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イノセント・プリンセス(15)
 リンザーが到着し、全員が会議室に入るまでの短い時間に、ヒルダは別室から密かにロイエンタール邸にヴィジフォンを入れ、伯爵夫人にことわった上で、執事に去る8月の夜会の際に撮影した3Dホームビデオを転送して欲しいと頼んだ。
 エルフリーデもロイエンタール家の執事も少し怪訝な顔をしたものの、快く承諾してくれると、間もなくヒルダの端末宛に、4時間近くにも渡る映像データが高速回線を伝って送られてきた。
 当時、帝国中の話題をさらった豪華で大規模な夜会だったが、混乱を避けるためにマスコミの取材を極力制限したので、公式な画像データは極限られたものしか残っていなかった。
 しかし、ヒルダは最近になって、エルフリーデとの何気ない会話から、ロイエンタール邸の使用人が、ほぼ開始から閉会までを会場内の8ヶ所に設置した高性能プライベート3Dカメラで撮影していたことを知った。
 彼等にしてみれば、近い将来の遷都を見据えた大本営移転が決定した直後であり、この邸の最後の華やかな場面をできるだけ記録に残しておきたいとの気持ちだったのだろう。だが、それが、後になってこんな意外なことに役立つとは、撮影者達も思いもよらなかったに違いない。
 ヒルダは、普段は殆ど使わない室長室の小部屋に篭ると、早送りで映像データを流し、目的の人物を探した。
 8倍速で再生を始めて10分強、記録上1時間22分後という意外な早さで、それらしき人物を突き止めた。
 更に、その部分を切り取ってコピーすると、同じ映像をベアトリスの個人端末とロイエンタール邸に送信して、確認をとってもらった。
 その返事を待っている間に、リンザーの到着を告げられると、対策室のメンバーは、全員隣室の会議室に入った。
 この会議室のテーブルは円卓で、上座と下座がはっきりしている長方形の帝国式とは対照的だった。
 少ないメンバーが、身分や階級を超えた連帯を持てるようにというヒルダの希望で選ばれたものだったが、この日のヒルダは、真っ先に部屋に入ると、入口を塞ぐように自ら形式上は一番下座とされている席に、ドアを背にして腰掛けた。
 ヘレーネ達4人がそれに続き、ヒルダを守るように2人づつ両脇を固める。
 逆にリンザーが、ヒルダと向かい側の入口から一番遠い上座へ腰掛けると、残りの3名の男達は、自然とリンザーの両脇の椅子にそれぞれ着くことになった。
 出席者達は、各々の席のテーブルに設置されている端末のキーボードカバーを上げると、それぞれのIDと指紋認証でログインして、スタンバイした。
 フェザーンの最新版端末らしく、ディスプレイの形はなく、キーボード部分の奥に数センチ浮いた形の四角い画面が出現する。
 更に公開資料は、テーブル中央に映像を投影させることができる。
「リヒャルト。いえ、クリューガー中佐、あなたは、地球教徒ですね」
 全員の準備が整った直後、ヒルダの抑揚のない冷たい声が響き、自分の正面より向かって一人分右側に座るクリューガーを凝視した。
 その場にいた全員が一瞬戸惑いの表情を見せる。
 特に、女性准尉達は、糾弾されるべき人物がいるとすれば、てっきり消去法でカールことリスナー管理官だとばかり思っていただけに、互いに顔を見合わせている。
「ばかな…! なぜ私が」
 案の定、クリューガーは抗議の声を上げた。
「では、あなたの右袖の内側を見せて下さい」
 ヒルダが、表情を変えずにいい放つと、クリューガーは、今まで見せたことのないほど狼狽して、咄嗟に自分の軍服の左袖に右手を添えて隠した。
 その行動が、ヒルダの指摘の正しさを何よりも雄弁に語っていた。
「くっ…」
 観念した彼が、奥歯を強く噛み込もうとした瞬間、隣に座るリンザーが、彼の首に至近距離から麻痺モードにしたブラスターを放った。
 クリューガーは、上半身の神経が一時的に麻痺し、口も手も動かす力を無くした。
 リンザーは、手配していた憲兵隊の兵士を呼び、クリューガーの腕を掴んだ。彼の右袖の内側に、「地球はわが故郷、地球をわが手に」という刺繍を確認すると、待機していた兵士達に引き渡した。
 兵士達は、クリューガーの口に、自殺防止用のマスクを装着すると、自力で動けない彼を両側から支えて、引き摺るようにして部屋を出ていった。
「どういうことですの?」
 ベアトリスが、昨日までの推理と違いすぎる成り行きに、隣に座るヒルダに疑問の目を向ける。他のメンバーも、思いは同様だった。
「今見ての通りです。クリューガー中佐は、今回の爆破事件の主犯格の一人であり、実行犯の一人でもあったということです」
 ヒルダが静かに、だが、はっきりと宣言すると、リンザーが冷静に問い返した。
「フロイラインが、そう思い至った理由は?」
「一つは、今回仕掛けた罠の反応です。そして、宗教に救いを求めたくなっても不思議ではない彼の経歴です」
 ヒルダはそう言うと、独自に調査させたリヒャルト・クリューガーの詳細な経歴を中央に投影させた。
 そこに列記されたものは、現時点から遡って読めば、一見何の変哲もない順調に出世を重ねている平民出の軍官僚のものに思えた。
 しかし、ヒルダは今回、敢えて任官し公職に就く以前の出生時からの経歴も細かく洗い出させていた。

 リヒャルト・クリューガーは、帝国歴459年、オーディンで平民の中流家庭の三男として生まれている。
 新政府の首脳の中では、丁度ミッターマイヤー元帥と同年に当たる。
 両親共に平民であったが、父親は門閥貴族系企業の下請け会社を経営しており、そこそこ裕福な家庭だったと推察される。母親は専業主婦であった。
帝国歴469年10月 大学在学中に徴兵された長兄が戦死(10歳)
   470年12月 母親が病死(11歳)
   472年 3月 親会社を経営していた貴族が失脚した煽りを受け父親の会社が倒産(12歳)
     同年 8月 父親が自殺。以後、次兄と共に遠縁の家に身を寄せる(13歳)
   475年 9月 士官学校入学(15歳)
   478年11月 奨学金で大学に在学していた次兄が徴兵され戦死(18歳)
   480年 8月 士官学校を卒業。少尉として統帥本部情報処理科に配属。(20歳)
   483年 9月 中尉に昇進(23歳)
   484年 6月 親族の紹介で知り合った女性と結婚(24歳)
   486年 3月 大尉に昇進すると同時にイゼルローン駐留艦隊へ転属となり単身赴任(26歳)
   487年 5月 イゼルローン要塞陥落と同時に上官であったオーベルシュタイン大佐(当時)に従って要塞を脱出、オーディンに帰還。ローエングラム元帥府に転属し、引き続き総参謀長となったオーベルシュタインの配下となる。(27歳)
     同年 6月 第一子(男児)誕生
     同年 7月 妻に対しにて民事審議院に離婚通告し受理され離婚成立       
488年 9月 リップシュタット戦役後、フェルナー大佐(当時)の下へ配属され少佐に昇進(29歳)
新帝国歴 1年 6月 軍務省調査局勤務となり中佐に昇進
     同年 9月 大本営移転に伴いフェザーンへ移転
     同年10月 当人の希望によりTIEG−36型感染拡大防止対策室へ出向

「天涯孤独な人だったのね…」
 家族全員が死亡している状況に、一番先に感想を述べたのは、似たような境遇のヘレーネだった。
「確かに同情すべき点は多いけど、それだけで地球教に走るって納得できないわ。こう言ってはなんだけど、旧体制下の平民にはよくある話でしょ。うちだって、リップシュタット戦役で会社は潰れてるし、私も婚約破棄されてるし」
 サーシャがヘレーネの憐れみの篭った言葉に反論するように言った。
 彼女の実家は、ブラウンシュヴァイク派の貴族が牛耳る半国営企業グループの下請け工場を複数経営する富豪だったが、ローエングラム体制になって全ての利権を失った。
 クリューガーなどよりずっと門閥貴族の恩恵を受け、その分打撃も大きかった家と言っていい。しかも、親が許嫁に決めた同業者の息子は、枢軸派貴族の臣下だった為、リップシュタット戦役の勃発で婚約を破棄された。
 徴兵されれば命を落とす確率の高い前線へ送られ、商売をすれば寄生している貴族次第で一夜にして全てを失う。これが旧体制下での帝国の平民の一般的な立場だった。
 そんな中で、平民でも比較的裕福な家庭で、知力と体力に自信がある少年の中には、一兵卒で徴兵されて無能な貴族の上官の為に死ぬよりも、自分が命令できる立場に立つことを考え、士官学校を目指す者がいる。ミッターマイヤー元帥は、その成功者の頂点であり、リンザーもバイエルラインも、現在の軍上層部の平民出身者は皆同じような経緯を辿っている。
 クリューガー中佐も、経歴を見る限りでは、そうした平民出身士官の典型であり、しかも、艦隊司令官を別にすれば、31歳という年齢で中佐というのは、かなりのスピード出世と言える。
 彼が何時地球教に入信したのかはわからない。しかし、将来に充分希望を持てる地位にいながら、なぜこのような愚行に走ったのか、ヘレーネにもサーシャにも理解できなかった。
「でも、せっかく家庭を持ったのに、自分から捨てているんですよね? これって、地球教と関係あるのかしら? それとも、これもよくある出世コースに乗った男がやることだったのかしら?」
 ベアトリスが、テーブル中央に投影された文字に目を遣りながら問う。
 男性優位社会である旧王朝下では、同じ身分の夫婦なら、夫側から一方的に離婚できる法律になっており、野心のある男が、自分の将来により有利な妻を得る為に、現在の妻を離婚するという話はままあることだった。
 だが、クリューガーの生真面目な為人と、そのような冷徹さとが、ベアトリスにはピンとこない。
「あ、これ、おかしいわ。486年の3月にイゼルローンに赴任してるのに、487年の6月に子供が産まれてるって」
 アンナが漸く答えに辿り着くと、ヒルダは深く頷いた。
「ええ、私ももう一度見直していて気づいたの。これもよくある話と言えば言えるのかもしれないけれど、ご家族全員を亡くされているクリューガー中佐には、ショックが大きかったことでしょうね。しかも、ここには書かれていませんが、更に調査したところ、離婚された奥様は、産まれた子供を連れて、翌年再婚しています。お相手は、クリューガー中佐の士官学校時代からの友人の憲兵大尉です」
 全員が息を呑む。
 リヒャルト・クリューガーという男は、肉親を相次いで亡くしたばかりか、妻と友人にも裏切られていたというのか。
 もっとも、長期に渡る艦隊勤務を終えた夫が家に戻ると、妻が有り得ない妊娠をしていたとか、子供が産まれていたといったことは、戦時下の帝国ではよく聞く話でもあった。
 ただ、国の都合で理不尽に家族を奪われても、職務に精励し懸命に生きてきた男が、それでも報われず、人生に絶望した挙句に辿り着いた先が宗教だったとしても納得できるものがある。
 旧王朝下では、戦意喪失を招きかねないような事例は、極力表沙汰にしない風潮があった為、どの程度の頻度でこのようなことが起こっていたのか、はっきりとした統計が存在しないので判らない。だが、昔から庶民から貴族まで巷ではよく耳にする話であり、いずれにしろ若い夫婦が長期間離れて暮らさなければならないような環境がよくないのは明らかだった。
 このような悲劇を繰り返さない為にも、同盟との停戦、和平は継続していかなければならないとヒルダは思う。
「これから取り調べれば、徐々に真相が明らかになると思いますが、彼がこの事件に深く関与したことは間違いないでしょう。主犯は地球教の残党と、恐らくルビンスキー一派だと思われます」
 ヒルダの蒼碧色の瞳が怜悧に輝いた。
「では、これであの事件は解決ということになるのですか?」
 ベアトリスが、納得できないと言った表情を露にしながら問う。ボーデン邸に同居する他のメンバーも同じ気持ちだった。
 実行犯がクリューガーなら、今まで散々議論してきたブラウンシュバイク公に連なる人々の件は、いったい何だったのか?
 だが、応じるヒルダの瞳は、まだ緊張を解いていなかった。
「いいえ。私はクリューガー中佐は、実行犯の一人だと言っただけです。彼にエリザベート嬢やボーデン夫人を殺す動機はありません。これは、元々あったルビンスキー一派と地球教の企てに便乗して、邪魔者を消そうとした人物がもう一人存在してこそ成り立った事件なのです。…そうでしょう? カール。いえ、リスナー管理官」
 きっぱりと言い切り、今までにない鋭い眼差しを向けた先には、リンザーの左脇に座るカール・アルベルト・フォン・リスナーの不安気に揺れる瞳があった。
「私が? いったい何故? 何の証拠があってそのような戯言を…!」
「証拠は、間もなく見つかるでしょう。爆破されたビルのセキュリティを担当していた会社に、監視カメラデータのバックアップを提供させました。あなたやクリューガー中佐が起爆装置やゼッフル粒子の入ったカプセルをセットしている場面が見つかるはずですわ」
 しかし、毅然と言い放つヒルダに対して、リスナー管理官の反応は予想外のものだった。
「それは重畳。それだけ確かな証拠があれば、私の疑いも簡単に晴れるでしょう」
 瞳に安堵の色を浮かべて言う彼に、ヒルダははっと思い至った。
『そうだわ。多分、エリザベート嬢のいたサービスアパートメントには、部屋の中の何処かに爆破装置を仕掛けていたに違いないわ。考えてみれば、その方がずっと確実だし、誰にも見咎められない。監視カメラは共有部分にしか設置されていないから、もし彼の姿が映っていたとしても、直接の証拠にはならないんだわ』
 ヒルダは、少し悔しそうに唇を噛んだ。
 公正な司法制度を掲げるローエングラム王朝では、物証なくして人を罪に問うことはできないとされている。
 仮に、リスナーが、本当にエリザベート嬢の内々定の婚約者だったとしても、今の段階では、それは彼が爆破スイッチを押した証拠にはならない。
 地球教徒のクリューガーは、憲兵隊が自白剤を使ってもリスナーの名前は吐かないだろう。その安心感があるからこそ、この男は共犯者が拘束されても、こうして平然としているのだ。
 頼みの綱は、エリザベートの世話をしていた老夫人の証言だが、代々仕えた忠義者だとしたら、簡単に自白するとは思えない。
 ベアトリスを騙った偽メールも、警察が通信サービス会社にデータ提出を依頼したところ、ほぼヒルダ達の推理通りであったことが判明していた。送信時間や送信された端末を特定すれば、リスナー管理官の犯行であることも突き止められるだろう。だが、やはりそれも、彼が爆破事件の犯人だという物的証拠には成り得ない。
 ヒルダは、気を取り直すと、自分の端末画面に目を遣り、今朝から自分宛に入っている何件かの通信文に目を通した。
 0719時という時間に受信している一通は、オーディンのケスラー憲兵総監直々のもので、同じ文面をこちらの捜査責任者であるブレンターノ副総監宛にも送っていることを示していた。
 読んでいたヒルダの目が見る見る曇る。
 ケスラーからの報告によると、彼は、ヒルダの予想を遥かに上回る人員と時間を割いて、モンタージュの老婦人を探してくれたらしい。
 ヒルダが独自に派遣した調査会社の調査員のみでは、目的の人物の確保には時間がかかり過ぎると判断した為、知己である首都防衛司令長官に対して「可能な限りで結構ですので、ご協力頂きたい」という遠慮がちな電文を打って依頼をしていたのだった。
 まだこの夫人が事件に関わっているという確かな証拠がない状況での依頼だったので、帝都防衛の最高責任者で多忙を極めているケスラーに対して、ヒルダとしても強く頼み込むのが躊躇われた為だった。
 しかし、ケスラーは、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた軍人特有の勘で、この老夫人を捜し出すことが、事件解決の突破口になると見極めた。
 直ちに、各星系のハブ宇宙港に検問所を設け、主要航路に非常線を張ると、ヴァルハラ星系内の人口惑星宇宙港から、イゼルローン回廊入口の辺境星系方面へ向かう航路を航行中の民間船に、モンタージュに酷似した女性が乗船していることを突き止めた。
 直ちに艦艇を差し向け、民間船に停止命令を勧告して、憲兵隊が乗り込んだが、その老婦人は、身柄を確保される前に、船内の個室で自ら毒を呷って亡くなっていたという。
 後に遺体を調べた検死官によると、自殺に使われたのが致死量のサイオキシン麻薬であったことや遺留品から、一般信者の中ではかなり高位の地球教徒であることが判明したという。
 ケスラーは、報告の最後に、彼女を生きて捕縛できなかったことを詫びている。
 逮捕に向かった憲兵隊も、相手が女性で、しかも力の弱い老人ということで油断していたのだろうし、まさか自害という行動に出るとは予想もしていなかったようだ。
 だが、地球教徒なら、たとえ生きて捕らえても決して口を割らないだろうと確信できたので、ヒルダはケスラーや憲兵隊のミスだとは思わなかった。
 だが、これでまた糸が切れてしまったことには、落胆を禁じ得ない。
 件の老婦人は、下級貴族の出で、夫が戦死して若くして未亡人となり、身寄りはなく、リスナー管理官の生家である伯爵家の領地惑星の館に、50年近く奥女中として仕えていたことが判明したという。
 旧体制下での希望の持てない人生の中で、彼女が最後に救いを求めたのが、地球教という宗教であったことは、想像に難くない。
 そして、リスナー管理官と地球教徒を結び付けたのが、クリューガーではなく、この夫人であったことも容易に推理できた。
 恐らく、ルビンスキー一派と地球教の残党との間で、先に大本営移転後のフェザーンで、中規模な爆破テロが計画されていたのだろう。
 その情報を得ていた古株の信者であるあの老婦人は、丁度、自分が長年仕えている家の若様が、エリザベート嬢や、自分と彼女の関係を知る人間が邪魔になり困っていることを知る。
『ハインリッヒの時と同じね。地球教徒は、ローエングラム政権の中枢ではなく、その周辺に網を張って機会を伺っている。巧妙で、的を得た配置だわ』
 ヒルダは、壊滅したとされる地球教徒達が、未だこれ程の組織力と団結力を保っていたことに戦慄を覚える。
 リスナーは、恐らく何かの切っ掛けでで、自分が旧王朝の皇婿候補であったことが知れると、官僚としての立身出世に著しく不利になると思い込んでいた。そこで、エリザベート嬢だけでなく、自分を推薦したボーデン夫人や、それを知っていた可能性の高いシュトライトやフェルナー、ボーデン夫人と親しかったバッケスホーフを一気に葬る必要が生じた。しかし、エリザベート嬢一人だけならともかく、自分に疑いがかからない形で5人もの人間を一度に殺すというのは、平和な地表ではなかなか難しいものがある。そんな彼に、長年実家に仕えているあの老婦人は、地球教の計画を伝え、それに便乗する形で邪魔者達を一度に消すことを提案する。リスナーは、それに飛び付いた。
 無論、今から思えば、リスナー管理官とクリューガー中佐、バッケスホーフ事務官が、この同じ対策室に集まったのも偶然ではない。リスナーとクリューガーの2人が、綿密に打ち合わせた上でそうしたのだ。
 そう考えると、あの中途半端な爆破テロの説明も付くのだ。
 被害規模は甚大とは言えず、かと言って、軽微でもなく、死傷者は多くも少なくもなく、何よりもあの場所では、死者の中に皇帝を初めとする軍首脳や尚書クラスの文官は一人もいない。だが、皇帝の側近中の側近である高級副官と、軍務省幹部が、死亡してもおかしくない程の重傷を負ったので、新帝国側としても、それなりに深刻な被害が生じたようにも見える。
 ルビンスキー一派が狙ったのは、まさにこのような状況だったのだろう。
 そして、この爆破テロが、帝国の自作自演であり、フェザーンの民心を掌握する為に1万人以上もの人間の命を犠牲にするという姑息な手段を講じたとの風評を流す。
 皮肉にもインフラが発達し、個人間の通信の自由や不敬罪を除く言論の自由が認められた新帝国のフェザーン内では、この風評は説得力のある事実として広まる。
 それは、即ち、フェザーン人達の反新帝国感情に火を着けることとなり、帝国のフェザーン支配をも揺るがしかねない。
 これが、ヒルダが推理したこの事件の真相の概略だった。
 だが、主犯と目されるルビンスキーや、地球教徒の残党は、未だ足取りが掴めず、状況証拠から実行犯の一人と思われるリスナーを逮捕できる決定的な物的証拠を挙げるのは難しい。
 ヒルダは、唇を噛み締めながら、再び端末画面に目を落とす。
 大本営からの定時連絡の後に、つい30分程前に、珍しいことに軍務尚書直々のメールが入っていた。
 それを読んだヒルダは、最後の賭けに出るか否か、一瞬迷った。
 その時、再び新たなメールが入ってきた。
 発信者は、隣に座るベアトリスである。
 彼女は、ヒルダが先程送ったロイエンタール邸の夜会で、民政尚書の随員として参加していたリスナーと話している女性の映像を送り、ベアトリスの同期や先輩官僚が、宇宙港でリスナーと別れを惜しんでいた女性と同一人物かどうか確認してもらい、その返事を伝えてきたのだった。
 更に、コールラウシュ伯爵夫人からのメールが届き、彼女が何者なのか知ることになる。
 これで、決心がついた。
「10月23日、ヴァレーヌ地区13番街ベジャール通り22番地の雑居ビル」
 ヒルダが突然無表情でそう言うと、リスナー管理官から余裕の笑が消えた。
『勝ったわ』
 ヒルダは、リンザーと女性准尉4人に、余人には分からない小さな目配せを送ると、既にアイコンタクトで意思疎通が可能になっている5人は、即座にヒルダに話を合わせる。
「リスナー管理官、証拠が出た以上、我々は卿を憲兵隊に引き渡さなければならない。だが、卿はここでフロイライン・マリーンドルフの下で、共に感染拡大防止対策に勤しんだ仲間でもある。少なくともここでの卿の仕事ぶりは、有能で誠実だった。できれば、憲兵隊の厳しい尋問を受ける前に、ここで私とフロイラインが、将官の権限を以って聴取を行った上で、皇帝陛下と司法省に直接供述調書を提出する形にしたいがいかがか?」
 リンザーが切り出した言葉に、リスナーはがっくりと肩を落とし、たっぷり10分程項垂れていた。
 実際には、ケスラーを頂点とする現在の憲兵隊は、余程のことがない限り、無闇に拷問紛いの取り調べなど行わないのだが、旧体制下での憲兵隊のイメージの染み付いている帝国民の多くには、まだこの脅し文句は有効だった。
 オーベルシュタインから届いた電文の内容は、ルビンスキーの行方を追っていた直属の一部隊が、事件翌日の10月23日の街頭監視カメラの映像から、98.2%という高確率で、ほぼルビンスキー本人と特定される男が、先程ヒルダが言った雑居ビルに入る姿を捉えたというものだった。
 このビルは、サンピエール商会という会社名義になっており、オーナーは、ルビンスキーの情婦の一人だということもつきとめられている。
 帝国軍のフェザーン占拠後間もなく、1階から最上階の16階まで全てのテナントが契約を解除し廃ビルとなっていた。
 ルビンスキーらしき男は、数名の護衛と思しき男達と、このビルの前に高級車で乗り付け、閉鎖しているはずの入口の鍵を開けさせると、一人で中へ入っていった。
 後にこのビルには、本来無いはずの地下室が存在し、一階奥の目立たない場所に、暗証番号ロックキー付きの扉から地下へ続く階段が延びていたことも判明している。
 フェザーン都内には、まだこうしたルビンスキーのあじとが数箇所あると思われる。
 ルビンスキーがビルに入った15分後、一人の若い男が、ビルの前に現れた。
 残念ながら、監視カメラの位置の関係で、この男は後姿と一瞬の横顔しか映っていない。軍務省でも、現時点ではまだこの男を特定できてはいないという。また、目抜き通りからも遠く、重要地点でもないことから、カメラ自体が旧式で、画像の解像度も低かった。
 男は、体付きはリスナー管理官によく似ていたが、サングラスをかけていることもあり、この映像ではフェザーンの技術をもってしても特定は難しいだろとう思われる。
 男は、車を囲んでビルの前で待機しているルビンスキーの部下の一人と短い会話を交わすと、躊躇う様子もなくビルに入っていった。
 30分後、一人でビルを出てくると、周囲を気にしながら、さっさと大通りに向かって歩き始め、監視カメラの視界から消えていった。この時の映像も、大半が後姿になっており、リスナーだという証明は難しいと思われた。
 ルビンスキーは、更にその5分後にビルから出てきて、再び姿を消している。
 それでもヒルダは、この賭けを続行することに決めていた。
 物証による立件が難しい以上、彼の罪を暴くには、自供による裏付けしかない。
「フェザーンの映像解析技術を甘く見てらっしゃったようですわね。リスナー管理官。ルビンスキーの後から誰もいないはずの廃ビルに入っていった男があなただということは、サングラス一つで隠せるようなものではありません」
 ヒルダは、僅かに良心の痛みを感じながら鎌を掛けると、リスナーの全てを諦めた深い溜息が聴こえた。
 リンザーが、気配を察して、記録装置のスイッチを入れる。
 フレッドことリスナー“中尉”の方も、自分の役目を自覚して、静かに席を立つと、ブラスターを構えてドアの入口に立った。
「では、リスナー管理官。皇帝陛下の臣僚である卿が、なぜ手配中のルビンスキーと会談し、通報の義務を怠ったのか、まずはそこからお話し頂きましょうか」
 リンザーの冷静な口調に、リスナーはいきなり激昂させた顔を上げた。
「俺は…! 俺は、この帝国を改革したかった。腐りきったゴールデンバウム王朝を根底から立て直したかった。無益な戦争を終結させ、社会の不公正をなくし、誰もが幸福に暮らせる世にしたかった。俺自身の為でも、門閥貴族の為でもなく、250億帝国民全ての為に。俺にはその能力があった。だから、あの空っぽ頭の女の結婚相手に選ばれたと知った時は、大神オーディンのご意思を感じたのさ。なのに…なんで…こんな…」
 最後は涙声で再び項垂れるリスナーに、隣のリンザーは、露骨に嫌悪感を現した。
「貴族のお坊ちゃんが何を言ってやがる」という言葉が、言わずとも聴こえてきそうな雰囲気中で、ヒルダのみは、リスナーの心の叫びを神妙に聞いていた。
「わかります。あなたのお志が、純粋なものであったこと、私にはわかります」
 私も同じ気持ちだったからという言葉を飲み込みながら、ヒルダは深く瞑目して頷いた。
 帝国の最高学府で学んだ彼が、あの当時の社会に改革の必要性を感じたことは、同じ門閥貴族に生まれたヒルダには、誰よりも理解できた。
「でも、それを成すべく大神オーディンがお選びになったのは、あなたではありません」
 蒼碧色の瞳を見開き、真っ直ぐにリスナーと目を合わせたヒルダは、毅然とそういい放った。
 そうだ。大神オーディンは、ゴールデンバウム王朝に対して、もう小粒な改革者など遣わす気はなかったのだ。
 その神命を担ったのは、人類史上最も偉大な恒星の如き黄金の覇者であった。
 リスナーは、再び大きく嘆息すると、意外なほどあっさりと、供述を始めた。
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