
 士官学校や大学に進むと、更に高度な会話や筆記を学び、敵国語である同盟標準語も習得することになる。
 しかし、これが平民階級の女性となると、事情は一変する。
 ごく一部の貴族並みの富裕層を別にして、最終的に家庭に入るのが殆どの平民の女性は、生まれた惑星を生涯出ることなく終える者が大半を占め、フェザーン語ならずとも、そもそも外国語など必要としない。
 エヴァンゼリンも、本来ならこうした多くの帝国人女性の一人のはずだった。
 ところが、彼女が結婚した男は、偶々士官学校を出た軍人であり、偶々天才的な用兵の才能を持っていた。そして、偶々時代が彼の才能を欲し、彼女は思いもかけず新帝国の高官夫人となってしまったのである。
 それでも、エヴァンゼリンは、彼女を実の娘同様に扱ってくれた養父母によって、15歳で義務教育を終えた後、更に2年の高等課程に進学させてもらった。平民階級の女性としては、十分過ぎる教育である。
 エヴァンゼリンは、ここで初歩的なフェザーン語を習った。だから、「街を一人で歩けない」というのは多分に彼女の謙遜が含まれている。第一、帝国元帥の夫人が単独で街へ出るのは、警備上好ましくない。
 しかし、フェザーン人とスムーズにコミュニケーションが出来且つ、政府高官の夫人として、恥ずかしくない会話が出来るかと言われると、学んでから年月が経ってしまったこともあり、どうしても疑問符がついてしまう。
 高等過程卒業後、望めば大学に行ってもいいとさえ養父は言ってくれたが、エヴァンゼリンは、これは丁重に辞退した。当時の彼女は、それよりも、少しでも家業である造園業を事務的な面でサポートをして、養父母に恩返しをしたい気持ちの方が強かった。
 自分一代でこの事業を起こしたミッターマイヤーの父には、息子が士官学校へ行き、軍人として生きることを選んだ時から、子供に跡を継いで欲しいという気持ちも薄れていた。最終的には他人に会社ごと売却して余生を送ってもいいと考えていた為、エヴァンゼリンを殊更家業に縛るつもりはなかったが、彼女は養母と一緒に、職人達の世話や経理を積極的に手伝っていた。
「もう、毎日大変なのよ。10年ぶりくらいで教科書を引っ張り出してきたりして。来月から、週3回、フェザーン語会話学校にも通うことになっているの。あちらで再会した時には、エルフィーともフェザーン語でお話できるようになっていたいわ」
 エヴァンゼリンは、そう言って優雅に微笑んでエルフリーデを和ませた。
 高等過程を卒業した後も、養父母は、エヴァンゼリンを週1回、都内のマナースクールに通わせてくれた。彼女はここで、上流夫人としての立ち居振る舞いや教養、貴族相手に通用する会話術等を学ぶことになった。
 生まれながらに身分の固定された階級社会の銀河帝国だったが、時としてヒエラルキーを飛び越える人間も現れる。
 特に女性の場合、高位の身分の男性に見初められたり、夫や父親が事業で成功して貴族の称号を買ったりした場合、平民から貴婦人になるというのもままあることだった。
 旧帝国の末期には、そうした『成り上がり』の女性達を対象としたマナースクールのような民間業者が多数存在し、オーディン都内で盛況を極めていた。
 ミッタマイヤーの両親が、エヴァンゼリンをこうしたスクールに通わせたのは、当初、家業の手伝いに前向きだった彼女に、商売相手である貴族階級の人間を見る目を養わせる為だった。
 旧体制下の帝国で、ミッタマイヤーの父のような平民が、貴族相手に事業をして成功するのは、実のところ容易なことではなかった。
 何と言っても、司法制度が貴族優位に出来ているので、極端なことを言えば、平民の事業者が、代金未払いで貴族を訴えても勝ち目は殆どなく、泣き寝入りするしかない。後日の事もあるので、流石に堂々と踏み倒す貴族は少なかったが、支払いを引き延ばしたり、理不尽に値切ったりする性質の悪い貴族はいくらでも存在した。ミッターマイヤーの父も、若い頃はそういう貴族に何度も煮え湯を飲まされてきたものだった。
 そして、最終的には相手の人間性を見極めるしかないという結論に辿り着き、長年この業界で培った経験と人脈を元に、信頼できる顧客を選別しながら、少しずつ獲得していったのだ。
 そういう点で、造園業者のミッターマイヤー家の人間にとって、貴族の中に入り、彼等を見極めることは必要不可欠だった。
 19歳で、当時24歳の若さで中佐の階級にあったミッターマイヤーと結婚した後も、エヴァンゼリンのマナースクール通いは続けられ、結果的にそれは、家業ではなく、将官となった夫を助けることとなった。
 新無憂宮の式典で、彼女が帝国元帥夫人として、生まれながらの貴婦人と遜色ないように振舞えるのは、こうした陰の努力の賜物だった。
「私も、学校のフェザーン語の成績は良かったんですけど、実際にフェザーン人と話したのは、この前一人で街へ出た時が初めてで・・・。しかも、その人達の方が帝国語を話してくれたので、結局まだ実践したことがないんです。艦隊戦でも、シュミレーションと実戦とは違うって言うでしょう? 正直、不安がないわけではないんです。でも、もう行くことに決めてしまったし・・・」
 エルフリーデは、珍しく弱音を吐くと、先日の出奔事件でミッターマイヤー家にも連絡が行っていたことを思い出すと、言葉を続けて、心配をかけたことを詫びた。
「よろしいのよ。それより、戻られたご親族で、行方がわからない方々がいらっしゃるとか・・・」
 エヴァンゼリンは、ロイエンタールから夫を通して大まかな事情を聞いていたので、エルフリーデの心情を気遣った。
「ええ・・・私が、良かれと考えてやってきたことを、解ってもらえなかったのは残念ですが、今は、仕方のないことかもしれません」
 エルフリーデは、声を落として俯いた。
 自分だって、まだ、完全に割り切れたわけではない。一昨日、ベルゲングリューン等から、エーリッヒの最後の様子を聞いて以来、何とか自分の中で区切りを付けようとしているが、罪の無い我が子や弟を処刑された者達には、簡単に赦せるものではないだろう。
 エルフリーデは、ヒルダの助言を受け、フェザーンに着いたら、大学を目指すことを話した。
「エヴァは、私がロイエンタール夫人ではなくなっても、お友達でいてくれるかしら?」 少し、上目遣いに真剣な表情で訊ねるエルフリーデに、エヴェンゼリンは一瞬目を丸くした後、鈴を転がすように笑い出した。
「まあ、いきなり何をおっしゃるのかと思えば・・・」
「本気です。あの男が、気が変わりやすいのは、ご存知でしょう? 私と別れたくなれば、そうすると思います。いえ、今既にそう思っているかもしれません。私、まだ何をするか決まらないのですけど、どうしても大学を出て、一人でも生きていけるだけの人間にならなければいけないんです。領地も財産も殆ど失ってしまって、でも、まだ生活の面倒を見なければならない親族達がいます。あの男の後ろ盾を失った時に、私一人でも親族を養えるようにしておかないと・・・」
 エルフリーデの切実な言葉に、エヴァンゼリンは、静かに首を振りながら諭すように語り掛けた。
「私は、伯爵夫人・・・いえ、エルフィーが、大学で学ぶのはいいことだと思います。私だって、今にして思えば、義父が奨めてくれた時に、大学に行っていた方がよかったかもしれないと思っているくらいですから。でも、ロイエンタール元帥が、あなたとお別れするとは思えません。確かに、あの方は、これまでたくさんの女性とお付き合いされてきたようですが、ご結婚なさったのは、後にも先にも、あなたしかいらっしゃいません」
「でも・・・」
「あの方は、かつて、ここで主人と話している時に、仰っていたのです。『ロイエンタール家は俺で終わりだ』と。どのようなご事情かは存知ませんが、あれだけの御家を、あれだけの方が、ご自分の代で終わりにされようとさえ考えられていたのは余程のことなのでしょう。それなのに、あなたとご結婚された。だから、私、思ったんです。これはきっと、あなたがロイエンタール元帥にとって特別な方だからに違いないと」
 エルフリーデは、エヴァンゼリンの優しい声を聴きながら困惑した表情を浮べる。
 確か、シュヴェイツァー夫人や家令にも同じようなことを言われていた。
 だが、普段のあの男の自分に対する意地悪で高圧的な態度からは、どうしても自分に対して好意的な感情が感じ取れない。
「きっと、元帥は本当は、不器用で照れ屋なのかもしれませんわ」
 そう言ってまた笑う夫の親友の妻を、エルフリーデは再び不思議な感覚で見詰めていた。
 この人には、本当に陰のようなものがない。それは、悩みのない、幸せな人生を送ってきたからだろうか? だが、孤児になり、遠縁のミッターマイヤー家に引き取られたと聞いているので、肉親を失う悲しみや孤独感は味わってきているはずだ。しかも自分よりもずっと若い年齢の時に。
「・・・・少し時間を潰すのに、私のことをお話してよろしいかしら?」
 エヴァンゼリンの思いがけない申し出に、エルフリーデは無言で頷いた。
 この時、エヴァンゼリンは、なぜ知り合ったばかりの年下の貴族女性に、夫にも話したことのない自分の過去を語る気になったのか、上手く説明できなかった。だが、この少女なら、自分の痛みを共有してくれるように感じたのだ。
 自分の夫が、自分とは正反対の気質を持ち、下級とは言え貴族であるロイエンタールを唯一の親友としたように、自分もこの生まれも育ちもかけ離れた伯爵夫人に、無二の友誼を感じ始めていたのかもしれない。


 帝国歴476年、幼少時に母を亡くした12歳のエヴァンゼリンは、軍人だった父親の戦死の報と共に、戦災孤児となった。
 父の遺族年金と自宅を含めた僅かな遺産もある為、最低生きていくことは可能だったが、法律上16歳で準成人に達するまでは、成人の後見人が必要とされていた。
 このような場合、慣例として近しい身内に引き取られるものだが、生憎とエヴァンゼリンの両親には血縁者が少なく、亡くなった母親の兄一家が首都星の地方都市に居るのみだった。
 その為、彼女が最初に引き取られることになったのは、隣の市内に住む遠縁の家だった。
 戦死した父親の従兄に当るという主人とその妻、翌月に徴兵を控えた19歳になる息子という家庭だった。元は、この息子の上に2人の兄がいたそうだが、いずれも徴兵から戻ってこなかったという。
 エヴァンゼリンの父親もそうだが、宇宙の塵と消えた平民兵士の遺体が家族の元に戻ることはまずなく、空の棺で虚しく葬儀だけが執り行われる。
 常に最も危険な最前線に駆り出される平民達にとって、これは格別珍しくもない光景だった。
 その家は、一言で言い現すとすれば、『冬の家』だった。
 家の雰囲気は暗く、いつも空気は澱んでいて寒々しかった。
 決して、悪い人達ではなかったのだろう、とエヴァンゼリンは今も思っている。
 主人は、近くの軍需工場に勤める工員で、元は真面目な人だったらしいが、2人の息子を相次いで亡くし、たった一人残った末の息子もまた徴兵されるとなって、酒量が増え、エヴァンゼリンが引き取られた当時は、いつも不機嫌で酔うと家族に当り散らすことを繰り返していた。
「まったく・・・愛想のない、可愛げのない子だよ」
 内職で家計を助けていた主人の妻は、家事をさせる働き手のつもりで引き取った親類の少女の事を、そう言って当人にも聴こえる声でぼやいた。
 突然孤児となってしまった12歳の少女が、いったいどうやって笑顔を作れるのだろうか? 
 当時のエヴァンゼリンは、確かにそれまでの彼女とは一変して、無口で陰気な娘になっていたかもしれない。
 だが、この家族は、自分達の不幸に手一杯で、突然天涯孤独となってしまった少女の心を思い遣る余裕がなかったようだ。
 常に夫妻の目を気にしながら、怯えるように家事を手伝い、会話のない食卓を囲みながら味のわからない食事を機械的に口に入れる。
 そんな日々が、1カ月ほど続いた頃、事件は起こった。
 その日は、いよいよその家の息子が、出征する前日だった。
 技術系の専門学校に通っているというその少年は、学校を休学し、最前線の艦隊に配属されることになっていた。痩せて青白い顔で、存在感が薄く、いつも焦点の定まらない虚ろな目をしていたが、時々エヴァンゼリンに対して好色な視線を送ってくる。その視線を感じる度に、全身に鳥肌の立つのを覚えるのだが、まだ12歳の彼女には、それが何故なのかわからなかった。元からそういう男だったのか、否応無く死地に赴かされる状況が彼をそうさせたのか、今でも判らない。
 母親は、常より豪華な心づくしの夕食を作ったが、誰もが暗く沈んでいて、相変わらず会話の無い食卓で、無言で料理を口に運んだ。
 夜になり、いつものように自室のベッドに入って微睡み始めた頃、突然上から何かが圧し掛かっている気配に目が覚めた。
 灯りを消した暗い部屋で、それが明日出征するこの家の息子だと判ったのは、酒臭い息と、時折感じた不快な視線を同時に認識した時だった。
 男は、毛布を剥ぎ取ると、エヴァンゼリンに再び圧し掛かった。
 12歳の少女には、男のやろうとしていることの具体的な意味など理解できなかったが、本能的に逃げなければいけないと感じた。
 しかし、恐怖で体が硬直し、思うように動かない。
 それでも、渾身の力で男の手を振り払うと、酒漬けの男は、思いの外、力がなく、ベッドから放り出されて床に尻餅を着いた。
 エヴァンゼリンは、その隙にベッドを跳び出すと、一目散にシャワールームに駆け込んで内側から鍵をかけた。
 男は、シャワールームの扉を叩きながら、暫く何か意味不明の言葉を叫んでいたが、やがて、部屋を出ていった。
 未曾有の恐怖に、ただただ怯えていたエヴァンゼリンは、シャワールームの中で膝を抱えて震えていた。男が去る気配がしても、シャワールームから出る気になれず、結局そのまま一夜を過ごした。
 男は、夜が明けると同時刻に、新兵の集合施設へと向う為に家を出て行ったが、エヴァンゼリンは、無論、玄関で見送ることはなかった。
 だいぶ後になってから、彼がそれから半年後に戦死し、二度と戻ることがなかったと知らされたが、この時のエヴァンゼリンは、ただもう一刻も早くこの家から逃げることしか頭に無かった。
 エヴァンゼリンは、父が残してくれたマネーカードを持ち出すと、夫婦の目を盗んで家を飛び出した。無人路線バスを何本も乗り継いで、首都星の別の大陸の街に住む伯父の家を目指した。疲労困憊して伯父宅に辿り着いたのは、翌日の夕刻だった。
 伯父は、突然小さなポーチ一つでやって来た姪に困惑したものの、事情を聞くとすぐさま今後のことを一緒に考えてくれた。
 まず、警察に捜索願い等を出されないように、飛び出してきた家に連絡を入れ、エヴァンゼリンの無事を知らせるという常識的な手順を踏むと、彼女をもうそちらへ戻す気がないことを伝えた。
 エヴァンゼリンは、伯父の隣で怯えながらやり取りを聞いていたが、向こうの夫婦が自分に執着することなく、あっさり保護者を放棄してくれると知ってほっと安堵の息を漏らした。
 安心したのと、一昼夜眠っていない疲労から、エヴァンゼリンはその場で昏倒し、そのまま2日間伯父の家で寝込むことになった。
「お願いです。何でもしますから、私をここへ置いて下さい」
 回復したエヴァンゼリンは、伯父夫婦に懇願した。
 もう二度とあんな思いはしたくない。
 父が亡くなるまで全く面識がなかった今までの家に比べ、都内から遠いとは言え、この伯父とは子供の頃から慣れ親しんでいる。伯父の妻も穏やかな女性で、子供はエヴァンゼリンにとって従妹に当る幼い姉妹がいるだけだ。
「そうしてやりたいのは山々なのだが・・・私は、こんな体だし、我が家では、お前に充分なことをしてやれる余裕がないのだよ」
 必死で自分の居場所を確保しようとする少女に、伯父はそう言って無念そうに俯いた。
 堂々たる体躯を持つ彼は、元は軍で装甲擲弾兵連隊に所属し、士官学校出ではないにも関わらず、中尉にまで登った人物だった。しかし、戦傷で右足の膝から下と、左腕を失い退役を余儀なくされた。現在は、義肢を着けて近くの政府の再教育施設で働いているが、収入は僅かで、軍からの恩給も少ない。
 150年に渡る戦争で、戦死者や、彼のような戦傷者は膨大な数に登り、門閥貴族が富を独占する当時の帝国では、彼等の遺族や家族に対する補償を充分に行う事は難しかった。
「それに、こんな田舎では、お前の将来だって開けないだろう・・・」
 伯父は、心底エヴァンゼリンのことを思ってそう言った。
「私、ここで構いません。この街の学校に転校します。だからお願いです」
 尚も縋るような目で頼む姪に、伯父の方も暫し考え込んでいたが、先に突破口を見つけたのは、彼の妻だった。
「そうだわ、あなた。私の姉のところで引き取ってもらうのはどうかしら?」
「お前の姉さんのところか?」
 伯父が、「いい考えかもしれない」という表情で妻を見上げた。
「そうよ。あの家なら都の郊外だし、義兄さんの造園業も上手くいってるみたいだから、経済的にも余裕があるはずよ。丁度、一人息子のウォルフが、士官学校に行ってしまって、夫婦で寂しくしてるはずだから、娘が出来たら大喜びだわ」
 こうして、エヴァンゼリンは、母方の伯父の妻の姉夫妻という血縁関係のない親類であるミッターマイヤー家にやってきたのである。
 以前の家が、『冬の家』なら、ミッターマイヤー夫妻は、まるで春の陽だまりのような人達だった。
 新しい養父母の温かさに触れ、エヴァンゼリンの心の傷も徐々に癒えてくると、今度は次第に、この温もりを失いたくないと思うようになった。
 彼女は、漸く見出した安住の場所を失いたくなかった。この優しい人達に気に入られ、いつまでもここの家の子供でいたい。
 そう思ったエヴァンゼリンは、努めて明るく振舞いながら、積極的に家事を手伝い、家の中を忙しく動き回った。
「陰気で愛想の無い娘」と彼女を評した以前の家の夫人の言葉を気にし、この家では、決してそんな風に思われないようにしなければならないと、自分に言い聞かせた。
「無理をしなくてもいいのよ、エヴァ・・・」
 新しい家での生活に慣れた頃、不意に養母にそう言われて、はたと振り返った。
「人はね、悲しい時には泣くものなのよ。親を亡くした子供が、無理に笑わなくてもいいの。だからね、もう、あなたは泣いてもいいのよ」
「あ・・・」
 エヴァンゼリンのすみれ色の瞳に、見る見る涙が溢れた。
 彼女はこの時、父親を亡くして以来、初めて思い切り泣いた。
 戦死の報が届いても、葬儀を執り行っても、遺体のない父の死をエヴァンゼリンは、なかなか実感できなかった。ただ、死亡したことだけは確かな事実として受け入れると、悲しみよりも、12歳でたった一人、世間に放り出された不安感の方が大きく、涙を流すのさえ忘れてしまっていた。それを見た人には、或いは彼女のことを情の薄い娘だと映ったかもしれない。
 実際、エヴァンゼリンは、周囲の同年代の子に比して、自分を格別不幸だと思ったことはなかった。職業軍人の娘としての覚悟もあったかもしれない。
 150年間戦時下にあるこの帝国で、平民の戦死率は極めて高く、徴兵された親が亡くなり孤児となる子供など、珍しくもなかった。
 事実、彼女自身も、今まで何度となく学校のクラスメイトの父親の葬儀に列席しては、その度に友人を慰めてきた。
 そして、次は自分が孤児になるかもしれないという不安を、この国の平民の子は、常に抱えながら生きているのだ。
 だが、この思いやり深い養母は、そんな孤独な少女の心を全てを見通していたのだ。
 この日を境にして、エヴァンゼリンは、意識せずに自然に明るく振舞えるようになっていった。
 こうして、数ヵ月後、ミッターマイヤー家の一人息子のウォルフガングが、士官学校の休暇で戻った時に初対面を果たすと、エヴァンゼリンは、一目で彼を好きになった。
 彼が家に帰る度に、その気持ちは強まり、やがてそれは、恋心へと変わっていった。
 そして、18歳の時、黄色いバラの花束のプロポーズを受け、19歳で結婚し、現在に至っている。


 エヴァンゼリンの話が終わった時、エルフリーデは、数分の間、身動きが出来なかった。
「ごめんなさい。つまらない話を、お聞かせしてしまったわね。よくある平民の娘の話ですわ」
 呆然と見詰める伯爵夫人に向って、エヴァンゼリンはいつもの陰のない笑顔を作った。
「いいえ・・・」
 エルフリーデは、それだけ言うのが精一杯だったが、その心中では、エヴァンゼリンに対して今まで漠然と抱いていた疑問に、全てが腑に落ちる思いがしていた。
 そして、身分や家族を失った経緯に違いはあっても、彼女と自分とが同じ痛みを共有しているという親近感のようなものを強く感じたのだった。同時に、彼女が自分に対して示してくれた信頼を、とても誇らしく思った。
 ふと、あの男も、親友に信頼されると、こんな嬉しい気持ちになったのだろうかと、妙な想像が働いた。
 丁度その時、玄関先にランドカーが横付けされ、ミッターマイヤー元帥が帰宅した。
 時刻は7時半を少し回っていた。
 従卒の少年と護衛役の兵士をそのまま乗ってきた車で帰してしまうと、ミッターマイヤーは、出迎えた妻にマントを手渡しながら、軽く口付けを交わした。
 その光景を眩しそうに見つめるエルフリーデの視線に気づき、照れくさそうに、「ようこそ、伯爵夫人」と言って歓迎した。
「お招きありがとうございます。ミッターマイヤー元帥」
 エルフリーデは、貴婦人独特の優雅な所作でお辞儀をし、先ほどのエヴァンゼリンの話を思い出しながら、澄んだグレーの瞳を見て微笑した。
「ロイエンタールも間もなく来ると思います」
 そう言って、食堂へ案内しようとする蜂蜜色の髪の青年に、エルフリーデの心の声が反論していた。
『あの男が、約束通りこんな時間に帰ってくるのかしら?』
 エルフリーデは、日頃のロイエンタールの帰宅パターンを思い起こした。
 ロイエンタールの帰宅時間は、ほぼ毎日が、日付が変わる直前の深夜であり、邸の者達も皆そのつもりで動いていた。偶に早く帰ると、早々に夕食を済ませ、妻の寝室を訪れると、明け方まで長い夜が続くのだ。
 殆ど予定が立たず、遅い時も早い時も、直前にヴィジフォンで知らされる為、使用人達は臨機応変な対応が求められる。
 この数日は、夜の日課はご無沙汰だが、急に決まった親友宅での夕食会に、本当に8時前に仕事を切り上げてくるだろか、半信半疑だった。特に、昨夜は、急な来客のせいで彼を無理矢理早く帰宅させたので、仕事が押しているはずである。
 しかし、エルフリーデの予想に反して、ミッターマイヤーの帰宅から5分と経たない内に、ロイエンタールの専用車が玄関に横付けされた。
 彼も親友と同じく、車を帰すと、いつものように、エヴァンゼリンに土産の花束を手渡した。
 トルコ桔梗をベースにした、いつもより少し大きめの花束を、エヴェンゼリンは、手馴れた感じで花瓶に飾ると、二組の夫婦は晩餐の食卓を囲った。
 エルフリーデが、執事に持たされた土産のワインが4つのグラスに注がれ、オードブルには、エヴァンゼリンの得意料理の一つである鶏肉ゼリーが供された。
 エルフリーデは、辛口の白ワインを勢い良く一口飲んだ瞬間、目を白黒させ、カッと顔を赤くして固まった。その様子に、ロイエンタールがまた皮肉な目を向けると、エヴァンゼリンは手早く別のグラスを用意し、甘口のロゼワインとラズベリージュースを1対1で割った飲み物をエルフリーデの前に置いた。
 エルフリーデは、美味しそうにそれを飲みながら、鶏肉ゼリーを頬張った。彼女が口をつけて放棄した白ワインは、何時の間にか隣のロイエンタールの手元にある。
 次々と食卓に並べられるエヴァンゼリンの手料理は、夫の好物のブイオン・フォンデュも、養母に習ったというザワークラフトも、自慢のトマトのフリカッセも、どれも美味しかった。
 4人での会話は、不思議な程スムーズに運ぶ。フェザーンのこと、最近のオーディンの巷の噂など、他愛の無い話ばかりだったが、何故か話題は尽きない。
 ロイエンタールと2人だと、何を話しても喧嘩に発展することが多いのに、ミッターマイヤー夫妻を加えて話すと、いつもの彼の皮肉さえ何故か不快感が消えている。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、コーヒーを飲みながらデザートの洋梨のタルトを食べ終えると、10時半を過ぎていた。
 ロイエンタールとエルフリーデは、玄関先でミッターマイヤー夫妻に見送られると、呼んでおいた無人タクシーに乗り込んだ。
 車のドアが閉まり、走り出すと、エルフリーデは途端に襲ってきた冷気に、思わず両手で鳥肌の立つ二の腕を摩った。
 前の乗客の好みだったのか、車内温度が、よりにもよって20℃に設定されている。  ロイエンタールがパネル操作で、25℃に室温を上げたが、急には温まらない。
 エルフリーデは、ぐいと腕を引き寄せられると、ロイエンタールの胸に体ごと収められ、あっと言う間もなく彼の深紺のマントに包まれていた。
「何をするの?」
 不意の仕打ちに抗議の声を上げたが、いつもの苛烈さはなかった。
「いいのか? 今、風邪をひけば、お前が楽しみにしているマリーンドルフ家の園遊会に出られなくなるぞ」
 ロイエンタールは、静かにそう言うと、更に強く幼妻の華奢な身体を抱きしめた。
 エルフリーデは、広い男の胸に顔を押し付けられ、何時になく素直に身を委ねた。男の鼓動と微かなアルコール臭を感じると、自分自身の胸も高鳴り、頬が熱くなるのは、多少なりともアルコールが入った所為だろうか?
 結局、車内温度が適温に上がっても、自邸に帰り着くまで、二人はそのままの姿でいたのだった。
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