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イノセント・プリンセス(10)
 ボーデン邸での夕食会の翌日、通常通り対策室に出勤したヒルダは、内密に連絡をとっていた憲兵副総監から、爆破事件に関する科学捜査報告書を入手した。
 それによると、使用されたゼッフル粒子は、指向性のものではなく、破壊された建物内にそれぞれ数ケ所づつ設置されており、恐らく、点火の時限装置を遠隔操作でスイッチを入れたものと思われるとのことだった。
 また、起爆装置との距離は、半径1q以内の可能性が最も高いことが、報告書には付け加えられている。
 無論、この時代の工学技術では、やろうと思えば隣接星系からスイッチを入れることも可能だが、セキュリティ強化されたフェザーンの軌道衛星が、不審な電波を即座にキャッチするだろう。また、地上からも、距離があれば、それだけ帝国軍が張り巡らせたセンサーに感知されるリスクも高い。
 従って、少なくとも最初の引火スイッチを押した場所は、爆破された3つのビルからいずれも半径1q以内だろうというのが、科学捜査室の公式見解だった。
 リンザー邸は、いずれのビルとも800m前後の距離にあり、条件を満たしている。
 爆元の建物が全壊してしまった以上、どのようなカモフラージュをして爆破装置をセットしたのかは不明だが、少なくとも一味の一人は、出入りチェックの厳しい高級サービスアパートメントに入ることが出来、もし一人の人間が他の2ヶ所にセットしたとすれば、帝国軍人や官僚達が占拠するホテルにも違和感なく溶け込める人物ということになる。
 ヒルダは、自分の頭の中の容疑者リストから、女性士官達4名と亡くなったバッケスホーフを除外して考えていた。
 先日訪ねた時と、昨夜のオティーリエの話の中で感じたバッケスホーフのイメージから考えると、彼はどうも帝国社会での立身出世よりも自由に自分の人生を楽しみたいタイプの男だったようだ。そんな人間と、「地球教徒の手を借りて邪魔者を始末する」という行動とが結びつかない。
 もっとも、これはまだ第六感の域を出ない、ヒルダだけが密かにめぐらせている推理だった。
 従弟のハインリッヒは、自分の生きた証として何か大きなことを成したいという欲求が、ラインハルトの存在を忌む地球教徒達の利害と一致し、利用されたというよりも進んで手先となった。
 今回の件も、何かの事情でエリザベートと彼女に関わる人間を消したい人物と、帝国のフェザーン支配、しいては同盟支配からも撤退させようと画策する一派とが結びついた結果としたら…
 そう考えると、全ての辻褄が合ってくる。
 事実、新政府の官僚や軍人の中にも、内心ではラインハルトのフェザーン、同盟の完全併合、人類の再統一という壮大な計画に、疑問を持つ者も少なくない。
 今は皇帝と軍上層部が絶大な力を持ち、不満を抑え込んでいるが、同盟と帝国とが、政治体制には互いに不干渉のまま併存していけば、双方に残る遺恨もやがて時と共に風化していくはずだ。その上で民間レベルでの交流を深めれば、政治体制の枠を超えた人間同士の信頼関係も生まれるかもしれない。
 事実、ラインハルトをはじめとする軍首脳達は、ヤン・ウェンリーにも、その一党に対しても、個人的には皆好意的な者達が多い。
 第一、他に並行勢力の無い中で、国家を完全に一国に統一するというのは、自浄作用の働かない全体主義化になるおそれがあり、下手をすればラインハルトはルドルフ以上に、人類の歴史を血で染める存在になりかねない。
 実を言えば、ヒルダにもこの考えが理解できないではない。
 いや、フェザーン併合は肯定するが、同盟領を完全併合し、かの地も皇帝の統治下に置くということに対しての意味があまり見い出せないのだ。
 確かに彼らは民主主義を極限まで腐敗させた。だが、それは専制政治の場合、それの数万倍の速度での腐敗化の可能性もまた否めない。
 まだ20代のカイザーが、この先50年、公正な施政を行ったとしても、彼とて不老不死ではない。
 ルドルフの子孫の中に、彼が嫌悪した同性愛者や、著しく統治能力に欠ける暗君が出現したように、ラインハルトの子孫にも臣民を虐げ、悪政の限りを尽くす暴君が現れない保証はない。彼自身は、まだ若く、どうも結婚の意思も、自分の子を作ることにも今一つ積極性がないようだ。皇位を自身の子孫に継ぐよりも、その時点で最も相応しい人間が治めればいいと漠然と考えているようだが、そうすると、明確な基準のない皇位継承を巡って、彼の死後、また内戦に発展する可能性が高い。そうなれば、世はまた戦時に逆戻りし、国は疲弊するだろう。
 だが、銀河帝国は、立憲君主国家でもなければ、共和国でもない。ローエングラム王朝による世襲制の専制国家である。
 最高権力者である皇帝位は、ラインハルト・フォン・ローエングラムの子孫に継承され、彼等によって統治されるべき国家なのである。
 それを、明確な尺度の存在しない「最も優れた人間」が治める、ということになれば、その都度皇位継承戦争をするか、或いは共和主義者達のやるような、多数決(選挙)によって大多数の人間の支持を得た者が統治者となるかのどちらかになってしまう。
 前者は、150年に渡る不毛な戦争を終結させた成果が水泡に帰することになり、後者は、自分達が蔑視し、滅ぼしたはずの同盟の政体を模倣することになる。
 この矛盾に、ラインハルト自身もヒルダ達側近も、実務を担う官吏達も、今のところ目を瞑って目の前の成すべき仕事を片付けている。
 いずれにしろ、この問題に直面するのは、まだずっと先の話だ。
 その時には、全員がラインハルトより年長の今の軍首脳も閣僚達もその殆どがヴァルハラに旅立っているか現役を退いているかで、頭を悩ませるのは、次の世代の仕事になることだろう。だから敢て、今はこの矛盾に対して思考停止しているのだ。
 ヒルダはそんなことを思いながら、再び爆破事件の犯人像について考えた。
 あのリンザー邸のガーデンパーティに出席していた対策室の誰かが、ベアトリスの名を騙ってボーデン夫人を呼び出し、エリザベート嬢とシュトライト中将、フェルナー准将とバッケスホーフ事務官の少なくとも5人をテロの巻き添えに見せかけて殺したのだ。
 その人物は、非番のフェルナーとシュトライトが、あの日のあの時間は、宿舎のホテルにいることも確認していたのだろう。
 起爆スイッチを押した“彼”の目的は、あくまでもあの5人だったとしても、彼に爆薬やゼッフル粒子を提供した反政府組織(逃亡中のルビンスキー一派や地球教徒)にとっては、中途半端な被害を出して、帝国政府の自作自演説を風評として流すことに意味があったと思われる。
 その証拠に、一向に犯人に辿り着けない新政府の動きに、巷の噂はエスカレートする一方だという。
 場所によっては、帝国人と判ると、入店を断られる飲食店や遊興施設が次々と増え、捜査に奔走する警察や憲兵隊に対しても市民達の目は冷ややかで、非常に非協力的であるらしい。
 ヒルダはじめ新政府の中枢は、この事態を憂慮し、一刻も早い犯人逮捕を望んだが、同時にここで焦って無理に犯人をでっち上げたり、誤認逮捕に繋がるような捜査を厳しく戒めた。
 だが、市民感情に配慮した捜査は、遅々として進まず、捜査員達の鬱積は募るばかりだった。
 折しも、ハイネセンにて皇帝の代理人として高等弁務官の職にあったレンネンカンプの拉致、自殺の報が入り、ローエングラム政権としては、彼の死を公表して同盟に対し何らかの軍事行動を起こさねばならない時にきていた。
 そんな事情もあり、軍としては、この爆破事件を、何とかそれらしい犯人を作り上げて、早急に解決させてしまいたいのが本音だった。
 この悪循環の中、ヒルダは何とか打開策を打つべく、別方向からの独自の捜査を進める意思を固めた。
 まず、捜査本部はそれほど重要視していないエリザベートの身辺を、密かに直属の民間捜査組織を使って調べ上げた。
 同時に、ブラウンシュバイク公領惑星を制圧した部隊が記録していた埋葬した死亡者のDNAデータを旧典礼省に保管されていたデータとの照合作業を依頼し、館の侍女と目されていた40歳前後の女性の埋葬者のデータが、ブラウンシュバイク公妃アマーリエ皇女のものと一致した。
 どうやら、反旗を翻し暴徒化した領民から逃れる為、彼女は使用人の扮装で脱出を計ったようだが、失敗に終わったらしい。
 そうなると、エリザベートは2年前から孤児となっており、他人の庇護を受けて死の直前まで生活していたことになる。
 ヒルダは、彼女と2人で高級サービスアパートメントで暮らしていたという老婦人に注目してた。ブラウンシュバイク家の領地惑星にもオーディンの邸や別邸の使用人の中にも、彼女に該当する人物がいないのだ。ということは、彼女は、エリザベートが領地惑星を脱出した後から仕え始めた可能性が高い。更に言えば、密かに彼女を保護し、このフェザーンへ導いた人物に依頼されて仕えていたと思われる。
 この老婦人自身もエリザベートと共に爆死したのか、爆発が起きる前に脱出したのかは不明である。しかし、ヒルダは、後者だろうと思っていた。そして、もしかしたら彼女こそが、一見接点がなさそうな地球教徒と帝国貴族とを結び付ける橋渡しをした人物なのではないかと思いを巡らせた。
 エリザベート自身は、文字通り「深窓の令嬢」らしく、殆ど下々の者の前に顔を見せることはなかったらしいが、世話をするこの夫人は、管理会社の人間や食事のデリバリーをした近くのホテル従業員、階下のデパート店員等に度々目撃されていて、それらの証言を元にした似顔絵から、かなり実物に近い立体映像を作り出すことができた。
 夫人は、日用品の購入のを、2、3日おきにデパートに発注していたようだ。貴族の上級召使いらしく、カートを押して自分で商品を買うのではなく、必要なものをインターホンで外商部に命じて届けさせていたのである。その為、利用頻度が高い割には彼女を見た者は少なかったが、それでも、事件の日に非番だった店員の中に、3名程目撃者がいた。
 年齢は、60代後半から70代といったところであろうか。
 少し面窶れした顔と白髪混じりの頭髪が、疲れを感じさせるが、同時にそこはかとない品の良さも漂ういかにも上流貴族に使える奥女中といった風情の老婦人だった。
 映像を見たヒルダは、オーディンの年輩の貴族や使用人なら、彼女を見たことのある者がいるかもしれないし、典礼省のデータベースにも登録されているかもしれないと思った。
 貴族の使用人にも、上は荘園や領地惑星の統治に関しての行政、経済顧問などの当主のブレーン的な役割の者から、下は掃除や洗濯等の雑用を行う下働きまで幅広い。
 各貴族は、大勢いる下働きやメイドなどの雇用は私的なものとして、特にどこにも申請する義務はなかったが、当主とその家族に直接仕え、時に家族に近い存在である家令や執事、側室や乳母、女中頭などの上位の使用人は、典礼省に届け出る習慣があった。
 この夫人もどこかの大貴族に仕えていた女中頭か家令夫人あたりなら、典礼省のデータベースに記録があるはずだ。
 ヒルダは、早速、宮内尚書に事情を話して、該当する人物を探してもらった。
 しかし、半日後に届いた回答は、ヒルダを落胆させた。
 正確な名前も年齢も仕えていた家も不明なので、既にリップシュタット戦役で滅びた貴族の使用人も含めた膨大なデータの中から、年齢と身体的特徴とが一致する女性を何人かピックアップすることはできたが、いずれもエリザベートと暮らしていた老婦人とは別人だった。
「では、何かの理由で登録されていなかったか、登録を抹消されたのかもね…」
 気を取り直したヒルダは、ダメもとでFTLを予約し、オーディンの自邸の家令夫妻に映像を見せた。国務尚書である父は、当然出仕していて留守である。
 貴族の使用人同士には、昔から独自のネットワークが存在し、彼等は同じような立場の他家の使用人達と交流を持つことが多い。
 本来お家の秘事であるはずの主家の人々の為人等もこういった情報網を伝って知れ渡り、しばしば縁談に利用されたりする。故に年頃の娘や息子のいる家の家令などは、積極的に他家の使用人と交流し、情報収集を行うと言われていた。
 ただ、マリーンドルフ家の場合、令嬢自身が大学に進学したり、男装したりするような娘で、父親もそれを黙認している有様だったので、シュテルツァー夫妻も、そういった方法で他家の情報を得ようとする必要がなかった。
 それでも同じ女性であり、年齢的にも近いシュテルツァー夫人は、食い入るように映像に目を凝らしたが、どうしても覚えがないという。
 映像には、今回作成された直近のものだけでなく、CG技術で2年前、5年前、10年前、15年前、20年前の彼女を再現したものも同時に作らせて見せたが、いずれも同じ答えだった。
「お役に立てず、申し訳ございません」
 心底済まなそうに言う家令夫妻に、ヒルダは、
「いいのよ。気にしないで」
 と軽く言ってからFTL通信を切った。元々数千家もある貴族の中から、その使用人を特定しようなどということ自体に無理があったのだ。
 しかし、ヒルダはシュテルツァー夫妻と話をしているうちに、オーディンの本邸ではなく領地惑星に在住する使用人なら、女中頭や側室でも典礼省には届け出ていないのではないかと思い至った。
 実際、マリーンドルフ家も、領地惑星の使用人に関しては、公式に届け出ているのは、父に代わって統治を任されている国家老や重役クラスのみで、奥向きを取り仕切る女中頭や、ヒルダが幼い頃の世話係の乳母は、非公式な存在だった。
「だとしたら、やっかいだわ…」
 ヒルダはそう一人ごちて、思考を次の注目点に切り替えた。
 ヒルダは憲兵副総監に再度連絡をとると、老婦人のモンタージュ作成に協力してくれた店員や出入り業者達に対して、エリザベートの部屋に出入りしていた男について再度聴取を行うよう依頼した。
 すると、オーディンのある有名ブティックのフェザーン支店の店員が、ドレスの採寸に部屋を訪ねた際、偶然エリザベートの恋人らしき男性がいたことを思い出した。
 男性は、すぐに隠れるように部屋を出ていったので、店員は顔は見ていないという。
 一瞬聴こえた声の感じでは、若い男という以外わからないという。
 ただ一つ、エリザベートは、彼を「アル」と呼んでいたという。
 それを聞いた瞬間、ヒルダは凍りついた。



「では、フロイラインは、この事件が、キュンメル事件の構造と同じだと、そう考えておられるのですか?」
10月29日の夕食の席で、ヒルダは食後のコーヒーを飲みながらこの推論を同居者全員に向かって開陳した。
 最初は、自分の頭の中だけの特別捜査室だったが、すぐに一人では限界があると判ると、躊躇せず同居する同僚4名とリンザー准将、カルツ夫人、被害者の娘で、現在の下宿のオーナーでもあるオティーリエを巻き込むことにしたのだ。
 オーディンの貴族屋敷と違い、豪邸なのに大勢の使用人などがいない点が、話をしやすい。
 ヒルダ達がこの邸に移動するに当たり、念のため、憲兵隊が盗聴器や隠しカメラの探索を念入りに行っており、セキュリティの上でも最上クラスの建物であることは証明済だった。
 話を切り出したヒルダに対して、真っ先に応えたのは、今や母を亡くしてこの広大な屋敷の主となったオティーリエだった。
 門閥貴族に生まれながら、フェザーンで暮らして僅か2年の間に、すっぱり頭を切り替え、女優という新たな道を見つけた少女だけあって、大学出のキャリア士官に負けないほど、全てに於いて呑み込みがいい。
「ええ、そう考えています。そして、ハインリッヒと同じように地球教徒の手先となって、爆破のスイッチを押した人物は、あのガーデンパーティに出席していたバッケスホーフ事務官を除く対策室の男性メンバーの誰かだと思っています」
 今度は全員が息を呑んだ。
「…でも、それだともう、候補者は4人しかいなくなっちゃうんじゃ…?」
 アンナが当然の疑問を口にする。それについて、ヒルダは、迷うことなく頷いた。
 対策室の男性メンバーは全部で5名、亡くなったバッケスホーフを除けば4名しか残っていない。これは、現在、警察と憲兵隊が血道を上げて捜査に当たっている犯人を絞り込んだことになる大胆な仮説だった。
「その通りよ。いえ、私としては、4人の内2人を除外して、2人に絞られたと思っているわ」
 そこでヒルダは、これまでの推理の経緯を明かした。
 犯人の目的は、エリザベートとシュトライト、フェルナー、ボーデン夫人とバッケスホーフの5人を爆破事件の巻き添えに見せかけて殺すことにあり、その殺意を地球教徒の残党若しくは、その背後にいる旧フェザーンの残存勢力あたりに利用されたのだろうという概略を話した。
「一方的に利用されたというより、双方で持ちつ持たれつの関係だったと思うの。ハインリッヒの時と同じように…」
 ヒルダは最後の言葉を少し辛そうに吐くと、エリザベートと彼女に仕えていたらしい老婦人のことを話した。
 そして、ここでも彼女のモンタージュ映像を出し、特にカルツ夫人に念入りに見てもらった。
「申し訳ございません。私には覚えが…」
 予想通りの答えに、今度はヒルダも落胆しなかった。
「でも、一度コールラウシュ伯爵夫人の侍女頭のシュヴァイツァー夫人にも見て頂いたらどうでしょう? あの方なら、私よりもこの映像の方に年齢が近いですし、色々な貴族の使用人達で作るサロンに積極的に出入りしていらしたそうですから、或いはどこかで見たことがあるかもしれませんわ」
 カルツ夫人の提案にヒルダは成程と頷き、後で早速背中合わせのロイエンタール邸にヴィジフォンを入れてみることにした。
 それほど期待はしていないが、シュヴァイツァー夫人は、この十数年間、平民から子爵夫人となった姪のドロテアをバックアップする為、オーディンの貴族社会では最も活発に貴族の上級使用人達の集まりに出入りする人間の一人だったという。
「でも、こんな言い方は不謹慎ですが、5人を殺す為に1万人以上殺したということですか?」
 今度はヘレーネが納得いかないといった口調で尋ねる。
 それに対して、ヒルダは冷静な声で肯定した。
「ええ、そう考えています。尤も、爆破物を設置してスイッチをいれた人間が、これだけの被害を予測していたかどうかは疑問ですが…」
「そんな…」
 絶句するヘレーネに対して、彼女より年長者のリンザーは、「有り得ることかもしれません」と言って腕組みしたまま頷いた。
「我々軍人と違って、文官には武勲を立てる機会がありませんからね。能力があっても年齢や派閥で出世が決まることがあるのは否定できません。新王朝になって、その辺は大分改善されてきたとはいえ、依然として年功序列や派閥や出自に因る優位は存在するでしょう」
「でも、シルヴァーベルヒ工部尚書やブルックドルフ司法尚書の大抜擢の例もあるでしょう?」
 今度はサーシャが反論した。彼女はヒルダと同じ大学の出身で、元々国務省の上級官吏登用試験を受けて官僚としてキャリアを積む予定だった。
 ところが、運悪く試験当日に体調を崩してしまい、本来なら余裕で合格するはずだった試験に落ちてしまう。彼女の家も、ローエングラム体制になってから没落しており、一刻も早く定職に就かなければならない事情があり、もう1年チャンスを待つ余裕がなかった。
 結局、体調が回復したサーシャは、試験日程が一番遅く、激務な分給料もいいし昇進のチャンスに恵まれているというヘレーネ達と同じ理由で軍のキャリア採用試験を受けてこの場にいる。
 今では、仕事にも友人に恵まれ、この道を選んでよかったと思っているが、文官の世界が武官に比べて相変わらず上司の引立てや出自がかなり影響する世界だと聞いては聞き捨てならない。
「シルヴァーベルヒ氏は、異例中の異例だよ。彼は天才であり鬼才でもある。でなければ、矢継ぎ早に命じられる皇帝陛下のフェザーン遷都だの新帝都建設だのという凡人が聞いたら荒唐無稽な話に即座に対処できるわけがない。才能の方面は異なるが、彼はカイザーに劣らぬ天才だよ。ブルックドルフ氏に関しては、長年培った実績と清廉で厳正な法曹家としての姿勢は、司法尚書として全ての条件が揃っていたといっていい。適材適所の典型さ。あと、彼らは元々下級貴族出身で、門閥貴族派とも枢軸派とも無縁だったからね。フロイライン・マリーンドルフの前ですが、新王朝としては、政権掌握後は、どうしても早くからローエングラム陣営に与した家を優遇せざるを得ない。長年の貴族社会での縁故を捨ててまでお味方した見返りがないと、旧勢力の中にまた不満分子が生まれ、すぐに反政府勢力化する恐れがありますからね」
「ええ。残念ながらその通りです」
 リンザーのシビアな指摘を、ヒルダは冷静に受け止めた。
「文官に限らず、軍の中にも、新王朝の年齢や出自に関わらず実力主義での抜擢を、新たな門閥の誕生としか考えられない人たちがいるのは事実です。そして、その頂点に立っているのが、マリーンドルフ家と、皇帝の戦友ともいうべき上級大将以上の軍首脳との閨閥の形成だと考える野心家がいるのも事実です」
 ヒルダは、現政権内で、マリーンドルフ家とそれに連なる家が、実力実績以上の地位を与えられていることを誰よりもよくわかっていた。
 その最たるのが、これまで中央政界での実績の全くない父のマリーンドルフ伯の国務尚書就任だった。今のところ、父の温和で敵を作らない性格が幸し、表立って異を唱える者はいないものの、「これで新王朝の官界は、マリーンドルフ閥が出世ラインだ」と、考えた人間は多い。
 逆に、実家がリップシュタット陣営派に近い門閥貴族だったりする場合は、完全に非主流派に追いやられたと解釈する者もまた少なくない。シュトライトやフェルナーを抜擢して、有能な人材ならかつての敵でも取り立てることをアピールしても、一度植え付けられた固定観念はなかなか改まらなかった。
 ヒルダは、この風潮を苦々しく思っているものの、かと言って今の彼女にどうする力があるわけでもなく、親族や縁戚関係者が、公職の斡旋を求めてきても、最初はやんわりと、それでも理解しなければ「実力不相応と判断され、皇帝陛下のご不興を買えば、わたしとて庇いきれませんがよろしいでしょうか?」という脅し文句で漸く引き退がらせる。
 本当に仕事ができるなら、地道に職務に精励し、認められるのをじっと待つしかない。それが理解できない人間を高官に推薦することは断じてできない。
 それでも、中には、元々職務自体に、大失態もなければ大功を立てることもなく、とにかく無難に日々の仕事をこなしていれば、高給が貰えるという美味しい席も存在する。
 宮内尚書のベルンハイム男爵と同じく宮内省次官のツェルプスト子爵辺りがその典型であり、大本営の人事管理部長であるゴットルプ子爵や侍従長の八セルバック男爵などもそういった幸運に恵まれた者達だった。
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