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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(15)
 カーテンごしに、空が徐々に明るくなり始めるのを感じると、ロイエンタールは、ゆっくりと目を覚ました。
 腕の中には、幼妻のあどけない寝顔がある。
 サイドテーブルのアナログ時計は、5時半を示していた。
 シャワーを浴びようと思い立ち、規則正しい寝息を立てて眠る妻を起こさぬよう、細心の注意を払いながらそっと腕を解こうとすると、エルフリーデが微かに身じろぎした。
 昨夜、きれいに結い上げられた髪はすっかり乱れ、原型を留めない。
 ロイエンタールは、汗ばんだ額に張り付いている数本のクリーム色の髪をそっと払ってやると、ベッドを降りるのを諦めて、こめかみに静かに唇を落した。
 無防備な寝顔を眺めていると、今まで感じたことのない満ち足りた気持ちになっていた。そう言えば、こうして二人一緒に朝を迎えるのは、初めてだったなと、ふと思う。いつも、ことを済ませると、なるべく顔を見ないようにして、さっさと部屋を出て行くことが習慣になっていた。
 だが、なぜかこの日の朝は、この場から逃げたくなかった。
 7時を過ぎ、カーテンの隙間から、夏の強い陽射しが差し込むと、エルフリーデは、薄っすらと目を開けた。
「お目覚めか? 伯爵夫人」
 いつも聴く皮肉を含んだ声が、やけに優しい。やっと我を取り戻したエルフリーデは、咄嗟に身を起こそうとしたが、自分の脇に横たわる男が、それより早く彼女をシーツごと抱え込んで、ベッドから掬い上げていた。
「な・・何をするの!?」
 身を捩って無駄な抵抗を試みたが、腕ごとシーツに包まれてしまった身体は全く自由が利かない。
「何もしない。シャワーを浴びるだけだ」
 浴室の扉を開けると、ロイエンタールは、エルフリーデをそっと床へ下ろし、包んでいたシーツを払って隅に放り、反射的に両手で胸を覆った彼女の背を押して、シャワーブースへ一緒に入った。
 温めの湯が降り注ぎ、汗ばんだ肌に心地よく流れる。
 エルフリーデは、狭い空間で目のやり場に困っていた。
 何も纏っていない裸の自分の目の前に、やはり裸の男がいる。毎夜肌を重ねても、こうして明るいところで、男の裸体を間近で見るのは初めての経験だった。
 完璧に鍛え上げられた男の肉体は、美術の授業で描いたマルス像やダビデ像の石膏よりも美しかった。
 エルフリーデは、また胸の奥に痛みを感じながら、降り注ぐ湯に身を晒すしかなかった。
 ロイエンタールは、全く気にしている様子もなく、壁に埋め込まれたパネルを操作すると、今度は泡状の全身洗浄剤が四方の壁の噴射口からセンサーで関知された体にそって噴出した。数十秒の後、それが自動的に止まると、再び湯が降ってきて、全身を覆っていた泡を洗い流す。
 シャワーブースを出ると、エルフリーデは、濡れた髪を軽く搾り、洗面台脇に置いてあった髪留めで、一旦髪を上げた。
 タオルで身体を拭こうとしたが、それよりも早く、ロイエンタールが今後は腕を掴んでバスタブの方へ誘った。エルフリーデは、若干不本意そうな顔をしたが、結局強くは抵抗せず、黙って従った。
 楕円形の広いバスタブは、大人二人でも充分な広さだった。
 エルフリーデは、ロイエンタールに背を預け、後から抱きかかえられる形でバスタブに浸かっていた。
 白で統一された明るいバスルームで、身を隠すものが何もない状況の中、エルフリーデは、恥ずかしさと気まずい沈黙に、ただ俯いて湯面に視線を落すしかなかった。
 ロイエンタールは、時折手で湯を掬って、エルフリーデのうなじにかけてやる。
 まるで恋人同士みたいだ、と一瞬思いながら、エルフリーデは慌ててその思いつきを振り払う。政略結婚をした自分達の間に、そんな関係はありえない。
「フェザーン行きの件だが、」
 ふいに、ロイエンタールの声がして、エルフリーデは、少し首を傾けた。
「来月進発する本隊に、何隻かの民間船が同航を許可されている。軍関係者の家族は優先してチケットがとれるが、事前申請のタイムリミットは、明後日だそうだ。まあ、別にこれに乗らなくても、これからは、オーディンとフェザーン間の航行は頻繁になるだろうから、急ぐこともあるまいが、一応伝えておく」
 ロイエンタールの淡々とした声がひどく事務的に聴こえた。
「家族」という言葉が、胸を刺す。そうだ、今、私の家族は、父でも母でも弟妹でもなく、この男なんだ。この男が、私の唯一の「家族」なんだ。そう考えると、エルフリーデの胸に何とも形容し難い思いが沸き上がる。それは、ひどく残酷な事実のようで、僅かな甘い痛みを伴う不思議な感覚だった。
 多分、この男は、自分がフェザーンに行こうが行くまいが、どうでもいいに違いない。エルフリーデにはそう聴こえた。
「今回、一緒に行く軍属の家族は少数だ。ミッターマイヤーやアイゼナッハの奥方もオーディンに留まって、正式な遷都令が発布された後に移転するつもりらしい。お前も残るならそうするか、或いは…」
 一生オーディンに居たいならそれでも構わん、という言葉をロイエンタールは呑み込んだ。エルフリーデは、それを敏感に察すると、今度は完全に体を回して向き直った。
「行くわ!」
 成層圏の青の瞳に、いつもの峻烈な光が蘇っていた。
 そのきつい視線に、ロイエンタールは金銀妖瞳を僅かに細めた。
「私、一緒に行くわ。お前が、私の知らないところで勝手に破滅するなんて、そんなの絶対に許さない。誰よりもお前の近くにいて、お前の生きざまを見届けてやるわ」
『奥様に見捨てられたら、旦那様は破滅です』
 そう言って懇願した家令の言葉が頭を過った。
 そうだ、今はまだこの男の力が必要だ。自分と自分の一族の為に。エルフリーデは、そう胸の裡で、自分に言い訳していた。
「ほう…」
 ロイエンタールは、その答えに満足したように頷くと、エルフリーデの身体をバスタブから掬いあげるように抱き上げた。
「きゃっ」という小さな悲鳴を上げた直後、洗面台の前で降ろされたエルフリーデは、大きなバスタオルで全身を包まれていた。
 ロイエンタールは、別のタオルで体を拭くと、鏡の脇に、自分が普段愛用しているコロンが封を切られずに一瓶置かれているのに気がついた。
 多分、エルフリーデの侍女の誰かか、執事あたりが気を利かせたのだろう。
 ロイエンタールは、気を良くすると、愛用の男性用高級香水を開封し、数滴掌に取って首筋と胸元に軽く叩いた。
 ふと思いついて、目の前でバスタオルを身体に巻きつけている女を引き寄せる。
 今度は何をするつもりなのか?という不信顔のエルフリーデの背中に、指に残っているコロンをつけてやった。更に胸に抱き寄せ、肌に自分の香りを塗り込む。まるで、所有を主張するかのように。
 エルフリーデは、初めてつける香水と男自身の混じり合った香りに、不思議と不快感はなかった。それどころか、どこかふわふわと宙に浮いているような心地になり、身体の芯が熱くなるのを感じていた。


 身体を拭き、髪を乾かすと、二人はバスローブを羽織って寝室に戻った。
 ロイエンタールは、エルフリーデの部屋に二人分の朝食を持ってくるようインターホンで指示を与えると、フェザーンへ同行するなら、侍女達をどうするかを早急に決めておくように言った。
 程なくして、執事がワゴンに乗せて、朝食を運んできた。
 ロイエンタールは、サロンのテーブルに並べようとする執事を制して退がらせると、ワゴンを寝台の脇まで押して来た。
 エルフリーデは、朝食を運んできた使用人に姿を見られるのを恥ずかしがって、バスローブを着たままベッドに潜り込んで背を向けている。
「おい、食事だ」
 ロイエンタールはそう言うと、自分もベッドに座り、ケットの上にスクランブルエッグやサラダの載った皿を置くと、むっくりと起き上がったエルフリーデに、彼女の好きなカフェオレのカップを手渡してやった。
 エルフリーデは、黙ってカップを受取ると、生まれて初めてバスローブ姿のままベッドの上で朝食を摂るという行為を経験した。父や母が生きていたら、お行儀が悪いと叱られたことだろう。
 ロイエンタールがオートミールの皿を差し出すと、スプーンで一口食べようとして、うっかりシーツの上に少し零してしまった。彼は、エルフリーデの皿をそっと受け取り、ワゴンの上にあったナプキンを素早くとって拭いてやると、受取った皿から同じスプーンで食べ始めた。
 エルフリーデは、くすっと笑い出して、慌ててすまし顔に戻した。
 何か、温かいものが、胸の奥からこみ上げた。
 二人が、ベッド上で朝食を済ませた時、ふいに電子音の明るいメロディが聴こえた。
 エルフリーデは、「あっ」と小さく叫んでベッドから飛び降りるようにして、ドレッサーに駆け寄ると、置いてあった携帯端末を慌てて開いた。
「ああ、またデートすっぽかしちゃったわ」
 そう呟くと、携帯端末から少女キャラクターの立体映像が浮かび上がった。
「ヒドイわ、ジェーニャ! 私、3時間も待っていたのよ」
 少女キャラクターが、半泣きで非難の声を浴びせると、エルフリーデは器用な手つきで何やら黙々と端末のキーボードを叩き始めた。すると、今度は少年キャラクターの立体映像が浮かび上がり、少女キャラに向ってしきりに詫びている。
「ごめん。レイチェル。急な用事で、昨日は大変だったんだ」
 結局、何とか仲直りをし、二人はあらためて明日会う約束をして通信を切った。
「またやちゃった・・・私って、やっぱり恋愛に向いてないのかも」
 エルフリーデは、端末を閉じながら独りごちて、ふうっと溜息をついた。
 後で一部始終を見物していたロイエンタールには、全く訳が解らない。
 夫の視線を感じたエルフリーデは、仕方なく説明を始めた。
 彼女によると、今のは、先日女学院の友人等からプレゼントされた携帯端末を使っての恋愛シュミレーションゲームとのことだった。
 フェザーン資本の情報サービス会社の提供するもので、自分のアバターを作って、仮想空間の学校や会社で生活しながら、恋人や結婚相手を探していくというものだった。最後に両思いの相手と結婚式を挙げられたら終了らしい。
 エルフリーデは、当初気が進まなかったが、友人たちの強い勧めで、端末操作に慣れる為にこのゲームに参加することにした。
 現在、彼女は、男女それぞれ一体づつアバターを作って参加し、結構楽しんでいた。
 男性のアバターは、『ジェーニャ』という名前のスケートの天才少年、女性のアバターは、『アリス』という名で、一流大学を卒業し、22歳の若さで巨大企業の秘書室長というキャリアウーマンで、明らかに誰かを連想させる設定だった。どちらも彼女の願望がふんだんに盛り込まれたキャラクターのようだ。
 案の定、ロイエンタールの苦笑とも冷笑ともとれる声が小さく漏れた。
 それを嘲笑と受け取ったエルフリーデは、いつものきつい目線で夫を睨み付けた。
「単に遊んでいるだけじゃないわ。これに参加している友達は、みんなフェザーンのソフト開発技術の高さに驚いているのよ。帝国とは比べ物にならないって。こういうことから直にフェザーン文化に触れた方が理解し易いでしょう? それに、仮想空間とはいえ、色々な人と交流できるのよ」
 こういう遊びを、この男に馬鹿にされるのは、わかりきっていたが、やはり面と向って嘲笑されると腹が立つし、反論もしたくなる。
「なるほどな。で、お前にもフェザーン人の恋人の一人くらいできたのか?」
「それは・・・私はまだ参加したばかりだし・・・」
 腕組しながら、相変わらず皮肉を込めた余裕の笑みで問う夫に、エルフリーデは言葉に詰まった。
 現在、エルフリーデのアバター達には、それぞれに数名のボーイフレンドやガールフレンドがいるらしいが、いずれも本体は、女学院の同級生達で、1、2度デートしたところまでしか進展していない。
「要するに、小娘同士の恋愛ごっこというわけか」
「そう馬鹿にしたものでもなくてよ。これって、結構、心理戦だし、情報戦でもあるし、駆け引きも必要なのよ。その点では戦術シュミレーションにも繋がるっていう人もいるわ。お前もミッターマイヤー元帥とでも恋愛してみたら?」
 何気なく切り返された言葉に、今度はロイエンタールの方が痛いところを突かれた気がした。
「いいじゃない。疑似体験で、こういうことして楽しむくらい。・・・私には、そういうの全然ないんですもの・・・」
 エルフリーデの声が、最後になるに連れ消え入りそうに小さくなる。
 交際期間も恋愛経験もないままいきなり結婚してしまった自分に対するささやかな慰めのつもりでいたが、この男の前で、弱音を吐いてしまったようで、言ってしまってから少し後悔していた。
 だが、当のロイエンタールには、珍しく嘲りの表情はなく、顎に手を充てて、何やら別のことを思案している様子だった。
「戦術シュミレーションか。確かにな。先に惚れた方が圧倒的不利な条件下に置かれるという点では、そう言えないこともない」
 思わず出てしまった本音に、ロイエンタールは内心で少し狼狽したが、幸いにもエルフリーデには、その言葉の意味するところは、この時点では理解できなかった。


 二連休の二日目のこの日、ロイエンタールは自室に戻ると、意外な人物から、来訪を打診するメールが届いていた。
 彼の高級幕僚であるベルゲングリューンが、その親友でミッターマイヤーの幕僚を勤めるビューローを伴い、午後から伯爵夫人を訪ねたいと伝えてきたのである。
 ロイエンタール本人ではなく、あえて伯爵夫人を指定することに違和感を覚えたが、それでも信頼する部下の希望を叶えるべく、エルフリーデに今日の予定を確認してからヴィジホンでベルゲングリューンを呼び出した。
 休日にも関わらず、しっかり軍服を着て敬礼を返す実直な部下に、快く迎える旨を伝えると、ベルゲングリューンは、恐縮して、ビューローと二人、午後2時に訪ねると言った。用件は、処刑されたリヒテンラーデ一族の遺品に関するものだという。
 そこで始めてロイエンタールは、合点がいった。
 昨日、流刑地から戻ったリヒテンラーデ一族の中に、エルフリーデの庇護を拒んで行方の判らない者達がいることは、既に承知していた。また、処刑された者達の中には、軍属も多く、当時彼等はローエングラム陣営の中に居たはずだ。リップシュタット戦役当時、キルヒアイス艦隊に共に所属していたベルゲングリューンとビューローの知る者の中に、リヒテンラーデ一族として処刑された人間がいたとしても不思議ではない。
 あの処刑は、ロイエンタールにとっても、彼の軍歴の中で指折りの苦い経験だった。
 全員の処刑に直接立ち会ったわけではなかったが、まだいとけない10歳の子供から、足元もおぼつかないような90歳過ぎの老人に至る処刑を指揮したのである。
 常には寛容なラインハルトの、キルヒアイスを失った悲しみと自責の念から出た苛烈な処断だったが、そのキルヒアイスの下で戦った者を処刑していたとしたら、皮肉としか言いようがない。
 しかし、それならばなぜ、その人物は、自分がキルヒアイスの知己であることを主張して、助命を願い出なかったのかという疑問が残る。
 あの皇帝(当時はローエングラム候)のことだ、キルヒアイスの名を出せば、特例で助命した可能性は高い。まして、ベルゲングリューンやビューロー程の男達が、死後二年を経た今でもその遺品を保管し、遺族に届けようとした程の人物なら、ローエングラム候にも重用されたことだろう。
 ロイエンタールは、腑に落ちない思いを抱きつつ、べルゲングリューン等の来訪を待った。
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