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舞台化公式サイトが始動してます

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舞台「銀河英雄伝説」公式サイトが正式オープンしています。

キャストの一部でも発表になるかと思っていたんですが、今回が「第一章 銀河帝国編」である以外、目新しい情報はなし。と思ったら、とんでもないことに・・・

で、いちいち文句つけるのも嫌なんですが、なんか随分と素人くさいサイトだなぁと。会社の担当者が、作成ソフト使って急ごしらえした感じ。

今回突っ込みたいのは、よしりん×らいとすたっふ社長のインタビュー「銀英伝の作り方-番外編-」

[安達氏] ー「銀河英雄伝説」は、以前にも舞台化の話があったとお聞きしていますが。

[田中氏] はい。当時の徳間書店の編集者さんが宝塚歌劇団にお話しを持って行ったことがあります。もう20年近く前の話になりますが。だ、そのときは「恋愛の要素が薄い」ということで実現しなかったと聞いております。

ー恋愛要素、ありますよね。

あると思うんですが[笑]、それがメインではありませんからね。

宝塚で舞台化は、以前にも聞いたことあったんですが、ネタだとばかり思ってました。
実現しなかった理由が「恋愛要素が薄い」だったとは初耳です。
気になるのは、ここでよしりんが言っている「銀英伝にも存在する恋愛要素」って、誰と誰のことを指してるんでしょ?ってことです。
同性愛大嫌いのよしりんが、まさか、赤×金や双璧を思い浮かべて言ったとは思えません。
だとしたら、やっぱり主人公のライ×ヒルしかないわけで、もし、二十年前に銀英伝を無理矢理舞台化していたら、原作を大幅に改造して、ライ×ヒルの恋愛要素をメインに作られた可能性大と思うんですが。
もし、そうだとしたら、最近ライヒルに嵌った方々は、舞台を見られなくてさぞ残念だったことでしょう。

ー今回は、ラインハルトとキルヒアイスの二人にスポットライトを当てて舞台作りをされているようです。そのあと、同じように同盟軍のヤンたち、帝国軍の双璧、という具合に、公演を重ねることで、「銀河英雄伝説」のキャラクターを次々に描いていくようですね。

そういう風にやるんですね。
それにはこの「第一回」を成功させないことには、二回も三回もなくなっちゃうと思うので、とりあえず成功してもらいたいです。
で、もう恋愛要素ないままでいっちゃうみたいですね。
BL的には絶対しないだろうし。

ーでも、女性がいないんですよ。

ううん、将来こうなると知っていましたらねぇ[笑]。私も商売っ気のない人間ではないので[笑]、要所要所に女性を配したことでしょう。

ーなるほど[笑]。

だから、あの頃の私は純粋だったんでしょう、きっと[笑]。

ーそうですかねぇ[笑]

ただですね。私が「銀河英雄伝説」を書き始めた頃と今というのはずいぶん世の中が違います。いまでは戦う女性キャラクターというのは、珍しくもなんともないのですが、あの頃はあまり一般的ではなかったんですよ。「エイリアン」は、まだでしたよね。

(中略)

ーそういう意味では、実際に剣や銃を取って戦う女性というのは、当時はまだあまり出ていませんでした。

そうでしょう?「銀河英雄伝説」は戦争を主体に据えた歴史劇ですし、どうしても男性中心に描かざるを得なかったんです。そのとき戦う女性キャラクターを前面に出していたら、私は先駆者と呼ばれたのかも知れませんね[笑]。

ーなるほど。

え?
「エイリアン」はなかったけど、モモレンジャーも白鳥のジュンもとっくに活躍してましたよ。
何かやっぱり根本的に勘違いしてるような・・・

ですから、変な話ですけど、今回の舞台化にあたっては、脇役を女性に変えてもらっても私は構いませんよ。

ーそこも含めて、舞台化スタッフにお任せ、ということですね。

びっくりです。
じゃあ、もしかして、脇のキルPを女に変えて、主人公との恋愛要素をメインに・・・とか、まさかそれはないよね?
そうなると、最近のBLでよくある元々男×男のカプの片方を女性にしてしまうという、所謂「女体化」ものですか?
う~~む・・・
そうなると、双璧も、どっちか(たぶんミッタ?)を女体化して恋愛ものに・・・とか、まさかね・・・
しかし、エキストラみたいな脇だったら気にしないけど、少なくても帝国側の主要キャラの性転換はやめて欲しい。
コミック版のルビンスキー女性化止まりにして欲しいです。

コメント一覧

べる URL 2010年04月10日(土)08時35分 編集・削除

SS 掲載有り難うございました。
なんか改行がうまく行ってないですが、
Macから送るとしょっちゅうそうなるのが悲しい……。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうやらよしりんは
インタビューなど、地の声は黙ってた方がよろしいようで…。

ツンデレさん?

メイ 2010年04月10日(土)08時48分 編集・削除

女体化もの。確かに読んだ覚えがあります笑。
初めて読んだときには、人間の想像力は本当に無限であると、カンドーすら覚えました。アメブロのぐるっぽで、「勝手にキャスト」ってスレたってるんですが、なかなか楽しいですよ。なんだかんだいって、みんなワクワクしながら待ってるんじゃないかしらっ。

Jeri Eメール URL 2010年04月10日(土)12時37分 編集・削除

記事に補足します。
銀英伝の魅力は、あのアンバランスな男女比率であり、徹底して恋愛描写や女性描写から逃げて、結果的にそれが+に働いた点でもあると思ってるんですが、違いますかね?
どうも、よしりんのインタビューを読むと、彼はもっと女性キャラ、しかも女性兵士や女性提督を出せば読者に受けたと思っているようですが、私には逆効果な気がするんですが。
同盟側なら、確かに一応民主主義の男女同権体制のようなので、もっと軍や政府の上層部で女性が活躍している描写があってもいいと思いますが、封建的な男社会という設定で描いている帝国で、やたらに女性が社会進出していたらかえって違和感が増します。
私は、銀英での帝国側女性の描き方
内面を書かない→ アンネローゼ、エヴァンゼリン
視点も思考回路も男のキャラを女体化→ ヒルダ
謎の行動をとる変な人→ エルフリーデ
これらが結局「ボロを出さない」効果を最大限に発揮したように思えます。
恋愛描写にしても、下手に書き込まず「やまなし、いみなし、おちなし」に描いたことで、ファンの妄想の幅を拡げ、20年以上経っても二次創作が後を絶たない理由でもあると思っています。

べるさん
改行の件、気が利かずごめんなさい。
後で直しておきます。
舞台化は楽しみでもあるんですが、主要キャラの誰かが女体化するようなものは見たくないですよね?

メイさん
「勝手にキャスティング」見ました。
ヤンのウッちゃんは、問題ないと思うんですが、その他の方々がどうも想像できません。
いっそ全員をオーディションで選んだらとも思いました。

べる@携帯 2010年04月10日(土)13時52分 編集・削除

改行の件をコメント欄に書いて、誠に申し訳ない。メールすべきでした。失礼しました。


女体化…は…、もちろん有り得ないっす。
モモレンジャーは、ヒルダたんとカリンとフレデリカで充分でござるよ…。

でも誰だろう、女体化に耐えられるキャラって…。(笑)
笑いなら取れるかも。W


よしりん、ひとこと多いタイプの男かも…。
どうせ、その場のノリでそう言ったんだと、信じてみたいです。

えるちゃんは、アダムに林檎を喰わせた女、という位置付けだと、おもうよ。多分。

冒険風ライダー Eメール URL 2010年04月10日(土)19時35分 編集・削除

 お久しぶりです。
 やはりJeriさんも例のインタビュー記事は注目しておりましたか。
 実は私のサイトの掲示板の方でも先ほどアレについてまとめた記事をアップしたところです。

http://otd3.jbbs.livedoor.jp/318375/bbs_tree?base=8469&range=1

 あのサイトのカウントダウン不発ネタについて、私はリアルタイムで見ていたのですが、田中芳樹絡みでは久々に笑えたネタになりましたね。Twitterの方でも盛り上がってましたよ。
 Webに関する知識が疎いのは、あのサイトのみならず「らいとすたっふ」本体からしてそうみたいですからねぇ(苦笑)。せっかく「公式」という旨味と責任のある看板を背負っているのですから、もう少しそれを利用した宣伝戦略をやっても良いのではないかと、私としてはせせら笑いながらも思わずにはいられないのですが。

Jeri Eメール URL 2010年04月11日(日)03時15分 編集・削除

べる@携帯さん
改行の件、こちらこそ、横着してすみませんでした。
先ほど、ソースを修正してみました。
女体化、どうしてもやるとしたら、一番し易いのは、ラインハルトをオスカル的に女体化して、キルヒアイスとの悲恋物語にすることでしょうね。
それなら宝塚上演も有り得たかもww
他の主要キャラの女体化は、ちょっと考えられないですね。
頼むからやめて欲しいです。

冒険風ライダーさん
お久しぶりです。
私もカウントダウンを信じて、10日の午前0時丁度のオープンを待っていたので、0時10分頃PCを見た時は、カウントアップしてて驚きました。
その後、数時間後にもう一度見た時は、今のページになっていたので、早速内容をチェックした次第です。
今時、テレビ番組だって「詳しくはこちらのサイトを見てね」なんてやってる時代に、あまりにもネット宣伝を軽視した姿勢に驚きました。
カウントダウンページは、フラッシュが、自宅の方のスペックの低い古いのノートPCだとやたらに重くて、開くまで大変だったんですよ。
らいとすたっふのバイトくん、なんであんな方法でカウントダウンするのか理解できませんでした。
普通にJavascriptで書けば、なんてことないのにね。
余計なタグが多いし、公式サイトとしてのデザイン性を考慮すれば、あの内容なら、SOHOレベルの専門業者に頼めば、10万もかからずに、もっとマシなサイトができますよ。
木下工務店がスポンサーで、そのくらいの金がないわけではないと思うんですけど、どうなんでしょ?
そちらの掲示板にお邪魔させて頂きました。
インタビュー記事を読んで不思議に思ったのは、どうして田中氏は、「女性キャラをもっと増やして要所に配置する」となると、それが即「男と同じに戦う女」になってしまうのでしょうか?
仮に、当時そんな女性キャラをいっぱい作っても、先駆者でも何でもなかったと思んですがね。
↑で書いたように、モモレンジャーも白鳥のジュンも既に世に出ていたし、コンバトラーVもボルテス5もガンダムの中にも田中氏の言う「戦う女」はいました。
「銀英伝は、そんな子供向けの戦隊モノや、ロボットアニメと同列ではない。もっと高い年齢層をターゲットにした歴史劇だ」と言われるなら、尚のこと、あの銀河帝国の設定で、女性キャラがいっぱい戦場に出ていたら不自然です。
私はむしろ、歴史劇を標榜し、「単純な勧善懲悪ものではない」と主張するなら、ラインハルトに滅ぼされた旧王朝側の言い分も描くべきで、その代弁者として女性キャラを使うという発想がなぜ生まれないのか、不思議です。
諸悪の根源として描かれていた門閥貴族達ですが、自分で自分の人生を選べない社会で、罪無くして突然生活を奪われた女たちは確実に存在するはずで、その代表として、フリードリッヒ4世の娘や孫やエルフリーデを採用して動かした方が、不自然な戦う女を創出したり、元々男だったキャラを女体化するよりも、歴史劇としての完成度も上がるし、女性読者の共感も得られると思うのですが、いかがでしょうか?

sabrina URL 2010年04月11日(日)18時31分 編集・削除

>いまでは戦う女性キャラクターというのは、珍しくもなんともないのですが、
>実際に剣や銃を取って戦う女性
>戦う女性キャラクターを前面に出していたら

何か、根本的に勘違いされているらしいことがとってもよく分かりましたwww
あれですよ、もう女性読者の共感を得ようなどと欲目を出して妙な女キャラを作り出したりせずに、ひたすら我が道を極められた方が良い作品を残す人なのではないか?と思いました。

追伸 SS、ちょっと暗いか?とも思ったのですが、気に入って頂けたようで嬉しいです♪

冒険風ライダー Eメール URL 2010年04月11日(日)20時56分 編集・削除

<カウントダウンページは、フラッシュが、自宅の方のスペックの低い古いのノートPCだとやたらに重くて、開くまで大変だったんですよ。
らいとすたっふのバイトくん、なんであんな方法でカウントダウンするのか理解できませんでした。
普通にJavascriptで書けば、なんてことないのにね。>

 Jeriさんもカウントダウンはリアルタイムで見られておりましたか。
 あのフラッシュは確かに重い上に大き過ぎますね。表示に時間がかかるのみならず、私が使っているパソコンのディスプレイのサイズ(1376×768)でも、フラッシュをスキップするためにいちいち画面を下にスクロールさせてスキップボタンを押さなければならず、そのあたりの手間も面倒でした。
 普通、ああいうフラッシュって、パソコンに合わせるとしても「640×480」か「800×600」のサイズをベースにして一画面に収まるように作るのが一般的だと思うのですが、作り方が全然なっていないなぁ、というのはそれからも感じられましたね。
 JavaScriptだとセキュリティ対策から設定をオフにしている人が結構いそうではあるので使用を避けたにしても、CGIかPHPが使えればその辺も問題はないのですしねぇ。

 あと「らいとすたっふ」は、今回のカウントダウン不祥事の件は完全に「なかったこと」にするつもりのようですね。社長氏のブログ記事でもそのことについて全く触れられていませんし↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2010/04/post-d97a.html

 社長氏は、他の企業の不祥事隠蔽問題や非実在青少年の言論統制に関する批判記事をブログで書いていたりするのですが、何のことはない、「らいとすたっふ」および社長氏自身も全く同じことをやっているわけです(苦笑)。
 まさに「お前が言うな!」ですよ、これって。


<インタビュー記事を読んで不思議に思ったのは、どうして田中氏は、「女性キャラをもっと増やして要所に配置する」となると、それが即「男と同じに戦う女」になってしまうのでしょうか?
仮に、当時そんな女性キャラをいっぱい作っても、先駆者でも何でもなかったと思んですがね。>

 これは田中芳樹の問題というよりは、田中芳樹が感化されているであろうフェミニズムやジェンダーフリーの問題なんですよね。これらはまさに「男性と同じように働く女性を増やす」ことを「男女平等の正しいあり方」としている思想です。
 フェミニズムやジェンダーフリーは、専業主婦というあり方を「男性の奴隷に甘んじている」などとして敵視したり、ミスコンや雛祭り・端午の節句などといった「男らしさ&女らしさ」を前面に出した風習を攻撃したりと、とにかく男性と女性の間に何らかの差異があること自体を全否定します。そして男性を階級闘争における「敵」と見做し、それに対抗するために女性もまた男性と同じようにならなければならない、として「女性は家の外に出て社会進出し、権利獲得のために男性に対抗して戦わなければならない」と煽動するのです。
 田中芳樹がフェミニズムやジェンダーフリー思想に感化されていることは、フェミニズムやジェンダーフリー思想が推進している政策のひとつである「選択的夫婦別姓制度」に創竜伝10巻および13巻で賛同の意を示しているということからも一目瞭然です。そのような「階級闘争的な男女平等イデオロギー」に感化されている田中芳樹が、その正しさを示すために「戦う女性」を積極的に描こうとするのは当然と言わないまでも必然であるとは考えられるのではないでしょうか。
 私も止めて欲しくはあるのですけどね、こんなものは。薬師寺シリーズをはじめ、最近の田中作品はこの「階級闘争的な男女平等イデオロギー」の歪な反映&出し過ぎで失敗続きなのですから。


<私はむしろ、歴史劇を標榜し、「単純な勧善懲悪ものではない」と主張するなら、ラインハルトに滅ぼされた旧王朝側の言い分も描くべきで、その代弁者として女性キャラを使うという発想がなぜ生まれないのか、不思議です。
諸悪の根源として描かれていた門閥貴族達ですが、自分で自分の人生を選べない社会で、罪無くして突然生活を奪われた女たちは確実に存在するはずで、その代表として、フリードリッヒ4世の娘や孫やエルフリーデを採用して動かした方が、不自然な戦う女を創出したり、元々男だったキャラを女体化するよりも、歴史劇としての完成度も上がるし、女性読者の共感も得られると思うのですが、いかがでしょうか?>

 中国の歴史における王朝交代的な易姓革命思想の全面肯定論者であろう田中芳樹的には、そういうのは絶対に書けないでしょうね。アルスラーン戦記でも、奴隷解放政策をはじめとする諸改革で既得権益を奪われた貴族達が描写されていますが、やっぱり全面的な悪扱いですし。
 銀英伝の作中でも、「老衰して弱体化した王朝は滅ぼされて当然だ」「ひとりの貴族が死んで一万人の平民が救われるのならば、それが予にとっての正義というものだ」的な台詞が溢れていますし、それが同時に作者の本音でもあるということなのでしょう。

Jeri Eメール URL 2010年04月12日(月)01時26分 編集・削除

sabrinaさん
舞台の銀英で、ファー様が女体化されたりしないことを一緒に祈って下さい。

>女性読者の共感を得ようなどと欲目を出して妙な
>女キャラを作り出したりせずに、ひたすら我が道
>を極められた方が良い作品を残す人なのではないか?

はげどーです。
銀英は、よしりんにとってまさにその「苦手な分野は手を出さず我が道を極めた」作品だったと思います。


冒険風ライダーさん
カウントダウン自体、やる必要あったのかと思いますが、私だったらどっかからフリーCGIをDLしてもっと簡潔につけますね。
大きさについては、あまりにも重いので、私はいつも開けて暫く放置してから見てましたので、スクロールした下にskipボタンがあることすら知りませんでした。
仰る通り、フラッシュで作るとしたら、小さめのノートPCで見る環境を考慮して、最大、大きくてW740×H500程度だと思います。

>専業主婦というあり方を「男性の奴隷に甘んじてい
>る」などとして敵視したり

それ、とっくの昔に廃れた考え方だと思ってました。
こんなこといまだに思ってる人がいること自体が驚きです。(余程世間知らずなのでしょうか)
確かに、専業主婦について、一時期そういった風潮がありました。
でも、すぐに「専業主婦の仕事は、普通にやってもかなりの重労働だ。何もしないで飼われているような認識は間違い」との流れになり、専業主婦の労働対価が計算されるようになった記憶があります。確か、一日8000円程度に相当するとかで、×30日で月給で計算すれば、バカにできない金額になったと思います。
特に小さい子供が複数居て、親など手助けしてくれる同居人もいない場合、明らかに外で働く男より重労働ですよ。
どうしてこんな極端な思想に染まってしまったのでしょう?
田中せんせー、もしかして、銀英伝の女性描写で、家政婦とアシスタントしかいないことを、誰かに痛烈に批判されたりしたんでしょうか?
もし、それが原因なら、思いっきり間違った方向に行ってしまいましたね。
アンネローゼやエヴァンゼリンが、戦艦に乗って戦ったら、もっと人気が出たとでも本気で思ってるとしたら、ヤバいですよ。

>中国の歴史における王朝交代的な易姓革命思想の全
>面肯定論者であろう田中芳樹的には、そういうのは
>絶対に書けないでしょうね。

そこがよくわからないのですがね。
私も歴史小説やNHK大河ドラマが好きなクチなんですが、王朝交代自体は、歴史の必然として肯定的に描いたとしても、そこに「滅ぼされる前政権側の悲劇」を描くことは、洋の東西を問わず、歴史ものとして、作品を盛り上げる効果的なスパイスだと思うんですよ。
それが全くなければ、まさに単なる勧善懲悪ものでしょう。
三国志にしても、色々な作家の作品を読みましたが、殆どの人が、後漢王朝末期の献帝を中心とした宮廷の人々をそれなりの解釈で書いて、いいスパイスを利かせています。

冒険風ライダー Eメール URL 2010年04月12日(月)19時15分 編集・削除

<それ、とっくの昔に廃れた考え方だと思ってました。
こんなこといまだに思ってる人がいること自体が驚きです。(余程世間知らずなのでしょうか)>

 フェミニズムやジェンダーフリーは、今でも専業主婦蔑視や「男らしさ&女らしさ」の全否定に躍起になっている始末ですし、民主党政権になって選択的夫婦別姓制度の導入が再び囁かれ始めたように、相変わらずの強い勢力を保ったままの状態にありますからね~(>_<)。この連中は今でもこんな偏向思想を保ったまま、小中学校の性教育関係の教育現場や男女共同参画行政を事実上牛耳っていますし。
 連中の主張や実態は、以下のページで分かりやすくまとめられています↓

フェミニズム団体「性教協」が発行する、小中学生向けの性教育副読本
http://popup12.tok2.com/home2/education/data/page02.htm
フェミニズム一問一答再反論
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign91.html

 我らが田中芳樹御大の場合、元々が左傾な思想の持ち主ですから、リベラル的な男女平等理念に対するシンパシー自体は元からあったのでしょうが、それが明らかにひどくなったのは90年代に入ってからです。90年代以降に新規に誕生した作品では、銀英伝でよく槍玉に上げられる「型に嵌った良妻賢母型の女性」が完全に姿を消し、代わりに「力と論理で男性を踏みつけて威張り散らす女性」が幅を利かすようになっています。田中芳樹が言う「戦う女性キャラクター」しか出てこなくなっているんですね。
 私が銀英伝の女性描写に対して擁護的な理由も実はここにあって、銀英伝の頃の田中芳樹は、たとえ「型に嵌った良妻賢母型の女性」「個性もリアリティも乏しい女性」であっても「とにかく自由に描く」こと自体はできていたのに対して、今の田中芳樹は間違いなく男女平等イデオロギーに縛られて「それすらも描けなくなっている」状態にあることが明白だからなんですよね。しかもそれでいながら、当の本人は「俺様の女性描写は読者受けしている&昔に比べて上手くなっている」などとジャイアンのごとき勘違いな思い込みを抱いているのですから救いようがないというか何と言うか……(T_T)。


<田中せんせー、もしかして、銀英伝の女性描写で、家政婦とアシスタントしかいないことを、誰かに痛烈に批判されたりしたんでしょうか?>

 これはアルスラーン戦機読本に載っていた少女マンガ家の和田慎二による田中芳樹作品評なのですが↓

アルスラーン戦記読本 P58~P59
<もっともその抜群のバランス感覚をもつ田中芳樹氏をして汚名たらしめるのは女性に対する描写の少なさである。『銀英伝』ですら女性キャラクターの名を十指折るのに下宿のおばさんまで加えねばならぬ始末。描写もきわめて……少ない。男性読者の声なき呪いの声は作者にとどいているのだろうか。
 ……届いているらしい。最近は女性を主人公にしたシリーズも始められているし、『アルスラーン戦記』においても第二部では女性キャラクターの活躍も著しい。どうやら作者も心を入れかえたようだ。喜ばしいことである。>

 こんな類の「明後日の方向を向いている」としか思えない女性描写批判が田中芳樹に多く届いた可能性は高いと言わざるをえませんね。
 ちなみに田中芳樹は大学時代に少女マンガを読みふけっていた経歴があり、和田慎二のマンガも熟読対象の中に含まれていたそうですから、田中芳樹的には「大御所」であったかもしれない人物からこういう類のことを言われれば影響は大きかったでしょう。


<そこがよくわからないのですがね。
私も歴史小説やNHK大河ドラマが好きなクチなんですが、王朝交代自体は、歴史の必然として肯定的に描いたとしても、そこに「滅ぼされる前政権側の悲劇」を描くことは、洋の東西を問わず、歴史ものとして、作品を盛り上げる効果的なスパイスだと思うんですよ。
それが全くなければ、まさに単なる勧善懲悪ものでしょう。>

 田中芳樹は「滅びの美学」だの「敗者に対する同情」だのといったものをほとんど全否定していますし、銀英伝にもそれは大きく反映されています。しかもゴールデンバウム王朝の場合、「ただひたすら特権に溺れて平民階級をいたぶっていただけ」な描写しかないのも相まって、そんなものを入れる余地がどこにもなかったのではないでしょうか。
 そういうものを入れようとするのであれば、せめて「彼らは彼らなりに国と国民のためを思って政治をしていた」的な、読者からの共感が得られるかもしれない描写なりエピソードなりを挿入しないと、「何であんな奴らに同情なんかしなければならないんだ!」的な反発を招くだけで終わるのではないかと思うのですが(実際、ヤンもラインハルトもそういうスタンスで門閥貴族を評していましたし)。

りっく 2010年04月12日(月)23時09分 編集・削除

こちらで全体公開コメントするのは初めてになります。
りっくと申します。

銀英伝舞台化……。戦艦の中が大半を占める原作をどう舞台にするんでしょうか。
宝塚化企画というのは実現してたら面白かったかも知れませんね。ラインハルトの男性設定はそのままで、でも女役専門の人がやるとかだったら面白かったかも。(全員男役でも可)

公式サイト、評価厳しいですね。カウントダウンの一件は分かりませんが、昔バイトであの程度の仕事(しかもテーブルコーディング)してた身には耳が痛いです。

さて、門閥貴族の扱いについて混ぜてもらいます。
一巻には財務尚書でありながら不正蓄財するカストロプ公に頭を痛める司法尚書ルーゲ伯の描写とか、二巻の最初の方の隅っこには国が荒れるのを憂慮して、無力ながらも内戦を望まない貴族もいた、と書かれてはいます。「国を憂う貴族の描写」がまったくないわけじゃないです。
ただヒルダさんの貴族弾劾の台詞や、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム候を初めとする戦ベタ連中の愚行の影に隠れて目立たないのは事実でしょうね。

問題は、これをどう解釈するか。一応「国を憂う貴族の描写」が少ないながらも「ある」として解釈するか、
愚行の描写に比べて圧倒的に少ないのを根拠に「ないのと同じ」と解釈するか。
さらに、その描写の少なさを、「作品としてまとめるために必要な措置」、として肯定するか、
「貴族側に理があるとすると主人公の正当化が弱くなるので逃げた」と否定的に捉えるか。

ここらは、もう読者個々人のスタンスの問題だと私は思います。

私は、1巻ではリヒテンラーデ候、ルーゲ伯他「正しくはないかもしれないがバカとは言い切れない」感じの貴族描写が、二巻、三巻になるにつけ「バカ」になっていくのは、ラインハルト正当化のレトリックのためではないかと邪推しています。エンターテイメントというのは主人公が正しくてなんぼ、という面も確かにありますし。

あるいは、作者が当初、もうちょっと歴史小説的にしたかったのを、何らかの意図(下世話に言えば編集の指導)があって、変えたのかもしれないと思ってます。
昔、現国の先生から「作品に語られていること=作者の意見とは限らない」と言われたことも影響していますが。

私自身は敵味方悪と正義がはっきり分かれすぎる話が苦手なのもあって、後者の「逃げた」という感慨を持っていますが、ここまで細部の描写の解釈となると、どっちともなりたつ、というのが一番穏健意見かな…と。

P.S.Jeri様、例のもの、GWまで待ってください。すみません。

冒険風ライダー Eメール URL 2010年04月13日(火)21時32分 編集・削除

 りっくさん、はじめまして。


<一巻には財務尚書でありながら不正蓄財するカストロプ公に頭を痛める司法尚書ルーゲ伯の描写とか、二巻の最初の方の隅っこには国が荒れるのを憂慮して、無力ながらも内戦を望まない貴族もいた、と書かれてはいます。「国を憂う貴族の描写」がまったくないわけじゃないです。
ただヒルダさんの貴族弾劾の台詞や、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム候を初めとする戦ベタ連中の愚行の影に隠れて目立たないのは事実でしょうね。>

 門閥貴族達の場合、「国を憂う」の範疇はゴールデンバウム王朝と自分達門閥貴族までがせいぜいのところなのであって、大多数の平民階級をも含めた国民総体のことなど最初から眼中にもなかったのではないでしょうか。
 銀英伝1巻P173におけるリヒテンラーデとゲルラッハの会話を見ても、両者共に平民階級を物か奴隷扱いしていることが分かりますし、一応は「国を憂う」として描かれているリヒテンラーデは、それ以上に「自己の地位と権力を愛していた」とも描写されています。作中でも門閥貴族は、マリーンドルフ伯のような例外を除けばその大部分が平民階級に恨まれていましたし、常に虐げられてきた平民階級からすれば、門閥貴族が野垂れ死んだところで「ざまをみろ」的な感情しか抱きようがなかったのではないかと。
 アルスラーン戦記の場合だと、大貴族の一人を殺してその下にいる奴隷達を解放したら、逆に奴隷達から「ご主人様の仇だ!」的な反応を返されて主人公がショックを受けるという描写があったりするのですが、そういう描写が銀英伝には全くないんですよね。そういう描写がなく、またその手の「大多数の門閥貴族が慕われている」類の設定もないに等しい以上、なまじ「滅ぼされる側の悲劇」など描いたところで、作中キャラクターはむろんのこと、読者からさえも共感が得られることなどまずないのでは?

 門閥貴族にその手の悲劇性を与えようとするのであれば、門閥貴族に対してもそれなりの政治的正当性や思想・主張といった「他者が共感できる、またはラインハルトの主義主張に対抗しえるもの」を付加しないとダメなのではないでしょうか。たとえば「反銀英伝 大逆転!リップシュタット戦役」でタンネンベルクが主張していた「ノブレス・オブリッジ」的なものを、です。
 しかし、銀英伝の作中における門閥貴族達が「ノブレス・オブリッジ」を忠実に実行しえている存在であるとはとても言えたものでは……。

りっく 2010年04月13日(火)23時29分 編集・削除

りっくです。冒険風ライダー様レスありがとうございます。
>門閥貴族達の場合、「国を憂う」の範疇はゴールデンバウム王朝と自分達門閥貴族までがせいぜいのところなのであって、大多数の平民階級をも含めた国民総体のことなど最初から眼中にもなかったのではないでしょうか。

私がルーゲ伯やリヒテンラーデ候(公)が国を憂えているとしたのは、国庫の破綻の危機や不正蓄財に関し、問題意識を持っていることが、二巻以降の「自分のことしか考えていない」貴族の描写に比べ、「自分以外のことも少しは考えている」点でマシだという意味で言いました。(また、ルーゲ伯は、「伯爵」、この時点でのリヒテンラーデ候は「侯爵」対してカストロプ公は恐らく「公爵」なので、脱税テクニック以外にも家格がからんで、手のうち様がなかったのだとも解釈できます。)

>門閥貴族にその手の悲劇性を与えようとするのであれば、門閥貴族に対してもそれなりの政治的正当性や思想・主張といった「他者が共感できる、またはラインハルトの主義主張に対抗しえるもの」を付加しないとダメなのではないでしょうか。
だからこそ、私は貴族側に正当性をあまり与えていない原作の描写に「個人的に」不満だと申し上げているのです。

>アルスラーン戦記の場合だと、大貴族の一人を殺してその下にいる奴隷達を解放したら、逆に奴隷達から「ご主人様の仇だ!」的な反応を返されて主人公がショックを受けるというシーン
アルスラーン戦記は未読ですが、こういう反応「も」あるのがむしろリアルではないかという考えです。
急に社会制度を変えても、虐げられていた側から、喜ぶ声も、戸惑う声も、両方聞こえてきた方が、奥行きが出るのではないか、という考えを私は持っています。

無論他の方が同じ文章を読んで、別の解釈をするのも、いっこう構わない、というのが前文の趣旨なのですが。上手く私が書けなかったようですね。

どうもJeri様、冒険風ライダー様、私、との間で意見を交換するに当たって中心にすることにズレが起きているような気がします。基準点を定めないことには、話し合いというのはかみ合わないままとなると思うのですが。

ここで問題になっているのは、
銀英伝における門閥貴族の描写を、個人的にどう思うか、と、その根拠だと思うのですよね。

「国を憂う貴族はいた」という意見と根拠になる部分は私は挙げました、その解釈について冒険風ライダー様は、その部分は認識しておられるにしても、そうは思わないと反論されました。
それに対して、私は、解釈の違い、として該当部分の貴方の意見も否定はしないつもりです。

では、最後の点。冒険風ライダー様は原作小説における門閥貴族の描写には特に不満はなく、別の点に不満がある、ということなのでしょうか。
つまり、
>しかし、銀英伝の作中における門閥貴族達が「ノブレス・オブリッジ」を忠実に実行しえている存在であるとはとても言えたものでは……。
というのは本文上から解釈できる事実としても、それを貴方はどうお考えになるか、ということです。

「滅ぼされて当然」という原作の意見を是とするか、非とするか、これを貴方がはっきりさせていらっしゃらないので、話が空転気味になっている気がするのです。

ちなみに私は「非」としています。ただし、これは銀英伝という作品のコンセプトに対する「非」ともなりうるもので、「非」とする私の側の価値観の問題であることも、私の意見として明記しておきます。

では。

Jeri Eメール URL 2010年04月14日(水)02時06分 編集・削除

冒険風ライダーさん

フェミニズムやジェンダーフリーについては、部分的には賛成できる面もあるのですが、もし、田中氏が、冒険風ライダーさんが仰る通り、これらの考え方を妄信していると仮定すると、例の「お前が戦争に行け論」と同様、あまりにも現実を無視した机上の空論と言わざるを得ません。
現実問題として、今の日本の状況で、ほぼ全ての夫婦が、夫も妻も同じくらい仕事をしちゃったら、ただでさえ低下気味の出生率が余計に下がり、将来的に深刻な経済問題化することが必至です。
勿論、それで上手くやっている、というより必然的にそうなっている夫婦もいますし、逆にしたくてもそうできない夫婦もあります。
いずれにしろ、宮仕えの経験なく、学生からいきなり作家先生になってしまった人の考えそうなことと言えば言えるのかもしれません。ww
私個人としては、「選択的夫婦別姓制度」には賛成です。
というか、自分にはもう関係のないことなので、「別姓にしたい人がいるならそれでもいいじゃん」という気持ちです。
強制的にどちらかの性を名乗る現状から、強制的に別姓というわけではなく「選択」なのですから、特に反対する理由はないと思うんですが。多分、選択できるようになっても、妻が夫の姓を名乗るのが9割以上を占める現状に、あまり変化はないと思いますよ。
でも、たとえ少数でも、別姓を強く望む方々がいるなら、その人達に別姓を許可してあげても、誰が傷つくわけじゃないと思ってます。
安易に離婚をする人が増えるとか、家族が崩壊するという意見が反対意見の主流のようですが、中国や韓国では日本とは逆の意味の男尊女卑思想(妻は夫の姓を名乗れない)から夫婦別姓ですし、欧米では、二人の姓をくっつけて名乗る二重姓もあります。

話が逸れてすみません。戻します。

>和田慎二の論評
突き詰めて言えば、銀英伝の女性キャラ(特に帝国側)は、「心」が描かれていないのです。文学でいうところの「登場人物の内面」が殆ど書かれていないので、共感のしようがないですし、多くの読者に、好き嫌い以前の存在としてしか認識されなくなってしまうのです。アンネローゼなど、その典型ですね。
その人物の心を描いていれば、それが戦う女であろうが、銃後を守る女性であろうが、一定の理解を得られるはずですが、内面を書かれていない戦う女を量産しても、読者には「よくわからない人」が増えるだけで、作品の完成度を下げるだけになってしまうと思います。
銀英伝は、「苦手なものは書かずに逃げる」方針だったせいで、数少ない女性キャラが作品全体に大きな影響を与えることがなくて幸いでした。
あの状態で、増やしたら悲惨な結果になっていた可能性が高いと思ってます。
どうも、田中氏は、女性を何か別の生き物のように考えているように思えます。
それが感じ取れてしまうのが、銀英伝の女性描写が引っかかる根本なのではないでしょうか。
私自身、銀英伝の女性描写について、なぜ引っかかりを感じるのか、それを文章にすることが何とかできたのは、ごく最近だったりします。
以前は、漠然と家政婦とアシスタントの形で描くことに、女性蔑視・軽視を感じる人が、自分を含めて多いのだろうなくらいにしか考えてませんでしたが、この数年でちょと違う気がしてきて、それをずっとブログに書いてきました。
和田慎二は、銀英伝の熱烈なファンではなく、仕事の一環として、ざっと作品を読んで、論評を書いただけでしょうから、確かに的外れではあるのですが、上手く文章で表現できない漠然とした女性キャラへの不満を、あのような形でしか書き現せなかったのだと、私は解釈しました。


>門閥貴族にその手の悲劇性を与えようとするのであれば、
>門閥貴族に対してもそれなりの政治的正当性や思想・
>主張といった「他者が共感できる、またはラインハルト
>の主義主張に対抗しえるもの」を付加しないとダメなの
>ではないでしょうか。

その論法でいくと、「ベルばら」なんか誰も面白がって読みませんよ。
読者が登場人物に共感し、思い入れを抱くのは、政治的正当性や、思想・主張に共感するからではありません。
ベルばら読んで、「ルイ王朝は、滅びるべくして滅びたのだ。貧困にあえぐ国民を省みず贅沢三昧したマリー・アントワネットはギロチンで当然」と思う読者はかなり少数派のはずです。特に、当時のベルばらがターゲットにした、十代の女の子の中では尚更でしょう。あの話を読んだ人の多くは、ルイ王朝の絶対王政自体は、歴史の必然として滅びるのは仕方がなかったと考えても、その渦中で処刑されたマリー・アントワネットは、悲劇のヒロインとして、同情と共感を得るよう描かれています。

私が言いたいのは、銀英伝でラインハルトが主張する、「ひとりの貴族が死んで一万人の平民が救われるのならば、それが予にとっての正義というものだ」という台詞ですが、果たして本当に、「1対1万」で済むのか?ということなのです。
はっきり言って、その「一人の貴族」が、国を憂う政治的正当性のある立派な人物でも、ただひたすら特権に溺れて平民階級をいたぶっていただけのバカ貴族でも、この場合、あまり関係ないのです。論旨が上手く伝わらなかったようで、申し訳ありません。
どんな人間であれ、「一人の貴族」には、その家族があり、その家に仕えて、それで生計を立てていた平民の使用人とその家族、その家と取引関係にあった平民の事業者など、直接、間接問わず関わりがあった、いわば、巻き添えを食った罪無き人々は、無視できないくらいの人数になるのではないか?という問題定義です。
1対1万は、実際には、1000対1万とか、2000対1万かもしれません。
少数派とはいえ、これらの人々を大事の前の小事として切り捨てて、それでも、「正義」ですか? と問いたいのです。
ここで書き殴っている二次創作でも入れましたが、造園業のミッターマイヤーの父なども、その切捨てられた少数派の一人かもしれません。(まあ、彼の場合は息子が元帥なので、廃業しても生活に困ることはないでしょうが、同業者には倒産で首吊りとかあったかも)
で、元々言いたかったことは、田中氏が、今から思えばもっと銀英伝で女性キャラを出せばよかったと考えている件で、その女性キャラを、男と一緒に戦艦に乗って戦う女を想定しているらしいことを読んで、「それは違うんじゃ?」と。
そんな不自然な「戦う女」なんて出すなら、こういった「巻き添え食った人の悲劇」を描き、そこで女性キャラを使った方が、歴史劇として物語に深みが増すのではないか?いえ、歴史劇なら、まさにこういうところこそ、描くべきでしょ?ということなんです。


りっく様
コメントありがとうございます。嬉しいです。

>ラインハルトの男性設定はそのままで、でも
>女役専門の人がやる

それも面白いかも。
そもそも、作中で作者自身が「無性的な」と表現し、あまり「男」を強調しないキャラとして描かれているラインハルトですから、もし、女体化するとすれば、彼が一番の適任ですよ。
私としては、誰であれ、主要キャラの性別変更はやめて欲しいところです。

公式サイトの酷評については、ヲタクな奴の戯言と思って下さい。
これから来年1月までまだ時間がありますので、専門家に依頼してリニューアルの可能性もありますしね。
(例のものは、いつでもお待ちしてます。よろしくお願いします☆)


>門閥貴族の扱いについて
↑で、冒険風ライダーさんへのレスでも書いたように、銀英伝は、それによって当然生じるであろう矛盾をすっぱり切り捨てて、いる箇所が結構見受けられます。
門閥貴族に関しても、ルーゲ伯やリヒテンラーデ候などだけでなく、外伝「汚名」では、高潔で偉ぶらないカイザーリング男爵や、「千億の星、千億の光」の働かざる者食うべからずのポリシーのハルテンベルクハク伯と、影からラインハルトに協力するグリンメルスハウゼン子爵、「奪還者」の聡明なマルガレーテ嬢など、マリーンドルフ伯を除く100%が、バカではないことが描かれています。
少数派とは言え、彼等のような貴族が結構いるとすれば、当然、門閥貴族が滅びたことを全ての平民が諸手を挙げて歓迎したわけではないと思った次第です。
その部分を作品で全く無視している理由を、私も、りっくさん同様、「貴族側に理があるとすると主人公の正当化が弱くなるので逃げた」が本当のところなのではと思っています。

>意見を交換するに当たって中心にすることにズレが起きているような気がします。

↑でも書きましたが、私の書き方が悪かったのか、論旨が伝わっていなかったようで、申し訳ございません。
私も、りっくさんの、「急に社会制度を変えても、虐げられていた側から、喜ぶ声も、戸惑う声も、両方聞こえてきた方が、奥行きが出るのではないか」とのご意見の賛成ですし、不自然な「戦う女」より、そういう部分を表現する為に女性キャラを使うのが、歴史劇の本道ではないかと思ったのが、元々の発端でした。
それを描くのに、門閥貴族サイドの女性キャラ(平民の使用人でもお姫様でも)の政治的正当性だの、思想だのは、どうでもいいのです。
ベルばらを読んでマリー・アントワネットに共感や同情を覚える人は、皆、ブルボン王朝の正当性とか、アントワネットの政治思想に共感しているわけではなく、むしろ、彼女の度を越した贅沢自体は、否定的に見て、革命も必然だったと思っているはずです。
読者が共感するのは、たまたまそのような時期にハプスブルク家に生まれたが故に政略結婚させられ、贅沢はできても心は満たされない彼女の心の葛藤であり、急激な時代の変化の荒波にもまれ、処刑される悲劇に対して同情するのだと思っています。

銀英伝に於いても、門閥貴族は、「ほぼ全部が平民を虐げるバカ貴族」であろうが、「少しはマシな貴族がいた」のどちらが事実であろうが、いずれにしろ、あの世界の歴史の流れの中では、滅びるのが必然だったと思います。
でも、「門閥貴族は滅びて当然」=「門閥貴族の人間には共感も同情も感じない」ではないはずです。
エルフリーデには、政治的正当性も、万人が共感できる思想もありませんが、何も悪いことをしていないのに、ある日突然謂れのない罪を着せられ、それまでの生活を全て失い、流刑に処されたら、怒りが沸くのは当然で、もっとそのあたりを描き込んでいれば、その点だけでも、充分読者の共感を得られたのではないかと思っています。

冒険風ライダー Eメール URL 2010年04月15日(木)21時16分 編集・削除

>りっくさん
<私がルーゲ伯やリヒテンラーデ候(公)が国を憂えているとしたのは、国庫の破綻の危機や不正蓄財に関し、問題意識を持っていることが、二巻以降の「自分のことしか考えていない」貴族の描写に比べ、「自分以外のことも少しは考えている」点でマシだという意味で言いました。>

 そのリヒテンラーデは、フリードリヒ四世死後に自身の権力を強化するため、体制破壊者であり自身も危険視していたはずのラインハルトと手を組み、内戦の当事者のひとりとなっていましたが、これって貴族連合軍に属した門閥貴族達以上に「自分のことしか考えていない」以外の何物でもないのではありませんか? 彼は自己一身の利益のために、平民どころか他の門閥貴族さえも犠牲にしようとしていたのですから。
 この点についてはむしろ、ラインハルトに滅ぼされた貴族連合軍の門閥貴族達の方が「このまま老害と金髪の儒子を増長させたら自分達の体制が危うくなる」的な危機感を抱いていたように見えますし、だからこそ大多数の門閥貴族がブラウンシュヴァイク・リッテンハイム連合に賛同して集ったのでしょう。実際、「ゴールデンバウム王朝および貴族階級の安泰を図るため」と考えてラインハルト・リヒテンラーデ枢軸側についた貴族は、マリーンドルフ家も含めただの1家もありませんでした。
 「国を憂」いてはいても、結局は自己一身の利益からラインハルトに加担した挙句、自身どころか貴族体制そのものをも崩壊に導いてしまったリヒテンラーデは、政治的結果から見れば「自業自得で無能な働き者」もいいところです。そして、リヒテンラーデでさえこれでは、そのリヒテンラーデに従った貴族達も同じレベルで愚かでしかない、という話ですね。


<冒険風ライダー様は原作小説における門閥貴族の描写には特に不満はなく、別の点に不満がある、ということなのでしょうか。>

 銀英伝作中における門閥貴族の描写を基にすれば、作中キャラクターたるヤンやラインハルトの門閥貴族評は充分に的を射たものになっている、ということです。彼らには「ノブレス・オブリッジ」的な「自身を正当化できるだけのイデオロギー的主義主張」もなければ、それを実現できるだけの識見や能力もないのですから。
 門閥貴族の描写そのものに関しては、それによってストーリーに矛盾が生じているわけでも、思想的に破綻をきたしているわけでもないので、私的には問題点とは考えておりません。というより、後述しますが私は田中芳樹にそういう描写は書けないだろうと考えていますし、なまじ苦手な分野に首を突っ込まれるよりは……と思わずにはいられませんね。

 ちなみに、私は参加していませんが、タナウツでもりっくさんが提起している問題と同趣旨の議論が行われたことがありますので、以下のURLから始まる議論を参照することをオススメしておきます。

反銀英伝・人物評論編
銀英伝・新キャラクター創出論
http://www.tanautsu.net/the-best01_04_01_aa.html
http://www.tanautsu.net/the-best01_04_01_af.html までの6ページ


>Jeriさん
<突き詰めて言えば、銀英伝の女性キャラ(特に帝国側)は、「心」が描かれていないのです。文学でいうところの「登場人物の内面」が殆ど書かれていないので、共感のしようがないですし、多くの読者に、好き嫌い以前の存在としてしか認識されなくなってしまうのです。アンネローゼなど、その典型ですね。>
<どうも、田中氏は、女性を何か別の生き物のように考えているように思えます。
それが感じ取れてしまうのが、銀英伝の女性描写が引っかかる根本なのではないでしょうか。>

 アンネローゼの場合は、あえて内面を描かないことで「偶像的な女性」を表現するという意図があったのでは? 成功しているかどうかは別にして。
 あと田中作品の場合、その手の「登場人物の内面」というのはむしろ銀英伝以降の作品の方が「徹底して描かれていない」傾向があって、あんな状態でも銀英伝は「まだ」描かれている方ではあるんですよね。男性主人公の一人称視点でのみストーリーが叙述される薬師寺シリーズが特に顕著ですが、銀英伝以降の田中作品は「主人公の視点から見た女性心理の推察」という形でばかり「登場人物の内面」が描かれる傾向にあります。
 これだと当然、その主人公自身の立場や思考などによって「相手の心」を推察できる範囲が変わってきますし、そもそも「男性が女性を完全に理解できるはずがない、その逆も然り」という論法でもって「心」を直接描かないことの正当化も可能です。田中芳樹自身、「男性の自分が女性のことを完全に理解するのは不可能」的なことを主張していますし、そういうやり方を多用することで、本来苦手な女性描写を何とかこなしていったというのが実情に近かったのではないかと。
 ただ、この実情からどこをどう勘違いしてジャイアンの歌のごとき「俺様は女性描写が上手いんだ!」的な考えに行き着いたのか、そこがどうにも分からないところではあるのですが。


<読者が登場人物に共感し、思い入れを抱くのは、政治的正当性や、思想・主張に共感するからではありません。
ベルばら読んで、「ルイ王朝は、滅びるべくして滅びたのだ。貧困にあえぐ国民を省みず贅沢三昧したマリー・アントワネットはギロチンで当然」と思う読者はかなり少数派のはずです。特に、当時のベルばらがターゲットにした、十代の女の子の中では尚更でしょう。あの話を読んだ人の多くは、ルイ王朝の絶対王政自体は、歴史の必然として滅びるのは仕方がなかったと考えても、その渦中で処刑されたマリー・アントワネットは、悲劇のヒロインとして、同情と共感を得るよう描かれています。>

 田中芳樹はまさにその「少数派」の部類に属しているのではないでしょうか。ついでに言えば、実は私自身もそうだったりしますし(^^;;)。
 前にも述べたように、田中芳樹は中国的な易姓革命思想の全面肯定論者ですし、銀英伝でもアルスラーン戦記でも「血筋による王位継承」的なものに対する嘲笑&全否定に限りなく近い論調が「主人公達の主張」という形で肯定的に描かれています。さらに創竜伝になると、「日本では民衆が権力者を武力で打倒する革命が起こったことがない」的な社会評論が、日本や日本人をあてこする形で記述されていたりしますし、6巻には「明治維新の際に何故徳川家を潰さなかったのだ」と言わんばかりの評論まで存在します。これから考えても田中芳樹は、まさに「べるバラ読んで『マリー・アントワネットはギロチンで当然』」という感想を持つタイプの人間であると言えるでしょう。
 それと、これは私の考えなのですが、悪逆非道の限りを尽くした最高権力者の悲劇が描かれたところで、その権力者に苦しめられた民衆からすれば「ざまをみろ」的な感想しか抱きようがないでしょうし、そのような結果を導いた責任はあくまでも権力者自身に帰するものなのですから「自業自得」と言われてもしかたのない部分が相当な割合であるのではないか、という感が禁じえないんですよね。常日頃は民衆を苦しめておきながら、いざ自分が裁かれる時だけことさら悲劇ぶって他人からの同情を買おうとするのは滑稽以外の何物でもない。私はそう考えていますし、これと似たことを田中芳樹も主張していますので、田中芳樹も同じようなことを考えている可能性が非常に高いのではないかと。
 だから私がそういう類の悲劇性を判断する際には、政治的正当性および思想・主張、さらには当時の状況なども考慮した上で行っていますし、それこそが政治の正しい評価のやり方であるとも考えています。そして、銀英伝の門閥貴族にはそのような要素で評価しえるものが何ひとつ存在しないと作中で設定されているからこそ、「作中におけるヤンやラインハルトの門閥貴族評は正しい」と言わざるをえないのですし、それを改善したいのであれば、それこそ「反銀英伝 大逆転!リップシュタット戦役」におけるタンネンベルクや「ノブレス・オブリッジ」的なものが必要であると主張するわけです。

 あと、根本的な問題として、そもそも田中芳樹はそういった「滅びの美学」的な悲劇性を描ける作家ではないし、描いても滑稽なだけ、というのもありますね。
 田中芳樹の中国作品にその典型的な実例があるのですが、これらの作品は基本的に銀英伝で全否定扱いされているはずの思想である「右翼の軍国主義」「国粋主義的な愛国心」「民族主義的な排外思想」的な価値観をベースにキャラクターおよび物語が描かれており、特に異民族に国が滅ぼされる時代を舞台とする「紅塵」や「海嘯」では、政治的評価などそっちのけで「国や英雄の悲劇」が描かれています。ところが、そのやり方があまりにも感情的かつ強引な上に押し付けがまし過ぎて、とても共感できるようなシロモノではないんですよね。
 たとえば「紅塵」では、時の南宋の宰相秦檜が、金との戦いで活躍した岳飛を無実の罪で殺したことに対し、地の文がこんな評価を下しています↓

紅塵 P199~P200
<平和ほど庶民にとってありがたいものはない。だが庶民にとっても、岳飛の死は傷ましかった。岳飛は不敗の名将であり、軍律は厳しく、たとえば張俊や劉光世の軍のように自国民から掠奪することを厳禁した。それだけでも岳飛は賞賛されるべきであった。庶民は声をひそめて、岳飛の武勲をほめたたえ、一方で権勢をほしいままにする秦檜をののしった。
「両国の和解は私が成立させた。この平和と繁栄は私の功績だ」
 秦檜はそう自負していたが、彼に対して感謝する庶民は、おそらくひとりもいなかったであろう。庶民が感謝した相手は岳飛だった。岳飛が侵略者に対して善戦し、ついには無実の罪を負って死んだからこそ、和平がなったのだ。
(中略)
 一方で、秦檜を弁護して、つぎのような主張をすることも可能である。
「秦檜の政策によって、南宋は平和と繁栄を手にいれることができた。その功績に比べれば、無実の人間に汚名を着せて殺すぐらい、ささいなことではないか。無知な民衆に憎まれる秦檜こそ被害者というべきだ」
 ただし、この論法は、秦檜自身でさえ公言したことがない。詭弁にも限界があるということであろう。>

 もし銀英伝で「ゴールデンバウム王朝滅亡の悲劇」というものが書かれたところで、今度は逆に時代的な背景やラインハルト側の政治的評価といったものが一切無視された挙句、得手勝手な屁理屈をこねた「右翼の軍国主義」「国粋主義的な愛国心」「民族主義的な排外思想」な価値基準に基づいたラインハルト糾弾が出現するだけなのではないでしょうか。現に秦檜は「無実の罪で殺された岳飛の悲劇性」を強調する目的からそういう評価をされているのですから。
 革命を肯定しつつ「滅亡させられる側の悲劇」も肯定的に描くなどという器用な芸当を田中芳樹に期待するなど不毛な行為もいいところです。そもそも「民主主義VS専制政治」という構図をどちらに偏ることなく描くための落としどころとして「ゴールデンバウム王朝&門閥貴族の全否定」があるわけですから、田中芳樹の場合、そこを肯定的に描いても作品のクオリティが却って下がるだけなのではないかと。


<どんな人間であれ、「一人の貴族」には、その家族があり、その家に仕えて、それで生計を立てていた平民の使用人とその家族、その家と取引関係にあった平民の事業者など、直接、間接問わず関わりがあった、いわば、巻き添えを食った罪無き人々は、無視できないくらいの人数になるのではないか?という問題定義です。
1対1万は、実際には、1000対1万とか、2000対1万かもしれません。
少数派とはいえ、これらの人々を大事の前の小事として切り捨てて、それでも、「正義」ですか? と問いたいのです。>

 政治の本質が「絶対多数の最大幸福」である以上、1対1万が千対1万だろうが2千対1万だろうが「不利益を被る人間以上に利益を享受できる人間の方が多い」時点で、ラインハルトの正義は立派に成立しえます。これが不成立になるのは、1万1対1万以上、つまり「ラインハルトの改革で損害を受けた人間の方が利益を享受する人間以上に多くなる」場合だけです。
 そもそもまず、その手の経済活動の核となるべき貴族階級の数自体がそれほど大きなものではないでしょう。リップシュタット戦役で貴族連合軍に参加した貴族の総数は、帝国の総人口250億に対したったの3740。しかも銀英伝の作中ではこれで「大部分の貴族が貴族連合軍側に加わった」扱いですし、その実数は家族も含めたところで10万いるかどうかも怪しいレベルでしょう。
 Jeriさんの主張に従い、ラインハルトの改革により1万の受益者に対し千ないし2千の損失者がいると仮定すると、ラインハルトの改革によって損害を被った人間が25億~50億人もいることになります。大富裕者とはいえ10万いるかどうかも怪しい規模の経済活動の喪失でそれほどまでの人間の経済活動が打撃を被るというのは、さすがに無理がありすぎるのではないでしょうか? ちなみに1対1万だと損失者は250万ということになり、数だけで言えばこちらの方がバランスは取れていますね。
 次に、その手の門閥貴族に寄生して利益を得ていた平民階級の面々をラインハルトが見捨てなければならない理由がない、という問題があります。ラインハルトにしてみれば、たとえ門閥貴族に仕えていたものであっても有為な人材であれば積極採用して社会に役立てていきたい、と考えるのは統治者としても個人的な性格からいっても当然のことですし、実際、ファーレンハイトやシュトライトなどは元敵方であったにもかかわらず許されて主君を変えていますよね。それと同じことが平民階級に対しても行われないと何故言い切れるのです?
 長年門閥貴族に仕えていて技術的な実績と顧客からの信用を勝ち取っている企業や事業者などであれば、たとえ環境が変わっても時代の変化に自ら率先して対応していくでしょうし、逆に暴利を貪って私腹を肥やし平民階級から恨まれていたような輩であれば門閥貴族達と運命を共にしても「自業自得」としか評価はされないでしょう。元々彼らはラインハルトに敵対した門閥貴族達とは違い、迫害や処罰の対象にはなっていないわけですから、今後も自分の手で自由に転職したり事業を展開したりすることだってできるわけで、時代の変化に対応できず没落したとしても、それは彼らの自己責任の範疇というものです。企業や事業者の場合、時代に対応した変化と自己責任が求められるのは、ラインハルトの有無に関わらずいつの時代も自然のことです。
 では貴族達に仕えていた個々の使用人についてはどうかというと、新無憂宮の広大な庭園や建造物の多くを閉鎖する際、「長年宮殿に仕えてきたために今更時代の変化に対応できないから」という理由で老齢の人間を優先して残し、若い女官や侍従は体力も適応力も労働者としての需要もある解雇しても問題ないとラインハルトが考えていた、という記述が銀英伝3巻P59にあります。戦役で消え去った他の門閥貴族に仕えていた使用人達についても同様の配慮をラインハルトが全く行っていない、とは考えにくいですし、旧門閥貴族の施設が病院や福祉施設として引き続き使われているという状況では、彼らが仕事を失う必然性はさらに少なくなりそうなのですが。
 ラインハルトの改革で損害を受けた者がいなかったのかと問われれば、そんなことはありえなかったというのが回答になるでしょう。しかし、帝国の総人口から考えれば、その実数は門閥貴族以外ではそれほど多いものではなかったでしょうし、彼らにも一定の救済措置は発動されうるし、それでも没落する者は自己責任ないしは自業自得でそうなったと考えるしかない、というのが実情だったのではないかと思うのですが、どうでしょうか。


<で、元々言いたかったことは、田中氏が、今から思えばもっと銀英伝で女性キャラを出せばよかったと考えている件で、その女性キャラを、男と一緒に戦艦に乗って戦う女を想定しているらしいことを読んで、「それは違うんじゃ?」と。
そんな不自然な「戦う女」なんて出すなら、こういった「巻き添え食った人の悲劇」を描き、そこで女性キャラを使った方が、歴史劇として物語に深みが増すのではないか?いえ、歴史劇なら、まさにこういうところこそ、描くべきでしょ?ということなんです。>

 前述のように、それは田中芳樹の思想にも合致しなければ能力すらも超えた要望であり、そんなものに田中芳樹が挑戦したところで、銀英伝など比べ物にならないレベルの奇妙奇天烈な作品ができることになるだけです。
 田中芳樹は、何かを褒める際には別の何かを貶めることでしかそれを表現できない特性を持っているみたいですからね。その弊害が史上最悪な形で噴出しているのが創竜伝と薬師寺シリーズということになるのですが、銀英伝の場合、不幸にもそのターゲットとして選ばれたのが、ゴールデンバウム王朝&門閥貴族&地球教の3つ、ということになるのでしょう。

Jeri Eメール URL 2010年04月25日(日)19時52分 編集・削除

冒険風ライダーさん

どうやら、根本的に食い違っているようですね。
私は、「滅びの美学」だの「政治的正当性」を描くべきだなどと思ってません。
滅ぼされて当然な人々=読者の同情の余地なし
という描き方を田中氏がしているようにも読めません。
それは、冒険風ライダーさんがベルばらをどう読もうと、作者の池田理代子は「ギロチンは当然、同情の余地なし」と読者に訴え掛けていたわけではないのと同じです。
田中氏は、あの救いようのないキャラであるブラウンシュバイク公のことでさえメルカッツ提督の言葉を借りて、「精神の病気」と表現し「100年前ならあれでよかったのかもしれないが、生まれた時代が悪すぎた」というようなことを言っています。
私も、ブラウンシュバイクは、当然の死に方をしたと思いますし、全く同情もしませんが、案外彼も家庭では良き夫、良き父親だったかもしれません。
だからといって、「彼も被害者だからそれなりの正当性がある」とかは思いません。が、時代の流れで適応できずに滅びた人間の悲劇のようなものは感じ取れます。
田中氏もその辺を描こうとしたのではないでしょうか。
また、田中氏が産みの親のキャラではありませんが、OVAオリジナルの外伝「奪還者」に登場するマルガレーテ・フォン・ヘルクスハイマー嬢というキャラがいます。
私は個人的に、彼女が銀英女子キャラの中で最も人間らしいまともな女の子だったと思っています。
10歳のマルガレーテ嬢は、最後にはラインハルトと取引をし、無事に同盟へ亡命するところで終わっていますが、幼くして両親を亡くした少女にキルヒアイスもラインハルトも普通に人間らしい同情を見せています。
決して、「あのヘルクスハイマーの娘なんだから同情の余地なし」のような描かれ方ではありません。
減圧事故で亡くなった父親の遺体を見る彼女と、その様子を隣で見て、思わず目を背けるキルヒアイスの表情は、非常に上手い心理描写だったと記憶しています。
彼女の父親のヘルクスハイマー伯は、外伝「決闘者」に登場していますが、リッテンハイムの腰巾着で、傲慢で尊大な典型的な敵側の門閥貴族です。
しかも、リッテンハイムに取り入ろうとして得た情報が、逆にヤバイもので消されてしまいそうになって亡命を決意するというおバカさんでもあります。
全く同情の余地のないキャラで、仮にこの件がなくても、リップシュタット戦役で確実に滅びていたであろう人物ですが、それでも、父親を亡くした後のマルガレーテ嬢の態度から、あんな男でもこの子にとっては、よい父親だったのかという印象を視聴者に植え付けるエピソードでした。
そういう感慨と「政治的正当性」とは全く別次元の問題です。
また、田中氏は、ラング夫人についてでさえ、夫の所業とは別として、ケスラーの目を通して、それなりに読者の同情を誘うよう描いていると思います。
決して「お前の夫は処刑されて当然のことをしたんだから、あんたに同情の余地なし」と思っていたとは読み取れません。
二十代の田中芳樹は、彼なりに歴史劇としての銀英伝を書こうとしていたのだと思いますし、けして「政治的正当性のない側は、その周囲の人にも同情の余地なし」のような思想の持ち主とは思えません。
ただ、充分に描ききれなかった部分が多かったとは思いますので、もし、「女性キャラを増やせばよかった」と思っているなら、数を増やすよりも、既存のキャラをもっと掘り下げた方が歴史劇としてはいいのではないかと思ったのです。

クラゲ 2010年04月27日(火)07時13分 編集・削除

はじめまして。
クラゲです。
田中芳樹さんは、銀河英雄伝説では感情や葛藤の描き方がうまかったので、惜しいと思いました。
最近の政治批判は、ヤンのニ匹目のドショウ狙いなのではと思います。
悩まないヤンがあんな感じなのではないかと。
女性心理云々はロイエンタールをみても、どう表現したらいいかが解らなかったんだろうなと思います。
あと、やっぱりあまりに反対意見の世論が少ないのも、帝国が財政破綻を起こさないのも違和感を覚えます。

冒険風ライダーさん
お気に召さないのでしたら、岩波文庫などに古典の名著が多数ありますので、どうぞそちらを御覧下さい。
一番のおすすめは、中公新書の都市の論理です。

冒険風ライダー Eメール URL 2010年04月27日(火)19時15分 編集・削除

<どうやら、根本的に食い違っているようですね。
私は、「滅びの美学」だの「政治的正当性」を描くべきだなどと思ってません。
滅ぼされて当然な人々=読者の同情の余地なし
という描き方を田中氏がしているようにも読めません。>

 すくなくともゴールデンバウム王朝と門閥貴族については、田中芳樹は「滅びて当然な上に同情する義理もない」的な見解を地の文でも作中の主要人物の発言としても出していますし、ラインハルトとキルヒアイスが主人公の外伝でもその基本路線を土台にして貴族達が描かれている上、最後に両者が「こんな愚かな貴族体制は必ず滅ぼしてやる」的なまとめで締めるというパターンが多いので、田中芳樹自身がその手の「滅ぼされて当然な人々に対する同情」を意図して銀英伝を書いているとはとても思えないのですが。
 銀英伝6巻におけるロイエンタールとエルフリーデの口論でも、エルフリーデはロイエンタールの簒奪正当化論に何ひとつ理論的な反論ができていませんし、返答に窮したエルフリーデに対しロイエンタールが「つまらん女だ」と斬り捨てている描写まで存在します。これがそのまま銀英伝全体における門閥貴族全体の評価&態度でもあったのではないかと。


<田中氏は、あの救いようのないキャラであるブラウンシュバイク公のことでさえメルカッツ提督の言葉を借りて、「精神の病気」と表現し「100年前ならあれでよかったのかもしれないが、生まれた時代が悪すぎた」というようなことを言っています。>

 他者を評する際に「精神の病気」というのは、むしろ救いようのないレベルの痛烈な皮肉ないしは罵倒なのでは? 「正常な人間扱いしていない」という一般論から考えても、それは「バカを蔑みつつも哀れむ目」のようなものであって、同情を示しているものとはとても思えないのですが。
 あれってどう読んでも「メルカッツはブラウンシュヴァイク公を【いつの時代にも通用する】話の通じない精神異常者として評価していた」以外の何物でもありませんし、100年前だろうが200年前だろうが、ブラウンシュヴァイク公はやはりメルカッツから同じように評価されることは避けられなかったでしょう。そもそもメルカッツ自身、そういう「話の通じない精神異常者」を生み出すゴールデンバウム王朝や門閥貴族のあり方自体に否定的だったはずなのですけど。
 それよりは、メルカッツのブラウンシュヴァイク公評価の後に続く「ブラウンシュヴァイク公は不運な人かもしれない、だが、その人に(自分の)未来を託せねばならない人々は、もっと不運ではないのか……」というシュナイダーの独白の方が「締めの言葉」という点でも田中芳樹の本音に近いでしょう。田中芳樹は他人の無能や犯罪を評する際によくこの類の論法を使っていますし。


<だからといって、「彼も被害者だからそれなりの正当性がある」とかは思いません。が、時代の流れで適応できずに滅びた人間の悲劇のようなものは感じ取れます。
田中氏もその辺を描こうとしたのではないでしょうか。>

 銀英伝の場合、そういうものを描こうとした意図が明確に見られるのは、ラインハルトの侵攻によって滅ぼされた後の同盟とフェザーン関係の描写ですね。あれらの描写では「俺達はこれからどうなるんだ」的な不安や侵略者への反感などもきちんと描かれていますし、特に同盟などはマル・アデッタ会戦におけるビュコックの死がそれこそ本当に悲劇的に描かれていたり、滅亡後も民主主義を懐かしむかのような暴動事件が何度も頻発していたりします。こちらの方がよほど「時代の流れで適応できずに滅びた人間の悲劇」が描かれていると言えるのではないでしょうか。
 ゴールデンバウム王朝&門閥貴族の場合、滅ぼされた後の描写がほとんど「滅ぼされて当然かつ同情の余地なし」的なものばかりで占められていますし、銀河帝国正統政府絡みのエピソードを読んでも「取らぬ狸の皮算用を当て込んだ身の程知らずな復古主義テロ集団の当然な結末」以外の感慨など抱きようがないというのが実情です(しかもその立ち上げにしてからがフェザーンに踊らされたものでしかありませんでしたし)。
 銀英伝の後発となるアルスラーン戦記でも、国王アルスラーンの奴隷解放政策をはじめとする諸改革で一番の打撃を受けることになった旧貴族や特権階級達については、銀英伝におけるゴールデンバウム王朝&門閥貴族と同じような描かれ方をしていますし、それが読者の同情を引き出せるものになっているかと問われれば「NO」としか言いようがありません(不平と愚痴ばかりな恨み辛みの陰口を叩きまくっている上に仕事もせず、アルスラーン暗殺未遂までやらかしている)。「滅ぼされる敗者ないしは旧体制に対する非情ぶり」は銀英伝のみならず、中国作品を除く田中作品の多くで一貫して存在しますね。
 銀英伝の場合、田中芳樹自身の思想もさることながら、ゴールデンバウム王朝&門閥貴族をことさら悪し様に描くことで、ラインハルトを「最善の専制政治の象徴」として「最悪の民主主義」を死守せんとするヤンと対峙させ、両者の善悪対立の無効化&相対化を図る、という考えもあったでしょう。どちらもゴールデンバウム王朝&門閥貴族については考え方に違いがありませんし、両者の相対化のための生贄としてああいう描写が描かれていた、と考えた方が筋は通っているのではないかと思うのですが、どうでしょうか。


<全く同情の余地のないキャラで、仮にこの件がなくても、リップシュタット戦役で確実に滅びていたであろう人物ですが、それでも、父親を亡くした後のマルガレーテ嬢の態度から、あんな男でもこの子にとっては、よい父親だったのかという印象を視聴者に植え付けるエピソードでした。
そういう感慨と「政治的正当性」とは全く別次元の問題です。
また、田中氏は、ラング夫人についてでさえ、夫の所業とは別として、ケスラーの目を通して、それなりに読者の同情を誘うよう描いていると思います。
決して「お前の夫は処刑されて当然のことをしたんだから、あんたに同情の余地なし」と思っていたとは読み取れません。
二十代の田中芳樹は、彼なりに歴史劇としての銀英伝を書こうとしていたのだと思いますし、けして「政治的正当性のない側は、その周囲の人にも同情の余地なし」のような思想の持ち主とは思えません。>

 全く別次元の問題「だからこそ」、「ラングが家庭内では良き父・良き夫であったから」というラング夫人の助命嘆願をケスラーは拒絶していたのでは? ここでラング夫人が同情的に描かれているのも、ラング夫人自身がラングの悪事に加担していた事実がなく、彼女もある意味「ラングの悪事に巻き込まれた被害者」であったためですし。
 こういうのって、「この犯罪者はこういう生活環境が元で犯行に走った……」的な論調で、特に未成年者の犯罪がTVやマスコミで取り上げられる際に犯罪者を擁護する目的からよく多用されているのですが、個人的にはあまり共感できるものではないんですよね。すくなくともそのような論理で「犯罪者自身の所業」が正当化されるものではありませんし、またその内容が真に同情に値するものであったとしても、得手勝手な理由で害を被った被害者にしてみれば、その内容が何であろうが全くもって偽善そのものにしか映らないことも当然ありえます。その状況で他者からの同情や共感を得たいというのであれば、被害者でさえも同情・共感、場合によっては恥じ入ってしまうほどの理由ないしは正当性が必要であることは論を待たないでしょう。
 田中芳樹自身、薬師寺シリーズを執筆することになったきっかけのひとつに「探偵役が犯人にやたらと同情する90年代中頃のミステリー作品に対する反発があった」ということをあちこちのインタビュー記事で告白していますし、この告白はそれまでの田中作品に共通している思想や傾向とも合致しています。銀英伝もそうですし、タイタニアが特に顕著ですが、田中芳樹は「勝てば官軍、負ければ賊軍」的な価値観を自身の作品によく反映している作家ですし、私が「田中芳樹はベルばらを見て『マリー・アントワネットは処刑されて当然』と考える少数派タイプの人間である」と主張する理由や根拠もこの辺りにあります。
 中国作品以外の田中作品における同情論や共感などは「政治的正当性」と強く結びついているものなのであり、だからこそゴールデンバウム王朝&門閥貴族はああまで悪し様に罵られる一方、たとえ弱小であってもヤンの民主主義擁護論はラインハルトと同等な立ち位置として扱われるわけです。肯定するにせよ否定するにせよ、その事実そのものはきちんと踏まえておく必要があるのではないでしょうか。

クラゲ 2010年04月27日(火)20時53分 編集・削除

もし、田中芳樹が歴史の敗者に全く同情しないのであれば、ランゲに対して好意的なエピソードを付け加える必要なんかないですよね。
体制維持に関しては、同情の余地がないと言ったかもしれないけれど、それとこれとは別問題ですよね。
単に個人の良し悪しと体制の良し悪しは別だと言いたいと思われますが。
あと、旧統治者と犯罪者をいっしょくたにしないで下さい。

S.K Eメール 2010年04月28日(水)18時00分 編集・削除

 お久しぶりです。

>その論法でいくと、「ベルばら」なんか誰も面白がって読みませんよ。

 それはどうでしょう?
「ベルばら」はきちんとマリー・アントワネットや
ルイ16世の愛すべき「個人」を描写しつつ、貴族
支配に追い詰められるロザリー達のような「社会
背景」、改革者たるロベスピエール達のひたむきな
「理念」をきちんと併記しているからこそ「ロマン」
としても「悲劇」としても支持されたのではありませんか?
 もっとも銀英伝でそれが絶無とは思いません。
 代表例のブラウンシュヴァイク公爵にした所で、
「何故ヴェスターラント核攻撃を遂行したのか」と
言えば「尽くしてくれた親戚の仇討ち」であり、
あのアンスバッハ准将が破滅覚悟でラインハルト
暗殺を遂行したのも何か「個人的な情義」に基づく
と考えた方が自然ではありましょう(兵役中に自分
の家族を励まし厚誼を図ってくれていた等)。

>滅ぼされて当然な人々=読者の同情の余地なし

 正確には
滅ぼされて当然な人々=主人公達の同情の余地なし
でしょうね。
 それで読者の視点がどちらにあるかといえば
大方ヤンやラインハルトにあるというだけの話
でしょう。

少々話題はそれますが、もし入手に成功なさって
おいででしたら去年おすすめした同人誌はいかが
でした?

クラゲ Eメール 2010年04月28日(水)18時23分 編集・削除

S・Kさん
言っている事は正しいです。
けれども、その前提で話しているわけで。
誰も、
何の非の打ちどころがないのに!可哀想!
とは言ってないと思われますが。
ベルばらで言えば、マリーアントワネットは悲劇のヒロインとして愛されている訳で、別に正しい人間だとして愛されている訳ではないですよね。
シェイクスピアの主人公は人間的に問題があるにもかかわらず、彼の作品は愛されているでしょう?

非公開 2010年04月29日(木)02時04分 編集・削除

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