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エルフィーでハーレクインもどき書いてみる(10)
 エルフリーデのこれまでの人生で最も長い7月も終わり、8月に入ると、一族が流刑地から帰還する日が正式に決まった。
 恩赦が出てから一ヶ月弱、その間、航路上の問題から、定期便の都合がつかず、度々延期されていたが、8月に入って漸く、三箇所に分かれている流刑惑星を10〜12日に発ち、24日に同時にオーディンに到着するということが決まった。
 エルフリーデの結婚生活も間もなく一ヶ月を迎える。
 ロイエンタールは、相変わらず冷たい態度ながら、なぜか毎夜部屋を訪れては、まるでそれが彼の権利であるかのように、幼な妻を抱いては部屋を去って行く。
 エルフリーデの苦痛も、次第に去り、月が替わる頃には痛みを感じなくなっていた。  代わりに何か別の、言葉で現せない感覚に捕われて、暫し記憶が飛んでしまうようなことがあった。だが、自分の身に起きていることが何であるのかに気づくには、彼女は余りにも幼すぎた。


 8月7日、女学院の卒業式当日の夜、皇帝首席秘書官にして、貴族女学院理事でもあるマリーンドルフ伯爵令嬢ヒルデガルトが、先日の事務長を伴って、突然ロイエンタール邸にエルフリーデを訪ねた。
 ヒルダは、校長の代理として、自ら申し出てエルフリーデに卒業証書を手渡しに来たのだった。
 総合成績が、その年の卒業生の中で次席であることを示す銀メダルも同時に授与された。
 エルフリーデは、驚きと喜びの入り混じった瞳を輝かせて、ソリヴィジョンのニュース映像でしか見たことのない美しい先輩を見詰めた。
 この日のヒルダは、秘書官として常に皇帝の傍らで政務を補佐する時のスーツ姿ではなく、夏らしい薄手の淡い緑色のドレスを着ていた。卒業式後の謝恩パーティーを早めに切り上げて来たのだろう。
 ヒルダが十五歳で貴族女学院を卒業するのと入れ替わりで、エルフリーデはその翌年、十歳で入学したので、互いに面識はなかった。だが、開校以来の才媛で、卒業後も在学中の逸話が語り継がれるヒルダは、いまだに女学院の生徒達の憧れの的だった。
 逸話の中身は、数学の難問を教師よりも早く解いただの、経済学の教授を論破しただのを皮切りに、五年生の夏休み明けに、いきなり髪を切って登校した時は、後輩の生徒の何名かが「一生お嫁に行かずに、ヒルダお姉様を思い続けます」と告白しただの、年を経る毎に尾鰭が付いていったが、どれも彼女の並外れた頭脳と、型に嵌らない奔放さを物語る微笑ましいものばかりだった。
「私、ヒルダお姉様に、お声をかけていただいたことがあるのよ」
「あら、私なんて、ヒルダお姉様から、ご卒業の時、サインを頂いたわ」
「ほほ・・・私のフェザーン語辞典は、ヒルダお姉様のお下がりなのよ」
「私は、制服のリボンを頂いたのよ」
 エルフリーデは、何度上級生達のそんな会話を耳にしたか知れない。
 エルフリーデは、まず先日の祝いの品の礼を丁寧に述べると、元帥であるロイエンタールに初めて引き会わされた時よりも、ずっと深く膝を折っておじぎをした。その彼女を前にして、ヒルダはサロンの椅子に腰掛ける前に、深く頭を垂れた。
「この度は、私の力が及ばず、申し訳ありませんでした」
 エルフリーデは、訳が解らず恐縮すると、横から事務長が遠慮がちに口を挟んだ。
「フロイライン・マリーンドルフは、理事の中でたったお一人、伯爵夫人の再登校停止に最後まで反対されていたんですよ」
 その言葉に、エルフリーデはやっと事態が呑み込めた。


 帝国女子教育の最高峰であり、帝国最古の女学院でもあるオーディン貴族女学院は、創立者の子孫でもあるブラウンシュバイク公爵の一門である侯爵家の当主が、代々理事長を務めており、そこに学院の株を数%づつ保有する殆ど名ばかりの理事数十名の貴族達を加えた理事会によって運営されていた。
 理事会と言っても、ほぼ理事長の意思伝達機関であり、他の理事がそれに異議を唱えることは皆無だった。
 ところが、リップシュタット戦役で、その理事長侯爵が、ブラウンシュバイク公と共にガイエスブルク要塞に立て篭もり、後に戦況に絶望して自殺したことで、事情が一変した。戦役後、積極的に賊軍に加担した一門の男は悉く収容所送りとなり、一族の他の人間も辺境の領地惑星に逃げ込んだり、フェザーンへ亡命したりして散り散りになった。
 ローエングラム政権に変わり、女学院が、学芸省の管轄に入ると、これまで学院を私物化してきた理事長一族の不正蓄財が次々と明るみに出た。
 司法省は、直ちにこの財産を没収し、国庫に納めると、今後の学院の運営は、残りの事理達の総意による理事会に委ねられた。
 教育機関の独立性を保つという開明的思想が導入され、新しい理事長の選出は理事会に一任されることとなった。新理事長が正式に決まるまでは、理事の中で最年長の老子爵が、臨時の議長役を務めることも決まった。
 マリーンドルフ伯爵家も、二百年近く女学院の『御用理事』を輩出してきた家柄である。
 本来なら当主のフランツが、その座にあるべきところだったが、新王朝になり、国務尚書という役職上、自分が理事会に出ては他の理事が煙たいだろうと配慮し、理事職を娘に譲ったのは、つい一ヶ月半前、キュンメル事件の直前だった。
 7月15日に開かれた臨時理事会議に出席する為、卒業以来、初めて母校の門をくぐったヒルダは、自分を揉み手で出迎えた理事達の、旧態依然とした態度に失望と怒りを禁じえなかった。
 それでも、ヒルダは、大学に入って貴族階級以外の人間とも直に接し、更にローエングラム陣営の一員として働いてきたこの数年間で身に付けた忍耐力と処世術を以って、その場での自分を何とか律していた。
 自分は、新政府の要職にあるとはいえ、ここでは一番の若輩者であり、それぞれが、それなりの家格の家の当主でもある他の理事達を差し置いて、出すぎたことを言えば、皇帝の権威を笠に着ていると思われかねない。新王朝と旧勢力との穏健な共存体制を目指すマリーンドルフ家としては、ここで発足したばかりの新王朝に波風を立てるわけにはいかなかった。
「では、採決に入りましょうかの」
 コールラウシュ伯爵夫人の再登校問題についての議題が提示されると、議長役の老子爵が、熱のない声で一同を見渡した。
「待って下さい。第五学年生エルフリーデ・フォン・コールラウシュ=ロイエンタールは、成績優秀で、建国の功臣でもあるロイエンタール元帥の妻でもあります。既婚者の在籍に前例がないというだけで、義務教育課程を修了させないというのは、今後の帝国の女子教育に於いて、いかがなものでしょうか?」
 ヒルダは、意を決して初めて発言した。
 こんなことで、教育の機会をを奪われていいものか。しかも、ただでさえ生徒が減っている学院で、一人でも優秀な生徒を世に送り出すのが、学院の使命ではないかと怒りを抑えて冷静に意見を述べた。
「その既婚者であることが、一番の問題なのですよ」
 理知的なブルーグリーンの瞳で、理路整然と話す若い娘に、理事の一人の中年の男が、腕を組みながら忌々しげに言った。
「あの年頃の娘は、第四学年で、人体生理学の授業を受けて以降は、とかく性に対する感心が高まりがちです。現場の教諭からも、貴婦人にあるまじき会話は慎むよう生徒達には常に言い聞かせているところです。そのような場に、既に夫を持っている生徒が入れば、現場が混乱するのは道理でしょう? ましてや、お相手は、あの方なのですから」
 今度は、四十年配の男爵夫人の理事が、噂に聞こえる帝国軍一の漁色家を思い浮かべて言った。
「風紀の乱れは、この伝統ある貴族女学院の品位を貶めることになる」
 また別の理事が発言した。
「なぜそう決め付けるのですか? 既婚者なればこそ、他の未婚生徒よりも自覚を持って大人として品位を保つとは考えられませんか?」
 ヒルダが反論すると、今まで黙っていた向かい側の席に座る女がキラリと目を光らせて、皇帝首席秘書官を一瞥した。
「それは、フロイラインのような成人し、分別のあるお年頃のご令嬢ならさもありましょうが、何と言ってもまだ15、6歳の子供ですからね」
 ヒルダは、女の勘というもので、即座に「ああ、首謀者はこの人なのね」と思った。
 年齢は、ヒルダより五つ、六つ年上だろうか。下級貴族出身だが、その美貌を買われ、三年前に理事の一人である親子程も年上の伯爵の後妻に入ったという。伯爵がリップシュタット戦役以前に急逝したことで、内戦に巻き込まれずに済み、家門を維持した。彼女が理事会で大きな発言力を持っているのは、前妻の娘がフェザーンの有名な大富豪に嫁いでいて、その間に生まれた娘を将来入学させることを約束に、学院に多額の寄付を取り付けたことにある。
 その彼女が、なぜか執拗にエルフリーデを排除しようとしている。
 ここに集まった者は皆、その理由を知っていたが、無論、誰も口に出す人間はいなかった。
 ゴシップに疎いヒルダも、この件は偶然知っていた。この伯爵夫人が、四年程前の一時期、当時将官になったばかりのロイエンタールの愛人だったことを。
 彼女にしてみれば、腸の煮えくり返る思いだろう。自分が恋焦がれ、一方的に捨てられた男が、まだ乳臭い年頃の娘とあっさり結婚してしまったのだから。
 これは明らかに、エルフリーデへの嫌がらせであり意地悪だとヒルダは感じた。、
 旧体制を悉く否定する方針の新王朝になって、貴族女学院という旧王朝的な教育機関など、その気になれば取り潰しになってもおかしくない遺物だった。それを、民政省がマリーンドルフ家が代々理事を務めてきたことや、皇帝の信頼篤い首席秘書官の母校ということもあり、温情的な措置で存置が決定したのである。その貴族女学院が、同じく建国の功臣の妻であるエルフリーデを既婚者だという理由だけで登校を認めないというのである。
 生徒が半分以下に減っても彼等の強気の態度には理由があることは、判っていた。
 学制改革で、入学資格に身分の壁を取り払ったことで、裕福な下級貴族やフェザーンの大富豪達が、こぞって自分の娘や孫を入学させたがっているのだ。それに乗じて、寄付金集めには事欠かず、しかも以前と違い理事長一族に独占されることもなく、今度は自分たちが甘い汁を吸えるのだ。一族の殆どが流刑に処され、その開放の為、領地と財産の殆どを失って有名無実化したコールラウシュ伯爵夫人などを優遇するメリットは何もない。
 ヒルダは、よっぽど、では自分が皇帝陛下にお願いして詔勅を出して頂くと言ってやりたかったが、もし、当人のコールラウシュ伯夫人が強く復学を望むなら、自分などよりも夫であるロイエンタール元帥の方が動くだろうと思い直し、苦渋の表情で沈黙した。
 何より腹立たしいのは、集まった理事達のほぼ全員が、ヒルダが皇帝の愛人であると思い込んでいる節があることだった。
 彼女の類稀な頭脳を数字上で知っているはずのこの学院の理事達でさえ、ヒルダが全く能力のみで皇帝に仕えているとは思っていないことが、悔しかった。なぜ、女だと言うだけで、こんな目で見られなければいけないのか。
 ヒルダは、政務補佐に於いて、軍事上で同じ地位に匹敵するシュトライト中将等に劣らぬ仕事をしており、それはローエングラム陣営の文武両官の誰もが認めていた。
 しかし、それさえ世間では、自分が女として皇帝と特別な関係にあると思われている故なのか、そう思うと、ヒルダは時にやり切れなくなる。
 ラインハルト・フォン・ローエングラムという男は、決して自分を女として扱ってはくれないのに・・・・。
 そう考えて、ヒルダは、その場ではっとなった。
 突然、先ほどの理事に言われた『第四学年の人体生理学の授業』を思い出してしまったのだ。
 リアルな立体映像を見せられ、生殖の仕組みを淡々と説明されていく時、他の同じ年頃の娘に比して読書量が十数倍のヒルダも、知識としては知っているつもりであったにも関わらず、流石に衝撃を受けた。そして、数年の後、それは自分にも起こることなのだと、生徒の誰もが感じ、あるものは恐怖し、ある者は好奇心をそそられた。
 そもそも貴族女学院創設の当初の目的は、皇族や上級貴族の深層の令嬢達に、このことを教え、結婚したり後宮入りしたりした時に、事が円滑に運ぶよう教育をすることにあった。
 それが時代が下ると共に、規模は拡大し、授業科目が増えるに連れ、次第に初等教育から中等教育全般までを受け持つようになっていったのだ。
 故に、この学院出身者の最終的な目的は、より高い身分の男に嫁ぎ、子供を産むことに他ならない。旧王朝が滅び、かつての目標対象であった門閥貴族達は滅んだが、究極の目的が皇帝であることに変わりはなかった。
 ヒルダの脳裏に、ラインハルトの無性的な美貌と、授業の映像とが交互に去来する。
 その自分の唐突な発想に、かっと顔を赤らめ、暫し言葉を失っている間に、理事会は無情にも採決に入ってしまった。
 それでもヒルダは、海千山千の理事達を相手に尚も食い下がり、エルフリーデに自邸で未履修科目を修了させ、せめて卒業資格を与えることと、他の同期の卒業生達と一緒に成績を正当に評価することを頑強に主張した。
 理事会も、これ以上、皇帝の信頼篤い側近と、ましてや寵愛を受けていると彼等には思われる伯爵令嬢と対立するのは、得策ではないと考えたのか、この二点に関しては、件の伯爵夫人以外は、全員が了承した。
 上級科への推薦取り消しについては、ヒルダは敢えて言及しなかった。
 元々貴族女学院の上級科は、義務教育課程を15歳で卒業した生徒達が、適齢期に達して嫁ぐまでの繋ぎ的な場所に過ぎず、授業内容も花嫁修業的なものばかりで実学とは程遠かった。ヒルダが上級科に進まなかったのも、そういう理由からだった。
 新王朝に変わり、女性の生き方にも選択肢が拡がろうとしている中、建国の功臣の妻が、なにもこんな蒙昧な連中が仕切る場所に、ごり押ししてまで通う価値はない。ヒルダはそう判断したのだ。


「フロイライン・マリーンドルフ、どうぞお顔をお上げ下さい。ご尽力頂きましたこと、心から感謝しております」
 エルフリーデは、幼さの残る声でそう言うと、美貌の皇帝首席秘書官と事務長に席を奨めた。
 ヒルダは軽く頷くと、奨めに従ってサロンのソファーに事務長と並んで腰掛け、あらためてコールラウシュ伯爵夫人と向かい合った。
 目の前の少女が自分に向ける瞳は、今日出会った女学院の他の生徒達と同様の、少女らしい憧れと尊敬の眼差しで、人妻であることを感じさせない。もしかしたら、彼女はまだ清いままなのではないか、と思わせるほど、あどけなく清純に見えた。
「あらためて、ご卒業と銀メダルの授与、おめでとうございます」
 ヒルダが優しい口調で、心からの祝辞を述べると、エルフリーデの顔が、ふと曇った。
「卒業できたことは、嬉しいです。でも・・・私、次席なんかじゃありません・・・!」
 固く唇をかみ締めるエルフリーデに、ヒルダは一瞬かけるべき言葉を失った。 
 エルフリーデの在学中の総合成績は、常にベスト10に入っていたとは言え、どんなに良い時でも、同期二百名の中で3、4番目。平均すると4〜6番が妥当な順位だというのが、エルフリーデ自身で自覚している評価だった。
 それが、次席(2番目)まで繰り上がったということは、本来その間に入っていたはずの生徒達が抜けたということに他ならない。抜けた生徒の中には、エルウィン・ヨーゼフ二世と皇位を争ったリッテンハイム侯の令嬢、ザビーネもいる。彼女の行方は杳として知れない。
 実際、入学時に二百名だった同期で、今回の卒業式を迎えられたのは、エルフリーデを入れて僅か85名という寂しさだった。
 一級上の学年と現学年との三学年合同での卒業式という異例の式典だった為、人数的には、ほぼ例年通りだったが、自家の没落で自主的に退学したり、死亡又は行方不明により除籍された半数以上の同級生を思うと、素直に喜べない気持ちだった。
 ヒルダは、その様子に、目の前の後輩の誇り高さと潔癖さを感じ取り、好感を持った。
「・・・・お辛いお気持ちは、お察しします。でも、伯爵夫人が、優秀な成績で学業を修められたことに変わりはないのですから、どうか、ご自分を卑下なさらず、銀メダルに誇りを持って下さい。それに、実際に世の中に出てみると、学校の成績順位など、何の意味もないことが実感できます。私が言うのですから、それは確かです」
 ヒルダは最後の一言に笑みを込めた。
 圧倒的な成績で首席卒業を果たした、五期上の金メダリストの言葉に、エルフリーデは素直に頷いた。
 間もなくして、事務長が先に辞去すると、ヒルダとエルフリーデは、二階のエルフリーデの部屋のサロンへと場を移した。
 ミルクティとザッハトルテを運んできた侍女が退ると、ヒルダは居住まいを正して語りかける。
「伯爵夫人。私たちは今、激動の時代の狭間に居ます。この数年の間だけでも、たくさんの悲劇を見てきました。皇帝陛下は比類なき改革者ではありますが、万能の神ではありません。私は、この混沌とした時代に、少しでも多くの人が幸福に暮らせるよう、陛下をお助けしています。伯爵夫人にも、忘れがたい思いもおありでしょう。でも、敢えてそれに耐え、過去よりも未来に生きて欲しいと、私はお願いしたいのです。あなたの人生は、まだずっと長いのですから。流刑地から戻って来られる一族の方々にも、これからの新しい時代を、希望を持って生きる道を探して頂きたいのです」
 ヒルダは、万感の思いを込めて、じっと目を合わせた。
 間もなく流刑地から帰還する人々の中に、ヒルダの貴族女学院の同期でもあるアウグスチーネ・フォン・ファルツがいる。在学中は、特に親しくしていたわけではなく、友と呼べるような仲でもなかったが、リヒテンラーデ一族の粛清以来、常にその消息を気にしていた女性であった。
 リップシュタット戦役の終盤、リヒテンラーデ一族を粛清する際、ラインハルトが、10歳以上の男子を全て処刑するという私刑的処断を断行した当時、ヒルダはまだ彼の傍に侍していなかった。もし、あの時、自分が傍にいればという気持ちが、今でも拭い去れない。自分が換言したくらいで、ラインハルトの意思を変えさせることができたかと問われれば、ヒルダにも自信がなかった。しかし、キルヒアイスの死で、通常の精神状態ではなかったことが予想される当時のラインハルトに対し、何とか理由を付けて、せめて処刑対象の年齢を上げるくらいの助言はできたかもしれないと、今でも思わずにいられないのだった。流刑は後で恩赦を出していくらでも救えるが、処刑された者の命は戻らない。処刑された者の中には、まだいたいけな10歳を少し出たばかりの少年から、90歳を越える老人までいたことを、ヒルダは後に資料を見て知った。
 そして、エルフリーデには、処刑された親族の中に、個人的に親しかった者もいたはずなのは想像に難くない。それを承知の上で、尚未来に目を向けて欲しいと、提言せずにいられないのだった。
 この動乱の時代に、過去を振り返り、怨念と復讐の思いに身を投じたところで、決して誰も幸せにはなれまい。この先、まだ百年近い生があるかもしれない少女の為には、過去と決別し、未来に生きて欲しいと、同じ伯爵令嬢として生を受けたヒルダは、切実に願っているのだった。
『この人は、なんてスケールが大きいのだろう・・・』
 エルフリーデは、感嘆しながら、目の前の美貌の先輩をしげしげと眺めていた。
 貴族の娘として生まれた女にとって、嫁ぐにしろ、自ら当主となり婿を迎えるにしろ、最終的には、次代を継ぐ子供を産むことが、最大の存在意義だった。
 エルフリーデも、その価値観を素直に信じていて、それに対して疑問を持ったことなどなかった。ただ、どうせ嫁ぐのなら、より高い身分の、それも能力も容姿も優れた男性に嫁ぎたいと思っていたくらいだった。その点で、ファルツ侯爵家の世継ぎであるエーリッヒは、理想の相手だった。
 しかし、皇帝首席秘書官たるフロイライン・マリーンドルフという女性は、他にも生きる道はあると語っている。
「ローエングラム王朝第一の功臣は、帝国軍の双璧でも義眼の軍務尚書でもない。首席秘書官のフロイライン・マリーンドルフさ。彼女がいなければ、陛下は今頃、バーミリオンで宇宙の藻屑と消えていたんだから。陛下と彼女が、どんな関係であるにせよ、あの智謀は、宰相級以上だよ」
 エルフリーデは、新皇帝の即位直後の叔父の言葉を思い出していた。
「フロイライン・マリーンドルフは、皇帝陛下とご結婚されるのですか?」
 エルフリーデは、いきなり核心に触れる質問を浴びせた。
「えっ・・・?」
 不意打ちのような問いに、ヒルダは、自分でも驚くほど狼狽してしまった。
「ち・・・ちがうわ。皆、誤解しているみたいだけど、私と陛下とは、そういうんじゃないのよ」
 あたふたと言い訳するヒルダの姿に、先ほどまでの、毅然として道を説いていた女傑の面影はまるでない。エルフリーデは、そのギャップに、年上の彼女が、急にかわいく思えた。
「そうですか・・・」
 エルフリーデは、少しがっかりしたように俯いた。
 理屈では、現状を受け入れなければいけないと解っている。しかし、旧王朝の門閥貴族社会で生まれ育ったエルフリーデには、心情的にどうしても、下級貴族出身の男を皇帝陛下と崇め奉るのに抵抗があった。しかし、由緒正しいマリーンドルフ伯爵家の、しかも憧憬の対象である先輩が、カイザーリンなら、自分の中でローエングラム王朝を認めてもいいとさえ思いはじめていたのだ。
「でも、皇帝陛下は、フロイラインをお望みにならないのですか?」
 エルフリーデは素朴な疑問を口にした。
 軍神とも太陽神とも譬えられる皇帝と、常にその傍らに侍るミネルバ神の如き首席秘書官。まるで一対の絵のような二人が結ばれるのは、自然の摂理とさえ思える。
 だが、ヒルダの口から出た言葉は、またしてもエルフリーデの固定観念を打ち砕いた。
「陛下は、そういう方ではありません。私は、自分の能力を以って陛下にお仕えしたいと考えておりますし、陛下も、私の意思を尊重して下さいます」
 穏やかに、当然のこととして返答するヒルダに、エルフリーデは無言で目を見開いた。
 この帝国で、権力のある男が、女性の意思を尊重するなど考えられないことだった。
 十年以上首席閣僚の座にあった大叔父リヒテンラーデ公は、血の繋がった一族の娘達でさえ、より強固な閨閥を形成するの為の駒としてしか見ていなかったし、エルフリーデ達もそれを当然と受け止めていた。
 しかし、新王朝の皇帝は、この美貌の女性の意思を尊重するという。
 それは、彼女なればこそなのだろうか? それとも、本当に新しい時代がやってくる前兆なのだろうか・・・・? エルフリーデは、目まぐるしく変貌を遂げて行く帝国の社会に、恐れと戸惑いを感じながらも、自分の中で、好奇心がそれに勝っていることに気づきはじめていた。
「それより、新婚生活はいかがですか? ロイエンタール元帥は、お優しい?」
 ヒルダの、話題を変えるつもり言った何気ない問いに、途端にエルフリーデの顔が曇った。
「私と、あの男とは、そういうのではありません・・・」
 エルフリーデは、そっと目を閉じると、静かに首を振った。
 なぜか嘘でも「ええ」と答える気になれなかった。
 ヒルダは、その様に、目の前の少女が妙に大人びて感じられた。同時に、先ほどまであどけなく清純にさえ感じられたエルフリーデが、既に少女ではないことを瞬間的に感じ取っていた。エルフリーデが、今日卒業式で見た無邪気な生徒達と同い年なのだと考えると、一族の為に結婚を急いだ彼女が不憫だった。
 そして、この年若い伯爵夫人が、未だ生娘である自分よりも、ある意味女性としてずっと先を歩んでいるのだということを同時に悟ったのだ。
「お祝いに頂いた比翼連理のようになれず、申し訳ありません」
 心底申し訳なさそうに軽く頭を下げたエルフリーデに、ヒルダは必死で励ます言葉を探した。
「そんなこと仰らないで。まだ、これからではありませんか。時間をかけて、互いに理解を深める夫婦もあるのですから」
 ヒルダは、自分で言っていて、なぜこんな平凡な言葉しか思いつかないのか、歯痒かった。比類なき智謀を謳われる皇帝首席秘書官も、男女のことに関しては、凡人以下だった。
『百億年かかっても、私とあの男の間に、理解だの愛情だのは芽生えないわ』
 エルフリーデはそう思っていたが、それでも、ヒルダの不器用な気遣いに、誠意と真心を感じて、「ありがとうございます」と、深く腰を折った。


 すっかり話し込んでいたら、午後9時を過ぎてしまっていたので、ヒルダは長居したことを詫びると、待たせてあったランドカーに乗り込み、名残惜しげなエルフリーデや家令達に玄関まで見送られながら、ロイエンタール邸を後にした。
 ヒルダはふと思い立って、当然真っ直ぐ自邸に戻るものとルート設定をしていた運転手に命じて、ヴェストパーレ男爵邸に向うよう指示した。
「思い立った時に、行動を起こしておかないと」
 ヒルダは一人ごとを呟くと、ある計画を頭の中で急ピッチで立案していた。
 今日の卒業式で、ヒルダは改めて、自分の女学院時代を思い起こしていた。
 彼女は、その天才的頭脳と、貴族令嬢らしからぬ奔放さで、同じ上級貴族の娘達ばかりの学院内に於いて、対等な友人と呼べる存在に、ついに出会うことが叶わなかった。
 上級生からは露骨に嫌な顔を向けられ、同級生からも距離を置かれていた。
 一見孤独な少女時代だったが、逆に下級生からは、誰が言い始めたのか「ヒルダお姉様」という呼称がすっかり定着し、絶大な支持を受けるようになっていた。数々の逸話が生まれたのもこの頃のことである。
 先輩や同輩からは忌避されるが、目下の者達には慕われる。―――それは、いみじくも皇帝ラインハルトの幼年学校時代と全く同じ状況だったが、この時点では、当人達は知る由もない。二人が、これ程近くにいながら、自分達が、実はとてもよく似ているということに気づくのは、もっとずっと先の話だった。
「あなたの事、少し羨ましく思っていてよ」
「私もだわ」
 友人のいないヒルダに、卒業式の当日、そう言って握手を求めてきたのは、次席の銀メダリストのルトヴィカ・フォン・リンダーホーフと、第三位の銅メダリスト、アウグスチーネ・フォン・ファルツの二人だった。
 三人で、ヒルダを真ん中にしてメダリストの記念撮影をしたのが、ヒルダにとって女学院時代の最後を飾るいい思い出となった。
 二人は、開校以来の稀有な存在であるヒルダには及ばなかったものの、例年なら立派に首席で卒業できるくらい優秀な生徒だった。共に上級科へ進み、貴族令嬢として型通りの人生を歩んだようだが、彼女達がもし男であったなら、それぞれ有能な官僚なり軍人なりになって、共に新帝国の礎を築いたかもしれない。そう思うと、今更ながら帝国の男社会が残念でならなかった。第一、世の中の半分は女なのだから、その能力を最初から戦力に加えないなんて、人的資源の無駄というものではないか。
 そんなことを考えて、ヒルダは、ふと自嘲ぎみに微笑んだ。
『こんな風に思うから、私って、かわいげのない女なのよね』
 でも、ヒルダはそんな自分を結構気に入っている。かわいげのない女と言われようが、生意気と思われようが、自分はその生き方を変えられないし、今はそれを理解し、認めてくれる人々に囲まれている。その点では、自身の幸運を素直に感謝していた。
 アウグスチーネは、上級科を首席で卒業した後すぐに、リッテンハイム一門の侯爵家に嫁いだらしいが、夫との間に子供はなく、リップシュタット戦役で実家であるファルツ家がリヒテンラーデ一族であったことで離縁され、実家に戻ったところ、ローエングラム派の粛清で流刑に処された。因みに、その夫は、キフォイザー星域会戦で、キルヒアイス艦隊に破れて戦死している。
 エルフリーデには殊更言わなかったが、彼女が一族の赦免を請う行動を起こす度に、それを支持し、要求を聞き入れるようラインハルトに口添えしてきたのも、他ならぬ側近中の側近であるヒルダだった。
 ルトヴィカの方は、上級科を次席卒業してからの行方が、リップシュタット戦役前年に、社交界デビューしたニュースを最後に、聞かれなくなり、現在は行方知れずとなっていた。元々彼女の生家であるリンダーホーフ侯爵家は、止血帝エーリッヒ二世の即位前の称号でもあり、皇室とも縁の深い帝国屈指の名門だった。ここニ、三代続いて、ブラウンシュバイク公爵家と縁戚関係を結んでいることもあり、賊軍に加わっていたが、ガイエスブルク要塞で降伏したり自殺したりした貴族達の記録の中に、リンダーホーフ侯爵家の人々の名はなく、賊軍側の戦死者名簿にも、収容所に収監された国事犯のリストの中にも名前を発見できなかった。
『一家でフェザーンにでも亡命していてくれるといいのだけれど・・・』
 ヒルダは、心の中で、級友の無事を祈った。
 ヒルダは、自分が彼女達と同じ人生を歩まずに済んだのは、自分自身の能力よりも、父フランツが、ヒルダを一人の人間として尊重し、貴族令嬢の型にはまらずに生きることを容認してくれた為だと、最近思うようになっていた。
 もし、父がもっとスタンダードなタイプの門閥貴族だったら、いかに優秀であろうと、娘の美貌を以って、出来る限りの権門から婿を迎えて家を継がせるくらいの発想しかできなかっただろうし、ヒルダも伯爵家の娘として、それに従い、アウグスチーネと同じような人生を歩んだ可能性が高い。
 そうなれば、彼女がラインハルト・フォン・ローエングラムに出会うこともなかったであろうし、ラインハルトの台頭はあったとしても、ヒルダのバーミリオンでのスタンドプレーもなく、ローエングラム王朝もなかったかもしれない。
 そう考えると、たった一人の女の人生を変えることが、いかに歴史に大きな影響を与えるのか思わずにはいられない。そもそもラインハルト皇帝が、打倒ゴールデンバウム王朝の志を立てたこと自体が、姉であるグリューネワルト大公妃を後宮に奪われたことに端を発していたのだから。
 ヒルダがそんな感慨に耽っていると、ランドカーはヴェストパーレ男爵邸に到着した。 ヒルダは、出迎えた男爵夫人に、夜半の突然の訪問を詫びると、サロンで夫人と向かい合い、用件を単刀直入に切り出した。
 ヒルダが、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ女男爵に依頼したのは、自分名義の貴族女学院の株を全て譲渡するので、理事として、今年度末に行われる予定の理事長選に出馬して欲しいというものだった。無論、当選できるよう根回しはこちらでするので、選挙活動の類はしなくても結構だと付け加えて。
「つまり、私がヒルダちゃんの傀儡理事長になるってことね」
 男爵夫人は、悪意のない口調で微笑んだ。
「そういう面もあることは否定できません。しかし、それだけではなく、男爵夫人には、長年に渡り教育業界に携わってきた経験を活かして、貴族女学院の改革を断行して頂きたいのです」
 ヒルダは、何時の間にか縋るような口調で、自分より八つ年上の友人を見詰めて言った。
 ヴェストパーレ男爵家は、代々帝都内で、複数の私立大学や専門学校を経営しており、男爵家の当主は、領地や荘園の統治の他に、それらの経営の最高責任者も兼ねている。
 14歳で先代の父親を亡くし、女当主となったマグダレーナは、この道のベテランと言っていい適任者だった。
 ヒルダは、できることなら自分自身で母校の改革に乗り出したかったが、皇帝首席秘書官という役職に就いている身では、それは叶わない。むしろ、片手間にやって中途半端に終わるよりは、誰か自分の志を理解してくれる人物に一任した方がいいと判断したのだ。
 また、皇帝の威光を怖れて、今のところ誰も表立って声を上げる者はいないが、旧貴族社会の中で、マリーンドルフ家のみがほぼ無傷で残ったことに反発を感じている人間が少なからずいることを、ヒルダは知っている。
 ヒルダもフランツも、それを察して、それぞれが新王朝の国務尚書と皇帝首席秘書官という役職を拝命した後は、所有している団体や企業の名誉職を片っ端から親族以外の者に譲渡して、身を慎んできた。今回の貴族女学院の理事株も、その一環として、この際、いい機会に思われた。
「了解したわ。私でよろしければ、何とかお役に立ちましょう」
 男爵夫人の即答に、ヒルダは安堵して微笑を返した。
「ありがとうございます。男爵夫人」
「お礼には及ばないわ。あそこは、私の母校でもあるんですもの。それにしても、面白い時代になったものね」
「ええ、本当に」
「ところで、ヒルダちゃん」
 男爵夫人が、改まって問いかけた。
「その後、どう? 進展はあるの? あなたたち」
「えっ? 何でしょうか?」
 その反応に、男爵夫人は失望を隠さず嘆息した。
「決まってるでしょ? あなたと皇帝陛下のことよ」
 ヒルダはやっと「ああ」と合点がいったように頷いた。
「ああ、じゃないわよ。今や帝国中の関心事でもあるのよ」
「それでしたら、先ほどコールラウシュ伯爵夫人にも訊かれましたが、私と陛下との間に特別なものはございません。陛下はあくまでも、秘書官としての私の能力を正当に評価して下さっています」
 生真面目にそう応えるヒルダに対して、男爵夫人は最早、何をか言わんやで、この件に関して口を噤んでしまった。
 二人はその後、女学院の改革について、いくつか意見を交わし、日付の変わる直前に、ヒルダは男爵邸を辞去した。
「似たもの同士というのも、ここまで来ると考えものだわね・・・」
 ヴェストパーレ男爵夫人マグダレーナは、窓辺から走り去るヒルダのランドカーを見送りながら、そう呟いた。


 ヒルダがヴェストパーレ男爵邸を後にした頃、エルフリーデは、一時間前に帰宅した夫に、いつものように自室の寝台で『権利』を行使されていた。
 乳白色の陶磁器のような肌が、徐々に薄紅色に染まってくる。自分の意思とは関係のないところで、自分の身体が予想もしなかった反応を示す。そのことが、エルフリーデには怖かった。
 青く硬い蕾だった体が、一ヶ月前よりも、白い乳房は膨らみを増し、全体に丸みを帯びてきていることに、エルフリーデ自身はまだ気づいていなかった。
 夫である男と身体が深く繋がっていても、エルフリーデの心は孤独だった。
『陛下は、私の意志を尊重して下さいます』
 ぼやけた頭に、ふと、フロイライン・マリーンドルフの言葉が思い出された。
 自分は、この男に一度だって『尊重』されたことなどない。ただ、男の欲望の吐け口としてのみ存在し、男は毎夜その欲求を満たすと去って行く。妻という肩書きがついているだけの、ただそれだけの存在だった。自分のみならず、そもそもこの男には、女の意思を尊重するなどという発想自体が、最初からないのではないか? 漁色家などど言われているが、本当は逆で、女という存在自体を嫌悪しているのではないか? エルフリーデは、最近、なぜか確信的にそう思えるのだった。
『負けるものか』
 エルフリーデは、誰にともなく心の裡で、叫んでいた。
 このまま、この男の玩具で終わってなるものか、エルフリーデはそう決意すると、自分に覆い被さっている男を、熱雷を孕んだ瞳で睨んだ。
 視線を合わせた男の金銀妖瞳が、妖しい光を反射する。
 次の瞬間、エルフリーデの身体は、内部から大きく突き上げられた。
「・・・はっ・・・う・・」
 思わず唇から漏れてしまう声と同時に、エルフリーデは反射的に身を反らせると、更に深く男と繋がっていた。
 そして、それから先の記憶が、またしても消えていることに、翌朝になって唇を噛むのだった。
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