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イノセント・プリンセス(16)
「両閣下の権限で、一つ是非ともお聞き入れ頂きたい条件がある。それをお約束頂ければ、私が知る限りのことをお話しましょう。それがたとえ自分の不利になることでも厭いません。しかし、お聞き入れ頂けないとあらば、私はどんな拷問に遭っても、今後一切何も話しません。如何ですか?」
 リスナーは、威儀を正すと、記録装置が作動していることを確認しながら、元の怜悧なエリート官僚の顔に戻り、ヒルダとリンザーに向かって切り出した。
 帝国軍も警察も、表向きは司法取引には応じないことになっている。
 但し、憲兵隊や内国安全保証局は、その情報が国家にとって有意であれば、現場指揮官の判断でその限りではないことが認められている。
 現在、軍も警察も逃亡中のルビンスキーや地球教徒の残党の情報は喉から手の出る程欲しいのが本音だった。しかし、それと一般市民の大量殺戮に加担した人間の罪とを引き換えにはできない。
「誤解のなきよう。私自身は既に極刑を覚悟しておりますし、情報提供と引き換えに減刑を要求しようなどというつもりもございません」
 一瞬、顔を見合わせて逡巡の色を示したヒルダとリンザーに対して、リスナーは2人の内面を見透かしたように言う。
「お約束できるかどうかは、条件の内容次第です。伺った上で判断させて頂きますので、まずはお話し下さい」
 ヒルダが硬い表情で答えると、リスナーは、小さく安堵の笑を漏らした。
「では、申し上げます。この件に関しては、私一人が自らの利益の為に、地球教徒とルビンスキー一派の計画に乗って行なったものであり、私の兄をはじめ親族達は、一切関わっておりません。それは、誓って事実です。故に、私の罪に因ってオーディンの兄やその子供達、その他の親族の誰もが連座することのないよう、くれぐれも念を押してお願い申し上げたい」
 そう言って、深く頭を垂れるリスナーに、どんな無理難題を吹っ掛けてくるのかと身構えていたヒルダ達は少し拍子抜けした。
「そういうことでしたら、ご心配には及びません。ローエングラム王朝では、司法省が連座制を廃止したことは、あなたもご存知でしょう?」
 ヒルダが、意外そうに問う。新王朝は、開明政策の一環として、発足後早々に一族全てが罪に服する連座制の廃止を宣言し、国民から喝采を浴びている。現に、キュンメル男爵の親族であるヒルダ自身も、父のマリーンドルフ伯も、数日間の自主謹慎のみで、何ら罪に問われることもなく、現職のまま職務に復帰していた。官僚であるリスナーが、このことを知らない筈はない。
「しかし、それもあなたのような皇帝陛下のお気に入りの者か、平民や下級貴族に限ったことではありませんか? 私のような門閥貴族は、陛下のその時の気分次第で、どうにでも理由を付けて女子供や老人まで罪を着せられる可能性が大いにあるのではないですか? 私の死後、私の親族がリヒテンラーデ一族のような処断を受けることのないよう。重ねて両閣下にお願いしたい」
 リスナーは、両閣下と言ったが、その言葉は明らかに皇帝主席秘書官たるヒルダに向けられていた。彼はまだ個人的に皇帝に拝謁したことはないが、有能な行政官としての一面は、ラインハルトがしばしば感情に任せた処断に出る為政者としての欠点を持っていることを見抜いていた。
「わかりました。あなたのご一族がどなたも今回の事件に関係していないのであれば、決して類が及ぶことのないよう、私が職を賭してお約束致します」
 本来ならここで即答すべき立場にないのを承知の上で、ヒルダはそう言いきった。
 今の皇帝が、連座制廃止の法を破ってまで、血縁という理由だけで事件に無関係な者を無理矢理処罰するとも思えないし、何よりヒルダには、主席秘書官としての自分が、そんなものと天秤にかけられるはずもないという自分の仕事に対しての自負もあった。
 それに、リヒテンラーデ一族の処断については、ラインハルトも少なからぬ後悔の念を持っていることを、傍近くに仕える彼女は知っている。
「ご配慮に感謝します。フロイライン・マリーンドルフ、貴女を信じます」
 本来の聡明さを取り戻したリスナーが、心からの謝意を伝える。
 それから約3時間半に渡るリスナー管理官の供述は、この爆破テロ事件のみならず、逃亡中のルビンスキー一派と地球教徒の残党の現状について貴重な情報を齎すものとなった。


 リスナーは、ルビンスキーのアジトの一つであるビルの地下室で、テロ実行の翌日、彼と直接会って密談したことを認め、あらためて、自分がルビンスキーと地球教徒の残党が計画していた爆破テロの実行犯であることを自白した。
 この時のルビンスキーとの密談の内容は、当初知らされていたものよりも、被害規模が大きかった事に対する抗議と、殺しそこねてしまったシュトライトやバッケスホーフの始末に関するものだったという。
 リスナーは、バッケスホーフの重傷は、落下物に当たっての偶然によるものではなく、自分が近くにあったコンクリートの塊で後頭部を殴打したからだと供述した。
 この件は、予めクリューガーと相談しており、その場の判断でより無理なく実行できる位置にいる者が行うことになっていたという。
 あの時、視界が悪くなる中で、クリューガーよりも自分の方がバッケスホーフに近かった為、周囲を確認して実行した後、リスナー自身も被害に遭ったふりをして近くに倒れた。文官であるリスナーは、てっきり致命傷を与えたと思い込んでいたが、もし、手を下したのが軍人のクリューガーの方であったなら、バッケスホーフは即死していた可能性が高く、ヒルダ達が地球教の関与に気づくのも遅れたことだったであろう。その点では、これは彼等にとっては不運であり、ヒルダ達には幸運だったと言える。
 リスナーによると、元自治領主のルビンスキーには、未だ付き従う者達も多く、密談に使用されたようなアジトが都内に数箇所あり、具体的な場所は不明だが、惑星内に堅固な隠れ家を数軒所持しているらしい。
 地球教徒の残党に関しては、ヒルダが危惧した通り、帝国、フェザーン、同盟領のあらゆる場所に何くわぬ顔で溶け込んで生活しているという。
 現にリスナー自身、今回の事件で、彼が生まれる前から実家の領地惑星の奥に仕えていた老婦人が、地球教徒であったことを初めて知った。入信したのは30年も前のことらしいが、地球教に関わった経緯等は特に詮索しなかった。
 在家信者の中には、古くからの信者で、上層部の命令で潜伏する場合もあれば、何かの切っ掛けでそれまで普通に職業を持って生活していた者が入信する場合もあるという。いずれも教団本部にとっては、便利な手先であろう。
 ただし、今回のように、信者が信者でない者に正体を明かすことは異例であり、リスナーも老婦人はともかく、中佐階級の軍人であるクリューガーが信者と聞いた時には、さすがに驚いたという。
 しかし、爆破テロの前後に3回程密談したルビンスキーの口ぶりでは、クリューガークラスの信者は、それ程珍しいわけではなく、帝国軍内には、一等兵から将官まで地球教徒達の情報網があると言う。
 将官にまで信者がいると聞き、ヒルダ達は流石に驚いた。
 それだけではない、リスナーによると、軍内のみならず、官吏の中にも自分のような協力者がおり、ルビンスキーは、彼らを使って、次の新帝国転覆計画を練っているという。
 具体的な人物も方法も不明だが、軍首脳の誰かに、皇帝に叛旗を翻させ、帝国軍を分断させることができると、自信たっぷりに嘯いていたらしい。
「そんな…まさか…いったい誰にそんなことをさせるつもりだと…」
 そう言いながらもヒルダの脳裏には、くっきりと一人の人物の姿が浮かび上がっていた。決して他人の下に付くことのなさそうな男…だが、今この場でそれを口にすることなどできるはずもなかった。
「本当に将官にも地球教徒がいるのか? 新たな転覆計画というが、カイザーに叛逆だなどと、荒唐無稽な話だ」
 帝国軍准将であるリンザーは、吐き捨てるように断じたが、ヒルダはリスナーの言葉を否定しなかった。
 地球教の歴史を考えれば、数十年の軍歴を持つ将官に信者がいても不思議ではない。
「では、高級武官の信者や協力者の官吏が誰なのか、誰に陛下に対して叛逆させるつもりでいるのか、あなたは全く心当たりがないのですか?」
 この件に関しては、尋問する立場であるはずのヒルダの方が、懇願したい心境になっていた。ラインハルトの宿将達の誰かが、彼に叛逆するなど、身の毛もよだつような悲劇だ。
「残念ながら、さすがにフェザーンの黒狐は、私ごときにそこまで明かしません。知っていれば、それこそ司法取引の材料にして、助命を乞うところですよ」
 リスナーが自嘲ぎみに髪をかき揚げながら言う。知っていたとしても、事ここに至って今更命乞いするつもりもなかったが、つい口に出てしまって苦笑した。
「そうですか。わかりました」
 ヒルダは少し無念に感じながらも、感情を押し殺して頷いた。
 その後、リスナーは、自らの生い立ちからこの事件を起こすまでの経緯を滔々と語り始めた。

 カール・アルベルト・フォン・リスナー。父や兄と区別する為、周囲から「アル」の愛称で呼ばれていた彼は、伯爵家の次男として生まれた。
 幼い頃から同年代のどの子供よりも賢かった彼に、父も兄も親族も、将来、軍か行政のトップに立つことによって、名門ではあるが権勢家とは言い難い非主流の一門が、政権の中枢に食い込むことに期待した。
 リスナーは、その期待に充分に応え、18歳で帝国の最高学府であるオーディン帝国大学の政治学科へ進み、21歳で卒業と同時に、上級官吏登用試験に主席合格を果たす。
 大学に入学する以前の彼は、多くの貴族の子弟同様、特に何の疑問も持たず、自分が官僚として栄達することが、自身と家の名誉であると漠然と考えて勉学に勤しんでいた。
 そんな彼が、大学に入り、平民や下級貴族の学生達と同じキャンパスで学ぶうちに、徐々に当時の帝国社会に疑問を持ち始めたのは、当然の成り行きだった。
 官吏として出仕する祝いに、爵位を継いでいた兄が、一門で継嗣が絶えていたリスナー男爵家の家門を継げるよう計らってくれたのもこの時だった。
 とはいえ、既に邸も領地もない名ばかりの男爵号を貰っても、彼の生活は以前と全く変わらず、実家の伯爵家の邸から出仕していた。
 唯一変わったのは、学生時代に名乗っていた名からミドルネームを省略して、職務上では、カール・フォン・リスナーと名乗るようになり、サインもそれに改めたことだった。
 若手高級官僚の出世コースの一つである財務省の主計局を経て、1年後に早くも内務省の管理官補となったリスナーは、この頃から将来自分が尚書となり、政治権力を握るようになった時のドラスティックな改革案を密かに頭に描き始める。
 しかしその理想は、日々真面目に職務に精励すればする程、実現不可能なことを思い知らされた。
 この国の行政システムは、尚書でも宰相でも、一人の人間の力ではどうにもならない程腐敗している。その現実を目の当たりにして、若いリスナーは絶望しかけた。
 そして、登用試験に主席合格しようが、伯爵家の出であろうが、一官吏の立場で行えることの限界を知るのだった。
 当時、皇帝に代わって実質帝国を治めていた国務尚書リヒテンラーデ侯爵の皺枯れた顔を間近で見た時、自分が今の彼の地位に登り詰めるのに、あと40年もかかるのかと思うと絶望的な気持ちになったという。
 軍と違い、文官の世界では、戦死のリスクがない代わりに、二階級特進もなければ、武勲を立てて若くして異例の大出世ということも少ない。
 自分は所詮、この帝国の中で、多少ばかり知恵の働く貴族の息子として一生を終えるのか? いや、しかし、今の帝国の状態は専制国家の末期的症状を呈している。こんな時に、自分のような才智に恵まれた人間が、ただ流れに任せた無難な生き方をすることが許されるのだろうか? 理想と現実の狭間で揺れるリスナーの元に、ある日予想もしていなかった話が舞い込む。
 前年に、皇太子が女官に産ませた子エルウィン・ヨーゼフを残して突然逝去するという変事が起こったこの年の春、ブラウンシュヴァイク家の縁戚であるボーデン子爵と、腹心のアンスバッハが伯爵家を訪れ、弟のカール・アルベルトを、将来公爵令嬢のエリザベート嬢の婿として迎えたいというのである。
 それを聞いたリスナーは、天が自分を選んだと確信した。
 隣で話を聞いていた兄も、必死に興奮を抑えながら弟が皇帝の孫娘に見初められたことを喜んでくれた。
 皇太子に嫡出子がいない以上、皇位に最も近いのは、第一皇女であるブラウンシュヴァイク公夫人と、その娘のエリザベート嬢であるのは誰もが認めるところだ。
 官僚としてどれほど栄達しようと、所詮一臣下に過ぎないが、女帝陛下の夫となれば、実質的な皇帝も同じである。自分の理想とする改革に、思う存分大鉈を振るうことができるはずだ。
 勿論、エリザベート嬢は傀儡で、実質的な帝国の覇権を狙っているのは、令嬢の父親であるブラウンシュヴァイク公であることは、承知している。
 しかしリスナーは、自分の才覚を以ってすれば、現当主のブラウンシュヴァイク公ならば、数年も我慢すれば充分に御しおおせると自信を持っていた。自分は帝国大学を出て、官吏としても確実にキャリアを積み上げている俊英だという自負が彼にはあった。何より、自分の方が若く、血統のみが取り柄の権力欲の塊の公爵よりも、少し頭の働く忠臣達なら、いざとなれば自分に味方するだろうと計算したのだ。エリザベート嬢が、あまり賢くない娘であることも、この際は幸いに思えた。
 とはいえ、エリザベート嬢は、当時まだ15歳になったばかりだったので、正式な婚約や結婚は、早くとも3、4年の後だろうとのことだった。使いの2人は、若く魅力的な若手官僚に対して、それまでに、身辺を綺麗にしておくようにと念を押して帰って行った。
 将来の皇婿としての体裁を整える為、兄の伯爵は、まず、実家の近くに男爵家の邸を新築し、弟を独立させた。
 更に、ブラウンシュヴァイク公爵の計らいで、来年にも爵位を子爵に上げ、婚約発表の前には伯爵に、成婚時には侯爵に叙して女帝の夫としてつり合いをとる手筈となった。
 水面下で着々と準備が進められていく中、リスナーは益々職務に励み、周囲の評価を上げていった。
 今、自分に命令している上司達も、数年後には皇婿殿下となった自分に平伏すことになるのかと思えば、どんな無理な仕事でも楽しかった。
 エリザベート嬢とは、その後何度か公爵夫妻を交えて会い、リスナーは公爵夫人にも気に入られていった。
 暫くすると、エリザベートと2人きりで逢うことも自然と許されるようになり、公爵家の別荘で彼女の強い希望で、男女の仲になった。
 リスナーは、事が露見して、公爵夫妻の逆鱗に触れないかと心配する一方、これでエリザベートとの仲が既成事実化し、いよいよ自分が皇婿となることが本格化したと感じた。
 エリザベート本人に関して言えば、インテリ中のインテリであるリスナーのような男にとって、つまらないことこの上なかった。
 年齢的に離れていることを差し引いても、彼女の知性は同年代の女性の平均を遥かに下回っていることは、噂に聞いていた通りだった。
 興味のあることと言えば、ファッションと社交界や芸能人のゴシップくらいで、経済誌を愛読し、政治思想史の専門書を原書で読むことのできるリスナーとは、どう努力しても共通の話題などなかった。
 それでもこの頃のリスナーは、この女性だけが自分の理想を叶えることのできる相手と思えば、そんな彼女に精一杯話を合せ、結婚したらそれなりに良い夫になるつもりでいた。
 だが、それから数ヶ月後、リスナーの野望は思いもかけない形で頓挫する。
 エリザベートの祖父フリードリッヒ4世が崩御し、台頭著しいローエングラム侯と手を結んだリヒテンラーデ公が、先手を打ってエルウィン・ヨーゼフを皇帝として即位させてしまったのである。
 更に、ブラウンシュヴァイク公が、リップシュタットの森で貴族達に召集をかけると、門閥貴族派対枢軸派という対立の構図が明確になった。
 リスナーは、この時、兄に対して、「リップシュタット連合に加盟するべからず」と進言して、兄を唖然とさせる。
 正式発表前とはいえ、エリザベート嬢の婚約者である彼と、その一門である我等こそが、真っ先に公爵の元に馳せ参じるべきではないかと説く兄に対して、リスナーは冷静に、枢軸派と全面戦争に突入すれば、リップシュタット連合側に勝ち目のないことを4つの理由を挙げて理路整然と説明してみせた。
 ヒルダはそれを耳にした途端、びくりと身体を震わせた。
 それはまさに、彼女が父マリーンドルフ伯とラインハルトに対し示した「枢軸派が勝利する4つの理由」に見事に合致するものだったからだった。
 官界の第一線で実務を担っていたリスナーにとって、これはそれほど難しい判断ではなかった。ただ、彼がヒルダと違っていたのは、この時点ではまだゴールデンバウム王朝自体の滅亡は念頭になかった点であった。
 だが、リスナーには、非公式とはいえ婚約者であり、男女の契も交わしたエリザベートの父であるブラウンシュヴァイク公と、正面切って対立するのは流石に躊躇われた。
 また、一面識もないローエングラム侯の下に唐突に馳せ参じるのも、縁戚関係でもない枢軸派貴族に今更擦り寄ることも、節操のない行動に思えた。
 結局、兄弟は、相談した結果、どちらの陣営にも付かずに、事態を静観することに決めた。
 この時点で、リスナーとエリザベートとの婚約は、事実上破棄されたものとなったが、リスナー自身、不思議とそれを残念に感じなかった。それどころか、何か開放感に近いものすら感じていたという。
 恐らく、余程のことがない限り、この内戦は枢軸派の勝利で終わるだろう。
 そして、次に覇権を握るのは、年老いたリヒテンラーデ公ではなく、軍部の圧倒的支持を得ている若き黄金の獅子であることも読んでいた。
 そうなれば、遅ればせながら、恥を偲んでマリーンドルフ家か、リヒテンラーデ一族の穏健派貴族の誰かに頭を下げて、ローエングラム侯にとり成しを頼む。狡い立ち回りだと言われようが、それが一門が生き残る為、帝国貴族としての最善の策であると信じた。
 しかし、内戦はリスナーの予測を遥かに上回る早さで決着し、賊軍の首魁とされたブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も、その卑劣な人間性を露呈した不名誉な死を遂げた。
 更に、オーディンの官界にも大異変が生じていた。
 宰相リヒテンラーデ公の急死という不測の事態に、たちまち枢軸派は分裂し、熾烈な覇権争いに発展するかと思われた矢先、帝都の空を覆い尽くしたローエングラム陣営の艦艇によって、呆気なく決着した。
 帝国内から門閥貴族勢力が一掃され、ローエングラム体制へと移行しても、リスナーは失望はしなかった。むしろ、彼の理想とする改革を彼の想像を超えるスピードでやってのける若き新宰相に、素直に畏敬の念を抱いていた。特に、彼が以前からその執政案に強い共感を覚えていた、改革派官僚のリヒターとブラッケの抜擢には、内心で快哉を叫んだ。
 そして、自分もローエングラム陣営の官僚として、帝国の経済と民政の改革者の一員に加わることを望んでいた。
 新体制の軍首脳の平均年齢は、旧体制下よりずっと若く、それは、文官にも少なからず波及するものと期待させられた。
 実際、各省庁で次々と有能な若手官吏の抜擢が始まり、リスナーも、本来なら30台半ばから40代前半の中堅キャリアの定位置であった管理官に、24歳の若さで昇進している。
 何事も切り替えの早い彼は、この1、2年の間に、すっかり旧王朝の女帝の夫として国政の改革を行うよりも、ローエングラム体制下で官僚として栄達していくことに、方針を修正した。
 新体制の開明的な改革路線は、ほぼ彼が頭の中で推敲していたプランと一致していた。ならば、自分はこの国で若くして尚書までの登り詰めることで、歴史にその名を残す行政家になってやろう。こうして、リスナーは再び自分の人生目標を定めた。
 しかし、またしてもそんな彼を窮地に立たせる事件が起こる。
 すっかり忘れていたかつての婚約者のエリザベートが、忠臣達の手助けで疎開先の領地惑星を脱出して、ヴァルハラ星系内の小惑星に少数の共の者達と健在であるというのである。当然、かつての婚約者であるリスナーに保護を求めてきたものだった。
 リスナーは、本心では舌打ちしたいのを抑えながら、通信回線で状況を知らせてきた従者の男性に対して、ヴェスターラントの件を持ち出し、今、彼女がオーディンに現れるのは危険だと説いて、何とか思いとどまらせた。
 冗談ではない。せっかく新体制の中で自分の地位を確保したと思った矢先に、こんなお荷物を背負い込むのは、絶対に避けなければならないと思った。
 新体制は、軍も官界も実力主義を徹底させる方針で、事実ほぼそれに沿った人事がなされていた。しかし、情実人事が全くないかと言えばそこまでは完璧になれないのもまた人間というものだった。
 軍部でも官界でも、そこにいるのが人間である以上、自然と気の合う者同士、馬の合う者同士でグループのようなものができるのは、ある程度仕方のないことでもあった。
 軍人の世界でも、以前からずっと心酔していた上司についていたら、いつの間にか自分も艦隊司令部の幕僚になっていて、“閣下”と呼ばれる身になっていたという話は昔から習慣的にあった。
 帝国軍の双璧と呼ばれるロイエンタール、ミッターマイヤー両元帥のように、尉官時代から常に共に戦って武勲を上げ、共に頂点まで上り詰めた例もある。
 官界でも、20〜30代の若手官僚達の中に、自然とこうしたグループがいくつか生まれていて、それぞれにグループ内での年長者のリーダーが存在した。
 リスナーが属していたのは、同じ門閥貴族の次男以下の出の男が多い、帝国大学出身者の十数名のグループだった。このグループには、ケルトリングもいる。
 特に家柄を意識したわけではなく、何となく居心地のいい場所に自然と集まっていっただけで、学閥や貴族閥を創るつもりは全くなかった。
 このグループは、公式に認められた人事ではないにも関わらず、やはり昇進の際の「先輩からの推薦」の威力は絶大で、同じ派閥から抜擢者が出れば、他の者も昇進の恩恵を受けるのは必至だった。
 リスナーが属していた派閥のトップは、マリーンドルフ家の遠縁ということになっている40前の貴族で、年齢、実績、実力、人望共に申し分のない男だった。人事刷新後には、彼が次の内務省次官に抜擢されるのは順当と目されていた。
 対抗馬がいないわけではなかったが、全員彼より若かったし、実績的にも似たようなものだったので、彼の次官昇進は、リスナー達同じ派閥の者達の出世の道が開けることを期待させた。
 ところが、神々の黄昏作戦直前に、宰相府から発表された新次官は、予想外の人物だった。
 新たに次官になったのは、ユリウス・エルスハイマーという30代半ばの司法省出身の局長だった。
 その名前から平民であることは明らかで、彼が有能な行政官であることは、誰もが認めていた。ローエングラム体制の身分にとらわれない人事を象徴する抜擢とも思えたが、彼に引けをとらない手腕を持つ官吏がいないわけではない中で、やはりこれは異例の人事だった。
 その後、リスナーは、エルスハイマーの妻が、ルッツ提督の妹であることを知り、愕然となる。そして、自分がこれから栄達を望むなら、新体制の首脳の誰かと閨閥を形成していくのが一番の近道だと思うようになった。
 ローエングラム政権が、かつての門閥貴族の爵位や家柄優先で出世が決まる官界とは比べ物にならないくらい公正で清廉であることは理解している。だが、実力が同じなら、やはり功臣の身内であることが有利なのは致し方ないのではないか。特に、軍事独裁政権の色の濃いローエングラム政権内では、公にとって戦友とも言うべき軍首脳と縁戚関係にあることは、絶対の強みだろう。リスナーはそう考えた。
 実際にエルスハイマーを抜擢したラインハルトは、その時点では彼がルッツの義弟であることを知らなかった。
 ラインハルトも、それ以前にエルスハイマーと面識があったわけではなく、この人事は、堅実だが文官では珍しく肝の座ったエルスハイマーの人柄を高く評価したブルックドルフの意向をラインハルトが受け入れたものだった。
 聞いていたヒルダは、リスナーの思い違いを否定したかったが、この時は黙っていた。今は、彼から供述を取るのが優先であり、実際、自分が主席秘書官なのはともかく、新王朝になってからこれまで中央政界で公職に就いたことのない父のマリーンドルフ伯が、国務尚書という閣僚の筆頭に抜擢されている身で、否定しても説得力に欠けると思えたからだった。
 そのような中で、エリザベートの一行は、しきりにオーディン帰還への望みをリスナーに訴える電文を寄越してきた。軍の検問を避けるため、旧式の貨物船に紛れ込んだり、わざと辺境航路を迂回しながらオーディンを目指す内に、姫君を守る従者達の数は徐々に減っていったらしい。数ヶ月かけて漸くオーディンと通常回線での通信が可能なヴェルハラ星系内たどり着いた時には、エリザベートを入れてわずか6名になっていた。
 離脱した従者は、自らの意思で逃げ出した者はおらず、皆、過酷な環境下での航行中、大量の宇宙線を浴びたり、乗船の事故に巻き込まれたりして命を落としていた。そのような状況の中でも、彼等はエリザベートにだけは常に安全な場所を確保し、貨物船が放射線事故を起こした際も、彼女だけは船にたった一つしかない遮断カプセルに入れて守ったという。リスナーは、あらためて百数十年を経てまだ生きていたブラウンシュヴァイク家の祖先の威光を思い知らされた。
 領地惑星での叛乱の中、公爵夫人母娘は忠義な家臣団の機転で、侍女の扮装に身を窶して脱出を計ったが、母親のアマーリエ妃は、途中で叛徒と化した私兵に見つかり、殺害されてしまったそうだ。残ったエリザベートを守る忠臣達は、リスナーと連絡を取りながらも、一人また一人と減っていき、最後は免疫力低下で瀕死状態の中年男一人だけとなっていた。
 リスナーは、この忠義の臣に、自分の現状を正直に話した。
 現在、自分はローエングラム政権下の官吏であり、他の多くの門閥貴族同様、財産の殆どを国家に返納してしまっており、とてもエリザベート嬢を守る力のないこと、実家が建ててくれたリスナー男爵邸も手放しており、今は官舎住まいなので、令嬢を匿う場所もない事などを列挙して、何とか諦めてもらうよう説得した。
 リスナーは、話の感じから、オーディンへの帰還は、エリザベート本人の強い希望であり、彼女を守る忠臣達は、死んでいった者達を含めて皆、新政権下のオーディンへ降り立つことには危機感を持っている様子を感じていた。
 だが、そんな家臣達の危惧を他所に、とにかくエリザベートは、生まれ育ったオーディンに戻ると言い張っているようだった。
 いかにもあの思慮に欠けるわがまま娘らしいと、リスナーは唇を噛んだ。
 間もなく傀儡女帝から帝位を譲られるともくされているローエングラム公にとって、旧王朝の正統な血を引くエリザベートは危険な存在と見倣される可能性が高いことや、ローエングラム公自身や新政府は許しても、帝国の民衆が、ヴェスターラントの大虐殺を行なったブラウンシュヴァイク公の娘であるエリザベートに抱く感情を考慮すれば、オーディンへ戻ることの危険性を口を酸っぱくして説いた。
 男は、そんなリスナーの態度に、遂に彼を頼ってオーディンに帰還するのを諦めたらしい。
 だが、リスナーが、ほっとしたのも束の間、自分の死期を悟ったこのブラウンシュヴァイク家最後の忠臣は、リスナーの忠告を無視して、新皇帝の即位後間もなく、オーディン帰還を強行する。
 新政権になった時点でブラウンシュヴァイク派の貴族はほぼ壊滅しており、今更エリザベートを匿う余裕のある者などいないはずだった。
 本来なら頼りになるはずのアンスバッハは既になく、ボーデン夫人はフェザーンに亡命し、シュトライトはすっかりローエングラム公の忠臣となり信用出来ない。
 そして、婚約者であったはずのリスナーさえ当てにならないとなれば、彼等が頼れる人間はもういないはずだった。
 しかし、年号が新帝国歴1年と変わったばかりの7月12日、オーディンの宇宙港に密かに着いたエリザベート主従は、偶々公休日だったリスナーに連絡を入れてきた。
 驚いたリスナーは、とにかく彼等の存在を隠さなければと考え、急いで迎えに行き、とりあえず実家に連れて来た。
 実家の伯爵家は、領地惑星と荘園の大部分を返納し、このオーディンの上屋敷以外の不動産を全て売却して新たな課税制度にやっと対処して生活していた。
 使用人も必要最低限に減らし、広い屋敷は閑散としており、経年で傷んだ箇所の修復もままならない状態だった。
 既にリスナーには、エリザベートと結婚する意思はなく、よりによって、こんな時に迷惑千万なことではあったが、重体ををおして、それでも必死に姫君を守ってとここまで着た男を前に、流石に露骨に冷たい態度もとれなかった。
「男爵のお立場も考えず、申し訳ございません」
 と詫びる男を、リスナーと兄は医者を呼んでできるだけの治療を施してやった。
「貴方様にご迷惑をおかけするつもりはございませんでした」
 という男は、オーディン帰還を強行した訳を話した。
 一番の理由は、自分が余命いくばくもない中で、あのままエリザベート嬢を放置できなかったことだが、オーディンで頼ろうと思っていたのは、リスナーではなく、エリザベートの出生から就学年齢の10歳まで乳母を勤めていた男爵夫人であるという。
 この夫人も、一門であると同時に、彼同様代々公爵家に仕える重臣の娘で、その忠誠心に揺るぎないことを知っていた。しかし、この男爵夫人は、嫁ぎ先がリヒテンラーデ一族の家であった為、リップシュタット戦役後はずっと流刑地に在った。旧体制下の常識では、国事犯の係累として流刑に処された者が、許されて開放されるまでには、早くても5年、10年単位の時間がかかり、一生を流刑地で終わる者も珍しくない。
 それが、新帝国発足間もなく、同じリヒテンラーデ一族のコールラウシュ伯の令嬢が、軍最高首脳の一人であるロイエンタール元帥と結婚するということで、皇帝から彼女の一族に対して特別な恩赦が出た。
 リスナーは、ここでもあらためて新皇帝と軍幹部の特別な強い絆を感じるのだった。
 そして、自分の夢を実現するためには、やはり是非とも彼等の誰かと繋りを持たなければならないとの思いを強くした。
 エルフリーデにとっては、一族を救う為に必死で行なった赦免運動も、リスナーには、なんと余計なことをしてくれたのだという心境だったと、吐露した。
 元乳母の夫人は、娘がフェザーンの豪商に嫁いていたことで、流刑地から戻った一族の中では、唯一伯爵夫人の庇護を受けずに暮らすことのできる人物だった。
 エリザベート主従は、まず郊外にあるという元乳母の家を訪ねるつもりでいたという。
 しかし、不運は続くもので、元乳母は、新無憂宮で伯爵夫人の結婚式に参列し、安心感からか、翌日から気が抜けたように倒れ、そのまま他界してしまった。
 エリザベート主従は、この情報をオーディンへ向かう民間船の中で知った。
 そうなると、やはり二人にとって頼るべき人は元婚約者のリスナーしかいない。いや、“元”と思っていたのは、リスナーだけで、エリザベート自身は、今でも彼と自分は結婚すると信じているらしかった。
 エリザベートに最後まで従ってきた忠義の男は、治療の甲斐も虚しく、伯爵邸の一室でオーディン到着の一週間後に息を引き取った。
「父上…母上…姫様を、最後までお守り致しました。…これで、ブラウンシュヴァイク家への代々の御恩にも報いることができました…」
 最期を看取ったリスナーと兄の耳に男の言葉が虚しく聴こえた。
 気の優しい兄は、その言葉に涙ぐんだが、リアリストのリスナーは、逆に怒りを覚えた。
 死んだ男に対する怒りではなく、あんな空っぽ頭の女や卑劣なその父親を最後まで見捨てる事なく、生まれながらに尽くし甲斐のない主君に仕えることを運命づけられた男への憐れみと、そんな世の中の不条理に対する怒りだった。
 結局、リスナーは、兄と相談した結果、やはり今エリザベートの存在を公表するのはまずいということになり、とりあえず伯爵家の客間に、返上した領地惑星から呼び寄せた老婦人に世話をさせて屋敷に閉じ込め、ほとぼりが冷めるまで世間から隠すことにした。
 リスナーは、官舎暮らしをしており、滅多に実家には戻らなかったが、それでも偶に邸に帰ると、まだ彼と結婚するのが当然と思って邸に居座り、ドレスや調度品に何かと注文を付ける女に本気で嫌気がさしてきた。
 いっそ、殺して庭に埋めてしまえと何度思ったことかわからない。
 しかし、現在、憲兵隊の一部隊が、旧王朝の皇位継承権保持者の探索をしているという話を耳にして思い止まった。
 かつては、フリードリッヒ4世の有力な後継者候補であった彼女の行方が、本格的に話題になった時、自分が婚約内定者であったことを知っている人物が俄に騒ぎ出さないとは限らない。そうなれば、彼が望んでいる新政権の軍最高首脳と縁戚関係を結ぶ夢も潰える。
「だから、エリザベート嬢だけでなく、あなたが婚約者であったことを知っていたボーデン夫人やシュトライト中将まで殺そうとしたのですか?」
 ヒルダの問いに、リスナーは疲れた顔で頷いた。
「ええ。あんな女がぶる下がっていたら、俺は一生陽の目を見られない。新皇帝だって、ブラウンシュバイクの娘を妻に持つ文官を重用しますか? だから私は、私の実力を最大限に発揮させてくれる女性と結婚することにしたのですよ。それにはエリザベートが邪魔だったし、彼女と俺の関係を知る人間全てに消えてもらいたかった。これが嘘偽りのない私の動機です」
 半ば開き直って答えるリスナーに、ヒルダは最も聞きたかったことを尋ねた。
「それによって、何の罪もない市民が1万人以上死亡しても、あなたが新帝国の官僚として政治の実権握ることに意義があると考えたのですか?」
 挑むような蒼碧色の瞳を、リスナーの濃茶の瞳が一瞬精気を取り戻して睨み返した。
「ええ、そうですよ。あなただって、皇帝陛下だって、無駄な戦争で何百万人もの兵士が死んでも、それが新たな世の尊い犠牲と思って納得しているのでしょう? この帝国を500年に渡る愚民化政策から開放し、真の文明国家と成さしめるには、時間がいる。だが、時間がかかっても、いずれ帝国は立憲体制に移行し、やがては帝政自体を放棄しなければ、人類の退化に歯止めが掛からない。私は立憲体制下の帝国の初代首相となるつもりでいた。その時こそ、アイスラー思想が世に認められるのだと…!」
 ヒルダは、背中に電流が走る気がした。
 そして、確信した。この男は、発禁となったアイスラーの著作を密かに保持しているに違いないと。
 だが、今のヒルダには、個人的好奇心に浸っている時間はなかった。
「それで、あなたが、将来首相になるために結婚したかったのは、このお嬢さんですか?」
 ヒルダは、硬い口調でそう言うと、テーブル中央に、先程ロイエンタール邸から送ってもらったビデオから切り取った若い女性の映像を投影してみせた。
「さすがは一箇艦隊に匹敵する智謀の持ち主だけのことはある。何もかもお見通しだったわけですね」
 リスナーは、降参するポーズをとって、自嘲ぎみに応じた。
 逆に他のメンバーには、状況が飲み込めない。
「何者なんですか?この人。確かに、先程民政省の同期に確認したところ、リスナー管理官を宇宙港で見送っていた女性に間違いないと言っていましたが…」
 隣のベアトリスが我慢の限界を感じるように質問する。
 映像の女性は、栗色の髪にすみれ色の瞳をしたごく平凡な可愛らしいタイプで、夜会の場面のせいか、ドレスを着て正装してはいるが、明らかに板に着いていない感じで、リスナーの野心に見合うような重要人物には見えない。
「この方のお名前は、ロジーナ・バイルシュミット嬢。現在20歳。オーディンの私立大学の2年生で、社会福祉学を学んでいらっしゃる方よ。お父様は退役傷病兵でお母様も家計を助ける為に近くの工場で事務の仕事をなさっているとのことです。ご家族は、ご両親とも平民で、妹さんが一人いらっしゃるごく普通の家庭のお嬢さんです。そうですわね?リスナー管理官」
「ええ。その通りです」
 ヒルダの言葉を、リスナーは少し自棄気味に肯定した。
 だが、他のメンバーには、ますます意味が判らない。野心家のリスナー管理官が、エリザベート嬢を抹殺してまで結婚したかったのが、この平凡そうな女性なのか?という疑問を全員が共通して抱いた。
「確かに、彼女自身は平凡かもしれませんが、彼女は首都星の地方都市出身で、今は伯母夫婦の元から大学に通っています。あの夜会に出席していたのもその縁です。彼女の母親は、ミッターマイヤー元帥のお母様の妹に当たる方です」
 ヒルダの回答に漸く一同は納得できた。
「では、彼女、ミッターマイヤー元帥の従妹ということですか?」
 アンナが確認するようにヒルダに視線を向ける。
「ええ。ミッターマイヤー元帥には、ご兄弟がいらっしゃらないそうですから、実の妹も同然の方かもしれません。それだけではありません。彼女のお父様は、ミッターマイヤー夫人の亡きお母様の兄に当たる方で、夫人とも従姉妹関係になります」
 ヒルダは知る由もなかったが、この女性こそ、孤児となったエヴァンゼリンが、最初に預けられた家を飛び出して身を寄せた叔父の家にいた当時、まだ幼かった従妹達の上の娘が成長した姿だったのだ。
 ミッターマイヤーの両親は、息子が養女のエヴァンゼリンと結婚してまた夫婦二人の家になると、今度は妻の姪を下宿させて大学に通わせていたのだった。
「確かに、これなら充分エルスハイマー次官に対抗できるわね。ミッターマイヤー夫妻共通の従妹だなんて、これ以上ない強力なコネと考えても不思議じゃないわ。ただし、文官の人事に本当にそういうのがあるとすればだけど」
 サーシャが皮肉を含んで言う。
「でも、カールが優秀で、真面目な官吏であることは確かだわ。エリザベート嬢のことさえなかったら、私達だってずっとこの人を信頼していたと思うわ」
 ヘレーネが、少し悔しそうに正直な気持ちを吐き出す。
「そうね。それに、現実問題として、そこにミッターマイヤー元帥のお身内という付加価値が加われば、皇帝陛下の覚えも早いでしょうし、そうなったら、本当に将来の尚書というのも有り得たかもしれないわね」
 ベアトリスも同意する。
「でも、立憲体制にして首相になるというのは、少し飛躍していないかしら? それって、結局、帝国が共和主義化するということにならない?」
 アンナが尤もな疑問を呈すると、リスナーの少し相手を小馬鹿にしたような口調が部屋に響いた。
「共和主義の何がいけない? 民衆を堕落させ、国を腐敗させることに於いては、専制政治の方が余程適している政体だよ。問題は、数十年かけて、民衆をどれだけ主権を担える程に成長させられるかどうかだ」
 ヒルダとサーシャは、息を飲んで沈黙した。これはまさに、つい数時間前に2人の間で交わされた会話の再現だった。
 リスナーは、最後にもう一度向き直ると、今回の件にロジーナ・バイルシュミット嬢は無関係であり、自分と彼女との関係は、自分の方からの一方的なものだったことを念を押して述べ、彼女の将来の為にも、できれば調書から彼女の実名を削除して欲しいと依頼した。
 ヒルダとリンザーは、その件を即答で了承した。
 リスナーによると、新王朝発足後、民政省に移動になり、尚書の随員に選ばれてロイエンタール邸の夜会に参加した時、久々の華やかな場所で、貴族の娘たちを物色している独身の同僚達を、彼は冷めた目で眺めていた。
 そんな時、突然目の前で一人の娘が前のめりに躓いたのを偶然助け起こすことになる。若い娘は、顔を真っ赤にして恥じらいながら礼を言い、足早に去っていった。
 リスナーはその時には、その娘に対して何の興味も感じていなかったという。
 暫くして、皇帝一行が現れ、継いでファーレンハイト提督の結婚を祝うシャンパンが配られると、テラスを背にグラスを呷っていたリスナーの耳に、先程の娘の泣きそうな声が聴こえてきた。
「伯父様、伯母様、やっぱり私にはこんな席は場違いだったわ。さっきも履きなれない靴でドレスの裾を踏んでしまって、知らない方に助けて頂いたの。それに、若い女の子は、みんな私よりきれいで洗練されていて、恥ずかしいわ…」
「何を言うのロジーナ。そんなのあなたの思い過ごしよ。あなただって充分きれいよ」
 慰めるように言う伯母らしき女性のすぐ後から、彼女の夫も妻に追従する。
「そうだとも。貴族のご令嬢方が洗練されて見えるのは、お前より化粧が上手かったり、ドレスを着慣れているだけさ。お前より素で美しいのなんて、せいぜい半分…いや、3分の1くらいさ」
 伯父らしき男の、こちらも洗練されているとは言い難い慰めの言葉に、リスナーは思わずシャンパンを吹き出すところだった。確かに、彼の言う通りかもしれない。
「とにかく、今夜はあまりボロが出ないように、大人しくしているわ。せめてウォルフ兄様とエヴァ姉様に恥をかかせないようにしなくちゃ」
 その言葉を聴いた途端、リスナーは硬直した。
 そして、3人の会話に耳を澄ませて聴き入っているうちに、彼女が何者なのかを知ることになる。
 それでも、彼はそれだけですぐに彼女と結婚したいと思ったわけではないと言う。
 偶然を装い、夜会のラストダンスに、さり気無く誘うと、初めて互いの名を名乗り、連絡先を交換し合った。
 ロジーナは、フォンのついたリスナーの名前に少し緊張したようだったが、「なぁに、今時貴族なんてもう名ばかりですよ。僕なんか次男なんで家は兄が継いでます。今は民政省の下っ端役人です」と言って、彼女の警戒心を和らげた。男爵号を所持していることも、高級官僚であることも敢えて言わなかった。
 ロジーナの方も、帝国元帥の権威を振りかざすことに躊躇いを感じたのか、私立大学の学生で、今は伯母夫婦の家から通っているとしか言わず、ミッターマイヤーとの関係には触れなかった。
 こうして、リスナーは、彼女が何も言わないことに合わせて、ミッターマイヤーの親族であることを知らないふりをして、交際をスタートさせた。
 リスナーは、ミッターマイヤー元帥と縁戚になるという野心とは別に、付き合ううちに、だんだんとロジーナという娘に本気で惹かれていった。
 ロジーナは、一見平凡そうだが、話をしてみると思いの外賢く、帝国人女性には珍しくしっかりと自分の考えを持っていることがわかった。
 大学で社会福祉学を専攻した理由や将来の夢を語るのを聞いていると、同年代のエリザベートがいかに甘ったれたつまらない女であるか思い知った。
 ロジーナの方も、生まれて初めて身近に接する貴族青年に、淡い憧れを抱いている様子だった。
 しかし、ロジーナとの交際が順調になればなるほど、エリザベートの存在が益々邪魔になってきた。
 皇帝もミッターマイヤー元帥も、男女関係には潔癖な人柄だと聞いている。非公式ながらもエリザベートと婚約し、身体の関係を持ってしまった自分のような男とロジーナが結婚したいと言ったら、いい気持ちはしないだろう。ロジーナ自身も周囲から祝福されない結婚に二の足を踏むかもしれない。
 折しも、大本営のフェザーン移転が決まった直後であり、文官であるリスナーもいずれはかの地へ赴かなければならない立場になった。
 リスナーは、決断を迫られる時が近づいていた。
「若様。私に考えがございます」
 そう申し出たのは、実家でエリザベートの世話をさせていた老婦人だった。
 普段一切無駄口を叩かず、滅多に自分から口を利かない女の言葉に、リスナーは少し驚いて振り向いた。
 元々辺境の領地惑星の邸に仕えていた奥女中だったが、使用人の人員整理の際、身寄りがなく高齢であることを不憫に思った兄弟が、唯一の女手としてオーディンの邸に呼び寄せた。彼女もそれを恩義に感じているらしく、リスナーと兄の伯爵には忠実に仕えてくれているし、わがままなエリザベートの世話も嫌な顔一つせず黙々とこなしている。
 そんな彼女が、この時初めて自分が地球教徒であることを打ち明け、エリザベートだけでなく、2人の関係を知る者達全員も、一緒に無理なく葬ることができる方法があると言う。
 リスナーは、数分思考した末、この作戦に賭けることを決めた。
 実行場所が、愛着のあるオーディンではなく、フェザーンであるということが、幾分気持ちを軽くもした。
 そして、作戦の手始めとして、本来なら民政省の官吏として、遷都令後にフェザーンに赴く予定だったリスナーは、TIEG−36型感染拡大防止対策室への出向を志願して、大本営の移転と共に一足早くフェザーンの地を踏むことになる。
 エリザベートには、2日遅れの便を用意し、フェザーンの方がリップシュタット派に対する風当たりも少ないし、生活用品も発達しているので、便利で暮らしやすいから、向こうで結婚して新生活をはじめようと言って説得した。
 単純な女はすぐに承知すると、自分に仕える女と結婚すると思っている男に命を狙われていることなど思いもせずに嬉々として豪華客船の特等船室に乗り込んだという。
 こうして、リスナーは、ルビンスキーと地球教徒が仕掛けていた爆破テロに便乗して、5人の人間の殺害を実行したのである。
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